暴かれた真光日本語版
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2004年05月31日(月) 092 judge

最終更新日:2002.11.30


真光裁判資料

この裁判資料を含めて様々な国内文献を精力的にネット公開されている方に、心より感謝いたします。

目次


・中外日報1982年9月3日8-9面
・宗教関係判例集成4巻
・「宗教法」(宗教法学会発行) 第5号(1986.11) 25-42頁 大野正男(弁護士) (宗)世界真光文明教団代表役員地位確認請求事件 ――教義に関する事項を含む紛争について裁判所の審査権はどこまで及ぶか――




2004年05月30日(日) 093 judge

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中外日報1982年9月3,6,8日8-9面

〔ニュース追跡:世界真光文明教団事件(上)〕(9月3日8−9面)


<”二人の後継者”に教団分裂の危機>
<法廷で争われた代表権――二代教え主に関口栄氏>

 歴史の浅い新宗教教団にとって、教団創立者から二代目への転換は、教団消長につながる大きな鍵と見られている。世界真光文明教団では、創立者の遺言をめぐって”二人の後継者”が現われ、八年余りの裁判を経てこのほど和解が成立した。

 紛争は昭和四十九年、岡田光玉初代教え主(創立者)の死去を契機に、当時の崇教局長(布教責任者)・関口栄氏と初代教え主の養女・岡田恵珠氏が各々代表役員の地位を主張して争われ、同五十二年に東京地裁民事八部で関口氏が勝訴し、仮処分も行なわれたが、岡田氏は更に高裁に控訴し、最近まで法廷で争いが展開されていた。

 七月十日に和解が成立し、関口栄氏はこれまでの東京地裁、高裁、最高裁での仮処分判決においてもすでに認められていたとおり世界真光文明教団の教え主(代表役員)であることが確認された。他方代表役員としての職務執行をすでに停止されていた岡田恵珠氏は名実共に教団から退き、今後は別法人の「宗教法人真光」で活動することになった。

八年余りにわたる紛争の経緯を取材すると、岡田恵珠氏を擁立する一部幹部の言動に”陰謀””策略”をめぐらし、教団を私物化する動きまで感じられる。こうした動きが社会から宗教界の風潮と見られることを恐れ、もって他山の石とする意味から、以下、四回にわたる裁判所の審理、判断と関係者の証言等を基に、八年間に繰り広げられた世界真光文明教団の”点一坊〃事件を再現し、連載する。



<やっと”光”さす――教祖の養女(岡田恵珠さん)と和解>

<教祖没後の”正統”争いに八年目の終止符>

【”苦悶”の八年――】

<昭和四十九年> 

 六月二十三日・初代教え主死去。同二十五日・幹部通夜の席で、恵珠氏は「二代は関口さん」との初代の遺言を発表。七月五日・恵珠氏名義で虚偽の代表役員登記。同十三日・初代の教団葬で、関口氏の二代教え主就任を公式発表。八月一日・”ご神示”と称するメモをもって、恵珠氏は教団最高位を主張。九月十八日、関口教え主は、代表役員の地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分を申請。

<昭和五十年> 

 七月・東京地裁判決で、関口教え主の代表役員は認定されたが、仮処分措置をとる緊急牲、必要性が明確でないとして仮処分申請は却下。同八月・関口教え主は、仮処分申請について東京高裁に控訴、同時に確定判決を得るため東京地裁に本案訴訟。

<昭和五十二年> 

 二月・東京地裁判決で、関口教え主の代表役員を確認。同三月・東京高裁判決で、仮処分が認められる。同九月・恵珠氏は仮処分について、最高裁に上告したが棄却さる。

<昭和五十四年> 

 五月・関口教え主は、恵珠氏側に対して、七億六千万余円の業務上横領を告訴。

<昭和五十七年> 

 七月・和解成立、関口教え主の代表役員を確認、恵珠氏は教団を退く。

(1)教団の歩み

 世界真光文明教団は、昭和三十四年、岡田光玉氏が前身である「陽光子の友」団体をつくり布教活動をしたのが始まりで、当時、東京・世田谷界隈を自転車を乗り回し、病気、貧困等を”真光の業(わざ)”という手かざしによって救い、教団の教えを説いてまわった。

 数年後には一万人を超える組み手(信者)が集まり、同三十八年、「宇宙天地、人類創造の元主大神、天祖皇祖人祖を奉斉し」その教義の宣布、実践を目的に、東京・田園調布に本部を置き、宗教法人「世界真光文明教団」を設立、岡田光玉氏は初代教え主となった。

 その後、教線が拡大し、同四十九年には組み手(会員)三十万人、全国五百カ所の拠点、二十カ国に支部、道場を設立する等、めざましい発展を遂げる。

<不可解な”一夜の変身”――「二代は関口」の遺言伝えながら>

(2)創立者の死

 昭和四十九年六月二十三日、岡田光玉氏の死去によって後継者問題が始まる。二日後の二十五日、初代教え主の通夜が幹部によって営まれた。この時、恵珠氏は教団本部「教え主室」に関口栄崇教局長を招いて、「二代は関口さんにお願いしなさい」との初代教え主遺言を伝えた。教え主の指名を受けた関口氏は「これは大変なことですから、本部の局部課長にも聞いてもらいたい」と申し出、恵珠氏は要請に応じて冨田萬美秘書課長に約三十人の最高幹部(本部局部課長、方面指導部長)を集めさせ、同夜十時四十五分頃、再び遺言を次のように発表した。

 六月十三日朝、父(初代教え主)にご神前に呼ばれた。父は、昨夜、神様から「遅い遅い、もう間に合わん、ヤマト人遅い」と叱られたとおっしゃった。

 そして、父がかけておられた「父の御み霊(ベンダント型)」を私(恵珠)にかけて下さった。

私が、もしお父様がご昇天されたら後はどうしたらよいでしょうかとお伺いすると、「二代は関口さんにお願いしなさい」といわれ「二代様用の御み霊」をお預かりした。父は続けて、「この御み霊は、二代、三代と続くものである」とおっしゃった。いつまでもお預かりしていると怖いので早くお渡したいのです。皆さん、私の言っていることをわかって下さい。私はこのような大変なことですから、私情を交えないでお話いたしました。

 父は三つの御み霊をかけておられました。一つは二代様用の御み霊、一つはラーム氏から頂いていた分、今一つは私がおかけしている父の御み霊です。そして父は、パリに行かれる前に、二代様用の御み霊を、私におかけになって「もし何かあったら二代目を嗣ぐように」と言われました。そして無事に父が帰国なさった時、「預けておいた御み霊を返しなさい」と言われて、二代様用の御み霊をお返し致しました。私がおかけしている御み霊は、父の御み霊であって二代様用のものではありません。これは大変なことですから私情を交えずにお話し致しました。

(以上の内容は、七月十七、十八日の両日、発表に出席していた本部局部課長、方面指導部長に、文書によって確認し、署名、捺印を求めたもの。資料1参照)

 重大な発表だったため、幹部の一人が再度遺言の確認を求める。と、恵珠氏は「二代は関口さんにお願いしなさいといわれました」と繰り返した。その後、関口氏が二代の指名を受けるとの挨拶があった。恵殊氏は二代用の御み霊を預かっているのは怖いから一刻も早くお渡ししたいとして、その場で渡そうとしたが、その時、夜の十一時を過ぎていることもあり、関口教え主が「もう遅いですから、明日、神殿で初代様のお柩の前でお受けしたい」と提案し、出席者全員の賛同を得て、翌二十六日に行なわれることになった。

 二十六日早朝、上級幹部等は二階神前広間に集まっていた。ところが幹部を一旦二階から退出させ、恵珠氏の側近である有間たまえ経理部長と富田秘書課長の二人のみが立ち会い、御み霊渡しが行なわれ、当日出席した幹部等は重大な立ち会いの席からはずされてしまった。

 全幹部への二代指名発表が、急遽中止となり、変則的な形で「御み霊渡し」が行なわれたことについて、疑問を感じた幹部等は、初七日の二十九日、中止になった原因を追求、その結果友森清晴警衛警備部長の指示によるものと判明する。その後の推移を見ると、この友森部長の”不可解な指示”が、後の許反計画を想起させる。

<「み霊渡し」の後で――こっそり代表役員の登記>

(3) “天一坊事件”の発端

 教団規則第六条一項および二項によると「その代表役員は、この法人の教え主をもって充てる。後任の教え主は、現在の教え主があらかじめ指名した者をもって充てる。あらかじめ指名していない場合は、責任役員の互選により選定する」となっている。

 ところが七月五日、関口教え主に何の相談もなく、恵珠氏、友森部長、山本正彦経理局長、岡本洋明調査部長の四人は、「初代教え主の遺言の如きもの及び責任役員の互選によって代表役員は決定された」という文書を作成し、恵珠氏の名前で代表役員の登記をしてしまった。世界真光文明教団の”天一坊事件”は、これを発端として紛争に突入する。

 関口教え主はじめおもだった教団幹部は、恵珠氏を擁立する一部幹部が画策した”虚偽登記”を知らないまま、七月十三日、「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)当日、一万五千人の組み手が東京・九段の日本武道館に参集、その席上、松平定堯事務長から次のように発表されている。

 「恵珠様のおことばを謹んでお伝え申し上げます。『救い主様(初代教え主)より二代教え主は”関口さん”にお願いしなさいといわれました』。おことばそのままを、みなさん方にお伝えいたします」(当日の録音テープから転記)

 その後、一万五千人の組み手の前で、関口教え主の就任挨拶が行なわれている。

 翌十四日、関口教え主は「七月度月始祭」を斎主として教示を行なっている。十三日の公式発表、十四日の月始祭を終え、本部(田園調布)で執務についた関口教え主に対し、本部員、特に教え主を補佐すべき秘書課が非協力的で、関口氏を二代教え主として迎える雰囲気が乏しかった。十七日、不審を感じた関口教え主が書類等を検討すると、既に五日付で岡田恵珠名義で代表役員登記がなされているという事実が発覚する。

 事態を憂慮した関口教え主側の側近幹部等は、今一度、六月二十五日夜の遺言を確認する必要を感じ、同夜出席した局部課長、指導部長等に確認を求め、その結果、「ニ代は関口氏である」という署名捺印のはいった確認書(資料1参照)を得た。しかし、関口教え主は、恵珠氏との対立による教団内部の混乱を防ぐと共に、
恵珠氏の名誉に傷がつかないようにとの配慮から、虚偽登記の件を伏せたまま、十入日、第一種会議(本部局部長、方面指導部長会議)を開いた。

 議事録(議事録記責任者=松平事務長、資料2)によると、出席した大方は、虚偽登記の件を知らないまま、恵珠氏の処遇について諮問している。同会議では無論だれも関口氏が二代教え主であることに異議をはさむ者はなく、それどころか、虚偽登記を画策した友森部長、岡本部長の両氏も、関口氏が初代教え主の一切を引き継ぐことを認めており、

「1」関口二代教え主が霊、体の面とも初代教え主より継承し、教え主として活動する
「2」恵珠氏の立場については、関口教え主と恵珠氏が話し合いの上で決定する
「3」幹部組み手は、教え主の裁可のもとに行動していく

――とのことが確認されている。

<私物化の動き?――側近者たちの”画策”>

(4)影の”演出者”

 二十五日、金子明弘訓練教学部長補佐と工藤高裕同課長は、虚偽登記の事実経過を確認するため、田園調布の梅林旅館で、友森部長と会見し、真意を糺した。友森部長は、教団規則を知りながら虚偽登記したことについて「僕も疑義があった。規則に抵触しはしないかと。実際のところ山本局長より、教え主というのは内部的なことで、代表役員は法律的なことである。本質的に違うという説明を受けて納得した。関口さんは二代教え主に間違いない、こっち(恵珠氏)を僕は教え主とは思わない。代表役員を関口さんに正さなければいかんと思っている」(同会談の録音テープの要約)と説明している。

 同説明を聞くと、虚偽登記を画策し、”教え主(内部的)は関口氏、代表役員(外部的)は恵珠氏”という教団規則に反した理論を主張しているのは山本局長で、友森氏は引きずられた形になっている。しかし、彼の法廷証言によると、友森部長こそ隠れた”演出者”と見られる節がある。

 証言によると、友森部長は初代教え主の亡くなった翌日、恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である。二十四日に続いて、二十五日の遺言発表直後も、友森部長と恵珠氏は、深夜の二時頃まで会談している。二十五日夜、自ら、”ニ代は関口さん”という初代教え主の遺言を発表し、二代用の御み霊を持っていることに恐怖さえ感じ、早く関口氏に渡そうとした恵珠氏が、翌日の「御み霊渡し」、七月五日の虚偽登記へと大きく変節した理由を考えると、そこに友森部長の”意見”が大きく影響しているものと見られる。

 一方、関口教え主はあくまで穏便に事態解決をはかろうと、恵珠氏に直接話し合いを求めた。しかし恵珠氏側は何度か「ご神業多忙」を口実に関口教え主の要請を拒否しつづけた。しかしようやく二十九日になって、面会が実現をみた。席上、恵珠氏は終始無言で通し、ただ関口教え主の言葉をノートにメモするだけだった。同席した天野正勝顧問が受け答えし、関口教え主の問いに対しては、文書で回答(資料3参照)することを約した。翌三十日、天野顧問から寄せられた回答書では、関口教え主を”ニ代様”とよんでおり、また月始祭での着席位置について、関口教え主が恵珠氏より上座であると回答している。ただし、代表役員については恵珠氏ということで、とりあえず関口教え主には責任役員に入ってもらうと回答している。


<”神示”の登場――「秘発一号伝達書」の怪>

(5)二人の教え主

 八月二日、恵珠氏は熱海元み魂座に関口教え主を招き、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」と記されたメモを呈示した

。同文書は八月一日、元み霊座の初代教え主の部屋を整理している時に発見されたもので、初代教え主が六月十三日に記した”ご神示”であると主張した。以後、恵珠氏側は同メモを”ご神示”と称して関口教え主の排斥に取りかかる。

 同メモの発見によって恵珠氏は一段と高姿勢に転じ、四日の月始祭では、関口教え主より上座に着席することにしてしまった。続いて恵珠氏は、八月七日付で「秘発一号伝達書」を出し、同メモの意味について「ヨのみ霊を与える」とは「父の御み霊を与える」、すなわち「恵珠様にヨニマス大天津神の地上代行者のみ役を与える」と解釈し、 ”恵珠様はこのご神示により、六月十三日にヨニマス大天津神の地上代行者となり、神事一切を取り行うことができ、代表役員として教団の頂点に立ち、関口氏には本山造営と教線拡大の陣頭指揮を命じ、恵珠様を補佐代理させることができる”と主張しだした。

 ここまでの経過を見ると、恵珠氏側も七月末日までは関口氏を”教え主”であると認めており、代表役員については、それが虚偽であるがとりあえず恵珠氏のままで体面を保とうと考えていた。それが八月一日に”ご神示”と称するメモを発見したとして、恵珠氏を名実共に教団最高位につけ、関口教え主を下位におかんと画策し始めたわけである。

 こうして恵珠氏の側近者等は、恵珠氏を教団最高位に置き、関口教え主をその代行者であるとする主張を強引に推し進め、幹部の離反を画策し、関口教え主が本部での職務執行が不可能な状態に追い込んでいく。関口教え主は、八月末にはとうとう公式行事に出席できない状態に追い込まれ、九月度の月始祭では、教え主が斉主するのではなく、ヨニマス大天津神のただ一人の代行者と主張する恵珠氏が、斉主代行を事務長に命ずるという異常事態となった。

 関口教え主は、この事態改善の最後の手段として、九月五日、全国に”教え主の承認(印)なき文書・通達は無効である”として、教え主の絶対性を強く打ち出した。ところが恵珠氏は二日後の七日付で、「代表役員『教え主』岡田恵珠」よりの通達で、五日付で出した関口教え主について、教団は関知せずと告示し、ついに恵珠氏は関口教え主を教団かち追い出した如き見解を示すと共に、初めて公式に自らを”教え主”であると称する。

 ことここに至ってやむなく関口教え主は、九月十八日、裁判所への問題提起の意志を固め、関口教え主の代表役員地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分申請を行なった。

(以下次号、文中の役職名は当時のもの) =つづく=

【資料1】6月25日の初代教え主遺言についての確認書
(写真:朝熊俊文氏の全文自筆署名捺印文書)

    二代教え主様のご指名について
 昭和四十九年六月二十五日午後十時四十五分頃、世界真光文明教団本部(場所東京都大田区田園調布二ノ二十五ノ十)の教え主控室において教え主様お代理の岡田恵珠様が、本部局部課長及び各方面指導部長の参集を求め、参集した別紙の者に対して、初代教え主岡田光玉様のご遺言について左記のようなお伝えがありました。
        記
 父のおコトバをお伝え致します。六月十三日の朝、父にご神前に呼ばれました。そして父は、昨日(12日)神様から「遅い遅い、もう間に合わん、ヤマト人おそい」と言われたとおっしゃいました。そして父がいつもかけておられた父のおみ霊をお預かり致しました。

 もし父が昇天なさったら、後はどうしたらよいでしょうか、とお伺い致しましたところ「二代目は関口さんにお願いしなさい」と云われ二代教え主様用のおみ霊をお預かり致しました。そして続いて「このおみ霊は二代、三代とつづくものである。」とおっしゃいました。

 いつ迄もお預かりしていると恐いので早くお渡ししたいのです。皆さん、私の言っていることをお判り頂きましたでしょうか。
判って下さい。私はこのような大変なことですから、私情を交えないでお話致しました。判って頂きとうございます。

 父は三つのおみ霊をかけておられました。一つは二代様用のおみ霊、一つはラーム氏から頂いていた分、今一つは私がおかけしている父のおみ霊です。そして父は、パリに行かれる前に、二代様用のおみ霊を、私におかけになって「もし何かあったら二代目を嗣ぐように」と言われました。そして無事に父が帰国なさった時、「預けておいたおみ霊を返しなさい」と言われて、二代様用のおみ霊をお返し致しました。

 私がおかけしているおみ霊は、父のおみ霊であって二代様用のものではありません。これは大変なことですから私情を交えずにお話し致しました。

            以上
        右のとおり相違ないことを認めます。
           昭和四十九年七月十七日
            役職名 東部近畿方面指導部長
            氏名 朝 熊 俊 文 (印)


【資料2】第一種会議の議事録(写真)=省略=
【資料3】天野顧問名の回答書(写真)=省略=


【Web解説】
 「宗教関係判例集成」第5巻によると、金子訓練教学部長補佐と工藤同課長の証言は、関口氏勝訴のための証拠となった。
 この時岡田晃弥氏は、訓練教学部教官だった。つまり、真実を証言した直属の上司を彼は裏切ったわけだ。








2004年05月29日(土) 094 judge

〔ニュース追跡:世界真光文明教団事件(中)〕(9月6日8−9面)


<長引く決着”荒廃”の色増す教団――後継者めぐる法廷闘争”八年”の教訓>

<つくり変えられた「確認書」のあきれた”証言”>

<二人の教え主に・・・二つの大祭>

(6)法廷闘争

初代教え主の遺言に背き、教団親則を無視して、恵珠氏を代表役員とする虚偽の登記を行ない、正統な教え主、関口氏を排斥し、教団を”私物化”しょうとする恵珠氏等の画策をみて、関口教え主は、このままでは教団使命の遂行が危くなり、三十万組み手(会員)を欺くことになると判断し、九月十八日、やむなく東京地裁に「(教え主・代表役員としての)地位保全の仮処分申請」に踏み切った。

 その申請趣旨は、「1」関口氏が初代教え主岡田光玉氏より指名を受けた「二代教え主」であるから、教団規則にもとづき、教団代表役員の地位にあることを、とりあえず仮に定めてほしい「2」岡田恵珠氏の代表役員としての職務執行を停止してほしい――というもの。

 九月二十六日、仮処分裁判第一回審訊が行われた後、恵珠氏等は、裁判に有利な証拠づくりを画策し、十月二日、臨時幹部会を開く。その席上で、六月二十五日に恵珠氏自らが発表した「ニ代は関口さん」との初代教え主の遺言を否定し「二代は恵珠様」とする内容の確認書を作成する。

 つくりかえられた確認書によると、六月二十五日に恵珠氏が発表した初代教え主の遺言は次のようになっている。

 六月十三日の朝、父(初代様)にご神前によばれまして(中略)。父がいつもお身体にお掛けしておりました御み霊(ヨのみ霊)を私(恵珠様)に掛けて下さいました。

 そこで、父にもしもの事があったらと申しましたところ、ニ代は女(恵珠様)だから荒仕事は関ロさんにお願いしなさいといわれ、二代のお代理用の御み霊をお預かり致しました。(中略)

 私の今お掛けしている御み霊は父の御み霊(ヨのみ霊)であって、お代理用とは違うものであります。その他のことは追って示します。

 六月二十五日の遺言については、七月十七、十八日の両日、出席者全員が署名捺印した確認書(本紙九月三日付、第一回の【資料1】参照)を提出している。その一月半後に、その確認書を否定する第二の確認書をつくったわけである。

その上、恵珠氏等にくみした幹部等は、最初の確認書に対しては、次のように説明書をつくり、裁判所に提出した。

「先般(昭和四十九年七月十八日)二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。又、その使用目的も別に何にも使わないから心配は不要との事でありましたが、事が重大になりましたので、改めてその内容を検討致しましたところ、事実と相違致して居りますので、改めて今回の署名捺印に及びました」(資料1参照)。

 無論、こうした真実を被い隠した言いわけ文を、裁判官が納得する筈もなく、真実は後の判決で明らかにされるわけだが、ここでは恵珠氏等一部幹部の”陰謀”にのせられ、三十万組み手を欺いた幹部指導者の行動を追跡する。彼等は七月十七、十八の両日、真実の確認書に署名捺印しているが数名を除いてあとは全て実印である。いやしくも教団幹部として組み手を指導すべき立場にある者が「内容も良く見ない中に早く早くと急がされて」大事な実印を押すものだろうか。

 内容は五分もあれは充分読めるもの(本紙九月三日付で全文を掲載)、まして確認書の内容は”二代教え主の指名”という最大重要事である。

 二通の確認書を見ると、一部語句の変更ではなく、「二代は関口さん」とあるのを、「二代は恵珠氏」と書き改めるもの。その無定見、無節操には驚くはかりである。彼らさえしっかりしていたら一部幹部がいくら画策しても、教団全体が翻弄されることなく、世界真光文明教団の”天一坊事件”も存在しなかったであろう。こうして十月二日を機に大方の幹部が、教え主と自称する恵珠氏を、あえて”教え主”と崇め、一体化して恵珠氏をフキ上げようとした。

 その後、十月二十七日に恵珠氏を斎主とする第十五周年秋季大祭、十一月二十四日に関口教え主を斎主とする第十五周年秋季大祭が各々別の場所で開かれるという事態に発展してゆく。

<占拠された本部>

(7)仮処分却下

 十二月五日に第一回証人尋問(工藤、友森氏)が開かれ、就いて昭和五十年二月二十七日の第二回証人尋問(植松、工藤峯子、金子、石毛、富田、山本、白崎氏)、四月十日に本人尋問(関口、恵珠氏)、四月二十一日の第一回和解調停、五月十三日の第二回和解調停、六月二十三日の第三回和解調停、六月二十六日の第四回和解調停そして、仮処分申請にしては異例の十カ月の長きにわたる慎重審理を経て、七月二十四日、東京地裁民事第八部において判決が言いわたされる。

 判決文を見ると、就判官「提出された疎明資料による限り、債権者(関口栄)が昭和四九年六月十三日に初代から世界真光文明教団の二代教え主に指名され、したがって、教団の親則に基づきその代表役員に就任したものと一応認めざるをえないのである」(判決文理由(三)資料2参照)として、関口栄氏が正当な二代教え主であると認定した。しかし、関口教え主の地位(教え主・代表役員)については保全されなくてはならないとしても、仮処分措置によって、仮にその地位を保全・保証する緊急性、必要性が現在のところ明確でないとして、仮処分申請は却下された。

 十カ月にわたって争われた仮処分申請審理の主要点をみると、次の二点があげられる。

 第一は、昨年六月二十五日夜、恵珠氏によって発表された初代教え主の遺言の内容について第二点は、昨年八月一日、熱海の教え主室で派遣された”ご神示”と称するメモ”ヨのみ霊もちて娘に与えよ”は、どういう価値があるのか。

 第一点の初代教え主の遺言について「昨年六月二十五日夜、恵珠氏は、関口氏に初代教え主の遺言を伝え、ついで同夜十時四十五分頃、約三十名の局部課長、指導部長といった教団最高幹部に同内容の遺言を伝え、ある幹部の要請で、再度同じことを伝えた」ことは関口教え主側も恵珠氏側も認めているが、その内容について、二代教え主に指名したのは「関口氏」か「恵珠氏」かについて争われ、関口氏側が「二代は関ロさん」と指名されたことを主張したのに対し、恵珠氏自身はそうはいっていないという(公判供述および疎乙第一五号証)。

 ところが、恵珠氏側証人の友森警衛警備部長、富田秘書課長の両氏は、”恵珠氏が地裁の認定通り「ニ代は関口さん」と発表した”と法廷で述べている。もともと両氏は、”ニ代といっても、それは二代代理もしくは補佐のことである”とか、”当日、恵珠様は疲労していて言い間違えた、声が小さく聞きとれなかった”――等、不自然で非常識な証言を繰り返していた。

  しかし、裁判所は、恵珠氏側のこのような主張に対し、初代教え主死亡直後の重要な時期の発表であること、発表を訂正しようとしなかったこと等の項目をあげて、右を弁解ととって措信しがたいとして「二代は関口さん」との遺言を認定した。

 第二点の”ご神示”と称するメモについて、恵珠氏側は、昭和四十九年八月一日、初代教え主の部屋より「発見」されたメモ・「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」(資料3参照・乙第一号の一)をもって、「ヨのみ役のための御み霊」を自ら与えられたとして、ヨニマス大天津神の地上代行者たる地位、教団の頂点の地位、教え主の地位に就いたのだと主張した。

 昭和五十年四月十日、恵珠氏は、裁判所に数ページ以上に及ぶ紙つづりを提出した。その紙つづりの中程の一ページ(資料3参照・乙第一号証のニ)が問題のメモだった。

 ところが紙つづりの前後のべ−ジは「山本」という印で封印されてあり、その印の開封を拒否した。恵珠氏は同メモは初代様が六月十三日にしたためられた”ご神示”であると称し、この”ご神示”が出たことによって昨年七月五日の虚偽登記は正当であるとしている。

 しかし、裁判官は

「1」「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」という記載が四十九年六月十三日作成とは認め難い
「2」前後一連の文章が未公開であり、これでは意味内容が不明であると判断し、同メモは今回の問題を解決する上で価値の無いものと認定した。

 同メモについて疑問点をまとめてみると、

「1」”ご神示”であるとしたら、あまりに筋の通らない文章であり、単なる覚書程度のもにすぎないのではないか
「2」初代教え主は「御み霊」を必要としていなかった。したがって「ヨのみ役のための御み霊」をかけていず、存在しないものを娘に与えることは不可能
「3」「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」というが、文法的には、”ヨのみ霊”をもちて、何かを娘に与えよということで、目的語が省略されており、何を与えるのか皆目解らない
「4」そもそもこの文章から教え主を指名する文言であるとはとうてい解釈できない等、以上の疑問に満ちたメモ一片を持って、「教え主」の地位を決定しょうとするのはあまりにも無理がある。

 宗教団体は往々にして「ご神示」、「神事」という言葉に幻惑されて、判断力を失うことがあるが、今回のように客観的に見ると無理な点が多々あるにもかかわらず、”ご神示”という言葉に”弱い”宗教者の弱点をたくみに利用して画策したとも受けとれる。

(8)地裁に本訴

 八月二十五日、関口教え主は、地位保全の仮処分申請によって、真実が公に証明され、教え主の地位が認定されたことから東京地裁に代表役員の地位確認の本訴を提起し、あわせて仮処分判決について、東京高裁に控訴した。
 昭和五十二年二月二十四日、一年七カ月の審議を経て、東京地裁民事八部は、関口教え主が世界真光文明教団の代表役員の地位にあることを確認する判決を下した。すなわち

   主 文
 原告と被告らとの間において、原告が被告世界真光文明教団の代表役員の地位にあることを確認する。
 判決は判決理由として、今までの紛争の経緯を示し、次の通り認定している
 以上の次第で、原告は、初代から被告岡田を介し被告教団の後任教え主に指名されたというべく、同教団規則第六条第一項に従い、原告は、被告教団の代表役員の地位にあることが明らかである。
なお、被告岡田は、既述のとおり、被告教団の責任役員会で代表役員に互選されたとして、その旨就任登記手続をなしたが、
すでに原告が初代の指名に基づき代表役員の地位にある以上、右選定手続は、効力を生ずるに由がなく、被告岡田は、これによって被告教団の代表役員となるものではない。

(9)高裁で仮処分判決

 同判決に続いて、三月三十一日、東京高裁第四民事部に控訴していた地位保全の仮処分申請の判決も下された。

 前回、東京地裁の仮処分判決では、関口教え主を代表役員と認定はしながらも、仮処分措置をとる必要性、緊急性が明確でないとして却下されたが、今回の判決理由をみると、仮処分の必要性について次のように判断している。

 被告訴人岡田は、前叙のごとく、被控訴人教団の二代教え主に指名されたことがなく、したがって、同教団の規則上その代表役員となり得ないにもかかわらず、代表役員としての職務を執行しているのであるが、
そのこと自体、被控訴人の教団が宗教団体であり、その代表者は事実上信仰の中心的存在となっていることからみて、同教団に回復し得ない損害を与えるものであり、
既に原審並びに当審の各証人の証言によっても被控訴人岡田が教団本部にあって自ら正当派を主張し、このままでは教団分烈の事態をも招来しかねない状態にあることが疎明される。
それ故、本件紛争が訴訟により最終的に解決されるに至るまでに、暫定的に、被控訴人岡田の代表役員としての地位を定めるのでなければ、
たとえ過渡的には混乱の生ずる虞れがあるとしても、控訴人に与えられた代表役員としての地位の実現が遅きに失する危険があるので、これを防止するに足る仮処分をなす必要があるものといわなければならない。
されば、控訴人の本件仮処分の申請は、その理由認容すべく、これを却下した原判決は、取り消しを免れない。よって、民事訴訟法三八六条、九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。
 前記の理由によって仮処分の原判決が取り消され、関口氏が世界真光文明教団の代表役員であることが定められ、岡田甲子(恵珠)が世界真光文明教団の代表役員としての職務を執行することが停止された。
これによって関口教え主の正当性は東京地裁の本訴、東京高裁の仮処分においていずれも証明されたわけである。

 こうして、二年半にわたって恵珠氏側が不当に占拠していた本部(田園調布)に、真の後継者・関口教え主は戻ることができ、今まで”二つの世界真光文明教団”、”二人の教え主”という不祥事も解決されるかに見えた。
しかし敗訴して教団から退いた恵珠氏側は東有高裁の仮処分判決について最高裁に上告、東京地裁の本案判決についても控訴し、判決に服しなかった恵珠氏とその側近は、その後も世界真光文明教団教え主の名前で、組み手(信者)を誤導し、奉納金を集めつづけ、かたわら新教団を設立、紛争に更に拍車をかけていった。

<敗れても敗れても「控訴」で対抗――教団私物化へ時間稼ぎ?教祖の養女擁立派>

<最後の手段、新教団設立で紛争に”拍車”>

(10)最高裁が上告棄却

 九月二十二日、恵珠氏側の上告に対し、最高裁第一小法廷は、上告の理由が全く無いとして上告を棄却する判決を言い渡した。これによって、恵珠氏は、もはや教団の教え主、代表役員としての職務を、法的には全く行なえない状態となった。その為、恵珠氏およびその側近は急遽、昭和五十三年六月五日に、世界真光文明教団に似て非なる「宗教法人真光」を設立登記し、そこでの”教え主”として活動しようとした。

 「宗教法人真光」は、もはや世界真光文明教団とは無関係であり、全く別の活動としか言えないものであるが、恵珠氏等は組み手(信徒)に、この事実を明らかにせず、不当に隠蔽し、あたかも「宗教法人真光」が、世界真光文明教団と同一、あるいは深く関係しているかのごとくよそおいつづけた。ここに真相を知らされずにいた多くの組み手(信徒)の悲劇があり、真相を隠蔽した恵珠氏およびその側近の罪は深い。

 (以下次号、文中の役職名は当時のもの) =つづく=

【資料1】裁判所に提出された説明書

先般(昭和四十九年七月十八日)二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。
又、その使用目的も別に何にも使はないから心配は不要との事でありましたが、事が重大になりましたので、
改めてその内容を検当致しましたところ事実と相違致して居りますので改めて今回の署名捺印に及びました
           昭和四十九年十月二日
            所属 東部近畿方面指導部長
            氏名 朝 熊 俊 文 (印)

【資料2】地位保全仮処分の判決文一ページ目 =省略=

【資料3】初代様のお部屋より発見されたメモ =解読文=(乙第一号証のニ)
  思い出さしめん為 しばし 仮にヨ丈け密かに (ヨのみ霊もちて娘に与えよ)
  間に合わず 此地時をまて 8月10日27 所与えられん
  思い立ったら吉日よ もう一度 ほかの仕組みで力
  外にうまくそらさんも

【Web解説】
 恵珠氏は、“(ヨのみ霊もちて娘に与えよ)”と書かれた文字の部分のコピーのみを昭和49年8月1日に関口氏に提示した。
他の文字は紙で覆い、とめるのに使ったクリップが写った状態でのコピー(乙第一号の一)を見せて、教団代表権を主張した。
 昭和50年4月10日、法廷に資料3(乙第一号証のニ)を提出した。前後の頁は封印してあり、開示拒否の状態であった。
 朝熊俊文氏は、崇教真光の大祭委員長を歴任し、その名前を知らぬ信者はいないほどである。
彼は平成9年の秋季大祭委員長だったが、その時に村上正邦と藤波孝生が来賓祝辞を述べている。実に邪霊に満ちた不吉な式典であった。

(注 丸付き数字を「」付きに変更)


2004年05月28日(金) 095 judge

〔ニュース追跡:世界真光文明教団事件(下)〕 (9月8日8−9面)


<”真相”知らず惑う30万信者>

<ついに別教団の発足――”私物化”歴然>

<詐術?教名変更の印象――別教団なのに…教祖5周年に公表>

(11) 二つの教団

 昭和五十二年二月二十四日に東京地裁の本案判決、同三月三十一日に東京高裁の仮処分と勝訴した関口教え主は、念願の本部(田園調布)に戻り、教団を一本化し、教団使命遂行に邁進せんとした。しかし、それまでの二年半に、教団は恵珠氏およぴその側近の完全な”私物”と化しており、荒廃をたどっていた。

 初代教え主の死後、恵珠氏とその側近は、すぐに教団の印鑑およぴ会計帳簿、預金通帳、預金証書、組み手名簿(信者名簿)等の重要書類を関口教え主に渡さず、事実上支配していた。あまつさえ、虚偽の代表役員登記ばかりか、教団の預金も教団代表役員岡田恵珠名義に変更してしまい、重要な教団の財産を、ほしいままに管理支配していた。そしてこれらの偽装の事実は、三十万組み手に何ら知らされることがなかった。

 昭和五二年四月六日、東京高裁の判決にもとづき関口教え主の委任を受けた弁護士、執行官は教団本部で恵珠氏側に、教団財産の引き渡しを求めた。ところが本部からは、既に帳簿等の重要書類から什器備品に至るまで、めぼしい物は総て持ち去られていた。

 こうして世界真光文明教団の財産を横領した恵珠氏等は、本部を明け渡しはしたものの、その後も、”世界真光文明教団”の名称と”恵珠教え主”を自称しつづける。

 しかし、九月二十二日、恵珠氏等が上告していた仮処分判決に対して、最高裁第一小法廷は、上告の理由が全くないとして棄却する判決を言い渡した(資料1参照)。

そこで真相の隠蔽策として、恵珠氏等は、昭和五十三年六月五日、主たる事務所を岐阜県高山市に置く「宗教法人真光」を設立登記(資料2参照)する。

 そして同年六月二十三日、世界真光文明教団の名前を詐称し、東京国際貿易センターで「聖祖師祭」(初代教え主の五周年法要)を開き、参集した組み手二万人に対し、裁判で敗訴し、世界真光文明教団から退いたことを一切知らせず、今後”宗教・真光”として、教線拡大と世界総本山建立に邁進すると発表し、あたかも”ご神示”によって名称を変更したかのように説明し、組み手を愚弄した。真相を知らされない組み手等は、自分達はいまだに世界真光文明教団の信者だと信じて、別の教団「宗教法人真光」の本山建立のために奉納金を納めつづけていった。

<隠された奉納金――七億円余の横領を告訴>

(12)七億余円の横領を告訴

 昭和五十四年五月十七日、関口教え主は、岡田恵珠、友森清晴、有間富子の三人を相手どり、彼等が隠蔽した教団財産の一部である七億六千三百十六万余円の業務上横領を東京地方検察庁に告訴した。
告訴状によると、昭和四十九年七月五日、恵珠氏が代表役員に就任した旨の虚偽の登記を了し、代表役員であることを僣称し、「管長」と自称する友森氏と「経理部長」と自称する有間氏等三人は共謀のうえ、
世界真光文明教団の財産を費消し、あるいは教団に損害を与える目的で、教団所有のお金を不法領得して、業務上横領したとしている。

 犯罪事実として次の三点をあげている。

(一) 金三億百四十八万四千三百六十八円

 これは昭和四十九年七月五日(恵珠氏の代表役員虚偽登記の日)ごろから同五十二年三月三十一日(東京高裁の仮処分判決の日)までの間に世界真光文明教団の信者から教団に寄付された奉納金で、
恵珠氏等がこれを現金のまま預り保管していたものであり、教団代表者、教え主の関口氏に引き渡されるべきものであるにもかかわらず、これを引き渡さず、横領したものである。

(二) 金二億六千万円

 これは、教団の三井銀行自由ヶ丘支店の普通預金から、恵珠氏等がほしいままに左の日時に四回にわたって払い戻して、同時にこれを十六銀行益田支店(岐阜県益田郡萩原町)の友森清晴名義の普通預金口座へ送金して、横領したものである。
……………………………………………………
昭和五十二年三月一日・五千万円、
    同年三月十日・三千万円、
    同年三月十七日・七千万円、
    同年三月十七日・一億一千万円。
……………………………………………………

(三) 金二億百六十八万三千六百五十八円
 これは教団名義の東京都民銀行代田支店の預金から、恵珠氏らがほしいままに払い戻して、同年四月二日に十六銀行益田支店の高橋美枝子(友森氏の実娘)名義の預金口座に送金して横領したもの。

 犯罪事実(一)については、昭和五十二年四月六日、恵珠氏等に教団所有財産の引き渡しを求めたが、同奉納金を何処かへ隠匿して、告訴日(昭和五十四年五月十七日)の時点まで、奉納金の所在すら明らかにせず、教団への返還を拒みつづけている。なお、奉納金三億余円を恵殊氏が所持していたことは、仮処分申請事件で裁判所が選任した鑑定人・清水淳氏により確認されている。

 犯罪事実(二)、(三)については、教団の銀行預金を多額払い戻し、あるいは預金名義を変更するなどし、あわせて会計帳簿、重要文書などを隠匿したうえで、これら払戻金を費消したり隠匿し、あるいは第三者へ送金する等して領得されたものの中から明白なものに限って(二)の三井銀行の二億六千万円、(三)の東京都民銀行の二億百六十八万三千六百五十八円について告訴しており、これらのお金は、いずれも岐阜県益田郡萩原町の十六銀行益田支店にある友森清晴名義の口座、または友森氏の実娘で教団の組み手ですらもない高橋美枝子名義の口座へ送金されている。

 恵珠氏等は、東京地裁での仮処分判決言渡し日の前日である昭和五十年七月二十三日、敗訴判決を予想して教団の預金を勝手に払い戻した上で、新たに創設した「世界本山御造営奉賛会」名義の口座へ移しかえたが、仮処分申請が却下されたことから、同年十月十七日に再び教団名義の口座に戻している。さらに東京高裁の仮処分判決が敗訴となることを見こして、判決直前の昭和五十二年三月十日、関口教え主による教団財産管理を妨げる目的で、教団名義の預金の大部分を、同奉賛会名義の口座に三度振りかえている。これらの操作のうち、三井銀行自由ヶ丘支店に関するものを図にすると、資料3(預金名義変更図)のようになる。

 これらのお金のうち、前記(一)については、後に恵珠氏側から教団に返還され、告訴は取り下げられたが、(二)、(三)は未だに返還されていない。



<争点は二代教え主の指名内容のみ――無用の教義論争>

(13)紛争の争点

 恵珠氏の本案判決に対する控訴を受けて、東京高裁の審理は、その間、別法人「真光」が設立され、恵珠氏がその代表役員に就任したにもかかわらず、続けられていった。そこで展開された関口氏および恵珠氏の主張をもとに、改めて争点を追究し、もって今回の世界真光文明教団”天一坊事件” の真相を明らかにしたい。

<指名を受けたのは誰か>

 争点は、昭和四十九年六月十三日に、岡田光玉初代教え主によって指名された後任教え主(ニ代教え主)が関口氏になるのか、恵珠氏になるのかという一事につきる。

 関口氏の指名については本特集で再三言及し、六月二十五日夜、恵珠氏から初代の遺言が伝えられ「二代は関口さん」として指名を受けており、この事実は既に四度にわたり裁判所の審理、判決をうけてきている
(仮処分事件につき、東京地裁昭和五十年七月二十四日判決、東京高裁昭和五十二年三月三十一日判決、最高裁昭和五十二年九月二十二日判決、本案につき東京地裁昭和五十年二月二十四日判決)。
仮処分事件においては多数の証人調べが行なわれ、実質的には通常手続きと全く同一の証拠調べがなされたうえで判決が言い渡されたものであり四度の裁判のうち、事実認定を担当した三つの事実審裁判所は、何れも関口教え主の主張を正当であると認定している。本紙の報道も裁判所の判決をもとにしており、関口氏が二代教え主に指名されたことは明確である。

<”ご神示”メモの真相>

 ところで恵珠氏は”ご神示”なるものをもって、これに恵珠氏を二代教え主にせよとの記載があるから、六月十三日に自分は二代教え主に指名されたのだという主張をしている。

 これまでの裁判では、いずれも”ご神示”について、その文意が一義的に明白でないとされ、通常誰が読んでも、ニ代の指名を記載されたものであるとは、理解できないとされ、恵珠氏の主張が退けられてきた。

 ”ご神示”の文意について考えると、恵珠氏等は”ご神示”と称するメモの文中に、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」とある一節、のみをよりどころに恵珠氏の二代指名を主張し、極めて晦渋な宗教上の教義およびその解釈を陳述している。

 この一節は初代教え主が「御聖地と地震関係、噴火の件と造営着手御伺い」として書いた”ご神示”の中の一部である。

 「上スワの方 位山 しばし様子みよ
 神守り丈け秘かにここそのまま
 ヨ丈けまず持ちて み霊でよい一つ娘いそげ此地時を待てしばし見よ」
 …………………………………………………………………………………… 
 「クライ山、思い出さしめん為 しばし仮にヨ丈け秘かにもちて
 (ヨのみ霊もちて娘に与えよ)間に合わず此地時をまて」
 
 この二つの文章が同一の趣旨で書かれていることは恵珠氏も供述で認めている。

 この趣旨を関口教え主は「ここ(熱海)をそのままにして、本山建立はすぐにはできないだろうから、とりあえず神守り(み霊代)だけまつり、熱海に三つある宮のうちヨ宮のみ霊だけ一つもって、娘に急いでクライ山の方にいかせなさい、この地(熱海)での建立はしばらく待ちなさい」という意味であると解釈したが、これは通常の文意として充分理解できる。

 他方、恵珠氏は「ヨのみ霊をまず娘にかけ与えなさい」という趣旨であり、「ヨのみ霊」とは教義上教え主をさすのであり、従ってそれは二代指名になるとの解釈をしている。

 この解釈には、次のような疑問がある。ヨのみ霊が二代教え主の地位をさすということ自体が独特の教義解釈であるうえに、そう解釈するとすれは何故「ヨ丈け」という表現になるのか、「神守り丈け秘かに」とはいかなる意味になるのか。特に「ヨのみ霊」が二代教え主をさすとすれば「み霊でよい一つ娘いそげ」という表現は、その趣旨が理解できなくなる。また「クライ山思い山さしめん為」「しばしヨ丈け密かにもちて」という前文との関係も「間に合わず此地時をまて」という後文との関連も不明になってしまう。

 しかも、普通に判断すれば、”ご神示”にはまさに「御聖地と地震関係、噴火の件と造営着手」のことが書かれているわけで、ここに突如として「ニ代教え主に娘を指名せよ」等と書いてあるというのは文脈としても唐突である。

 こうしてみると”ご神示”についての恵珠氏の主張は、ニ代指名とは無関係なものを、故意に宗教上の教義教理による粉飾を加えて、あたかも二代指名に関係あるもののごとく曲解したものでしかない。

 このように裁判所に提出された”ご神示”をみても、「(ヨのみ霊もちて娘に与えよ)」なる文章が二代教え主の指名とは、無関係であることが、極めて明らかである。









2004年05月27日(木) 096 judge

<”紛争八年”本当の被害者は誰だったか>

(14)和 解

 昭和五十七年七月十日、関口氏と恵珠氏は和解した。そこで関口氏は名実共に世界真光文明教団の教え主、代表役員であることが確認された。これを受けて同教団の登記簿は、恵珠氏の代表役員登記(昭和四十九年七月五日)が事実不存在との理由で抹消され関口氏の代表役員就任登記(昭和四十九年六月二十三日・資料2参照)がなされた。一方、恵珠氏は、世界真光文明教団とは無関係の存在となり、「宗教法人真光」(崇教真光)という組織で活動を続けることになった。

 八年間にわたる世界真光文明教団の”天一坊事件”を振り返ると、既に繰り返して記してあるように、”天一坊事件”の争点は”昭和四十九年六月十三日に、初代教え主が誰を二代教え主に指名したか”の一点だけである。それにもかかわらず、このように長期の裁判となったのは、偏に恵珠氏とその側近等が、”私物化”した教団への執着からであった。恵珠氏とその側近は、度重なる訴訟代理人の辞任、解任を繰り返し、審理を引き延ばした上、東京地裁八部で和解の申し出をしておきながら、最終段階で合意に達していた和解案を破るという不誠意を犯し、不必要な教義論争で混乱させ、ひたすら”己の延命”を図った。

その間、恵珠氏は、仮処分一審判決直前においても、仮処分二審判決直前においても敗訴を予想して、三十一億に及ぶ世界真光文明教団の預金を、架空の名義の預金に移し替えたり、退職金の支払いと称して二億三千万円の教団名義の預金を、職員名義の預金に変更するなど、財産の隠匿をはかり、更に仮処分第二審判決後は、恵珠氏とその側近らは、世界真光文明教団を離脱しながらも、世界真光文明教団を詐称し、真相を知らされていない組み手(信者)を欺き、世界真光文明教団の本山をつくるため奉納したお金を横領し、昭和五十三年六月五日には別の宗教法人真光を設立し、組み手に真相を知られていないことをいいことに、”ご神示”と称して、世界真光文明教団を”発展”した形のごとくよそおい、組み手の知らぬ間に宗教法人真光に引き込んだ。

あまつさえ仮処分判決に従わず、世界真光文明教団の多くの道場を、和解が戌立するまで占有し続けていた。 ”天一坊事件”の一番の被害者は関口教え主ということになるが、本当の被害者は、真相を知らされず、恵珠氏等の奸計によって今なお欺かれ続けている組み手(信者)である。

恵珠氏等が陰謀を画策した当初、関口氏は宗教者らしい考え方から、恵珠氏を傷つけることなく穏便に治めようとした。

**
それが仇となり、恵珠氏等は逆に増長して、宗教者の名を辱める行為を犯すようになった。

その意味から言えば関口教え主は被害者ではなく、”責任者”の立場にある。無論、関口教え主は、自分を被害者と考えて裁判を行なったのではないだろう。あくまで世界真光文明教団の教えと三十万組み手を守るという責任者の立場からと推察できる。ならは今後、今なお宗教法人真光にあって、真相を知らされず”利用”されている組み手を救うことを関口教え主に期待する。

<誰が”真相”を知らせるか――いまだ利用される30万信者>

 一応、和解によって”天一坊事件”は終わった。そして前記告訴も取り下げられた。しかし本当の解決は、三十万組み手が真相にめざめることにある。

七月十日に和解が成立し、恵珠氏は世界真光文明教団とは緑も縁りもない人となったが、その経緯と真相は、崇教真光にとりこまれた信者に未だもって殆ど知らせていない。

また、和解条項によると、今後、恵珠氏側は、世界真光文明教団の紋章の使用が禁じられている。現在、崇教真光の信者の胸に輝く紋章はやがて変更されるであろうが、このことを、恵珠氏側はどう説明するのだろうか。

再び”ご神示”を引き合いにして、和解の件を伏せ、信者を誤魔化すことだけはぜひともやめて欲しいものである。真相に目覚めた信者の一部が崇教真光から世界真光文明教団に元還りし始めている。一先ずこれで特集を終えるが、三十万組み手のためにも、宗教界浄化のためにも、これを機会に恵珠氏側に猛省を促したい。なお和解後の問題については、今後、新事実を取材した時点で、再度特集する。
        =完=

〔資料1〕上告を棄却する判決文 =省略=

〔資料2〕世界真光文明教団(右)と宗教法人真光(左)の登記簿 =省略=

〔資料3〕三井銀行自由ヶ丘支店における預金名義変更図(一部改変)

[三井銀行自由ヶ丘支店]       [口座A]
[世界真光文明教団]         [宗教法人世界真光文明教団]
[代表役員岡田甲子]         [世界本山後造営奉賛会]
[定期預金    ]         [委員長 天野正勝]
[15億5000万円 ]         [普通預金 ]
[満期S49.3.28 ]           ↑
[No..3920627]            信者から
[利息5135万2387円]
 |S50.7.23解約
 | 
 ↓
[S50.7.23新設]        [S50.7.23新設](口座B)
[世界本山後造営奉賛会]    [世界本山後造営奉賛会]
[代表 高橋美枝子]      [代表 高橋美枝子] ←―信者から
[通知預金No.960054]     [普通預金No.968218]←―口座Aから
[16億0135万2387円]     [2533万4630円]
 |                  |
 | ←――入金S50.8.29,S50.10.13―――┘
 |
 |
 ↓S50.10.17解約
[S50.10.17預入れ]
[世界真光文明教団]
[代表役員岡田甲子]
[定期預金]
[18億0135万2381円]
[No.3920627]
 |←―口座Aから
 |←―口座Aから
 |
 ↓ S52.2.24 東京地方裁判所判決
[S52.3.10]
[24億8350万円]
[利息5225万7078円]
[S52.3.10解約]
 |
 | ←入金
 |――――――――――――――┐   <口座BよりS52.3.10入金>
 |              |   <229万6023円>
 ↓              ↓    ↓
[S52.3.10預入れ]     [S52.3.10新設]
[世界真光文明教団]    [世界本山後造営奉賛会]
[代表役員岡田甲子]    [代表 高橋美枝子]
[定期預金No.920―668]  [通知預金No.960-088]
[1億円]         [通知預金No.960-054]



犯罪事実(二)
口座Aより友森清晴へ送金
S52.3.1  5000万円
S52.3.10 3000万円
S52.3.17 7000万円


【Web解説】

 中外日報1982年9月15日20・21面は世界真光文明教団(関口教え主)による全面広告であり、資料的価値は特にない。備考欄の『(お知らせ)崇教・真光および岡田恵珠氏は、当教団とはまったく関係ありません。お知らせ致します。―世界真光文明教団―』という注釈が、極めて印象深い。

 恵珠氏も関口氏も初代存命中は、み弟子として仲良くやっていたそうだ。しかるに教団幹部は、関口派と反関口派に分かれていたそうだ。初代の死後、反関口派が恵珠氏を後継者に担ぎ出したのであり、恵珠氏自らが名乗りを上げたわけではないことが、中外日報の記事でよくわかる。

 各道場がどちらの教え主につくかは、道場長の判断で決めた。たとえば、愛知県などは、拠点が真っ二つに分かれ、道場長と反対意見の幹部等は別の道場に移管していった。この時入信したばかりの組み手は、「お導き親に着いて行く以外になかった。」と述懐してくれた。地方の道場の組み手にはそういった情報は入らず、知らない間にいずれかの教団に所属していた。こうして親子兄弟が、知らないうちに別の教団に所属する事態が起きたのである。

 この中外日報の記事は、関口氏が金を出して中外日報に記事を書かせたとみられる。

裁判記録に基づいていることは事実だが、それ以外の箇所は関口氏の提灯持ちとみられる文章表現がしばしみられる。関口氏は田園調布仮本殿建立にあたって、多額の資金を出したことにより崇教局長に上りつめた.
その権力を守るために裁判を起こしたわけだ。

『宗教関係判例集成』(第一書房)には、関口氏にとってネガティブな事実ものっており、追って紹介する。

 中外日報の本記事は、消えた過去ログにおいてジャイアント馬場氏が書き込んだことがあるが、彼は主観をかなりまじえて記載した。

今回私は、大変なことだから私情を交えずに原文のまま記載した。

 “(11) 二つの教団”において狃ゞ機真光瓩箸△襪里廊狄魘機真光瓩隆岼磴い世蹐Δ、そのまま記載した。

〔資料3〕:三井銀行口座の資金移動に関しては、BBSという制約のため一部改変したが、事実関係はそのまま掲載した。たとえば“信者から”とあるのは、“儲から”としたほうが正しいような気がしたが、原文のままにしてある。

『中外日報』を閲覧できる図書館(国立国会図書館HPより)
ttp://sinbun.ndl.go.jp/cgi-bin/outeturan/E_S_kan_lst.cgi?ID=003800
ttp://sinbun.ndl.go.jp/cgi-bin/outeturan/E_S_kan_lst.cgi?ID=003801
なお、国立国会図書館は、HPより文献複写請求ができるので、ぜひ利用してみよう。









2004年05月26日(水) 097 judge

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宗教関係判例集成4巻:

「宗教関係判例集成」(第一書房)第4巻
地裁仮処分、地裁本訴、高裁仮処分の順に判決文を要約掲載している。

地裁仮処分

136-138頁
1―10 世界真光文明教団代表役員地位保全事件 (一)
債権者 関 口   栄
債務者 世界真光文明教団
債務者 岡 田 甲 子
東京地裁 昭和五〇年七月二四日民事第八部判決
(昭四九(ヨ)第二〇四六号地位保全仮処分申請事件)
〔出典〕 〔コメント〕参照
〔参考文献〕 中外日報(昭和五七年九月三日、同九月六日、同九月八日、同九月一五日)
〔参照条文〕 裁判所法第三条

〔コメント〕 この世界真光文明教団(セカイマヒカリプンメイキョウダン)事件については、昭和五九年一一月一七日の宗教法学会において、大野正男弁護士により研究発表がなされ、公表された。配布資料によると事実は次のようである。

 この教団の代表役員については教団規則第六条に、
「1、その代表役員はこの法人の教え主をもって充てる。
2、後任の教え主は現在の教え主があらかじめ指名した者をもって充てる。あらかじめ指名していない場合は責任役員の互選により選定する。」
とある。

 昭和三八年一一月一九日設立のこの教団の初代教え主(代表役員)の訴外Aが、昭和四九年六月二三日に死亡した。
 死亡一〇日前の六月一三日に、Aは養女の被告Yに後継者の指名を伝えた。

 六月二五日、Aの通夜の席上、Yは「六月一三日に先代Aより原告Xを二代目にするようにとの指名があった。二代教え主用の『おみたま』をAより預っているのでXに渡したい」旨、幹部の前で発表した。のちにYは六月一三日に指名されたのは自分だったという。六月二六日、YはAの遺体の前でXに「おみたま」を授与した。七月一日、五名の責任役員会はYを教え主に互選し、七月五日代表役員の登記を行う。Xは責任役員ではない。

 七月一三日、Aの教団葬が行われ、式後に「二代教え主はXになるよう指名があった」旨が事務局長より発表され、Xが受諾の挨拶を行った。
 その後、Yは召防従せず、八月二日YはXを招き「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」とある「御神示」の一節を示す。
 八月二五日、XはYに対し「自分はあなたの代行でない」と通知し、教団本部へ出仕せず、教団は事実上分裂した。

 昭和四九年九月一八日、Xは東京地裁に地位保全仮処分申請をした。昭和五〇年七月二四日、東京地裁は申請を却下した。Xに二代指名があったことを認めるも、仮処分の必要性なしとの理由である。

 「御神示」について次のように判断している。

【判決文】
<判決理由>

 初代が作成したものであると認めることができる乙第一号証の一・二およぴ弁論の全趣旨により成立の認められる乙第三三号証の三によると、一見、初代は、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」という表現をもって、その養女である債務者岡田甲子を債務者教団の後任教え主に指名したものと解する余地があるように見える。

 しかし、前掲乙第一号証の二の「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」という記載が昭和四九年六月一三日に作成されたものであることは、同号証の二の記載自体から直ちに認めることができないのみならず、同日作成の記載のある同号証の一との縮綴形式からは、必ずしも、同号証の二が同号証の一と一体をなす文書と認めるに足りず、また、同号証のこの記載の意味内容は、その前後の一連の文章の内容および関連性を十分に吟味して把捉すべきところ、その前後の文章の内容およぴ関連性が同号証の二からだけでは明らかであるといえないし、これを明らかにすることが物理的には可能であるにもかかわらず、それが神示であることを理由として、その前後の文章が記載されている文書の提出を債務者側で拒否していることは、債務者岡田甲子本人尋問の結果に照らして明らかであり、このような場合には、その前後の文章の内容およぴ関連性を顧慮することなく、初代が債務者岡田甲子を債務教団の後任教え主に指名したと速断することはできないといわなければならない。そうすると、右乙第一号証の一・二によって債務者岡田甲子が初代から昭和四九年六月一三日に債務者教団の後任教え主に指定されたものと認めることはできないというペきである。

 また、右に認定した同年八月二日以降の債権者の行動についても、債権者は、債務者が霊団であることの性格上、教え主の地位をめぐる債務者岡田甲子との紛争をできるだけ話し合いによって円満に解決することを考え、信者に対して紛争状態をさらけ出さないように配慮したことによるものと一応認められるから、債権者が前記のコピーを見て債務者岡田を債務者教団の二代教え主であると承認したものということはできない。

(裁判官/柳川俊一 平手勇治 清水信雄)

地裁本訴

139-140頁
1―11世界真光文明教団代表役員地位確認事件
原 告 関 口   栄
被 告 岡 田 甲 子
東京地裁 昭和五二年二月ニ四日判決
〔参考文献〕 中外日報(昭和五七年九月三日、同九月六日、同九月八日、同九月一五日)
〔参照条文〕 裁判所法第三条

〔コメント〕 Xは、昭和五〇年八月二五日東京地裁へ本案訴訟を提起した。Yは、裁判長より勧告あるも、昭和四九年八月二日召砲修琉貔瓩世韻鮗┐靴拭峺羶声─彖簡犬髻∨…遒砲禄个気覆った。

 昭和五二年二月二四日、東京地裁は、Xの請求を認容し、「Xが代表役員であることを確認する」判決を下した。
 Yはこの判決に対し、控訴した。
 「御神示」について裁判所は次のように判断した。

【判決文】
<判決理由>

 そこで、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」と記載された書面が、被告らの主張するように昭和四九年六月一三日付をもって被告岡田を後任教え主に指名したことを意味する初代の「神示」であるか否かについて考察する。

 なるほど、前記各書証には、右の趣旨に副う記載部分がある。しかしながら、被告らが前記の書面の一部を謄写したものとして提出した書証は、乙第四四号証の一、二であるが、これは原告においてその原本の存在とその成立を争っているので、これを原本に代わる書証として取り調べることができないことは、民訴法第三二二条第一項の規定により明らかである(最判昭和三五年一二月九日民集一四巻二二号三〇二一頁参照)。しかも、被告らは、乙第四四号証の一、二の原本全部を神示であるからとの理由で、当法廷に提出することを拒んでいることが認められる。したがって、当裁判所は前記の書面がどのような体裁、編綴形式、内容のものであるかを直接知り得ないのであり、したがって、被告らの前記主張に副う書証の記載部分があるからといって、これのみをもってしては、右主張を肯認することはできないのである。

(裁判官/柳川俊一 長野益三 川島貴志郎)

高裁仮処分

141-143頁
1―12 世界真光文明教団代表役員地位保全事件(二)
東京高裁 昭和五二年三月三一日第四民事部判決
(昭五〇(ネ)第一六九五号)
控訴人 開 口  栄
被控訴人 岡 田 甲 子
〔参考文献〕中外日報(昭和五七年九月三日、同九月六日、同九月八日、同九月一五日)
〔参照条文〕裁判所法第三条

〔コメント〕1―10(本巻一三六頁)の控訴判決である。
 東京高裁第四民事部は、「原判決取消、請求認容」の仮処分判決を下し、Xに代表役員の仮の地位を認めた。Yは最高裁へ上告した。
昭和五二年九月二二日、最高裁第一小法廷はYの上告を棄却した(昭五二(テ)第三三号)。
なお、1―11(本巻一三九頁)の控訴審、東京高裁第七民事部の本案訴訟事件でYは「御神示」全文を提出した。
昭和五七年七月一〇日、東京高裁第七民事部で和解成立した。和解により「YはXの代表役員(教団規則上の教え主)たる地位確認し、控訴を取下げた。
昭和五三年、Yは岐阜県高山市に「崇教真光」を開教され、教え主・代表役員に就任された。

【判決文】
<判決理由>

 「神示なるものは、宗教団体の本質的な活動領域に属する事柄であるから、その取扱いにあたっては、当該宗教団体の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることのないよう留意しなければならないことはいうまでもない。

 そうした考え方から、本件神示が、被控訴人岡田甲子らの主張するごとく、六月一三日に啓示されたものであり、且つ、同日被控訴人岡田甲子が神意によって被控訴人教団の二代教え主に任命されたことを意味するものであるとすれば、 ――しかも、被控訴人岡田甲子ら主張のごとく、右被控訴人が同日初代教え主より直接右神示のような話を開かされて「ヨのみ霊」を授けられたものであるとすれば、なおさら、前記発表(注、六月二五日通夜の際の二代指名発表)は、一見、本件神示と矛盾することとなる。

 ところが、神示は、たとえ宗教団体の内部にあっては批判を許さない絶対的権威を有するものであるとしても、
司法裁判所の訴訟において、それが役員の任免その他地位に関する当事者の主張事実を裏付ける証拠となりうるためには、裁判所の判断に服さなければならないことは当然であって、単に神示であるという一事をもって裁判所の判断を排除しうるものではない。それ故、問題は、専ら、本件神示に前記発表の内容の真実性を合理的に否定するだけの証拠カが認められるかどうかの一点にかかっているものといわなければならない。

そこで、以下この点を検討するのに、

 1 仮りに、被控訴人岡田甲子らの主張するごとく、真実被控訴人岡田甲子が六月一三日被控訴人教団の二代教え主に指名されたものであるとすれは、右被控訴人は、同日以降、少なくとも本件神示の発見されたという八月一日以降は、自己の行なった前記発表が本件神示に反することを明確に認識していたはずである。そして、いかに同被控訴人が自己の過ちを認めるのに困難な立場にあるとはいえ、その発表の内容が教団の命運をも左右しかねないほどの極めて重大な事柄であり、しかも、前叙のごとく、すでに世間に正式に公表されているのであるから、同被控訴人としては、一刻も早くこれを訂正するのが当然であり、また、その機会も十分あり得たにもかかわらず、教団内部においてはともかくも、一般に対して正式に訂正を試みた形跡は全くなく、本件訴訟に現われた全資料に徹しても、この点につき合理的な説明を与える事情を見い出すことはできない。

 2 また、仮りに、前記発表で付加された「詳しいことは追って示します。」との発言が、被控訴人らのいうように、被控訴人岡田をもって二代教え主とする本件神示を意味するものであるとすれば、それは、控訴人が二代教え主に指名されたとする前記発表自体、全体として合理的な意味を有し得ないこととなる。そして、他に、右発言の合理的な意味を確定し得る疎明はない。それ故、右の発言も、また、前記発表の内容の真実性を合理的に否定する資料とはなり得ない。

 3 さらに、被控訴人らは、被控訴人岡田甲子が控訴人に手渡したおみ霊は、代理用のおみ霊であって教え主用の「ヨのみ霊」ではない、と主張する。しかし、おみ霊の意味とか価値とかは、宗教団体の本質的な活動領域に属する事柄であって、本来裁判所の判断に親しまないところであるが、仮りに、被控訴人らの右主張が真実であるとしても、前叙認定によって明らかなごとく、教団の規則上、二代教え主の指名は、初代教え主のその旨の意思表示があれば足り、「ヨのみ霊」の授受をその要件とするものではないので、被控訴人ら主張のごとき事実の有無は、前記発表の内容の真実性の判断には無縁のものであるといわざるを得ない。

 4 最後に、被控訴人らは、控訴人が被控訴人岡田から本件神示のコピーをみせられたとき、同被控訴人に対して、「判かりました。大体私にこんな大役が来るはずがないと思っていました。このうえは、恵珠様の指示に従って、本山の造営と教線拡大のために祖師(初代教え主を指す)の遺志を受け継ぎ、協カを惜しみません。」といって、同被控訴人が二代教え主であることを認めたと主張し、それに副う乙第一五号証並びに原審における被控訴人岡田甲子本人の供述もある。しかし、前叙のごとく、控訴人が右のコピーを見せられた当時は紛争収拾のための話合いが進められていたのであるから、被控訴人らの右主張事実は、にわかに措信しがたい。それはともかくとしても、控訴人が、たとえ初代教え主の娘である右被控訴人に対する気嫌ねと、信者に動揺を与えることを恐れたためであったとしても、本件神示の存在することを知らされてから、事実上右被控訴人を二代教え主と認めるがごときあいまいな態度をとってきたことは事実であり、そして、そのことが、事態の実相を不明にし、却って、信者をしてその去就に迷わしめる結果となったことは否め得ない。とはいえ、これらのことは、控訴人が二代教え主としての指名を受けたかどうかということとは直接関係のないこと明らかである。」

(裁判官/渡部吉隆 古川純一 岩佐善巳)









2004年05月25日(火) 098 judge

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「宗教法」(宗教法学会発行) 第5号(1986.11) 25-42頁 大野正男(弁護士)
   (宗)世界真光文明教団代表役員地位確認請求事件 ――教義に関する事項を含む紛争について裁判所の審査権はどこまで及ぶか――


 ただ今、ご紹介に預りました大野でございます。今日、報告をするように、ということは、川島先生からお話があったのですが、初めに具体的な内容に入る前に、何故このテーマを選んだのかということについて、若干述べたいと思います。

(一) 間 題 の 視 点
 一つは、今日ご報告する事件は、宗教法人の内部紛争に関する事件ですが、この種の事件は、最近非常に増えているからであります。
統計的な数値をあげることはできませんけれども、この事件は最初東京地裁の民事第八部、通称商事部に係属しました。
東京地裁の八部というのは、会社関係の事件を扱う専門部なのですがそこの裁判官がいうには、今は株式会社に関する事件は少なくなって、学校紛争と宗教紛争の事件が多い、今や商事部は宗教部に化した、
という話をしていました。ですから宗教法人の事件で裁判問題になっているのが、多くなっているようです。

 二番目に、この事件を取り上げました理由は、午前中に安武先生がご報告になったことと、密接に関連しているのですが、宗教紛争に関する、裁判所の判例の最近の流れが、我々実務家にとって、非常に重大な意味を持っているからであります。
 それは二つの点でいえると思うのですが、特に昭和五五年以降、この種の事件について、最高裁判所が極めて重要な判決をしているのは、ご存知の通りであります。
そして今後、判例の流れがどのような方向へ動いていくかについて、まだ十分な予測がたちえない段階にある。
それだけに現在の判例が今後この種の問題に及ぼすであろう影響を今のうちに十分検討しておく必要があろうかと思います。
 その二は、この争いの対象になった宗教団体の代表者の地位の問題ですが、宗教法人の代表役員に教主とか、あるいは住職とかがなるとされているときに、その地位の有無を裁判で争えるかという問題であります。
 そしてこれに関連いたしまして、代表者たる地位が争える場合でも宗教上の教義、教理に関する事項については、裁判所は審判権がないとされますが、どの程度「関して」いる場合に審判権がないのかという問題が生じます。
 私が今日標記の事件を取り上げる角度は、第一の点であるよりは、この第二の問題についてでありまして、一体どこまで裁判祈が、宗教紛争の判断に関連して、
教理・教義に関する問題について判断することができるのか、あるいはしてはいけないのかという問題を考えていきたいと思います。

 従来の判例は住職という宗教上の地位については判断できないといいつつも、しかしそれが宗教法人の正当な代表者であるか否かなど世俗的紛争を判断する前提としてであるならできるのだという考え方が支配的であったと思うのであります。
昭和四四年七月一〇日の臨済宗慈照寺の最高裁判決は、住職としての地位については審判権はないとしつつも、但し権利・義務関係を包括する意味で、住職の地位の確認を求めるならばそれは許されるのだ、といっておりますし、
昭和五五年一月一一日の曹洞宗種徳寺の最高裁判決も、ある法律上の紛争の前提問題として、住職の地位を争うのであれば、できるのだということをいっております。
但し、この判決で新しく最高裁が付加したのは、その判断の内容が宗教上の教義の解釈にわたるような場合は格別、そうでない限りできるのだという点であります。
さらに昭和五五年四月一〇日の本門寺の最高裁判決は、前提事項としては、宗教活動上の地位に関するものであっても判断できるとしつつも、
同時に、宗教上の教義にわたる事項については、裁判所がこれに立ち入って、実体的な審理判断をすべきでない、と判示しました。
 いったいこれらの判決の射程距離が、どこまで及ぶのかということですが、以上の判決は、理論上のニュアンスは異なりますが
いずれも実際には、代表者の宗教上の地位の存否について、あるいはその選出の方法について判断を示しているのであります。


 ところが初めて世俗的紛争の形ではあっても、教義教理の当否が争いの中心となっているときは裁判所の判断にはなじまないという判決がでました。昭和五六年四月七日の創価学会板まんだらの最高裁判決であります。
ここでは裁判所は紛争の実質判断を全くしなかったのであります。これは非常に重要な意味を持っておりまして、この判決が、どういうような射程距離を持つのかという点は、実は今後の司法上の非常に大きな問題であります。
しかもこの最高裁判決の考え方を宗教上の地位の内部紛争に、直接適用したのが、静岡地裁の五八年三月三〇日、日蓮正宗の法主に関する事件の判決であります。
 そうなってまいりますと、いったいいわゆる宗教紛争のうちのどのような事項が宗教上の教義解釈にわたるような場合にあたるのか、言葉だけで申しますと、「教義の解釈にわたるような」ということがどこまで及ぶのかが、大問題となってくるのです。
と申しますのは、現在における宗教団体の内部紛争というのは、必ずしも直接に教義の解釈をめぐっておこっている聖的なものではなく、もう少し生々しい、俗的紛争の様相を、濃厚に持っているからであります。
 つまりどこまでが聖であり、どこまでが俗であるのかということが混然としているというのが、私共の目の前にある現実の紛争の実相であります。
それは実際には、現在紛争が起こっている色々な宗教団体においては、ある時には聖なるものを俗とし、ある時には俗なるものを聖とするような傾向があるから、
こういう紛争が起こってくるのであって、それを法律家が截然と区別しなければならないというのは至難の技であるからであります。


 そういう点から申しますと、今日ご報告申し上げる事件は、いったいどこまでが聖で、どこまでが俗であるのか、これは私が原告代理人を務めた事件でありますが、
私にはいまだにはっきりわからないのでありまして、具体的な事案を通して、諸先生方のご批判、あるいはご意見を賜わらせていただきたいと思います。

(二) 具 体 的 な 紛 争 の 経 過
 そこで具体的な事件に入らせていただきますが、この教団は世界真光文明教団と申しまして、昭和二六年に岡田良一という方が創始したものであります。
これは宗教法人になっておりますが、代表役員は、この教団で申しますと、「教え主」がなるということになっております。世俗的地位である代表役員と宗教上の最高の地位が分化していない団体でございます。
この地位は、初代の教え主は問題ないのでありますが、二代目の地位をめぐって紛争が発生しました。
宗教上の地位をめぐる紛争は跡目争いのことが多いようでありますが、この教団の規則によると後任の教え主は、これを二代というのでありますが、
現在の教え主が指名したものをもって当てるとあり、指名していない場合には、責任役員会の互選という定めになっていたのであります。
 ところで、昭和四九年六月二三日に、岡田良一という初代の教え主、つまり宗教法人の代表役員が脳溢血で死亡いたします。その二日目に通夜が行なわれました。
どうも宗教団体におきましては、よく通夜に問題が起こるようでございますが、この時に、この岡田良一には養子がありまして、これは甲子という女の方ですが、
この養女が先代からいわれていたといって二代の指名のあったことを教団幹部の人に話をした。


その時の模様は法廷では詳しく証言されていますが、通夜の席に幹部が五〇人ぐらいいたところへ、皆集まってくれということで一室に集まりましたところが、その岡田甲子は、こういうことをいったのであります。
「実は、先代が亡くなる一〇日前の六月一三日の朝に、私は先代に呼ばれた。神殿に呼ばれて、その席で先代の岡田良一はきびしい顔をして、自分は神様に怒られた、昨日、神様との対話があったが、神様に非常に叱られたと。」
というのは、この教団は本山をつくることになっておりまして、熱海でその本山を建てる計画をしていたのですが、なかなか建築の許可がおりないので初代は困っていた事情があります。
「夜中に神様が出てこられて、初代に『遅い、遅い、大和人遅い』とこう申された。神様にしかられたので、これから何とかしなければならない。こういう話が私甲子にありました。
そこで私は、初代が怯えておられるのでこわくなって『お父様にもしものことがあったら、どうすればよろしゅうございますか』と尋ねました。
そしたら初代は、『私に万一のことがあったら、二代は関口さんにお願いせよ』こう言われました。そして自分が肌身にかけている御霊、それを外して自分にかけて下さいました。
『これは二代用の御霊である』そういわれた。もう一つ、ついでに私に渡して『これは父の御霊である』といわれた。つまり二つの御霊を渡して下さった。このように私は二代用の御霊をお預りしています。
おそろしいことでございますので、早く関口さんにお渡ししたい。」 こういう風に甲子さんは皆にその席上で述べたというのであります。
 幹部五〇人全部がそれを直接聞いておりましたので、だいたい正確に、その話の内容を復元できます。そしてその翌日、初代の遺体の前で、甲子さんから関口さんへ二代の御霊というものを授受されるのであります。


 関口さんが受け取った御霊はどうか、どんな物であったかというのが「1」の写真です。これは実は、アメリカの一八六六年の、金貨を首飾りにしているようにみえます。しかし実は、これは金貨そのものではないので、中が開くのです。
これはスイス製の高級時計なのです。スイス製の時計の中に、先代の書いたその「聖」という字が入っている。それがご神体なのです。このことは後に訴訟になってから発見されたことです。
甲子さんによる二代発表とおみたまの授受がありましたから、二代の指名を受けたということで、皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。
六月二六日に、この御霊を受けてから一遇間も経たない、七月一日に、責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。岡田甲子氏はなっていた。
甲子氏を含む五名の者が、責任役員会を開いて、教団の規則に基いて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。
 しかし、そのことは当時五人の者以外誰も知らないし、登記を行なわれたことも、この教団の人たちは知らなかった。七月一三日の日になって、初代の正式の葬儀が日本武道館に集まって葬儀を営むのでありますが、
その時に二代の発表がありまして、初代は二代を関口さんにお願いしなさい、こういうことを言われましたという発表が行なわれました。
 その時の状況を写したのが写真「2」であります。上に飾られている写真が、亡くなった岡田良一という初代でありまして、
その下で挨拶をしてモーニングを看ているのが、関口氏で、二代に指名されたのに対して受諾の挨拶をしているところです。
武道館は、超満員になるぐらいの状況でした。このような中で二代の発表があったので、その後、色々な儀式は関口氏が二代として行なっていたのであります。


 ところが、一部の人々はその後甲子氏を何とかしなければいけないのではないか、霊と肉を分けて、関口氏の方は肉の方を、甲子氏の方は霊の方をやったら等という、
色々な提案がなされますが、八月二日になって関口氏は、甲子氏から初代の本宅である熱海に呼ばれるのであります。
 そこで関口氏と甲子氏と二人だけで会います。そうすると甲子氏が関口氏に対して、こういう御神示がありましたよ、といって本人に見せたものがあります。それが写真「3」です。
これはある文章の上と下を白紙で隠して、真中の字だけをコピーしたものです。非常にわかりにくいのですが、カッコの中は「ヨのみ雲をもちて娘に与えよ」と書いてあります。
後はちょっと判読できません。この紙を見せて、甲子氏は自分が後継者の指名を受けていたという趣旨のことを、非常にあいまいな形ではありますが、関口氏に言いました。
 この時から紛争が表面化するのでありますが、一体この紙は何を意味しているのでしょうか。「ヨのみ霊」というのは、教え主の地位を指すのだと言う人もいます。
確かに教義上、「ヨの御霊」というのは、そういうふうに解釈できなくはないような箇所があります。「ヨ」というのは、教義に入って恐縮でございますけれども、現世を支配している霊魂をさすようであります。
この教団の教義によりますと、アイウエオ、カキクケコと支配する霊魂が変わってまいりまして、今「ヨ」の世界で、その次はラの世界になるのだそうでありますが、
「ヨ」は現世を支配する霊魂を指すものであるというのであります。しかし、この文章に続く筈の上も下もかくされていてわかりません。
 その後、教団のお祭りが行なわれた時に、初めて甲子氏と関口氏の間でどっちが上座に座るのかということで、言い合いになったことがあります。
その時は、関口氏が後に入り、甲子氏が先に入りますが、お祭の主祭は関口氏が行なうという妥協が成立いたしまして漸く会が開かれました。


 そして数日後に、関口氏は写真「4」のような通達を皆に出しました。これは大変、わかりにくいと思うのですが、依命伝達書というのであります。ざっと読みますと、
  「初代教え主様生前の御遺言により、下記の通り御神示を伝達します。ヨの御霊もちて娘に与えよ、四九年六月一三日御神示、
 恵珠様(注・甲子のこと)の使命、及び任務について、地上の代行者である。よってご神事一切を行なう。したがって教団全般を総括し、掌理する。よって教団規則上の代表役員である。
  二代様のご使命、及び任務について、二代様とは、世界本山建立と布教、宣伝拡大の陣頭指揮者であり、表面に立たれるミヤクである」
云々と書いてございまして、こういうものを秘書課長が持ってくるのです。
 この秘書課長というのは、甲子派の推進者の一人で、これにサインをしてくれということで、上の方に○というのは、関口氏が見たという印で、これによってこの通達書が道場長、その他に配られることになりました。
そしてこの日以降は、甲子派が教団の本部を占拠して、関口氏は追っ払われて別の場所に行くということになりますが、これはあまりにひどいではないかということを、
幹部の一部、特に六月二五日の通夜の席で聞いている幹部等の何人かは非常に怒りまして、これでは教え主の地位を僭奪されたようなものである、こんな変なことはあるはずがない、
黙っていてはこの教団は駄目になる、といって関口氏に理非をはっきりさせるよう迫ります。
そこで関口氏は自分が教団の教え主であるということを甲子側に言い渡しましたが、もちろん向うは聞かない。四九年の九月一九日になって、東京地裁に代表役員の地位を定める仮処分を提訴したわけであります。


 提訴いたしますと、その審理を通じまして今申し上げたような経過は出るのでありますが、裁判所は「御神示というのは、何ですか。コピーではないか。もっとはっきりしたものを出せないのか」
こういうことを甲子例に何回もいうのですが、甲子側はなかなか出し渋っている。そして仮処分の一番最後に出したのが二枚ございます。それをご覧に入れます。
 写真「5」が表書でございまして、四九年六月一三日午前二時、久万ぶり重大神示と書いてあります。これは先代の岡田氏の字であることは、ほぽ確認のできるものであります。これが表書です。
次の写真「6」が本文の最後の一枚です。これは「思い出さしめん為、しばし仮にヨだけ秘かに持ちて、ヨの御霊をもちて娘に与えよ、間に合わずこの地、時を待て、八月一〇日二七、所与えられん。
思い立ったら吉日よ。もう、一度他の仕組みでカ 外に うまくそらさんも」というのです。
 この二枚の紙を出したのですが、法廷にはこの原本の御神示綴りを持ってきました。その原本には、四、五枚の御神示が綴られているのですが、その一番先とこの一枚分だけを開いて、後は全部封印して提出したのです。
裁判所がどうしたのか、と聞きましたら、これは宗教上の秘文であるから、他の個所は見せるわけにいかない、何が書いてあるか自分は知っているけれども、それを言うわけにはいかないと、甲子氏はその部分の供述を拒否したのであります。

(注 丸付き数字を「」付きに変更)


2004年05月24日(月) 099 judge

(三) 裁判所の「秘文」についての判断
 さて、このような経過を辿ったなかで、裁判所が、この”御神示”すなわち宗教上の秘文に関してどのような判断を示したか。
 一番先に出された五〇年七月二四日東京地裁の地位保全仮処分判決はこの点につき、次のように判示しました。
 「初代が作成したものであると認めることができる乙第一号証の一、二(注、写真「5」「6」)…によると、一見、初代は、『ヨのみ霊もちて娘に与えよ』という表現をもって、
その養女である岡田甲子を教団の教え主に指名したものと解する余地があるように見える。
 しかし『ヨのみ霊もちて娘に与えよしという記載が昭和四九年六月一三日に作成されたものであることは、その記載自体から直ちに認めることができないのみならず、
その表書きとの縞綴形式からは、必ずしも、その本文が表書きと一体をなす文書と認めるに足りず、
また、その本文の記載の意味内容は、その前後の一連の文章の内容およぴ関連性を十分に吟味して把握すべきところ、その前後の文章の内容および関連性が本文だけからでは明らかであるといえないし、
これが明らかにすることが物理的には可能であるにもかかわらず、それが神示であることを理由として、
その前後の文章が記載されている文書の提出を岡田甲子側で拒否していることは、岡田甲子本人尋問の結果に照して明らかであり、
このような場合には、その前後の文章の内容およぴ関連性を顧慮することなく、初代が岡田甲子を教団の後継教え主に指名したと速断することはできないといわなければならない」
 つまり、この秘文はちょっと見ると甲子を教え主に指名しているようにもみえるけれども、表書きとの関連性も分らないし、前後の文章もわざと隠しているのだから、
それをみなければ分らない、全部出せば判断できるけれど、全部出さないから駄目だとこの判決はいったのです。


 次に、この仮処分事件の控訴審である東京高裁昭和五二年三月三一日判決はこういっています。
 「神示は、たとえ宗教団体の内部にあっては批判を許さない絶対的権威を有するものであるとしても、
司法裁判所の訴訟において、それが役員の任免その他地位に関する当事者の主張事実を裏付ける証拠となりうるためには、裁判所の判断に服さなければならないことは当然であって、
単に神示であるという一事をもって裁判所の判断を排除しうるものではない。それ故、問題は、専ら、本件神示に前記発表(注、六月二五日に行なわれた幹部通夜での甲子の発表をさす)
の内容の真実性を合理的に否定するだけの証拠カが認められるかどうかの一点にかかっているものといわなければならない」
 としまして、岡田甲子自身その発表が間違っていたことが分ったなら直ぐ訂正すべきであり、その機会も十分あったのに正式訂正をしていないことなどをあげて、
その発表の内容の真実性を否定できないとして次のように結んでいます。
 「以上の説示によって明らかなごとく、本件神示には前記発表の内容の真実性を合理的に否定するだけの証拠力は認められないといわざるを得ない。
されば、法定証拠主義を採用していないわが国の民事訴訟法の下においては、単に本件神示が存在するという一事をもって、
前記発表の事実を抹殺し、関口栄の被保全権利を承認しないがごときことは、到底、許されないものといわなければならない」


このように、高裁判決は、通夜の際の二代発表という世俗的に理解しうる事実によって関口氏に後継教え主指名があったと認定し、御神示を他の証拠同様一つの証拠方法に過ぎないとして、
その証明力を検討し、結局、通夜の際の発表内容の真実性を否定しうるような証明力を有しないと判断したのであります。
御神示だからといって、証拠判断をする上で特別の配慮を加えることなく、世俗人である裁判官の理解しうる範囲において、他の証拠同様その自由な心証により証明力を考えればよいというのが、
高裁判決の基本的考えでありましょう。それで良いかどうかが、私の今日のお話のテーマであります。
 そこで最後の問題に入る前に、この御神示が、その後どうなったかについて、若干触れておきたいと思います。
 この事件は仮処分だけでなく、本訴も係属しており、第一審は東京地裁で、仮処分判決同様の理由で関口氏が勝訴しました。
そして甲子側が控訴して東京高裁に係属したのですが、この段階になって、甲子側は、遂に御神示の全文を裁判所に提出したのです。
その一部が写真「7」です。これだけではよく分かりませんが、翌朝初代が書き直したところによると次のようなものでした。


 「一二日午前一一時お伺い 午前十時起きていそいで書き直し一三日二時一一時と思う
 幸子に「あす二時だよ」と
一三日夜
 神起し賜う 神前へこい 一三日午前二時急ぎ着がえて神前へ しばらくくちゃくちゃ 御聖地と造営着手御伺い
考え考えよ しばし右横へ 方向
 守るよ 高天原守らむなれど 時悪し
神守るなれど
遅いよ遅い アマハラ 鎮護せしめん
肚なり
ヤマト人 遅いよ遅い 時悪し
 しばし 時を見よ(一一日夜のこと金星すてぬなれど ここ運つきよ)
神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ
 玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に
ヨ丈け秘かにもちて (ヨのみ霊もちて)娘に与えよ
 間に合わず 此地 時をまて
 8月10日27
 所 与えられん
  思い立ったら吉日よ
もう一度 ほかの仕組で 力
 外に うまく そらさんも」


一体この文章は何を意味しているのか。甲子さんは控訴審に出廷して、
「本山の造営が遅れているが、今は時が悪い、娘を二代とせよ、災害がおころうとしているが、皆の力で外へそらさせよう」というのがその意味であると証言しました。
 関口さんも同じく法廷で「本山の造営が遅れているが、今は時が悪い、本山はクライ山(高山の方にある)に移すことにし、とりあえず熱海にある三つの神霊のうちヨだけ秘かに娘にもっていかせなさい。
熱海での本山造営は暫く時をまちなさい。災害は皆の力で外へそらさせよう」という意味であると証言しました。

 両者、肝心の部分の解釈は全然違います。このような場合、裁判所はどれだけ立入ってこの「秘文」の解釈をすべきなのか。
全くふれてはならないのか。ふれなかったときは、「秘文」はないとして判断するのか。あるいは秘文所持者の主張するとおりに判断すべきなのか。
 大いに興味深いところでありましたが、この事件は裁判長からの強い勧告により和解になりました。
この和解において、関口氏が二代教え主として教団の代表役貞であることを甲子氏が認めて控訴をとり下げましたので、関口氏が代表役員であることを認めた一審判決通りに確定しました。
裁判長はこのような線で和解を職権勧告したわけですから、その心証は一審通りであったと思われます。しかし和解でありますので、当然のことながらその心証形成の過程は表示されないままに終りました。
 以上が、事件の内容と、それに対する裁判の経過であり、特にその中で、甲子氏側が主張した「秘文」に関する裁判所の判断の仕方をのべてきましたが、
本件を、代理人という立場を離れてみますと、いったいこの時に、裁判所はどういう判断をすべきなのか、大変問題であったと思います。


 先にのべました昭和五五年以来の最高裁判所の判決、特に「まんだら」の判決の延長線上で考えた時に、はたして今後、この種の紛争についてどのように考えるべきなのかと、深刻に考えざるを得ないのであります。
 つまり板まんだらの事件、あるいは日蓮正宗の静岡地裁判決のような事件も踏まえて考えますと、
宗教上の秘事・秘伝によって後継者の選任を受けたと当事者の一方が主張をした時に、主張だけでもう司法判断は回避されるべきなのかどうか。
主張だけで司法判断を回避するのが無理だとすれば、後継者の指名としてなされた行為が、宗教上の秘事・秘伝になるということを立証する必要があるのか。その場合でも指名行為が外形上存在したことの証明は必要ではないのか。
また、指名行為の具体的内容が宗教上の秘事・秘伝に当るので、それ以上の内容は言えないことについて、少なくとも俗的にみて合理的な理由があるのだということまで
証明しなければいけないのかどうか。これらのことが当然問題になると思います。
 一つの極端には、宗教上の教義事項とか、宗教上の秘事であるとかいう主張があれば、もはやそれ自体として司法判断になじまないという考え方もありましょうが、
どうも私のような実務家には不安が生じます。というのは、この事件でも感ぜられましたように、故意に教義的粉飾をこらすということもありうると思われるからです。
 しかしもう一つ、反対の極端には、先程の神示の意味内容についても立入って判断すべきであるとの考え方もあるでしょう。
しかしこれまた逆に宗教論争の渦中に裁判所が介入することによって、不当な結果を招来することになります。
 この二つの極端の中間に妥当な線が存在するのでしようが、具体的に何処に線をひけるかというとかなり難しい、ケース・パイ・ケースにならざるをえないかもしれません。


 しかし、宗教団体に関する紛争といってもその実質は、多分に跡目争い、財産争いという世俗的紛争を伴っていることが多いのですから、
できうる限り教義解釈や宗教的秘事の内容に入らずに、世俗的に十分理解しうる諸事実を判断することによって、裁判所は紛争に対する実値判断をすべきではないかと思います。
 本件では、最初に「秘文」があったわけではない。幹部通夜での発表があります。武道館での葬儀の際の発表があります。
これらは、裁判所はもとより通常の世俗人によっても容易にその存在と意味を理解できることです。
 ところが、甲子側は、それと正反対の意味内容を有するものとして、「御神示」なるものを法廷にもち出した。
この時に考え方が分かれると思うのです。もし裁判所が判断を回避すべきだとした時に、その法律上の効果はどうなるか。
 例えば統治行為論というのがあります。砂川事件の時最高裁がとった考えですが、高度に政治的な行為については、司法判断はなじまないとするものです。
この場合その政治的行為の違法合法について裁判所はふれないわけですから、結果としてはその政治的行為は是認されたのと同じ効果を生じます。
 その統治行為理論と同じように考えたときに、「御神示」の内容は主張者の言う通りだとして認めるのでしょうか。それとも「御神示」に関する主張にはふれない、
つまり、なかったとして扱うのでしょうか。前者であれば、甲子氏勝訴です。後者であれば関口氏勝訴です。正反対の結果が生じてしまいます。
 私は、このような次元でいきなり「判断回避」をするのはおかしいのではないかと思います。

 やはり、理解可能な世俗的事実からえられる心証を中心に考え、もし「御神示」が甲子側がいうように解されるとすれば、その後の甲子例の行動に矛盾がないかどうかを判断すべきでしょう、
そういう形で間接に「御神示」の内容が、果して甲子さんを二代に指名するものであったか否かを判断することは、本件では可能であったと思います。その意味で、私は、仮処分の東京高裁判決の判断は正当であったと考えます。
 つまり、御神示の内容について教義的解釈をすることは許されない。しかし、御神示の内容が主張者の言う通りだとすれば、
その他の世俗的諸事実と整合的であるか否かという形での間接的判断は許される。そして整合的でない場合には御神示の内容が主張者の言う通りでないと判断することも許されると思います。
 しかし、もし他に重要な世俗的間接事実が存在しないか、存在してもそれだけでは心証がとれず、「宗教的秘文」の内容のみが、紛争判断を左右するような場合には、
宗教法人法八五条の趣旨に則りその内容を判断すべきでなく、従ってその紛争につき裁判所は判断しないことになります。
裁判所は信仰の内容が実質上の争いになっているようなことに介入すべきではありません。それは世俗的権力である裁判権に課せられた制約であります。
 もし、本件で「御神示」の内容のみが、何れが教え主すなわち代表役員の地位にあるかを決める唯一の判断事項であったとすれば
、裁判所は、その判断を回避し、関口氏の請求を棄却(あるいは却下)すべきだったでしょう。
 私としては、現在のところ、一応このように考えておりますが、冒頭に申しましたように、その点に関する判決はまだ過渡期でありますし、
色々な考え方が成り立ちうると思います。御批判を期待して報告を終らして頂きます。


【写真4の文面】

本部局部課長
方面指導部長 殿
大中小道場長
           49.8.8 秘発1号伝達責任者
               秘書課長 冨 田 萬 美 (印)

     依 命 伝 達 書
初代教え主様御生前の遺言により下記の通り御神示を伝達します
瓮 の み 霊 も ち て 娘 に 与 え よ燹S49.6.13御神示
恵珠様の御使命、及び御任務について
初代同様ヨニマス大天津神様の地上の代行者である。
よって主神へのお念じお願い
御神体並におみ霊のご調整
伊都能売様の霊線ツナギ其の他神事一切を取行う。
従って元み霊座を祭主し教団全般を総括し掌理する。
よって教団規則上の代表役員である。
二代様の御使命と任務について
二代様とは、世界本山建立と布教、宣伝拡大の陣頭指揮者であり、表面に立たれるミヤクである。
従って世界本山建立と教線拡大が主任務である。
教団の対外的 表面的分野を分担される
式典等は恵珠様が二代に代行を命ずる事によって
御親拝並に御教示も賜るものとする
詳しくは追示
不取敢御知らせ致します。


【解説】
 昭和59年11月17日に宗教法学会でおこなった講演を文章にまとめ、昭和61年に発行された。主に大学図書館に保管されている。
裁判では、4頁にわたる遺言の全文が開示された。そのうち、関口氏側にとって都合の悪くはない内容の部分が本論分で紹介されている。
ttp://webcat.nii.ac.jp/cgi-bin/shsproc?id=AN00107125
 恵珠氏側に有利な遺言の内容は、「大聖主」25-26頁と「最後の天の岩戸開き」115-125頁にでている。
『世界総本山 位山 高山』といった遺言の内容は関口氏側にわざと見せようとせず、東京高裁での本訴でやっと開示した。
 大野弁護士は、後に最高裁判事になった人物で、学問的にはしっかりした内容の報告である。ただ、これはあくまで自分が勝った裁判についての報告である。
ちょうど医学部教授が、臓器移植手術の成功例について発表しているようなものと同じ、と解釈するべきだろう。また、崇教の世界総本山完成の特別大祭期間中に発表されたのも、意味ありげだ。
 光記念館も怪しげな勲章の展示などやめて、光玉氏の遺言を展示すべきだろう。こちらの方がよっぽど学問的価値があるといえる。
 最後に、これらの文献の実物をご覧になりたい方のために、お教えしよう。
国立国会図書館所蔵文献のコピーがインターネットで請求し、郵便で送ってもらえるようになった(事前に利用登録が必要である。www.ndl.go.jp)。
特に大野和男氏の論文は、関口氏が受けたおみ霊や、光玉師の自筆遺言メモの写真が掲載されており、ぜひ実物をごらんになってほしい。


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(注 丸付き数字を「」付きに変更)


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