チャックルの日記
INDEX過去未来


2005年06月30日(木) 勝った勝った!

久しぶりに2箱出したよ北斗で(^-^)

今日の北斗の日は大盤振る舞いだったねぇ。40台のうち約半分は40〜50回出てたし、彼も含めて70回以上もチラホラ。彼なんて90回出て12万円出したってさ!

引き弱の私は、それでもがんばって51回出して52000円分、差し引き32000円の勝ち!

いや〜久しぶりに並んで打ってお互い楽しい半日を過ごせた。出かける前は大雨降ってて、そんな中並ぶのも躊躇してしまったけど、予定通り開店一時間前着で大正解!雨にも負けず並ぶ人の多いこと。みんな好きなのね(^_^)

翌日の設定残りを期待する彼が誘惑のメールをよこす(>_<) きゃー止めて!今日の勝ち分で自動車税を払わなければいけないのよ、私は。そう、期日を一ヶ月も過ぎてまだ未納なのだ(-.-;) 打つお金はあっても払うお金がないとはどういうこと?!

だから来月の第一ス○デーの7日まで我慢の子!明日は大人しく過ごすのだ。


今日は楽しかったけどさすがに疲れた。タバコの煙を吸い続け、トイレに立つ以外は座りっぱなしという劣悪な環境。明日はゆっくり体を休ませてあげよう。。。


2005年06月28日(火) 疲れた bad 良かった!

父親の古希祝い、夜景もきれいで食事も美味しく父親も喜んでくれて、行きも帰りも渋滞で運転が疲れたけどよかった(^-^)


今日は疲れたからこれだけ。。。


2005年06月27日(月) よい傾向

今日は診察日。

先週も落ち着いて過ごせたことを報告。何をしたわけではないが、パソコンいじったりテレビ見たり本読んだり、必要に迫られて買い物に行ったりしたことなど。

先生曰く、「だいぶアパートの生活に慣れてきたようだね。問題はこの状態を維持できるか。これからは、自分の好きなことを好きなように行動できるようになりましょう。」。

実はこの『好きなことを好きなように』というのがなかなか難しい(>_<) やりたいことはあるのにやる気が起こらなかったり。

いい例が来週のHOUNDDOGの武道館。彼と行く予定だけど、いまは私より調子が悪そうな彼が果たして行けるかどうか。去年の8月の野音の時は「一人でも行くぞ〜!」と気合十分で、実際一人だったし最悪にも雨の降る中だったにもかかわらずちゃんと楽しんで帰ってこれた。それが今回は一人では行く自信がない(-.-;)

それでも今回の武道館はオリジナルメンバーでは最後の活動になるかも?!なーんて言われているから何としでも行く気を奮い立たせるけど、果たしてそれがいいことなのか?


診察の後は、珍しく朝からウィンドウショッピングをする気になっていたから、隣町の大型スーパーに顔を出したり本屋や電気屋に寄ったりしながら3時間ほどブラブラする。疲れたけど面白かった。うん、我ながらよい傾向じゃ(^-^)


夕方実家により診察の報告。関連する会話の中で父曰く「例え仕事で自分のせいでミスを犯しても、(自分だけのせいじゃないという)自己主張は大事。盗人にも二分の魂と言うだろ?」な〜るほど。確かに当時犯したミスは私だけのせいではなかったと、今では思える。状況が呼んだミスと言うべきか。

私は自己主張は大の苦手。相手が悪くても、多少のことなら争いになるくらいなら目をつむろう、という意気地なし。面倒は嫌だし。だけど今の時代、自己主張した者勝ちみたいなところがあるよな。言わない・言えない人が損をする。謙譲の美徳も通らないし・・・古い感覚の私はもう30年位早く生まれるべきだったかも。そうすれば望まない出世もすることなく、常に男の人を立てて、その陰で目立たず穏やかに生きていけたんだろうな。はぁ〜。

ま、そんなどうにもならないことを嘆いても仕方ない。



明日は父親の古希である誕生日。とうとう70だって。外見は兎も角(いや、外見もかな)、あのバイタリティはとても70には見えない。羨ましくらい頭柔らかいし記憶力・理解力も私よりいい。こんな立派(とは大袈裟だけど)な親から、なんで私みたいなのが生まれて、というかこんな育ち方をしてしまったんだろうか・・・。親はなくとも子は育つというけど、親はいても育たない子供っているのよね。はぁ〜。

いや、そんな嘆きはおいといて、そう明日はお祝いのためランドマークでお食事だい!今日は急に思いついた母親と慌ててインターネットで夜景の見えるレストランを探し受付時間ギリギリで予約。夕暮れ時を狙ったから、明日は何としても晴れて欲しい!

一ヶ月も前から自分で古希だと、まさに“自己主張”していた父親。先に来た母親の誕生日には何もしなかったから「お祝いして欲しかったら、先に祝ってあげないと!」と言うと「おう!お母さんの古希の時には盛大にやってあげよう!!」だって。普通の誕生日はどうでもいいらしいよ(>_<)

さてさて明日はどんな一日になるのでしょうか。。。


2005年06月26日(日) 見ちゃった!

6月25日(土)

『黒革の手帳 アンコールスペシャル』・・・去年ブラジルに行っている間に終わっちゃったから全く見られなかったけど噂は聞いていたから、ちょこっと興味はあった。しかし、あそこまで見事にはまるとは(^_^;) スペシャルが楽しみでんな(^_^)v

元子にはなれないしなりたくはないけど、あの自信・芯の強さは羨ましいね。私には欠片も無いもの(-.-;) 
いろんな性格がある中で最も羨ましいと思うものは『負けん気』(勝気)かな。これさえあれば何でも乗り越えられそうな気がする。もっとも、負けん気が強いばっかりに味わう屈辱や挫折もあるんだろうけど・・・。
私は自分に甘いし弱いからな。勝気であれば、挫折したピアノ・習字・華道、全てやり遂げてなにかしらは物に出来ていたかもしれない。物にはならなくても、楽しめる程度には習得できたでしょう。あぁ、もったいない(>_<)

兎にも角にも、2日の夜が楽しみなのでありました。


ちなみに、今日は彼氏と夜寝る前まで一度もメールの交換しなかった。これって、離れている間以外では初めてのこと。お互い病持ちだとこういうこともあるのね。私の心理は単に「面倒くさい・気にならない」からだった。彼はどうだったんだろう。自分のことで手一杯だったのかな?



6月26日(日)

読み終わった、東野圭吾の『秘密』。久しぶりだね、「切ないなぁ。。。」と心の底から感じた小説を読んだのは。このまま穏やかに終わりを迎えると思った内容は最後でどんでん返し(という言い方は正しいかな?)。最後の最後で胸がキュンとなった。

読んでて思ったのは、小説とは異なるけどもし自分が生まれ変わるとしたら、今の彼をもう一度選ぶかどうか。「絶対選ばない!」と思い切り最初に否定したあとで、でもなぁ・・・と自信なくなってきた。

なんだかんだと言っても、彼以外の人では続かない気がする。納得できないと言うか、飽きちゃうような気がする。もちろん不満は一杯あるよ。まず趣味が合わない。合わないなりにたまには合わせてくれても良さそうなものなのに未だかつて一度もないね、記憶に無い。行きたいところやりたいことはたくさんあるのに叶えてくれたこと、たった一度のディズニーランドだけかな。あとはみんな彼のペース。出不精だし面倒くさがりだしロクナもんじゃない(`ヘ´)

あと、私の自由を認めてくれない。友達との食事も遠慮しないといけないし。養ってもらっている旦那様ならわかるけど、お互い社会人として立派にやってる(やってた。今は休憩ね(^_^;))んだから、女友達と夜遊ぶくらいいいじゃないねぇ。自分だって散々浮気したくせにっ!

・・・細かいことまで言い出したらきりがないからこの辺でやめておくけど。

読売新聞の夕刊のとあるコーナーに書いてあったけど、思い出の中の人は時間が経つにつれて美しくなるらしい。確かに、中学の時の後輩のT君がもし今現れたら結婚しちゃうかも?!と考えている自分がそこに・・・。

T君だってそれなりに年を重ねているだろう、お腹も出ているかもしれないし禿げているかもしれない。でも、あくまでも記憶の中の彼は若くて(当たり前だけど)かっこよくて輝いているのよね。そんな彼が現れて「幸せにします!」とか言おうものなら今の彼氏は投げ飛ばして付いて行くかも(^_^)v

ま、ありえないからこその妄想だけどね(でも心のどこかで密かに願っていたりする)。



今日は布団を干して洗濯して、ハムスターの家を掃除してベランダで物思いにふけった。

今週は落ち着いていた。夕飯も作れたし、なにより苦しくならなかった。そろそろ友達のところに会いに行ってもいいかな、とも思えるようになったし、明日は病院の帰りに久しぶりに買い物に寄ってみようかと言う気にもなってるし。少しずつだけど牛歩より鈍いかもしれないけど前進(1歩進んで3歩下がる感じ)だね。

夕方から実家に行って夕飯とシャワーをゴチになる。夕食後、BSの『美しき日々 ファイナルコンサート』を一緒に見てたけど、いいねぇ、チェ・ジウ。素敵だわ。ああいう人になりたかった。。。(過去形(^o^;) だってまだ36だけど、もう36。むむむ、苦しいっす)






2005年06月24日(金) ブラジルの匂い

今日はゴミ出しのお陰で8:30に起きられて、昼間はお天気のお陰で洗濯し久しぶりにメールの返事も2人に書き、夕方には買い物にも出かけた、しかも徒歩で!・・・恐るべし気分の波(^_^;)

ま、いい傾向だから深くは考えないけどね(^_^)v



今日はブラジルで買ったタンクトップを着て過ごした。不思議なことに、帰国して半年経つのに、まだほのかにブラジルの匂いが残っている。

正確には洗剤の匂いなんだろうけどね。お姉ちゃんの家の匂いとか、洗剤やら何やらの匂いだと思うけど、なつかしいよ〜(;_;) ブラジルのことがひしひしと思い出される。。。

日本人だからと言って差別することなくどこでも優しく接してくれた人たち、おおらかで明るく面白かった人たち、鳥のさえずり、強い日差しに心地よい風、全てが昨日のことのように思い出される。

片言のポルトガル語でも一生懸命理解しようとしてくれた街の商店の人もいたなぁ。「バイバイ!」「さよな〜ら♪」と声をかけてくれたグラマードの愉快な店員さん。中国人の経営しているファーストフード店ではいつもビスケットをサービスしてくれたっけ。

思えばブラジルに3ヵ月いて、嫌な思いした事なんてあったっけ?ってくらい気持ちよく過ごせたな。もちろん油断大敵、危険区域も普通の街の中にあったし、歩くときはカバンをしっかりと持つかリュックを使ったし、一般のバスは危険(しょっちゅう強盗にあうらしい)だからと乗れなかったし、何より日本と違って車優先だから道を渡るのも神経使った。だって、車は止まってくれないんだもん、慣れないと思い切り轢かれる(^_^;)

でも、リオやサンパウロは別としてほとんどの危険性は日本と変わらない。今の日本も同じようなもんだしね。だったら私にはブラジルの方が住み易い。先生の言うように、向いているのかもしれない。彼との事がなければ、真剣にブラジル移住を考えるところなんだけど・・・。それ以前に、母親に「(結婚して住むのは)沖縄でも北海道でもいいけど、海外は困る」とこの間さりげなく言われたからな。両親健在のうちは無理だ(笑)

でも、いつか必ず実現するために今のうちに準備しておかないと!資金・生活手段・語学・・・踏破するべき問題は重いものばかり。まずは資金さえあれば殆どの問題はクリアできると思うんだけどな。やっぱ頼みの綱は宝くじか?!←これ以外に真剣(^.^;

9月から一ヵ月半ブラジルに行く両親。出来ることなら私もトランクの中でいいから一緒に連れてってもらいたい。。。いつか絶対行くぞっ!!!


2005年06月23日(木) 2日分

かな?いつ書いたのかも忘れてしまうほど無気力だった二日間だった。

6月22日(水)

朝は8:30に起きてプラスチックを捨てに行く。
10:30には眠気が襲い、そのまま13:30まで寝る。

それ以降はテレビを見たり本を読んだりして、夕飯はレトルトで済ませる。




6月23日(木)

今日は燃えるゴミの日だったから新聞を捨てたかったのに雨(>_<)
あ〜ぁ、と布団の中で雨音を聞きながらそのまま寝続けてしまった・・・。

結局10:30に起きてご飯食べてテレビ見てたら美味しいパンを食べたくなって、近所のパン屋まで2日ぶりに外出。
その後恐ろしいことにまた眠気が襲い、気が付けば14:00〜16:00頃まで寝てた。今日は自分から言い出して実家に夕飯をゴチになりに行くのに気が乗らない。

それでもしっかりご飯は食べたかったから気分を奮い起こして実家へ。着いてからも気分が落ち込み、両親が「なんで?」と不思議がる。無理もないよね。今の私には障害となるものは何もないはずなのに、明らかに1年前より状態は悪い(-.-;)

面白いもので、夕飯を食べ終わる頃から徐々に元気が出てきて気分が明るくなる。それを正直に両親に話したら喜んでた。やはり“話す”ということがいいのかな?アパートに一人で篭っているのが悪影響なのか?

またお風呂までゴチになっえ帰ってくる。久しぶりに日記を書く気になりこうしてまとめ書き。


実家での食事中に、母の助言を受けた父の選択がいい方向に向いたことが最近あったらしく、その話しから「チャックルもお母さんの言うことを聞いていれば今頃こんなことにはなっていなかったのよ!」と何気に言われて思わず苦笑い。

確かにそうかもね。実際どんな場面で母の言うことに背いてきたかは記憶にないけど、多分大学の選択(短大か四大か。母は短大を勧めたけど私は頑として四大に拘り推薦で入ったけど、今から思えばその『大学の選択』は間違っていたかも?あくまでも四大に進んだことは否定しないけど!)とか細かい点に於いて影響はあったと思われる。


その大学、人生やり直せるものなら大学から入りなおしたいな。彼氏とばかり行動しないでちゃんと授業受けて友達ももう少し作っておけばよかった。あの4年間は苦い思い出が多かった気がする。何も残っていないような。あの彼と結婚していればまた違ったんだろうけど、今の彼とももっと違った形になったかもしれないしね。

人生に『たられば』はないけどついつい考えてしまう今日この頃。やはり後ろ向きかな?明日から天気は夏模様。やる気も出て明るく過ごせるといいな(^-^)


2005年06月20日(月) 保留だって・・・

週末は扁桃腺のせいで寝てました。体が楽になるにつれてお腹がゆるくなってきた。さすが、医者の言うことは合っている。

今日はちゃんと起きて行けたよ、病院(^-^) なのに、1時間半も待たされた(T_T) 
繁盛と言うよりは一人一人の時間が長いような。かく言う私も30分もかけてもらっちゃったもんね(^_^)v

8月1日付け復職について先生は「先週は調子が良くても、その良くなった理由(きっかけ)が不明だし、まだ安定しないから復帰の時期確定は保留だね」だって。

この安定時期が最低でも4週間は続かないと判断は出来ないらしい。そりゃそうだね。

それと、自分で決めた(課した)予定(例えば時間や曜日を決めて洗濯するとか出かける予定を立てて実行するとか)をこなせるようにならないと復職は無理。なぜなら自分で課したこと以上に楽な仕事はないから。なるほど。

私にはブラジルが合っているみたいだね、とも言われた。個々の自立を求める日本よりも、広い意味で家族=ファミリーの結び付きが強いブラジルの方が自分の存在価値を得られそうだから、とのこと。
う〜ん、甘えん坊の私には自立するよりも周囲に甘えていられる環境の方が居心地いいんだよね(^_^;)

あぁ、またブラジル行きたいなぁ。あんなにいい所だとは知らなかった。治安も今の日本と変わらないし。物価安いし(なんと言っても日本の3分の1!)。早く復職してお金貯めてブラジルでも生かせる仕事を身に付けて向こうで暮らしたい。。。


で、復職するためにまずは先生のおっしゃっていた『自分に課す』ことを始めようと思う。
まずは手始めに毎朝ゴミ出しがなくても8時半に起きる。基本的には
月曜日 病院&実家
火曜日 ゴミ出し
水曜日 ゴミ出し&映画
木曜日 実家
金曜日 ゴミ出し&図書館
それ以外に、週に3回市営のジムに通おうかな。彼が先に行き出して、私も行こうとしたら嫌がっている(自分一人の時間にしたいらしい)けど、お互い他人のふりすればいいだけのことじゃないね!?←多分彼が言いたいのはそういうことじゃないと思う・・・(-.-;)

出掛けるときは自転車が原則。ガソリン代も浮くし体力作りに最適!でも梅雨だから雨の日は仕方ないね。

さてさて、どこまで実行できることやら。。。




2005年06月17日(金) 扁桃腺が

腫れた(T_T) 約半年振り。原因は彼、だろう。あの質の悪い風邪が移ったのだ!今週は調子が良かったからここで風邪で寝込みたくはなかったんだけど・・・仕方ないね。


今朝はまだ腫れていなかったとはいえすでにダルかった体を押してス○デーへと足を運ぶ。
予定通りリオちゃんでお店お勧め◎の台に座れたものの、BIG2回バケ3回であえなく退席。その後北斗に行くも調子が悪くなり彼より一足先に上がる。
もう負けて入られない状況だけど、15000円負けは私にしては少ない方。良しとするか!


一旦アパートに帰り昼寝。少し体調戻る。気管支が苦しかったが落ち着く。
夕方、ブラジルのお父さんが実家に見えたから、実家に行くついでにかかりつけの内科の病院へ。先生も笑うほど腫れていた扁桃腺。毎度「子供の頃に切っておけばよかったのにね」と言われるが時すでに遅し。しかし、扁桃腺で細菌を遮断してくれていると思えば有難いですよ。辛いけど・・・。

咳は気管支により負担をかけて治り難くすると聞き、必死に飲み込み我慢(>_<) 実家で1時間程お父さんの相手をする。やはり疲れた。でも嬉しそうに帰られた姿にホッ(^-^)


今夜は早く寝る。明日は一日寝てる。風邪にかこつけて好きなことして過ごそう!


*昨日の日記で題名に『〜の反応』と書いておきながら肝心の反応を書き忘れていたことを思い出したから追加した。


2005年06月16日(木) ぶちょーの反応

夕方、実家から会社の部長に電話をした。

正直に「4月までは順調だったが、5月以降体調が崩れて日によって波があり、最近は先生とも具体的な復職の話はなかった」と話し、「そのため、来週の診察時に先生と相談した後改めて電話で報告したい」と持ちかけたところ、月曜日の3時までに電話することになった。

最近体調が優れないこと話した時、部長は「あ〜そーですかぁ・・・」と残念そうだった。すみませんねぇ。。。


電話する前と後とで父親と1時間程話をした。御年70(古希!)になるとは思えないほど柔軟な考え方を持ち意欲的な我が父。見直しましたよ(^-^)

将来的にはブラジルに関する仕事に就きたいな。もう37歳だから悠長なことは言っていられないけど、70の父親の意欲や実際の行動を見ていると「まだまだ大丈夫!(^_^)v」と思えてくる。いいお手本が身近にいることに感謝。。。



ところで明日はス○デー。狙うはリオちゃん!よって開店1時間前に並ぶために6時に起きて朝食は吉牛の豚丼だ(あ〜早く牛丼食べたい(T_T))。
夕方から咳が出てきて気管支が苦しい(^_^;) やばい、彼の風邪をうつされたかも・・・。明日はブラジルのお父さんも実家に見えるし、その前に大事なイベントがあるから、何としても今夜中に治すぞ!


と言うわけで今日はこの辺で上海もやらずにおやすみなさい。。。


ちなみに今朝は9時起き。昨夜の時点では8:30起床が目標だったけど、まあ範囲内でしょう。これからも何もない日もきちんと8:30までには起きるようにがんばろう!!私には出来る!!!


2005年06月15日(水) 人間こんなに眠れるのね

昨晩から約14時間寝ました。

夕飯やドライブなどで疲れたせいもあるでしょう。しかし14時間とは・・・。

朝一旦7時過ぎに目は覚めた。で、トイレに行って横になったらすぐ寝付いて、途中目が覚めかけたものの起きることはなかった。
自分でも恐ろしい(>_<)

今日は一日ノンビリ過ごす予定が、夕方母親から電話があり「部長さんから電話があったわよ。電話ではなんだから来ない?」とのこと。

半ばドキドキしながら行ったところ、父から以下のような話を聞く。
「部長からは特に話しはないけど『いかがですか?』と聞かれた。『近いうちに直接お会いして話さないといけないとこっちで話しをしていたところ』と答えておいた。」

おいおい、直接話さないといけないなんて誰も言ってないじゃん!先生ともその辺の話何もしていないのに。勝手に言われても困るよ、父さん!!て感じ。

でも、このまま黙っているのもさすがに一年も休んでそりゃないよね、って訳で明日実家から私が電話することになった。

本当はそれも先生と相談してからにしたかったけど、明日はあいにく休診日。ま、電話くらいなら構わないだろうけど、問題は何をどこまでどう話していいか、だよね。

4月以降調子が落ちてきてしまったことや、直接会うかどうかは先生と相談してから決めたいとかを、正直に話すしかない。あとは、復職する意思だけはあることを伝える。

父親は、先生からここのところ具体的な指示や提案がないことに不満や不信感を持っているみたい。そしてそれに従順にしたがって何もしていない私に対しても不満と不安を抱いているそうだ。

このままではボケてしまう。能力も体力も落ちていき、いいことが何もないではないか。なにか自分から行動を起こした方がよい、という考え。

ごもっとも。反論のしようがないからただただうなずくばかり。ただ、先生に対しては私は絶大なる信頼を寄せているからそこだけは譲れない。悪いけど家族の助言より先生の言うことに従ってしまうぞ(患者だから当たり前?!)。

だから今は早く先生に相談したい。話しがしたい。鼻が詰まっていつも鼻声の先生だけど、そこがまたいいんだよね。安心感を与えられている感じ。

彼とも話したけど、よく言えば患者の都合に合わせた話しをしてくれる。悪く言えば何とでも都合よく言う先生(^_^;)

ここのところ月曜日が億劫だったけど、来週はきちんといけるようにしたいな。。。



ここまで書いて、まだ薬も飲んでいないのに急に眠くなって体がだるくなってきた。昨夜あんなに寝たのに。きゃ〜(>_<)


2005年06月14日(火) 昨日とは打って変わって!

なんて調子のいい日だったんでしょう(^-^)

朝は予定通りスロ打ちに行くために7:30起きのつもりが目覚まし前に目が覚めてしまう(ここからして昨日とは大違い!)。

折角だから、シーツ・タオルケットを洗濯して布団も干す。そして予定通り8時過ぎに部屋を出て待ち合わせ7分前に到着。最近彼と待ち合わせるときは5分以上前に着く。昔より成長した私がそこにいる(^_^)v

スロでは今日も勝てなかったけど、BIGがそこそこきて2時間くらいワクワクドキドキで遊べたから良しとしよう!

その後彼が久しぶりに家に来る。交代で上海をやるも、今日は前回と違い私は絶好調で彼が絶不調、何度もつまづく。体調の反映か?

夕飯の相談になって、珍しく自分で作る気とアイデアが浮かび、卵とじ肉丼なるものを作る。でも考えてみたら、朝食は吉野家で豚丼、特に彼は生卵かけて食べていたのよね(^_^;) ごめんなさい!でも彼は「美味しい!」と喜んで食べてくれました。やった〜♪

夕食後は最近ご無沙汰だった夜のドライブに出かける。夜9時過ぎまで出歩いたのなんて銭湯以来。往復2時間強だったけど意外にも疲れてない。でもきっと明日はバタンキューなんだろうな。

今日みたいな調子が続くと助かるんだけどな。←自分の事なのに人事のような願望になってしまうのが悲しい・・・。

明日から梅雨本番らしい。しとしと降る雨は嫌いじゃない。でも、気分もしとしとジメジメしないように気を付けよう!


2005年06月13日(月) 辛かった

昨日も今日も。理由は分からず。先週は金曜日から徐々に調子が落ちてきて、昨日は胸に錘が乗っかったように重苦しさを感じ、本を読んで洗濯する以外は何もしなかった。というより出来なかった。

昨夜は、大好きな『行列』を見ててもいつものように面白さを感じられなかった。笑っていたのにも関わらず(←これが自分でもよく分からない。なぜ笑えたの?)。

そして昨日よりさらに輪をかけて苦しかったのが今日。朝は起きられなくて11:30からの病院の予約を16:30に変更してもらいようやく起きた。

それでも食事後また眠くなり、さらに2時間ほど寝た(なんでそんなに眠れるんだ???)。結局病院には17時に到着。

先生の前で「辛いんです」と涙。不思議だね、先生の前に座ると最近涙が出るんだよね。アパートに居る時や親の前では泣かないのに。甘えているのかな?

原因は先生も分からないみたい。強いて言えば、アパートに一人で住んでいること、らしい。

元気なときは諸々から開放される居心地のいい場所だけど、今の状態ではアパートで一人でいることが『自分の存在価値を忘れてしまいがち』な状態になりやすいとのこと。言われてみれば、「なんで自分は(生きて)いるんだろう」と思うことがある。

あとテレビで明るく笑っている人を見ると「なんでこの人は笑えるのかな?」とか。働いている人が羨ましかったり、何も出来ない自分が情けなかったりとか。

自立する前はあんなにうっとおしかった親(特に母親)との会話も、今では楽しみになっている。

やはり一人で過ごすことは今はよくないのかな?


ということで、明日は久々にスロに行くことにしました。一日引きこもっているからよくないのかも、刺激も必要だよ、という彼の言葉に納得して。

でもお金ないから明日が最後になるかも。どうか、勝てますように。。。


2005年06月11日(土) またまた昨日に引き続き

そうです、何もしなかった昨日よりさらに輪をかけて何もしなかった今日(-.-;)

だって、昨夜は12時前には寝たのに今朝起きたの12時過ぎだもん、もう“朝”じゃないよね・・・。

丸々12時間以上寝たのに、さらに昼寝までしてしまった今日は、夕方実家に行って夕飯ゴチになる以外は本読んでゴロゴロしただけ。

なんでこんなに眠れるんだろう?薬のせい?やることがないせい?(いや、やらなきゃいけないことはある!)母親曰く「目的がないから」。

一応再来週の日曜日に漢字検定を受けることにしたから目的はあるんだけど、勉強する気が起きない。

このままでは月1万も払っている通信講座が無駄になってしまう!(>_<)

でも、昨日も今日も、胸の重苦しさが抜けなかったのは何も出来なかった要因になるかな。

落ち込む、まではいかないけど、余り気分が明るくなれなかった。実家行って父親に「どおだ?」と聞かれても「まあまあ」としか答えられなかったし。

梅雨入りしたせいかな?また一ヶ月強、しとしとと憂鬱な日が続くのね。昨年はブラジル行きが楽しみになっていたから梅雨も気にならなかった(それ以前に空梅雨だったっけ?)。

でも今年は復職が控えているからいつもより憂鬱に感じるのかも(^_^;)

やっぱりあの上司がいる職場には戻れないかな?職場も人手が足りて必要としていないかもしれないしね。

あぁ、考えると落ち込んでくる。止めよう。上海やって寝よう!


2005年06月10日(金) 昨日に引き続き

否、昨日以上に何もしない一日だった。

結局彼から朝メールがこなくて北斗の日は参戦中止。6時に起きてから眠れなくてグズグズ。

お昼前からやっと眠気が襲ってきて3時まで寝る。その後遅い昼を食べて読書。
この本は昨夜から読み始めた単行本だけど、2日で読み終えてしまった。構成がどんでん返しの繰り返しで面白かった!

その後はまたゴロゴロ。母親から外食のお誘いがあったけどダルかったし、明日実家に行くから今日はパスして自炊。
夕飯後から少し調子あがってきたぞ。やはりまだまだ波があるね。


2005年06月09日(木) 何もしない日

今日は朝資源ゴミを出すために8時に起きた。起きられた!少し涼しくて気持ちよかったから、
ゴミ置き場から家までの帰り道は少し遠回りしてお散歩気分♪

その後は眠くなることもなくずっと起きていたけど、特に何をするわけでもなくひたすら上海をやり、
たまに洋服ダンスの引き出しを片付けたりテレビ見たりあてもなく過ごす。

夕方彼から頭痛が治まらないとメールあり。私も疲れた時はひどい頭痛で悩まされたからその辛さはよく分かる
(記憶に新しいのは、今年の1月、ゲーム大会終了直後のあの痛み。薬飲んでも横になっても治まらず頭抱えて泣く泣く寝たっけ。先生曰く、「体が調子悪いことをきちんと言えなかったから(その反動)だね。言える様にならないといけないよ」。
難しいっすよ(-.-;))。

明日は北斗の日で行く予定だけど、彼の体調次第では中止だね。期待しないでメールを待とう。


2005年06月08日(水) 最近見る夢

毎晩睡眠導入剤を飲んで寝るから、割合眠りにつくのも早いし夢を見ることもない。

にも拘らず、明け方にたまたま目が覚めてしまったあとの睡眠時や昼寝などの合間に見る夢には妙なものが多い。

その一つが女優の万田久子が出てきた夢。それも超リアルで、彼女の内縁の夫までもが登場し、なにやら二人して娘のことで悩んでいた様子。
私が相談にのるんだけど、なぜかその後彼女と一緒に2時間ドラマに出演してしまう。舞台は地下駐車場。
他に出演者は辞めてしまった会社の後輩。それも自己中心の最たる人で私が一番苦手としていた奴。
その子のことを友達に「会社のメンバーとしてでなく、一友人として知り合っていたら仲良く出来たのかもしれないのにね」
と言われていた私。そうかなぁ・・・?深層心理のなせる業なのかしら??
その時にはもう一人、やはりすでに辞めている昔の上司の名前だけが出てきた。
会いたくない一心で逃げ回っていた私。その人は嫌いじゃなかったけどなぁ。

会社と言えば今の上司にいじめられている(よく言えば鍛えられている・しごかれてる←どっちもヤダな(-.-;))夢も見た。
これも妙にリアルで寝覚めが悪かった・・・。復職したらまたやられちゃうのかな(T_T)(そんなことはないと思う、思いたいが)



今日は夕方母親から夕飯のお誘いの声がかかり、いそいそと実家へと向かった。
実家近くの道を走っていたら、ふと「そろそろ復職出来そうかも・・・」と思った。なぜだろう?夕暮れ時の雰囲気がよかったからかな?
なんにしてもいい傾向だ。「よくなれば自然と『働きたい』と思う」(by 先生)らしい。
4月までは「働けるかも?!」と明るく思えていたくらいだから、ようやくその頃の程度まで調子が戻ったってことかな。

休職して3ヶ月目までの診断書は父親に会社に持っていってもらっていた。
そこで父は部長と話をしていた。
その時の部長の話では、「仕事のミスは(私)一人のせいではない。もう心配はいらないから、安心して欲しい。」とのことだったらしい。
それを今聞いて、気が少し楽になった。

また、以前母親が「上司だって昔のままじゃないわよ。」と言ってくれたのが心強い。
確かに主任の肩書きもこの4月から取れたし、ということはその立場に対する上司のプレッシャーもなくなるはず。
ということは、上司と直接話をする機会も風当たりも少なくなり、彼女の態度も以前よりは変わるのではないか、との期待も。

肝心なのは気の持ちよう。部長の言葉にしろ母親の一言にしろ夕暮れ時の気紛れ(?)にしろ、それで気持ちが前向きになれればよし!

夕飯後は3人揃ってテレビの前に釘付け。そう、W杯予選を見るため。途中他の番組に浮気したものの、点を取った場面はしっかり見てました(^-^)
いや〜よかった!サッカーよく分からないのに乗りやすい性格の母親は、「ドイツに観に行こう!」とはしゃいでた。でもその気持ち、よく分かるよっ!
日本代表に元気をもらって、明日は8時に起きて資源ゴミを出すぞー!


2005年06月07日(火) 本日の成績

9000円勝ち。渋すぎる・・・(-.-;)

ス○デーでこれだもん、平日に負けるはずだわ。明日は今日の設定の残りを期待して再度アタック!

昨日の診察で「話し相手を見つけよう」みたいなお話しをされて、母親からも
「誰かいないの?私だって3日話さないと辛いわよ」と言われたことについて、
今日はしみじみ彼の存在の大切さに気が付いた。確かに私の真剣な話しには耳を傾けてはくれないが、
彼の話は面白いし、『ただの』話し相手としては十分すぎるほどの存在だ。
両親はこの彼の存在を知らないから心配かけちゃうんだよね。いっそのこと、白状しちゃおうかな?
(いやいや、早まってはいけない!)

しかし、父親にいたっては、「真面目な(←これ強調)合コンだもしてみたらいいじゃないか!」とまで言い出す始末(^_^;)
このまま彼氏はいないと白を切り通すのも罪かなぁ。でも話して結婚の話になるのも面倒だしなぁ。悩むなぁ。。。


2005年06月06日(月) 今日は診察日

週に一度の診察日。今日は久しぶりにちゃんと起きて時間通り(正確には範囲内)に病院に行けた。

今日の内容は
・実家に泊まれないし8月以降両親がブラジルに行くことで、
 実家を頼らないリハビリ方法を考えなくてはいけない
・話し相手を探した方がいい(私は同意でも反対意見でも返してくれる人が
 いないといけないタイプらしい。←他人事のう(^_^;))
・(10時間以上寝ているが)眠れることはいいこと。気にすることはない
などなど。

母親が実家に泊まることに対して拒否反応を示したことに付いては先生曰く「意外だなぁ!」。
「大袈裟だけど、お母さんは医者の言うことは聞かない人、ってことになるねぇ。」
とまで言われていたよ、お母さん!(笑)

そのことと8月以降両親が不在になることで、私の性格から言って彼なり友達なりに話した方がいいとのこと。
そう言われてもね、会社ではもう友達がみんな辞めちゃったからなかなか本年を言える相手がいないし、
彼は元々私の話聞いてくれないし・・・社外の友達に愚痴るのは悪い気もするしさ(私って貧乏性?)

最近の一日のパターンはゴミ出しの日以外は起床が10時頃。
昼寝はしなくなったけど夕方から目が冴えてきて(これって典型的なうつの症状)、夜はWBSを見てから12時に就寝。
てことは単純計算で10時間睡眠。先生も「よく眠れるねぇ!」と驚いていた(その証拠に2回位言われたもんね(^_^;))。
でも、眠れないよりも眠れることはいいそうで、きにしないでいいよ〜と笑顔で言われて安心。

ちなみに今日も新患がお一人様。毎週いるよ。この時期は増えるよね。


午後はまた彼が『上海をやりに』来る。そう、ピンボールのように、飽きるまでしばらくはこのパターンが続きそう・・・。
二人で交代で制覇して行くも、こともあろうか毎晩やっている私の方が1ステージクリアーできず、散々彼にバカにされる(T_T)
しかも、「先生に『彼は話を聞いてくれません』て言ったよ!」とこれ見よがしに言うと、
「だってお前の話、つまんないんだもん」・・・。い 痛いっ!(>_<)


明日はス○デー。有り金持っていざ勝負!これで負けたらきっぱり足洗うぞ!(って、もうやるお金がないよ〜(-_-#))


2005年06月05日(日) サイクリングのはずが

昨夜、寝る前に彼が思いついたように(実際思い付きだろう)「明日サイクリングしよう!」とメールしてきた。
私の自転車は昨年ブラジルに行っている間に自然にパンク?してしまったようで、空気を入れても抜けてしまいそのままほっぽっといてあった。
彼は休職に入ってからマウンテンバイクを買っていた。だから、どこかで待ち合わせをして走ろう、という提案。
元々自転車に乗ることが好きな私は大賛成!で、今朝一番で自転車屋さんに行ってタイヤを直してもらう予定で早起きした!
が。
最近よくあるパターンで、「体調悪いからやめにして」と彼から朝メールが届く。
休職になってから、私より調子が悪い彼だから仕方のないこと。そのまま改めて昼間で寝直してしまった(^_^;)

昼過ぎに珍しく彼が自分で運転してアパートに来た。いつも私が迎えに行くから、来てくれるのは嬉しかった!
昨夜、最近私がはまっているヤフーの上海ゲームの事話したらやりたかったみたいで、来て早々から夕方帰るまで交代で上海やりっぱなしだった。
健康的にサイクリングのはずが家に引きこもり(-.-;) ま、楽しかったからいっか!


明日は週に一度の診察日。ここのところまともに予約時間通り行けなかった。明日は行けるかな?毎回前日までは調子いいのに、当日の朝になると行きたくなくなる傾向が。今夜は早く寝て、明日はちゃんと時間通りに行こう!!


2005年06月04日(土) ちょっと反省

昨日の日記の内容にちょっと反省(-.-;)
彼が、今の私の支えに全くなっていないかと言うと、違うもんね。
束縛されるのも愛情の裏返し?(単純にそうとも言い切れないが・・・)
無い物ねだりなのかもしれないね。。。


昨夜は昼間に飲んだコーヒーが効いたのか、日本代表の試合が始まるまで眠気を感じることもなく起きていられた。
こんな時間まで起きていたことは久しぶりだったから、試合と平行して他の深夜番組をとっかえひっかえ見まくってたら、肝心のゴールシーンを見逃してしまった(>_<)

彼から「決まり!寝るね」と早くも勝利を確信したメールが届いて、「おいおい、早過ぎないか?まだ前半だぞ大丈夫か?!」と送りつつ、自分も眠くなりあっさり後を追う(^_^;)

睡眠の途中、今年初の『蚊』の攻撃に遭い記憶にある限りで3箇所刺されるもメゲズに寝続ける。
しかし、久しぶりの夜更かし=不規則な生活がたたったのか明け方に目が覚めてしまった。それでもメゲズに無理矢理寝てたら、起きたのが11時。ま、やむを得ないですね。。。

先生の言いつけを守るべく、朝兼昼食後と3時頃お味噌汁の残りなどを食べて小腹を満たした後薬を飲む。時間はずれてもいいから薬は3回飲むこと、さらに、3度の食事をキチンと摂ること&睡眠をしっかり取ること、これが今の私が最低限守らなければいけない先生とのお約束。

ほんとはこれに、「今週からしばらく環境を変えるために実家にも週のうち3日程度は泊まりに行こうね」、と言われていたんだけど、母親に話したら「え〜?!(負担になって)こっちが病院に通うことになっちゃうよ(-_-#)」とやんわりと(?)拒否されてしまったから断念。
そうだよね、病人を抱えるのは容易なことではないもんね。精神的に参っちゃうよね。幸い今週の私は火曜日以降落ち着いているから泊まらなくても平気!だから、安心して!拒絶されても私は家庭環境には恵まれておりますです。だから先生、指示には反してしまうけど許してくださいませm(_ _)m

その実家には夕方から夕飯ゴチになりに行ってきた。泊まれないけど、夕飯食べさせてもらえるだけ助かる!しかも、必ず食料品のお土産付だから、節約しなければならないガソリンを使ってでも通う気になるってもんです(^_^)v (今日はバナナ1本しかもらえなかったけど)

実家からの帰り道、彼からの誘いで小1時間ほどドライブに行く。私達の病のこと、解散するかもしれないHound DOGのこと、勝てないベルマーレのことなどをミニストップのソフトクリームを食べながら息つく暇もなく喋り捲った。
今日の私、調子良し!


2005年06月03日(金) 考えちゃうなぁ、彼との事

最近、同じエンピツ上のある人(名前は出さない方がいいのかな?)の日記にはまってます(^-^)
文章も読みやすく簡潔で参考にしたいくらいだし、ユーモアもあり気楽に楽しく読めて毎日の楽しみになってる。

その彼女の日記を読んでいて羨ましいのは、彼氏がとてもいい人。仲が良いのももちろんだけど、
とても理解がありそうで優しいんだよね。だから、気の毒と思える境遇にいる彼女だけど、彼氏の支えで毎日私よりも充実して元気に過ごせているみたい。
それがとても羨ましい。。。


で、ついつい悪いと思いつつ自分の彼と比較してしまっている今日この頃。
今の自分のおかれた状況、なんでこんなことになってしまったのかを考えるに、
彼の存在・態度が大きく影響していると思うんだな。もちろん、すべてが彼のせいとは言わないよ。一番大きいのは自分自身の性格だろうし。

たださ、彼がもっと懐の大きな、理解のある人だったらここまでひどくはならかっただろうと確信する。
確かに彼は面白くて一緒にいると楽しくて見た目もグー!彼に従っていれば間違いはない、という安心感もある。仕事も出来るし職場やお客さんの信任も厚くて、客観的にみれば私は素敵な人に巡り合えた、というかよく捕まえたと思うよ。

問題は、主観的にどうか、ということ。ほんとの私は甘えん坊で頼りたい方なのに、彼といると私の方が彼を支えているんだよね、明らかに(彼にはそのつもりは全くないと思うが(^_^;))。
だっていつも私の一大事な時には側を離れ(逃げて?)目を背けていた彼。そのくせやきもち焼きで男友達を一切拒絶、じゃあ、その分自分が相手をしてくれるかと言うとそうじゃない。自分のことはよく話すくせに私の話は全然聞いてくれない。たまに愚痴の一つでもこぼそうものなら面倒くさそうに横向いたりこれ見よがしに溜息ついたり・・・。

一番理解して欲しい人がこれだから、いつの間にか私も我慢するようになって、ストレス溜め込んじゃったんだよね。
仲のいい、話をよく聞いてくれた男友達とも彼のせいで縁を切ってしまったから、今では気さくに話せる男友達がいない(T_T)
なぜ男友達でないといけないのか。それは女友達ではスッキリ出来ないんだよねぇ、なぜか。
昔っから男友達の方が気楽に話が出来て付き合いも楽だった。幸い腹を割って付き合える女友達も少なからずいるけど、フッと気が向いたときにぶちまけられるのはやっぱり男友達なんだよね。余計な気を遣わなくて良いと言うか、自分のペースで話しが出来る。
本来それは彼氏の役目でないといけないと思うわけだが、うちの彼はそうじゃない。だから私にとって男友達の存在は貴重だった。それが・・・。


あぁ。なんだか今までの彼とのこと思い出してたら気が重くなってきた。ほんとはこんな彼とは別れた方がいいんじゃないかって思えてきた。だって、なんのプラスにもなってないよ、トータル的に見て。今まで支えになってたことってあったっけ?(>そこまで言うか?)

お!学生時代=友達だった時分にはよきアドバイザーだったっけ。話しもよく聞いてくれたしドライブとかもしてくれたなぁ。
それが今ではどうだろ。この病に陥った去年の今頃も、ちっとも理解しようとしないで(ま、当事者以外が真に理解するのは無理だけどね)、挙句の果てには待ち合わせに5分遅れたことで時間を守れないと激怒して音信普通になるし・・・(これは彼が機嫌を損ねたときの常套手段だ)。

普通さ、彼女が危機に陥った時は支えになろうと努力するべきじゃない(その反対もしかり。現に私はいつも彼の支えになってきたと自負しているし過信ではないぞ!)。
この病は気が向かないと動けない、やる気にならないことはやっちゃいけない(今では彼自身も同じような病にかかっているから、身に沁みて理解できているけど、当時は不満そうだったな)。だから時間も守れなかったけど、そんな私に彼は「一日何もしないでいたくせに何で守れないんだ!(`ヘ´)」と理解しようとするどころか激怒して突き放したもんなぁ。



・・・こうして書いてみると、何のために私は彼といるのか分からなくなってきたぞ(>_<)
彼が私といる意味はあると思う。金はないけど(^_^;)理解はある。側に置いておく価値はあると思う今日この頃。
しかし、私にとっての彼は?恋人・伴侶、いずれにしても大切なのは自分の支えになるか否かではないかな。

となると、支えとなっていることが実感できない彼とは、一緒にいる意味がないということ???


最近、結婚しても良いかなぁ、とトウトツに思うことがある。自分を理解しようとしてくれて、一緒にいて心休まる人とだったら一緒に暮らしてもいいかも、なんてね。
でもその相手はなぜか彼以外。彼と結婚したいと思ったことは付き合い歴15年の中でもしかしたら一度もないかも。
元々結婚願望は皆無に等しかったけど、彼と結婚したら大変そうな自分しか思い描けなかったから。
一緒に暮らしていくためには、楽しいだけじゃ無理よね(-.-;)

だけど、新しい相手を見つけるにしても今の私じゃ相手に失礼だから、早く病を治さなければ!
彼との事は、敢えて今すぐどうこうすることもないから、当分は今のまま。いないよりはいた方がいいもんね(ってそれ程度かい?!)



ところで今夜は日本代表のバーレーン戦。起きていられるか、そして起きていたれたとしても正視できるか・・・だって、心臓に悪いんだもん、生の試合って。最近、結果が分からないと安心して見られないからダメなのよねぇ。やはり病のせいかな?そのくせJリーグの試合は観に行っている私。矛盾しているなぁ。


2005年06月02日(木) まあまあ

今日は珍しく目覚ましの前、7時半頃に目が覚めた。
寝てられなかったから起きてご飯。午前中はパソコンいじってお昼過ぎからお昼寝。今寝不足は禁止だからね、迷わず布団に横になる。

彼からメールで起こされた。スーパーに買い物に出たらしい。ふと思った、彼は毎日何をしているのかな、と。
彼はスカパーを入れているから見るものには飽きないかもしれないけど、一日テレビばかり見ているわけでもないだろうし、
私のようにパソコンはやらないし、今日のように雨が降ると自転車でお出かけ、何てことも出来ないし、第一そんな体力・気力が今はない、と言っていたし。

かく言う私も特にこれといってやることはなし。暇になると日記書いたりパソコンのゲームやったり(マイブームは『上海』!)くらいだね。
テレビもメインは2時間ドラマ。面白いものがないとDVDに逃げる。

夕方からは気分がちょいと落ち込んだ。特に教育テレビのうつ病関係の番組を見ていたら憂鬱になってきた(-.-;)
今までもあの番組でうつ病関係は見てきたけど、今日はそれまでと違ったなぁ。なんでだ?内容は深刻でもなかったし今日は調子が良かったはずなのに・・・。
ほんと、自分でも分からないことが多くて困る。


2005年06月01日(水) 去年の昨日、去年の今日

去年の昨日は病院に初めて行った日。

看護師さんの予備診察と言うのか?先生に診ていただく前の診察から早くも涙。
そしていよいよ先生とご対面。聞かれるままに話し始めてから5分と経たないうちから涙涙。。。

結局正味1時間くらいだったかな、最初から最後まで泣きっ放しだった。
先生曰く「途中で感情が高ぶって泣く人はいるけど、貴女みたいに泣きっ放しの人はいない」。

そ、そうなんだ。でも辛かったんだもん。人手不足でトラブル続きの仕事のこと、自分勝手な後輩のこと、厳しすぎる上司とのこと、年明けから続いた激務・精神的苦痛、4月からの環境の激変・・・
それらを思い出してそれをまた口に出すのがほんと、辛かったんだもん。

「診断書、出すからね。要らないと言われても出すからね。それを会社に提出するかどうかは貴女の自由だけど、持っているだけで気持ちが楽になるから、診断書は出すからね!」

実にいい先生だ(T_T) 自分で自分を褒めてあげたいのは、この先生を捜し当てたこと。
この直感に自分自身感謝!

その当時の私の状況は、「コップから水が溢れ出してしまった状態」とのこと。自分のキャパを優に超えてしまっていたんだね。体よりも心が疲れきってしまったんだそう。



そして去年の今日。上司と部長と面談し、診察の結果を報告するだけのつもりが、上司が席に座るや否や「診断書見せて!」(同じ女なのにいつも羨ましいぐらい強気だ・・・。)

見せるつもりがなかった=休職するつもりのなかった私はその一言に面食らったね。しかし有無を言わさない一言に圧倒され、職場に取りに戻ったときの情けなさといったら・・・(;_;)

『病名:心因反応 一ヶ月の自宅療養を必要とする』と書かれた診断書を提出してから話し合いが始まる。

「仕事上、解決していないトラブルも抱え、新人を育てている今は休めない。」と言い張る私に、最終的には「仕事も大事だけど、自分を大切にしなきゃ。」との部長の一言で不承不承休職を決意した私。

その後パパに休むことになったことを報告したら、「バカだなぁ!ブラジル行きの準備があるのになんで安易に休むなんて言っちゃったの?!」と怒られ、思わず電話口で叫んだ「だって休みたかったんだもん!ブラジルにも行きたいけどそれよりもとにかく休みたかったんだもん!!」

情けないけどそこで初めて自分が休みたがっていたことを実感した。
上司達の前では「休めない」なんて言ってたけど、ほんとは自分自身は休みたかったんだ・・・自分の本音って意外と自分でも気が付かないものなんだって事を改めて知った。

その日は「何事もなかったように退社して」と上司に言われたように、仕事は通常通りに片付けて、簡単な身辺整理だけしてその日も10時に上がった。

先に帰ったIちゃんが、「突然辞めるようなことだけはするなよ!」と笑いながら励まして(?)くれたのが懐かしい。「そのうち二人で外でお茶出来るようになったらいいね」と話したのがまさか私達の最後の会話になろうとは・・・。



こうして思い返してみると、あの頃は本当に辛かった。よく耐えたと思う。『心因反応』で済んだのが不思議なくらい。ま、原因は仕事絡みである事は明白だったわけだから、休んでしまえばある程度は解決したようなもの。ただ、疲れきった心を回復させるためには時間が必要だってこと。

それにしてもその時間に費やされたのが1年とは・・・(正確には一年以上、だね。まだ復職の目処たっていないし)。
同じ先生にかかっている彼が先生に質問したところ、この手の病の回復基準は『年単位』だそうだ。はぁ〜。

まあ、人によるそうだけどね。うつ病で私より遅れること3ヵ月後に休職したIちゃんは4ヵ月後には復職しようとしていたわけだから、うつ病でもない私はやっぱり時間かかり過ぎなのかな。でも、薬の量とかにもよるよね。私は最低限しか飲んでないらしいからさ。



で、一年経った今日は昨日に引き続いて調子がいい(^_^) 朝起きてから眠気もなく、午前中はパソコンいじって午後は彼が遊びに来るまで食器棚の整理とか細々したものの片付けとかして、夕方からは親に誘われて外食。一昨日の辛さが嘘のよう。嬉しいなぁ!お陰で日記も進む進む。気が付けばこんなに長くなってしまった(^_^;)


明日はどうなるのかな。滞っている通信講座に手が付けられる気分になれるといいなっ!






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