暴かれた真光日本語版
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2004年11月30日(火) 「手かざし教団」の現状 から

「手かざし教団」の現状 から

終了した掲示板「手かざし教団」の現状 ログからまとめました。
投稿者名をイニシャルに変更しました。
なお日記作者はログNo.1-604のうちNo.508-584を所有していません。

●29   カルト考 
●28   Re:神代文字の真実(1)    (2003年11月25-24日へのレス)
●27-26 フランス反カルト法
●25   日猶同租論の現状(1)を読んで  (2003年11月28日へのレス)
●24-23 神代文字の真実(11)-(20)    (2003年11月25-24日の続き)
●22   ムー大陸 
●21   神代文字の真実(21) 
●20   信仰と医療 
●19   Re:神代文字の真実(8)    (2003年11月25-24日へのレス)
●18   SAPIOの記事より
●17   ヨーロッパカルト事情 
●16   新刊書『新宗教とアイデンティティ』
●15   フランスの反セクト法 
●14   『天杖神示』の真相
●13   便乗させて頂きます。    (『天杖神示』の真相 へのレス) 
●12-11 1996仏議会とセクト 
●10-07 キリストの墓の真実
●06   キリストの偽物 
●05   昭和四十四年元旦祭教示 
●04   S教『真光』誌昭和54年8月号 
●03   神代文字の真実(22)-(26) 


(※掲示板管理人≠日記作者)


2004年11月29日(月) カルト考

120 カルト考 M 2003/07/26 00:44

2chを閲覧していましたら、「取りあえす匿名」氏の、カルトについてのやり取りを、偶然目にすることが出来ました。

擁護派とのやり取りは別として、彼の上げたHPについては、私が長年、疑問としていた、蟠りを、氷解していただくに十分な内容となっており、感謝する次第です。

この教団の欧州におけるカルト指定に置いては、長らく言い続けられてきたことですが、フランスの新しい、カルトに関する法律以来、擁護派の煙幕により曖昧性を加味されてきましたが、この様に、確実にフランスにおける指定が不動のものであると言う事が確認でき、今更に様に、この教団の社会に於ける不適合の思いを新たにするものであります。

これを、自らの肉親に、喩え、善意と言えども、推進する、その、精神とはと言う事を深く考えさせられる次第です。この根拠となった文面が以下の通りです。

The French lists of 172 so-called cults includes Catholic charismatics, Hasidic Jews, several evangelical Christian groups2, Jehovahエs Witnesses, Quakers, Buddhists and the YWCA8. Despite a widely held belief to the contrary, the list does not include the Mormon Church or the Southern Baptist Convention10. In Belgium, a list of designated cults includes groups that most North Americans consider to be relatively benign, such as the Amish, the Seventh-Day Adventists, the Assemblies of God and the Jehovah's Witnesses7.

余り英文は得意では無いので、敢えて、和訳はしませんが、普通に読むと理解できますね。詰まり、こう言う事です。


2004年11月28日(日) Re:神代文字の真実(1)

(2003年11月25-24日 「S教M光」誌平成十五年五月号 〜と思われる。  へのレス)
145 Re:神代文字の真実(1)――岡D晃Y氏の教示 B 2003/08/07 00:29

> 『釈日本紀』には、「和字の起源は神代にあり」と記されております。ヒフミ文字やアヒル文字、更には『上記』序文の五十猛命の五十音図(字)、象形文字などがあります。神代文字は大変種類が多いのです。今日のカタカナの本になっておるものであります。


まるで釈日本紀にヒフミやアヒル、豊国文字が紹介されているようにも読めなくもない
のですが、まさか教示ではそう言う意味合いで本書を用いてる訳ではないですよねw

釈日本紀は逸文を引くには貴重な史料ですが解釈の精度は時代相応だと私は思います。
大方、新字や肥人書を想定されてるんでしょうけど、一つ所を抜粋して論拠とするには
価しないと思います。

寧ろですね、釈日本紀なんかの和字の話で私が何時も思うのは、ま、中世神道と言う括
り方で宜しいんじゃないかと思うんですが、釈日本紀とか日本書紀纂疏とか神代口訣と
かですね、鎌倉から室町の中期辺りに掛けての神道家から和字の起源を神代に求める思
想が出てくると思うんですよ。
そしてですね、現在伝わっている神代文字の構成とか仮名遣いの混乱っぷりは、大体其
の時代に比定できるんじゃないかと私は見ているんです。

例えばですね祝詞に出てくる天津金木。
此れは今だと長方形のサイコロがあります。
明治に入ってから古神道家が『復元』した訳です。

そう言った幻の神代文字復元作業が神道家の間にこの頃起きたんじゃないでしょうかね?
確かに中には竹内書の様に江戸期にもさかのぼれ無い様な文章も在りますが、逆に鎌倉
から室町の中期でなきゃ間違えようの無い事柄も現伝の神代文字には現れてる場合があ
ると一人私は思ってるんですけどね。
ま、酔っ払いの戯言だと思って読み流してください。


146 Re:神代文字の真実(8)――「國語学概論」(b) B 2003/08/07 00:35

> 橋本氏による定説を覆すにはいたっていない。もしこれが認められれば、神代文字を否定する根拠の一つが崩れるわけだ。

で、これは真面目な話ですが、上代特殊仮名遣いと神代文字の構成や仮名遣いは直接関
連しないでしょう。
上代特殊仮名遣いは万葉仮名による書き分けであって、つまり漢字による和語の表記法
なのです。
神代文字が漢字以前ならば当然上代特殊仮名遣いより古い形が出てこなきゃ成りません
が、実際には好意的に古く遡っても平安後期が一杯々々でしょう。
上代特殊仮名遣い云々まで至らないと言うのが実情です。

上代特殊仮名遣いでダメージを受けるのは寧ろ音義説に伴った言霊学でしょう。
当時の発音の実際に関わらず「神」と「上」が区別されるように「日・霊」と「火・干」が別の言葉である事等が上代特殊仮名遣いから察せられるからです。


2004年11月27日(土) フランス反カルト法1

152 矢張りフランスカルト M 2003/08/23 07:59

少し2001年に制定されたフランスのアンチカルト法案について考えてみたいと思います。英文を、未熟な当方が翻訳し記載しますので、間違いが有れば遠慮なくご指摘下さい。みんなが間違った怪しい宗教に入らないためにも、記載してみます。


The French anti-cult law, passed by the French House on May 30, 2001, creates a new category of crime (mental manipulation, now cosmetically disguised as an amendment of a pre-existing section of the criminal code) and would allow courts to close down associations when one of its de facto leader has been declared guilty of a relatively minor offence

2001年5月30日にフランスの国会により、可決されたフランスの反カルト法案は、新しいカテゴリーの犯罪(精神の操作(整理し、刑事法の既にあるセクションの修正として変更された))を創出し、その事実上リーダーのうちの1人が比較的軽犯罪に対して有罪宣告された場合、裁判所が団体を閉鎖することを可能にするでしょう。



153 フランスに於けるカルトの実態 M 2003/08/24 15:14

The Anti-Cult MovementのHPに記載されている、内容を和訳しフランスの反カルト法案とはどう言うものかを知ることにより、その国の犯罪的な宗教のリストに上げられている、s真光の実態を再度認識し、限りある人生を少しでも有意義に送り、後悔の人生を歩まない参考の一助としていただきたく思います。

The French anti-cult law

What is the Law?

Mental Manipulation

Officially entitled "a bill directed to the reinforcement of prevention and repression of cultic movements which undermine human rights and fundamental freedoms", the law would punish "the fraudulent abuse of ... a person in a state of psychological or physical subjection resulting from serious pressures exercised or repeated or from techniques likely to alter his judgment, leading ... this person to an act or an abstention which are seriously harmful to him".

フランスの反カルト法

どの様な法律か?

        精神の操作

公式な表題は「人権および基本的な自由を侵す、宗教的行動の予防および抑制の補強に向けられた法案」となっており、法律は次のような状態を処罰します。

「詐欺の乱用、...訓練された、繰り返しひつこく、先導して、人々の判断を誤らせるような手法を用いた、心理的又は物理的な、大きな力で従属させる状態の人々をつく出す、...人々にとって大変有害な行為」

(筆者の見解)
此処でも示されているように、有るマニュアルにそって、繰り返し精神に働きかける事により、人間として正常な判断を下せない様な状態に持っていく行為は、明確に犯罪であると明記されており、これは取りも直さずマインドコントロールの犯罪性を明文化したもので有り、実態の無い霊障と言う虚偽の現象を創出し、一生に渡り、人々の心の中を支配し、誤らせる行為は、カルトリストに記載されても致し方が無く、この国に於いて、法律が整備されていない、日本のようなあらかさまな行為を行うと、即刻に解散と言う事になります


154 フランスに於けるs真光の実態 M 2003/08/24 16:18

フランスに於いて、此処の教団が国の法律で犯罪的集団と明確に規定され、行動を規制した法律は有りません。

経過として、近年、信仰の自由の基に色々なマインドコントロールの手法を編みし、逆に多くの人々の精神的自由を宗教の名の基に奪い、悲惨な結果を招いている現状を目の当たりにして、フランスでは、国会が調査委員会を設けて、危険団体のリストを作成し公表しております。

本来ならば2001年度のアンチカルト法で明確に法律で縛ると言う予定では有りましたが、多くの人権団体や、大きな宗教団体の反対に合い、一部トーンダウンしました。

これは精神という、曖昧な領域を一つの法律で括ることの難しさを表しており、逆に戦前の日本のように、拡大解釈を行い、随意に思想弾圧の道具として、使用できることも出来、これが多くの反対に遭った要因かと思われます。更に、強硬なアメリカ政府の働きかけが有った事も、緩やかなものになった要因と言えるかも知れません。

しかし、1995年12月22日の下院に於ける調査報告は現在でも明確に生き続け、その中にs真光は明確にセクトとして172団体の内の一つと明記されており、今も危険な団体として認識されている事は事実であり、日本と同じ様な宗教的活動を行えば2001年制定のアンチカルト法案で解散の憂き目にあうことは間違いないでしょう。

詰まり今では、フランスに於いて、教えを曲げてフランスで法律に抵触しないような、活動を行っていると推測されますが、元々確固とした教えは無く、無限的な信者の獲得のみを目的としているために、信者さえ増えれば良いという事でしょうが、露骨なマインドコントロールを使用できない現状が、現在のフランスに於ける停滞を物語っていると言えるでしょう。


155 フランスに於けるs真光の実態ー補足 M 2003/08/24 18:19

>フランスに於いて、此処の教団が国の法律で犯罪的集団と明確に規定され、行動を規制した法律は有りません。

私が記載した上記の内容は間違い有りませんが、再度確認のために下記のことを書き加えて起きます。

人民寺院、太陽寺院、オウム事件を受けて、フランスでは下院調査委員会が設けられ、その報告書が明確に下院で採択され、其処には実名でs真光が記載されており、カルトとして認定された事実と重みを私たちは、再度認識する必要が有ります。

只、これは具体的な拘束力を持つものでは無いことだけで、これらの教団は言い逃れに始終しておりますが、私たちがよく考えなければ成らないのは、こういった不名誉な教団に胸を張って、自らの子供達を入信させる事が出来るかと言う事です。



160 フランスに於けるカルトの実態(続き・・当分続きます) M 2003/08/28 11:33

What is the Law?
Mental Manipulation
・・・・・続き
The law is basically a new version of the previous project that included the notion of "mental manipulation" which came under pressure from churches and human rights groups because it was dangerously imprecise and was reminiscent of "mind-control", a concept that has been debunked by scholars in the 80's. Although the government claims that it has accepted international and domestic criticism and has eliminated the specific offence of mind control or brainwashing, the anti-brainwashing provision is still there, cosmetically disguised as an amendment of a pre-existing Section of the criminal code, Section 223-153. In effect, it does create a new category of crime7.

The offence is punishable by a fine of up to $75,000 and five years imprisonment. Those found guilty of "brainwashing" also face a sort of civil death: they cannot exercise political, civil or family rights, work as professional or even sign checks for several years.3

法律は基本的に、危険的で曖昧な「マインドコントロール」を想定させるとの理由で、教会と人権グループから圧力を受けていた、「精神の操作」についての概念を含んだ、前プロジェクトの新しいバージョン(正体が80年代に学者によって暴露された概念)です。

それは国外と国内の批判を受け止め、マインドコントロールの特定の攻撃、あるいは洗脳と言う項目を除外する事を政府は決定しましたが、洗脳を止めるための準備は、既に存在する刑事法セクション223-15の修正として見栄え良く、編修されて存在しております。実際にそれは新しい領域の犯罪をつくり出します。

では、改正された、刑事法では、精神に対する攻撃について、どの様に規定されているか、攻撃は7500ドルの罰金と5年以内の懲役に処せられます。
これらは洗脳を有罪と見なします。さらに一種の法律上の死を意味します;政治的、市民的、家族的権利の行使を除外されます。


(筆者の見解)
前回でも述べているように、教会と人権団体の反対に遭い、この法律では、1995年の国会で承認された、報告書からは少しトーンダウンして、曖昧なマインドコントロール、洗脳と言うあらかさまな言葉は除外されており、それらの行いを明確に罰する、法案とはなっていませんが、「精神の操作」についての概念は正確に受け継いで、これらを明確に悪だと規定しております。

更に、抜け道として、反対の多いこの法律では無く、既存の法律を改正し、精神に対する攻撃、或いは洗脳に対しては、強力な罰則を設けて、カルトの拡大を防いでおります。

これでは法整備の遅れた日本のs真光の教義を勧めた途端に、犯罪集団となり即刻解散となるでしょう。

でも、どうしているのでしょうね、只単に、手かざしはメディテーションの一種として、リラックスを売り物にし人集めをしているのでしょうね。これでは単なる馬鹿ですから。その中から深みに填る者だけを選りすぐり、洗脳しているのでしょうね。

これでしたら、ばれる心配もないですから。でも、日本のように手かざしはあらゆる難病を治すなどと言えば即刻、医師法違反、昇級するのに2,4人のお導きなど出せば、悪質な洗脳集団、ムーなどはお笑い集団で、どうしようも無いでしょうに、フランスに道場が有ること自体が不思議ですね。


161 フランスに於けるカルトの実態(続き・・当分続きます) M 2003/08/29 23:06

What is the Law?
                 Dissolution

The law would also allow courts to close down associations after one final decision against the cult itself or its de facto leaders, finding them guilty of one among a number of criminal offences. The criminal offences include personal violence, illegal use of medicines or misleading publicity, but also relatively minor offences such as breach of privacy or using the likeness of a person without its consent. One final decision where a de facto leader of a 田ult・is declared guilty of one such offence is enough for the draconian remedy of banning the group.

Note that Section 223-15 which now includes the disguised clause of "mental manipulation" above is among those Sections whose breach, when confirmed by a final decision against the 田ult・or its leaders, leads to the group痴 ban.

法律は、さらに、カルト自体に、あるいはその主要な指導者と認められる者自体に対して、彼ら自身が多くの刑事犯の内の一つの犯罪として認識する、1つの最終決定の後に法廷が教団を、閉鎖することを可能にするでしょう。

刑事犯は、プライバシーの侵害あるいは同意無しに人の類似品を使用する様な、比較的罪の軽いものや、個人的な暴力、不正な薬剤の使用、誤解を招く宣伝を含みます。カルトの主要な指導者がそれらの犯罪の内の一つで有罪を宣告される所の、一つの最終決定は、グループを解散するための厳格な措置を行うには十分である。

カルト教団あるいはリーダーに対する最終決定が確認されたとき、これらの違反セクションの中にある、「精神の操作」上の修正された節を含むセクション223-15に注意して下さい。

(筆者の見解)
解散という事を明確に述べており、必ずしも、宗教的な行いが伴わなくとも、教団あるいは幹部が、極軽い軽犯罪を犯し有罪宣告を受けただけで、教団を解散出来る事が謳われており、カルト退治にはこれくらいの法律を作らなければ根絶出来ないのかも知れません。

それに引き替え、日本ではカルトが蔓延していても、信仰の自由の御旗の下にやりたい放題の体たらく、被害の痕が絶たないわけです。此処はフランス並とは行かずとも、カルトを取り締まるための法案をもうそろそろ考えても良い時期だと思います。

話は横道にそれますが、本日の夕方道場の前を通ったら、親子が自転車を降りて道場に入るところでした。小学校高学年位の可愛い男の子で、母に伴われてと言う所ですが、何ら、この教団の現状を知らず、母に則されるままの訪問なのでしょうが、願わくば、純真な心が少しでも、この教団の間違った教えで汚されないように祈るばかりです。
母も罪なことですがそれを彼女は理解できない。無惨ですね。


2004年11月26日(金) フランス反カルト法2

162 2001年フランス反カルト法 M 2003/08/30 11:35


What is the Law?
              Cult

A reference to cultic movements・is included in the law, notwithstanding objections that there is no definition of cult・ Provisions in the law also make now a religious group itself a legal entity capable of being charged with a crime.

この法律に含まれている、カルト的行動に付いての言及
(カルトの定義がなされていない事に反対であるに関係なく)法律の規定は現在の宗教的グループを犯罪で告発する法的な実態能力を持っています。

(筆者の見解)
2001年度の反カルト法の内容について、具体的に述べられており、人権派と言われる人々の反対からマインドコントロール、洗脳と言った言葉は排除され、この法律ではカルトについての定義も具体的に為されていないが、実質、カルト教団は「精神の操作」「解散」「カルト」の項目の中で取り締まり、壊滅出来る事を分かりやすく述べられております。

この法律は他国の法律であり、日本と考え方、文化、環境が違い必ずしも当てはまるものでは無いとの反論が有りますが、それは、法律の内容を具に確認せずに、只単なる、先入観、固定観念でものを言っているだけであることが、これらを読むと分かるはずで有ります。

現代はグローバルスタンダードな時代であり、宗教カルトも国境を越え、多くの人種、民族に被害を与えており、これは取りも直さず、共通の下地が有ることを物語っております。この一例としてs真光は日本民族に多大な被害を与えていると同時に、フランスでも被害を与えており、これがカルト指定となって表れ、日本では無く、フランスと言う所に面白さは有りますが、この点に関して、彼らは正しく先進国であり、この当たりは、我々も研究をし、良いところは取り入れ、被害を未然に防ぐ必要が有ります。



171 2001年フランス反カルト法 M 2003/09/07 10:20

What is the Law?

Civil Parties

The bill enables private anti-cult associations to become party of court cases against Cults・on behalf of allegedly brainwashed victims and to collect damages.

Note that the so-called "brainwashed victim" does not even need to *consent* for the anti-cult associations to represent him: since he is "brainwashed", his opinion simply does not count.3
The full text of the law translated in English and commented by Massimo Introvigne can be read

       市民団体

法案はカルトに対する訴訟事件の団体になるための、(申し立てによる、洗脳の犠牲と損害の収集を始めとして)私的な反カルト協会を可能にする。

次の事に注意して下さい。所謂「洗脳の犠牲」はアンチカルト協会が彼らを代表するために同意を必要としない。:彼らは洗脳状態に有り、彼らの意見は単純に計算されません。

英語で翻訳され、Massimo Introvigneによってコメントされた法律の全文は読むことができます。


(筆者の見解)
カルトを封じ込めるために、個々が私的に協会を設立する事が、比較的容易に出来得るように、法律を整備されたと言う事のようですが、詳しくは全文を読む必要が有るようです。只、この様にカルトを防ぐためには、色々な角度からの法律の整備が必要で、逆にこういった努力を、国家単位で行って行かなければ、カルトは防げないと言う事です。

日本のように、国会議員自らが、カルトの来賓として挨拶をしたり、メッセージを送る、後進国に於いては、カルトは野放し状態であると言っても過言では有りません。ですから、法律に引っかかりさえしなければ、無罪放免と言うことになり、それを逆手に取り、被害の実態が有るのなら、訴えればと簡単に居直ってきます。宗教としての倫理の欠片も有りません。


173 2001年フランス反カルト法 M 2003/09/11 22:04

Precedents

U.S. Deprogramming Law

The kind of laws that was passed in France aren't entirely new. In the 1980's already, anti-cultists tried to pass similar laws in the States of New York, Kansas, New Jersey, and Nebraska. These laws would have allowed anti-cultists to use police force to seize cult members and subject them to forcible deprogramming. The proposed law sometimes passed all stages of the legislation process except for the very last.

先例

     米国の信仰を捨てさせる法律


フランスで可決されたこの種の法律は全く新しいものでは有りません。1980年代に既に、カルト対策者は、米国のニューヨーク、カンザス、ニュージャージーおよびネブラスカで同様の法律を可決しようとしました。

これらの法律は、警察の力を借りて、カルトメンバーを捉え、強制的に信仰を捨てさせる事を、カルト対策者に許可するもので有りました。


(筆者の見解)
フランスの反カルト法が最も注目を浴び、先端を行っているように思われていますが、既に、1980年代に米国の各州で、より強力な法案が可決されようとしていた、先例が有り、何処の国に於いても、カルトに対する潜在的な、恐怖、危険といったものを絶えず抱いている事は間違いないでしょう。

その点、日本ではかの国よりもより多くのs真光を始めとし、カルトが存在し増え続け、見えない闇に隠れた被害が増大する中においても、それらの兆しさえも無いと言う現状は、国家としての行く末に暗雲を垂れこませていく事になるでしょう。


174 2001年フランス反カルト法について M 2003/09/18 22:38

Precedents
Crime of Plagio
The Italian Penal Code also had a unique provision, enacted in its article 603 under Mussolini, for the "crime of plagio", which was the offence of "subjecting another person to one's own power in a manner which reduces him to a total state of subjection". It carried a maximum penalty of fifteen years' imprisonment. On 28 November 1969, a lecturer in philosophy, Signor Also BRAIBANTI, challenged in the Rome Appeal Court a sentence of nine years' imprisonment for 'totally enslaving' two young students (The Times, 29 November 1969). His conviction was upheld but the court reduced his sentence to five years; though at the time this was being written a further appeal was pending.4 The law was declared unconstitutional in 1981 and stricken from the Criminal code by the Constitutional Court as being "imprecise, lacking coherence and liable to arbitrary application".5
先例
      プラジオの犯罪
イタリアの刑事法はさらにユニークな条項を持っていました。自分自身の力で他の人を従属させるための攻撃であるプラジオの犯罪に対してムッソリーニ下の条文603で実行されました。それは、禁固15年の最高刑を伴いました。1969年11月28日の、哲学講師および紳士、さらにBRAIBANTIはローマの法廷で、2人の学生を奴隷化した罪で、禁固9年の判決を言い渡された。「ザタイム1969.11.29」 彼の有罪判決は支持されました。しかし、法廷は5年に彼の刑を減らしました;しかしながら、 それと同時に次のことが付記されました。更なる訴えは法律を保留にするとありました。法律は1981年において違憲とされた。そして、統一法廷により「曖昧で統一性に欠けるそして恣意的な適用をしやすい」との理由で刑事法から削除されました。

(筆者の見解)
何処の国に於いても、カルトの恐怖と言うものはあり、図らずも、戦前の亡霊である法律を用いて、イタリアでは取り締まっていたという事です。絶えず言論と信仰の自由とカルトの社会的被害との狭間でしぶとく生き残るのがカルトです。こうして見てきた時、イタリアはムッソリーニの遺産を葬った事が果たして良かったのか、唯一の善行を投げ捨てたような気がする。


175 2001年フランス反カルト法について M 2003/09/19 23:07

Opposition on Civil Rights Ground

Like for the previous 1980's attempt, opposition to these law don't merely come from the new religious movements. While the European Parliament and other countries rejected sect legislation, the French measure came under fire by the US administration, the established churches, European deputies and human rights groups.

市民権運動における反対

以前の1980年代の試みのような、これらの法律に対する反対は、単に新しい宗教的な運動から来ているのではない。

欧州議会および他の国々がセクト立法を拒否する一方、フランスの規則は、米国政府、国立教会、ヨーロッパの代理人および人権グループによって攻撃を受けました。

Opposition on Civil Rights Ground
Like for the previous 1980's attempt, opposition to these law don't merely come from the new religious movements. While the European Parliament and other countries rejected sect legislation, the French measure came under fire by the US administration, the established churches, European deputies and human rights groups.
市民権運動における反対
以前の1980年代の試みのような、これらの法律に対する反対は、単に新しい宗教運動から来ているのではない。欧州議会および他の国々がセクト立法を拒否する一方、フランスの規則は、米国政府、国立教会、ヨーロッパの代理人および人権グループによって攻撃を受けました。

(筆者の見解)
現代は個人の自由をが守られる時代です。ですから曖昧で。少しでも拡大解釈が出来、将来それらの法律を利用して、或いは正当な信仰の自由を、侵す危険性の有る法律を少しでも排除したい気持ちは分かりますが、その結果、如何に多くのカルトがのさばり、被害を出しているかその事をもう少し理解すべきです。何れ多くの国でも具体的な規制は始まるものだと思いますが、日本の遅れはどうでしょうか。その間にs真光を始めとして、多くの精神的被害の累積が続くのでしょうが。


2004年11月25日(木) 日猶同租論の現状(1)を読んで

(2003年11月28日へのレス)
182 日猶同租論の現状(1)を読んで M 2003/09/22 09:39

時々こう言った読み応えの有る記載文も良いですね。古史古伝と分かりながら、悠久の昔に遊ぶ楽しみとして、日ユ同祖論も面白いかも知れませんが、これを持ち出すときには、何らかの魂胆が有る場合が多分にあります。宗教関係では100%と言って過言では無いのでは。私自身は歴史的にも決着は否定的につくものだと思って言いますが、相手が現実感を持って迫ってくるのなら、野暮だと分かっていても次のような手法が有効でしょう。

1991年、ヨーロッパ・アルプスの氷河の中から遺体のミイラが発見されました。遺体の所持品は矢じりや斧、そして縄など。年代測定の結果、遺体はなんと5300年前、日本でいえば縄文時代の男性だとわかり、アイスマンと呼ばれるようになりました。アイスマンが一体誰なのか、イギリス、オックスフォード大学のブライアン・サイクス博士はアイスマンと現代人を比較することでアイスマンの子孫を発見したのです。

サイクス博士が注目したのはミトコンドリアDNAのこの緑の部分の文字配列です。Dループと呼ばれています。ここは突然変異が一度起きると変異した配列がそのまま、女性だけを通して子孫に伝えられます。そのためこの文字配列を調べることで正確に個人のルーツを探ることができるのです。文字配列を全世界の現代の1253人と比較しました。

その結果、アイスマンの配列と一致する人が13人も見つかりました。彼らはアイスマン一族を祖先とする現代人だったのです。その中の1人の名前が解りました。マリー・モーズレーさんという女性です。アイスマンとマリーさんの文字配列の比較です。特徴的な二箇所を含めて、全ての文字が一致していました。アイスマンの家系の子孫マリーさんはイギリスに住んでいました。

この様に悠久の時の流れを経ても確実に、子孫が判別でき、逆に、250世代、5300年前の祖先を的確に判別できるようになってきております。

この様な科学的手法を用いた場合、楽しみはまた一つ減りますが致し方が無いところでしょう。教えの根底がこの様に底の浅い、直ぐに割れてしまうようなものに立脚しているs真光を始めとする多くの新興宗教とは、それに簡単に騙されてしまう、人間とは、つい考えさせられてしまう今日この頃です。


2004年11月24日(水) 神代文字の真実(11)-(15)

(2003年11月25-24日 「S教M光」誌平成十五年五月号 〜と思われる。  の続き)
293 神代文字の真実(11)――岡D光T師教示 A 2004/01/18 20:23

(No.132-141の続きです。)
◆「M光」誌 昭和47年12月号19-31頁
●北関東方面合同周年祭記念講演会ご教示要旨(昭和四十七年六月十一日・桐生サンケイホールにて)
『迫る人類共滅期をいかにして超えるか』岡D光T師述
  ◇  ◇
(P24)……口ではいとも簡単に十万年、五十万年というが今までのように、漢字は支那から来たの、日本には文字がなかったのなどと嘘八百で、漢字が来る前に発掘された、神代文字の刻まれた石を調べてみると、神代文字が二千数百とおりあることが明らかになった。
 現在の神社、寺院に行ってもわけの分からない文字があって、神主さんや坊さんにきいても分からない。「何か梵字でしょう」などといい加減なゴマカシをいっているのが大部分です。
 梵字だなぞとは大嘘で、これらの字は日本の太古の文字の表に必ず出てくるのである。
 日本の敗戦後、いわゆる言論の自由が唱えられてからは、外国の学者が、日本の古文献を研究して、日本書紀、古事記には全然書いてありませんが、アジア、コンロン山脈、そのほか、世界の各地の文献には日本のことが非常に多く出ており、それをもとにして、日本の古さを知った学者連が日本に来て、掘りまくったのである。
 ところが、悲しいかな日本の大学には、古いものを測定する科学機械がないものだから、全部本国に持ち帰って調べて見ると、あまりにも日本の古いことがわかり、昨今の世界の新しい学者グループでは、世界最古の人類は日本人であったということを、堂々と発表する時代になってしまった。
 目下研究中で、判明しただけでも世界最古の文明、五大文明を起こしたのは明らかに日本人であり、先にも述べた五大宗教を開いたのも日本人であったことが、学問的に立証できる時代になった。
  ◇  ◇
【Web解説】“漢字が来る前に発掘された、神代文字の刻まれた石”とやらを科学的に鑑定して、ぜひ県登録博物館に展示していただきたいものである。


294 神代文字の真実(12)――神道事典(a) A 2004/01/18 20:25

◆「神道事典」國學院大學日本文化研究所編集 弘文堂 平成6年初版
P386
神代文字じんだいもじ
 古代日本に漢字が渡来する以前に存在したとされる日本固有の文字列および文字体系の総称。「かみよもじ」ともいう。記紀によれば応神天皇十六年に百済より王仁《わに》(「古事記」では和遺書師《わにきし》)が漢籍を持参し、それ以後文字(漢字)の使用・学習が始まったとされており、また「古語拾遺」序文には、元来日本には文字がなく、口伝によっていたために伝承の錯誤も多かったと記されている。さらに日本固有の文字となった仮名が漢字より生じたことも古来広く認識されてきた。ところが鎌倉中期になると仮名の神代起源説が生じるようになった。卜部兼方(うらべかねかた)は『釈日本紀』で、イザナギ・イザナミ、が太占(ふとまに)のときに文字(和字)を用いたはずであり、弘法大師の「いろは歌」は和字の再編成ではないかと述べ、判読不明の「肥人の書」にも言及している。これは文字を用いる亀卜(きぼく)と太占を同一視した結果であろう。 忌部正通(いんべのまさみち)は 『日本書紀神代口訣(くけつ)』で、聖徳太子の頃までは象形の和字と漢字を併用していたと解釈した。また吉田兼倶は『日本書紀神代抄』で、「いろは」や「片仮名」は弘法と青備真備(きびのまびき)による後世の制作だが、五十音は神代からあるとし、イザナギ・イザナミの天之瓊矛(あめのぬぼこ)より生じた一万五千三百六十文字の神代文字があり、その字体は声明の符号のようなものであると主張している。以後、吉田神道では聖徳太子が漢字に替えてから使用されなくなった神代文字が吉田家に伝来すると主張し、吉田神道の普及とともに神代文字の存在が吉田系神道家の間で信じられるようになっていった。
 江戸時代には神代文字を伝えるという出雲や熱田に伝来する竹簡や、肥人事・産人書の存在が噂され、吉田以外の神代文字説も現れた。橘家(きつけ)神道の跡部良顕(あとべよしあきら)は十二支を意味するという具体的な文字列を神代文字としてはじめて提示し、山崎闇斎以来の伝と称して、橋家神道の伝授に採用した。良顕の神代文字が十二文字であったのに対し、『先代旧事本紀大成経』はアマテラスからがオオナムチに四十七音の詔(みことのり)があり、オオナムチと天八意(あめのやごころ)命が作った四十七
P389
音の表記が古社に伝来すると説いた。詔の詞「ヒフミヨイムナヤコトモチロラネシキルユイツクヌソオタハハクメカウヲヘニサリヘテノマスアセエホケレ」は鎮魂の唱詞を利用して「いろは」を並べ替えたもので、神代文字そのものは記さないが、各々の音に対応する聖徳太子が神代文字に替えて定めたという漢字を示した。これは、以後の神代文字とそれに纏(まつ)わる教義の基礎となり、僧侶や三教一致論者に支持され、白川家との関係や神語(ヒフミ……ホレケ)の配列と漢字との対応に関する解説書が現れた。しかし神代の音と文字の存在を説きながらも、神代文字そのものは提示されず、しかも実際には漢字の音義に頼った教説であることを批判された。そこで大成経の信奉者の僧諦忍が安永七年(一七七八)『神国神字弁論』を著し自ら所持する秘本や、古社の伝来に基づくという四十七の字形とその草書体の二種の表を提示し、日文(ひふみ)と称した。安永八年(一七七九)の『神名書(かなふみ・かんなふみ)』(阿波国大宮神主藤原充長)には先述の文字起源神話や十二支のほか、祓詞(はらえことば)や五十音図などの文字列や文字体系として数種の神字を示しており、この頃には世上にさまざまな神代文字が出現しはじめ、神代文字論は一般の関心事となっていた。


295 神代文字の真実(13)――神道事典(b) A 2004/01/18 20:28

 吉見幸和(よしみよしかず)、太宰春台、伊勢貞丈、本居宣長ら著名な神道家、儒者、考証家、国学者らが神代文字を否定する一方で、新井白石など肯定的に結論を保留する者もあった。そして平田篤胤が『神字日文伝』(文政二年〔一八一九〕)を著し約五十種の神字の事例を蒐集し、「十二支」が『琉球神道記』所載の流球文字であるという屋代弘賢(やしろひろかた)の説など諸説に照らして検討した。その結果、日文の真・草二種を真正の神代文字と認定し、幕末以後の神代文字肯定論に大きな影響を与えた。しかし宣長の門流では神代文字の竹簡が伝来するといわれた出雲大社の千家清主も含めて否定論が主流であった。
伴信友は『仮字本末』で漢字から仮名が派生したことを明らかにし、ハングルと日文の影響関係も指摘して存在説を否定したが、依然として平田派では神代文字存在論が支持された。また鶴峯戊申(つるみねしげのぶ)は文化年間(一八〇四〜一八)に薩摩藩が編纂した『成形図説』所収の神代文字「アナイチ」をとりあげ、「アナイチ」から全世界の文字が派生したと論じた。神代文字文献『上記(うえつふみ)』も幕末維新期に登場している。
 近代に入っても田中頼庸や落合直文が篤胤説を継承して仮名の神代文字起源を論じ、さらには日文を漢字の古体であると説く清国人もいた。また、大正から昭和にかけての古神
道ブームとあいまって、『上記』や『天津教古文書』(竹内文書)をはじめとする神代文字文献が注目を集めた。これに対して山田孝雄(よしお)〔昭和二十八年『所謂神代文字の論』〕が明治以後の国語学の成果を活用し、神代文字論の発生と展開をあとづけて否定し、ほぼ学問的には決着がついた。しかしその後も『九鬼文書』など神代文献が「発掘」され、神道系諸教やいわゆる「古神道」信奉者の間で神代文字存在説は現在もなお強く支持されている。(森 瑞枝)

P387
真字A「日文」
 篤胤か認定する神代文字の一本。この図は出雲大社の所伝を武蔵国人金井滌身麻呂が大竹政文に伝えたもの。神代文字草書体に真字体とカタカナを付す。配列は「ひふみ歌」。二種の字体の対応関係を示したこの図によって、篤胤は神代文字研究に確信をもった。真字か「肥人の書」、草書が「薩人の書」に該当すると見ている。
【Web注】広辞苑第五版の「日文」の挿入図参照
真字B「日文五十音図」
五十音図にならい篤胤が日文の真字を父母字を配して縦横に並べた図。ハングルの影響は明らかであり、仮名五十音図とも異なっている。仏教の影響下に成立した仮名五十音図に批判的な篤胤は、この真字五十音図こそ神代の五十音であるとみており、ハングル説も否定している。
疑字篇A「十二支」
A−1は天人が書いたという『琉球神道記』記載の十二支。
A-2は垂加神道系の神代文字。A-3は佐藤信淵の取材による留守氏秘蔵の伝。神代文字の造形は時代を下るほど具象的になっていく。
P388
疑字篇B「神代四十七音」
 いろは歌の配列による四七文字。字体は声明のハカセに似るという吉田系の神代文字説をふまえるか。同系統の字体の「太占之ト」「神代五十音」とともに吉川惟足から熱田大宮司らを経て平高潔に伝授されたという。
疑字篇C「天名地鎮(あないち)」
 河内国平岡の泡輪(あわわの)社に伝来する土笥に刻まれているという。ひふみ歌の配列による四七文字と数字一四種のクサビ型系の文字。
疑字篇D
D-1「土牘秀真文(はにふだほつまぶみ)」
D-2「秀真伝(ほつまつたえ)」
D−1は阿波国阿波社に伝わる大多駄根子命の伝。伊勢神庫の秀真文に同じという。いろは歌配列。伊予城下の八幡神主が伝授するという「御笠山伝記」は同じ字体による五十音配
列。D−2は出雲大社伝来といい、出雲国石窟の神代文字(五十音配列)の字体に即している。D−1と2は同一ではないが、篆書から発想した字体と見られる。(作図・森瑞枝)


296 神代文字の真実(14)――山田孝雄論文(a) A 2004/01/18 20:30

◆「神道事典」(弘文堂) P539
山田孝雄 やまだよしお
 1873-1958年。明治時代後期から昭和時代にかけての国語学者・国文学者。明治六年五月十日、富山県生。富山尋常中学校中退後、独学で小中学校教員検定試験に合格し、各地の中学校教員を経て大正九年(一九二〇)に日本大学講師となり、ついで同十四年に東北帝国大学講師、昭和二年(一九二七)同教授、四年に文学博士となった。
 八年に退官して以後は神道界にも関係するようになり、十五年には神宮皇学館大学の初代学長に就任、十六年には神祗院参与となった。独学の国語学者・国文学者として知られるが、神道や国学にも造詣が深く、とりわけ『古事記』や平田篤胤の研究に力を注いだ。
 昭和三十三年には文化勲章を受賞している。昭和三十三年十一月二十日没、享年八十五歳。著書は『日本文法論』『古事記序文講義』『平田篤胤』など多数。(阪本是丸)
http://www.d1.dion.ne.jp/~tnozaki/YAMADA/
【Web解説】山田孝雄博士は独学で学問を大成し、探楾蔦楷杪舩椶僚藺絣慊垢砲覆衒顕酬章を受章した。親のコネで近衛兵になり、意味不明の勲章を自慢している人物とは大違いだ。彼が『藝林』という学術雑誌に『所謂神代文字の論』を発表し、神代文字を徹底的に批判した。全文は長文かつ難解で、岩波文庫一冊分に匹敵する。そのうち、最後の結末部分のみBBSで紹介する。全文を読みたい方は、図書館で閲覧するなり、国会図書館に資料複写請求をするなりしてほしい。
  □
◆『藝林』(藝林會発行)第4巻(1958)  文学博士 山田孝雄著
  所謂誕緤源の論(上):1号P2-24(2-24)
  所謂誕緤源の論(中):2号P10-29(88-107)
  所謂誕緤源の論(下):3号P28-51(176-199)
所蔵http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AN00371826
4巻3号(P42)
 顧みるに、日丈の草體といふものが先づ世にあらはれ、後に諺文に基づいての日文の眞書體といふものが生じたと思はるるが、それらの發生傳播の模型として、かの琉球の十二支の文字が誕緤源と信じ傳えられたのを以て推して見れば、思半ばに過ぐるものがある。即ちそれは、袋中和尚によつて琉球の十二支の文字として出版せられた本に公に示されたものであつた。それを誰かその文字だけを寫して珍らしい字だとて大切にしておいたのが、誕緤源をいふものがこれだらうといふ人があつて、弾師楴圓繭海鮴舛Δ燭蕕Αその際、よくはわからぬが、或は誕緤源かも知れぬと云つた。それをその弟子は、師匠が誕緤源といふものはこれだと海悗蕕譴燭帆修靴燭蕕Αそれからとうとうそれが誕緤源になつて、安永八年に著した「かなふみ」にまで載せられた。無論その著者は由來は知らね。たゞ有りがたい文字だと尊信してゐた。諺文に基づく日文も略そのやうな經路をとつたものと想像せらるゝ。はじめは諺文のいろはが世に傳へらるゝうちにそれに基づいて誕緤源のことを考へてゐた人間が、かの「ヒフミ」の表の排列にしなほしたものも生じたらうが、これを誕緤源だと考ふる時に、諺文のまゝでは世の信用を得難いし、又日本語と朝鮮語との差違もあつてやうやうに變化し
(P43)
て行き、終に彼の様な表になつたであらう。草體とても、最初の人は悪意もなく好奇心で試みたものが、次第に世に信ぜられ利用せられたのであらう。和字傳來考といふ書物は、誕緤源の傳來を示す爲の書として著したものではあるが、私共にとつては誕緤源と稱せられたものどもが、どういふものから生じ、どうして誕緤源と信ぜらるゝやうになつたかそれがどういふ風に傳播して行くものであるかの實地を我々に海佞襪發里噺るときに、その妄誕を咎むるよりも、一層深く我々に眞理の探究の道筋を指南するものとして、まことに尊重すべきものといはねばならぬ。私は、この書を熟讀して、誕緤源の論に對する目を覚ましたのである。


297 神代文字の真実(15)――山田孝雄論文(b) A 2004/01/18 20:31

 更に考へて見ねばならぬことは、このやうな誕緤源で書いたものが、遠く隔つた地の壇里紡犬靴橡悗鋲碓譴了を用ゐてゐるでは無いか。それらが期せずして一致してゐる所を見ると、その客観性を證明するものとして漫に否認すべきではあるまいといふやうな論である。たとへば、越中國井波町大森端劼房簒錣箸垢訐佰の刻字と、羽前國西田川郡砂谷端劼朴はる石球の刻字と、殆ど似てゐるが如きことである。かやうに、處を距てゝ共通してゐるが故に、それらを疑ふことは出來ぬでは無いかともいはゞいはるゝ様である。しかしながら、彼の琉球弾撒の十二支の文字の、誕緤源としての傳播の状況、即ちそれが阿波國の端劼朴はつた文字となつたり、更にそれらが伊勢國龜山の人から仙臺領の本吉郡祭田村の玉井宮内といふ人に傳はつたりとする所を見れば、それらが遠く隔つた地に傳はり存することは、何も異とするに足らぬので、端劼毘端劼箸隆愀犬端臍蠍澆力⇒蹐如傳はり易いことは論の外にある。
 私はこゝに今まで述べ來たことを一括しておくことにする。今、吾人はそれら論者のいふ所の誕緤源は、その字の數が必す四十七音を表示したものと一定してゐることを見た。これはいろは四十七音の範圍である。論者はその誕紊了予充群擦鯰爆嚇につくりかへたのが「いろは」だといふのであるが、これらの論者はかの平安朝時代の「あめつち」歌の四十八音をさへ知らない。更に又奥村榮實の古言衣延辨をも知らないのである。若し、これらの事實を知つた人が作るならば、四十八音の誕緤源といふものを唱へたであらう。この四十七音の誕緤源といぶものは、この點から見ては僞造と
(P44)
しても落第點をつけらるべきものである。次には、これを団爾慮譴世箸い奸若しさうならば、それに胆擦憤嫐が含まれてゐるべき筈である。その最初の「ヒフミヨイムナヤコト」は數の詞として古からの鎭魂の儀に玉を結ぶ時の唱詞たる
 ヒト、フタ、ミ、ヨ、イツ、ムユ、ナヽ、ヤ、コヽノ、タリヤ
を要約したものと見らるゝ點があり、次の「モ、チ」は「百千(モヽチ)」をいふものとも認められよう。しかしながら、それ以下の語は全體として何の意味もあらはれないのである。しかしながら、大成經は一々漢字を以て之を表示してあり、諦忍はその漢字に基づいてよみ方を示し、その漢字とそのよみ方に基づいて更に長々と説海靴討陲襦3犬靴海譴その団爾琉嫐だといふのであらう。さうすれば之は漢字によつて示されたことになるのみならず、若しさういふことになると、「ロ」は心の意であり、「ラ」は顯るの意であり、「ル」は主の意であり、「ツ」は臣の意であるとするが如く、不條理極ることを妄信しなくてはならぬことである。かくの如き言語道斷のものを端の語だとするのは大成經の示した妄誕である。潮音の妄誕を繼承してゐ誕緤源論者は果して之を承認しうるであらうか。今、その論者の態度を顧みるに、我々が尊敬措く能はざる平田篤胤といふ人まで、彼の潮音を筆誅して止まぬ半面に於いて、この「ヒフミ」「ホレケ」の四十七音を以て短の代表的典型として一言の疑をも挾まず、恰も之を既定の眞理で動かすべからざるものゝ如くにしてゐるのは、如何なる事情によるのであるか、私は不可思議の一とするのであるが、しかもそれは絶大なる不可思議の一である。更に叉、伴信友は事毎に平田に反對するといふ態度をとつた。それが爲に誕綮辨をも著したのであるが、しかも其のいふ所は短日文傳の範圍で異議を立つるに止まり、その根本の四十七音の組織解釋如何を問はずして盲從してゐるのは、これ亦潮音の毒に麻酔してゐるので無いか。なほ更に進んでは、かの仲尼孔丘の繼承者と自負する季尼鶴峯戊申が、同じく四十七字を以て誕紊了母表と考へて、脚下を顧みなかつたのは、何としたのであらうか。私はその音の數が四十七字で限られた一事實を以ても、その妄誕を徹底的に暴露しうるものと確信するが、その「ヒフヨ」より「ホレケ」にいたる排
(P45)
列表に到っては、すべてこれ潮音の亞流であって、知つても知らぬでも、皆その繼承者と目すべしと厳重に指定する。こゝに至ては、篤胤と信友も戊申も同罪である。まことにこの四十七音の表は、妄誕不稽の書を捏造し、正邪を交乱し、不經の非望を遂げようとして、幕府の女禍を利養せむと企てたる妖怪奸巫の共謀によつて生じた妖言であつたのである。その非望は幸に壇榲血い幕修譴毒圓譟⊇饑劼廢棄せられ、版木は毀却せられたのであるが、その妖言はやはり天地の明を奪ひ、學者の目をくらまして今日に至るまで毒を流してゐる。まことに恐るべきことである。


2004年11月23日(火) 神代文字の真実(16)-(20)

298 神代文字の真実(16)――山田孝雄論文(c) A 2004/01/18 20:33

 以上は徳川時代に生じた誕緤源の妄を論じたのであるが、近頃またいろいろと誕緤源で書いた古代の文獻が傳はつてゐるといふことを唱ふるものがあらはれて、それに記す所の所謂誕紊了が古事記や日本書紀にいふ所と大攣に違ふ。さうしてそれによれば、古事記や日本書紀は遥かに低級なものとなつてしまふといふやうな説がある。それらのうち世に名高いのは大分縣から出たといふ「上記(ウエツフミ)」であつて、これは昔大友能友の編したものだといひ、四十冊あり、明治十年に吉良義風といふ人が「上記抄譯」(三冊)といふを出版し、又「上記徴證」といふを明治十三年に出版した。又「天津蓋妬現顱廚箸い佞發里常陸磯原に住む竹内某といふものが傳へてゐるといふので、これらの二つが大立物として、かの大戰中、又戰前に盛んに宣傳せられた。これらは皆正しい學者は一人も是認し得ないものであるが、當時世間に通りのよい大官武将や政治家、實業家等、これら國文國語の學に通じない人々を利用して盛んに宣傳しつゝあつた。私は、戰時の頃内閣に肇國聖戰蹟調査委員會といふを設けられた時に委員になつてゐたことがあつたが、當時これらのものを古事記・日本書紀の上に加へようとする氣運が盛んで、甚だしく迷惑したことがあり、委員は學者が過半であつたが、誰一人明かにその非をいふ人が無かつたから、止むを得ず、自分がその矢面に立つたことがあつた。今その言を繰り返すことはせぬが、それらの信すべからぬ要點だけを述べて急かねばならぬ。この上記抄譯といふものは、私も讀んで知つてゐるが、その文字は既にも述べた所謂豊國文字といふ體で、猥雜見るに堪へぬもので、胆擦隆兇覆匹寮犬犬Δ戮もので無いのみならず、言語文章も後世の風のもので、誕紊里發里覆匹箸六廚劼發弔ぬものである。又かの天津海慮妬現颪箸い佞發里楼豼慊禝
(P46)
のもので、その文章には明治時代の訛語さへも交つてゐるものであり、その妄りなものだといふことは今私がいふまでもあるまいと思ふ。これについてに往年雜誌「思想」(第百六十九號)の上で、文學博士狩野亨吉氏が「天津蓋妬現顱廚糧稟修箸靴督墨世靴難韻構蠅殆ど無いからである。私はなほこゝにこれらの所謂誕緤源で書いた文獻を一括して論じておく必要を感ずる。それは何かといふと、これらの文獻は、恐らくは幕府の末造の頃、誕緤源論の盛んなころ、特に平田篤胤の誕緤源論に刺戟せられて起つたものだらうと思ふからである。既にいうたやうに、平田篤胤は初は誕緤源を信じてゐなかつたが、文化八年に駿府に赴いて門人に講義をした頃に痴短辨論を見てから、その存在を信じ初めたのであるといふことは、短日文傳の上巻第十枚に注記する所である。かくして古史徴開題記もその際に起草したのであるが、そのうちに論ずる所の内容は、
  古傳説の本論
  胆な源の論
  古史二典の論
  新撰姓氏録の論
  上件三典に添ふべき書等の論
といふ順序になつてゐる。これは先づ古傳説が存し、それらを記録したのが古典である。そこでその古典を記録する文字の事がわからねばならぬのであるから、上の目次は論文としては條理の整つたものである。それ故に、この胆な源の論は、たゞ誕紊吠源があつたといふ論だけで事濟されぬものであつて、その誕緤源で記録した文獻が存在してゐたならば、それを採るか取らぬかは別として、必す一往の論斷を下してゐなければならぬ筈である。然るに古史徴開題記では、さような文獻の存否に関しては一言も觸れてゐない。さてこの開題記にいふ所を基として、汎く海内を捜索して、多くの短を集めて研究し、その信ずべきと疑ふべきとを区別して、短日文傳に著したのであるが、この書にもさやうな文獻


299 神代文字の真実(17)――山田孝雄論文(d) A 2004/01/18 20:34

(P47)
の存否については一言も觸れてゐない。さやうにしてそれらの誕緤源を傳へてゐる諸の人々のいふ所も亦四十七音の字表だけで、それらを用いた文書を存してゐるといふことは一言も聞かないのである。ことに平田篤胤はその門人が全國に亙ってゐて、その研究資料として捜索旁博殆ど至らざること無かつた程である。かくして種ゝ雜多の誕緤源といふを得たけれども、その文書記録といふものは一もあらはれてゐない。この開題記の新撰姓氏録の序文の解説、倭名類聚鈔の説明の如きは、空前絶後といふべき程の周到なものである。この人はかくの如くにし文字の論を經過してから、古典の論に移つてゐる。この用意周到の古史の研究、叉その門人が殆ど全國に洽くそれらを總動員して博捜到らざるなく、又胆腓了は根ほり葉ほり、市井の徒にも問ふを恥としなかつた篤胤の耳目に、それらの誕緤源の文書は一も觸れなかつたことは信じなければならぬ。もとよりこれを以て、直ちに篤胤時代にさやうのものは必す生じてゐなかつたと斷言することは出來ないが、十分九までは推測をして差支ないと思ふ。とにかく平田門にはさやうな文獻を傳へてゐたものは無かつたことは確かであらう。さやうな事情から、それらの文獻は平田の誕緤源存在論に乗じて作成せられたものと思ふのであるが、かの磯原の天津海慮妬現颪覆襪發里蓮¬声時代から後のものたることは、狩野氏の論證によつても歴然たるものがある。
 私は最後に伊勢の皇太探椶麿誕緤源が傳はつてゐるといふ説について一言しておかねばならぬ。近頃かやうなことをいひふらし、しかその文字といふものを冩眞にとりて著書に掲げてゐるものまであるのである。かやうな誕緤源といふものは諸杜に傳はつてゐるといふけれど、既に瓊矛拾遺に誕綰景源を諭する所に「於伊勢及加茂曾無之」と述べてゐるのであるから、決してそのやうなものは無かつた筈である。私共はさやうなことは決して無いと確信してゐたのに、それが有るといひ、しかも冩眞にまでとつて公に出版してゐるのを見て驚いてゐた。如上の事だから、若しさやうなものが存在するとすれは瓊矛拾遺を著した元祿十三年以後に生じたことに相違無いのである。かくして私は昭和十五年四
月探楾蔦楷枋垢凌Δ魴麈い垢襪海箸砲覆弔拭探楾蔦楷曚探椶励貫曚垢觸蠅任△蝓館長は探椶琉貎Πである。こゝ
(P48)
に私の職責上からも、その誕緤源の有無を精しく調べておかねばならぬと思ふので調査した。そこで探槓幻砲量槝燭鮓ると、
 叩‖紂(検〇  九十九通 冩   綴一
 叩‖紂(検〇  冩         一
と二種のものがあり、いづれも現存してゐる。この後の「冩、一」とあるものを見ると、所謂日文の草體を大きな字に冩したもので、それは天明四年に村井古厳の奉納した由の印記のあるもので、それは奉納書目に載せてある。即ち探楔登圓里發里任覆、短辨論にいふ所の文字であることは明白である。他の「九十九通 綴一」と書いてあるのも現存してゐる。それは目録に綴と記してあるのは誤で、その實物はばらばらになつてゐて、木の箱に納めてあるが、九十九通は存在してゐる。之はすべて美濃紙様の紙を三四枚或は五六枚、糊で繼合せた長い紙に、その所謂誕緤源(多くは日文の草體又諺文體もある)を大體紙を長くして堅二行の程度の大きさの字として墨で雙鉤にした所謂籠字にしたものであつて、そのうち二十一通はその輪廓の中に朱を填めてある。その外に墨を填めて太い墨字に見ゆるものも十數通あるが、その他は白拔の籠字のまゝである。その紙質墨色を見るに、明治の初年頃を下るものであらうが、それを溯ることの無いのは明かである。而してその間に「忠服謹啓」と自書した書束が一枚添はつてゐる。その文面は次の通りである。
                    忠服謹啓
 過般御申聞之誕緤源御受取申上候だけ朱入出來仕故差上申候員數ハ先日差上置候ハ八枚此度ハ拾三枚合テ貳拾壹枚
 御改御落手咳,妨羣構佇希上候拜
  十二月廿六日
  落合直亮様
 とある。これによると、苗字は分らぬが忠服といふ名の人が、落合直亮の以來を受けて前後二度に合計二十一枚の誕緤


300 神代文字の真実(18)――山田孝雄論文(e) A 2004/01/18 20:35

(P49)
字に朱を入れたことは明白にわかる。而してその朱入二十一枚は現に存するので、この手束と一致する。落合直亮は後に名高くなつた落合直文の養父で、明治維新の志士の一人であつて、明治六年以後探檍咳,魑し、叉探槐宜に任ぜられた人である。この手束の年は分らぬが、直亮が探槐宜在任中で、探檍咳,梁減瀉罎任△襪海箸狼燭劼睫気ぁ探檍咳,鰐声十五年に閉鎖したのであるが、その際、咳,僚饑劼探槓幻砲飽楷匹擦蕕譴人海任△襪ら、この時から探椶僚衢となつたものである。それ故にこれらは決して古いものでは無い。又、上にいふ忠服の手束の外に「田原賢瑞模冩之分」と記した紙片もある。即ちこの人はその籠字を模冩した一人であらうが、この外にも冩した人があるかどうかわからぬ。又これらは何を基にして爲したのかもわからぬ。とにかく、これらは探檍咳,農修靴燭發里如△修譴鯡燭犬燭里詫邱臘称爾任△弔燭海箸鰐税鬚任△襦紙も冩しも極めて新しいことは上に述べた通りで、明治の初年の物たること一點の疑も無い。而してそれら紙片には往々その誕緤源の筆者と定めた人の名を記してある。その中、かの朱入二十一枚についていふと、
 菅原道實公、道實公、田原秀母多喜能(二)、俵藤太秀、從五位上平太貞盛(三)、平将門(二)、源義家、太宰帥泰成親王筆(二)、南朝春宮大夫帥兼、右近大将長親(二)、佐野藤原基綱、中納言經高、中納言氏定 帥兼、右近大将長親(二)、佐野藤原基綱、中納言れらにはすべてその飜譯を平假名交りで書き副へてある。それを讀んで見ると「多喜能」以下将門まで、及び基綱千常の名を記してある十枚は、すべて古事記の文句であり、他は菅公の歌二首と新葉集の歌九首とである。他の七十餘枚の名を見ると、
 中臣連鎌子筆(三)、太安麿、稗田阿禮、舎人親王、和氣清麿、小野篁、源鮓
など人口に膾炙してゐる人の名は多いが、中には「田原藤二宗」など奇妙な人名もある。それらの内容は粗々朱入の分と似たものである。中には「天兒屋命」「國御柱叩廖崚係翆踵叩廚箸い寥J犬鯢へたものがあり、いづれも「中臣連鎌
(P50)
子筆」とあつて、墨書であるが、填墨したことは一目瞭たるものである。その外のものも朱入の分と大同小異で、我々の熟知してゐる古典の傳へを覆すやうなものは一も無い。たゞ往々首肯し難いことが加はつてゐるけれども、それらは後人の考へによつたものであるといふやうな弱點が散見するといふ程度のものである。要するに、これはさほど惡意があつて何かをたくらむといふ目的でしたものとは認められないもので、、いはゞ無邪氣な氣まぐれなすさぴともいふべきもので、上記や磯原文書などの列として叱責するにも當るまいといふべきであらう。しかしながら、他の知らぬ人から見れば、惑を起さしめ易いものであるといはねばなるまい。それ故に、探椶任發気曚斌簑蠅砲呂擦蕕譴討陲覆つたと思ふ。然るにさ様の物をば、探椶紡生鼎ら傳はつたものだといひ、それを冩眞にとつて著書を飾つてゐる人がある。私がその著書の探椶砲△譖誕緤源といふものを調べて見たら、如何にも上述の九十九通の内にあるのであるが、それは籠字で輪廓のみの白字であるのに、填墨して墨字として冩眞にあらはしてある。これ亦事實を交亂するものである。要するに、探槓幻砲砲△襪發琉貭未和式羝鉄爐類枅悉颪里Δ舛砲△蝓九十九通は明治の初年に探檍咳,埜電妓轍療を誕緤源といふもので書かせたものが探槓幻砲翻殿阿靴燭世韻里發里任△襦私は探椶煉胆擦鮗蕕諤に、この事を明白に世に公にしておく、責任を感ずるが爲に、以上の言をなしたのである。


301 神代文字の真実(19)――山田孝雄論文(f) A 2004/01/18 20:36

 なほ今、更に顧みるに、誕紊吠源が在つたらうといふ論は、釋日本紀より古いものは未だ知らないのである。釋日本紀には別に「肥人之字六七枚許」が大藏省の御書の中に有ると云ひ、それは假名の體で「乃仁等」は明かに見ゆるが、明かでないものもあると云つてゐる。然るに本朝書籍目録には「肥人書五巻」と見ゆる。醍醐天皇の頃に六七枚許であつたものが、鎌倉時代に五巻も有るといふのであるから、同一のものとは必すしも云はれぬ筈であるが、從來多くの人はこれを同じものとしてゐる。さうしてこれも誕緤源であらうと平田篤胤は論じてゐる。本朝書籍目録はこの次に「薩人書」といふ目を掲げてゐるが、巻數を示してゐないから詳かなることはわからぬ。平田篤胤は之も誕緤源だと云つてゐるけれど、これらすべて證據の無い事である。たゞその肥人は、肥前肥後の國名から推せば、古の火國即ち肥國人のことであ
(P51)
らうし、薩摩國人を薩人と云つたのであらうが、それら邊鄙の地方に特殊の書體が行はれゐたのかも知れない。それ以上の憶測は行はるべきものではない。然るに、成形圖説がその釋日本紀の文を引用しつゝ「肥人之字」を削り、「誕緤源」と攣へて記して以て誕緤源存在の證としたことは、人を欺き古書を誣ふる罪輕からぬものであるのに、鶴峯戊申の如き學者がこれに附和雷同して、先代舊事本紀大成經の非を遂げしむるに止まらず、ますます其の妄を助長し曲解を逞くし烏有の端劼留有の寶物に烏有の文字が彫り付けてあると云つて、その端辧△修燐鑛、その文獻をさも實在してゐる様に説き、遂に彼の天名地鎭を以て世界一切の文字の起つた源だなどと説くに至つたのは、眞に言語道斷の妄誕である。
 かくして、今日の所謂誕緤源と稱ふるものは一も信じうべきものでは無いのである。若し今日以後眞に太古の日本の文字と信ぜらるべきものが世にあらはるゝならば、それは四十七音でもなく、舊事大成經の唱へた「ヒフミ」乃至「ホレケ」の排列に成つたものである筈は無い。しかし、さういふ形をしたものでも後代の偽作は必すどこかに馬脚を露して識者を欺きおほせうるものでは無い。(昭和二十七年十月廿五日稿)


302 神代文字の真実(20)――結論 A 2004/01/18 20:38

 こうして、探楾蔦楷杪舩椶僚藺絣慊垢砲茲蝓⊃逝緤源は完全に否定された。21世紀の世でも伊勢神宮に所蔵された神代文字の写真がネット上で氾濫しているが、天界でさぞかし嘆いておられることだろう。去年の秋季大祭に皇學館大学の関係者が来賓として出席しているが、いったいどういうつもりで呼んだのだろうか。
◆「S教M光」誌H15年12月号 秋季大祭教示より
(P15) 今や人の生きる「徳目」と「礼儀」を教えるところは日本では、本日来賓としてご参拝なさいました皇學館大学、あるいは松江の淞N学園、そしてM光青年隊、また神社界や仏教界の僅かな団体においてしか見ることはできません。
  □
 この論文が発表されて50年以上を経過し、日本の考古学は格段の進歩をとげた。しかるに、遺跡や古墳から神代文字の書かれたものは一切発見されていない。神代文字は古代文字の捏造であり、石器捏造と同一次元である。
http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/subaru/subaru5.html
 現在、日本で最も古い文字の使用例は、三重県大城遺跡より発掘された土器に書かれていた文字である。
http://member.nifty.ne.jp/japan/mie/ano/syutudoano.html
 松江市の田和山遺跡から楽浪郡製のすずりが発見されている。
http://www.chunichi.co.jp/tokusyu/kouko/k20011004.htm
 また、沖縄・与那国島の海底遺跡から、カイダ文字(象形文字)が発見されているが、これは表音(単音)文字の神代文字とは全く次元が異なる。
http://www.wonder-okinawa.jp/024/japanese/tano/hikarino/kaida/
http://www.b4ok.com/book/yonaguni/yonaguni.htm
 日本の古代文字研究の今後の進展を期待したい。
  
 私が山田博士の論文を見つけた経過をお教えしよう。まず、ある公立図書館で『神道事典』を閲覧して、『所謂誕緤源の論』なる論文の存在を知った。次に、Yahoo!で検索してみると、『藝林』という学術雑誌に掲載されているらしいということが判明した。『藝林』の所在をnetで検索し、ある図書館で閲覧できた。極めて能率よく行き、社会人の仕事の合間に十分可能であった。20年前の私の学生時代なら、おそらく「図書館へ行ったが、参考になる本はみつからなかった」で終わっただろう。
 さて、S教M光の教え主代理・岡D晃Y氏は、國學院大學で神道考古学を専攻したと称しているが、彼の経歴に対し重大な疑念をいだかざるを得ない。彼は大学4年の夏に、キリストの墓があるといわれる青森県戸来(へらい)村を旅行した。
◆「M光」誌昭和44年12月号P18-24
紀行記――戸来を尋ねて 聖地キリスト村
東京青年隊々長 Te島 泰六 (国学院大学四年)
(P22-23)
 やがて遂に私達はドコノ森を見つけた。ドコノ森を捜すのに骨が折れた。しかし捜さねばならなかったのだ。そこには一万個以上に及ぶ神代文字の刻まれている骨片が、山の土中に埋もれているからだ。もちろん山に登り、土中から神代石を発掘する事は時間もなく、無理な相談だった。けれども、三角形のドコノ森の雄姿を遂に見つけたのだった。
  □
 この『ドコノ森』を発掘調査して科学的鑑定を行ない、成果をH記念館に展示することを要求する。それが県登録博物館を開設する団体の責任者としてあるべき姿勢である。


2004年11月22日(月) ムー大陸

306 ムー大陸(1) 2004/01/25 17:50

岡D光T師述み教え集 (昭和42年) 1987年3版(S教M光)P85-
昭和四十二年五月度月始祭ご教示要旨
 皆さんは、文明期は今だと思っていますが、けっしてそうではないのです。超古代にはすばらしい文明時代があったのです。ガラス一つ取り上げてみましても、皆さんにこの前お話しましたように、二十五万年前のものがある。最近出ました数千年前の日本のガラスは、まるで宝石のように美しいもので、とても現代の技術ではできないほどの立派な物が発掘されている。そういう文明時代があったのです。
 アトランティス文明やその文明の元となったミュー大陸、そのもう一つ前のレムリア大陸というのが、いまは大西洋、太平洋からインド洋に陥没して海になってしまっています。
 こうして沈んでしまった国の人種は、日本人であったことがいずれ実証される。最近はアメリカでも、日本人であると言い出しております。特にミュー大陸といいまして、いまのアメリカの西海岸のあたりから日本の南端、オーストラリアの東、インドネシア、カロリン群島のあたりは、ずっと大陸だったのですが、陥没の際、少し残ったのがこれらの国や島で、日本もちぎれて残っているわけです。
 その大陸に住んでいたのは、まぎれもない日本人であったということが、ハッキリ数冊の本になって出ているのです。その本では、それをミュー大陸としている。本当はムー、神の国という意味です。このもうひとつ前の時代にレムリアという大陸があった。そのレムリアが沈没して、それから太平洋上に今度は、ミュー大陸が出現した。それがまた陥没して今の大陸になったわけです。
 かつて、太平洋は非常に浅かったのですが、だんだん沈下して今の深い太平洋になってしまった。この時代の文献は、アメリカには残り少なくなっていますが、それをまとめたのがムー大陸説です。つまり、そこには大和民族が住んでいて、高度の文明を開いていたということが、いろいろの面から実証されているのです。
 ミュー大陸、あるいはレムリア大陸は、アジアから中央アジア、それから南ヨーロッパあたりのいろんな文献に出てきますが、その中でもやはり、超人的な文明をもっていた人種であったことがほうぼうに記されている。
 超人・神人的な人類が残っており、非常に高度の文明を持っていて、空を飛翔する飛行機とか宇宙船、それから電信電話でも現在のようなものではなく、もっと高度の通信機があったとか、地下にすばらしい大都市を造っていたとか、その跡が今でもほうぼうにあるので、地下王国としての研究が進められています。そういうすばらしい文明、その多少の名残りが今日の日本とかボリビアの文明とかマヤ、インカ帝国の文明として残され、後世その片鱗が発掘されているというのが世界の地質、考古学者の定説になりつつある。そこで日本の古文献と、そういう超古代の世界とを突き合わせていきますと、実にピッタリと合致してくるのです。このことは、いずれ時期が来ましたら、文献にして出す予定です。今はあまりに多忙で、とても書く暇がありません。
 現代のアメリカについて、神代の超古代史では北米をヒウケエビロス、南米をヒナタエビロスと言っていた。何万年も前の文献には出てくる。
 また実際、今のアメリカの人でも自分たちは元エビロス人であったことを知っています。ですから、古文献に出ているエビロスは正確なものだったというわけです。ただ大部分の人は、エビロス人が超古代に日本から分かれて行った人種だということを知りません。また、大西洋上にあったアトランティス文明も、どんどん欧米の学者が研究して、いろんな資料を発表しています。学会では今日、否定できないところにきている。
 一方、植物の化石学の面からも総合的に研究がされており、そのほうからも太平洋、インド洋にわたって大陸があったということが実証されている。
 最近では地質学のほうからと、人類学と植物学のほうからの説が一致してきております。この関係が世界的にもう否定できないというのが、学会の常識になってきていることを知っていれば、大だたいがつかめるでしょう。それらの文明の先達になる人としては、常識にしなくてはならないのです。
 ただ残念なことに、今日では日教組、つまり共産党系が教育界を握っていて、極力こういう関係を歴史から抹殺しております。その上、国家神道が三千年前の日本を出してはいけないと押えている。この思想が、日本の正しい歴史を知る上に、非常な災いをしているのです。これが共産党にとっては、大変都合のいい教育地盤になっているわけです。


307 ムー大陸(2) 2004/01/25 17:51

「M光」誌昭和60年7月号P18-25 岡D光T師教示より(S教M光)
(P20-21)
 結局、原因は恐るべき「集団霊障」である。アトランティス大陸とムー大陸文明は、嘗て、原水爆を使ってさえやったほどのものすごい大戦争をしたのですが、さらには、金星や他の遊星にいた霊と限界に肉体を持った人間界との闘争もあったのです。
 それで、負けた方の霊統は、現在地上で幸福を味わっております現人種に対して霊的に非常な憎しみを持ってしまった。実を言いますと、それが随分憑霊している。
 神の力でもなかなか霊が脱けないことがありますが、その理由をある程度申しますと、実際の人類史としては非常な興亡に関係した霊統の争いが、実は今も存続をしているからです。
 そこで、現在の人類が幸福な世界をつくり上げていくことを非常に憎んでいる方の霊が一体化する。いわゆる組織化して活動するのです。
 それから、もう一つは、その霊が、他の星からでさえ、人間に転生をして現代人の中に混じってきている。
 例えていえば、ムー大陸に滅ぼされたときのアトランティス文明人は、こんにち憑霊しているばかりでなく、実を言いますと、限界人に再生をしてきている。
 これらに怨みの集団霊が憑かるのですから、ますますひどい憎しみの世界をつくっていくという関係があります。

(解説) ムー大陸の実在を証明する事実は、県登録博物館のH記念館に全く展示されていない。沖縄・与那国島の海底遺跡をムー大陸実在の証拠などというものがあるが、これには論理の飛躍があるとみられる。
http://www.bihou.com/iseki/etc/etc-1.htm
神戸大学の大内教授は、海底遺跡を論理的に批評している。
http://www.chuogakken.org/candana/0194_01.html#top


2004年11月21日(日) 神代文字の真実(21)

311 神代文字の真実(21)――批判に対する反論 A 2004/02/12 20:57

(No.132-141, 293-302の続きです。)
 Yo光子統一ma光BBSの管理人は、神代文字の盲信者の著作――山田博士の論文に対する批判――を示してくるが、妄想もはなはだしい。これらの主張の共通点は、神宮教院で明治初年に神代文字の書額がつくられたことに関してである。
1)山田博士は“気まぐれ”でつくったと述べているが、これは神宮教院において大々的に『偽作』が行われたことになるのではないか。
2) 古代より神宮に伝わったものを、式年時に新調したものとみなすべきだ。
  □
 これに対して反論していこう。例えば神宮関係者が、万葉仮名で書かれた古歌や難解な漢詩を、修学旅行生にもわかるように当用漢字と現代仮名遣いで書き表し、難解な原文を小さく併記して神宮に展示したとする。これを見て『偽作』とか『神宮に古くから伝わる』などと言う人はまずいないだろう。山田博士は『偽作』とは一言も言っていない。私の想像だが、明治初期に神代文字に関する展示を展覧会で行うことを想定して、「古典古歌」を神代文字で書いてみたのではないだろうか。
 また、式年時に書き直したなら、元となる古文献が必ず存在するはずである。神宮が昔から伝わる文献を式年時に処分し、写本のみを残すなど、まず考えられないことである。山田博士は元禄十三年の『瓊矛拾遺』には「於伊勢及加茂曾無之」と書かれてあると述べている。また、平田篤胤の門下生が全国をくまなく調べても神代文字の文献を見つけられなかったとしており、当然伊勢神宮を調べても文献はなかったはずである。
 問題の神代文字は、山田博士は神宮教院で明治6-15年の間に作られたと断定している。神宮式年は明治2年と22年におこなわれており、式年に合わして作られたとはいえないと思う。
http://www.tekipaki.jp/~archive/saigyo/html/sengu.html
 『神字日文解』の著者は、神宮式年について調べるという初歩的なことすらせずに、神宮所蔵の神代文字を論評している。全国の図書館にある『神道事典』(1994初版)を閲覧すればわかることである。
  □
 なお“神代文字の真実(18)”に間違いがあった。お詫びして訂正する。
【誤】
 菅原道實公、道實公、田原秀母多喜能(二)、俵藤太秀、從五位上平太貞盛(三)、平将門(二)、源義家、太宰帥泰成親王筆(二)、南朝春宮大夫帥兼、右近大将長親(二)、佐野藤原基綱、中納言經高、中納言氏定 帥兼、右近大将長親(二)、佐野藤原基綱、中納言れらにはすべてその飜譯を平假名交りで書き副へてある。
【正】
 菅原道實公、道實公、田原秀母多喜能(二)、俵藤太秀、從五位上平太貞盛(三)、平将門(二)、源義家、太宰帥泰成親王筆(二)、南朝春宮大夫帥兼、右近大将長親(二)、佐野藤原基綱、中納言經高、中納言氏定(二)、從五位下千常筆
の二十一枚である。而してそれらにはすべてその飜譯を平假名交りで書き副へてある。


2004年11月20日(土) 信仰と医療

317 信仰と医療(1) 2004/02/29 13:25

岩波書店「現代の宗教」第9巻「現代医学と宗教」
日野原重明(聖路加国際病院名誉院長)著 1997年
112-121頁 「信仰による癒し」
  ◇
 昔から、神仏への祈りにより、または特別な治癒力をもつ人――それには奇跡を行ったイエス・キリストの業も含まれるが――により、病いが癒されたという事例が多く言い伝えられている。
 これに対して近代科学としての医学は、その存在を強く否定するが、心身医学や精神分析、催眠術の側からは、治るべき病気が理に適って治癒されたと説明されてきた。
 しかし、信仰をもつグループと、そうでない集団とを比較して、信仰や祈りの行動が病気を癒したり、悪化を防いだりする何かの力を生じると結論されるような調査研究は今日まで十分になされていたとはいい難く、ただ何かの希な症例を挙げて紹介するといったものしかなかった。それらの症例の中には、治療しなくても、癌が治癒した例として報告されたものがある。しかし果たしてそれが病理学的根拠をもつものかどうかをさか上って調べることは非常に困難なために、実証の上に成り立つ近代医学は、その存在を否定してきたのである。
 最近の研究では、レラクゼーションにより大脳内のモルヒネ系ホルモンの分泌が増え、それに関連したホルモンの量が影響されることもわかり、それが人間の感染や免疫力によい影響を与え得ることが次第に明らかにされてきた。
 そのような精神力、もしくは精神作用に当人の信仰が何らかの影響力を与えることの可能性は否定できないと言う調査研究が、21世紀を前にアメリカなどで行われ始めている。
 信仰によるもの以外に、当人のもつ治癒力によい影響を及ぼすヒーラー(治療者)ともいうべき特殊な人格をもつ人のあることも、全く否定することはできない。
 1996年9月発行の『ライフ』誌と1996年6月24日号の『タイム』誌が期せずして、西洋医学が扱わなかった東洋医学の漢方や鍼、気功、ヨーガ、さらにヒーリングと呼ばれる信仰医療、その他の伝統的な民間療法などをとり入れた治療法を紹介し、西洋医学側の医療職や一般人の注目をひいた。
 『ライフ』では、「癒しの革命」(“The healing revolution”) と題する特集号で、表紙には「外科か鍼か」「化学療法かハーブか」「その両者を併用する優位性」と謳い、かぜから心臓病に至るすべての病気を治療するために、「古代医療」と「ニューサイエンス」とが混じり合いつつ行われているとある。近年、西洋医学に東洋医学を導入するとともに、宗教的信仰(信仰治療)の有効性が注目され、それらを統括して医療に積極的にとり入れようとする(統合的医療)こそ本当の全き医療であるという説も紹介されている。そして、在来の西洋医学中心のアメリカ医学の変貌を期待する医療職や一般人の数が次第に増しつつある現状が報告されている。
 同誌には、医療革新の例として、次のような記事が紹介されている。
 ニューヨーク市のコロンビア大学のプレスビテリアン医療センターで、69歳の元デパート支配人のヨセフ・ランダゾ氏の心臓バイパス手術が七人の外科医によって行われた。この手術中に、エナージーヒーリング(人間はその皮膚の外にもエネルギーの場をもち、訓練を受けたヒーラーが手を頭の上に差し延べることにより、エネルギーを患者に与える)を行ったのは、36歳のメメット・オズ医師であった。この患者の枕元には、ナースであって、その上この治療的タッチの訓練を受けたものが立ち、患者の頭の上に手をかざし、彼女からのエネルギーを患者の体内に送るというアート的医療がなされたという。
 また、1995年には、ワシントン市で「医療における補足的療法に関する世界会議」が開かれ、ここでは非正当派医学に属する医師でも、医師と患者との間のヒーリング、パートナーシップの重要性を説くものが多かった。しかし、正当派医学の立場を守る医師は、この非正当派の医師による医療の実態はまやかしに過ぎぬとして、信仰の効果と信じるものはUFOを信じる天文学者のようなものとして、非正当派の医師の行う医療を全面的に否定するものが多かったという。


318 信仰と医療(2) 2004/02/29 13:27

 一方、『タイム』の1996年6月24日号にも、「あなたの信仰はあなたを全人的にするか」というタイトルの記事を六頁にわたってとり上げている。そして、信仰の力が癒しを行う秘蹟を、正統派の医師も再検討すべきムードが医学界の中でも起こっている事実を紹介している。つまり、祈祷や信仰、または霊性が、実際に人間の健康を保つ力があるという事実を受け入れなければならないとして、宗教心のある人のグループが、そうでない人のグループよりも、よい健康状態にあるという事例を報告している。
 ダートマス・ヒッチコック・メディカルセンターでの1995年度での報告では、232例の心臓手術のうち、手術成功率は、宗教的な力で安心感と力を得ているものが一番多く、死亡率は、信仰のない群に比べ信仰のある群のほうが、三分の一以下だったことが報告されている。
 血圧についての研究では、教会に忠実に出席している信者群は、教会に行かない群よりも、平均して5mmHgだけ低いという。またうつ病の発症についても、教会に行く群は低いという報告もなされている。
 ハーバード大学のハーバード・ベンソン博士のベストセラー書「リラクセーション反応」によると、黙想することにより、心拍、呼吸数、脳波などは鎮まり、筋肉は弛緩し、アドレナリンやその他のストレスを起こすホルモンの分泌が減少するとある。
 ニューヨークのロチェスター大学の神経生物学のD・フェルテン教授は、瞑想や心の平静をもたらすことはホルモンの働きにも、また免疫系にも影響を及ぼすと述べている。リラクセーションと宗教的経験は、脳の中で同じ中枢に働くとも考えられている。
 リラクセーションにより不眠症患者の75%は睡眠がとれるようになり、不妊症の35%の婦人が妊娠し、慢性の痛みをもつ患者の34%は鎮痛薬の服用量が減じたともある。
 さらに1996年のアメリカの国立加齢研究所の報告では、北カロライナ在住の宗教行事に参加するグループは、うつ病になる率が少なく、より健康状態にあるという。また股関節骨折の女性患者30名について調べたところ、神が癒しと慰めの源であると信じるグループでは、退院時の歩行距離が長く、またうつ状態になるものが少なかったという。信仰をもつ人のほうが、そうでないグループよりもアルコール、タバコ、麻薬その他のよくないものをとる習慣が少ないことも健康状態を保つ因子として、同時に貢献しているものと考えられる。

表1 あなたは信じますか
(1) 個人的な祈りの中で癒しの力を信じますか
  <はい>  82% <いいえ>  13%
(2) 他の誰かのために祈ることが、その人の病気の回復に役立ったと思いますか
  <はい>  73% <いいえ>  21%
(3) 重症の病をもつ人の治癒に神の存在をしばしば感じますか
  <はい>  77% <いいえ>  18%
(4) 信仰をもった癒し手(医者、宗教家等)には彼らの信仰を通して、または個人的なタッチによって人々を癒す力があると思いますか。
  <はい>  28% <いいえ>  63%
(5) もし患者が臨むなら、医師たちも患者たちの祈りの座に連なるべきだと思いますか
  <はい>  64% <いいえ>  27%

 また、『タイム』の行った一般人1004名からの電話による調査では、信仰の力に関して上記の表のような結果が得られたと報告している。
 このような記事をアメリカの教養人を対象とした一般誌がとり上げていることにもっと目を開き、在来の西洋医学一点ばりの硬い考えはここで打破され、信憑性の高い事実は勇気をもってとり上げるべく反省すべきであると思う。


319 信仰と医療(3) 2004/02/29 13:28

 なお、『タイム』誌には、エイズ患者の闘病中にみられる霊性の働きについての記事も紹介されている。
 その中には、ニューメキシコ州のイーサ・ソラッコ (Eethe Soracco)でローソクを灯し、香を焚き、バラの花で飾った祭壇に、1995年10月から10週間、毎日エイズ患者が祈祷を捧げる集団と、そのような行事を行わない各20名のエイズ患者の集団の比較研究が、サンフランシスコのカリフォルニア太平洋メディカル・センターのE・タッガ精神科医によって行われたという。その結果は、信仰者の群れに有効性が見られたので、将来1000名のエイズ患者に拡大しての研究が準備されている由である。
 多くの新興宗教の中には、教祖の持つ予見力や治癒力が信者を急速に増加させた例があるが、それが果たしてトリックなしにされたのか、不純なトリックであたかも教祖が超能力をもつように演出したものであるかを正しく識別することは、なかなか難しい。最近のオウム真理教のごとくに、純粋な信仰を求めて入信した者が強力な教祖の権威と暴力によって、いったんその宗派の中で各自の役割をもらうと、もうそれから逃れることができなくなるという機構を持つ偽宗教もある。その際は仕掛けられた奇跡または見かけの偽超能力を一般人がどう見抜くか、この点にわれわれのこれまで培ってきた正しい科学による判定力がどこまで真実を解明できるかが試されている。
 アメリカの医科大学の中には"caring for the soul"(魂へのケア)と呼ぶ全人的医療を標榜する科を設けるところが増しつつあるという。先端科学万能への魅力の喪失の影が、20世紀末に顕在化したとも言うことができよう。
 近代医学は多方面に進展し、臓器移植や遺伝子医学などの面で大きく発達したが、ライフスタイルによってもたらされた生活習慣病を撲滅するまでにその力を発揮することは20世紀末の今日においてはまだ成功していない。
 今日、医師の診療を求めてくる患者の60-90%は心身のストレスによる病気である、とボストンのディコネス病院心身医学研究所長のH・ベンソン博士は述べ、在来の医学が、生活習慣病の薬物的、外科的治療にはうまく成功していないと反省している。
 おおよその目安であるが、アメリカでは1年に300億円が近代医学以外の、信仰療法をふくめた医療費として費やされているという。また新しい医療や東洋医学的療法に関する本やテープの売れ行きが増しているそうである。
 これまで信仰療法な関する文献はあまり日の目を見なかったが、元米国NIH(National Institute of Health)研究所の精神医学者、D・ウィルソン博士は、宗教に関する病気の癒しの文献がすでに200以上もあることを報告している。


2004年11月19日(金) Re神代文字の真実(8)

(2003年11月25-24日 「S教M光」誌平成十五年五月号 〜と思われる。  へのレス)
320 Re:神代文字の真実(8)――「國語学概論」(b) M 2004/02/29 17:49

NO139を読んで。

>「古代の日本で使われていた日本語はあくまでも五母音であったが渡来人の影響で八母音になった。」という説である。「漢字」を国語化する際の一時的な虚像であるというのだが、この議論はまだ決着は付いておらず、橋本氏による定説を覆すにはいたっていない。もしこれが認められれば、神代文字を否定する根拠の一つが崩れるわけだ。

説としては面白いが、橋本氏の定説は崩せないでしょうね、少なくとも、5母音になる前の万葉仮名の時代の発音を、書き残された書物を元に8母音だと検証しており、それ以前に又5母音の時代が有ったとする、実証的な検証は不可能で憶測の域を出ることは出来ないでしょう。それに、神代文字の否定的要素として、母音説はほんの一部であり、大勢に殆ど影響は無いでしょう。

日文にしても、ハングルの模倣は明らかであり、対馬と言う歴史的地理的位置関係からして、宗家による朝鮮への朝貢の事実から見ても、朝鮮の文化の影響を日本の何処の場所よりも受けていたと考えるのが妥当な考えで、かな、カタカナが日本語を表すのに必然で有ったように、ハングルも朝鮮語を表す上で必然的に出来上がっており、日本から生まれる必然性も必要も可能性もなかった、詰まりアヒルが日本独自に生まれる可能性はあり得ないと言う事だと思います。

アヒルがハングルの元など噴飯もので、こうあって欲しいと思う人間の願望以外に何ものでもないでしょう。


2004年11月18日(木) SAPIOの記事より

325 SAPIOの記事より(1) 2004/03/19 21:46

SAPIO 92.2.27 P66-68
新シリーズ21世紀への「幸福」を考える――われらにとって「宗教」とは何か
第4回 S教M光――超能力願望時代「手かざし」に80万信者は何を求めているのか
溝口 敦 (撮影/坂本孝一)
  □
「超能力」「霊感」「テレパシー」……非科学的な超常現象に対する興味が、技術の日進月歩を日常のなかで体験しているはずの若者の心をとらえているという。最近、街中や駅頭で若い人が誰となく声をかけ、相手の頭の上に手をあてている光景を見かけたことはないだろうか。「手かざし」といい、いくつかの教団が行っている、浄霊の手法である。終戦後に急成長した新興教団によって広まってきたものだ。
 この背景にあるものは何なのか。岐阜高山の山中に巨大で華麗な総本山を建立したS教M光の活動から、現代若者の超能力願望に迫ってみた。
  □
■手かざしの奇跡とは
 S教M光では、人の眉間の奥10cmほどのところに魂があるとする。それに向かって手かざしは行われる。
 つまり施光者は相手(受光者)と向き合い、額から30cmほど離して片手をかざす。こうすると、アンテナを張ったように神の光が施光者の手にいったん集光され、それがレンズを通る光のように受光者の魂、松果体のあたりに集中して照射される。このM光により魂は浄められるというのだ。
 しかもこの手かざしは朝10時〜夕6時ごろまで、3日間の初級研修会を受けるだけで10歳以上の誰にでも出来、かつ許される。3日目、3時ごろ講義は終わり、御み霊(おみたま)という円形のペンダントを首にかけるよう渡される。
 御み霊はいわばBSアンテナである。これをかけることで神との間に「霊波線」がつながれ、神の光と力は飛躍的に受けやすくなる。教え主(岡D恵S師)によってだけ調整されるもので、組み手(陽光子)と呼ばれる信者は月々
「霊線保持お礼」を教団に納める。
 最近、大きな駅の周りで「あなたの健康と幸せのために」と声をかけてくる若者たちの姿をよく見かける。立ち止まれば、頭をうつむかせて手かざしを行い、布教する仕掛けである。
 手かざしを行う教団は数多い。とりわけO本教の「み手代」、世界Q世教の「浄霊」、世界M光文明教団(S教M光は初代没後、ここから分裂した)の「M光の業」など、O本−Q世教系から派生した教団では好んで行われている。
 手かざしの威力は強烈とされる。
 たとえば螢◆○コーヒー若B悟副社長(44歳)はここ9年来の信者だが、入信のきっかけは手かざしだった。
「得意先に組み手(信者)の方がおられて、肩の後ろから手かざししてもらった。そのとき手が離れてるんですけど、非常に重く感じて不思議だな、と思いましたね。だいたい中学生のときクリスチャンになり、大学では聖歌隊にいたような人間なんですけど、この体験で入信しました」
 手かざしを受けた者は、ときに上半身を前後に揺すったり、ひっくり返ったり、蛇のように体をくねらせて床を這いずり回ったりするらしい(よって危険なため、S教M光は街頭では手かざしをしていないという)。
 教団の教えによれば、憑依といって、人間や動物には、死んだ人間の魂や動物(蛇や狐、犬や猫など)の霊が取りついている。手かざしにより憑依霊が苦しくなって浮きだし(浮霊)、受光者の意思に関係なく体が憑依霊特有の動き方をする(霊動)。このとき施光者は霊動を見て人、動物、自然のうち、どの霊であるか見当をつけた上、質問する。と、憑依霊は受光者の口を借りて、どういう理由で、いつごろ憑いたかといったことを話したり書いたりするから、理由などが判明する(霊査)。
 施光者は頃合いを見て「おしずまりー」と唱えながら、両手を受光者の頭上から肩の辺にかけて八の字状に振り下ろす。鎮魂のわざであり、これで手かざしは終わる。


326 SAPIOの記事より(2) 2004/03/19 21:48

 この手かざしについて、教団の岩I浩次広報部長がいう。
 「いつでもどこでも何にでも手かざし出来るのが当教団の魅力でしょうね。奇跡を自分で理屈抜きで体験できるんです。たとえば校内暴力に悩む岡山県のある先生は、朝30分早く家を出て、教室を手かざしで浄化して校内暴力をなくしました。この先生は文部省から表彰されましたけど、こういう例がたくさんあるんですよ」
 また入信歴12年、都内の市街地再開発組合の事務局長をしている蔵T昭さんは実際にオフィスで仕事を始める前、机に手かざしするという。
「こうすると、文章がすらすら書けるし、誤字もなくなるんです」
 こうしたことが事実とすれば、手かざしはまさしく「超能力」にちがいない。しかも効き目の強弱はあっても、基本はわずか3日の研修で習得できる。忍術の習得を夢見た少年の心を持ちつづける者にとっては、なるほど魅力になりそうである。
  □
■「不思議さ」を残しておきたい心理
 S教M光の中心的な信者層は40〜50代で50%を占めるが、やはり若い10〜30代の世代も40%と多い(60代以上が10%、全世代では女性が65%を占める)。
 立命館大学の安斎育郎教授は広く「超能力」を科学していることで知られている。
 なにしろ東大奇術愛好会の第3代会長だったとかで、みずから手品を駆使して念力、透視術、テレパシー、心霊術などを「自然科学概論」の授業で実演、学生たちの度肝を抜いた後、おもむろにタネも仕掛けも明かして、科学する心を教えていく。
 そういう実践教育を身をもってする安斎教授が、近ごろ若者超能力好み事情について証言する。
「授業を始める前、学生たちに超能力をどのくらい信じるか、その傾き具合を問うアンケートを取っています。学生により回答はいろいろですけど、8〜9回授業をやった後、今は信じているかと、またアンケートを取ると、例えば初回は90%信じると答えた者が10%になっていたり、40%と答えた者が0.1%になったり、それぞれに低下しています。だけども0%も信じない、という学生はほとんどいないんですね。心のどこかに不思議なことを残しておきたい、かえって真実を知ってがっかりした、といった意識が潜んでいるようなんです」
 安斎教授なら、手かざしをどう見るのだろうか。前記した通り、施光者が手をかざすと、はなはだしい場合には受光者が床を這いずり回る――ここにタネや仕掛けを見つけ出すことは、かなり難しそうである。
 「手かざしをすると、相手がそれらしい反応を見せる。自分ではよく分からないけれど、どうも気を出せるようになったらしいって人たちが実際には多い。
 群馬大学にこの手かざしや気功で治ったという患者さんを綿密に調べているM教授、T教授がいるんですけど、おふたりの研究だと、80項目にわたって患者の体を調べたが、有意の変化は何も見いだせなかったというんです。たとえば手かざしに鎮痛効果があるのなら、脳内にエンドルフィンが増えていなければならないはずですけど、その濃度が増えていない。といったことからすると、昔から病は気からといいますけど、それと同じで、手かざしに反応するというのは催眠誘導的なものと思いますよ。なんでもかんでも超能力と呼ぶことで、合理的な理由を解明しようとすることを放棄せず、肝心なのはなぜだ、と追求する気持ちだと私は思いますけどね」


327 SAPIOの記事より(3) 2004/03/19 21:49

■なぜ非科学的なものに惹かれるのか――手かざしの信仰は、不思議に直面して不思議に埋没していく人間の弱さなのか
 中国に気功法がある。気功は自分自身の養生功である内功と、他人の病気を治す外功に分かれ、外功となると、厳しい鍛錬を積んだごく少数の人間にしか出来ないという。
 気功師の手から発する外気は中医(中国医学)として実際に治療に用いられ、その効果や発する物質が何なのか、国家レベルの研究が行われている。安斎教授の話を続けよう。
「しかし、この研究も比較対象群を置かないとか、客観的に認定できるようなものではないようです。
 またアメリカなどでは、手からサイキックエネルギーやらオーラが出る、それを写せるキルリアンカメラとかいうのもあって、実際に売られています。これは1939年ロシア人のキルリアンにより考案されたもので、写すものに電場をかけておき、それを乾板の上に載せる。と、写すものが手なら手で、そこからまるで光が発しているように写るんですね。手ばかりでなく、コインとか石とか無生物から発しているのも撮れる。
 スタンフォード大学などの研究調査では、この光状の正体は水分である、湿り気検出法としては最適の機材だと冷やかしていますよ」
 洋の東西を問わず昔から手かざしは行われてきた。その効果のほどはきわめて不確かである。だが、仮に効果があったとして、誰にでも出来るものなら、ことごとしく宗教である必要はなさそうに思える。それこそ「新しいカ」として科学の対象になるものでないのか。
 だが、現実は逆に働いている。S教M光ではこの手かざしをきっかけに入信する者が引きもきらない。
「どこか体が悪い、手かざしで治してほしいと親や信者に連れて来られる人。それと悩みもない、お金もない、だけど人さまを救いたいという人、そういう方が多いですね」(前出、岩I部長)
 教団の信者は公称80万人、うち海外が10万人という。岐阜県高山の壮麗な<世界総本山>を中心に、国内は東京、大阪などに9指導部、各都道府県に主幹道場を置き、大・中・小・準の各道場、その下にお浄めどころ、連絡所とネットワークしている。
 海外はパリなどに6指導部を置き、70か国、80民族に広がっているという。
 不思議に直面して、不思議に埋没していく人たちは多いのである。
 だが、手かざしという<奇跡>で触発された信仰心にしろ、多くの信者たちは真面目な意見の持ち主であり、それぞれに堅実な生活を送っているようである。
 たとえば入信歴16年、ソフトウェア会社の海外事業部長・畠○清さんに、入信の前と後とでは、生き方や物の見方が変わったかと聞くと、こう答える。
「仕事柄、海外出張が多いんです。イスラム、東南アジアを中心に20か国以上回りましたが、入信してから、人類とか地球とか強く意識するようになりました。人間は肌の色や言葉が違っても、すべて同じだなという思いがして、よりオープンに人と話せるようになりましたし、日本人が持っている感情を表す言葉は、どこの国の人でも全部持っている、そんなことも気づかされましたね」
 信仰が生き方や物の見方を方向づけていく。それが蛇の霊やらご先祖の霊障やら、動物愛護の精神にももとる要因に発しているにせよ、人は何事かを思い込まないと生きられないのかも知れない。
写真: この総本山から組み手(信者)は人類救済のためM光の業(手かざし)を全世界に発信する。
【解説】安斎育郎氏は心霊関係の著書が何冊かある。
 『霊はあるか―科学の視点から』講談社ブルーバックス
 『科学と非科学の間』ちくま文庫、など



(※日記作者 誤字修正)


2004年11月17日(水) ヨーロッパカルト事情

337 ヨーロッパカルト事情-1 M 2004/03/29 16:12

フランスでの反カルト法の成立過程、及びアメリカとの考え方の相違がのべらられています。少し長くなりますが、アドレスの貼り付けではなく、要約をコピーします。



ヨーロッパ・カルト事情(1)/広岡裕児
(国際ジャーナリスト・パリ在住)

セクト(破壊的カルト)とは何か(第1回) 

こんにち、フランスがセクト(破壊的カルト)対策の先頭に立っていることはまちがいない。 そのフランスに住んでいることもあって、日本でセクト問題の関係者とよく話す機会があるが、あまりにも誤解が多いので驚かされる。 たとえば、一九九六年に日本の衆議院にあたる国民議会特別委員会が報告を発表し(報告担当者の名をとってギヤール報告ともよばれる)、そのなかに一七二の「セクト」のリストがでたが、このリストに出ている団体は活動を規制されるとか、モルモン教やバプテスト教会もリスト・アップされているなどと指摘する人がある。また、昨年六月に成立した一連のセクト対策の法律改正を宗教弾圧の特別立法だと思っている人もいた。 賛否は別として、ほんらい、もっとも正しい認識をもっていなければならない学者やジャーナリストとて例外ではない。 

もっともこれは誤解した人々だけの罪ではない。 フランスの名のある社会学者・法学者・宗教学者や宗教家の一部が恣意的にまちがった情報を流している。 しかも、それが誤報であると識別できるだけの人権や政治、宗教のあり方などの基本的な情報が日本にあまりにも不十分にしか伝わっていない。 アメリカとヨーロッパでは全然違うのにいまだに「欧米」などと一くくりされている。フランスそのものへの理解にしてもフランス革命から始まって、せいぜいドゴールの一九六〇年代でとまっている。世界は一九六〇年代から劇的に変化した。フランスはその中でもとくに激しく変わった。 私もなんどか記事を書いたが単発の記事では無理であった。 こうしている間でも日本ではセクトの被害者は着実に増えている。 さいわい乙骨さん押木さんのご尽力で場を得たので、これから、じっくりと腰を落ちつけてこの問題について述べてみたい。


338 ヨーロッパカルト事情-2 M 2004/03/29 16:20

第一章 二つのセクト問題 

1 フランスとアメリカの対立

ユーゴ空爆の後処理にパリを訪問したアメリカのマドレーヌ・オールブライト長官は、ベドリーヌ外相に対してフランスでの宗教の自由の侵害について注意をうながした。 いま「セクト」について、アメリカ政府とフランス政府は真っ向から対立している。(ドイツ・ベルギーもフランス側に立っている) これはフランス人とアメリカ人の気質のちがいではない。 フランス国内でも先に書いたようにアメリカ的見方をして、国民議会や政府、市民団体を激しく攻撃する人がいる。逆にアメリカ国内でもフランス的な運動を続けている人達もいる。 この対立の原因は、深いところで相異なる二つの「セクト問題」の存在にある。 

第一は「宗教かセクトか」という区分にもとづく宗教問題としての「セクト問題」である。 フランス・カトリック教会のセクト問題の権威であるジャン・ヴェルネット神父の『セクト』(クセジュ文庫)の見出しを借りれば「社会学的かつ神学的概念」である。 同書で、ヴェルネット神父は、 「西洋におけるすべてのセクトについての言説の難しさは、この用語が価値判断を表現していると受け取られることにある。それはたしかに神学用語に属している。あるグループを『セクトである』ということは、多くの人に価値低下する判断をさせる」という。 これに対して、社会学では「セクト」を「教会とセクトをその価値についての先入観なしに社会構造として」(同書)みている。「マックス・ウェーバーは、教会を救済の機関であり、セクトは契約的団体であると定義した。アーンスト・トロエルチはそれらを弁証法的に対立させる。セクトと教会は、キリスト教の萌芽のときからすでに存在した二つの対立した傾向を代表している、と彼はいう。(教会型の)保守主義と(セクト型の)急進主義である」(同書) この「セクト」は新宗教、新興宗教、少数派宗教などといいかえられる。 アメリカやS教会がいっているのはこの意味である。


339 ヨーロッパカルト事情-3 M 2004/03/29 16:23

第二の「セクト問題」は、さきのヴェルネット神父の本には紹介されていない。 宗教思想信条とはまったく関係なく、「人や社会にとって有害か否か」という区別にもとづくものである。 

フランスのセクト対策関係省庁本部は 「セクトとは全体主義的構造を持った結社で、宗教的目的を表明していたりいなかったりし、その態度行為は人権と社会的均衡を侵害する」と定義している。 

またベルギーの一九九八年六月二日法は、 「有害セクト的集団とは、哲学的または宗教的使命をもった、あるいはこのように主張する集団で、その組織や実践が不法活動や損害を与える活動を行い、個人や社会を害したり人の尊厳を傷つけるものである」という。 

この「セクト」は宗教に限定されないから新宗教などといいかえることはできない。 この第二の「セクト問題」は人権問題そのものである。対して、第一の「セクト問題」はある種のグループや個人の宗教活動が阻害されるという点においてのみ人権問題と関わる。 

逆に、宗教については、第二の「セクト問題」はたまたまあるグループが宗教団体(公認非公認を問わず)であるときに関わりが出てくるだけで、本質的には無関心無関係である。


340 ヨーロッパカルト事情-4 M 2004/03/29 16:26

このアメリカとフランスの認識の違いは、社会のほんの一部のある種のグループの問題に限定されるものではない。もっと根本的な人権認識と今日の世界への認識の相違に通じている。

 昨年九月の連続テロのあとアメリカでは大統領が「十字軍」と口を滑らせたように、ビンラデン、アルカイダとの戦いをキリスト教とイスラム教の文明の衝突とみる見方が根強くあるようだ。 

しかし、フランスでは、宗教と関係ないセクトと同質の問題として見られている。 その代表的な例として十月三日におこなわれた国民議会本会議の九月十一日テロとその対応についての各党党首演説での野党フランス連合のジスカールデスタン氏の発言を紹介しよう。

(要約議事録より)「テロリストの目的は政治的なものであって宗教的なものではない。自殺飛行機が狙ったのはマンハッタンとペンタゴンのアメリカの勢力の象徴的な場所であって、宗教的な場所や修道院ではない。彼らは宗教的なことをもちだしているが、それはセクトの方法で、彼らが集めた不幸な者たちに影響を与えあの世での褒美を約束するのに利用しているだけだ(各党から「いいぞいいぞ!」の声)。彼らはこうして殉教候補者を作っている。 しかし、彼らの文書は、アメリカの勢力とそれがイスラエル国に与えている保護と戦うと厳密に政治的な目的だけを表明している。 セクトが我々の宗教を代表していないように、テロリズムはイスラムを代表していない(全議席から喝采)。イスラムが文化、建築、芸術、科学にもたらした顕著な貢献を忘れてはならない。第一、我々が日常使っている数字からしてそうではないか!」 

反宗教的コミュニストのアジテーションではない。社会党のミッテランに負けて大統領の座を明け渡したアメリカ的自由経済主義の信奉者の言葉である。                      (第一回了)


341 NO、337-340 M 2004/03/29 16:37

何故私が「ヨーロッパカルト事情」を敢え記載したかといいますと、フランスにおける反カルト法案の真意を正確に理解する必要が有ると思ったからです。そして、アメリカとフランスの立場、考え方の違いを明確に理解しておく必要があります。

極言すれば、フランスの反カルト法案は、決して宗教の自由を侵すことを目的として成立されたものではなく、「人や社会にとって有害か否か」を尺度としていることに注目するべきです。ですから、まとうな教団であれば何ら恐れることは無い法律ということです。


(日記作者注 要約元アドレスは此処? http://www.forum21.jp/contents/serial1.html)


2004年11月16日(火) 新刊書『新宗教とアイデンティティ』

367 新刊書『新宗教とアイデンティティ』 2004/04/24 17:57


http://digi-glossolalia.txt-nifty.com/note/2004/03/post_10.html

杉山幸子著、『新宗教とアイデンティティ -- 回心と癒しの宗教社会心理学』新曜社(3675円・2004年2月)を読む。
本書は、宗教心理学の総説と、新宗教に関するフィールドワークの紹介である。
宗教心理学に関しては、本書の前半で、海外と国内に関してそれぞれ歴史が詳しく語られている。これを読むと、宗教心理学は、盛り上がったり、沈静化したりと、時代の移り変わりと要請によって紆余屈曲を経てきたことがよくわかる。たとえば、ペンテコステ運動のような、信者でない人から見れば心理的な要因が大きいと思えるものが盛んになると、その研究も盛んになるといった傾向である。また、本書を読んで、国内においては、シャーマニズムの精神医学的研究以外は、盛んでなかったこともわかった。
後半の著者自身のフィールドワークの紹介は、大きく2つに分けられる。 1つはいくつかあるMa光系の教団の一つであるSu教Ma光の信仰現場の描写と入信理由などの調査。もう1つは、モ○モン教の入信状況の調査だ。
わたしは、子どもの頃、超能力などの神秘的な力にとても興味があった。そんなわけで、当時、ときたまポストに投函されるSu教Ma光のチラシが非常に魅力的に見えた。そこには、3日間の研修を受けるだけで、手かざしの能力が習得できると書かれていたからだ。どちらかというと病弱だったので、病気が治るという期待もあったし、イエス・キリストのような手かざしの能力も得られるとすれば、願ったり適ったりだった。しかし、結局、隣町にあった研修所に行くことはなかった。もしも研修を受けていたら、どうなっていただろうという疑問に、本書は少なからぬ示唆を与えてくれた。
本書では、宗教研究によくあるように、手かざしの効果のいかんについては全く触れられてない。ただどのような営みが行われていて、どのように信念形成が行われるのかが考察されているだけである。人は、何かの信念(超能力を獲得したぞとか)を維持するには、確固たる証拠とか、あるいは信念を共有してくれる親しみの感じられる人たちが必要だ。あるいは、そういうものがあれば、信念が維持されてしまうとも言える。そう、だから、おそらく、もしも・・・。
なお、本書は、(研究の主旨に沿って)現役の信者に対する調査であり、当然、その結果もそれを反映した傾向となっている。新宗教の場合、やめる人というのも相当数存在し、それらの人々の場合、教団や信仰に対して全く異なったリアリティを持っていることだろう。そして、教団に対して批判するサイトを開いている人たちもいることを書き記しておこう。


2004年11月15日(月) フランスの反セクト法

374 フランスの反セクト法(1) 2004/05/02 16:59

中外日報2001年7月12日第1面・6面
<仏の『反セクト法』とその問題点>
甲南大学教授 小泉洋一
こいずみ・よういち氏=1957年、大阪市生まれ。大阪大学大学院法学研究科博士課程修了。博士(法学)。甲南大学法学部講師を経て、97年から現職。専門は憲法学。主な著書に『政教分離と宗教的自由』(1998,法律文化社)

◇成立まで足かけ四年、実際に解散させうる法律――原案はわずか四ヵ条だった
 フランスでは、矢継ぎ早にセクト対策が講じられてきたが、つい最近では反セクト法(日本では反カルト法と呼ばれることも多い)が制定された。最初の反セクト法であることから、この新しい法律はわが国のメディアの関心を引いた。
 それはいかなる法律であろうか。
◆反セクト法とは
 反セクトは、正式には、「人権および基本的自由を侵害するセクト的運動の防止および取締を強化する2001年6月12日の法律」(2001年法律504号)という。この法律は、議会上下両院での二年にわたる審議を経て成立した。審議の間に、法案は世論の注目を浴びるとともに、法案はかなりの修正を受けた。
 成立した法律につながる最初の法案は、上院議員二コラ・アブー(フランス民主同盟)により1998年に提出された。この法案は、四ヵ条からなり、セクト集団が犯しがちな犯罪で繰り返し有罪となった団体を簡易な行政手続で解散できるようにしたものであった。
 アブーは、その立法理由として、講じられたセクトヘの対策にもかかわらず、セクト団体を解散に追い込んだ例は皆無であったことから、それを実際に解散できる手続きを整備する必要があると説いていた。
◆上院で第一読会
 アブー法案は、99年になって上院(元老院)で審議・修正され、わずか三ヵ条になった。これが12月16日に可決された(上院第一読会)。
 次に上院案は、下院(国民議会)で、代議士カテリーヌ・ピカール(社会党)らの提案、さらに政府の提案で大幅に修正された。この段階で、行政手続による解散か司法手続での解散という常識的な修正が行なわれるだけでなく、後で述べる精神操作(「マインドコントロール」)罪規定、施設設置・宣伝禁止規定等が付け加わり、法案は十三ヵ条になった。
 下院は、修正した法案を2000年6月22日に可決した(下院第一読会)。
 こうして法案は上院に戻った。下院第一読会の段階で法案がフランス内外から注目されるようになったこともあって、アブーは、伝統的宗教教団を含め、さまざまな立場の者の意見を聴取するなどして慎重に検討した。この結果、上院は、司法手続による解散はそのままにして、後で見るように精神操作罪規定を無知・脆弱状態不当濫用罪規定に改め、施設設置・宣伝禁止規定の一部削除するなどした。これにより法案は成立した法律と同じ形となった。上院はこれを2001年5月3日に可決した(上院第一読会)。
 最後に、法案を再び受け取った下院は、後に触れるように、速やかに成立させることを優先させ、上院案を無修正で同月30日に可決した(下院第二読会)。


375 フランスの反セクト法(2) 2004/05/02 17:05

◇解散宣告権限は裁判所に――最終的には六章二十四ヵ条に(上院と下院で各二回の審議)
 こうした制定過程を経て成立に至った反セクト法は、六章二十四ヵ条からなる。
 その多くは刑法と刑事訴訟法の中にある条文の改正規定である。
 この法律の各章ごとにその骨子を見ると、次のとおりである
 一章は、セクト法人またはその幹部が刑法等に定める所定の犯罪で有罪となった場合、・司法裁判所が法人の解散を宣告できることを定める。
 二章は、一章に伴い、これまで法人の刑事責任が定められていなかった所定の犯罪について法人の刑事責任任を規定する。
 三章は、法人の解散にかかわる処罰規定(例えば、解散された法人を再結成しようとする者への処罰規定)の刑罰等を重くすることを定める。
 四章は、特定犯罪で繰り返し有罪となったセクト的運動の広告を制限する。
 五章は、後で述べる無知・脆弱状態不当濫用罪規定を設けたものである。
 六章は、セクトの関わる法人または自然人が犯したいくつかの犯罪について、被害者を支援する
公益法人が刑事私訴の当事者となることができるとする。
 これによってフランス最大の反セクト団体(アドフィー)が刑事私訴の原告となれるようになった。

◇激しい「宣伝禁止」の規定
◆反セクト法の主要規定
 以下の三ヵ条が重要である。
 第一は、次のようなセクト集団の解散規定である一条である。
 「法的形態または目的のいかんを問わず、活動に参加する者の心理的または身体的依存状態を作り出し、維持し、利用しようとする目的または効果を有する活動を続けるすべての法人は、以下に述べる犯罪のいずれかについての刑事上の確定した有罪が、法人そのもの、あるいは法人の法律上または事実上の幹部に対し、宣告されたときは、本条の定める手続に従い、解散が宣告されうる」
 そのような犯罪として、一条は、刑法に定める殺人、暴行、遺棄、自殺教唆、逮捕監禁、窃盗、詐欺、横領等とともに、他の法律で定める不法医療行為罪と虚偽広告罪を挙げる。
 なお、信者の「心理的または身体的依存状態を作り出し、維持し、利用しようとする目的または効果を有する活動を続ける」団体が、セクト的運動・集団と定義されている。
 第二は、三章にある19条である。
 これは次のようなセクト集団の宣伝禁止規定である。

 「法的形態または目的のいかんを問わず、活動に参加する者の心理的または身体的依存状態を作り出し、維持し、利用しようとする目的または効果を有する活動を続ける法人そのもの、またはその法律上または事実上の幹部が、繰り返し、以下に述べられた犯罪のいずれかについて、刑事上の確定した有罪が宣告され
たとき、方法のいかんを問わず、その法人を広める青年年向けのメッセージを配布することは、5万Frの罰金に処せられる」
◇ 以下は6面につづく◇


376 フランスの反セクト法(3) 2004/05/02 17:10

◇既存刑法改正の形――無知・脆弱者守るために
◇1面からのつづき◇
 第三は、無知・脆弱状態不当濫用罪を定める20条である。法文はこう規定する。
「未成年者、もしくは年齢、病気、身体障害、身体的欠陥、精神的欠陥、
―――――――――――――――――――――――――――――――――
または妊娠状態のため著しく脆弱な状態であることが明白な者
――――――――――――――――――――――――――――
または犯人にそれが認識される者、
もしくは重大または反復した圧力行為または判断を歪めうる技術の桔果、心理的または身体的依存状態にある者
に対して、重大な損害を与えうる作為または不作為を義務づけるために、
―――――――――――――――――――――――――――――――――

その者の撫知または脆弱状態を不当に濫用することは、
―――――――――――――――――――――――――
三年の拘禁刑および250万Frの罰金に処せらる。
 犯罪が、活動に参加する者の心理的または身体的依存態を作り出し、維持し、利用しようとする目的または効果を有する活動を続ける集団の事実上または法律上の幹部により犯されたときは、刑罰は、五年の拘禁刑および500万Frの罰金になる」(傍線は筆者が付した)。
 ところで、一項の傍線部は、新法制定前に刑法典の「詐欺及びその周辺の犯罪」の章に置かれた刑法典313-4条(弱者への準詐欺罪)と同じである。
 20条は、この既存の刑法規定に「マインドコントロール」に関する内容を付加して、刑法典の「人を危険にさらす罪」の章に新設した刑法典223-15-2条としたものである。
◇人権諮問委から聴取――上院は伝統教団からも
◆精神操作罪から無知・脆弱状態不当濫用罪へ
 精神操作非規定は、上院第一読会にはなく、下院第一読会で登場した。それは、「法人中の一人の者に対し、意思に反するか否かを問わず、その者の重大な損害を及ぼしうる作為または不作為に導くため、重大かつ反復した圧力を加え、またはその者の判断を歪めうる技術を使用すること」を三年の拘禁刑および30万Frの罰金に処す、との規定であった。これは「人の尊厳に対する侵害の罪」という犯罪類型の一つとして刑法典に挿入された。ピカールは、その立法理由として、現行法では「マインドコントロール」に充分には対処できないと主張した。
 下院案が精神操作罪等を設けたことは、フランスの伝統的宗教教団からの非難の的になった。司法大臣さえも、下院での可決の直後、その規定がヨーロッパ人権条約に違反しないかとの懸念を表明した。
 そこで大臣は、上院での審議に先だって、この点に関して全国人権諮問委員会の意見を求めた。これを受けて同委員会は、2000年9月21日に大要次のような意見を出した。
 法案は、セクト団体への所属それ自体を処罰するわけではないので、ヨーロッパ人権条約に違反しない。だが、現行刑法にすでに存在する「弱者への準詐欺罪」(刑法典313-4条=前述)を改正すれば足りるので、その創設は適切ではない(ミルス[セクト関係省庁対策本部]もこの意見に賛成)。
◆より安易に起訴
 こうした状況を前に、上院は「信仰の自由とセクト対策を調和させる」(上院法律委員会報告書[司法大臣も同旨のことを述べる])ことを基本姿勢とした。そこで、上院は、全商人権諮問委員会の意見に従うとともに、伝統的宗教教団の代表者等の意見も聴取して(この点は本紙2月6日付で紹介した)、精神操作罪規定を、先に見た法律20条のように修正した。この規定には、「重大または反復した圧力行為または判断を歪めうる技術」の点で下院第一読会案の要素を保持しながらも、「マインドコントロール」そのものを処罰するのでなく「マインドコントロール」の結果、人が無知または脆弱状態にあることに乗じて損害を与えることを犯罪とすることにした。法案を審議した上院法律委員会の報告書によれば、この規定の創設で「いくつかのセクト的運動をより容易に起訴しうるであろう」という。


377 フランスの反セクト法(4) 2004/05/02 17:15

◇「見極める能力」あるか――白熱の論議、両院それぞれ修正
◆消えた施設設置禁止規定
 下院第一読会はセクト集団の施設設置・宣伝を制限する次の三条項を付加する修正を行なった。
 すなわち、「1」法人または幹部が特定犯非で繰り返し有罪となったセクト団体が、病院・学校等の200メートル以内に施設を設置することを、市長等が禁止しうるとする規定、「2」行政庁は同様の団体への建設許可を拒否しうるとする規定、「3」同様の団体の宣伝を行なうメッセージを青年に配布することを犯罪とする規定、がそれである。これらの規定も批判を受けた。もっとも、「1」にはヒントとなる現行規定があった。それは、未成年者への販売禁止物品の販売・広告を主たる活動とする施設の設置を学校の100メートル以内で禁止した、1987年7月30日の法律99条である。
 以上のような施設設置・宣伝を制限する規定について、上院は前記「1」と「2」を削除し、「3」を小修正して存続させた(これが前記の一九条となった)。
 上院法律委員会の報告書によれば、次のような問題点が「1」(特定施設近辺での施設設置禁止)の削除理由である。
 市長にセクト集団を見極める能力があるか、またセクト集団の進出を知らなかったため、市長が何もしなかったとしたら、市長が非難されるおそれがあるのではないか、というのである。「2」(建設許可の拒否)の削除も、同様に、関係機関がセクト集団を見極める能力に疑問があるためとされた。
◆上院案を急ぎ可決
 下院第二読会のピカール執筆による法律委員会報告書は、上院で消えた二規定の削除を遺憾とし、この点の考察を継続することを求めた。
 だが、法案が綿密な審議の結果であるため、ピカールは法案の採択を求めた。その結果、上院案はそのまま急ぎ可決された。そのため、伝統的宗教教団が求めた教団からの意見聴取は下院では行なわれなかった。

◇「拡大解釈の余地」に不安も――弱者の保護か宗教的寛容か
◆反セクト法への懸念
 反セクト法は、精神操作罪規定を含んだ下院第一読会案よりずっと改善されたものである。というのは、セクト被害者の多くがいわゆる弱者であることを考慮し、新法が弱者保護という目的を明確にするとともに、犯罪行為の対象を限定したことにおいて、法律には信教の自由等の基本的自由への配慮があるからである。
 この点は、新法制定過程で、とくに精神操作罪規定に異議を唱えていたフランスプロテスタント連盟会長のジャン・アルノー・クレルモン牧師も認める。
 事実、クレルモン師も「最悪の状態が避けられたことは疑いない」、法律は「全体として受け入れられうる」と言明するほどである(ラクロワ6月11日)。
 しかし、クレルモン師は、反セクト法には決して満足しておらず、それに警戒する姿勢を変えない。その半減の中心は、やはり無知・脆弱状態不当濫用罪規定(20条)にある「損害」のあいまいさである。クレルモン師は次のように述べる。
「何を根拠として司法官は損害を判断するのか。支配的な雰囲気と流行に従い、教団に入ること、見栄えの良くない宗教集団のメンバーであること
が『損害を与えうる』と判断されるおそれはないか」(ラクロワ5月30日)。

(注 ○付き数字を「」付きに変更  機種依存文字のメートルをカタカナに変更)


378 フランスの反セクト法(5) 2004/05/02 17:17

◆安易な類似立法は危険
 このように無知・脆弱状態不当濫用罪規定があいまいで将来拡大解釈されるのではないか、という懸念はカトリック教会でも見られる。カトリック教会が、この規定が修道士の禁欲・服従等に適用されることをおそれるのは、それを示す。
 こうした懸念を杞憂だと笑ってすませるわけにはいかない。無知・脆弱状態不当濫用罪規定にいう「損害」には、限定がないからである。
 無知・脆弱状態不当濫用罪規定の元になった刑法典313-4条の準詐欺罪における「損害」は財産上の損害に限られたが、「人を危険にさらす罪」の章に置かれた無知・脆弱状態不当濫用罪における「損害」は、財産上の損害に限られないのである。
 したがって、注視する必要があるのは、反セクト法が今後どう適用されるかである。
 ただ現時点で確実に言えることは、社会における宗教の尊重、とくに多数者からしばしば風変わりと見える新しい宗教への寛容が、反セクト法の恣意的な解釈・適用を避ける前提条件となるということである。
 それがなければ、新法が企図する弱者保護は、人類に精神的な豊かさをもたらす宗教を抑圧するという高すぎる代償を払うことになりかねない。その意味で、宗教を弾圧することに躊躇しない国が、反セクト法類似の立法をするのは、この上もなく危険であろう。

[Net解説]
 この論文の特長は、無宗教大学の法学者という、宗教上中立な立場の人物により執筆された点にある。
◆『無知・脆弱状態不当濫用罪』の定義
(1)未成年者、もしくは年齢、病気、身体障害、身体的欠陥、精神的欠陥、または妊娠状態のため著しく脆弱な状態であることが明白な者または犯人にそれが認識される者、
(2)重大または反復した圧力行為または判断を歪めうる技術の桔果、心理的または身体的依存状態にある者
(1),(2)に対して、重大な損害を与えうる作為または不作為を義務づけるために、その者の撫知または脆弱状態を不当に濫用することは、三年の拘禁刑および250万Frの罰金に処せらる。
 犯罪が、活動に参加する者の心理的または身体的依存態を作り出し、維持し、利用しようとする目的または効果を有する活動を続ける集団の事実上または法律上の幹部により犯されたときは、刑罰は、五年の拘禁刑および500万Frの罰金になる。
  ◇
 親が子供の病気に対し輸血拒否をすると、未成年の子供は判断力がないわけだから、『無知・脆弱状態不当濫用罪』が適用されうる。合同結婚式は、判断力のある成年者が納得してやっていれば問題はない。日本の民法上も、成人者本人の合意があれば親の許可なく結婚できる。


379 フランスの反セクト法(6) 2004/05/03 07:28

 反セクト法は厳格な刑事罰を課す刑法で、適用には厳密なルールがある。たとえ刑事責任が問われなくても、民事上の責任は存在しうる。



2004年11月14日(日) 『天杖神示』の真相

408 『天杖神示』の真相(1):記紀の記載(i) 2004/08/01 10:06

『神向き讃詞解説』(Su教Ma光発行)より

 …だから当時、神道界の方々が、私のことを疑ったのも 無理ないと思います。そこでお名前はさけますけれども、 神道界から数名の方がみえられ、
「岡田さんのみ魂を、神伺いしてもよろしいか」とおっしゃる。 この神伺いというのは、神代から内密に伝わっていて、それは天杖といい、古事記や日本書記にはたくさん出てまいります。 これが、後世支那に伝わったのが紅卍会等で行っているフウチになるわけですが、日本では秘伝の秘密の行になっていたのです。」
「このように、日本の国家神道を守ってきた大御所の方々の前で、 「ヨがいつきなり」と出たわけです。

〔解説〕私はこの文を読んで、『古事記・日本書紀』のはたしてどこに『天杖』なるものの記載があるのだろうかと思った。國學院大學で神道考古学を学んだ人物なら即座に回答可能だが、私にはそのような学識は無い。そこで自分で調べてみた。まず『古事記』を通読してみたが、『天杖』に関する記載は全く無い。『日本書紀』はあまりに長文で一気に読めないため、解説書を調べてみた。文献[1]-[4]のいずれにも『天杖』は掲載されていなかった。関連する語句を引用してみる。

[1] 古事記日本書記総覧
上田正昭(他)著(1990) 新人物往来社
岐阜県内所蔵公立図書館:関市立、岐阜市立、県立、大垣市立
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN05642714
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN05683631
P119杖(じょう)
 中国風の刑罰の一つ。杖と呼ばれる太いムチで打つ刑罰で、苔(ち)の次に軽い刑。天武十一年には刑法を定める詔が出ているが、杖の刑は百を最高として、罪によって打つ数を定めよとされている(天武紀十一年十一月乙巳条)。天武十三年にも杖に相当する者は打つという詔が出ていることからみて、天武朝では、杖の刑がしきりに行われたことが推測できる。
[2]日本国語大辞典 小学館
つえ【杖・発・丈】【名】
「1」竹や木などで作り、手に持ち地面について、歩行のたすけとする棒。じょう。
 *古事記(712)中「爾に其の御杖(つゑ)を、新羅の国主の門に衝き立てて」
「2」たよりとするもの。補佐するもの。
 *書紀(720)垂仁二五年三月(熱田本訓)「一に云はく、天皇倭姫命を以て御杖(みツヘ)と為て」
「6」長さや面群を表わす単位。「イ」古代の長さの単位で後世の一丈(約三)に近い長さ。
 *書紀(720)景行二年三月(北野本訓)「日本武尊(やまとたけ)と曰(まう)す(略)壮(おとこさかり)に及んで容貌(みかを)魁偉(すぐ)れたまえり身長(みのたかさ)一丈(ひとツエ)、力(みちから)能(よ)
く鼎(かなえ)を扛(あ)げたまふ」

(注 ○付き数字、○付き文字を「」付きに変更)


409 『天杖神示』の真相(2):記紀の記載(ii) 2004/08/01 10:07

[3] 神道事典
國學院大學日本文化研究所編集 弘文堂(1994) P350-351 
◆審神者(さにわ)
「さにわ」は清場(さやにわ)の約で、本来、神を祭り託宣を承るために忌み清めた場所「沙庭」を指す言葉とするのが通説である。その斎場の意味から転じて、沙庭において神託を掌る「さにわびと」、つまり神祭を掌り神意を判断する老、また斎場にあって琴を弾く者の意となった。『古事記』仲哀天皇の段に、天皇が御琴を弾き武内宿禰が沙庭で神の命を請うたとある。『日本書紀』神功皇后摂政前紀には、皇后が神主となり武内宿禰に命じて琴を撫かせ中臣烏賊津使主(なかとみのいかつおみ)を喚して審神者としたことが載る。転じて神楽で和琴を弾く人も「さにわ」と呼ばれた。
 『政事要略』賀茂臨時祭条に「神は散簸(さんわ)と審神を以て本文となすべし(略)但し今弾琴(ことひき)之者を以て佐爾波と云、偏に以て神遊に供奉す」とみえ、本来は神託を解釈して伝える者であったさにわが、今は琴弾きの者を指すようになったとする。また本居宣長の 『古事記伝』 にも「此の審神者は、サニワビトと訓(よむ)べきなれども、其意にて、其人をただに佐爾波と云うも違はず、釈に、公望私記曰、云々、今代号撫琴人為沙庭(今の代に撫琴人(ことひきのひと)を号(なず)けて沙庭となす)と云るは、そのころも、此称の遣れりしなるべし」と同様に捉え、古くからさにわの名称が琴弾者の称として残されていたと解した。大本系の教団などでは、人についた神や、その言を判断する者を指す。 (中嶋宏子)

[4] 神道大辞典
 紀元二千六百年を記念して平凡社より刊行され、戦後に臨川書店より復刻版が発行された、神道学の名著である。『御教示選集1』において光玉氏は同書よりの引用を出し、『サカキ』を批判している。内容は概ね[3]と同一である。
岐阜県内所蔵公立図書館:県立、岐阜市立、多治見市立、関市立、瑞浪市立、池田町立

[5] 神道史大辞典 薗田稔編 吉川弘文館2004.7初版
 最近出版された辞典だが、これも内容は概ね[3]と同一。

 結局、『天杖』に関する記載は全くみられなかった。“古事記や日本書記にはたくさん出てまいります”というのは事実無根であった。これは記紀を冒涜するものであり、神道考古学や博物館学に反する内容である。“日本の国家神道を守ってきた大御所の方々”が認めるはずはないといえる。捏造記事とみてほぼ間違いないだろう。


410 『天杖神示』の真相(3):フーチとは(i) 2004/08/01 10:09

 次に、『フーチ』に関する文献を調べてみた。
[6] 古神道の本――甦る太古神と秘教霊学の全貌(1994) 学研
P62
『岡本天明』――神霊予言書『日月神示』を記録した画家
 昭和10年の第二次大本事件後、大本教を離脱し、東京の代々木八幡でひっそりと暮らしていた岡本天明に「ひつくの神」の啓示が下るのは、太平洋戦争も敗色濃厚となった昭和19年のことであった。
 そのころ天明は、神代史フリークの高井是空と知り合い、同志数十名とともに「修史協翼会」なる団体を結成していた。この団体の実態は不明であるが、政府の新たな国史編纂の動きに対応して、偽書とされた古文献の復権と再評価を目的としたものだという。
 昭和19年4月18日、このグループで、神代史の不明部分について啓示を得るために、天明を審神者(さにわ)役にフーチの実験が行われたとき、「ひつくし「天之日月神」という言葉が執拗に現れたのである。
 フーチとは、砂を敷いた盤上にT字型の木をわたしてその両端を2人の人間がもち、感応状態のままに砂上に文字を書くという中国道教の土俗的な神憑り法で、道院紅卍字会と深い関係にあった大本教団では、よく知られた神占術だった。

[7]道教事典 平河出版社1994
岐阜県内所蔵公立図書館:岐阜市立、可児市立
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BN10616269
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA3114959X
【扶乩】フーチー fu-ji
童乩が口頭で託宣するのに対し、筆記具(乩筆、柳乩)を用いて、文字による神仙の乩示を得るト占の方法。扶鸞、飛鸞または扶箕ともいう。文献には、木架・弓・箕などに木筆を吊した筆記具のことがみられ、この器具に手をそえた術士に神仙が憑くと自動的に動きだし、砂または灰上に文字を書くので、それを読んだのである。こうした垂直式の筆記具は今日みられない。
今日の乩筆は数種類あるが、すべて水平にして使用するものである。一般には、校状の枝の基部を籠首もしくは鸞首の形につくり、その底に短い木筆をつけたものを用いる。校状に開いた先端が柄となる。材は枕木ないし楊柳である。術士(鸞手)が1人もしくは2人で乩筆を保持し、精神を統一させると、乩筆が激しく動きだし、時折、砂盤ないし卓上に字形を書く。一字をなすごとに唱鸞が読みあげ、それを録鸞が記録する。こうして成った詩文を乩文ともいい、神仙の乩示であるとするのである。棒占術rhabdmamcy の要素を感じさせるが、乩筆が文字を書きだすのは、いわゆる自動現象 automatism によるものとされる。別に、鸞手を童乩と同じよりましと考え、扶乩をもシヤーマニズムに包括させる研究者もいる。乩筆に憑ってくるのは神仙だけでなく、歴史上もしくは伝説上の人物、近親の死者など多様である。
扶乩の起源は、六朝時代に、紫姑神を人形に憑依させて占ったり、女仙が一方的に女性に憑依しで毛筆で直接文字を書いたことに始まるとされる。宋代以降には、扶乩に関する記録がある程度残っており、扶乩により随時、能動的に乩示を得ることができるよう工夫を重ねていった経過を跡づけできる。読書人の詩作・作文、科挙試題の予想、合否占い、官職昇進の予知、迷宮に入った事件の解決、紛失物の発見などにも利用されたが、扶乩の本筋は神仙の乩示を得ることにあった。特に明末清初に流行した善書の作成と関連して扶乩が大いに行われ、その乩示が善事の一部にとりこまれた。また近現代になってからも、新宗教で、一貫道・悟善社・道院・徳教などのように、扶乩と深く係わり合ったものが少なくない。なお台湾では扶乩を文乩・文壇といい、童乩の武乩・武壇に対比させている


411 『天杖神示』の真相(4):フーチとは (ii) 2004/08/01 10:11

【道院】どういんDao-yuan
中華民国初期に結成された宗教結社。山東省浜県の知事呉福林が信仰していた大仙祠をもとに、江蘇省准安の杜黙靖(本名は兼寅)が、1920年(民国9)2月9日、山東省済南市に信徒をあつめて開山。『太乙北極真経』と称する、こっくりさんのごときもので吉凶是非を示した乩示(お筆先の神示)集を、その教義の根本経典とみなす。「道院院網」第一条には、至聖先天老祖を最高神として、<キリスト教、回教、儒教、仏教、道教五教の教主および世界歴代神聖賢仏を崇拝し……五教の真諦を貫徹して大道を明らかにするを宗旨となす>という。
民衆の災難解消、世界の救済をめざして、一種の社会事業団体である世界紅卍字会・道徳社・宗教研究会・霊学研究会を租繊するとともに、平民学校・貧民工作所・病院・残廃院など、質しい民衆や身体障害者のための慈善活動を行った。
1923年2月、杜黙靖の死後、前年まで大総統の職にあった徐世昌の弟の徐素一(本名は世光)が指導者に就任。30年代初期には中国全土に200余の道院と300万の信者を有し、シンガポール・マレー半島・ベルリン・パリのほか、日本では大本教と関係をもち神戸と東京にその支部をもうけた。なお中華人民共和国成立後、邪教として弾庄をうけ、中国大陸での活動は消滅したという。  (河田悌一)
[参考文献]一末光高義『支那の秘密結社と慈善結社』(満州評論社)、李世輪『現在華北秘密宗教』(古亨書屋版)。
●――Dao Academy Sect


412 『天杖神示』の真相(5):フーチとは (iii) 2004/08/01 10:13

[8] 中国のこっくりさん――扶鸞信仰と華人社会(2003) 大修館書店 志賀市子 著
岐阜県内所蔵公立図書館:県立、大垣市立、多治見市立
http://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=BA64583398

■「はじめに」より
 「中国のこっくりさん」――すなわち「扶鸞(ふらん)」は、筆を上から吊したり、木の棒を手で支えたりして、砂や線香の灰を敷いた盤の上に漢字や記号などを描き出す。これを読み取って解釈し、神霊からのメッセージとする。
 「扶鸞」は、日本の「こっくりさん」と原理は同じだが、だからといって「なんだ、たかがこっくりさんじゃないか」と侮ってはいけない。扶鸞は日本の「こっくりさん」とは比べ物にならないほど長い歴史を持ち、分布地域や担い手という点から言っても、中国社会に多大な影響力を及ぼしてきたからである。
 たとえば明清時代、扶鸞は身近な占いの手段であり、自宅や廟、宗教結社のみならず、時には役所や書院のような公的な場所においてさえ気軽に行われた。また扶鸞は占いとしてだけでなく、扶鸞を介して降りたおびただしい神仙の教えが、「善書」という形をとって広範な地域と階層に流布することによって、大衆的な宗教倫理観念の確立に大きな役割を果たした。建前上は民衆を騙す迷信の類と見なされることもあったが、実際には民衆を啓蒙する側の知識人が、熱狂的と言ってもいいほどにのめりこんだのである。
 さらに太平天国の乱や西洋近代文明の急激な流入によって社会秩序や価値観が大きく変動した十九世紀後半――偶然にも、ヨーロッパやアメリカにおいて近代心霊主義運動が起こったのとほぼ同時期、扶鸞はかつてないほどの熱狂的なブームとなり、中国各地に扶鸞結社の設立運動が沸き起こった。この運動はやがて「道院紅卍字会」や「一貫道」などの新興宗教結社を生み出した近代の宗教的潮流へと流れ込んでいく。民国期、近代合理主義の洗礼を受けた知識人の中にさえ、たとえば『天演論』を著し、中国に進化論を紹介した厳復のように、扶鸞を否定するどころか、むしろその神秘性に強く惹かれていった人々は決して少なくなかった。
 そして現代、香港、台湾、東南アジアなど各地の華人社会では、宗教結社などにおいても今もなお扶鸞が行われ、夜ごとに降りる神々のメッセージに癒され、生きる力を与えられる人がいる。いったい扶鸞の何が、中国の人々をこれまでに惹き付けるのだろうか。私は、これまで行ってきた中国本土や香港、台湾などでのフィールドワークを通して、ずっとこの疑問を抱き続けてきた。本書では、人々の日常の営みと彼らの祖先がたどってきた道のりを振り返りながら、改めてこの疑問について考えてみたい。

P108-109
◇紫姑神――扶鸞信仰の源流
扶驚信仰の源流は、五世紀頃にはすでに江南一帯に広がっていた紫姑神<しこしん>(または子姑神)を迎える風習に溯るとされている。紫姑神について記した最も古い記録とされる六朝の志怪小説集『異苑(いえん)』によれば、人々は正月十五日になると、厠や豚小屋で人形をまつる。人形が大きく動けば吉、仰向けになったまま動かなければ凶と判断し、この人形の動きで養蚕の出来具合など諸事を占うとある。当時の言い伝えによれば、紫姑神は生前子音という男の妾で、正妻の曹姑の嫉妬を買って汚れ仕事ばかり言いつけられ、あまりのつらさに、ついには正月十五日に自殺して果てたという。
 紫姑神を迎える方法は、六朝の記録では、人形の動きによって吉凶を占う単純なものであったが、宋代の文献には、箕や箒、箸、筆などの道具を用いて文字を書いたという記載がちらほら現れる。北宋の詩人蘇東坡<そとうば>(蘇軾<そしょく>、1036-1101)は『東披集』巻十三の中で、黄州(湖北省)に移り住んだ郭氏の家では、草木に衣をまとわせ箸を持たせたものを女性に見立て、二人の子供に担がせて女仙を招いたと記している。女仙は何媚(かぴ)と名乗り、唐代の地方長官の妾となったが、正妻の妬みに遭い厠で殺されたと、自らの来歴を箸を用いて記した。また江准地方(長江・准河<わいが>流域)でも正月になると箕や帯に衣服をまとわせて子姑神を招くが、時には字を書くこともあった、という。
 南宋の洪邁撰『夷堅志』巻四十二には、「(紫姑仙とは)世間ではただ箕に筆を挿し、二人でこれを支え、沙(すな)に字を書く」とあり、現代香港の金蘭観という扶鸞結社で行われている扶鸞とほぽ同じやりかたが、当時も行われていたことがわかる。


413 『天杖神示』の真相(6):フーチとは (iv) 2004/08/01 10:15

P169-172
2 民国期の新宗教運動
 清末の扶鸞結社運動は、民国期に至り、新たな宗教的潮流を生み出した。伝統的な扶乩壇や善堂には見られなかった組織力と政治力を備えた新興の宗教教団が、次々と勃興していったのである。ここでは、酒井忠夫氏の研究(「近・現代中国における宗教結社の研究」)や吉岡義豊氏の研究(『現代中国の諸宗教」)をはじめとする先学の研究を参照しながら、代表的な教団を三つ紹介したい。

◇ 道院(紅卍学会)
 松本清張の遺作となった小説『神々の乱心』の中に、殺人事件の鍵を握る新興宗「月辰会」の教祖となる人物が、満州で「道院」と呼ばれる宗教結社を訪ね、そこで日本人の若き未亡人と出会うシーンがあるのをご存知だろうか。ここに出てくる「道院」とは、実在の宗教教団である。道院は、「道院紅卍字会」とも呼ばれ、民国期に勃興した新興の宗教教団の中でも、とりわけ大きな勢力を誇った。
 道院の発祥は山東省濱県に溯る。濱県の県公署には尚真人(しょうしんじん)という神を祀る大仙詞があったが、一九一六年頃から、県長、駐防営長、県公署の役人がこの祭祠堂に乩壇を設け、県政に関する公事から家庭の私事に至るまで、神託を請うようになった。一九一八年以降、中核メンバーのうち、二人が同省の済南に転任したため、済南の自宅に壇を設けて扶鸞を行うようになった。この頃から訪れる信者が増え始め、一九二一年には、新しい場所を借りて改めて壇を開設した。これが済南道院の始まりである。それまで限られた人々の集まりであった結社を公開し、一般の人々が入道する道を開いたことによって、入道者は急激に増加した。支部である各地方道院の設立は、発祥の地である山東省から始まり、北京、天津などの直隷省、江蘇省を含む長江流域、東北各省へと達し、一九二八年までには十九の省に二百か所以上の道院が開設されるに至った。一九二四年には関東大震災での救援事業をきっかけとして神戸道院が開設され、その後は台湾、香港、シンガポールにも支部が置かれた。日本での道院開設を手助けしたのは、出口王仁三郎を教主とする「大本教」であった。
 道院の宗旨は、主なものとしては、「1」災劫を生み出す人心を救うことによって劫を化し、世を救う「化劫救世」説 「2」孔子、老子、仏陀、キリスト、マホメットの五教教主を祀り、その上位に最高神「至聖先天老祖」を置く五教合一、「3」静座して自己を修める内修と、慈善を行って他者を救う外修の兼修による修養法、の三つが挙げられる。儒仏道の三教にキリスト教やイスラム教を含めた五つの世界宗教の大同団結を強調したところに新しさはあるものの、道院の宗旨は、基本的には前近代の中国民間宗教結社の伝統を継承するものであった。
◆現在の香港紅卍字会
 道院の運営は、すべて扶鸞を介した神々からの託宣に委ねられていた。『神々の乱心』の中では、謎めいた未亡人が乩手となり、妖しい雰囲気の中で扶鸞儀礼が行われるのだが、これはもちろんフィクションである。実際の道院における扶鸞儀礼は、「纂方」と呼ばれる二人の乩手によって支えられた丁字型の乩筆が、沙盤に記していく文字を「宣方(せんぼう)」が読み上げ、「録方(ろくほう)」が記録する。「正纂(せいさん)」すなわち正乩手は、教団内で六か月ほどの訓練を受けた特定の信徒が務める。
一九二二年、道院は赤十字社(中国語では「紅十字会」)に倣い、各種の慈善事業を任務とする「紅卍字会」を設立した。紅卍字会の設立にあたっては、上海各界の名士や国民党政府の大物に支持をとりつけたと言われる。紅卍字会の事業は、医院や学校、貧民工作所、育嬰堂(孤児院)、残廃院(身障者養護施設)などの施設の運営のほか、施粥、施棺、施薬、冬賑(冬季の貧民救済事業)などの事業を定期的に行っていた。さらに臨時の援助事業として、自然災害や日中戦争の被災者、傷病兵の救護、援助物資の手配、遺体の回収、埋葬といった事業にも力を尽くした。

〔解説〕本書では、「フーチ」の事を「扶鸞」と称している。

(注 ○付き数字を「」付きに変更)


2004年11月13日(土) 便乗させて頂きます。

415 便乗させて頂きます。 b 2004/08/02 22:44

"この神伺いというのは、神代から内密に伝わっていて、それは天杖といい、
古事記や日本書記にはたくさん出てまいります。 これが、後世支那に伝わっ
たのが紅卍会等で行っているフウチになるわけですが、日本では秘伝の秘密
の行になっていたのです。"

記載の在る無しを問えば「無い」訳ですが、此の文自体がそもそも不可解な
内容ですね。

顕・密で言うならば記紀に記載される事柄は顕であり。
対して密とは口伝、秘伝などでしょう。
ですから、「神代から内密に伝わって」居たならば、誰しもが見て確認できる
「古事記や日本書記にはたくさん出て」くる筈はありません。
「日本では秘伝の秘密の行になっていたの」であれば宮中で講演講義の対象
になるような露顕書には残さないと思われます。


何故、斯様な数行の文章間で相互矛盾した発言が可能なものか?非常に気に
なる所です。

私は此の文の前後の流れが判りませんから、勿論断定は出来ないわけですが
、部分的に見て解釈するに、『誇張』を目的に方々より聞き齧った情報を何
ら吟味・確認することなく只書き並べたような印象を持ちます


2004年11月12日(金) 1996仏議会とセクト(1)-(5)

456 1996仏議会とセクト(1) 2004/10/08 21:47

『諸君』1996年5月号P146-154
『仏議会が認めた創○学会の危険性』――民主主義を逆手にとるカルト集団に対しては暴力団、麻薬取締り同様の強硬手段を講じろ
  □
広岡裕児(ひろおか・ゆうじ)ジャーナリスト
1954年神奈川県生まれ。大阪外語大フランス語学科卒後、パリ第三大学に学ぶ。76年よりパリ在住。新宗教、経済問題から映像文化に至る幅広い分野で執筆を行う。
  □
 「魔女狩りを行おうとしたり『新宗教』と呼ばれているものを原則として断罪しようという考え方などとんでもない! だれでも自分が良いと思うことを信じるのは自由である。ただし、その隣人を害さないという唯一の条件のもとに。
我々の注意を引いたのはグループの儀式行事ではない、他人の自由と法律を尊重しないことなのだ」――。
 2月8日、日本の衆識院にあたるフランス国民議会で「セクト理象の研究と必要な場合には現行法令の改正の提案案をする」調査委員会の委員長ジュスト議員は、報告書説明の冒頭にあたってこう断言した。この報告書とは、与野党あわせて30名の議員からなる同委員会が6か月間の調査、審議の末120ページあまりにまとめた『フランスのセクト』である。
 セクト(本来オ○ム事件以来御馴染みになった「カルト」と同じくある教団の一派、異端、邪教といった意味だったが、現在ではマインド・コントロールをする危険な集団全体を指す)現象に対してフランスでは、日本よりもはるかに毅然とした態度をとっている。
「ヨーロッパには宗教の伝統があるから」とか「キリスト教という基準があるから」という声が聞こえてきそうだが、現実はまったく逆である。セクト問題は教義や儀式行事などの宗教上の問題ではないと認識しているからなのである。<信徒が少数である事、風変わりである事等を、セクトと位置付ける基準には入れなかった。現在ある大宗教の多くも、その発足当時にはしばしば会員の少ないセクトにすぎなかったし、現在では社会で公認されている儀式も、その当時では反対されたり、留保されたりしたものだ>と同委員会の報告書はいう。
 日本では宗教法人法改正をめぐって、参考人として国会に招致された宗教団体の代表や学者の一部は、宗教団体の活動に政府が枠をはめることになるとして反対意見を述べた。しかし戦後GHQ主導で制定された現行の宗教法人法はもともと教義や儀式行事に規制を加える目的のものではないのだから、会計の透明化や政治との関わりといった「俗世間」との関係を見直すのが限度だ。今後第二次改正案が実行されたとしても、憲法に規定された信教の自由とのかねあいから、反社会的な破壊活動を密かに準備している団体があったとしても、予防的対策は取れないのが実情だろう。オ○ムは犯罪が明るみに出たからこそ破防法の適用が可能になったが、事前の段階では、修行だとかお布施などといっているので、これを取り締まろうとすると、形の上では、教義や儀式行事への弾圧、になってしまい、民主国家なればこそ強い対策は取れないのである。
 今日セクトが、社会学者や宗教学者に自分達が宗教団体であると証明させようとするのは民主主義の大原則を隠れ蓑にするためである。報告書がいうように信教の自由、個人の尊重をふりかざしながら、<セクトは現社会の進歩が多くの現代人を陥れた混乱に付け込み、あたかも現代人が求めている答をもたらしたかのような幻想を与える魅力のある見せ掛けの精神性を謳った言説で現代人を凌辱し、繁栄を謳歌している>のである。


457 1996仏議会とセクト(2) 2004/10/08 21:48

■ 宗教の皮をかぶった有害団体
 今回の報告書はこうした、ジレンマに出口を与えたといえよう。実は、このような国会報告書が出たのは、今回が初めてではなく、11年前にヴィヴィァン議員を中心とした報告書が出ている。だが、ちょうど、オ○ム事件前の日本のようなもので、統一教会などの事件は起こっていたもののまだ社会全体の危機感は薄かったため、全面的なコンセンサスを得るには至らなかった。
 しかし、93年にアメリカのテキサス州ウェイコで集団自殺したブランチ・ダビディアンの事件、94年にスイスと力ナダで同じく集団自殺を遂げた太陽寺院の事件、そして95年のオ○ム真理教事件と立続けにセクトがマスコミを賑わした。とくにオ○ム真理教事件は決定的だった。どんなテロリストも実行したことのない無差別ガス攻撃がセクトによって敢行されたのだから。信者達個人の枠を越えてセクトの危険性は、祉会全体を脅かすようになったのである。
 日本では宗教法人法改正を焦点とする参議院選挙たけなわだった昨年6月29日、国民議会は調査委員会の設置を満場一致で採択した。そして12月22日、172の団体を実名でリストアップした報告書が提出された。アルプスの麓で太陽寺院信者16人の死体が発見されたのはその翌日のことである。冒頭の発言のあった2月8日の本会議報告討論では、力トリックシンパから共産党まで全党が報告書に賛同演説、政府も善処を約束した。
 今同の報告書は、党派を越えたフランス政府のセク卜問題に取り組む姿勢の公式見解といっても良い。そのセクトに対する定義は極めて明確である。調査中に聴聞した人物の証言という形を借りて、次のように述べる。
 <『精神的な不安定化を狙った操作により、会員から無条件の忠誠、批判精神の低下、一般杜会の価値観(習慣的、科学的、市民的、教育的)との断絶を得ようとする集団であり、個人の自由、健康、教育、民主制度にとって危険をもたらす。この集団は、哲理や宗教の仮面を被り、その裏に権カ、支配力、信者の利用という目的を隠している』>(太字原文のまま)
 セクト問題とは宗教団体に関する問題ではなくて、宗教の皮をかぶった有害団体の一問題であることが見事に喝破されている。

■ 犯罪的マインド・コントロール
 実は、これまでフランスにおけるセクトについての対策は市民団体が担ってきた。1970年代に入って、統一教会やサイエントロジー、神の子供達(現・愛の家族)などに対して訴訟が続き、入信者の家族を中心に・宗教色のないCCMM<マインド・コントロール対策資料教育活動センター>やADFI(家族と個人を守る会)などの被害者を守る会が設立された。
 会のメンバーは無神論者から神父・修道女に至るまで幅広く、「キリスト教も魔女狩りなどセクト的行為をした」と公言し、また現在のロシアのようなロシア正教以外は邪教というような不寛容な立場とも一線を画している。
 彼らはセクトは宗教問題ではないという主張を根気強く続けた。
 これらの団体は、セクトと判断するのに被害の事実から出発する。つまり、家族など関係者から事件や心配事が通報され、確認され、問題グループの対応と実績を見てはじめてセクトと判定するのである。


458 1996仏議会とセクト(3) 2004/10/08 21:49

 判断材料として、教義は一切考慮しない。それこそイワシの頭を信じようが、UFOを信じようが、被害さえ及ぼさなければ良いのである。また、組織の大小も関係ない。その観点から出発して、セクトが起こす現象を深く調べてみると、すべてが1つの点に集約されることがわかった。マインド・コントロールである。
 なお、マインド・コントロールという言葉は一般に曖昧に使用されており、それを逆手にとって、「会杜や学校にだってマインド・コントロールはある」といった言い方でセクトの正当化やセクト対策への批判に使われたりするが、本来は、洗脳と同じく明らかな精神的障害を生む現象のことをいう。恐怖感にさいなまれるとか、教祖にいわれるがままにお布施するとか、突然共同体に入って家庭や職場との連絡も取らない等は、いわば病気の症状のようなものである。そして戦後、精神医学の発達で、洗脳、マインド・コントロールという科学的事実が発見されたが、それがこれらの症状の源であるとわかったのである。同時に、マインド・コントロールをやめないグループというものの性質もはっきりと見えてきた。これを「セクト」と呼んだのである。
 いわば、暴力団の定義と同じ考え方であるといえよう。まず不法行為ありきで、あるグループが集団的または常習的に暴力的不法行為等を行う潜在的可能性があるから暴力団というのであって、仁侠映画にかぶれてヤクザやチンピラを賛美してやまないグループだからといって暴力団だと認定するわけではない。またあるグループが激昂のあまり暴力を振るったとしてもその後反省して暴力をやめれば、それは暴力団ではない。
 当然の帰結として、セクトの定義には宗教を標榜しているかどうかすら関係ない。精神分析や催眠術、自然医学、マルチ商法、自已啓発講座など非宗教、反宗教であってもセクトといえる。
 今日、この考え方は西欧諸国のセクト認識の主流となりつつあり、英語でも「カルトは宗教を口実とするセクトである」という用法が一般化してきている(本稿でもこの意味で使用している)。
 とはいえ、市艮団体がいくらセクトに警鐘を鳴らそうとしても、そこには自ずから限界がある。今回の報告書はようやく政府が本腰を入れたものと歓迎された。なによりもまず、市民団体の考えを受けてセクト判断の明確な基準を示したことは、今後の取り組みの上でも大きな意義を持つだろう。

■ 社会を蝕む「病原菌」
 委員会はセクト判断の具体的基準として、内務省情報局の基準を採用した。内務省情報局は、日本でいえば警察の公安担当で、中にセクトを専門に担当する部署がある。この部署もセクト問題と宗教を分離する認識に立っており、組織的にも宗教団体を管轄する宗務部とは全く別である。
 以下がセクトかどうかを判断する10の基準である。
「1」精神の不安定化
 <説得や怪しげな操作、そのほか具体的な手段でもって支配下にいれるために人を動揺させるという事実>で<適用された人々の心理現象に、例えば絶望や呪い、分裂病的症状、あるいは極度の依存状態など重大な結果を及ぼすこともありうる>
「2」法外な金銭的要求
 <自由意志による献金というのもたいていあてにならない。セクトに対する寄付者に従属性が余りに強いので、自由裁量ということの普遍性に疑問を持たざるを得ない>
「3」住みなれた生活環境からの断絶
 マインド・コントロールによって精神的従属状態に置かれ通常の生活環境から切り離されてしまうことをいう。オ○ムの「出家」のような状態は勿論だが、表面的には普通の家庭的、社会的生活を送っていても、「信仰」に疑問をなげかけたり、信者の批判的精神を目覚めさせたりして脱会させてしまう可能性のある人物を悪魔だと思いこまされて、接触を避けている状態なども含まれる。
「4」肉体的損傷
 劣悪な待遇、打撃と傷害、監禁、危険な状態にいる人の無救護や不法医療行為、性的攻撃、自殺、他殺など。不法医療行為は、既成の医療を否定して代替手段とするのか通常の医療の補完とするのかがボーダーラインになる。オ○ム真理教のような麻薬はいうまでもなく、サイエントロジーのビタミン大量投与もこれに当たる。


459 1996仏議会とセクト(4) 2004/10/08 21:51

「5」子供の囲い込み
 原語 embrigadement は「旅団編成、隊(班)編成」という意味で、ただ単に子供を集めるのではなく、軍隊のように外界から遮断して信者を養成することをいう。「愛の家族」などその典型だ。日本にも児童福祉法などがあるが、「宗教」という口実で例外にしてはならないということでもある。
「6」反社会的な説教
 信者に向かって既存の法偉や道徳は悪であり、唯一セクトの教えだけが遵守するに値すると説明することが多い>
「7」公秩序の攪乱(かくらん)
 「6」、「7」については、「日本臣民ハ安寧秋序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限二於テ信教ノ自由を有ス」という大日本帝国憲法の条文をたてに思想弾圧された歴史のある日本人としては、誤解されやすいところなので、後で詳しく述べたいと思う。
「8」裁判沙汰の多さ
 いわば「問題のあるグループ」であるというパロメーターある。また、名誉毀損裁判を繰り返すことによって言論弾圧を試みるセクトも多い。
「9」通常の経済回路からの逸脱
 不法労働や詐欺、脱税の類。
 普通の会社が、従業員をタコ部屋に住まわせて重労働させれば、たとえ本人が「同意」していても労働基準法などに引っ掛かる。百円の歯ブラシを百万円で売れば詐欺になる。宗教団体だからといって、奉仕活動であるとか礼拝のための道具だという名目でそれが許されるとしたら、それは思想信条による優遇であり、法の下の平等の原則に違反する。
「10」公権カヘの浸透の試み
 これはもう日本の状況を見れば説明不要だろう。

■ 徹底した政教分離のもとで
 以上であるが、被害者を守る会のものとかなり共通している。なお、このうちの1つに抵触するからといってセクトと即断されるわけではない。とはいえ、実質上セクトはマインド・コントロール集団であり、基準はマインド・コントロールに密接に関連しているから必ず複数の要件にあてはまってしまう。とくに基準の「1」から「5」は、まさにマインド・コントロールというヴィールスがもたらす危険な症状に他ならない。
 逆に「6」から「10」は日本の宗教法人法の議論でも扱われた宗教団体と、「俗世間」の関係である。この問題は実は、フランスでは1905年の政教分離法で解決済みである。
 フランスには人権宣言を価値観、道徳の源泉とする非宗教(ライシテ)の市民社会とカトリックに価値観、道徳の源泉を持つ宗教社会が並立している。簡単にいえば、フランス革命以降の1世紀はこの両者のつばぜりあいだった。そして、今世紀の初めに最終的に決着がつき両者の間に国(市民社会)は、宗教を尊重するが公認しない、宗教は市民社会に立ち入らないというクールな関係が生まれた。
 1901年に、アソシアシオンという非営利団体法人の制度が制定された。日本の財団や社団法人のような大きさによる制限はなかったが、宗教を目的としてはいけなかった。このときに、これ以前からあった修道会(コングレガシオン)は、国務院(行政裁判の最高裁判所)の認可を経て特例として法人になることが規定された。

(注 ○付き数字を「」付きに変更)


460 1996仏議会とセクト(5) 2004/10/08 21:52

 ついで、1905年に政教分離法ができた。これによって、曖昧だった財産を市民社会側と宗教側に分離し、市民社会側に属する公立学校での宗教教育や教会以外の場所での宗教的象徴の掲示なども禁止された。
 かわりに、1901年法の特例として宗教を唯一の目的とするアソシアシオン・キュルチュエル(宗教協会)が認可された。
 公(public)は市民祉会に属するから、宗教団体「(宗務協会と修道会)は免税特典などのある公益団体にはなれない。通常宗教的行為を行う場所で政治集会を行ってはいけない。同じく宗教的行為を行う場所での演説や朗読、文書の配布、張り紙などによって公的な役務を担う市民を公然と侮辱または中傷したり法律の執行や公権力の法的行為への抵抗を直接挑発してもいけない。
 ただしその代わり、1901年法で認められた非営利団体としての唯一の集金方法は会費だけだったのが、宗教団体は直接儀式行事にかかる経費とその場所の維持のための経費を信者に負担させることができるようになった。
 財務面では、収支報告書と財産目録を毎年作成せねばならない。これは税務当局の監査の対象になり、控除の対象になる経費以外に使われていると認められる場合には、適常の税率で課税される。日本でいうお布施に当たる遺書による寄贈や生前贈与を受ける際相続税や贈与税の免除を得るには、別個に500万フラン(1干万円)以下は県知事(任命による国の代表)、500万フラン以上は、国務院の承認を受けなければならない。この場合でも宗務以外に使用されたと認められる部分には通常の法人税がかかる。
 修道会も同じである。ただ、宗務協会と比べて税の減免特典が幅広いので、会計報告義務が強化されている。ただ、前にも述べたとおり、設立にあたって国務院の認可を受けなければいけない。なお現在、キリスト教会以外の宗教を中心に、修道会の新規設立も認められているが、国務院は認可の決定に当たって内務省宗務部の意見に従い、その意見構築には内務省惰報局の情報が大きく左有する。
 ちなみに、個人の信教の自由、結社の自由の建前から法人格がいらなければ任意のグループで宗教行為を行っても構わない。文化協会など非宗教的な1901年法の団体を作ることも可能である。ただしこの場合、会費以外の収入はすべて営利収入と見做され通常課税される。

■ 創○学会はなぜ「セクト」か
 さて、説明が長くなったが、1905年法の第1条でも信教の自由は、「公共の秋序に反さない限り」と規定されている。そもそも、近代の信教の自由の根拠になっている1789年人権宣言第10条でも、その表明が法律によって定められる公の秩序を乱さない限り」と規定されているのである。おなじく、人権宣言第4条は「自由とは、他人を害すること以外のすべてを行うことである」と明言している。
 日本でも個人の権利について、憲法13条に同様の項目がある。だが宗教についてはこんな当たり前の原則が忘れ去られ、宗教法人の治外法権が生み出されている。
 なお、ここでいう公の概念は、現代では人権宣言の時代から1歩進んで、ファシズム、全体主義との戦いで獲得したものである。これを手放したくない、という気持ちは、セクト対策を促す原勤力の一つになっている。


2004年11月11日(木) 1996仏議会とセクト(6)-(8)

461 1996仏議会とセクト(6) 2004/10/08 21:53

 ところで、前述したようにこの報告書は実名でセクト団体を公表している。セクトは、潜在的に社会に危害を加えたり集団自殺したりする可能性があるにしろ、すぐに行動を起こすわけではない。しかし、マインド・コントロールの被害を出していることは確実である。 だから、その予防には団体名を出して注意を喚起する必要がある。
 リストには日本の宗教団体も数多く名前を挙げられている。すぐ、フランスはキリスト教だけが優遇されるから、日本の宗教なんか邪教で冷遇されるんだ、という見当外れをいう人もいるが、実態は決してそうではない。
 先にあげた宗務協会と修道会は、免税措置などが違うのであって宗派による違いではない。各伝統宗教側でも全国連盟があり当局の話し相手になっている。創○学会が加入しようと策動したフランス仏教連合もその1つである。各宗派とも均等に対処されているのだ。
数多くの日本の宗教団体がフランスに進出しているが、リストアップされていないものも多い。リストアップされるには別の理由があるのである。
 挙げられた団体の中で、フランス国内の信者数が最も多いのは創○学会だ。日蓮正宗破門後の元信者への迫害や信者への締め付けが益々強くなっているために被害通報が相次いでいるからだ。なお、フランスでは創○学会は信徒団体ではなく日蓮創○宗とでも訳せる独立した宗教団体の形をとっている。日蓮正宗(大石寺)はまた別に、法人形態は1901年法のアソシアシオンだがフランスにもちゃんと存在している。リスト作成には宗務協会かどうかは考慮されていない。同じような教義を持らながら、日蓮正宗がなく創○学会が入っているのは、教義や儀式行事と関係ない基準で選ばれているからに他ならない。
 幸福○科学については日本人社会向けに派手に文書配布しているが人数は少なく、被害例もまだ出ていない。しかし、日本での実態を踏まえて判断されたものと思われる。
 S教真光はかなり被害例が出ているのと、ヨーロッパ大会で教祖に対して派手にヒットラー式敬礼などをして全体主義集団と見られているからである。
 他にも晴○教、霊○会、イエス○御霊教会、神○秀明会などが挙がっている。ただしフランスにおいて日本の宗教団体は、少なくとも現状では統一○会やサイエント○ジーのようにアンケート調査をして精神医学の知識を悪用して意図的に計画的にマインド・コントロールするところまではいっていない。
 しかし、ある種の行為は結果として、マインド・コントロールを起こしてしまう。こうして信者が増えることを布教の成果があがっていると勘違いしてはならない。しかも創○学会やS教真光のように指摘されても止めないとなると確信犯である。

■ 麻薬・エイズ並みの防衛策を
 さて先ほどのセクト判断10基準を見てもわかるように委員会はセクト問題の本質がマインド・コントロールにあることを強く認識し、その実態と対策に詳細な検討を加えている。これは日本の宗教法人法をめぐる論議では宗教団体内部の問題として看過された領域である。
 報告書は、<セクトの提唱する世界のヴィジョンが、フランスの各階層の人々の中にますます魅力を持って受入れられている>と述べる。そして、西洋社会の発展モデルの見直し、経済危機、家族構造の変動、さらにそこから生まれた欲求や願望に既成宗教が応えられないという背景を温床にして登場し、マインド・コントロール技術を武器に繁殖するセクトに立ち向かうには、麻薬に対するのに近い心構えが必要だという興味深い指摘を行っている。セクトは宗教、倫理、エコロジー、医学、文化、教育、自已啓発、性の解放といった様々な仮面を被って近づく。既成宗教の名前を使って巧妙なカモフラージュを施すことすらあるのだ。たとえば愛の家族は、キリスト教徒であると自称する。しかしその実は教祖モーゼ・ダビットの信者なのである。同じ事は、ヨーロッパの創○学会にもいえ、彼等は「日蓮大聖人の仏教」を標榜するが、会員が学ぶのは池田○作の著作、演説である。日蓮創○宗では創○学会幹部が聖職者になっている。フランスに日本仏教の馴染みがないために、多くの信者は自分たちが仏教を学んでいるのだと思い込み、創○学会に対する批判は仏教への批判だと誤解している。


462 1996仏議会とセクト(7) 2004/10/08 21:55

 なおかつセクトは敢えて強引な手段に訴えずとも、あたかも自分の意思で入信したかのように相手に思い込ませるだけの高度な説得の技術を持っている。オ○ムのように同意を得るために実際に暴力を振るうグループは、セクトとしてはむしろ例外である。しかしそこには見逃すことのできない危険性がある。なぜなら被害者はまた新しい信者を勧誘して加害者となる連鎖反応を呼ぶのだから。被害者が加害者になるというこのセクトのプロセスは、麻薬中毒者のやり方と似ており<セクトの勧誘員は『超越性の売人』と言える>と委員会は指摘する。
 対策提案でも、委員会は麻薬対策を念頭に置いている。すなわち、<セクトが呈する危険について国が、国民教育の一環として、公民教育の指導要領にセクト現象の検討を入れる。初等から高等のあらゆる学校施設において、毎年説明会を開く。政府がテレビ等でエイズや麻薬中毒の予防キャンペーンと同じように大々的な広報キャンペーンを行う。県ごとに信者の社会復帰をケアする専門官をおく……>
 オ○ム真理教は実際に麻薬を使用したが、それは、効果を早めただけで、マインド・コントロールは麻薬なしに、麻薬と同じ効果を起こすのである。そして人格は破壊され、場合によっては死に至る。社会復帰には、麻薬の解毒と同じような辛抱強さと行政を含めた周囲の協力が必要になる。
 一部からマインド・コントロール罪が提案されたが、最終的に委員会は、政教分離に関する1905年法第31条「個人に対する暴力行為や脅迫、あるいは仕事を失うかもしれないという恐怖、その人個人や家族、財産まで被害を受けるかもしれないという恐怖に個人を晒すことによって、宗教を実践するかしないか、宗務協会に所属するかしないか、宗教の費用を支払うか否か決めさせようとした者」や1994年3月以来適用されている新刑法第213−4条「無知の状態や弱者あるいは未成年者あるいは年齢や病気、身体的心理的欠陥、妊娠状態など特別な弱点が明白であるか、又は犯人が認知している場合、未成年者や弱者に対して極めて有害な結果を生じうる行為を行う、あるいはわざと行為を行わなかったとき」の罰則などで十分対処できるとした。
 また、同様に委員会は、セクト新法制定についても、セクト現象は多様で変化しやすく線引きが難しい。一歩間違えると、これは平等の原則、国家の信仰に対する中立の原則、宗教集会結社の自由を侵害する恐れがある。そして、何よりも現行法規の拡充と厳格な適用と強化で対処できるとした。
 代わりに、法律という融通の利かない物ではなく、臨機応変に対処できる、各省合同による首相直属のセクト観測所の設置と、宗務高等審議会という会計監査院や公正取引委員会に匹敵する監督機関の設置を提案した。後者の構成は、各種宗教の代表者10名、宗教の分野の権威者(被害者を守る会代表も含まれる)10名、関係省庁からの代表者10名ずつの30名で、現在宗務部がおこなっている調査や手続きをさらに拡充させ、あわせて中立度と効果を増そうというのが狙いである。この柔軟な姿勢を見ると、そもそも日本のような宗教法人法という1つの法律ですべての問題を扱おうとする考え方に、無理があるのではないかと思える。

■ 日本は「セクト天国」か
 この報告書の提案がどこまで実施できるかは予断を許さない。しかし、立法行政一致して報告書に賛成、そして「世論」のセクト認識を公認したという事実だけでも、画期的なものがある。
 宗教問題かどうかという論争に終止符が打たれ、セクトは宗教問題ではないと断が下されたため宗教弾圧だと非難される心配がなくなり、実名報道に対する名誉毀損訴訟にも安心して対処できるようになって、伸び伸びとセクト報道ができるようになった。
 いくら宗教問題ではないとは言っても、セクトはネオ・ナチ問題のように思想の問題でもあるのが対応の難しい所であり、公権力の介入には限界があるのも事実だ。また、公権力に過度に依存することは弾圧を生む危険がある。私は、まさにマスコミこそが先頭に立って被害を生まぬよう、未然に防ぐ役割を担うべき分野であると思う。
 この報告書が公刊された1月10日、民放TF1局は、ゴールデン・アワーにスタジオ討論とルポでセクト問題を扱った2時間にわたる特別番組を放映した。創○学会がフランスで運営するビクトルユーゴー文学館で案内嬢から池田○作の名が出た途端「セクトに注意!」とテロップが出るような日本なら偏向していると非難を浴びそうな内容だったが、視聴率52.3%、1干万以上のフランス人が見て、激励こそあれ抗議はほとんどなかった。


463 1996仏議会とセクト(8) 2004/10/08 21:56

 報告書がもう一つ具体的対策として挙げたのは国際協力だ。この問題は前々からEC委員会でも取り上げられている。セクトのロビーイングで決定が遅れているが、この報告書と政府・国会の支持表明は、プロセスを早めるに連いない。
 宗教ファナティックということで、イスラム原理主義にスポットが当たっている間に、一見するとおとなしそうな宗教の皮をかぶったセクトが静かに拡大し、とくに旧共産主義国では激しい勢いで浸透して、セクトが原爆を持つという事態が、フィクションではなくなっている。日本の宗教法人法審議で野党は拙速であると批判したが、認識が甘いと言わざるをえない。宗教法人対策はともかくセクト対策は急務である。
 報告書はセクトの莫大な財力に触れ、<多くのセクトが税法の『寛容』な国に進出しようとするのである>と記す。
 セクト問題が相変わらず宗教問題の枠内にとどまって政治の駆け引きの材料になっている間に、日本はまさに世界中のセクトの吹き溜まりになっている。
  □
(<>内は報告書の引用。ただし紙数の都合上一部要旨とした。またセクトの活動実態の例は報告書記載のものに限定しなかった)


2004年11月10日(水) キリストの墓の真実(1)-(5)

480 キリストの墓の真実(1)――お代理紀行(a) 2004/12/23 14:30

「真光」誌昭和44年12月号P18-24
紀行記――戸来を尋ねて 聖地キリスト村
東京青年隊々長 手島○六 (国学院大学四年)

 私が、昨年に続いて今年も又、青森県十和田湖近辺にある戸来(ヘライ)村を訪れた理由は、過去、教え主様より中級、上級研修会において、「イエス・キリストはゴルゴタの丘で十字架を逃れ、イスラエルを脱出して東方の果て日本に上陸し、青森県三戸郡戸来村でその一生を終えられた」という歴史上の真実を知る事が出来たからである。昨年、その目的を全て果たす事の出来なかった私は、今年も大学が夏期休暇にはいると居ても立ってもいられず、再度、東北へ旅立ったのである。
●【写真】沢口家の紋章:イエス子孫と称している沢口家の紋章,ダビデの紋に非常に似ている。中央老婦人は故沢口氏の妻女。他は筆者・手島○六君(前列右)と同行の青年隊員。

 私は、学友である金丸○弘と共に、まず北陸へ向かい、三道場各青年隊と心暖まる有意義な交流会を行なった後、勇み立って東北へと向かった。これに北陸青年隊の伊藤○す子さんが同行し、途中、長岡の車中で石渡○夜子さんと落ち合った。
 第一の目的地は、青森県五所河原市近くにある梵珠(ぼんじゆ)山である。大釈迦駅に着いて見ると、驚いた事に東京青年隊の沢柳○一君がホームに立ってニコニコと笑っているではないか。なんと東京から八百数十キロの道程を、ちっぽけな一台のオートバイで走破してきたのだ。私は、彼が青森行きを強く希望していた事は知っていた。しかし、彼が青森まで来る事は危険がともなうので反対もし、又、実際ここまで来るとは思ってもみなかった。だが彼は遠く長い道程を越えて、大釈迦の駅に今立っている。その勇気と情熱に、私は感動を覚えずにはいられなかった。そして彼のバイクが、これから登ろうとしている釈尊の御骨が祭られてある梵珠山において、大変な活躍をしてくれたのだった。
 霊山に登る頃、すでに夕刻の陽が私達の背後に迫っていた。標高四百六十八メートルという比較的低い梵珠山(教え主様が六年前登られたみ山)は登ってみると以外にも困難をきたした。途中から「神向き妙法見実相観神通力」を連唱しながら登って行った。頂上に到達した時、あたりはすでに暗闇であり、時計は七時五十五分を指していた。私達はそそくさと荷物をまとめ、カンテラを照らした。釈迦堂に人影は全くなく、むしろ御堂とはいい難いそまつな釈尊の塚があるに過ぎなかった。しかし私達の胸は高鳴り、興奮していた。周囲には遠く青森の灯と大釈迦の町々の灯が奇麗なコントラストを描いて美しい。私達がお参りの用意を始めると、ほどなく雲が一面を覆い町の灯は消え去った。私達はそれこそ心から敬虔な祈りを捧げた。最中、水滴がポッリと落ちてきた。それはあたかも釈尊の涙のように思えて仕方がなかった。お参りを終えてあたりを見渡すと雲は切れ、再び私達の目に町の灯が映ってきた。
 この山の由来記に、霊峰梵珠山は昔より旧歴七月九日には数千人の人々が参拝登山し、丑満(うしみつ)時になるとローソク大の釈迦の霊燈の出現を見た人も少なくないといわれている。(教え主様は真昼ここに登られて、大変な奇跡に会わされた由)
●【写真】戸来(ヘライ)塚:戸来村にあり、イエスの墓所と現地では言っているが、一説には弟イスキリの髪と耳が葬ってあるといわれている。
(写真上はその説明掲示板)


481 キリストの墓の真実(2)――お代理紀行(b) 2004/12/23 14:32

 翌朝、私達は第二の目的地、十和田湖畔の奥にある眉ケ岱《マユガタイ》(別称迷ケ平《まゆがだいら》エデンの花園)と呼ばれる聖なる土地に向かった。その途中奥入瀬渓流は誠に美しく、多くの巨石にも驚かされ、又、十和田湖の神秘なたたずまいに感嘆したけれども、宇樽部(うたるべ)からうっそうと生い茂る山道を車で抜けて行くと、突然視界が開け、あたりには朽ち果てた巨木が草原の中にどこまでも続き、その雄大な景観は確かにそれらを更に上回るものだった。
 明日からいよいよ本格的にイエス・キリストの遺跡について調査を開始するわけである。此の日、私達は十和利山(とわりざん:別名トガリ山といい、キリストの本塚とされている)の麓にあるエデン荘という小屋に落ち付き、バイブルを勉強して休んだ。
 眉ケ岱の朝は霧が流れ、やがて陽の光が輝き初め、エデンの花園を照らした。
 私達は教え主様より「古代エジプト文明の象徴であるピラミッド(日来神堂 《ヒラミドウ》)は日本から行ったのであり、原型は十和田湖の一角に、その他ピラミッド山は方々に現存している」と言うみ教えを戴いている。現地の人々はその一つを大石上山(おおいしがみやま)にある石上(いしがみ)と言っている。山の入口と思われる付近で村人に大石上(御石上)の場所を尋ねてみると、親切にも案内してあげようと言うではないか。私は神様の御守護に感謝せずにはおれなかった。明るい希望が体の底からふつふつと湧いてきた。大石上山を登り始めると小径はしだいに草で被われて行く。草をかき分け、かき分け、道なき道を歩き、沢を渡り、ようやくにして石上(ピラミッド)の前に立った。もし道案内をして戴けなかったなら、ここ迄はとてもたどり着く事は出来なかったに違いない。
 途中、禁断の木の実とバイブルで言われているコカの実を見つける事が出来た。
●【写真】石切様:ピラミッドの頂上に、土地の人が代々イエスを祀ってきたという石切様がある。
 ピラミッドの一つは過去幾千年の風雪に耐え、その面影を今も残していた。巨石は大石上山のそこにだけ山積していた。長さ四メートル余りの楕円形の巨石は、太陽信仰に用いられた鏡石と思われる。だがかつての地震で倒れ、今もそのままになっている。この削られた跡のはっきりしている巨石を、誰が、いつ、どうしてこの山奥へ持ち運んだのであろうか。村の人々は誰も知らない。多分、イエスが神様をお祀りする為に造られたのであろうか。それとも弟子がイエスを祀ったのだろうか。地名イシガミもイエスガミから来ているのかもしれない。村人の話によれば「いつもはこの大石の上の大木に大蛇がとぐろを巻いている」と言う。どういう訳か私達の前にその姿を現わさなかった。村人は「いつも居るはじゅなのに」と不思議がっていた。
 その後、私達はキリストの墓といわれている墓所がある戸来村沢口(さわぐち)へ行き、入口で、キリストの聖水と呼ばれる湧き水でミソギをし、なだらかな坂道を登って行くと二つのこんもりとした土まんじゅうに出逢った。私達の立っている所は小高い丘である。向かって左側の墓は「十代墓(じゆうだいぼ)」と呼ばれ、父ヨセフと母マリア、そしてイエスの身変わりとして処刑された弟イスキリの髪の毛と耳が土中に収められ、右側の「十来塚(とらいづか)」は、イエスキリストの墓と呼ばれている。だが、実際は違っていて、イエスの高弟であろうと言う説がある。
 そこから更に百メートルも登り切らない所に、比較的広い土地がある。これこそがイエスの住まわれた館跡である。今はその大部分がリンゴ園となっている。リンゴもその昔、イスラエル人が作ったとされている。


482 キリストの墓の真実(3)――お代理紀行(c) 2004/12/23 14:33

 これらを見終えた私達は、早速丘を降りてすぐそばにある沢口家を訪れた。沢口家とは今日まで代々この二つの墓を先租の主(あるじ)として守り通してきた家の事である。私は咋年、キリストの子孫という噂のある沢口三次郎氏と親しくお話しする機会に恵まれた。ご自分ではキリストの子孫と思っているらしかったけれども、事実はイエスの高弟の子孫であるらしい。今年も、あのユダヤ人のような赤ら顔とワシ鼻をした独特の風貌に接する事を楽しみにしていた。
 私は沢口家の玄関に立ち、大声で「こんにちは」「こんにちは」と声を張り上げた。応答がない。もう一度言ってみた。暫くするとおばあさんが出てきた。私は言った。
 「昨年親しくお話し頂いた者です。おじいさんはおられますか」
 おばあさんが言った。
 「おじいさんはもういねえだ」 
ぽつんと一言もらした。
 私は慄然としてしまった。
 「この春亡くなっただ」
 間をおいて私は重く口を開いた。
 「そうですか」
 おばあさんはなつかしそうに、いとおしそうに、おじいさんの面影を語ってくれた。おばあさんは私達を本当に暖かくむかえてくれ、次々に家の宝物を見せてくれたのだった。イエスが使ったと思われる神にお使えする石の食台を手にした時の胸の高鳴りを、どうする事も出来なかった。又、タビデの紋章に良く似た、非常に古ぼけた家紋が戸袋に使われていた。無論、何故この紋を沢口家がつけたか、何時からあったか、家の人は全く分かっていないそうだ。
 今日、最後の目的地へ向かう。しかし、果たしてイエスがあのキリストの墓と呼ばれる所に眠っていないとすれば、一体何処に御墓はあるのだろうか。恐らくそれは戸来岳であり、十和利山であろう。ここにイエスの本塚があると思われる。九百九十メートルの十和利山を中腹まで登れば、下界西に十和田湖全貌が朝日に映え光っている。中腹一面には枯れた巨木があった。頂上にたどり着くと霧がたちこめ、視界はきかない。私達は真剣にお参りをし、イエス様に祈った!
 イエスの死について、一説には十和利山頂で百十八歳の天寿を全うし、風葬され、その御骨を山に残した。又キリストの墓と言われる二つの土まんじゅは父母の墓として守り祀ったと言う。
 再び眉ケ岱にもどった私達は、その近くを詳しく調査した処、そこで”神秘の泉”のような池を見つけた。ここの泉は決して枯れはしない。どんなに日照りが続こうとも渇する事がないそうだ。そして、この近くに古井戸の跡とみられる深い穴も見つけた。日照(にっしょう)は地の底までとどいてはいない。底は真暗闇だった。村人の語で興味を引くのは、この地域で古井戸と泉の一角のみが大昔から私有地となっているという。つまり一角を除けば全て国有地で、美しいが実に辺鄙(へんぴ)な所である。だがここに昔、人々が住んでいた事は確かであることを誰しも感ずる事であろう。
 果たしてエデンの園と呼ばれるこの土地がアダムとイブの物語の土地であるのか、その真偽の程は良く分からないが、この地方の人々は男をアダ又はアヤ、女エパ又はアパ(み教えでは神代語)と言うのであるからちょっと驚かざるを得ない。
 私達はエデンの花園、眉ケ岱をあとにして現代離れした名称を持つドコノ森に向かった。途中、牧場近く迄きて車を降りた。そこには誘いこむようなたたずまいの一本の朽ちた巨木と木陰があったからである。魅せられるように奥には入って行くとあたりに草原が開け、正に美しき山アジサイが咲き乱れ、シダ(み教えでは南方樹の先祖)が繁茂している。私達はそのあざやかさに、オー素晴らしいと大声を上げた。このような所がエデンの花園か、そのヒナガタに違いないと思った。
 ああ有難し! この名もない草原に茂るシダ。眉ケ平の枯れ朽ちた巨木と泉。奥入源の密林と巨石、大石上山にあるコカの実。どれをとってみてもこの地方が太古の昔、教え主様が言われるように「東北は亜熱帯であり、高山地は世界の軽井沢といえよう、五色人が集まってきたのが現在の熱海のような常春の気候であった」事は、想像に難くない。


483 キリストの墓の真実(4)――お代理紀行(d) 2004/12/23 14:35

 やがて遂に私達はドコノ森を見つけた。ドコノ森を捜すのに骨が折れた。しかし捜さねばならなかったのだ。そこには一万個以上に及ぶ神代文字の刻まれている骨片が、山の土中に埋もれているからだ。もちろん山に登り、土中から神代石を発掘する事は時間もなく、無理な相談だった。けれども、三角形のドコノ森の雄姿を遂に見つけたのだった。
 さて、このようにして、私達の戸来に於ける超古代遺跡の探査は一応の成果を収め、無事今回の目標の一部はなし終えた。その目的とは、イエス・キリストの歩まれた道をくまなく尋ねみる事に他ならなかった。そして、イエスやユダヤ人(日の本の分家筋)が、この地に住みついたと思われる事実を説明するに足る裏付けは、他に述べれば枚挙にいとまがない。
 例えば、この地方独特の方言がそれである。日本語離れした村人の会語を私はほとんど理解できなかった。しかも大石上山の盆踊り等に唄うナニヤドヤラ盆唄は、ユダヤ語研究学者に言わせれば「お前の聖名をほめ讃えん」と言う意味のヘブライ語だそうで、村人はわけも分からずに唄っている。
 現在はもうやってはいないが、戦前は子供が生まれると、額に十字の赤い墨を塗り、一ヵ月間外に出さない風習も実際にあったそうだ。
 これらはほんの一例にすぎないが、時間をかけ、厳密に調査をすればするほどに、さまざまな問題を提起するに違いない。
●【写真】十和利山を望む 古文献では,イエスの遺骸はこの山上で風葬されたという。
 しかし、又一方、そういった風俗、習慣も年を追うごとに忘れさられ、太古の自然美を誇る眉ケ岱(平)も戸来村も観光地として俗化して行く事も否めない。悲しい事だが、イエスの歩んだ道を尋ねみようと思うなら今だ! この山奥にも物質文明の波は滔々として訪れ、山はダムに置き換えられようとし、村の家々には電化の花形であるカラーテレビがどこにでもある。若者たちは風俗、伝統といったものを守るどころか、知ろうともしないようである。私は一年ぶりに戸来を訪れてみて、この地域全体が物凄い速度で開けようとしている様をまの当たりに見て、大変喜ばしい事だと思う反面、世界の文明の古い源を尋ねるものも少なくなり、しだいに消えて行く一抹の寂しさ、憂いを感じない訳には行かなかった。
 私達にとって、イエスの遺跡を見、手にして触れる事が出来たが、同時に見逃してはならない一つの大きな問題がある。
 それは当時、この聖なる地でイエスが何を考え、何を想いつつ暮らしておられたかと言う疑問である。イエスは弱冠十八歳で日本に上陸し、多くの神業を体得して、母国イスラエルに帰り、神の国と義について宣布され「向こうで死んではならぬ」の勅命通り、涙をのんで弟イスキリを身変わりとして処刑を逃れ、再び青森県八戸港へ到達したと言う。その後、全国を幾度となく巡教され、言語、風俗を研究され、又残し、人々を救って歩かれたのはみ教え通り推定できるのである。そして又、イエスの呼名も十来ではお偉い御方、あるいはイシガミ様として、八戸では八太郎天空として、そう言えば八戸では八太郎某(なにがし)という店屋をよく見かけた。あるいは猿田彦神として、これなども顔が赤い所からこう呼ばれ、尊敬されたのだろう。
 久方に都会のビル雑踏から遠く離れ、山々と太古史の香(かおり)のふところに抱かれ、青き草の薫をかぎ、澄み切った空を眺め、目にしみこむような樹木や花々を見つめていると、なんだかイエス様の御意がうすぼんやりと頭に浮かび、体に伝って来るような気がしていた。それはこよなく自然を愛し、神と共に生きたやさしい、喜ばしい感謝に満ちたお姿だった。教え主様が良く言われる「神は自然なり、至善なり、天に飛ぶ鳥の如く、地に咲く花の如く、らしくあれ!」そうだ、自然を知らずして神を知る事は難し、イエス様も至善を知(智)り尽くした方に違いない。この大至善即大自然の雄大で誠に繊細な仕組みと妙なる旋律を知ることなのだ。私はそう想った。全く理屈などではなかった。
 しかし、イエス様を想う時、この自然の山や風が、一方憂慮に満ちているように思えてならない。その御顔はどことなく悲哀感があり、葉が風にゆれている様は声なき声に変わった。声なき叫びが山々にこ霊(だま)しているようだ。時として嘆きの声にさえ聞こえてくる。


484 キリストの墓の真実(5)――お代理紀行(e) 2004/12/23 14:39

 私は強く思う。幾星霜を経た今日、イエス様の眠るこの自然の中に歓(神)喜と深い悲しみとが同居しているように思えてならなかった。確かに教え主様の言われるように、イエスは日本に渡来している。現代の歴史は二千年前後の唯物史でしかない。一切は仮面(マスク)と真如に満ち溢れ、聖者聖雄はこのような偽りの歴史に包まれた「現代」を嘆き、悲しんでおられるに相違ない。
 われわれはこう言った真実を知れば知(智)る程に、その恐るべき誤ちにただ安閑としている訳には行かない。
 純粋に、純粋に神向きして行こうとするならば、われわれは雄々しく立ち上がらざるを得ないだろう。人生観を百八十度転換してしまった、尊き、吾等のこのみ教えを知った時のあの感動を、今こそ自分自身の魂に甦らせねばならない。
 主の大神様は、われわれが歴史の改修に幾許(いくばく)でも手を染める日が一日も早く来る事を、今、一番望んでおられると私は確信している。

  □
【感想】 著者はさぞかし文学青年だったろうと思う。流麗な文章は今と少しも変わらない。古史古伝への妄信ぶりも、全く変わっていないね。


(日記作者 文末一行削除 住所のため)
(20081226 伏せ字一字追加および誤字修正)


2004年11月09日(火) キリストの墓の真実(6)-(10)

485 キリストの墓の真実(6)―― ムー大陸の世界(a) 2004/12/23 14:42

『真光』誌 78年1月号P48-53 (岡田K珠派発行)
『ムー大陸の世界』白上○徳
■キリスト教の源流
 本誌連載第六回(169号)において、キリスト教の十字架のマークが、実は、ムー大陸における〈宇宙力のシンボル〉から出たものであることを記しました。
 それと同時に、キリスト教の”教え”そのものも、ムーの宗教から発している――とチャーチワードは述べています。
 昔から、宗教としてのキリスト教の研究とともに、イエスキリスト自身についての研究が多くの学者達によって行なわれてきました。
 しかし、われわれが現在知り得るのは、処刑される数年前からのキリストの姿であって、それ以前の、少年時代、青年時代のことについてはほとんど知られていません。
 つまり、その前半生は、まったくベールの、中にとざされている――といっても過言ではありません。
 この時代、一体、彼はどこで、何をしていたのでしょうか。
 このことについて、チャーチワードは、「カシュミールのレー市にあるへ−ミス寺院には、バーリ語で記された、キリストに関する記録がある。
 それによると、キリストはユダヤを出て、エジプトにわたり、そこに二年ほど滞在して、古代エジプトの宗教や、哲学思想を学んだ。彼が特に影響を受けたのは、エジプトにおける〈オシリス教〉であるが、この教えの元祖である、オシリスという人は、二万年ほどまえに、大西洋上に在ったアトランティス大陸に生まれた人であった。
 彼は、青年時代、太平洋上に在ったムー大陸に行き、そこで、本務的ムーの宗教を学び、〈導士〉としての資格を得て、アトランティスに帰国し、神官の長として、子弟に教育を
授けた優れた人物であった。
 キリストは、このオシリスによって述べられた教え、すなわちアトランティス大陸から、エジプトに伝えられたものを学んだのであった。
エジプトで学んだ後、キリストはさらに、インドの諸都市を巡歴し、仏教およぴ仏教以前の印度の宗教を学んだ。
 ついで、チベットに入って、留ること十二年、その間に、ムー大陸から、この地に伝えられていた、宗教、哲学、超科学などを学び、彼自身の宗教の本体を完成し、大きな自信と使命観をもって帰国し、キリスト教の宣布に全生命を捧げた。」
 このように、チャーチワードは述べています。


486 キリストの墓の真実(7)―― ムー大陸の世界(b) 2004/12/23 14:45

 一説によりますと、チベットに学んでいたキリストは、未だ、自ら確信のもてる心境に到達することができず、これまで披が巡歴してきた土地の者よりも、一層純粋で高度の教えが、東方の地にあることを知って、ついに長駆して、日本に渡来したというものです。
 日本に来たキリストは、現在の青森県三戸郡新郷村戸来に住み、日本古来の宗教の中に、ついに、彼が長い間求めていた〈真理(神理)〉を発見し、この確信をもってしばしば母国との間を往来し、自己の宗教思想を人々に伝えた後、前記戸来の地に没したとしています。
 私は五年ほどまえ、この地を訪ねましたが、そこには白い十字架が、向かいあって立っていました。
 写真(図2)の向かって右の十字架がキリスト、左の十字架が兄キリストの身代りとなって十字架上で死んだ弟イスキリの墓である―とされています。
 なお、十字架の近くに立てられている説明板には、次のごとく記されていました。
 「イエスキリストは二十一才のとき、日本に渡り、十二年の間、神学について修業を重ね、三十四才のときユダヤに帰って神の教えについて伝道を行ないましたが、その当時の
ユタヤ人達はキリストの教えを容れず、かえってキリストを捕えて十字架に磔刑に処さんと致しました。
 しかし、偶々、イエスの弟イスキリが兄の身代りとなって、十字架上の露と果てたので
あります。
 他方、十字架の磔刑からまぬがれたキリストは艱難辛苦の旅をつづけて、再び日本の土を踏み、この戸来村に住居を定めて百六才の長寿を以て、この地に没しました。
 この聖地には、右側戸来塚にイエスキリスト、左側の十代墓に弟イスキリをまつっております。以上はイエスキリストの遺言書によるものと、いわれております。」(図3参照)
 このキリスト日本渡来説は一般には、まったくの〈荒唐無稽〉なこととして、一笑にふされています。
 しかし、世界の学者達がいまもって解明できない、キリストの全生涯が明らかとなるときまで、このことも決定的に否定することはできない問題であると私は思います。
 宗教人としてのオシリス、キリスト、シャカ、マホメット、道徳家としての孔子というような人々は、天帝より、特に選ばれてこの世に送られた<天使>で、彼らは天なる父にかわって人類に、その正しい道と、絶対の幸福を得る道を教える使命を与えられました。
 このように、すべての宗教道徳は、一つの起源から発生し、それぞれの場所や民族性に応じて もっともふさわしい表現をしました。
 この意味では、全ての宗教は、ムーの宗教の流れを汲むものであり、大きな流れの一部分にすぎません。
 前に記したような人々は、それぞれ霊感によって、天の父の命をうけ、大字宙の真髄にふれた人々でした。
  □
【解説】この頃は、S界真光文明教団の代表権をK珠氏とS口氏が争っていた。


487 キリストの墓の真実(8)――別冊歴史読本1996(a) 2004/12/23 14:46

【参考図書】
[1]「古史古伝」論争(別冊歴史読本特別増刊14 第18巻第24号) 新人物往来社1993.8
http://members.at.infoseek.co.jp/Accord/BIGLOBE/WADA/nip09180.htm
[2]古史古伝の謎(別冊歴史読本64) 新人物往来社1996.8
[3]危険な歴史書「古史古伝」“偽書”と“超古代史”の妖しい魔力に迫る!
(別冊歴史読本54号) 新人物往来社 2000.10
[4]徹底検証古史古伝と偽書の謎――「偽り」と「謎」が織りなす闇の歴史を暴く!
(別冊歴史読本77号) 新人物往来社 2004.3
  □
 『古史古伝』を正しく理解するには、別冊歴史読本の古史古伝特集号をお勧めする。上記のうち[4]は現在市販中で、他の絶版3冊は公立図書館で閲覧できるし、net古書店でも購入できる。ただし、[1]と[2]は内容はほとんど同一である。
 [1]・[2]では東日流外三郡誌の真贋論争が掲載されたが、裁判で和田氏の創作との判決が下りたため、[3]以後では掲載されていない。
 この参考図書から、キリストの墓に関する記事を紹介していく。
  □
文献[2]古史古伝の謎(別冊歴史読本64) 新人物往来社1996.8 P92-101
『竹内文献』と日本のキリスト伝説 中島 渉・作家
『竹内文献』にルーツをもつキリスト伝説は、世界恐慌の予兆が生んだ幻想だったのか――新興宗教界に多大な影響を及ぼした『竹内文献』との出会い。
モーゼ、キリスト、ブッダまでもが日本を訪れていたという伝説の深層を探る

◇さまざまな伝説
 たとえばイタリアはトリノの洗礼者ヨハネ大聖堂内にある黒大理石造りの円形の王室礼拝堂には、イエス・キリストの亡骸を包んでいたとされる亜林布が納められている。古びて象牙色になった亜麻布の表面には、口髭をたくわえた長髪の筋骨逞しい男の死体のような印影が浮かんでいる。古来よりその印影こそゴルゴダの丘で磔刑になったイエス・キリストを包んだ聖遺物として、さまざまな神秘の物語の種を蒔いてきた。
 当初は“マンデイリオン”と呼ばれた聖骸布は、さまざまな伝説を生んだ後に、14世紀になってようやく地上にはっきりとその姿を現わすのだが、以来今度は論争の種となってゆく。それが描いたものなのか、それとも亡骸が転写したものなのか、転写したとすればどのようにして転写したのか、亡骸が転写したのだとしてはたしてイエス・キリストのものなのか……論争は今日もなおつづいている。伝説によれば、聖骸布はテンプル騎士団によってイスラエルからヨーロッパへと運ばれたらしい。
 聖骸布をめぐる伝説と論争、あるいは科学とロマンは、やがて1969年のトリノ委員会による科学的調査へといたる。枢機卿や司祭といった聖職者だけでなく、科学者たちを含めて委員会を結成し、科学の眼によって聖骸布を鑑定しようというプロジェクトだ。1977年になるとアメリカで聖骸布研究合議が行なわれ、翌年からは国際聖骸布会議が開催されて、さらに本格的な聖骸布調査がスタートした。
 また、ウィーンのホフブルク宮殿に安置されている一本の槍――“ロンギヌスの槍”と呼ばれるそれは、ゴルゴダの丘でローマ兵カシウスが十字架に磔刑にされたイエス・キリストの脇腹を突いたという伝説に彩られている。そして槍を手にし、槍にまつわる秘密を解いた者は世界を支配征服する力を授けられる――という伝説に。さらにべつの伝説によれば、ウィーンで美術や建築を学んでいたヒトラーは、ある日宮殿で槍と出逢い運命の転機を直感した。ヒトラーばかりでない、ナポレオン・ポナパルトもまたロンギヌスの槍に魅せられた一人だった。
 ところでカシウスが突いた脇腹から滴るイエス・キリストの血を受け止めたのは、彼自身が最後の晩餐に用いた杯であったという。この聖杯(グラール)伝説はなによりもアーサー王と円卓の騎士をめぐる物語を彩るモティーフとして知られる。聖骸布、槍、聖杯……イエス・キリストの最後をめぐるさまざまなオブジェが伝説を胎生してきた。


488 キリストの墓の真実(9)――別冊歴史読本1996(b) 2004/12/23 14:47

 これら以外にも、聖母マリアにまつわる伝説を加えるならば<キリスト伝説>は膨大な数にのぼるだろう。ルルドの泉やファティマの預言などは、聖母マリア信仰/伝説に属するタイプに分類できよう。ルルドの泉のケースは治癒=奇蹟で、ヨーロッパ中世を覆った聖者の奇蹟の面影さえ浮かんでくる。
 なかでも12世紀はとりわけ奇蹟が氾濫した時代で、土俗的な伝説や信仰と結びついた塚があったりすると、たちまちそこは忘れられた聖者の墓に様変わりしていった。だが、それなのに……奇妙なことになぜか、キリストの墓やキリストの遺骸にまつわる伝説は伝えられていない。
 ところがこの日本に、イエス・キリストの墓があるという。キリストばかりか、モーゼやプッダの墓までがなぜか日本にあるのだという。日本の(キリスト伝説)はマンデイリオンのように千年を遡るようなものではなく、きわめて新しい。せいぜい数十年の昔に創作されたものだ。そして日本におけるキリスト伝説はすべて、夥しい古史古伝群のなかで最も有名な『竹内文献』にそのルーツを求めることができる。
 ではなぜ、『竹内文献』がキリスト伝説を生むこととなったのか。

◇『竹内文献』とはなにか
 そもそも『竹内文献』とは、単体の書物のことではない。それは越中の婦負(ねい)郡神明村宇久郷(くごう)の赤池神明宮の神主だったという竹内一族に伝えられたとされる文献およぴ古器物の総称だ。そこには神武以前のウガヤ王朝の歴史、アトランティスのオリハルコンを想わせる謎の金属ヒヒイロガネや古代における飛行空母「天之浮船」の存在、ムーとアトランティス大陸(ミヨイ・タミアラ)の記憶、ピラミッドの日本発祥……など、伝奇SF顔負けのマッド・エンサイクロペディアのごとき内容が記されている。
 継承者であり『竹内文献』を世に出した人物であったのは竹内巨麿(きょまろ)だ。竹内巨麿は自身の著作に記した出自によれば、明治8年(1875)に庭田権大納言従一位伯爵源重胤(しげたに)と藤波神宮祭主正二位子爵大中臣光忠の娘との間に生まれたという。もっとも、特高資料によるならば巨麿は、明治7年(1874)に富山県新保村の寡婦杉政みつと出稼ぎ中の石川県の木輓職人森山勇吉の私通の子として生まれ、農夫・竹内庄蔵の実子として出生届けが出されたことになっている。
 ことほどさように、巨麿の生まれからして深い謎に包まれていた。
 明治25年(1892)になると巨麿は、祖父・竹内三郎右衛門から、墓地に埋めてあった宝物を託される。この宝物が後に『竹内文献』とされるようになる一群のものだったようだ。そして巨麿は宝物ともども東京に出て、御嶽教初代管長・鴻雪爪(おおとりせっそう)の門人となり、宗教界に一歩を踏み入れてゆく。二年後になると巨麿は京都の鞍馬山での修行を決行するが、その間に祖父から託された宝物を鴻雪爪が開陳し、そこに記された神代文字を解読して『竹内文献』伝説の核が形成されることになる。
 鞍馬山での修行を了えた巨麿は、明治43年(1910)、現在の北茨城市磯原に皇祖皇太神宮を祀り天津教を興す。ちなみに巨麿が鞍馬山での修行を開始した明治27年は日清戦争が勃発した年であり、天津教を興したのはハレー彗星が接近し日本が韓国を伴合した年であった。巨麿が鞍馬山を下りて磯原に辿り着くまでの間に、日本と世界はどう動いていたか。大正3年(1914)にヨーロッパで第一次世界大戦が勃発、大正9年(1920)に株が暴落して恐慌が起こり、大正11年(1922)にはロシア革命が発生している。ファナティックな神代史運動を眺めるとき、こうした時代背景を把捉しておくことは重要だ。なぜなら古史古伝/神代史運動とは、このような時代の無意識のなかでこそ誕生した運動にほかならないからだ。


489 キリストの墓の真実(10)――別冊歴史読本1996(c) 2004/12/23 14:48

 やがて大正末期から昭和初期にかけて、巨麿は徐々に『竹内文献』の公開をはじめてゆく。特筆すべきは昭和3年(1928)の公爵・一条実孝立ち会いのもとでの『竹内文献』開封と、翌年の酒井勝軍による 『竹内文献』調査だろう。一条は伯爵・上杉憲章とともに、体制側における古史古伝/神代史運動の強力な共鳴者であった。後に中里義美の設立する「神日本社」の顧問にも就任している。一条のようないわばエソテリック・エスタブリッシユメントが開封に立ち合ったことで、『竹内文献』はその世界で急速に認知されてゆくことになる。また、酒井勝軍と『竹内文献』が出会うことによって、(キリスト伝説)が生まれる素地が形成されることになったからだ。つまり――イタリアでファシストが政治権力を握りつつあった時期に『竹内文献』は浮上し、世界恐慌の予兆が世界を覆う時期に酒井が『竹内文献』と出会ったことになる。
 もしもこのような時代状況でなければ『竹内文献』は出現しなかったのではないか――そう考えたりするのは、想像がしすぎるだろうか。

◇謎の酒井勝軍
『竹内文献』と出会い、そして日本の<キリスト伝説>胎生に重要な地位を占めた酒井勝軍とは、はたしてどこの何者なのか。
 酒井は巨麿自身が記したのと同じ1875年に、山形に生まれている。青年期にキリスト教に入信し、明治39年(1906)には特異な礼拝集団である讃美奨励団を創立し、団長となっている。讃美奨励団はその後、日本讃美団からさらに国教宣明団と改称し、神代史運動にきわめて大きな影響をあたえることとなる。
 大正7年(1918)、酒井はシベリア出兵に通訳として従事する。当時のシベリアでは『シオン賢者の議定書』によるユダヤ禍の嵐が吹き荒れており、酒井はその洗礼を受けて帰国する。そして大正13年(1924)になると、酒井はユダヤ禍論と日猶同粗論が混濁する奇怪な『猶太民族の大陰謀』なる著書を発表する。すなわち、彼は反ユダヤであると同時に熱烈なシオニズム礼賛者でもあった。
 昭和2年(1927)、酒井は陸軍の密命を帯びて、陸軍大佐・安江仙弘(のりひろ)とともに中東情勢の調査に旅発つ。パレスティナに赴いた酒井は、すっかりシオニズム礼賛=親ユダヤ主義者となって帰国する。この安江は幻の極東ユダヤ同家構想=フグ計画に関わったことで知られる人物で、同じ軍人でも四王天延孝(しのうてんのぶたか)とはまったく異質な、ユダヤ問題を冷静に見る眼を持っていた。そのような人物とともに中東を回った体験が、その後の酒井に少なからず影を投げたことは容易に察せられる。
 中東調査から帰国した酒井は、在英シオニズム組織に運動資金として二千ポンドを要求する。この酒井の突然の要求は刎ねられて実現しなかった。
 そして昭和4年、酒井は磯原の天津教を参詣し、そこで竹内巨麿と『竹内文献』とに出会う。酒井の著作によれば、シベリアから戻った後の彼はユダヤ問題に関心を寄せ、日本は猶太十二支族のヨセフ族(イスラエルの正系)の末裔であり、したがって日本にその証拠となる古代ユダヤの秘宝が伝わっているのだと確信していた。そのような酒井と『竹内文献』との出合いはまさに、運命的な瞬間であった。
 酒井は天津教の宝物のなかに「モーセの十誡石」を発見する。酒井はその著『参千年間日本に秘蔵せられたる モーセの裏十誡』に記している――「然るに今茲に、最も巧妙に又忠実に日本の重大なる国宝を秘蔵した一家が在る。それは1800年前、棟梁の臣と崇められた大忠臣武内宿禰の後裔で……如何なる物品が埋蔵されたかは当分秘密を要するものがあるので今発表するわけには行かぬが、……万国五色人祖神の神体として祀られたものが此度発見されたモーセの裏十誡である」と。
 神代文字を刻んだ三つの石は、モーゼの裏十誡・表十誡・真十誡であり、ウガヤ六十九代の時代に日本にやって来たモーゼが、天皇から授かった律法を石に刻み、ふたたぴ日本を訪れたときに天皇に献上したものだという。まったく凄まじいばかりのファナチィック・イマジネーションの爆発だ。


2004年11月08日(月) キリストの墓の真実(11)-(15)

490 キリストの墓の真実(11)――別冊歴史読本1996(d) 2004/12/23 14:50

 さらに昭和9年(1934)、酒井は広島葦嶽でピラミッドを発見するにいたる。「日本にピラミッドがあった」とする説の根拠もまた『竹内文献』に求められる。ピラミッドを日本で発見した酒井は、さっそく『太古日本のピラミッド』なる著作を発表する。そこで展開されるめくるめく論理の飛躍は、じつはイギリスの「聖書学」的ピラミッド論の投影であった。20世紀初頭のイギリスで隆盛をみたこの奇妙な論理は、ピラミッドは建築化された聖書であり、そこに創世紀からハルマゲドンまでが立体化されている――というものだ。こうした理論がイギリスで隆盛をみた背景には、日猶同祖論と非常によく似た英猶同祖論の流行があった。
 さて、酒井が磯原でモーゼの十誡石を発見したとき、そして広島でピラミッドを発見したとき、傍らにつねに同じ人物がいた。そしてその人物こそが<キリスト伝説>に関わることになる。鳥谷幡山(とやばんざん)――それがその人物の名だ。

◇鳥谷幡山の(キリストの墓)発見
 酒井が広島葦嶽でピラミッドを発見した翌年――昭和10年(一説には同9年)、鳥谷は青森県戸来(へらい)村村長・佐々木伝次郎の要請を受けて同村を調査する。「日本でピラミッド発見」の報は、酒井が記しているように「青森県の奥山ですら之を話題となすまでに吹聴され」た。そのための要請だったようだ。もっとも酒井が青森でも講演会をかなり重ねていて、そこから派生してのもの――との指摘もある。いずれにせよ鳥谷は期待どおり、同地でピラミッド――大石神ピラミッドを発見する。
 同年、鳥谷は『竹内文献』のなかから「キリストの遺言状」が出現する現場に立ち会うことになる。さらに鳥谷は竹内巨麿らとともに戸来村に入り探査、その結果キリストの墓を発見する。こうした事態の連続は、やがて鳥谷をキリスト渡来の実証に赴かせることになってゆく。鳥谷の著『十和田湖を中心に神代史蹟たる霊山聖地の発見と竹内古文献実証踏査に就て併せて猶大聖者イエスキリストの天国(アマツクニ)たる吾邦に渡米隠棲の事蹟を述ぶ』などを読むと、迷ヶ平=眉ヶ平に太古の神都があったこと、ウガヤ三十七世の陵墓を発見したこと、イエス・キリストは八戸太郎天空神なる天狗であったこと……など、酒井に負けず劣らぬファナティック・イマジネーションが展開される。
 それにしても……この昭和10年の巨麿と鳥谷による戸来村探査に、なぜ酒井が同道しなかったのだろうか。どのような理由があったのか。鳥谷の説明によれば、巨麿が「特殊関係者だけで」と主張したためとなっているが、すでに熱烈な『竹内文献』のプロモーターとなっていた酒井こそ特殊関係者ではなかったか。鳥谷がイエス=猶太聖者とする点など、これは明らかに酒井の影響だと思われるのだが。
 ともかく、こうして『竹内文献』に導かれて、酒井のモーゼ十誡石とピラミッド発見を目撃し、ついにはキリストの遺言書と墓まで発見した鳥谷だったが、後に巨麿に対して批判的/懐疑的になってゆく。後年の著書のなかでは「己れが古文献を所蔵するからといって勝手に誤れる解釈をして平然たるものがあり……」などと激しい言葉をさえ投げるようになる。
 それでもまだ、鳥谷にとってキリストの渡来を保証する唯一の存在が『竹内文献』であることに変わりはなかった。巨麿に対して懐壌的になっても、『竹内文献』そのものを疑うようなことはなかったのだ。


491 キリストの墓の真実(12)――別冊歴史読本1996(e) 2004/12/23 14:52

◇最後の登場人物
 竹内巨麿、酒井勝軍、鳥谷幡山……とつづいて日本における<キリスト伝説>は形成されていった。そしてその事態の渦の中心点には、つねに 『竹内文献』があった。しかもこの伝説形成は酒井が『竹内文献』と対面した昭和4年以降に一挙に展開される。
 ところが巨麿らが戸来でキリストの墓を発見した翌年――昭和11年、新たな登場人物が舞台に加わることになる。萩出身の山根菊子である。山根は鳥谷からキリストの墓に関する話を聞き、そしてキリストの遺言書と対面した。これが契機となって昭和12年、山根は『光りは東方より』を著わし、キリストの墓伝説が広く流布することとなってゆくのだ。
 山根がキリストの遺言書と出会った昭和11年、巨麿は不敬罪などに問われ検挙され、また天津教は徹底的な弾庄を受けることになる。さらに山根の『光りは東方より』のなかには、不思議なことになぜか昭和十年の巨麿らの戸来村探査についての記述がまったくない。これだけを読む者は、キリストの墓はむしろ山根によって発見されたかのような印象さえ抱くだろう。はたしてそれは偶然だったのか、それとも山根の計算のうちだったのか。
 天津教弾圧と山根本の登場 ――これによって『竹内文献』とキリストの墓が分離してゆくことになる。いや、むしろキリストの墓が独り歩きしてゆく――と言ったほうがいいのかもしれない。
 山根は『光りは東方より』のなかで、イエス、モーゼ、ヨセフ、ブッダらが日本に渡来していたと主張する。今日の戸来村=キリストの墓伝説のイメージは、巨麿でも鳥谷でもなく、山根と重なっていると言えよう。同著が話題になったおかげでキリストの墓伝説は広く海外にまで知られることとなった。
 鳥谷は後年(昭和38年)、山根に研究成果を窃されたと嘆き、山根の行動を「災いの種」であるとしている。

◇伝説の迷路の奥で
 山根の登場によって、日本のキリスト伝説=キリストの墓伝説は完成した。それが 『竹内文献』にはじまる伝説形成のおそらく深層であった。しかし、これで伝説にまつわるすべてを語りえたわけではもちろんない。
 たとえば昭和8年に、『竹内文献』を研究していた矢野祐太郎が天津教の外郭団体<神宝奉賛会>を組織し、そこには中里義美がいた。中里こそは、一条らエソテリック・エスタブリッシユメントたちと古史古伝/神代史運動を結びつけたキィパースンだった。矢野はやがて天津教を去り、大本とも因縁の深い神政龍神会を興す。この神政龍神全の神話字宙は宮中にまで浸透し、信者であった女官・島津ハルは精神病院に隔離され、そのため矢野は逮捕されるにいたる。
 そして大本教は天津教に対して、モーゼの十石を当時の金額3万円で譲るよう交渉した――というエピソードがある。大本の出口王仁三郎にまつわる膨大な記録のなかには、彼が「竹内文献」について「竹内古文書にはわしが神界から聞いているのとまた少し違っているところもあるが、また信ずべきところもあり事実もある」と語っていたことがあるのを、武田崇元が紹介している。
『竹内文献』は出口王仁三郎をしてそのように言わしめた古史古伝であったが、大本教ばかりか大本水系の一部を成す世界救世教や、あるいは世界救世教から分かれていった崇教真光およぴ世界真光文明教団といった教団に『竹内文献』は影響を与えていることが、すでに多くの識者によって指摘されている。近代から現代へといたる新宗教熱はある部分で、『竹内文献』水脈の流れでもあるのは間違いない。


492 キリストの墓の真実(13)――別冊歴史読本1996(f) 2004/12/23 14:53

 巨麿が天津教を興して活動を展開した時代は、まさに数多の古史古伝が浮上し、それまで隠されていた神々が復活し、狂熱的なまでの神代史運動が繰り広げされた時代でもあった。「竹内文献」はそうした時代の産物――産物という言葉が適当でなければ、そうした時代の投影物なのである。キリストの墓をめぐる伝説も、日猶同粗論やユダヤ禍論の横溢がなければ輩出されなかったろう。
 竹内巨麿は『竹内文献』の正統性を、竹内一族に伝えられてきたものとして守ろうとした。しかし……あえて言うなら『竹内文献」は王仁三郎の『霊界物語』と同様に、巨麿という異能者によるアカシック・レコードだったのではあるまいか。
 そして……『竹内文献』を中心とするモーゼの十誡石やキリストの墓は、巨麿が酒井勝軍や鳥谷幡山と出会うことで生まれた幻だったのではあるまいか。〔文中敬称略〕

参考文献
『神代秘史資料集成』大内義郷(八幡書店1984)
『神秘之日本』酒井勝軍(八幡書店1982)
『光りは東方より』山根菊子(八幡書店1985)

※この文章は、文献 [1]P48-57にも掲載されている


493 キリストの墓の真実(14)――別冊歴史読本2000 2004/12/23 14:54

文献[3]危険な歴史書「古史古伝」“偽書”と“超古代史”の妖しい魔力に迫る!
(別冊歴史読本54号) 新人物往来社 2000.10

巻頭カラー写真(P7)
「キリストの墓」……歴史的には中世豪族の墳墓と推定されている。

P291-304
対談 「古史古伝」可能性とその限界――古史古伝の放つ妖しい魅力
  田中勝也(歴史研究家)
  原田 実(文明史家)
(抜粋)
■「古史古伝のチャンピオン『竹内文献』
原田 「古史古伝」のチャンピオンはやはり『竹内文献』でしょう。いわゆるモーゼやキリストの墓が日本にあった! というたぐいの聖人伝説が生まれる上で大きな役割を果たしています。『竹内文献』は、宇宙開闢まで遡る長大な皇統譜をもっており、しかもそれは、世界中の人類が全て日本の皇室から別れたことになっているという広大なものです。年代的にも地域的にも壮大な物なのですね。その皇統譜を裏付ける形で、もしくはその皇統譜の原型となる形で、聖者の伝説というのを作っていったのが竹内文献なのです。
 竹内文献では、こうしたトンデモ系の「聖人の話」が生まれた経緯が特定できるわけです。例えば、戸来村のキリストの墓というのは、昭和十年に突然現れます。もともと地元にはそのような話はありませんでした。竹内巨麿が戸来村に、古代史研究家で日本画家の鳥谷幡山と村に現れ、「キリストの遺言が竹内文献の中から出てきて、実は戸来村に住んでいた」とい出すわけです。そして、村の竹薮の中にある塚を見て、「これこそキリストの墓である」といいだしたのです。
 また、石川県にモーゼの墓があります。これもやはり竹内文献絡みで、酒井将軍というキリスト教神学者が竹内巨麿のところにいき、「ここにモーゼの十戒を刻んだ石はないか」と尋ねるんですね。「では、調べてみましょう」ということになって、しばらくして「ありました。実はモーゼは石川県の能登半島で死んでいました」という話になるのです。また、竹内家から出てきた「モーゼの十戒」は豊国文字で書かれています。『上記」とモーゼというのも関係がある、ということなのでしょうね。
田中 戸来村というのはヘブライと関係があると、ゴロ合わせでこじつけられた。
原田 現在は新郷村になっている戸来ですが、あの一帯には一戸、三戸、八戸など「戸(へ)」という字のつく地名が東北には多いわけです。さらに、竹内文献とは別系統で「ナニャドヤラ」という村の民謡がヘブライ語だ、とアメリカ帰りの神学博士守田英二氏が言い出します。
 このように『竹内文献』に関しては、いつ何がきっかけでそう言う話がうまれたかということを特定できる。ある意味でこうした古史古伝の成立過程が検証できるわけです。大正時代に”発見”されたころには、南北朝の伝承を中心にしていた『竹内文献』が、どんどん大東亜共栄圏や八紘一宇の思想にのってトンデモない想像力を羽ばたかせ、世間の注目を集めるようになっていきます。戦時中には不敬罪で弾圧(大審院では無罪)されるわけですが、こうした一連の事件がおきているのが昭和に入ってからなので、記録も残っていますし。


494 キリストの墓の真実(15)――幻想の津軽王国(a) 2004/12/23 14:58

幻想の津軽王国−『東日流外三郡誌』の迷宮
原田 実 批評社1995.5

P208-213
■キリスト伝説の怪
 実は和田家史料群と「竹内文献」には奇妙な接点がある。それは和田家史料群「奥州風土記」の「戸来上下大石由来」(寛政六年七月二日、秋田孝季の記という)にある「戸来邑にては、キリストの墓など奇相な逮跡ぞ存在す」の一節である。先にもやや触れたが、戸来村のキリストの墓は竹内巨麿が昭和十年にこの地を訪れたさいにはじめて「発見」されたものであり、寛政年間の人がそれについて書きうるはずはなかった。
 その点を斎藤隆一氏より指摘された古田氏は次のような反論を発表している。
〈史料根拠とされた、史料(浜洋「日本の20不思議』大陸書房)は、果して「証拠として疑いなし」というような「信憑性」があるのか。少なくとも、学術論文で「証拠」にはあげにくいが、大丈夫か。
○戸来村には、古くからの民俗中に「十」が使われている。また仙台で受難したキリシタンが周辺に散居・亡命したとき、これをキリスト教の「十」に結びつけた可能性も無視できぬ。この可能性を無視してよいのか。
○「戸来(へらい)」の「戸」は「フ戸」「二ノ戸」……「八ノ戸」などに近接しているから、この「戸」と見るべきであろう。「〜来(らい)」の形も「五来(ごらい)」というような姓(有名な民俗学者)があるように地名接尾辞の一つ。それがあの「ヘブライ」と類書と考えられたのではないか。
P209
○これらの可能性を一切排除し、このアイデアを竹内巨麿の「独創」と断定する根拠は何か。「大陸書房」の「20不思議」で確実な(学問的な)根拠になるのか(16)>
 なるほど、古田氏ほどの大家になると斎藤氏がレジュメで引用した「大陸書房」の「20不思議」などに史料価値を認めるわけにはいかないらしい。しかし、竹内巨麿の戸来村探訪については同行した画家・鳥谷幡山が記録を残しており、それは現在、復刻版で容易に入手できるのである(17)。その第一史料としての価値は何人にも否定できまい。
 鳥谷の記録によると、昭和十年八月上旬、巨麿が戸来村を訪れた目的は、その前年の十月、鳥谷が当地で「発見」した大石神のピラミッドを確認するためであった(この「ピラミッド」こそ、実は和田家史料群の表題に現れた「戸来上下大石」なのである)。
 鳥谷は巨麿と共に村人の案内で、「ピラミッド」とその周辺を回っていたが、「僅二間に三間位の長方形の一段高き盛土」の所まで来た時に巨麿は立ち止まったのである。
「翁(原田註−巨麿)は天を仰ぎ地を相して熟視し、そして黙祷を続けてから独りで肯かれ、矢張此処だと許り、これが余等には何んの事やら不思議でならぬ、其れは其筈で、今日迄誰れにも見せぬ古文献を独で調べて来ての対照探査であるからである、そして此処に目標を建てよ統来訪神と後に記されよ、前の野月の二ツ塚には十来塚と書くべしと村長に話された、(中略)余は密かに掌の内で十の字を書いて若しや此ではないでせうかと聞くと、今少し黙れ黙れの御託宣である。」
 これがいわゆる「キリストの墓」発見のいきさつである。この時点では現地にキリスト伝説などはなく、後にいう「キリストの墓」に十字架など立っていなかったということは鳥谷の叙述から見て明白である。また、記録によると、巨麿は旅行中、その塚が「キリストの墓」だなど自らの口からは言わなかった。鳥谷によると、奥州におけるキリストの足跡は「吾等の神代史蹟探究と、竹内翁の後に示された古文献」によって明らかにされたものであり、言い換えるとキリストに関する古文書なるものは巨麿がこの旅行から帰って後にようやく公開されたというのである。


2004年11月07日(日) キリストの墓の真実(16)-(18)

495 キリストの墓の真実(16)――幻想の津軽王国(b) 2004/12/23 14:59

 巨麿の訪問前にキリスト伝説があったとすれば、先に現地を訪れたことのある鳥谷が巨麿に聞き返す必要もないし、巨麿が旅行中、それについて沈黙することもあるまい。以上のいきさつから推定できるのは次のような経緯である。
(A)巨麿は日本の某所に「キリストの墓」があると考えており、鳥谷など一部の信奉者にそのことを密かに告げていた。
(B)戸来村に至り、巨麿はそこで見つけた塚こそ「キリストの墓」にふさわしいと思った。しかし、その時点では、そこが「キリストの墓」だと断言するのを避けた。
(C)帰宅後、巨麿は戸来村に「キリストの墓」があるという証拠文書を発見(あるいは造作)した。そこで鳥谷に対し、「キリストの墓」発見について公表することを許した。
 以上の経緯であったとすれば、昭和十年八月上旬まで、「キリストの墓」は巨麿および『竹内文献」信奉者の頭の中だけにあったのであり、戸来村にあったのはキリストとは関係ない塚だったのである。古田氏があくまで昭和十年より前(寛政六年)の戸来村に「キリストの墓」があった可能性を主張されるのであれば、鳥谷の記録を凌ぐ史料価値を有する文献を探し出す責任が生じるであろう。
P211
■かくして歴史はくりかえす
『竹内文献』といえば、狩野亨吉による名論文「天津教古文書の批判(18)」に触れないわけにはいかない。その論文を執筆した時、狩野の手元にあった『竹内文献』サンプルは信奉者から持ち込まれた写真五点のみであった。しかし彼は「片鱗を似て全体を見ることは出来ないとの反駁あらば認めることを躊躇しない。しかしながら同時に又生命を取るには一箇の致命傷にて足ることを心得なければならぬ」として、あえてその鑑定結果を発表したのである。さて、その結果はいかなるものであったか。
「第一に文章は揃いも揃つて下手であり、肝心な語法語調も億万年を通して不変なるのみならず、誤謬は頑強に保持せられて共通永存してゐる。第二に筆跡は孰(いず)れも見事ならず、著しく近代風を帯びたる上に類似の点多く、一々別人の手に成るものと取れない。第三に所説は正史と矛盾するばかりか、明治以後漸く知れ亙つた如きことを平然として述べてゐる。依て追次此等の文書に就き、其文体、其書体及び其内容の検討を遂げ、悉く最近の偽造であることを暴露せしめたのである。」
私も以前、この論文について納得できない点を指摘したことはある(19)。しかし、今、「その結論を読み直す時、それがそのまま和田家史料群の鑑定結果だと称しても通用する内容であることに驚かざるをえない。和田家史料群事件は、まさに「竹内文献』偽作事件の再現だったのである。まさに「歴史はくりかえす」のである。ただし、それが悲劇としてか、喜劇としてかは後世の審判に委ねる他はあるまい(20)。
 なお、最後に一言しておかなければならないことがある。本論において私は古田氏に対して批判的な言説を述べてきた。しかし、重要なのは、古田氏が本来は優れた研究者であり、親鸞研究や、邪馬台国問題、倭の五王問題、好太王碑文問題、西王母国問題などに関する業績は、たとえその結論について万人の賛同するところとならなくとも、真に画期的なものであったということである。今や古田氏は和田家史料群事件にかかわることで、みずからの過去の業績をも無に帰しつつあるといえよう。望むらくは古田氏もまた反省悔悟してその妄を棄て、すみやかに学問の道の正しきに復帰せんことを。


496 キリストの墓の真実(17)――幻想の津軽王国(c) 2004/12/23 15:01

[註]
(1)昭和薬科大学奉職前の拙著『幻想の超古代史」(批評社、平成元年)では、私は『東日流外三郡誌」について偽書であるとしながら、その伝承としての価値をある程度は認めるという立場をとっていた。平成二年三月、私は古田氏に『東日流外三郡誌』が偽書と思われる所以を説明したが、そのすべてに反論され、結局は古田氏の研究に協力することを約束したのである。なお、古田氏がそのさい、私に口頭で語った偽作説への反論の一塊は『真実の東北王朝」(駸々堂、平成二年)に示されている。
(2)和田氏の写真盗用事件については「裁かれる『東日流外三郡誌』」(「季刊邪馬台国」51号、所収)参照。
(3)松田弘洲『古田史学の大崩壊」(あすなろ舎、平成三年)、藤野七穂「『東日流外三郡誌」の秘密とその問題点」(歴史マガジン文庫『北方の楽園みちのくの王国」ベストセラーズ、平成三年、所収)、斎藤隆一・「『和田文献」への七大批判」(平成五年五月二十八日・共同研究会資料)他。
  なお、以上の論者は触れていないが、私の調べたところでは『和田りく」という自署名(和田家蔵「天草軍記」などにそう称されるものあり)は明らかに江戸時代のものではありえない。「和田りく」は秋田家に生まれ、和田長三郎吉次に嫁いだとされているが、女性は他家に嫁いだとしても生家の姓を名乗るのは漢字文化圏共通の習慣であり、日本でも近世まではその習慣が守られていたからである(中国・朝鮮では今でもその習慣が守られている)。日本で女性が署名するさい、嫁ぎ先の姓を名乗るようになったのは、西欧式の民法の影響によるものであり、当然、その慣習が生まれたのは明治以降のことであろう。和田家所蔵の史料に、「和田りく」の署名を記したのは、近世の風俗・慣習にうとい人物であったと推定される。
(4)古田氏の研究を支援する市民グループの間からも、和田家史料群に関する疑念の声は調査の当初から上がっていた。最も熱心かつ実証的に和田家史料群集作説への反証を私たをにつきつけてこられたのは、仙台古代研究会の斉藤隆一氏である。しかし、私たちにとって最も衝撃的だったのは、昭和薬科大学文化史研究室の調査で発見された新史料「古代ギリシャ祭文」に、岩波文庫『ギリシャ・ローマ神話』(ブルフィンチ著、野上弥生子訳)からの引き写しがあることが、市民の古代研究会会員・水野孝夫氏らにより、指摘されたことであった(「市民の古代ニュース」平成三年九月号)。
  その時期から、古村氏は和田家史料群に関する発言を公式の場では控え、和田家に隠された史料の全公開を待つという態度をとられるようになったのである。
(5)安本美典「反皇国史観察の”異喘の史書”『東日流外三郡誌」はデッチ上げだ!」(「サンデー毎日」平成五年四月十八日号)、「『東日流外三郡誌」の筆跡鑑定」(『季刊邪馬台国」51号)、他。
(以下省略)


497 キリストの墓の真実(18)――別冊歴史読本2004 2004/12/23 15:03

文献[4]徹底検証古史古伝と偽書の謎――「偽り」と「謎」が織りなす闇の歴史を暴く!
(別冊歴史読本77号) 新人物往来社 2004.3
P234-239
『真贋の判定に果たす自然科学の役割』
斎藤努(国立歴史民族博物館助教授)
【要旨】「トリノの聖骸布」は、1988年に放射性炭素年代測定が行われ、95%の確率でBC1260年から1390年の間に作られたものと判定され、結果は1989年の科学雑誌『Nature』に掲載された。美術史、宗教史、文献史からもこれを裏付ける報告がある。
(本書は市販中の為OCRによる全文掲載を控えるが、一部を原文のまま紹介する。)
【原文の部分抜粋】
(P238)
 …現在残っている聖遺物として「聖十字架」「聖槍」「聖釘」「聖血」、変わったところでは「イエスの乳歯」「聖母の頭髪」「聖母の母乳」などがある。これらがことごとく偽造であったことは、一人の聖人の頭や腕が何十人分も残っていたり、キリストの「聖十字架」をすべて合わせるとビル一杯分の量になる、といった例をあげるだけで十分であろう。「聖骸布」として伝えられているものも数十枚確認されており、トリノの聖骸布はそのうちの有名な例にすぎない。

(P238-9)
 …旧石器遺跡捏造事件では、自然科学の関わり方のどこに問題があったのであろうか。旧石器遺跡の発見を主張する人たちは、遺跡で製品としての石器以外に遺物が出てこないことから、石器の出土した地層のみに基づいて、それが古い年代のものであると主張していた。それに対し、これらの遺跡に関わった自然科学の研究者たちは、その地層の年代を詳細に確定することに終始してしまった。つまり、視点がまったく同じ方向を向いていたことになる。これでは、異なる分野が関与することの有効性は発揮できない。捏造発覚前から、人類学や考古学、第四紀学の研究者からは疑問の声が上がっていたのであるから、もしこれら自然科学の研究者たちがその声に耳を傾け、別の視点からの研究手段も講じていれば、あるいはもっと早く捏造を明らかにできたかも知れない。なお、地層ではなく石器そのものを分析した例もわずかながらあったものの、それらの方法は原理や解析の妥当性に疑問がもたれている。
 偽書・偽文書の真贋判定においても、通常議論されるような内容の当否、整合性の有無のみではなく、字体や文体はもちろん、モノ資料としての墨・顔料・紙などを対象とし、また贋作作りの手法に関する研究も視野に入れて、自然科学を含む他の視点からの総合的な調査が必要であろう。自然科学的方法によれば、人文科学とは異なった視点からの、客観的で有用な情報が入手できる。ただし、旧石器遺跡捏造事件でわれわれが得た教訓に基づき、適用にあたっては、調査全体の中での位置付け、目的や手法、その方法の有効性と限界などについて十分に配慮しなければならない。
  □
<新刊紹介>
『日本の偽書』文春新書 藤原 明 (著)2004.5初版 714円
――キリストの墓に関する解説が詳しい


2004年11月06日(土) キリストの偽物

499 キリストの偽物 2004/12/31 22:14

■骨董偽造し、聖書裏付ける遺物に イスラエルで5人起訴
 イスラエル検察当局は29日、骨董(こっとう)品に手を加えて聖書の記述を裏付ける遺物を偽造し、売りさばいていたとして、収集家や業者ら5人をエルサレム地裁に起訴した。専門家の目をも欺き、一部はイスラエル博物館にも並んでいた。
 イスラエル考古庁は「彼らは歴史を書き換えようとしていた。発見されたのは氷山の一角だ」と語る。各地の博物館は聖書がらみの収蔵品の再鑑定を迫られそうだ。
 起訴されたのは、イスラエル人4人とパレスチナ人1人。中にはイスラエルのハイファ大で碑銘学を教えていた専門家も含まれている。起訴状によると、5人の偽造行為は過去20年以上も続き、数百万ドルで国内外に売却されていた。
 偽造品の一つの骨壷(こつつぼ)にはアラム語で「ヨセフの息子にしてイエスの兄弟ヤコブ」という銘が刻まれ、キリストの兄弟のヤコブのものとされていたが、銘が偽造だったことが昨年になってわかった。 (Asahi2004/12/30 18:51)
【解説】まさに“歴史は繰り返す”


2004年11月05日(金) 昭和四十四年元旦祭教示

500 昭和四十四年元旦祭教示 2005/01/01 10:00

◇暗躍する邪神邪悪
 それについて、太古の人類の物語をひとつご紹介しておきましょう。これは特級研修の課目の一つになっておりますのでその時に詳しくお請いたしますが、大元の霊統に火(日)と水(月)と土(地)の大きな神霊界の流れがあります。
 そのうち一番最初、一番高度の科学をもったのがヒの霊統です。どういう科学かと申しますと、天地創造の時に神々がまず高級霊人化して、そして肉体化するという、天地創造の時における大科学に成功しています。
 神の子というのはここから出るわけです。そしてそのヒの系統の神人が、地球を占領しておりました。これが五色人の先祖時代となるわけです。それからいわゆる人類の科学文明がおきるようになって、レムリヤ、ムー大陸文明が栄える。一万五千年前にいったんこの大部分が太平洋に陥没してしまうと、五色人の一部はエビロス、今のアメリカ大陸へ上陸し、そしてアトランチス大陸へ渡り、アトランチス文明を興しました。これがやがてヨイロパ、今日のヨーロッパに侵入して西欧文明を開くのです。
 もう一方は、当時の山頂やユーラシア大陸にはい上がって、ヤマト現日本の島々、インド、中央アジアの文明を残し且つさらに進歩させました。この東西に分かれた文明が再び逆輸入され、日本へ復活した流れが現代文明ということになります。これが新しいこれからの考古学、地質学、大洋学、超古代文献等々の学説上からみた、新真総合的人類史です。
 私の研究した範囲ではエビロスのほうと、それからシベリアのほうへ行った系統は非常に月の系統が多い。そしてそれが、アトランチス大陸で合体をして、物主文明を盛んにし
たわけです。
 そして、この当時はいずれも人間そのものが半神半人時代ですから、非常に高度な霊科学を持っていて、通信などは脳波でやったり、今より高度な宇宙船(天の浮き舟というのがこれであろう)や恐ろしく強度な原水爆まで持っていたと推定されます。しかも月の系統の神々が人間を作ることに成功して、これは後にできただけに、非常に物質の科学を進
ませ得たわけです。
 この二つの霊統を十字からホドイて、タテ系(火・日即心)文明と物主つまりヨコ系ス(水・月即肉体主物主)の文明と別々の文明をあやつっていらっしゃるのが、主の大神様です。そしてこの霊主文明と物主文明を、交流できないように別々に分けて発育させるのを、ホドケの世即十字文明から‖にホドイた世と言い、そしてホドケの世が終わったら十字文明にまた切り換えようとされる(詳しくは中級研修で修得下さい)のが、スの神様の
ご経倫となるわけです。
 ここで神様が人類に欲心を起こさせたご経倫がかかわってくるんですが、ある時期にこの火と月の系統の両者は地球の占領をめぐって大戦争をやっておるんです。この時には原水爆も、あらゆる科学兵器をも駆使して戦っております。ですから人類は魂の奥の底、潜在意識の中ではもう原水爆戦にはこりごりしているはずです。


2004年11月04日(木) S教『真光』誌昭和54年8月号

501 S教『真光』誌昭和54年8月号 2005/01/06 22:12

P96-97 (広報部)
◇御経論と思想謀略の手中に落ちた日本民族
 一国を支配するには、思想と教育を牛耳る事だと言われます。一方的に押しつけられた日本の民主化は、政治・経済・社会・文化・教育など多方面にわたります。同時に日本としては、一日も早く世界の国々に追いつくべく、高度成長政策を取り続けてまいりました.しかし、物的な進歩は目を見張るものがありましたが、”心”を置き忘れていました。
 言い換えれば、日本民族本来の持つ国民性の素晴しさと真実の歴史を隠され、甚だしくは思想や教育の画一化によりすっかり魂を抜かれた国民に育てられてしまっている、と言えるのでありましょう。
 内部からも崩壊の危険が増大すると同時に、外部からは核戦争の恐怖。いつ巻き込まれるや知れぬ暗雲が湧き上がっているのが現代の霊の元つ国、日本の実体です。
 日本の危機と著して、いろいろな事象を取り上げてまいりました。
 最後に、救い主様の御教示により、バイブルで言う“ハルマケドンの戦い”最終戦争とは何か、どうして起こるのか述べてまいりましょう。
 話は、神代の時代に遡ります……。
 かって大元の霊統に火(日)と水(月)と土(地)の大きな神霊界の流れがあります。そのうち、一番最初、一番高度の科学を持ったのが、ヒの霊統です。……そのヒの系統の神人が地球を占領しておりました。これが五色人の先祖時代になるわけです。……そうすると、今度は月の系統の神々が人間を作ることに成功して、これは後にできただけに、非常に物質の科学を進ませ得たわけです。……ある時期に、この両者は地球の占領をめぐって大戦争をやっておるんです。この時には原水爆も、あらゆる科学兵器をも駆使して戦っております……。
 そこで問題なのは、この両者のたび重なる争いの間隙を狙って人類を不幸にしようとする霊人がいるわけなんてすが、このように間隙を狙って人類を不幸にするのが、邪神と邪霊の手です。それが今度は肉体化することに成功して、肉体化したものが混じってお互いに生活しているのが変ぼうした現代五色人即ち現在の各国人です。そして、邪神界、邪悪界の彼らの使う手というのは教育、医学、政治界等々を逆利用して人類の思想悪化、人体毒化をもって悲惨な状態に追い込んで、そして地球を自分達の霊統でのっとろうというのです………。〈昭和四十四手元旦祭御教示より抜粋〉
 以上のような理由で、神霊界には霊統同志の争いが起きています.そして、現在はその最終の決定戦を行なおうとするのですから、それが現界に写し出され、狂った世になる事
 やがて、その正邪の戦いはピークに達しようとしています。と同時に、大天変地異も明日起こるとも限らないのです――。
一方において最終戦争、そして大天変地異の恐怖……これらが、今、人類が直面している神様からの試練です。
 でも、神様を知り、そのみ意を教えられた私たち陽光子には、大峠を乗り越える妙法を与えられています。
 かつてムー大陸が沈没する直前、神官ラ・ムーが叫んだと同様に、救い主様が、「もう遅い!ヒツギの民はのんびりしているぞ!と神様からお叱りを受けている」と絶句されたことを思い出していただきたい。
 もう既にミチは示されています。手をこまねいて天地と共に滅びるか、それとも未来に輝く新しい文明期の種人に許されるか、二つに一つです。
 それは、陽光子ひとりひとりの想念にかかっているのです――。 〈終〉


2004年11月03日(水) 神代文字の真実(22)-(26)

503 神代文字の真実(22)――出土文字(a) A 2005/02/20 18:06

 考古学の進歩により、古代の古墳・遺跡から漢字が書かれたものが次々と出土し、記紀以前の文字の使用状況が明らかになりつつある(神代文字は当然ながらどこにも無い).代表的なHPや文献を紹介する.
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/index.html
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Moji/04/4100.html

文献『古代日本の文字世界』
平川 南(国立歴史民族博物館教授)編集 大修館
(P2-5)まえがき 平川 南
 戦後の古代史・考古学・国語学・国文学に関わる最大の発見は何か、と問われたならば、私は即座に、1978年、埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した「辛亥年(しんがいねん)」銘鉄剣であると断言するであろう。鉄剣には鮮やかな金象嵌(きんぞうがん)の115文字が刻み込まれていた。
 発見当時、7世紀以前に日本で書かれた銘文としては、熊本県玉名市の江田船山古墳出土の鉄刀銘と、和歌山県橋本市の隅田八幡宮(すだはちまんぐう)「癸未年(きぴねん:443年または503年)」銘人物画像鏡などが知られているだけだった。稲荷山古墳の鉄剣銘は冒頭に「辛亥年(471)」と刻まれ、「意富比垝(オホヒコ)」から「乎獲居(ヲワケ)」まで8代の系譜が続き、代々「杖刀人(じょうとうじんの)首」として大王に仕えてきたこと、「乎獲居」が「獲加多支鹵(ワカタケル)大王」の統治を助けた記念としてこの剣を作ったという由来が記されていた。115文字という文字数もさることながら、この鉄剣銘は文体も整っており、その内容は当時の国内政治の一端が示されている。この鉄剣銘の発見によって”古代社会と文字のはじまり”の議論は学界内外で大いに沸騰したのである。
 その銘文が持つ歴史資料としての価値は、はかりしれないものがあった。さらに、まだ学問分野間の議論・協業があまり行われていなかった当時、古代史・考古学、そして国語学・国文学の研究者がこぞって議論に参加し、現在の学際的研究の出発となった点においても、この鉄剣の発見は画期的な出来事だったと評してよいであろう。
 稲荷山鉄剣発見から十年を経た1988年、千葉県市原市稲荷台一号墳から、「王賜」に始まる銀象嵌(ぎんぞうがん)七文字の銘文を持つ鉄剣が出土した。この銘文は古代国家形成期における王からの”下賜刀”の典型的文型と考えられる。5世紀半ばという鉄剣の年代から、この銘文は日本で書かれた最古のものとされた。
 しかし、その後久しく発見は途絶え、”古代社会と文字のはじまり”の問題は人々の話題から消えていた。ところが、二、三年前から突如として新聞紙上に相次いで「日本最古の文字か」という見出しが載りはじめた。報道は、二〜四世紀ごろの土器などに一文字または数文字が記されていたことによる。しかし、これらの一つないし二つの文字は、文章をなしていない点からいえば、やはり文字のはじまりの問題とは一線を画して考えるべきである。中国や朝鮮半島と緊密に交流していた列島各地で、鏡や銅銭などに記された文字が漢字として認識されていたのか、あるいは一種の記号・文様としてとらえられていたのか、それは明らかでないが、未知の文物として日本人に強い印象を与えたのは間違いないだろう。文字を持たなかった日本では、中国と外交関係を結んだ時点ではじめて漢字・漢文による外交文書が作成された。それが日本列島における文字のはじまりといえる。
 この点に関して、稲荷山古墳出土の「辛亥年」銘鉄剣が解読された時に故西嶋定生(にしじまさだお)氏は次のように指摘していた。「日本における漢字の受容は、ただ文字という高度の文化が、文字のない文化の低い地域に自然に伝わっていったのではなく、日本の方にそれなりの必要があって取り入れたのに違いない。その必要とは、政治的経済的利益のために中国王朝との関係を継続しようとする政治的行為であった」。
 千葉県稲荷台一号墳の「王賜」銘鉄剣の発見によって、私たちは、五世紀半ば、日本列島の中での政治のために、はじめて王権から地方豪族に下賜された鉄剣に銘文が記されたことを知り得た。続く五世紀後半、下賜される側の地方豪族が自ら王権とのつながりを明記したのが、稲荷山古墳出土「辛亥年」銘鉄剣や熊本県江田船山古墳出土の鉄刀に刻まれた銘文である。やがて、文字は次第に地方にひろがり、古代国家の文書による行政が七・八世紀の段階で確立する。――このように理解すれば、日本列島における文字のはじまりとひろがりを一つの流れとして説明できるのではないかと思う。


504 神代文字の真実(23)――出土文字(b) A 2005/02/20 18:08

 さて、”日本の古代の文字のはじまり”の問題を考えるとき、もう一つ論点がある。それは、中国や朝鮮半島の文字をもう一度考え直さなければ、日本の文字のはじまりの問題は解けてこないのではないか、ということだ。
 中国では文字は神様との対話からはじまった。次に各地の豪族が王に忠誠を誓い仕えた由来を、王から褒賞として受けた金属の地金や貨幣で作った青銅器に記した。さらに秦代には、書体を統一し、文字を統治の道具とした。
 一方、日本の文字はまず、中国王朝との外交上の必要からはじまり、次に国内政治において、王がその臣下に銘文を刻んだ刀を下賜した。次に、地方豪族が王に仕えた由来を刀剣や鏡に記した。そして文書行政が定着した八世紀ごろから、神に対して土器に食物を盛り、供献するとともに、文字によって自らの願いを神に伝えたのである。このような古代における中国と日本の文字の流れの相違は、文字の生まれた中国とその文字を受容した日本との違いを端的に表わしているといえるであろう。
 ところで、”古代日本の文字世界”を考える上できわめて重要な資料として、近年出土した7世紀代の木簡などの文字資料が注目される。
 長野県更埴市の屋代遺跡群では、665年の年紀を持つ木簡から郷里制下にあったといわれる720年代ぐらいまでの木簡が、約120点出土した。また、徳島市の観音寺遺跡からは、7世紀前半にまで遡る『論語』の一節を書いた木簡や、7世紀後半から8世紀にかかる時期の木簡が約70点出土した。また木簡以外でも、千葉県栄町五斗蒔瓦窯(ごとまきがよう)跡から地名を万葉仮名で表記した7世紀後半のヘラ書き瓦が約400点確認されている。時を同じくして発見された、都における飛鳥池遺跡の七世紀後半の大量の木簡とも連動して、現在7世紀の文字資料が大いに注目されている。
 これまでの木簡研究は、8世紀の平城宮出土木簡を中心に進められてきたが、その研究は正倉院文書という同時代資料の研究成果に支えられていた面が大きいといえる。大量の7世紀木簡の登場により、今後の古代の木簡研究は、8世紀木簡研究の成果を7世紀に無批判にあてはめるのではなく、7世紀木簡を総体的に把え、その特性を明確にしていかなければならなくなった。『日本書紀』『古事記』そして『万葉集』、さらに「推古朝遺文」と呼ばれるわずかな金石文資料を中心として進められてきた国語学・国文学研究にとって、新出の膨大な出土文字資料は、きわめて貴重な資料群といえよう。
 こうした現況は、1978年の稲荷山鉄剣銘発見当時にも近似している。
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/inariyama/text.html
http://www-user.interq.or.jp/~fuushi/5-anc/kodaisi/ka-b-inani.htm
http://www.ichihara-chb.ed.jp/board/culture/f/i_f_04.htm
  □
【新刊の紹介】『文字と古代日本』全5巻 吉川弘文館 2004.12より刊行開始



505 神代文字の真実(24)――新村論文(a) A 2005/02/20 18:09

『徹底検証古史古伝と偽書の謎』――「偽り」と「謎」が織りなす闇の歴史を暴く!
(別冊歴史読本77号) 新人物往来社 2004.3
P272-297『上古文字論批判』――新村 出
【編集部より】
「古史古伝」の批判論文として双璧とされる昭和戦前の狩野亨吉「天津教古文書の批判」と戦後の山田孝雄「所謂神代文字の論」。しかし、それらに比肩・凌駕する知られざる論文が明治期に書かれていたのである。明治31年(1898)6月、東京帝国大学在学中の若き新村出(1876〜1967)によって著された「上古文字論批判」である。新村は、『広辞苑』編者として知られる言語学者・国語学者で、東京帝大助教授・京都帝大教授を勤め、帝国学士院会員となり、日本言語学会・日本方言学会会長など錚々たる経歴の持ち主である。昭和31年には文化勲章を受章している。この論文は、落合直澄(1840〜91)・田中頼庸(1836〜97)ら神代文字論者たちが相次いで物故し、神代文字実在論が退潮していくなかで、その命脈に最終「判決」を下すために執筆されたものである。400字原稿用紙で100枚近くに及ぶその論文は、西洋の言語理論を応用し、古今の文献を博捜・渉猟した精緻なものである。末尾には、明治初年に登場した『上記』への言及も見える。今後、「古史古伝」を扱うものにとって避けては通れない論文であり、新村出記念財団の許可を得て、『新村出全集』第1巻(筑摩書房、1971)を底本に前文を再録した。

<Web注>
 本稿は『新村出全集』第1巻の『単行本未収載編』(P563-602)に掲載されている。同論文は新村氏21歳の作で、「ながく篋底に秘して保蔵」とある。この全集が出版されるまでは、ほとんど研究者の目に触れることもなかったようである。同じ21歳の夏に青森の『キリストの墓』をわざわざ訪ねに行った國學院大學の学生とは次元が異なる。
 この論文の特長は、明治初期の神職者(落合直澄・田中頼庸)を、正面から批判している点にある。山田孝雄氏は、探楾蔦楷枋垢里燭瓩、正面切って批判していない。この箇所を引用してお目にかける。


506 神代文字の真実(25)――新村論文(b) A 2005/02/20 18:11

 『上古文字論批判』――新村 出 (別冊歴史読本77号)
P291
而して氏は断じて曰へらく、神代文字説の起りは「愛国心の誤解」なりと。
 初め氏の此の考あるや、原文を訳せしめて田中頼庸に示したる人ありき。是れ明治十八九年の交なり。頼庸、一には驚嘆し一には憤慨し、即ち夜筆を執りて之が駁論を作る。其の後六年、即ち明治二十四年翁の「日本神字考」、「国光」の紙上に公にせらる。
(中略)
 其後(田中頼庸の)「日本神字考」は神谷の説をも取りて確かなりとせしが、
P292
段を分つこと五十一、初めに 「もじ」「ふみ」の語源を尋ね、共に漢字音より来りしにあらずして日本純粋の古語なりとてその有文字論に資せり。而して古来神字論を唱へたる人の説を引用して、説を確かめむと欲せり。かくて求めて得たる味方凡そ三十有五人、貫之も亦神代文字論者とせらるゝに至れり。其の書、其の説、其の人の価値に至ては毫も説く所なし。只だ古人の恥曝らしに止まりたり。著者は神主、昨年没す。其の同志落合直澄亦熱心なる神代文字論者なり。初め清国人沈文焚なるもの『日本神字考』を著はして、日文を漢字に附会せり。直澄其の弁妄を作り名けて『日本神字考辨妄』といふ。明治二十一年『日本古代文字考』を著はし、先づ神代文字論の伝説を挙げ、その字源は卜兆より出で、卜兆は円象中点より起れりと為す。上古文字なりとて挙げたるもの凡十三種、日文、阿奈以知字は勿論、『上記』の偽字をも、偽作(その偽作なるは坪井正五郎氏の証明あり、昨年重野博士も亦北海道巡視の際同文字に渡して誤謬を重ねられたり[東京学士会院雑誌])の「アイヌ」字をも、篤胤が「疑字篇」中に棄てたる諸種の字をも収め、其の字源を説明し、陶器、石器、石碑、木器、印、土盃等、諸種の古器物に見えたる片々の記号を、かの別に発見せられたる諸種の字を以て読み下しぬ。而して之を『文字考』中に見るに、古器物其のものの価値、それに顕はれたる片々の符徴の吟味、既に聚まりたる諸種の文字の真偽には毫も深入りせず。軽々に看過して或は自ら実物を検査するか、或は識者が検査の結果に基くか二途の一に出づることなかりき。
  又彼は後章に於て、象字(かたかな片仮字)は、皇国字(『うへつふみ』ニ出タル字)、阿比留字(日文)、六行成字(阿奈以知字)より出で、平仮字は其の草体にして、象字を元として漢字の草体に折衷せるものなりとせり。これ既に篤胤等の唱へしところ。
 
 
『藝林』第4巻(1958)  文学博士 山田孝雄著
所謂誕緤源の論(中):2号P10-29(88-107)
P19
 明治維新の後、誕緤源の存在を主張するに努めた著しい人としては田中鰺・落合直澄の二人である。田中鰺任短考といふ。この書は未だ見ることが出來ないけれど、落合直澄の日本古代文字考にはその緒言のうちに、
 田中翁ノ短考ハ古字ノ傳來及ビ古今ノ諸説ヲ網羅シテ載ラレタリ。傳記諸説ヲ見ムトセバ此書ニ由ルべシ。
と云つてある。日本古代文字考は短日文傳の説を骨子とし、鍥木文字考の分解法を利用し、田中の短考を材料として述べたものであるが、日文傳の疑字篇に載せた種々の字はもとより、その外のもの、たとへば、豊後人吉良義風の上記鈔譯といふものゝ用ゐてゐる文字に至るまでを網羅して一々に説明を加へ、現今の通用假名はすべて誕緤源から出たものだと主張した。
 是より先、清國人沈文熒といふものが短日文傳に載せた所謂誕緤源は漢字の古文であると唱へて一々之を説明し、それぞれ釋文を加へ日本短考二巻をあらはした。之によればそれら誕緤源といふものは皍ち支那の古文字だといふことになるのである。しかしながら、それが妄説であることは日本古代文字考の附僂鳳いて論駁してゐるので明かである。


507 神代文字の真実(26)――神理研究会への反論 A 2005/02/20 18:12

 神理研究会のHPに、山田博士の論文に対する批判が掲載されている。これに反論していこう。(http://f35.aaa.livedoor.jp/~shinri/)
1) 山田博士は、神宮教院において、神代文字が『偽造』されたと言い張った――神宮文庫の目録では『冩』となっており、あくまで写本である。原本は存在しない。また、山田博士は『偽造』とは言っておらず、あくまで『無邪気な 気まぐれな すさび』と書いている。つまり、現代風に表現するなら“パロディー”である。ただし、今の世ならパロディーでよくても、明治初期なら不敬のそしりを逃れ得ない。皇學館の前身の神宮教院で、このような事が行われたことを公表するのは山田博士にとってつらいことだろうが、学問の真理追究の為に情報公開をあえて行ったその姿勢は高く評価すべきだ。そもそも『偽造』の有栖川を見破れない人物に伊勢神宮所蔵の神代文字の鑑定ができるわけがない。
http://web.archive.org/web/20030413132017/http://www4.ocn.ne.jp/~tenno8.6/html/koen_h12arisu.html

2) 科学的年代測定を行っていない――日本ぺトログラフ協会長氏の著作を何冊か読んでみた。「ぺトログラフの科学的年代測定は可能である」と複数の著書に書いているが、「科学的年代測定を実施した」とは一言も記載していない。科学の進んだ今の世の中ならできて当然のことを行わずに、50年前の研究者を批判するなどもってのほかだ。
◇国内の神代文字・ペトログリフ資料
http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/sonohoka3tyozindai.html

3)式年時に新調されたと見るべき――伊勢神宮の式年は明治2年と22年に行われている。神道史大辞典(吉川弘文館2004初版)によると、落合直亮は明治10年に伊勢神宮禰宜・伊勢神宮教院の教官となり、15年に辞したとある。この間に神代文字の“創作”が行われたとみられ、式年とは全く無関係である。式年時に古文献の原本を破棄し、写本のみを残すことはありえない。原本が存在して、初めて写本の価値があるのである。


日記作者