暴かれた真光日本語版
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2004年04月30日(金) 074 gn

最終更新日:2002.10.01 HOME


G氏、N氏からの情報

ある掲示板において、G氏は「中外日報」、「宗教法学会報」などの専門性の高い資料からの情報を元に書き込みをされ、N氏は岡田光玉氏の立教以前の過去にかかわることを書き込まれています。私は私なりに情報を整理しなおしてから書き込みたかったのですが、内容の専門性が高く、私の力では情報を整理することが難しく感じられました。掲載しようかどうしようか迷いましたが、資料としては第一級の価値があると思います。そこで、お二人からの情報については特別にページをもうけ、不完全ですが少し整理をして掲載することにしました。お二人のご努力には、この場を借りまして深く感謝いたします。また、断りなく掲載しましたことを深くお詫び申し上げます。

目次

・真光裁判、八王子土地買占め問題、その他

・岡田光玉(岡田良一)の家系に就いて
・「世界真光文明教団 代表役員地位保全事件」
・ユダヤとエタ
・八王子市議会で土地の買占めを追及された真光
・オウム−真光コネクション
・教祖の死と現実
・教祖用御み霊
・田園調布・梅林旅館の会合
・関口氏提訴の経緯
・ラーム氏
・霊動
・光玉最後の御神示
・導士のセクハラ
・岡田光玉の御神示
・七億円余の横領を告訴
・参考文献


・岡田光玉氏の霊的系譜

・八幡博堂(顕正)
・千鳥会について
・御み霊の中身について
・心霊医学会
・八大龍王
・ラーム氏
・高山が日本の中心
・浮霊現象について
・愛人疑惑
・生長の家
・瓜谷社長の証言
・大峰老仙
・ス座
・人類の母国「神国日本」






2004年04月29日(木) 075 gn

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真光裁判、八王子土地買占め問題、その他

注) 「>」で始まる文章は、G氏に対する質問等や他の書き込みからの引用を示します。

岡田光玉(岡田良一)の家系に就いて
 
岡田良一の父は、岡田稲三郎という。和歌山出身。
 
安政4年丁巳(1857年)に生まれた人なので、岡田良一出産時(1901年)に父は44歳であった。岡田良一は、父稲三郎が44歳の時の子である。

岡田稲三郎は、50歳のとき陸軍一等主計正になった。
  大正2年、主計少将に昇進。
  大正5年、10月28日死没。

息子・良一は2月生まれだから、16歳の時、父死亡。父の最期の位階は、主計少将相当官として、「帝国陸海軍将官同相当官名簿」古川利昭著に、進級・任官年月日が出ている。尚、岡田稲三郎に爵位はない。

主計少将の中で、爵位のある人は、川崎男爵・野田男爵の両氏である。教祖岡田良一の父は、陸軍の中でも、主計局という、会計畑を歩んだ人で、だから官位も相当官なのである。
 
教祖とその父という関係で、岡田良一の年譜と合わせ見て、興味深く感じたことは、昭和20年、良一44歳の時、つまり自分が誕生した時の父の年齢に達した時、岡田良一は破産の憂き目にあい、大負債を背負い込んだという偶然である。

この符合に、真光の宿命論(自分に災いを齎すものは、近親者であろうと全て悪霊→先祖悪霊論の如きもの)から察せられるような観念を考えると、どうも教祖の経歴というのは、教義を分析するうえで、抜きにしては語れない要素が、ちりばめられていると思う。

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2004年04月28日(水) 076 gn

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「世界真光文明教団 代表役員地位保全事件」

宗教関係判例集成 第一書房 第4巻・第5巻 「世界真光文明教団 代表役員地位保全事件」
図書館のレファレンスで聞けば、すぐわかります。そこになくても、どこで見られるか所蔵図書館を調べてもらえます。

「宗教関係判例集成」 第一書房(肌色のハードカバー本) 第4巻・第5巻に 「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」の詳細が出ている。
裁判所の資料を直接閲覧したい場合は、原審が東京地裁であるから、そこで更に詳しくわかる。
( 昭四九(ヨ)第二〇四六号地位保全仮処分申請事件 )

「世界真光文明教団代表役員地位保全事件(一)」
 
 掬豕地裁
  昭和50年7月24日
  民事八部判決
  
  兇△蕕泙
  教え主、昭和49年6月23日死亡
  その相続・後継者争い(跡目争い)
  養女・甲子VS関口栄

 靴海了件の本質
  跡目争い

 顕燭鬚瓩阿辰討?
  教団の人的支配権、金銭的支配権
 
 垢海両赦贈苅后淵茵紡茖横娃苅狭罎乃ど佞こと
  岡田甲子本人が
  柳川、平手、清水いずれかの裁判官に尋問された
  ↑
  疑問・そのとき何才くらいに見えたか?
  疑問・気は確かに見えたか?(霊媒ということだが)
     岡田側は、自分達は「霊団」である
     という言葉を裁判で使っている。

昭和50年(1975)7月24日の判決から延々と最高裁の判決まで泥仕合がスタートする。なお、第一ラウンドでの判決文は、関口氏の訴え「却下」。一読して、第三者としても、関口氏が怒るのも無理は無いという内容だが退けられた。しかしこのままでは済まなかった。

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世界真光文明教団代表役員地位保全事件(一) 東京地裁 昭和50年7月24日民事第8部判決

裁判をより理解する為の資料として 「中外日報」 昭和57年9/3、9/6、 9/8、 9/15号がある。

この「中外日報」のみどころは、教団資金の大胆な動きが告発されている点。しかも信者以外の人間によって。また関口氏と甲子サイド幹部が、梅林亭という料亭のようなところか、そこで話し合うのだが、これを読むと甲子サイドでさえ、甲子を「あれ」などと言い捨て、全く尊敬の念など感じられない態度が、この教団がいかなるものかを知らされるのである。「中外日報」のこのバックナンバーは所蔵するところが少なく、首都圏では確か和田の立正佼成会図書館、禅の駒沢大學にあったと思う。関西はどこだったか?

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「宗教法学会報」昭和59年11月17日

これは宗教法学会で研究発表された論文であり、信者の人なら必ず興味をもたれる部分が論述されている。ずばり「御神示」と「教祖用おみたま」について。これも大學図書館や国会図書館にあるはず。バックナンバーが各巻まとめられている。

みどころは「ご神体?」の写真か。これがあきれたことにスイス製の製品高級時計。メーカー名もちゃんと出ている。これ見て入信する気になるか?当然の疑問として信者でもない司法関係者は写真とはいえ「おみたま神体」の正体を見ているのに(ご利益があるかはわからないが<笑>)一生懸命金を出し、奉仕をしている信者が、なんで見られないのか?教え主以外は誰も見ていない、見せていないというならわかるが。知らないことはいいことだ。

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世界真光文明教団代表役員地位保全事件(一)

これは当時崇教局長の関口栄氏が、世界真光文明教団と岡田甲子を訴えた裁判。 

関口氏は東京都台東区北上野2−13−8
宗教法人世界真光文明教団は東京都大田区田園調布2−25−10

岡田甲子は東京都世田谷区羽根木2−26−16
と所在を記して出ている。(宗教関係判例集成 第一書房)

唐突だが、オウム村井刺殺関連の暴力団羽根組とは世田谷のこの地域に関係あるのか?名前が教祖の元自宅住所に似ているのも嫌なものだろう。

さて、どうして、もめたかという経緯も奇怪である。

昭和49年6月23日岡田光玉が死亡。

死亡前6月13日光玉は養女甲子に後継者の指名を伝えた。

6月25日光玉の通夜の席上「6月13日光玉より関口を2代目にと指名があった。2代教え主用のおみたまを光玉より預かっているので関口氏に渡したい。」旨を幹部に発表した。

6月26日甲子は光玉の遺体の前で、関口におみたまを授与した。

ここまでは平穏であったようだ。

ところが、7月1日責任役員5名が甲子を教え主に互選し7月5日には甲子を代表役員として登記してしまう。

(教団規則第6条に1:代表役員はこの法人の教え主をもって充てる。2:後任の教え主は現在の教え主があらかじめ指名した者をもって充てる。あらかじめ指名していない場合は、責任役員の互選により選定する。 関口氏は責任役員ではなかった。 この2つが前提条件としてのポイント。)

しかし式典では関口氏がたてられ、7月13日日本武道館での光玉教団葬では1万5千人の信者・来賓に対して岡田甲子から関口氏指名を発表。続いて関口氏は2代教え主を受諾する旨の挨拶をした。

「神むき」という言葉があるそうだが、「表向き」と「裏向き」が言っている事とやっている事が違う状態で事態は進んで行ったと裁判資料の説明文でわかる。

ついに「御神示」を甲子が関口氏を呼んで見せ、これが有名な、「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」である。

8月25日関口氏は教団本部に出仕せぬようになり、教団は事実上分裂した。49年9月18日関口氏は裁判を起こす。

その判決が50年7月24日に出たということである。

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それはさておき、という程でもないが、岡田甲子サイドのグループは、友森清晴、岡本洋明、天野正勝らで、特に教団顧問・天野正勝なる人物の存在は大きいのだが全容がわからない。影で操作する人物といえよう。

友森清晴は、旧姓を馬場清晴といい、陸士34期出身で戦後しばらく巣鴨プリズンに居た。鳥かご暮らしというのか。役職から言えば当然だが。個人的に抱き続けてきた疑問だが、K市の馬場医院と関係ない事を願う。

岡田甲子の素姓についても、この裁判資料集成では「養女」と言うに留めている。ただ、こういう法廷で挙げることだからウソではないだろうと思われる経歴は

*初代が昭和48年(1973、死の前年)9月に欧州巡行のとき岡田甲子を代理に選任し、光玉の補佐役とした。(これは48年から公式に一般の目に登壇したと考えてよいのかどうか)

*岡田甲子は特別研修を受けた唯一の者で、(このあたりは信者の人が興味をもつ部分だが)主神へのお念じお願い、ご神体(実はスイス時計)およびみ霊のご調整、伊都能売様の霊線つなぎの一切を行うことが出来るから2代教え主の指名を受ける資格を十分に備えている。と関口氏への反論を述べている。

*初代は岡田甲子を2代教え主に指名することを、平素から教団幹部に言明してきた。これも甲子サイドの裁判所での主張だが、「平素」とはいったいいつ頃なのか。関口サイドは「中外日報」で甲子を「天一坊」と呼ぶ。「天一坊」とは今まで誰も知らなくて突然ふってわいたような人物が「我は将軍也」などと言う場合に使う言葉である。これは海外の信者が証明する救世教関係者の娘という筋ともニュアンス的に少々ずれている。だいたい少女時代の写真が1枚も発表されないなど新宗教の世界でも、こんなばかな例はない。事件性でもあれば別だが。

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岡田光玉死後の奇怪な後継者争い。

この裁判では、岡田甲子本人の尋問も行われている。その他の証人は

債権者・関口栄側の証人。 

工藤岑碩
工藤みね子
植松茂
金子敏雄

債務者・岡田甲子側の証人。

友森清晴
山本昌彦
富田萬美
石毛省三
白崎智子

また裁判資料中、名前が列挙されている人物は、松平(定堯)事務長ー日本武道館に於ける光玉教団葬で関口栄がニ代に指名されたと、会場1万5千人の信者に発表。

岡本洋明

顧問・天野正勝

富田秘書課長

昭和49年8月4日、月始祭の第一次式典に続いて東京晴海の東京流通センターで挙行された第二次式典終了後本部局部課長および全国の指導部長を集めて甲子が教団の教え主であり、代表役員である趣旨の依命通達を伝達するはずだった人物。(しかし関口氏は「これは恵珠様と私との問題だから」とその通達書を、富田秘書課長から受け取り富田ではなく関口が、幹部一同の面前で読み上げて伝達した。)

有馬経理部長

49年6月26日、甲子の申し入れにより、有馬経理部長と富田秘書課長だけの立会いのもとに光玉の霊前で、関口が甲子から、おみ霊の授与を受けた。

白崎照明

南米方面の指導部長に任命されて8月8日、とりこみ中のところに出発の挨拶に訪れた。次の東京高裁での記述と照らし合わせると、状況が違う。

だが、フィクサーと呼ばれる教団顧問・天野正勝なる男、こいつがクセモノだなという感想を抱かせる裁判の記録である。甲子は男の人形か?という疑問を抱かせる。

中外日報で関口サイドが一番攻撃しているように感じるのは当時の教団顧問・天野正勝なる男である。「フィクサー」。

裁判資料中にても、甲子代表役員就任登記について関口氏が善処を申し入れたところ、その会談に同席した債務者教団の天野顧問が書面で回答したが、その回答において、右天野は、債権者(関口)を二代様と呼称し、月始祭でも関口を甲子より上位とするが、代表役員については現在のままとすることを示した。天野という男が、光玉教祖の周辺で強い権力を握っていたことがわかる。

腑に落ちない点は、教団資産(信者から集めた金)も、組み手ではない女が管理していたようだ。まえに出した中外日報のどれかに詳しく書いてある。

横道にそれたが、その他尋問された関係者は、

証人・鈴木稔・有馬富子・大川一二、木村一郎・佐藤弘子、と書き出されている。

このような裁判抗争の渦中に、昭和53年岐阜県高山市に誕生したのが現在の「崇教真光」である。

関口栄と岡田甲子の和解はもっと後であり、昭和57年7月10日、東京高裁第七民事部においてである。(7年越しの抗争)

実は甲子側は最高裁へ上告したのであるが、最高裁は、昭和52年9月22日、甲子の上告を棄却した。そこで和解への段取りとなったわけである。

何度でも問う。どうして信者でもない人間が、信者より詳しく教団の成立事情や教団幹部の名を知っているのか。「宗教裁判資料集成」第一書房に全部書いてあるからだ。全国、どこでも、誰でも、知ることができる。そういうことです。教団に金を一銭も出してなくとも知ることができる。

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オウム真理教幹部は高学歴殺人集団として各地でいまだに住民とのいさかいを起こしている。「堕ちたエリートたち」。彼等が笑われるのは、大學・最高学府まで出ていながら、中卒程度の麻原が説く神秘体験や病気治しを信じて家系の恥、大犯罪者になって死刑もしくは一生務所暮らしを終える尊卑逆転現象をおかしいと思わなかった点である。

昭和50年代に起きた世界真光文明教団代表役員地位保全事件。裁判資料に名の挙がった人物は、当時の教団のキーマン達であり、この裁判がもとで、崇教真光ができたのだから、崇教真光の存立にかかわったキーマンでもある。

証人として尋問されたり、氏名が挙げられている人物群。教祖と同じ陸士34期生が多い。ここは旧陸軍の同級生がつくった教団か?と顔ぶれを見ると思う。

松平定堯氏・石毛省三氏・友森清晴氏・植松茂氏(55期)・白崎照明氏(陸士34期の白崎嘉明大佐 18師団参謀長の御親族と推測する。)

中外日報を読むと一目瞭然だが、甲子は「あれ」と呼ばれる程度で、幹部どうし内部的に調停を図ろうとした形跡が見られる。決裂したが。裁判からわかるように、この教団では幹部が重要なのである。

松平定堯

朝日ジャーナル1991・4・19日号に、西前輝夫記者が「激烈『宗教ウォーズ』すんで戦線恐々の国会議員たち」の記事で松平定堯氏を解説している。イラストが本文をよく説明してわかりやすい。鈴木都知事をかつぐ立正佼成会・妙智会VSニュースキャスター磯村氏をかつぐ創価学会・崇教真光・世界救世教MOA派の似顔絵。副題は東京都知事選異聞!
 
この朝日ジャーナル記事によれば

「磯村氏を支援した崇教真光教は、岐阜県高山市に本部があり、磯村氏の叔父の松平定堯氏が顧問を務めている。松平氏は初代教祖とは近衛連隊時代の同僚で、最近まで真光教のナンバー3の地位にあった。」

「磯村氏は選挙戦中、松平氏といっしょに都内約20の道場を回った。」
 
「2月27日、東京の両国国技館で開いた初代教祖の「生誕90年式典」に磯村氏は参加した。(ところが)鈴木支持の原文兵衛参院議員が(なんと)式典委員長を務めていた。磯村氏はあいさつの機会も与えられずメンツをつぶされた。」
  
朝日ジャーナルはこのように書いてある。
  
だが、もっとも基本的なことは陸軍士官学校34期(野砲)出身。光玉と同期・同級生。同じ釜の飯を食った仲間。青春時代をともに過ごした仲間。ということだ。
 
松平定堯氏は、特務機関で職務にあたり、昭和17年中佐として、前任・赤堀道太郎のあと、チタ満州国領事館付き武官。敗戦の20年までその役職にあった。いわゆる情報将校である。
 
オウムのがきが、テロがどうのこうのとサリンやエボラウィルス、炭疽菌を皇太子御成婚の日に亀戸でまいたというが、真光の幹部っていうのは、軍事面ではプロなのだ。
  
世界真光文明教団代表役員地位保全事件。

証人として尋問された、友森清晴氏。

友森(旧姓・馬場)清晴。

陸士34期(歩) 教祖・光玉こと岡田良一と同期であるが格段の出世頭である。軍歴でいえば光玉は、こういっては何だが落ちこぼれ。更にその名は陸軍大学校卒業生名簿に出ている。第46期(昭和6年―昭和9年)

この人の最終の階級は大佐。西部軍参謀副長で終わる。陸軍大学校卒後、最初の参謀職務は、軍務局徴募課。昭和16年ー17年 軍務局兵備課高級課員。軍務局は軍政の中心部署である。陸軍省兵務局兵備課は太平洋戦争中、総動員 動員 兵役各班が新設された。国家総動員の総本山といったところか。

友森氏はこのような重職にあったので巣鴨入りだったようである。

昭和29年名簿では、まだ「(巣鴨)友森(馬場)清晴 東京拘置所内」となっている。同名簿では29年現在、岡田良一は、住所もなく行方不明状態。しかし29年といえば相当世の中も豊かになった頃である。戦犯として、入っていたのだろうか。それしか考えられないが。疑問。


友森氏は、光玉より俗に言うエライさんである。エリート中のエリートである。それがまたどうして「神が見える」ようになってしまった戦友の手下になってまでも、担ぎ出す気になったのか?

愚かで迷信深い女達から金を集める団体を設立するとは。皇軍の誇りと過去の苦労を捨て、マムモンの神(金の神)に屈したのか?

オウムは高学歴犯罪集団と呼ばれるが、陸軍大学校卒業というのは、今の大學など比較できないほどのエリート中のエリート。学士様どころではなかったはずだ。

石毛省三 陸士34期(重砲)
  
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世界真光文明教団代表役員地位保全事件

一債権者(関口栄)
 2証人工藤岑碩 同植松茂 工藤みね子、同金子敏雄の各証言および債権者本人(関口栄)尋問の結果を援用。

二債務者ら
 2証人友森清晴、同山本昌彦、同富田萬美、同石毛省三、同白崎智子の各証言および債務者教団代表者兼債務者教団代表者兼債務者岡田(甲子)本人の尋問結果を援用。

*( )は原文に今便宜上補足した部分。

これでわかるように甲子側、友森・石毛両氏は陸士34期。教祖と同期生。さて関口側、植松茂氏。このかたは、現在別の霊感商法裁判で娘が有名人。お気の毒である。

植松氏の例は、他教団と真光の関連を考察するのに意義深い素材であるので次に少々長文でアップする。
           
植松茂  陸士55期出身。

友森清晴のような大物ではないが、最近、娘の悪業によって2ちゃんねるで有名になってしまいお気の毒である。手かざしでジョウレイに励んでいたのに何故か。

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2004年04月27日(火) 077 gn

宝島30「霊能者 深見青山の素顔は『歩く幼稚園』?」
 
ワールドメイトという救霊師をたくさん抱えた新興宗教団体が教祖のセクハラ、霊感商法、脱税問題で追及されているが深見なる男の霊能者を操る年増女霊能者「植松愛子」は植松茂の娘である。

宝島30米本ルポによれば

「愛子の父、植松茂は世界真光文明教団の創立に力を奮った人で、家庭環境はもともと宗教的雰囲気に包まれていた。」

「(深見と愛子の)修行の内容は省略するが、生活費は稼がねばならない。当初は健康食品の訪問販売などをして糊口をしのいでいたらしいが愛子の兄・植松健税理士の宗教仲間(世界真光文明教団)である弁理師の栂村繁郎(虎の門特許事務所所長)がスポンサーとなり(株)三十鈴を設立し、予備校とポルノビデオ、健康機器の訪問販売のちに時計の卸を始めた。」

宗教的雰囲気で育ったわりには、「ポルノビデオ」販売など下品な事業を真光の宗教仲間と始めたものだが、よほど金がほしかったのだろう。

この項、続く。
          
植松茂の娘がつくった団体・ワールドメイトのからくりは信者からまきあげた大金が、皇大神社の受け口である栂村の口座にガバガバ入金されるシステム。

植松健や栂村は真光と、この記事ではわざわざ注釈されている。
宝島30p37を引用すると

「そのお金はまだ認可されていない人格なき宗教法人である「皇大神社」に転がりこんでいく。百億円の集金システムを説明しよう。まず、会員予備軍は深見青山とコスモメイト(ワールドメイトの旧名)の存在を本で知る。深見たちの本は大川隆法、麻原彰晃と同じ扱いで宗教コーナーの前面に品揃えされている。点数は合計約70点にのぼる。発行はコスモメイトの関連会社であり、東販、日販など取次7社の口座をもっている「橘出版」(社長は弁理士の栂村繁郎)が圧倒的に多い。」

末端信者が、どこの神様が正しいとか、験があるとかせりあっても、上層部は金のやりとりでtながていることを実にはっきり示している例である。こうなってくると、いくら心が清らかでも
一度出した金は、どこに流れていくかはわからない。その為に宗教法人法で財務の開示、場合によっては、信者が請求すれば、資産情報を開示しなければならないとしているのに信じきっているので誰もが一方的に金を出すばかり。

で、上のような現実がある。信じたい気持ちと、信じるにあたいする気持ちは断じて次元が違う。

この項続く。

ワールドメイトは会員や元会員が2ちゃんねるでいろいろ発言している。

http://mentai.2ch.net/psy/kako/975/975920900.html

WM基礎知識質問箱

  31>なぜ、「神事」やるたびに皇室に不幸が起こるのか

  34>昨年の伊勢の大神事・・・雅子様流産
    >今年おゴールデンウィーク神事・・・小渕元首相死去
    >今年の鹿嶋大神事・・・皇太后様死去
    >これほどスゴイ証が続出するワールドメイトの神事!
    >今年の伊勢に向けて3種の神器の秘密など
     解明(勝手に解釈)して新世紀を迎えても
     何になるんだかねえ。

このような発言が散見できる。だが、もういちど現実を確認すれば、こんな疫病神みたいな団体の金は、真光の弁理士の男が仕切っているのだから真光も、皇室の不幸に、かかわっているということか。真光幹部の娘がひらいた宗教であることだし。

ワールドメイトについての読み切れないほど多数のスレッドをたどっていくと奇妙なことに気付く。

ワールドメイトのライバルは幸福の科学と、新宗教の評論で言われているのに、スレッドの投稿の印象では、幸福の科学攻撃は希薄で、信者が意識しているのは、手かざしの真光であることがわかる。

ありていに言えば、ワールドメイト信者は手かざしをかなり馬鹿にしている。真光をやめた信者が馬鹿にする論法と違う。

どのスレッドか忘れたが、だいたい次のようなことが書かれていた。しかも複数の投稿者だったと記憶するから、おそらく教祖が内輪の信者に説いているのだろう。或いは著書に書いてあるのか?

「光玉は霊能力が途中でなくなり、困ったので、インドのサイババに霊能力を頼み込んで分けてもらった。」
 
途中でというと、ウルトラマンの光線が3分で切れるみたいなものか。インドのサイババからどうやって、オリンピックの聖火みたいに接木ならぬ接火ということか。できたとしたら真光のワザはインド系。インド人もびっくり。それで皇軍?
 
しかし手かざしという観念を、多少ではなく、マジで信じるというのが人格の境界線でもあるし、信者でなければ興味はない、突っ込めない話題か。

光玉がサイババから霊力を分けてもらったのが本当かウソかという部分ではなくワールドメイトという団体の教祖は、植松愛子が大幹部の娘で、しかも真光文明教団の税理士や弁理士を擁している。利益共同体である。ということから、自然、光玉の身近にいた人間のみが知り得る情けない話とか、弱みというのか、それを知っており、信者に「光玉なんぞ目じゃない俺」というのをアピールしているということだろう。

だったら何で「金」では文明教団の御仁と利益を追求しているのか?問いたいのは、そこである。裁判が多い宗教というのは、問題であり、真光もWMもそういう意味では対等ではないのか。

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昭和50年代(正確には昭和49年9月18日)関口栄氏が東京地裁に世界真光文明教団並びに岡田甲子を訴えた時点から火蓋を切った、光玉死後の執念の後継者争い。

この間、証人として尋問された幹部の経歴に、陸軍士官学校卒業生(34期)が多い事実。さらに他教団ワールドメイトとの関連を書いたが、次に挙げるのは、
所属組織の面で疑問のある幹部である。

証人・山本昌彦

山本昌彦氏は関口サイドからフィクサー呼ばわりされた元陸軍省兵備課高級課員・友森清晴のサイド。ところが、れっきとした右翼団体の資料に、しかも裁判当時50年代の資料に名前が出ている。

興民会。

たまたま同姓同名の人というのでも無ければ同会の主張から、理事をつとめて当然というか。山本は裁判に出頭する一方右翼団体興民会の理事として活躍していた。

どういう団体か。
メンバーを見てみよう。

崇教真光幹部が所属していた

右翼団体名 興民会
所在地   墨田区文花1−30
         文化団地18−304
役員
会長 永富以徳
顧問 榊 純義 
   三潴信吾
理事 山本昌彦 古谷多津男 熊沢義彰 井上春吉
  進藤恒一郎 山下好太郎 葦津英雄 吉川永三郎
  村田明比古 大垣末蔵
昭和維新をうたい、「民族戦線」という機関紙を出していた。 
    
 裁判当時、証人に出た幹部 山本昌彦が活躍していた
右翼団体 興民会

会長 永富以徳は、大日本生産党(玄洋社・黒龍会系)の書記長・永富次徳の親族だろう。

また顧問 三潴信吾氏は当時、高崎経済大學教授である。「愛国・憂国の士に訴える」と題し、万世一系の天皇の統治を唱え、「先ず祭祀大権を奉還せよ」と説かれている。いわゆる皇道の復活、純正右翼であるが、こういう御仁が、自分のところの理事の宗教・崇教真光という団体の本性を知ったら、卒倒するだろう。

http://www.ozemail.com.au/^skyaxe/lameuse.htm

アップで写された麻原の写真とともに出ている新聞紙面には、「崇教真光はオウムセクトと関連づけられ、サギ事件でも取り調べ中」と書いてある。

*真光文明教団ではない。はっきり崇教真光と書いてある。

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ラ・ムーズ、Oct 22 1998、ラ・ムーズはベルギーの新聞。メジャーなABCニュースにも同様の、オウムとのリンクに触れられている。知らぬは日本人ばかりなり。

だいたい世界のマスコミが使う、オウム英文検索サイトに、
 http://www.rickross.com/groups/asahara.html
多数のアーティクルのNo94に、真光との関連が出ているのだから仕方ないだろう。
 
オウムは皇太子御成婚の日に、上佑の命令で亀戸道場にて炭ソ菌をまいたと報道された。(異臭騒ぎ・失敗)だが、これは成功していたら本当に大変なことなのだ。こういう男をどうして、刑期を終えたからと釈放していいのか。
 
また山本昌彦と同じ役職の右翼団体興民会理事 葦津英雄は60年安保当時、影山正治と並ぶ存在として有名な葦津珍彦の血縁者だろう。

当時、興民会の事務所の近くに日本正統会というもうひとつ右翼団体が有り、山本氏に関してよくご存知ではないかと推察する。

しかし、高崎経済大學教授・三潴氏も、同じ皇道といっても、真光のエセ皇道の中味、(もっとも上級信者しか知らないそうだが)知っていたら一緒にやっていられなかっただろう。共産党でも、これは呆れるだろう。

関口氏と岡田甲子の法廷闘争資料に重要人物として出てくるのが富田秘書課長である。

富田秘書課長

昭和49年8月4日、月始際の第一次式典に続いて東京晴海の東京流通センターで挙行された第二次式典終了後、本部局部課長および全国の指導部長を集めて甲子が教団の教え主であり、代表役員である趣旨の依命通達を伝達するはずだった人物。

KSDで失脚した村上正邦が全盛だった頃村上正邦の労働大臣室まで行って接触していた(富田局長はじめ東京都内の幹部。と教団自ら広告行為)

その、富田局長。村上正邦は生長の家から離れて真光についた。沈没した。験がない。あたり前だ。

富田氏については海外元真光、しかも高位の信者のほうが日本人信者より、ずっと詳しい情報を握っている。
http://www.ozemail.com.au/^skyaxe/earlyears.htm
 Mahikari's Crumbling Foundations.

富田秘書課長
http://www.ozemail.com.au/^skyaxe/earlyears.htm

Mahikari's Crumbling Foundations.「真光 その滅び行く組織」

クランブルという語感を生かすと、粉々に粉砕というかんじも盛り込まれているタイトル。これは、お買い得というか、一見の価値おおいにあり。光玉教祖の極秘写真が出ているのが目玉。5ページとコンパクト。読みやすい。

富田秘書課長

どうして富田氏が海外の記事にスポットライトをあびて登場するかというと、Chief of the Secretariat Mr.Kazumi Tomita 宛に、元海外信者が手紙を出して問い合わせたから。

別のH.P.では富田氏の返事まで、サイン入りだったから、返事そのままをアップしている。

富田氏への問い合わせの内容。

「なぜ、恵珠岡田は、彼女の第一秘書・富田を通じて次のこと、即ち、光玉岡田が SKK(世界救世教)の導士であった事実を否認したのか?」と。
 
1949−51年代の、SKK時代の光玉がSKKのお歴々と並んで撮った写真をアップして、こう書いてあるのだから。結果は火を見るより明らかなのだが。

「どうして恵珠は事実と違うと、富田を通じて言ってよこすのだ?」と突きつける訳だ。「うそつくんじゃない」と。写真を出してくる訳だ。

富田秘書課長

「どうして恵珠は事実と違うと、富田を通じて言ってよこすのだ?この、うそつき」という趣旨の、セクレタリー・富田にまつわる記事なのだが、しかし、否認しないわけには、いかないだろう。
 
この記事の先を読めばわかる通り、光玉はSKK時代、セックスの暴行で、SKKをたたき出された。とあるから。下半身にしまりがなかったのだろう。こういうスケベ騒ぎは、別に真光だけではなく、新興宗教の教祖につきものである。

問題は、いくら病を治してもらえるからといって、教祖のスケベな部分を承知で、ついていく気が、金を出す気が、あるか否か。過去の汚点も溶かし込まれたイヤシ光線でも、治るんだったら何だってOKよ。

それが、諾か否か。受け入れられるかどうか。信者のプライドの問題である。

「こんなのに治してもらわんでも良い」と言えるかどうか。猥褻セックス騒ぎという、恥ずかし事なので、特に女信者の場合は、影響力もあり、教祖の過去を加味した決断が大切だ。

しかし、光玉がSKKで女とどうのこうのなど、常識すぎて。問題は、もっと別に有る。

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裁判資料に登場する人名を追ってきた結果

1 この裁判は、元陸軍幹部連中 VS 民間人資産家による教団資産ぶん取り合戦の様相。しかも、元軍人の方が、謀略にたけていた。

2 御神体は、市販品の時計。

3 もと同級生の集まり。ということを念頭に入れて教団を評価すべし。青春時代から、寄宿舎制の学校で寝食を共にした同級生幹部にとって、心底、光玉を自分達とは違う「神」と信じられるか?人間の心理として、特に彼等はエリートの誇りがあると思うので光玉への心酔は、なかったと思う。


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「暴かれた真光」
 3.崩壊しつつある真光の基礎6頁に
 
「1957年(昭和32年)までは、S界救S教に所属して密接な関係を保っていたが。この頃、彼は妻と離婚している。S界救S教の熱心な信者であり、岡田氏に付き従ってS界救S教を去ったある一つのファミリーに所属し、後に岡田氏の養女となった、井上甲子という若い女性は、後に真光の指導者である岡田恵珠女史として知られるようになった。」
 
とあるが、この頃、岡田光玉自身の手による経歴陳述(家族歴)が残っているので、それを次に見てみよう。
  
岡田光玉自身による、家族歴の記述。

防衛庁の防衛研究所内、戦史資料閲覧室にある。公的機関なので、市民の閲覧可能。開かれた資料室なのだ。

昭和三十六年十月第三十四期生会々員名簿

P12 氏名 岡田竜道(良一)と先ずあり、
    2−2Gi と初隊号が記され、近衛士官であったことがわかる。
    さらに興味深いのは勤務先。
       L・H陽光子友の会々長
       多田建設KK顧問
    と記載。
    問題の家族であるが、
    妻亡、二女(長嫁 次女幸子)
    これは、このくい違いは、何を意味するのか。
    
断っておくが、この名簿は、手にとればわかるように、戦友の無事や消息を確認するための大切な名簿、友情の感じられる名簿なのである。粗末な紙に、几帳面に書かれた同級生の生死と現況の確認。今の業者に頼む名簿の感覚とは違う。そこで、こういう記述は何を意味するのか。

なお、意外な発見もあって、三好達治の名が同期として載っている。あの詩人の三好達治だと思うが、職業は、やはり、著述業と自己申告されていた。

靖国問題の迫っているこの時期に、観念的には語れない、士官学校の片鱗を書き込んでいくのは何なのだろう。


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2004年04月26日(月) 078 gn

ユダヤとエタ

崇教真光の教祖及び幹部は、皇軍の面汚しである。
 
最初、この外人信者のレポートを見て我が目を疑った。眼と腹が腐る教義。なんだと。何ということを言っているんだ。としか感想が出ない。外国人信者がインターネットで出した
崇教真光の皇室についての講演、研修メモ。「暴かれた真光」でも翻訳紹介されるようになったが、原文のH.P.を挙げておく。
http://ozemail.com.au^skyaxe/origins.htm

頁数は原文のNo

4/16<信者のノート覚書・要点>

16 ユダヤという名の起源はもともと日本語でエタだった。またイスラエルはいすずから来ている。いすずは三重県の聖なる河。
17 エタは日本のアウトキャストで、もともとは日本に来たユダヤの移民だった。

ここまでは、では真光の神は部落解放同盟の守護神かと思った。ところが読んでいくうちに4/16のメモ10−22及び14/16の「みおしえ」を照合すると。

ヘブライ語は日本の天皇からユダヤの民に与えられた言語である。モーゼは日本のプリンスで十戒は日本から来た。ヘブライ語は日本から送られたもので、歴史を通じてユダヤが迫害されるのは彼らのカルマである。旧約聖書はヘブライ語の翻訳である。日本のプリンスモーゼによってゾロアスターのゼンドアベスタから訳された。

ここまで来るとまさかユダヤのほめ殺し?でも待てよ。ちょっと待った。

ユダヤ→エタ。 ユダヤの王モーゼは日本のプリンス。ということは日本のプリンス→エタあるいはオリジン オブ エタと結局三段論法を使って言っていることになる。

何でもかんでも皇室から出たというところは、常なる霊的国防論でおなじみ。しかし皇室はユダヤの祖で、ユダヤ人をエタと言い切るところから雲行きが違ってくる。 
   
皇国史観を説きながら、なんともいやらしい論法で皇室の権威のおとしめを、クククッと含み笑いしてやっていたのか。だから、あんな皇室に対する冒涜写真を平気で得意気にばらまいていたワケだ。そういうことか。「みおしえによれば、エタはエダから来ている。」(シンタックス?)というが、もうガイキチ論はどうでもいい。

自民党の村上参院憲法調査会会長も「労働大臣に就任できたのは教え主様の手かざしのおかげです。」と喜んで総理観桜会や大臣室にこういう教祖及び幹部を招待した記事を自分で教団誌に発表したのも、今は昔。ロクなことがなかったな。この宗教。生長の家のほうが、良かったのではないか。政治家が、この教団にかかわると初めは良くてもあのようになる見本であった。


いまいましい続き。

エタという言葉が、日本文化の中で、江戸時代の部落差別の人口的造語であることは誰でも知っている。しかし同時にどういう嫌らしい使われ方をしてきたかも我々はよく知っている。

こともあろうに、そういう言語に付着した心裡的嫌悪を、ユダヤ人と天皇家の双方に因縁づける底意地の悪さ。相当のものである。どちらも「迷惑被る」と一蹴するはずだ。まるでエセ同和の論法ではないか?

「エタって実は君たちのことではないの?」手かざし軍団に向かって言う言葉はそういう事だ。いつも、けがれ、けがれと言ってるからに。

そうか、こういう教義ユダヤとエタと皇室のつながりを固く信じて、疑うこと無くんば、ますます手かざしで元気になるということだな。これは上級研修のメモだ。と元外国人信者は書いておった。

皇室の権威、ノーブルな存在を、おとしめてまで、ぴかぴか元気になりたいものかね?

普通の歴史をウソと信じれば、それが元気のもとで、手かざしもますます冴えるということか。


防衛庁戦史史料室に保管されている陸士34期生名簿と、スティーブアンドユミ・アラートン夫妻の、スペイン語版のより詳細な「真光ーある洞察」の原文を照合すると、実に乱れた家、岡田光玉の家の家庭崩壊のありさまが浮き彫りにされてくる。

昭和三十六年十月
第三十四期生会々員名簿
岡田竜道(良一) 2−2Gi 
家族 妻亡 二女(長嫁 次女幸子)

http://www.ozemail.com.au/^skyaxe/spanishsite.htm

LA VERDAD SOBRE Sukyo Mahikari
Autores: Steve y Yumi Allerton
5/32 Nota;(ノート)
2) Koko (Sachiko) Inoue fue "adoptada" ya de adulta por Yosikazu Okada
  こうこ(さちこ)井上は成人してから良一岡田の養女となった。

英文"Mahikari an Insight"でもスペイン語版と同じく
 2)Kouko(Sachiko)Inoue was 'adopted' as an adult by Okada,
こうこ(さちこ)井上である。

陸士名簿は1961年10月現在の記録である。

「暴かれた真光」には1957年前後、岡田良一は妻を離縁と、救世教幹部同僚から指摘されている。

妻を離縁して4年後に書かれた同期生名簿の次女幸子とは、実子で幸子という人物なのか。それとも養女にきた甲子(幸子)を指すのか。

しかしこの同期生名簿をすなおに見ればずっと同居して今は亡くなった妻が、岡田光玉との間に2人の女の子をのこし、長女は嫁に行って別居だが、次女は幸子といって、父娘2人だけで住んでいるという家族構成だ。なぜ、妻と長女の名は書かないで、次女だけ幸子と書くのか。不自然である。

陸士名簿の額面どうり、幸子は血のつながった娘であったとするならもっとおぞましい可能性も出てくるが。成人してから養女にきた。と、くどいほど、「成人してから」がフレーズとして入れられるのも、淫行条例を意識したような感もあり、はたして何才だったのだ?養女にきたのは「成人してから」だと、付き合っていたのは「未成年」からと捉えるのが普通である。「成人してから」が無ければ、そうはとらない。まあ、家庭不和があったということは、よくわかる。

No680で書いたように、エタと皇室を因縁づける、特異な日ユ同祖論の教説を、上級信者にダケ説いていた、あきれた団体・崇教真光。

岡田甲子の正体を確かめるには、光玉の死後、自動的に発生する私的財産の相続人は、誰と誰であったかがわからないとだめだ。

代表役員地位保全事件では、岡田甲子という名が「債務者名」として使われている。だが陸士名簿記載を照合して(参照No707、No665)教団のうわさ話より、光玉自身による物証、
陸士名簿を信頼すれば、甲子は、戸籍名は幸子であり、代表役員地位保全事件でも、「岡田幸子」とならなければ偽証となる可能性も出てくる。

で、養女なのだから、光玉死亡時、私的財産がどれだけあったか知らないが、家屋・不動産の類、有価証券、現金など、二人の娘(長女と幸子)が、きちんと相続しているのか?

まさか実子の相続権まで、教団幹部がよってたかって取り上げたとは思えないが

「1957年前後 妻離縁」
        (「暴かれた真光」「崩壊しつつある真光の基礎」6頁)
という情報は、光玉死亡後の紛争を知りたい人にとってまことに重要な項目である。

なぜなら

1957年前後、本妻が離縁された。←救世教同僚の証言。

1961年10月、岡田本人は、妻離縁のタイミングからして、或いはまだ生存中かもしれないのに、同窓名簿に「妻死亡」と書いている。

この2点から、長女は自分の母親がたたき出されて、幸子がのり込んできたのを、心良く思うはずがなく、光玉のような著名人の死亡では、なおさら、教団の有名な跡目争いとは別に、
実子長女と甲子の間に、財産相続争いが、ふつうは展開されると思うが。(オフィシャルな教団資産でも甲子側は熾烈であったのだから)

どうして長女と妻の存在は、1961年〜1974年6月23日光玉死亡に至るまで、都合13年間、ひたすら抹殺されてきたのか?

甲子の元の本籍・戸籍の解明は、教団紛糾防止には、本当は昭和50年当時、もっとも必要なものだったのである。


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2004年04月25日(日) 079 gn

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八王子市議会で土地の買占めを追及された真光

1995年3月30日、オウムサリン事件後、國松警視庁長官が銃撃された。そのわずか2日前、3月28日、八王子市議会において、崇教真光教団による山林買占め問題が質問された。サリン事件の悪夢の直後、そして2日後に再度宗教がらみであろうと世間で推測される要人暗殺未遂、即ちテロリズムの発生。

さて、真光は地面師なのか、地上げ屋なのか、怪しい買占めを、市会議員によって追求された。この件は、週刊新潮1995、4、27日号にも掲載。なお、議事録は市役所で請求すれば誰でも見られる。

真光で重要なことは、お布施の金の使途不明に尽きる。海外での危険視も必ずこの点を追求される。「浄財とやらが、不動産に化けた例。都下八王子市からこれまた新興宗教による山林買占めが聞こえてきた。買占めに走る地元不動産屋のバックに手かざしで知られる崇教真光の名前が」新潮、小見出し。では議事録はどうだろう。次。

この質問の基本追及点は、

1土地買占めの目的。
2教団及び教団の手先と議員・市長の関係。
3国の道路計画(圏中央道)との利権関係。

こういうあたりを念頭に質問されており、また地域住民から疑念がもたれてきた。手かざし馬鹿の差し出す金が、いろいろな地域の迷惑になっている。八王子では環境アセスが踏みにじられようとしている。勝手な買占めが。手かざしに一銭も出さない方が世の為になる。

さて買占めが進んでいるのは、圏中央道(千葉・茨城・埼玉・東京・神奈川にまたがる総延長270キロの環状高速道路)構想がある、その計画上の八王子北インターチェンジのすぐ西側。上恩方、小津一帯。ちょうど北方に産廃で有名になった日の出町。南方には明治の森高尾国定公園が、この地帯をはさむロケーション。そのような東京の奥座敷的山間部であり、小津川の水源地ともいえる土地である。

買占めの実働部隊は、全日本不動産協会多摩南支部長(当時)村上生社長。不動産会社「大盛」社長。夫人、弘子さんが、熱心な崇教真光信者。仕事のことで、くだんの社長は「真光はいいぞ」と(金になるということか?)周囲に話していたと記事。

八王子市議会1995年3月28日・議事録より要点を挙げると。

→北インター周辺部、特に小津町や上恩方方面で、大量に買い占めが進んでいるようですが、市は実態を把握しているのか。お伺いをいたします。

→何の目的で山林を買い占めているのか、お伺いをいたします。

→どうも山林を買っているのは株式会社大盛という八王子の不動産屋のようです。代表取締役は村上生さん。(波多野)市長は村上さんをご存知ですか?

→市は小津や上恩方町の大規模開発を認めないはずですが、国土庁の計画はどうなっているのか?

→圏中央道八王子北インターを当てこんでの開発計画があるのではないか、お伺いします。

今、小泉政権下で、公共事業の見直しがはかられているさなか、このような、宗教がらみの大量土地買収、住民に疑惑をもたれる買占めなど、あまりにも杜撰。優先的に裁断のメスが入るべきである。 つづく

「特集、八王子に四十五万坪を買った崇教真光」週刊新潮1995、04・27号

参考写真が出ており、岡田恵珠と並んで写るのが如何にも嫌そうな、しかめっつらの河野元外務大臣が印象的。「ご交流」という頁。<「真光」誌で岡田恵珠教祖と並ぶ河野、伊藤両代議士>と説明されている。いくら票田に都合のいい女でも、ここで明かされるような積み重ねが正史なのだから、嫌そうなのも、無理はない。

ところで、私がある落選した国会議員のブレーンから、ロビー活動中に聞いたのですが、八王子インター問題に関係ある国土交通省の扇千景大臣も手かざしの崇教真光だというのですが、本当ですか?ガセか本当か。ご存知の方いらっしゃいましたら。

自然環境を守るための地元民の請願をバックに市議の質問は、環境影響評価書案をもとに更に続く。

→次に買い占め実態についてですが、買占め実態について実態把握をしてないというような簡単な御答弁でしたが、そのことは大変問題ではないか。

→市の方針で 開発をさせないとする地域であればなおのこと、そういう事実にもっと目を光らせていなければならない立場に市はあるわけです。

→何か意図がなければ大量な山林を買うわけはないのです。登記簿謄本上では約37万平方メートルが買い占められ、95年にも7000平方メートルが買い占 められているのです。調査が必要ではないのか、調査をするよう要望いたします。

→聞くところによりますと、山林を買いにくる目的はいろいろだそうで、国際会議場にする、採石場の資材置き場にする、森林体験の教育の場にするとか言って買い進んでいるそうです。例えば、きょう買いに来て、翌日には億の2けたの現金を持ってくるという、かなり荒っぽい買い方をしているとも聞いています。

→きょう行って、翌日、現金を持ってくるというやり方が本当であるならば、国土法の届け出がなされているんでしょうか。国土法の届け出がなされているのかどうかお伺いをいたします。

*扇千景大臣も、例えば、いくら同じ崇教真光だからといって、国土法の届け出をカバーは出来ないはず。やったら汚職。

>前に週刊誌に「伊豆が真光に乗っ取られる」という記事があった。
>崇教は高山市にお金を落とすが、文明はすべて関連企業が仕切っているらしい。
>これも、新潮だったかな。

真光の買占めから自然を守るため、質問は、違法行為を突く。それは、真光をバックにした買占めが、市の「市行造林」にまで手を出していたという点である。

→この株式会社大盛という不動産会社の代表取締役の村上生さんというのは、全日本不動産協会多摩南支部支部長をやっている方と聞いています。東京都副本部長もしていると伺っておりますが、そういう方の会社が買っているわけです。

→小津の市行造林まで買っています。45年間管理をするという約束で分収林にしているわけですから、チェックが足りないのではないでしょうか。市行造林というのは、林業の振興を図り、水源涵養、緑地保全を行うために市が行っている事業です。不動産業者が所有者になっていては、その目的から照らして問題だと思いますが、どうなのか。90年2月2日から45年間、八王子市が地上権設定した場所です。91年12月に転売をされている、明らかにこれは契約違反です。この問題にどう対処していくのか。

*「市行造林」という市が地上権設定し、緑地保全のため大事に管理するスポットまで荒っぽく買う。市の責任を問う質問。しかし法を無視した強引な買占めである。地上げ屋も顔負け。無法の教団。これでは嫌われるのも当たり前。こうして環境破壊は進むのである。信者が出した金の力によって。次は宗教と議員関係へと進む。
 
質問は佳境に。

→市長は何も御答弁されないのは何か理由があるんでしょうか。伊藤公介衆議院議員は82年に自治政務次官をしていました。前々回の衆議院選挙の折りに、波多野市長は、自治政務次官のときには便宜を図っていただいてという旨の応援演説をしたとも聞いていますが、ともかく古い話なのでどうなのか、覚えている市民もいるようです。それが事実といたしましたら、国土政務次官のときにも便宜を図っていただいたのではないかと言えないことはないわけです。国政報告と新春語らいの集いの御案内というのが、ことし届けられました。連合後援会の会長と御本人の連名の御案内ですが、その中で、八王子の事務所が変わりましたのでお知らせということで、八日町から中野上町へ変わった旨お知らせが書かれております。

→そこへ電話をしてみますと、八王子事務所はもう閉めたようで、電話は町田へ転送電話。八王子事務所はわずか数ヵ月で閉めてしまったのでしょ うか。しかし、一度は御案内を出したくらいですから、八王子に事務所を開いたことは明らかです。電話は転送になっているようですが、電話はそこにあるようです。中野上町一丁目のその所在地は、土地も建物も所有者は、株式会社大盛です。

→市長と株式会社大盛の村上さんとの関係はどうなんでしょうか。市長と伊藤公介衆議院議員との関係はどうなんでしょうか。村上さんと伊藤衆議院議員との関係には何の不透明な部分がないというのであれ ば、市長の責任において市民の前に明らかにしていただきたい。

*ここで週刊新潮の写真、真光教祖と並ぶ河野、伊藤公介 両代議士が意味をなす。村上・伊藤、真光宗教つながり。このようにして、宗教は政治にくいこみ、市の土地を「教団」と「議員」で私物化し、住民の知らぬ間に、おそらく利益ころがし計画でもプランするのである。政教分離は実質的に監視されなければならない。日本の恥。特に真光なんぞと寝るのは、紀宮様に手をかけた逆賊宗教とつるむという撤回不能の恥になる。

市長答弁は「御質問は寝耳に水」「不動産のことも全然関係はありません」市行政林への答弁は「これは、正式な文書等、残っているわけではございませんけれども」として「山林利用の他目的への利用は困難である」と説明したと。答弁というのは、不誠実である。やはり住民をなめているのだろう。クソ宗教など庇いだてして最後は名誉を失うことがわからないのだろうか。信者がもちまえの精気を取られるように。

あなたの霊線保持料が何に使われているのか知っていますか?教団の今年1年の収支決算報告会は開かれているのか?教団全資産(海外も含めて)の開示は信者に一覧表で通知されているのか? きちんとした宗教は、善意の寄付から成り立っていても、会計についてオープンである。
 
自分の家族が、もし隠し預金をしてたり、内緒でこっそり大金を使い込んでいたら、どう感じるか。ひょっとしたら、そういう事が憂いの元種で入信した人だって居るのではないでしょうか。霊線をくれるから、いいやいいや とは又別問題だと思います。信者だったら、安心して活動に励めるように、教団 会計簿の開示請求が法によって認められているのだから、いつでも疑念を抱え込 まないで晴らせる立場にあります。信徒は。一人では難しいのなら何人か連名で 開示請求もやり易い。会計について、信者は信仰者というより
 
株主代表訴訟における株主の立場に近いと思います。それは自分が投資している 団体の会計に、責任ある個人として正常な運営がなされているか監視するのは、 この世の義務だから。社会正義であり、信仰に反する行為ではありません。

1995年3月28日の議会。サリンの直後とて宗教団体に対する不信は各地で高まっていた。この翌々日に警察庁長官狙撃事件が起こり不信を更に確信づける。
質問は、いよいよ買収費用の具体的数字に及ぶ。

→買占めの実態についてですが、この3年間での買収費用は総額130億円を超えていると推測をされています。盆暮れには3万円程度のつけ届けが土地所有者に届き、大変熱心に買っているようです。

→買い占める価値のある場所なんでしょうか。

*100億円を超える額を自由にばらまけるとは、宗教団体とは金持ちだ。感嘆詞がつくぐらい。しかしその金も、教祖や幹部がドカチンをして稼ぎまくったわけではない。全部他人様から集めたお金でございましょう。地主につけ届けの3万円。これは、もしかして、入信にかかる費用とほぼ同額のお値段ではないか。教団を媒介として、ある人はタダで3万円もらえ、ある人は、次にもっと取られるために3万円払う。損の道がお好きな方といわれる一群が、世の中にはいらっしゃるらしい。その分け隔て、分水嶺はどこにあるのか。ひとえに手かざしの魔力に魅せられてしまったかどうかによるだけなのか。もっとその人の根本的な心情や生きる姿勢に問題があったのか。ひとつ言えることは、情報不足の弱者、の地位に甘んじられる体質。むしろ、それを心が和むと思える体質。実は深層で自分を底辺の人間と規定する傾向があるのではないか。なんだかんだ言っても、政治家でこういうのに心魅かれる人も、例外ではなく、かなりコンプレックスが強いタイプだと思える。生い立ちなどがそうさせるのか。血筋なのか、わかりませんが。またそういう人には霊術は、ことの他効きやすいかも知れない。だから女がかかり易いのです。
 
質問も詰めの段階に来て、住民不安の訴えに及ぶ。不透明な教団の行動に対する不審であり、オウム真理教が進出地域で引き起こした感情と基本ラインはいささかも変わるところはない。明白に出来ないなら撤退してほしい。

→北インターを当て込んでか、目的は何なんでしょう。ある宗教団体が資金源ではないかといううわさが飛び交っていますが、どういうことなんでしょうか。

→山林をキャッシュで買ったら、その分すぐに取引銀行の口座に同じ額の現金が入るなどと流れてくるうわさもあります。火のないところに煙は立たないということわざもあります。

→上恩方や小津一帯をどうしようとする意図があるのか、集票能力と莫大な資金源を持つ宗教法人が本当に存在するのか、市行造林と知りながら、そこまで買っていくのは一体何なんでしょう。

→村上さんが支部長になってから、波多野市長はその手の会合に参加をするようになったということですが、事実でしょうか。偶然でしょうか。不動産協会とは村上さんを通しての関係でしょうか。

→ことしの2月7日でしたか、ニューグランドホテルだったと思いますが、そこで開かれた賀詞交歓会にも市長は行かれたのでしょうか。

→マル秘の開発計画やプロジェクトを共有し合っているなんていうことは絶対にないでしょうね。真相の立証をしていただきたい。8000億円からのプロジェクトが予定されているなどとちまたではうわさになっていますが、市長の責任でこの買占めを明らかにしていただきたい。市の責任で買占め実態を明らかにしていただきたいということで、質問を終わりにいたします。
 
*答弁は市行造林としての位置づけは確かにあるが、民民の売買の問題として捉えている。周辺の買占め問題につきましても、現実にどうなっているのか、この辺については承知しておりません。やはり、民民の経済活動の中の議論であり、見守るしかないというふうに考えている、という答弁。

*最大の疑惑は、「マル秘プロジェクトを共有し合ってないだろうな?」「買い占めた一帯をどうしようとする意図があるのか?」「市行造林と知りながら(つまり違反を承知で)そこまで執着するワケは何だ?」これが、資金源・崇教真光及び関係者のふるまい・悪しきふるまいに対し、地元や環境保全に務める側が抱く疑惑である。

こういう問題が、信者の間でも知られており、「今度八王子に施設を作るよ」などせめて信者には知らされているなら、一般市民が知らないだけですね、もっと広報してください、という了解も可能だ。しかし資金提供の教団員も知らないとしたら、一般からも信者からも、活動実態に疑念を持たれて当然ではあるまいか。そこが、どういいワケしてもおかしい、と。両方に不誠実。信者を大切にしてない。軽んじている。

週刊新潮には、真光広報部から、明確な返事が来ない。と書かれている。ファックス回答はしている。文は曖昧模糊で「現段階として具体的なコメントを出せる内容がありませんでした」なんでファックスなのだろう。

また大盛の消息通が言うには、というかっこつきの情報ではあるが、「教団では経理担当の女性がこの件を担当している」との事。では彼女がタカダカいち事務員でありながら勝手に100億を越す金を自由に裁量しているということだろうか。同じ信者でも出すばかりで貧乏人になる人とエライ違いだ。

オウム真理教は金さえなければ、ただのオカルト馬鹿野郎集団である。それが、濡れ手に粟をいいことに、莫大な資金を蕩尽し社会のルールを混乱させた。違法行為がなければ「ほっとけ、あんな馬鹿」で一生占いだの、救いだのやってればいいだけだ。もともとそういう気性が信者にあったのだろうと。

しかし国の道路計画、1都4県にまたがる総延長270キロの圏央道といったら、大量の税金を投入する大型公共事業である。プロジェクトに疑惑をもたせる買収行動を宗教団体がやっていた。するとプロジェクト自体、没になっても、それは愚かな真光のせいだ、といわれてもしょうがない。宗教がルール無視の出すぎたまねをするからぽしゃったと必ず話題に昇るだろう。プロジェクトには常に賛否両論がつきもの。国土交通省がひいたレールの線引きの見直しの良い口実にもなる。この道路計画を見守る陣営というのは、たくさんあるわけで、北インター西の買占めの目的は何なのだと、1都4県の税金に影響ある問題だ。私たちも、これを知って「産廃かなあ?それにしては面積が広大すぎる。」

「原子炉?」「軍事関係か?例えば巨大電波塔を備えたような施設、しかし飛躍のしすぎ」「いずれにしても、秘密裏に運ぼうとしたのだから、嫌がられるものに違いない」と憶測の域は出ない。もっとも卑しげな、しかし現実的な路線として、「計画が進捗されれば、国が必ず買い上げてくれる土地で損はしない」といった線。そうすると議員と組めばマッチポンプ。関係者だけ損しない。反対運動の邪魔、地主から教団所有となれば、起こりにくい。又こういうサギが可能とも思えないが、地目山林で買い叩き、国の実行の直前に、「国際会議場を作る」だのと言い張って設計図(作る気は始めからない)のひとつでもボソボソ着工すれば、買い上げの値段も、まっさらの山林買い上げより色がつき、利ざやを稼げる。

ほぼ地上げ屋の手口。親方日の丸で。あくまで想像域を出ないシュミレーション。ともかく薄気味悪いほど意図がわからない例である。それをいいことに、何かまた着々と進めているのではないだろうか。信者さえ、金出さなければと、こういう例では痛感する。もっと教団を信者団体は監視した方が、皮肉な事に、世の中を浄化する。現実にはね。

何にもいいことなんかしなくていいから、教団に回すのではなく、御自分のために、御自分で、<心おきなく>、お金をお使いになった方がいいのではないでしょうか。それが為されにくいというのは、自分がお金使っていい思いをすることを誰かにとがめられる環境にいた?無言の圧力として。家族でも。

病気治しというが、ひょっとして自分が病気になったら、家族から治療費としてお金を使ってもらいにくい状況の人が惹かれるのだろうか。たとえ金があっても、厄介者のごくつぶし扱いが目に見えているなど。しかし、自分のために適正な支出をするのは生命を維持するために当然です。人間は社会的動物だから、なるべく良いものを食べ、身なりもととのえ、それを、ひが目で見る家族は、愛情がないと思いますが。それは愛情のない方の心に責任があるだけです。どうも手かざしへの動機には、こういう面を感じる
のですが。


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2004年04月24日(土) 080 gn

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オウム−真光コネクション

http://www.rickross.com/reference/aum1.html
オウム真理教の海外レポート文献から検索され、そこに書かれている崇教真光に関する、元オーストラリア真光のトップ幹部、ゲリー・グリーンウッド氏の最も端的な指摘として有名な文献。タイトルは

MAHIKARI AND AUM:IN THE GRIP OF THE BLACK HAND
「真光とオウム:黒い手を握り合って」4/6頁をそのまま抜粋。

Aum-mahikari Connection
A feature in the Sydney Morning Herald on 29 May 1995,gives details of the Aum operatives'movements in Western Australia from late April 93,in their quest to purchase Banjawarn "to conduct experiments for the benefit of mankind." Here,they were assisted in their purchase of Banjawarn,to satisfy governmental prerequisites regarding foreigners owing land in Australian citizen,Yasuko Shimada. Her name appears on the title of ownership together with the Aum's founder Asahara. Who was she? Yasuko Shimada was also instrumental in establishing Mahikari in Australia around 1974. I knew her well at the time since I become involved with Mahikari in 1976 when membership was relatively small. There are around 2,000,000 members globally now with around 2,000 active members in Australia alone.

シドニーモーニングヘラルド紙 5月29日の特集は、1993年4月末からの西オーストラリアに於けるオウムの作戦行動の詳細を伝えた。バンジャワン購入への追及、人類のための実験を行うことへの追及である。ここで、彼らオウムはバンジャワンの土地購入で外国人がオーストラリアで土地を所有することに関して政府の必要条件を満たす為に、日本生まれのオーストラリア市民、やすこ・しまだに援助された。やすこ・しまだの名前は、オウムの創設者麻原の名と一緒に(連署)バンジャワン所有者のタイトルに表れている。彼女はどんな人物か?やすこ・しまだは、1974年近辺、オーストラリアの真光を創立するのにあずかって力があった。私(グリーンウッド氏)はその時彼女をよく知っていた。私が1976年に真光に巻き込まれた時。その時、会員は比較的少なかった。今、全世界で200万そこらの会員が居り、オーストラリアだけでも2000人の活動会員がいる。

http://www.rickross.com/reference/aum1.html
4/6頁続き

Japanese investigative reporter Yoichi Shimazu,notes how Yasuko Shimada is remembered in Tokyo as a short-statured, vivacious middle-aged woman by Aum members who practiced "muryo,"or secret yoga teachings, at the Aum's Setagaya training centre in late summer 1993. Yasuko Shimada was authorised to receive "fast-track" initiation by Asahara over a period of mere two weeks. By contrast,many other recruits trained for years before become monks or nuns. She is remembered as a very enthusiastic distributor of Aum literature, citing her more than 15 years of training as a Mahikari activist. A point to note is that Yasko Shimada was ordained as a nun, after she cosigned the Banjawarn property papers and immediately before the Aum leadership toured Australia. The Sydney Morning Herald reported that she was reputedly an orphan whose wealthy parents died when she was still young,and that she donated a gold ingot worth thausands of dollars to Asahara in order to join Aum. In short,a veteran members of Mahikari was the key person who guided and aided Aum Shinrikyo in establishing their sheep station in Western Australia,the site of the huge mystery
explosion and other experiments. there were also other connections between Aum and Mahikari that are currently under investigation in Australia and Japan.

日本の調査レポーター、よういち・しまずは記録している。いかに、やすこ・しまだが背が小さくて、陽気な中年の女性として、オウムのメンバーに東京でなつかしく思い出されているかを書いている。しまだを思い出すオウムのメンバーとは具体的には、「無量」の修行やシークレットヨガの授業をするメンバーで、オウムの世田谷道場に1993年の夏後半に居た連中である。やすこ・しまだは、麻原によるイニシエイションを僅か2週間かそこらでファストートラックを受ける権限を与えられた。彼女と比較して、たくさんのほかの新会員達は、修行僧になるには数年間練習させられた。やすこ・しまだはオウムの連中に思い出されている。オウム・ビラの大変熱狂的な配り手として。15年以上にわたる真光活動家としてのトレーニングを引用することで。注意すべき点は、やすこ・しまだは女性出家信者として任命されたことだ。彼女が出家者に任命された時期は、バンジャワンのオウムの土地所有証書に麻原と連署した後であり、オウム幹部たちが、93年9月9日オーストラリアに巡遊する直前である。シドニー・モーニングヘラルド紙は次のように報道している。

 彼女は世評によれば孤児である。彼女がまだ若いとき富裕な両親が死んだと。そして彼女は、金塊を、価格にして数千ドル相当の金塊を、麻原に、オウムと結合する為に送ったと。

手短に言えば、真光のベテランメンバーが、オウム真理教を導き助けたキーパーソンである。奇怪なバンジャワンの爆発事件と他の実験の用地である西オーストラリアのオウム羊牧場を建設する為のキーパーソンである。さらにまた、その他のオウムと真光とのあいだのコネクションが、現在オーストラリアと日本で調査中とのこと。

>私の親友が祟教の信者。
大好きな恋人が実は崇教の信者とうちあけた。俺はどうしたらいいのか。ショック。こういう投稿が過去にもたくさん出ていました。勧誘はされてないと思いますが、彼女からネックレスを見せてもらったということですね。彼女が勧誘しないということは、お嬢さんに「こういう事やっているのを親友に知られるのは恥ずかしい。友だちに変に思われるのは嫌だ。」という気持ちがあるのかな?彼女の宗教と、そのネックレスには関心をもたないように。興味を示してはいけない。

あなたご自身は信者でないのだから我が身には関係ナイと強く思う。これが大事。別に彼女を遠ざけるのではない。彼女の宗教に入っては、いけないというよりロクなことがない。運が悪くなるっていうことです。そうでなければ、どうしてこんな頁があるかということです。

別冊宝島461「救いの正体」という雑誌に(あなたは関係ナイのだから買ってまで読む必要もないと思うが)、崇教真光のような団体を「セクト」と言いますがセクト入信の後遺症に詳しい精神科医の斎藤環氏が、記者との対談で、「僕の患者さんにも新興宗教(やたらと「真光」系が多いのはなぜなんでしょう)の信者はいますが、彼らの多くが決まって口にするのは・・・」と精神科医が言うように、精神衛生上、大変危険な団体です。洗脳を使う団体です。催眠誘導と言います。普通。フランスでは、日本の国会にあたる国民会議が、崇教真光を、政府の監視対象にしており、ミレニアム(大聖年)の年、6月25日に、このような人権侵害セクトに対する厳しい取り締まりの法案を可決しました。社会科の勉強みたいになってしまいました。要するにそれくらい警戒すべき団体なのです。彼女ではなくてね。彼女を傷つけずに、自分を勧誘から守るには、親友が崇教真光という新興宗教に入っているということを、一応自分の母親ほか家族に知らせておくべきです。これで自分の身を注意してもらえる。No1228に書きましたが、なぜこの団体が海外で忌み嫌われているかというと、「こどもに洗脳」することなのです。彼女は精神的犠牲者。母親が信者かもしれない。しかし、あなたには関係ないことです。

マルチ&悪徳商法BBSという、悪徳商法の被害頁に苦情件数とともに出ている「崇教真光」の説明が、かなりノーマルでわかりやすいと思う。これがね、普通のおとなの考え方ですよ。世の中には、いいおとなと悪いおとながいる。未成年者を平気でたぶらかすバカなおとなもいる。これを知る良い機会にしてください。
http://www.netbugs.ne.jp/~sos/Maruti/m-mahikari.htm

ここには同時通訳を目指していた人が教団のおとなに「お前の人生の目標は同時通訳じゃない!お前はそんなものになる必要はない!」と神の名のもとに言われ、結局学業が中途半端でおわり、なりたいものになる勉強も出来ず、おまけにその業界の人から「きちんと通訳の訓練を受けていれば、あなたならなれたはず」文字通り「あとの祭り」的悲惨な実話が出ている。私見ですが、私がセクトの思春期に与える影響で、観察して一番こわいと思うのは、心の底からの「恋愛感情」が奪われる点である。あまりにも変な世界観をもたされ、それがつい出てしまう為、恋愛が成就しにくくなる。結局同じ宗教の人としか結ばれない運びとなるケースが多いようだ。その他、勉学意欲の減退ーこれは、心の中心が現実世界に向かなくなってしまうので怠惰(なまけもの)になる。神やインスピレーション、運・不運を非常に気にする人格になる。性欲の減退ー女子はわかりませんが

男子は、不自然なくらい御清潔になってしまい、不自然すぎてあわれである。どれも心の根底をいじられ、カリスマ的支配の奴隷となるため、必然的に生じる傾向だと思う。(本人だけ満足)勧誘だけは気をつけてほしい。

>わけのわからない道場長の話にうなずきまくるおばさんにあきれたり。

こういう衝撃の方がある意味では大きい。それで自問すべきは、きちがいをきちがいと言っちゃ失礼なんでしょうか?でも相手が狂暴だったり理不尽を正常な感覚の者に強いたりする場合は?度を越えた集団によるおおいなる人権侵害というのは、あるな。存在すると。しかも、そこにうそといつわりがあったとしたら。ある意味での精神病者が正常者を指導できるのだろうか?これが疑問だ。

このように人生がこれからのひとたちに、先住のおばさんやおじさんたちが被害を及ぼし続けるなら、こういうおばさんたちの病気など、なにひとつ、一生涯、治らないほうがよかろうかと存じます。頭をおかしくするくらいなら、ずっと病気のままでいなさいと。いつまでもぐちぐちと身辺のことで悩み続けていたほうが、よろしゅうございますね。そういう心のコントロールは、手かざしではなく、自分の反省プラス相手の反省。普通、人間どうしの歩み寄りと妥協で治すのが社会人でしょう?こういう中年たちは、ある意味、背骨の勢いを抜かれているんですよ。生き方において背骨のじゅ立が出来てないという言い回しがありますが、それだと思います。今後はリストラされた男性などがターゲットじゃないですか?


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2004年04月23日(金) 081 gn

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教祖の死と現実


さて、昭和59年11月17日の宗教法学会における大野正男弁護士(のちの最高裁判事、家永教科書裁判で高名)による当該事件の研究発表が宗教法学会第5号(1986、11)に所収されているので、興味深いところを紹介します。そのまま抜粋がわかりやすいので。

「昭和49年6月23日に、岡田良一という初代の教え主、つまり宗教法人の代表役員が脳溢血で死亡いたします。」
→死因・脳溢血。

「熱海でその本山を建てる計画をしていたのですが、なかなか建築の許可がおりないので初代は困っていた事情があります。」
→何故、許可してもらえなかったのか、行政に。

写真1.として関口さんが受け取った御霊。
「関口さんが受け取った御霊は、どんな物であったかというのが1の写真です。これは実は、アメリカの1866年の、金貨を首飾りにしているようにみえます。しかし実は、金貨そのものではないので、中が開くのです。これはスイス製の高級時計なのです。スイス製の時計の中に、先代の書いたその「聖」という字がはいっている。それがご神体なのです。このことは後に訴訟になってから発見されたことです。」
→詳しくは後に。

「世界真光文明教団代表役員地位確認請求事件ー教義に関する事項を含む紛争について裁判所の審査権はどこまで及ぶかー」
宗教法学会第5号(1986年11月)

これは真光の関口氏と甲子氏との後継者をめぐる争いを担当した大野正男弁護士が宗教法学会で発表された論文です。一読して誰でも思うであろうことは、裁判所のほうが、一般信者が知らないことを、正確に把握している。というのは、この論文のサブタイトルにあるように、これが、教義に関する事項を含む紛争だったからです。具体的には神示と教祖用御霊について写真や解説がわかりやすく、裁判にこういう物証が教団から持ち込まれた場合、司法はどう判断し、何に介入すべきではないのかを述べられた論文です。

矛盾を感じますのは、およそ信者の誰もが教祖用御霊など見せてもらえないと思いますが、というのは、ここの投稿でも自分がもらった御霊を開けてはいけないというようなことが出ていましたので。しかし教団は、裁判所につまり一般人の目には、教祖用の御霊や光玉自筆の神示も見せている。あからさまに言えば、どちらが教団の巨額の財産と信者たちを相続できるかが、かかっているから。

例えば法学部に通っている学生なら、このような本を通して「これが教祖用おみたまというのか、なんだ時計?」と真光隊の青年が知らないことも知っている。そこでおみたま開けるとばちあたりという指導は何なのか?教祖おみたまをバンバン写真撮影させた教団は大ばちあたりになってしまいませんか?裁判所が中を開けたら「聖」という文字が書かれていたという。

さて、前にアップした教祖用御霊写真の続きですが、次のように解説されています。

「そしたら初代は、「私に万一のことがあったら、二代は関口さんにお願いせよ」こう言われました。そして自分が肌身にかけている御霊、それをはずして自分(甲子氏)にかけて
下さいました。「これは二代用の御霊である」そういわれた。もう一つ、ついでに私に渡して「これは父の御霊である」といわれた。つまり二つの御霊を渡して下さった。早く関口さんにお渡ししたい。」

こういう風に甲子さんは皆(幹部約50人)にその席上(通夜)で述べたというのであります。翌日、初代の遺体の前で、甲子さんから関口さんへ二代の御霊というものを
授与されるのであります。どんなものであったかというのが1の写真です。


ネット上なので今、整理すると
初代が肌身にかけていた御霊=スイス製高級時計、聖字入り=二代用御霊=関口氏
父の御霊=甲子氏にもう一つ、ついでに渡す
御霊は二つあった。


<登記について>
「皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。7月1日に責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。甲子氏を含む5名の者が、責任役員会を開いて、教団の規則に基づいて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。しかし、そのことは当時5人の者以外誰も知らないし、登記を行われたことも、この教団の人たちは知らなかった」

*このように宗教法学会報に書かれている。ずるいなという感じがする。よく遺産相続でも、遠くに離れている、あるいはそりの合わない兄弟をつんぼさじきにして、相続を勝手に決めてしまうさもしい例を聞くが、規則とはいえ、5人で勝手に登記とは、これとおなじ事ではないだろうか?


初代の正式の葬儀が日本武道館に集まって葬儀を営むのでありますが、その時に二代の発表がありまして、初代は二代を関口さんにお願いしなさい、こういうことを言われましたという発表が行われました。このような中で二代の発表があったので、その後、色々な儀式は関口氏が二代として行っていたのであります。

ところが、一部の人々はその後甲子氏を何とかしなければいけないのではないか、色々な提案がなされますが、8月2日になって関口氏は、甲子氏から初代の本宅である熱海に呼ばれるのであります。そこで関口氏と甲子氏と二人だけで会います。甲子氏が関口氏に対して、こういう御神示がありましたよ、といって本人に見せたものがあります。それが写真3です。「ヨのみ霊もちて娘に与えよ」と書いてあります。

甲子氏は自分が後継者の指名を受けていたという趣旨のことを、非常にあいまいな形ではありますが、関口氏に言いました。この時から紛争が表面化するのでありますが、一体この紙は何を意味しているのでしょうか。

*この弁護士さんの解説文は、教団が言っている内容より、ずっとわかり易いのではないでしょうか?暴かれた真光や海外サイトでも英文で、この重要な裁判の解説がありますが、宗教法学会の解説は、どんな信者にもわかりやすいと思われます。

*結局、表面上は関口さんを二代とたてながら、裏でとっくに登記は甲子と済ませていた。速攻。やったもの勝ちを良く知っているのか。駄目押しとして、熱海に呼びつけて、神示をちらつかせた。そして紛争表面化。ないしょごとの手口には、関口さんならずとも怒るのではないでしょうか。ぬかよろこびさせて、後で落とす。最初病気直しでぬかよろこびさせ、後でがっぽり頂きますに、どこか似ている印象さえも。

<裁判官のほうが信者より知っていた>

「一体この紙は何を意味しているのでしょう。「ヨ」というのは、教義に入って恐縮でございますけれども、現世を支配している霊魂をさすようであります。この教団の教義によりますと、アイウエオ、カキクケコと支配する霊魂が変わってまいりまして、今「ヨ」の世界で、その次はラの世界になるのだそうでありますが、しかし、この文章に続く筈の上も下もかくされていてわかりません。」

*なんと暴かれた真光にある、あの真の道ですか?ヨだとかラだとか。

*この解説文は、1986年のものです。甲子側の幹部が裁判所にアイウエオ・カキクケコ、ヨやラを説明したのでしょう。そうすると、ここは大事だと思いますが、説明した幹部そのものも、真の道の教えを知っていた、詳しかったということを、証明しませんか?幹部はそんなことわかっていて、信者は無知だから知らないだろうと何でも光玉先生は特別で、と真の道などかくしていたのだろうか?おばさんなんか、教養なくてだましやすいと思っていたのかもしれない。おんなこどもにゃ、こんなものでいいだろうと。
 
熱海に呼びつけられ、神示を見せられ、あなたはおよびでない私が後継者と、あいまいな表現で暗にほのめかす甲子側に対して、関口氏は抑えていた怒り爆発。ここから紛争表面化となる。よほど腹にすえかねたのか、関口氏も事業家で金もある。そこで、中外日報という宗教をおもに扱っている新聞に、意見を出していく。人名がガンガン挙がっているので、よほど腹に据えかねた憤慨が伝わってくるが、実名や金額を具体的にあげて批判しているので、関口側の一方的言い分とばかりいえないと思える。信者のように金を払っていたら、、かなりこれは腹が立つだろうと思える箇所もある。例えば、

「昭和54年5月17日、関口教え主は、岡田恵珠、友森清晴、有間富子の三人を相手どり、彼等が隠蔽した教団財産の一部である7億6千316万余円の業務上横領を東京地方検察庁に告訴した。告訴状によると、昭和49年7月5日、恵珠氏が代表役員に就任した旨の虚偽の登記を了し、代表役員であることを僭称し、「管長」と自称する友森氏と「経理部長」と自称する有間氏等三人は共謀のうえ、世界真光文明教団の財産を費消し、あるいは教団に損害を与える目的で、教団所有のお金を不法領得して、業務上横領したとしている。」

*「管長」と呼ばれる友森氏は、旧姓を馬場といい、初代と同期だが、初代より格段に出世した軍人である。「管長」という位は真光にあるのか。そこで関口氏は自称「管長」と非難しているのだろう。ともかくやり手なことは宗教以前の職歴と階級が証明している。

*検察庁に告訴というのは、一種の内部告発とみていいのだろう。

*図表もついていて、犯罪事実(2)として友森清晴へ5000万円送金、友森清晴へ3000万円送金、友森清晴へ7000万円送金と52年3月1日から17日の間にこのように教団の大金が個人に入金される日時が図示されている。これも一部分であり、全体はもっとすごい。また「教団の三井銀行自由が丘支店の普通預金から、恵珠氏等がほしいままに左の日時に4回にわたって払い戻して、同時にこれを十六銀行益田支店(岐阜県益田郡萩原町)の友森清晴名義の普通預金口座へ送金して、横領したものである。」

*最大の疑問は、なぜ、移した先が、ひなびた田舎の地銀なのか?

*なぜ、岐阜県益田郡萩原町の支店なのか?おかしい。

*益田郡萩原町は、岐阜県でも、高山というより下呂温泉に近いロケーション。なぜ馬場清晴は、ここに金をプールしたのか?恵珠の実の血筋の親族などが、益田郡に移り住んでいたとか、そういった類の秘密でもあって、唐突に益田郡萩原町とでもなるのか?恵珠の戸籍謄本、養女になる前の戸籍が明らかにされない限り、ひなびた田舎の銀行になぜ?の疑問は消えない。なお、友森氏は戦後持ち株整理委員会に、公職追放であろうから、まさかと思う が、人脈などあったのだろうか。

「これらのお金は、いずれも岐阜県益田郡萩原町の十六銀行益田支店にある友森清晴の口座、または友森氏の実娘で教団の組み手ですらもない高橋美枝子名義の口座に送金されている。」

*これらのお金とは、犯罪事実(2)(3)として図示されるうちの明白なものに限ってということで、全体を示さないとわかりにくいがとりあえず。

*「組み手」ですらもない女が、組み手の女性達の差し出した金を自分の個人名義に入れていた。ということを関口氏は、当時、中外日報で告発していた。しかしこれは熱心な女性信者などにとっては大変悔しい記事ではないだろうか。

*関口氏は本当の被害者は組み手だと言っている。

*その他、印鑑の話なども。


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2004年04月22日(木) 082 gn

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教祖用御み霊
 
「御霊を開けると死んでしまう?」すると、そういう所謂、「祟り」が怖くて、殆どの信者さんは、言うことを聞いてきたのですね。わたしは最初、祟り教真光と教団名を読んでしまったのですが、いろんな材料が出てくる昨今、この方があたっているのではないかと苦笑。あれやると祟る、これやると祟る、会館に来ないと祟る。こういうのをタブー、禁忌といいますが、それで人の行動をタイトに縛ることは可能ですね。

わたしは真光の神が祟るというなら、そういう威圧方法も、信者を制していく手法にあるだろうと思いますが、ここが大変ずるいとおもうのは、それを「あなたの先祖が」と今行動をタブーによって規制されんとする相手信者の死んだ身内のせいにかえしていくことです。真光に関する英文を、英語の達者な友人が訳を助けてくれましたが、友人は英文しか知らないからスッキョウと今も発音しています。

私が教団の預金通帳Noまで書いてある資料を出すのも、これが俗人は知っていて、信者さんが知らないというばかりではなく、「おみたま」それも「教祖用おみたま」の写真が、このような裁判の資料にでかでかと出ていたからです。

それなのに一方では、個々の弱い人たちに対し、「開けると死んじゃうよ」と言う。「教祖用おみたま」でさえ、司法関係者が手で開いて「ああ、中に字が書いてありますね。」など確認している。信者に言っているとおりだったら、もうその時点で、「教祖用おみたま」を裁判所に見せた岡田甲子以下幹部全員、その後死ぬほどの、ばちあたり続けの「苦難の道」があってもいいのに金はもうかった。

「おみたま」裁判所には中味まで見せ、信者には「開けると死ぬ」 それで不幸が起こったか、起こらないかという、いかにもこまされた思考回路ではなく、この相手によって態度を変える落差に注目するとはじめて、霊が霊がという心配から、憑き物がおちるように、離れるのではないかとおもうのであります。人をばかにするのも、いいかげんにしろと。日本民族の精神性の質が落ちると。

「教祖様用おみたま」は信者の方々にとって御神体なのですから、正しく知りたいところだと思われます。私が詳しいのではなく、中外日報という当時の宗教新聞に詳しく出ていたというだけです。宗教関係者なら皆、目を通している。いってみれば業界紙です。しかし宗教ですから、他の記事もまじめです。

先にご紹介した宗教法学会の、これは法曹関係者の雑誌ですが、そこでは、おみたまについて、報告者の大野正男弁護士は、「二代用の御霊」と「父の御霊」の種別を挙げておられます。誰から誰の手にわたり、それはどういう指示だったか。後継者はどっち?の争点となるしるしですから。ところが、中外日報で関口氏側が出した資料は、もっと込み入っております。

中外日報・昭和57年9月3日掲載の、「7月17日、18日の両日、発表に出席していた本部局部課長、方面指導部長に、文書によって確認し、署名、捺印を求めたもの。資料1」という文書写真が出ています。そこにこう書いてある。

「6月13日朝、父(初代教え主)にご神前に呼ばれ(中略)叱られたとおっしゃった。そして、父がかけておられた『父の御み霊(ペンダント型)』を私(恵珠)にかけて下さった。私が、もしお父様がご昇天されたら後はどうしたらよいでしょうかとお伺いすると、『二代は関口さんにお願いしなさい』といわれ『二代様用の御み霊』をお預かりしました。父は続けて、『この御み霊は、二代、三代と続くものである』とおっしゃいました。いつまでもお預かりしていると怖いので早くお渡ししたいのです。皆さん、私の言っていることをわかってください。私はこのような大変なことですから、私情を交えないでお話いたしました。父は三つの御み霊をかけておられました。一つは、ラーム氏から頂いていた分、今一つは私がおかけしている父の御み霊です。そして父は、パリに行かれる前に、二代様用の御み霊を、私におかけになって『もし何かあったら二代目を嗣ぐように』と言われました。そして無事に父が帰国なさった時、『預けておいた御み霊を返しなさい』と言われて、二代様用の御み霊をお返し致しました。私がおかけしている御み霊は、父の御み霊であって二代様用のものではありません。これは大変なことですから私情を交えずにお話致しました。以上右のとおり相違ないことを認めます。」

に続き課長・部長の署名・捺印がある。これが写真で出ている。ここから確認できることは、光玉はおみたまを3つ首にかけていた。2つについては裁判資料でもおなじみだが、ラーム氏から頂いていた分というものが、外人の名前であるので奇異だ。しかし甲子氏によればそれも大事なおみたまであるらしい。ラーム氏とは、では、外人の霊能力者なのですか?そこらへんは、信者の方のほうが詳しいでしょう。

教祖用おみたまのことでもありますし、突然ラーム氏っていうのが奇異だったので長い紹介をしました。その後の解説によれば、こんなしおらしい感じでは勿論終わらなかった。次に実際の御み霊わたしのトラブルが書かれている。

宗教法学会第5号(1986,11)には「御霊」に「おみたま」とルビがふられており、教団にとって格別の意味をこめられたものと解釈しています。法学会第5号に拠れば、甲子氏証言として、

「先代が亡くなる10日前の6月13日の朝に私は先代に呼ばれた。(中略)そこで私は、初代が怯えておられるのでこわくなって、『お父様にもしものことがあったら、どうすればよろしゅうございますか』と尋ねました。そうしたら初代は、『私に万一のことがあったら、二代は関口さんにお願いせよ』こう言われました。(中略)このように私は二代用の御霊をお預かりしています。おそろしいことでございますので、早く関口さんにお渡ししたい。」

「こういう風に甲子さんは皆にその席上(昭和49年6月23日初代、脳溢血で死亡後2日目の通夜の席。幹部50人くらいを集めた席上。)で述べたというのであります。幹部50人がそれを直接聞いておりましたので、だいたい正確にその話の内容を復元できます。そしてその翌日、初代の遺体の前で、甲子さんから関口さんへ二代の御霊というものを授与されるのであります。」

*裁判所は幹部50人という証人もいることから、甲子氏は確かに通夜に幹部を集めて「二代は関口さんと初代が言った」と確認したと、それで「だいたい正確にその話の内容を復元できます」という報告になる。この詳細を補う意味で「中外日報」記事をあわせて読むと、もっとはっきりする。

「中外日報・昭和57年9月3日号」に拠れば、「恵珠氏は二代用の御み霊を預かっているので怖いから一刻も早くお渡ししたいとして、その場で渡そうとしたが、その時、夜の11時を過ぎていることもあり、関口教え主が「もう遅いですから、明日、神殿で初代様のお柩の前でお受けしたい」と提案し、出席者全員の賛同を得て、翌26日に行われることになった。」

*通夜の重大発表は6月25日。特筆すべきは、甲子氏は大変怖がっていたということで、権威ある宗教者という感じはしない。非常事態におろおろする普通の女性に見える。

記事は続ける。
「26日早朝、上級幹部らは2階神前広間に集まっていた。ところが幹部を一旦2階から退出させ、恵珠氏の側近である有間たまえ経理部長と富田(萬美)秘書課長の二人のみが立ち会い、御み霊渡しが行われ、当日出席した幹部等は重大な立ち会いの席からはずされてしまった。」

「全幹部への二代発表が、急遽中止となり、変則的な形で『御み霊渡し』が行われたことについて、疑問を感じた幹部等は、中止になった原因を追求、その結果友森清晴警衛警備部長の指示によるものと判明する。その後の推移を見ると、この友森部長の”不可解な指示”が、後の謀反計画を想起させる。」

*甲子氏本人も6月25日までは「怖いから早く渡したい」との態度であったのが明くる26日に一変。幹部連をオミットし、富田萬美秘書課長・有間たまえ経理部長という側近だけを立会い人に限定し、関口氏にこっそり御霊を渡す段取りにしてしまった。関口氏への御霊は、この変更によって、あたかも私生児のような取り扱いをその後、甲子氏側にいちゃもんをつけられて辿る運命になる。しかし裁判所の確認によって関口氏にこれを渡すことは、「初代の意志」であったことは客観的に確かめられている。そして中外日報の記事では、関口氏側はこれを、友森清晴部長の陰謀と見ている。つまり甲子の黒幕。
 
この裁判が興味深い点は、病気を治す力があるといわれる霊能力者「初代の遺言・意志」などそれこそタタリなど恐れず、ねじ曲げてしまう、友森清晴部長という屈強なる精神の男によって、霊を恐れる岡田甲子がコントロールされてしまいには神示なる初代の直筆を法廷に持ち出して神示の勝手な解釈を財産争いの証拠にする点である。ここにこの裁判の醍醐味というか、霊とは何か、マインドコントロールによる恐れとは何かを考えさせられる材料がある。

教祖の霊能力など屁でもない男の画策によって、崇教真光は生まれた。そうであるのに、そこでは病気が治るといわれ、大勢の貧しい女達が集まり「こんなに病気が治りました」と言い合い、大金持ちの教団にのしあがった。

*なお中外日報記事に出てくる「富田萬美秘書課長」とは、海外の幹部信者が「岡田は救世教にいなかったか?」と問い合わせに対し「それはウソ話です」と答え、それが外国信者のサイトに富田のサイン入りで掲示されていた富田秘書課長と同一人物ではなかろうか。

*この人男ですか、女ですか?また側近有間たまえというのは、おそらく女性と思われますが、甲子氏も含めてこういういいなりになりやすい女たちが、友森氏のような黒幕男性の命令をよく聞いて、いかにも神がかり的ファッション で通してきたようですね。すばらしい作戦だと思います。人心工作のひとつではないでしょうか。満蒙政策で培った手法が生きているのか。教祖などより、友森氏のニヒルな感性と力量に興味がわいてくるものです。
 
「御霊渡しの怪」について中外日報・昭和57年9月3日は続けて次のように伝える。

「証言によると、友森部長は、初代教え主の亡くなった翌日、(24日)恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である。」


「24日に続いて、25日の遺言発表の直後も、友森部長と恵珠氏は、深夜の2時頃まで会談している。25日夜、自ら”二代は関口さん”という初代教え主の遺言を発表し、二代用の御み霊を持っていることに恐怖さえ感じ、早く関口氏に渡そうとした恵珠氏が、翌日の「御み霊渡し」、7月5日の虚偽登記へと大きく変節した理由を考えると、そこに友森部長の”意見”が大きく影響しているものと見られる。」

*関口氏側は、間違いなく甲子側の最大の敵を、友森清晴警衛警備部長と見ている。フィクサーと呼ばれる男とはどういう人間なのか。世界真光文明教団で警衛警備部長という地味なポジションについていたこの人物は、かつて国の作戦の中枢、陸軍省軍務局ー軍政の中心的部署と並ぶ陸軍省兵務局ー昭和11年軍務局から独立新設、の兵務局兵備課長をつとめた人物である。兵務局兵務課高級課員であり、そのポストの前任は、柳田元三・小松光彦・山崎正男・菅井武麿(武略字にて失礼)ときて友森清晴に至る。国を動かす中枢にいた男であり、兵務局長は阿南惟幾から始まり、友森の当時の上司は、田中隆吉の後をうけた那須義雄となる。

以上は動かしようのない事実であるが、ここから私の想像であるのでお間違いのなきよう。

このような経歴の男が、一介の民間人、関口氏の部下として警衛警備部長として使われることを自分に許せるだろうか?もし嫌なら無一文で出ていかねばならない。岡田だったら平気だった。それは同じ陸士34期の同期の男だから。岡田、通称光玉、本名良一が遺言として「二代は関口さんに」と伝えられた時、友森氏はどう受け止めたのか。「岡田、戦友を裏切る気か、俺達より関口を信用してたのか。俺達のことは考えもしなかったのか」と敗戦で軍歴のすべてを失い、巣鴨にまで入り、出てきたときは浦島太郎。ありついた教団という摩訶不思議な世界に身をおく他は行くところもなし。この安定した世の中で、もう一度放り出されるか、恥辱をうけるのか、もう御免だねと、だったらひと勝負と、通夜の席から岡田の遺言などクソクラエと反撃に出たのか。まったくの想像の域ですので誤解のないよう。友森氏は兵備課長であったが、合い並ぶ同時期の軍務局軍務課長は真田穣一郎であった。後の作戦部長真田少将である。ガ島将兵の撤収を主張し、インパール作戦の杜撰を指摘、反対した。真田元軍務課長は戦後一介の農民となってしまった。少将までいった人である。戦争については語らず、亡き部下の霊を慰める祈りの日々を静かに過ごしていたという。真光が説く皇国史観まがいはニセモノである。皇国愚弄史観である。こんなことを岡田は頭の中で考え続けていたのか?なぜ天皇とユダヤをエタに関連づける教義を上級メンバーの研修会で外人に説くのか。なぜだ?
http://ozemail.com.au~skyaxe/origins.htm
「ムー アンド エンペラー オヴ ジャパン」なんなのだ。この教説は。元帝国軍人の幹部が友森氏他大勢いるのに、なぜこのような教義を平気で説けるのか。そこに戦後失意のどん底に落ちた元将校たちの非常に屈折した思いを見るべきなのか否か。教団真光は、日本人の精神史を、中空になった戦後の「負」の部分を論考するうえで非常に興味深い題材である。戦後の激変に紛れ、日本人がみたくない日本人の姿をこの教団のすべての問題が語っているように感じる。

そのなれのはてが、「暴かれた真光」で既に知られる如く神経ガス殺人集団、オウム真理教とのリンクである。

防衛研究所図書館にある軍名簿には勿論、友森清晴の名はきちんと記載されている。防衛研究所資料に拠り、フィクサー友森のオフィシャルな経歴で、世界真光文明教団裁判の資料を補強する材料が1つある。それは教団の預金名義変更に関するものだ。

中外日報・S57・9・8
「犯罪事実(二)(三)については、教団の銀行預金を多額払い戻し、あるいは預金名義を変更するなどし、あわせて会計帳簿、重要文書類を隠匿したうえで、これら払い戻し金を費消したり隠匿し、あるいは第三者へ送金する等して領得されたものの中から明白なものに限って(二)の三井銀行の二億六千万円(三)の東京都民銀行の二億百六十八万三千六百五十八円について告訴(東京地方検察庁に)しており、これらのお金は、いずれも岐阜県益田郡萩原町の十六銀行益田支店にある友森清晴名義の口座、または友森氏の実娘で教団の組み手ですらもない高橋美枝子名義の口座へ送金されている。」

この記事、わざわざ「実の娘」という言い方がひっかかるので注目していたが、軍名簿には、戦没者・行方不明者家族あるいは遺族会との連絡の為と思うが、妻子の名前もきちんと書く欄がある。29年版では、友森清晴氏の妻は○○枝さんといい、友森氏は東京拘置所内と記入されている。

ところが36年版では、妻の名が変わっていた。つまり一番目の妻が○○枝さんといい、二番目の妻はまた別名。中外日報で「実の娘」とタダシ書きするのは、二番目の妻で知られる友森幹部の家族関係だと、この女性の素姓がわからないからだろう。当初16億の口座Noを預かっていた高橋美枝子とは、枝、エダという字が名前に入っていることから、推測として、一番目の妻○○枝さんの娘さんという可能性が強い。中外日報記事の少々不自然な言い回しが、防衛庁図書館のほうの資料で補われることになる。

昭和36年といえば、世の中がかなり落ち着いて豊かになった頃である。しかし友森氏は東大のそばの電源開発というところの寮に単身住まいであったようだ。自分だけ世の中の豊かさから置いていかれたような気持ちではなかったか。敗色濃いといえども、陸軍省内を闊歩していた過去。そこに再び岡田の死で、また路頭に迷うか関口の下でプライドを捨てるか。冗談じゃない、どっちもいやだ。ではなかったか?心情的には。友森氏はもっとドライでゲスっだったかもしれない。それだったらよほど真光にちょうどいいので構わないが。


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2004年04月21日(水) 083 gn

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田園調布・梅林旅館の会合

中外日報という宗教に関心のある人なら誰でも知っている新聞に昭和57年というから1982年、二十年も昔に出ていたことが、なぜ知らされてなかったのか。過去の経緯を承知のうえで奉仕活動を団員はしていたのか・・・。

つまりどう見ても「崇教真光」の立教は、関口氏との裁判に負けて、そこにいられなくなったから岡田甲子は別教団を建てざるを得なかった。裁判さえなければ「崇教真光」なる宗教法人をつくる必要はありえなかった。神様が言ったからと、まさか教わっているわけではないと思いますが念の為。お告げじゃなくて裁判です。それは二十年も前にはっきり世間にこうして
公表されている。

宗教法学会第5号では、この経緯を次のように報告している。

「皆も関口氏を二代様、二代様と呼んでいたのでありますが、ことはそう簡単に進まなかった。この御霊を受けてから一週間も経たない、7月1日に、責任役員会が開かれました。関口氏は責任役員になっていない。岡田甲子氏はなっていた。甲子氏を含む5名の者が、教団の規則に基いて岡田甲子を代表役員に選任して、登記をしてしまったのです。しかし、そのことは当時5人の者以外誰も知らないし、登記を行われたことも、この教団の人たちは知らなかった。」

昭和57年9月3日中外日報では、そこが具体的に書かれている。

「ところが7月5日、関口教え主に何の相談もなく、恵珠氏、友森部長、山本正彦(裁判所資料では昌彦)経理局長、岡本洋明調査部長の4人は、『初代教え主の遺言の如きもの及び責任役員の互選によって代表役員は決定された』という文書を作成し、恵珠氏の名前で代表役員の登記をしてしまった。」

*「遺言の如きもの」と恵珠氏側は言っているが、霊をかりにも扱っている団体であるのに「死人に口なし」とばかり教祖がのこした言葉を前言をひるがえして教祖が言ったのと違う意味にしてしまうとは、随分大胆なことよと思いました。しかもただの死人ではなく、霊能力あらたかと言われた教祖の遺言を、「どうせ化けて出てきやしないから」といわんばかりにねじまげるのは、無神論者でも、さすがにやらないことではないか。これはよほど、たとえ教祖だろうと死者など祟らないと確信してたのかもしれない。それならば、先祖の祟るを恐れ、そこで踊らされている信者とは何だろう。

中外日報は続けて次のように。

「関口教え主はじめおもだった教団幹部は、恵珠氏を擁立する一部幹部が画策した”虚偽登記”を知らないまま、7月13日、「みたまおくりの祭」(初代教え主の教団葬)を迎える。その席上松平定堯事務局長から次のように発表されている。『恵珠様のおことばを謹んでお伝え申しあげます。救い主様(初代教え主)より二代教え主は関口さんにお願いしなさいといわれました。おことばそのままを、みなさん方にお伝えいたします』(当日の録音テープから転記)」

*宗教法学会の報告は、虚偽登記とはいわず、単に登記という言葉で説明。

中外日報続き。

「13日の公式発表、14日の月始祭を終え、本部(田園調布)で執務についた関口教え主に対し、本部員、特に教え主を補佐すべき秘書課が非協力的で、関口氏を二代教え主として迎える雰囲気が乏しかった。」

「17日、不審を感じた関口教え主が書類等を検討すると、既に5日付で岡田恵珠名義で代表役員登記がなされているという事実が発覚する。」

「議事録(議事録記責任者、松平事務長、資料2)によると、出席した大方は、虚偽登記の件を知らないまま、恵珠氏の処遇について諮問している。同会議では無論だれも関口氏が二代教え主であることに異議をはさむ者はなく、それどころか、虚偽登記を画策した友森部長、岡本部長の両氏も、関口氏が初代教え主の一切を引き継ぐことを認めており、」

*老獪である。「一切を引き継ぐ」なかにおよそ20億円の教団資産と信者名簿が入っている。企業でよく「人は財産です」などという人材の意味と教団の信者を財産とみる視点は違うと思える。いつまでもお金を与え続ける人たち。寄付せずとも大切にされるのかどうか。

「25日、金子明弘訓練教学部長補佐と工藤高裕同課長は、虚偽登記の事実経過を確認するため、田園調布の梅林旅館で、友森部長と会見し、真意を糺した。友森部長は、虚偽登記したことについて『僕も疑義があった。規則に抵触しはしないかと。実際のところ山本局長より、教え主というのは内部的なことで、代表役員は法律的なことである。本質的に違うという説明を受けて納得した。関口さんは二代教え主に間違いない、こっち(恵珠氏)を僕は教え主とは思わない。代表役員を関口さんに正さなければいかんと思っている』(同会談の録音テープの要約)と説明している。同説明を聞くと、(中略)主張しているのは山本局長で、友森氏は引きずられた形になっている。しかし、彼の法廷証言によると、友森部長こそ隠れた
”演出者”と見られる節がある。」

「証言によると、友森部長は、初代教え主の亡くなった翌日、恵珠氏に対して、”重大なことの返事は、自分の承認なしには絶対にいうな”との旨述べているわけで、これではまるでフィクサー同然である」

と先に紹介した部分に記事は続いていく。

*次に天野正勝顧問という人物が登場。この顧問は教団預金の名義変更図に登場する人物でもある。関口氏はその後恵珠氏本人と直接話そうと面会を申し入れたが拒絶。
ようやく29日面会実現。その様子は次の記事。

「席上、恵珠氏は終始無言で通し、ただ関口教え主の言葉をノートにメモするだけだった。同席した天野正勝顧問が受け答えし、関口教え主の問いに対しては、文書で回答(資料3)することを約した。」

*異様な会見の光景である。攻守必死の構え。

*異様な事態は続く。

「関口教え主は、8月末にはとうとう公式行事に出席できない状態に追い込まれ、9月度の月次祭では、斎主代行を事務長に命ずるという異常事態になった。」

「ことここに至ってやむなく関口教え主は、9月18日、裁判所への問題提起の意志を固め、関口教え主の代表役員地位保全と恵珠氏の代表役員の職務執行停止の仮処分申請を行なった。(文中の役職名は当時のもの)」

*初代の遺言の通りにしないほうが、勢いがあったようである。

*病床にあった初代の指名をうけた関口氏への追い出しに拍車がかかったところで提訴されたという状況だろう。

「宗教関係判例集成」に出ている「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」を見ますと、東京地裁、昭和50年7月24日民事八部判決文にて、マインドコントロールにかかった人は、どのような行動を集団的にしがちなのかちょっと考えさせられる箇所があります。

「保全の必要性の有無」

「弁論の全趣旨により成立の認められる乙八号証の一・二、第一〇号証の一ないし二五、第一二号証の(中略)各証言、債務者岡田本人尋問の結果ならびに弁論の全趣旨を総合すると、次の事実を一応認めることができる。すなわち、前記認定の幹部通夜の際の債務者岡田の発言および「おみ霊送り」の際の松平事務局長の発表にもかかわらず、債務者岡田を債務者教団の二代教え主(代表役員)として支持するものは、幹部および信者ともに極めて多数に達しており、債務者岡田は、昭和四九年一〇月二七日に開催された債務者教団の第一五回記念大祭において、債務者岡田が二代教え主に就任した旨の発表をした。そして、自分が債務者教団の二代教え主に指名され、したがってその代表役員であると信ずる債権者の心情としては、このような状態が許せないものと考えるのは当然である。」

*債権者とは関口氏。つまり、松平事務長が「おみ霊送り」という初代光玉の葬儀の大会場で組み手に「初代は関口さんと遺言しました」とマイクで伝えたにもかかわらず岡田甲子氏を支持する幹部、信者は極めて多数に達し、ついに甲子氏が「私が二代でございます」と秋季大祭で公言しても「初代の遺言は違いましたよ。おみ霊送りの遺言発表で聞いたことと違う」と組み手達は言わなかった。すると信者たちは上の言うことを、何でもいいなりに従った結果、何と教祖様の遺言でさえ、踏みにじり、甲子さんのほうが霊能力ありそうだから。病気治しに効きそうだからと、光玉の最期の望みも平気でつぶしてしまったのだろうか?判決文が「おみ霊送りの際の松平事務長の発表にもかかわらず」としたところが、普通の集団では考えられないところなのかもしれない。これには「情報操作」という経過もあるかもしれないが、ともかく、「おみ霊送り」で皆耳に記憶しているのだから。「病気さえ治ればいい」という信者の執念が、このような集団心裡を生み出し、結果、光玉の遺言なんてどうでもいいという方向に流れたのか?大変、皮肉な感じがします。

中外日報には、この時期の教団預金口座、そのめまぐるしい名義変更もレポートされており、原因は莫大な資金の争奪戦であることは暗黙のうちに誰でも読み取れることである。しかし裁判は代表役員の地位保全であり、誰が正当にそれを管理すべきかという問題である。

中外日報・昭和57・9・6に拠れば、「9月26日、仮処分裁判第一回審訊が行われた後、恵珠氏等は、裁判に有利な証拠づくりを画策し、10月2日、臨時幹部会を開く。その席上で、6月25日に恵珠氏自らが発表した「二代は関口さん」との初代教え主の遺言を否定し「二代は恵珠様」とする内容の確認書を作成する。」

「つくりかえられた確認書によると、6月25日に恵珠氏が発表した初代教え主の遺言は次のようになっている。6月13日の朝、父(初代様)にご神前に呼ばれまして(中略)二代のお代理用の御み霊をお預かり致しました。(中略)」

*関口氏に渡したのは、お代理用と言い直している。

*しかし初代の遺言は、記事に拠れば、

「6月25日の遺言については、7月17日、18日の両日、出席者全員が署名捺印した確認書(資料1)を提出(裁判所に)している。その一月半後に、その確認書を否定する第二の確認書をつくったわけである。」

*先の遺言を否定する第二の確認書をみんなでつくってしまったという事。

「その上、恵珠氏にくみした幹部等は、最初の確認書に対しては、次のように説明書をつくり、裁判所に提出した。『先般二代教え主様指名に付ての書面に署名捺印致しましたが、その内容も良く見ない中に、早く早くと急がされて提出したものであります。(中略)改めて今回の署名捺印に及びました』無論、こうした真実を被い隠した言いわけ文を、裁判官が納得する筈もなく、真実は後の判決で明らかにされるわけだが、(中略)彼等は7月17,18日の両日、真実の確認書に署名捺印しているが数名を除いてあとは全て実印である。いやしくも教団幹部として組み手を指導すべき立場にある者が『内容も見ない中に早く早くと急がされて』大事な実印を押すものだろうか。」

「二通の確認書を見ると、一部語句の変更ではなく、『二代は関口さん』とあるのを、『二代は恵珠氏』と書き改めるもの。その無定見、無節操ぶりには驚くばかりである。彼らさえしっかりしていたら一部幹部がいくら画策しても、教団全体が翻弄されることなく、世界真光文明教団の”天一坊事件”も存在しなかったであろう。」

*これは俗にいう「遺産相続をめぐる遺言捏造」ということではないだろうか?

*注目すべきは、関口氏サイドが、甲子氏を、”天一坊”と呼んでいる点。つまり甲子氏は関口氏ら、古参の幹部にとって、降って湧いて出た目新しい女性だったのか?いつから初代の身辺、幹部連の前に娘ですと姿を現しはじめたのだろうか?既出の週刊誌などでも、元真光隊員だとか、元看護婦だとか、また「暴かれた真光」では元救世教で知り合った女性とか、
冷静にみていくとひとつとして確実なものはない。情報源はいずれも詳しい宗教学者、詳しい救世教幹部というふれこみであり、再検討すべきだと思われる。その中にあって教祖から二代にと指名された信頼あつかったと思われる関口氏でさえ、???の天一坊というからには、当時でもかなり秘密の部分があったように推測。いつからお父さまと呼んでいたのか。娘時代の写真が1枚もないなど、かなり不自然だ。

「こうして10月2日を機に大方の幹部が、教え主と自称する恵珠氏を、あえて”教え主”と崇め、一体化して恵珠氏をフキ上げようとした。」

*中外日報9月6日記事最期の文章はイミシンである。

「恵珠氏を崇め」は崇教真光の「崇」は恵珠を崇める意味かねと皮肉っているようでもあり、すると「フキ上げようと」のふきあげるを何故カタカナにしたのかなど、掛詞、例えば甲子の本名がフキという字があるなど。個人的疑問だが、岡田光玉は、熊沢天皇となのる人物が戦後幾人か出たが政経調査会関連の人物と接触はなかったのか?いやまさかと思うが。この部分は個人的疑問であるので惑わされないように願います。



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2004年04月20日(火) 084 gn

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関口氏提訴の経緯

関口氏提訴の経緯について、宗教法第5号(1986,11)は客観的状況として次のように報告されている。

「この秘書課長というのは、甲子派の推進者の一人で、これにサインをしてくれということで、上の方に○というのは、関口氏が見たという印で、これによってこの通達書が道場長、その他に配られることになりました。そしてこの日以降は、甲子派が教団の本部を占拠して、関口氏は追っ払われて別の場所に行くということになりますが、これはあまりにひどいではないかということを、幹部の一部、特に6月25日の通夜の席で聞いている幹部等の何人かは非常に怒りまして、これでは教え主の地位を僭奪されたようなものである、こんな変なことはあるはずがない、黙っていてはこの教団は駄目になる、といって関口氏に理非をはっきりさせるよう迫ります。そこで関口氏は自分が教団の教え主であるということを甲子氏側に言い渡しましたが、もちろん向うは聞かない。東京地裁に代表役員の地位を定める仮処分を提訴したわけであります。」

*以上は法律家の集まり、宗教法学会で説明された関口提訴の経緯です。

*中立の立場の第三者から見た提訴の経緯です。

しかしなぜ宗教法学会で、この裁判が研究のため取り上げられたかというと甲子側が、二代は自分のほうであるという証拠に、裁判所に「ご神示」を提出した。「ご神示」という宗教的秘文、しかも厳密にいえば、書いた本人以外、正しく説明できる人はいないだろうと思われる「ご神示」を裁判所に出してくる。そこでこの研究発表の眼目は、本来裁判になじまぬ「ご神示」を紛争当事者がもちこんできた場合、どのように、教義には介入せず(信教の自由)、どのように取り扱ったらよいかということを実例から発表されている。

そこで当然、光玉氏の「ご神示」も甲子側からもちこまれた裁判資料ですから、写真と文が訳されて、この宗教法学会第5号で見ることができる。これを見て意外だった感想をひとつふたつ。神示というから縦書きと思ったが、光玉の神示は横書きだった。なんと横文字も入っている。→「gelkも?」という意味は不明だが単語が。光玉は数字だけはきちんと書く癖があったようだ。これは神示文中、混乱した文字のなかで、数字だけはきちんとした字体。こんなところにやはり元軍人なのだなあと感想。軍隊の日誌など、必ず正確な日時の記入が叩き込まれた名残か。もし光玉氏はどんな字で神示を書いていたのか知りたい人は、この宗教法学会第5号に出ているのでご覧になると楽しいと思います。

これらの資料には、ご神示を山本というハンコを押して封印してしまったことがレポートされておりますが、ご神示というのは信者の尊崇を受ける財産だと思われますが、こういうことをやってのけるという点、いささか面食らう次第です。

(アントニオ猪健)
>馬場氏のレスの資料は、私も持っているが(中外日報)これは、関口氏との裏の
>絡みがあり、はっきりいって関口側の資料である。
>関口氏は天一坊事件と言っていた>
>三ツ矢グループの息がかかった資料をつかうのはどうかな。
>素人は納得させられても、知っている人には通用しない。

私は、これを、光玉氏の最期の指示と言葉を、伝えるために書いているのではありません。部外者ですから、そういう義理立てはないわけです。しかし、書いていると、自然とそうなってしまう。それは、そもそも、この裁判は、光玉氏は、死のまぎわに何を言い残したかを争う裁判だからです。しかも最高裁まで。

つまり教祖であろうと誰であろうと、故人の遺言は、都合によって勝手に、ねじまげてはいけない。こういう相続に関する民事裁判なのです。もし、アントニオ猪健さんが、またしても否定するとなると、それは、かつて光玉の遺言をねじまげて、結果敗訴した、昔の債務者、岡田甲子氏たちと同じことをして、光玉氏の遺言を冒涜したことになりますよ。理性を働かせてください。

お読み下さってわかるように、私は宗教法学会の報告を軸に、当時の中外日報を、これは置いてある機関が今少ないので、ご紹介しております。

宗教法学会第5号(1986,11)。これは先に申しました通り、家永教科書裁判で最高裁判事をつとめられた大野氏が、お若い時、弁護士時代に研究発表されたものです。法学会レポートに書いてある次の点を抑えて頂きたいと思います。

「本件では、最初に「秘文」(ご神示)があったわけではない。幹部通夜での発表があります。武道館での葬儀の際の発表があります。これらは、裁判所はもとより通常の世俗人によっても容易にその存在と意味を理解できることです。ところが、甲子側は、それと正反対の意味内容を有するものとして、「御神示」なるものを法廷にもち出した。この時に考えが分かれると思うのです。」

大野正男弁護士の解説です。つまり再三そのまま書き出しているように、甲子氏本人が「光玉が二代は関口さんにせよ」と私に言ったので、それを幹部の皆様にお伝えします。といっておきながら、後になって前言を翻し、「私が二代にふさわしいわけは、父の部屋を整理していたとき出てきたメモ(ご神示)に「ヨのみたま云々、娘に伝えよ」と書いてあるから私が後継者よと関口氏を熱海に呼び出して迫った。それで仕方なく裁判所も今まで見た事もない「ご神示」を証拠物件として扱わざるを得なくなった。しかし司法は内容に立ち入る事は許されない。そこで、内容に立ち入らず、「光玉は本当に最期には何といったのか」立証していく。これを大野弁護士は法律家達に報告している。

「二代は関口さん」。これは証拠、証人が出揃っており光玉氏はそう言ったと判断した、裁判所は。また組み手1万5千人ばかりも、大葬儀の会場で、松平事務長から、一万5千人が聞いている。証人というわけです。にもかかわらず、流れがいつのまにか「二代は甲子氏」に。それで裁判所のコメントにも、「松平事務長の発表を組み手は聞いていながら」というニュアンスの判決内容文がある。

アントニオ猪健さんも、かつて教祖の遺言を引き裂くような結果を招いた組み手と、同じことをしようとするのだろうか。ご都合主義も結構だが、このような否定が昔、教祖の必死の遺言さえ討ち落としてしまったことを、また性懲りもなくやろうとするのか?そうであれば、崇教の組み手というのは、救い様がない。


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2004年04月19日(月) 085 gn

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ラーム氏

>>ラーム氏とは、では、外人の霊能力者なのですか?
>確かラ−ムというのは光玉の晩年の取り巻きの一人。 インド人のヨガか霊能者でしょう。


ラーム氏に就いて、ありがとうございます。甲子氏自身が幹部に語る言葉として、突然出てきたものですから、面食らってしまいましたところ、疑問が解けました。また位山についても、何だってこの山に執着するのかなあと思っておりましたが、そういう日本オカルティズムの伝統があるのですね。私は、陸軍演習等で光玉が懐かしい思い出として登った山ででもあるのかなと思っていました。

しかしながら、なぜ、日本の軍人の一部は、かくもオカルティズムに惹かれるのだろうか。それで私は真光の友森氏のように、全然こんな手かざしなど信じてもない行動をする幹部のほうが、人間くさくて健全という感じすらしてしまう。

だが一方、このような板に、「霊動がこわい」「霊動がとまらない」「真光に入ると気性が狂暴に、不安定になる」(海外のレポート)でも。こういう事が現実として存在する。だから欧州でも危険なカルト指定を受けている。裁判の経過は過去のまぎれもない事実だが、現在のまぎれもない事実に、「霊動への訴え」が存在する。

仲村さんのように、オカルティズムの歴史に詳しい研究者からごらんになって、信者さんが不安に思っている「霊動」は、どのように日本文化では扱われてきたのですか?私はそういう知識がありませんが、異常なことに思えますし、そうなってしまったら本人は尋常ならざる不安を起こすでしょうし、発狂でもしたら大変だと思うのです。みんなが割りとと知りたがっているこの点について、安心させてあげられる何か、その種の知識ございますでしょうか?

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霊動

>非常に危険な方向性だったんですね。
>真光は霊動《浮霊》を人工的に引き起こそうとしている訳です。
 
真光の教義事体が、霊動《浮霊》を引き起こす「方向性」を持っている。という解釈でよろしいでしょうか。仲村さんは霊術の歴史研究の見地からのお説だと思います。そういうフィールドからさえも「霊動は非常に危険」と指摘されることに注意すべきだと思う。

このように危険な霊術でも、それが一部のマニアックな秘密結社の人達の間でやっているぶんには、霊動が起ころうと、それで発狂しようと、好きで研究実践していたのだからと、仕方あるまいと諦めもつくだろう。しかし、現実として投稿の中にも、ふらっと誘われて入ったところ「道場で霊動・浮霊する人を見た。」そればかりか投稿者自身が「霊動がとまらなくなって怖かった」というのさえあった。それは仲村さんの指摘される「真光の方向性に霊動現象は教義の一部として内包されている」をまさに現実として裏付ける訴えである。

神道研究の見地からみても危険なものを、大衆化路線で広める(まぼえする)こと自体が間違っているのではないか。

真光の「霊動」という現象については、JDCCのような脱カルト研究会のなどのマインドコントロール研究団体は、どういう見地をもっておられるのか、是非「霊動」に関する見解を伺いたいものである。かなり大勢の人が脱会後もこれが気にかかって困っておられるのですから。そして治す方法はあるのだろうか?しろうと目に見ても、「霊動」など頻繁に起こしつづけていたら発狂してしまうんじゃないかと思えます。仲村さんは「霊動」は濁音の祝詞が起こす「暗示」と関係があるとおっしゃっているように受け取りますが、それでしたら暗示とは怖いものですね。人を一生縛り付ける。確かにゴクビ云々の語韻はゴクツブシといったののしり言葉などを連想させますが。濁音て、詩でもそうでしょう?

それともうひとつ大事な留意点は
>この事を私に教えてくれたのは真光の幹部だった人ですよ。
これを信者の方は見落とすわけには行きますまい。

つまり幹部も「俺も霊動ってよくわからないけど。起きちゃうんだよね。」とまあ見えない世界のことだから幹部もわからないで指導していることだってあり得る。しかし「霊動」について意図的に引き起こすことを、このある一名の幹部だけでも「知っていながら」やっていることに、「おまえ、罪の意識を感じないのか」と問いたい。
これが「危険」だということもこの幹部知っとるなと。そうしたら何ですよ、人が悪いね。

「霊動」はその動作だけ観察したら、薬物中毒者によくみられる現象と同じです。薬害を説きながら、ヤクも使わずヤク中と同じ現象を他人様のからだに引き起こしてどうするんだ。矛盾していないかと思います。あたかも副作用(霊動)の強い精神安定剤を安易に与える悪徳医者のような感じもする。

神道研究からみても「非常に危険」というなら、そもそも奥様方が「今日のおかずはきりつめて、あした浮いたぶんをお布施しましょう」などとお気楽に接して害の無いシロモノでは、決してないと思える。手かざしされること自体が、「霊動」を誘発するとすれば、では親が自分の子どもに手かざしして「霊動」を誘発してしまった場合は?神道研究家でさえ「危険」といって手出ししないことを、そこらの奥様方が、無知ゆえに、子どもにバンバンやっているとしたら社会問題だ。

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光玉最後の御神示

宗教法学会第5号には、光玉の最期のご神示が写真とともに活字化されて出ている。ご神示とは光玉氏の場合こういうものかと、よくわかる。よくわかるというのは、やはり所詮は書いたご本人しか真意は説明できないだろうなという暗号のような、メモのような体裁の文章だ。長文が掲載されているが、その一部を書き出すと、

「幸子に『あす11時だよ』と
 13日夜
 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ 
 しばらくくちゃくちゃ」

このような文章がずっと続きます。ご神示も霊動も、真光の主要アイテムですが、神示は書いたご本人、霊動なればそれを我が身に起こしたご本人がその時どういう感触と感情をもったかも大事なことだと思います。もし真光の霊動にしても、本人を安心させる後味だったら、元信者さんたちが霊動とは何ぞやと、気持ちにひっかからないと言えますまいか。後味がひっかかるから、宗教渡り鳥といわれていますが、他の似たような教団に行ったりするのではないか?後味がひっかかるから、外国信者の方もそうですが

ヨガや気功で真光の霊動と似たようなことはないか。調べなければ落ち着かなくなる。霊動について何か調べてみないと落ち着かない感じを多くの人に与えてきた側面がある。解明には、いろいろな説があると思うが、もし、霊動現象がさわやかで良い印象を与えるものだけであれば、人はそれについて調べ回らないと思う。また人前で、意識で制御できずに体が動くことを、セラピーと1対1なら兎も角、大勢に見られることは、人間の本能として、恥ずかしい感じ、屈辱感を抱かせるものではないか。人前で失禁しちゃったような。ある先輩の組み手が、自分の手かざしでそれを後輩に起こしたとする。起こしたほうは、他にさしたるとりえがなくとも、支配欲のようなものが、いくぶん満足するのではないか。

自分はこんな不思議なことも相手に起こすことが出来たと。霊動は起こさせたほうには強い自信となり、起こされたほうには服従心を植え付ける強力なアイテムとなりうるのではないか。起こされたらマケ。のような感じが致しますが。その後の教団内、人間関係にも影響するような。

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導士のセクハラ

ホームページを見ていると、ある道場で起きた導士のセクハラとか、年増の女導士が若い隊員に「今日、アタイを家まで送ってくれるの誰!?」などと運転手がわりに召使として使っている、なんだあの女はという書き込みもある。また道場長に施設拡大につかうからと金貸したのに返してくれない等。これは明らかに世俗の問題である。神を否定して文句を言っているわけではない。

ところが、困ったことに、そういう実態を見て、「辞めたいけど、おみたまどうしよう」と思う人が大半で、「開けても大丈夫でした」とか「教団に郵送しました」「ゴミにして捨てちゃいました」など、またまた、「おみたまの返し方」で議論が沸き起こるという状況である。「おみたまの返し方」は罪障意識をかきたて、ないがしろにできない信者の問題となっている。

指導者のマナーという世俗問題が「脱会」の段になるとおみたまという神力の問題に収束されるので、信者はがんじがらめになり、後退も前進もままならず蛇の生殺しのような状態にされる。これは苦しいことだ。教団内で発生した世俗の問題は、監督権のあるところにもっていき、そこから教団に指導してもらうしか、改善できないと思われる。

真光は単立宗教法人で、確か都道府県知事所轄ではなく、文部大臣所轄の文化庁文化部宗務課が窓口だと思う。確かめてないが。

文化庁宗務課では、各宗教法人の苦情件数というのを挙げているはずだ。そこに苦情として、道場のセクハラなどは実名をあげて言っていったらいいと思う。それで辞めたい人は、ついでに「おみたま」も文化庁に証拠として送ってしまうのも一考である。なぜなら、それが直筆か、印刷か、そこから光が出ているかなどで迷わされる教義なのだから、そういう証拠として所轄で調べてもらう材料に送ればあとは専門家の出番だ。

そこに奉仕してお金を奉納してきた信者の主張や疑問というのは大事なもので、文化庁にないがしろにされることがあってはならない。という風に建前はなっているのだから。金貸したの問題にしても教団の健全運営に関する重要なことなのだから、信者の強みというのは、監督官庁にもの申していく時に発揮されるのである。誰もが自分の人生を大切にしたいと思っている。そこに宗教があった。それなのにそこにいると自分を大切にされないばかりかセクハラだと!?と怒るのは当然だと思う。事例が重ならないと監督庁も指導しようがないでしょう?

宗教法学会第5にも、これは1980年代の資料ですが、すでに、「この事件(真光文明教団代表役員地位保全事件)は最初東京地裁の民事第八部、通称商事部に係属しました。東京地裁の八部というのは、会社関係の事件を扱う専門部なのですがそこの裁判官がいうには、今は株式会社に関する事件は少なくなって、学校紛争と宗教紛争の事件が多い、今や商事部は宗教部に化した、という話をしていました。」こういう傾向が1995年宗教法人オウム真理教のサリン事件につながっていく土壌であったのだと思う。


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2004年04月18日(日) 086 gn

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岡田光玉の御神示

真光文明教団代表役員地位保全事件。簡単にいえば、光玉の葬式後、関口氏と岡田甲子氏が2代目を争って起きた裁判で、これに負けたから岡田甲子は今後真光文明教団のマークや名称を使えなくなって(関口側によれば当方とは一切無関係)しかたなく「崇教真光」という名称の別教団を起こさざるを得なかった。

これが客観的な真相である。負け戦で転んでもただでは起きないしぶとさなくしては、楽して金を儲ける宗教商売などできるものか。人類救済の前に裁判で追われた自分たちの救済あり。そのしぶとさに感動する人が信者になるべきなのだ。

さて甲子側は、自分たちの主張を通すために、本来秘物であるはずの、光玉自筆の「ご神示」を法廷に証拠として提出した。そこにはじめは「山本」というハンコを押した封印をしていたことは、前に述べたとおりである。すごいですね、ご神示にハンコで封印とは。それでもバチあたらないのだから「みそぎ」はどこからくる不幸なのでしょうか。

宗教法学会報第5号(1986,11)には光玉の「ご神示」の提出されたものの通りに紹介されています。かなり長いです。崇教真光の信者の人は、次に掲げる大切なご神示をテキストで教団から指導して頂けましたでしょうか。多分されてないと思います。由来を正しく解いたら、いろいろバレてしまうから。どうして裁判所や一般人のほうが光玉大先生の「ご神示」を
見られ、信者は献金しているのに(見物料を払っているのに)見られないのでしょうか。光玉の死直前の、いわば最終メッセージは次のように紹介されています。

宗教法学会報では。

「12日午前11時お伺い
 午前10時起きていそいで書き直し
 13日2時 11時と思う
 幸子に「あす11時だよ」と」

延々とつづく。

教団財産名義変更図の前に裁判所に岡田甲子から提出されたご神示。山本のハンコで封印したご神示。山本とはおそらく証人として尋問されている「山本昌彦」だろう。右翼団体「興民会」の理事にも「山本昌彦」という人物がいる。それを中外日報の関口氏サイドでは「山本正彦」と書いているが、誤植か悪く取れば故意にこの人物を間違って表記したか。つまり「宗教団体幹部にして右翼という素姓」まで洗われるとまずい。敵は甲子だけでよろしいと。これはうがった見方である。裁判所資料ではこの人の名は何回も「山本昌彦」で出ているからこちらに間違いない。

さてご神示である。

「13日夜
 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ
 しばらくくちゃくちゃ 御聖地と造営着手御伺い
 考え考えよ しばし右横へ 方向
 守るよ 高天原守らむなれど 時悪し
 神守るなれど
 遅いよ遅いよ アマハラ 鎮護せしめん
 胆なり
 ヤマト人 遅いよ遅いよ 時悪し
 しばし 時を見よ(11日夜のこと金星すてぬなれど ここ運つきよ)

延々とこのようにまだつづきます。

「しばらくくちゃくちゃ」「ここ運つきよ」がおもしろいことばだなあ、何とはなしに老人が背をまるめ口元をもぞもぞさせて「俺の寿命もこれまでかな」と呟いている様子などが連想される語感。おもしろいね。これがご神示というのかと裁判の資料でわかるのです。

裁判所に岡田甲子から提出されたご神示文の続き。信者の方に伺います。このご神示をご存知でしたか?

「神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ
 玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、
 あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に
 ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ
 間に合わず 此地 時をまて
 8月10日27
 所 与えられん
 思い立ったら吉日よ
 もう一度 ほかの仕組みで 力
 外に うまく そらさんも」

*この部分まで出ています。またもっと整理されてないほかの部分は直筆を写真に撮ったもので出ています。そこには「gelkも?」という横文字もあります。

さて宗教法学会報第5号(1986.11)では、このご神示を甲子氏が「私が2代の証拠はこれよ、ヨのみ霊もちて娘に与えよ、とあるのが父の遺品を熱海で整理してたら見つかったの」
と出された秘文、ご神示。

大野正男弁護士の解説によれば、先ず次の点が押さえられています。

「本件では、最初に『秘文』があったわけではない。幹部通夜での発表があります。(補足:2代は関口さんにお願いしなさいと先代はいったと甲子は幹部達に伝えた)武道館での葬儀の際の発表があります。(補足:葬儀列席の大勢の組み手に松平事務長から、2代は関口さんと先代はいっていたと甲子様が聞いたことを、ここでもそのまま皆さんにお伝えします。とのスピーチ)これらは、裁判所はもとより通常の世俗人によっても容易にその存在と意義を理解できることです。」

「ところが、甲子側は、それと正反対の意味内容を有するものとして、 『ご神示』なるものを法廷にもち出した。」

*このように本当の経緯が説明されています。

また大野氏は次のような指摘もされています。これは教団財産名義変更図をひとめ見ればもっとも腑に落ちる指摘であります。

「しかし宗教団体に関する紛争といってもその実質は、多分に跡目争い、財産争いという世俗的紛争を伴っていることが多いのですから、できるだけ教義解釈の内容に入らずに、世俗的に充分理解しうる諸事実を判断することによって、紛争に対する実値判断をすべきではないかと思います。」

*また次のような厳しい指摘も。

「この事件(世界真光文明教団代表役員地位保全事件)でも感ぜられましたように、故意に教義的粉飾をこらすということもありうると思われるからです。」

*これは重要なポイントで、「ご神示」さえも手玉にとる一種の野蛮さを甲子以下幹部たちに感じてしまうのです。「光玉という死人に口なし」という所業にも見える。だったら霊なんか説くなと。


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2004年04月17日(土) 087 gn

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七億円余の横領を告訴

中外日報、昭和57年9月8日の記事の小見出しである。宗教法学会の大野正男弁護士の、この事件に関する研究発表は、前出の通り、「ご神示」という本来裁判になじまぬものを、裁判所が代表役員(巷でいう教祖)の後継者の証拠として提出された場合、どのように対処したか。これについてであり、金銭については触れられておりません。

しかし、中外日報の次の記事を読みますと、ご神示など吹き飛ぶ、金銭に対する異常というか、世俗そのものだから正常というか、悪徳金融業者顔負けの修羅場があった事を察するのであります。

中外日報、昭和57年9月8日
次のような書き出しで始まる。そのまま抽出がわかりやすいと思う。参考として「預金名義変更図」が掲載されている。
「七億円余の横領を告訴」

「昭和52年2月24日に東京地裁の本案判決、同3月31日に東京高裁の仮処分と勝訴した関口教え主は、念願の本部(田園調布)に戻り、教団を一本化し、教団使命遂行に邁進せんとした。」

*関口氏サイドだから、「邁進せんとした」という表現なのだろうが、裁判の事実経過の論述は、このシリーズは裁判所サイドの資料と照らしても、いささかのくるいもない。だから、「宗教関係判例集成」(第一書房)という本来、司法関係の基礎資料集でも、本件の参考文献として、今掲げる「中外日報」のバックナンバーを出しているのである。中外日報の内容がめちゃめちゃだったら、「判例集成」には紹介されない。

「しかし、それまでの2年半に、教団は恵珠氏およびその側近の完全な”私物”と化しており、荒廃をたどっていた。」

「初代教え主の死後、恵珠氏とその側近は、すぐに教団の印鑑および会計帳簿、預金通帳、預金証書、組み手名簿(信者名簿)等の重要書類を関口教え主に渡さず、事実上支配していた。」

*「2代は関口さんに」という初代の遺言を、恵珠は自分の口でいったんはおおぜいの幹部に申し渡したにもかかわらず、その後豹変したのは、”預金通帳”を渡したくない。この部分をみていかないと明らかにならないだろう。

「あまつさえ、虚偽の代表役員登記ばかりか、教団の預金も教団代表役員岡田恵珠名義に変更してしまい、重要な教団の財産を、ほしいままに管理支配していた。」

「そしてこれらの偽装の事実は、三十万組み手に何ら知らされることがなかった。」

*この部分は、「信者に知らされてないぞ」の部分は、関口サイドがくりかえし「中外日報」というメディアで叫んでいる訴えである。この方正直だと思います。このような部分では。そういう宗教トップはあまりいないのではないですか。隠すばかりで。

「昭和52年4月6日、東京高裁の判決にもとづき関口教え主の委任を受けた弁護士、執行官は教団本部で恵珠側に、教団財産の引き渡しを求めた。ところが本部からは、既に帳簿類等の重要書類から什器備品に至るまで、めぼしい物は総て持ち去られていた」

*「夜逃げ屋」という映画のワンシーンを連想させる。執行官が行ったら、什器備品に至るまで、めぼしいものはすべて「夜逃げ屋のように」持ち去っていた。というのがなんとも。宗教とは思えませんな。恵珠もからくさの風呂敷に、めぼしいものを一杯つめて運び屋を手伝ったのでしょうか。よいとまけ精神ですな。
 
教団の金の名義変更は複雑だ。が、裁判の結果と連動してコロコロ名義が変わっていくことに注意。中外日報の説明図によれば、昭和52年3月10日新設の「世界本山御造営奉賛会」の名称で29億5000万円の口座があった。通帳の代表は「高橋美枝子」 この女性は警備部長・友森清晴(関口氏によれば、甲子を操るフィクサー)の娘であると。そして「組み手(信者)ですらない」手かざしなど信じてない女性ということか。関口氏は信じているから2代を主張するのであって、「組み手ですらない女性」という言い方も無理はない。

29億5000万円は通知預金であり、
通帳NOは、No960−088
      No960−054

この3月10日新設の7日後、高橋美枝子の父、友森清晴の口座に別にプールした金から7000万円が送金されている。組み手は誰に金を払っているのか、このことが中外日報に詳しく出ている。設立当初からこのありさまなのだから、土下座されても入る気がしないと思われるが世の中にはきとくなかたもいらっしゃるようである。知らないからでしょう。

これが、中外日報、昭和57年9月8日の見出しである。
「預金名義変更図」が出ているので、それをそのまま紹介する。
Noは、通帳Noを指す。

「預金名義変更図」

三井銀行自由が丘支店
世界真光文明教団
代表役員 岡田甲子

定期預金
15億5000万円
(満期S49・3・28)
NO 3920627
(利息5135万2387円)
   ↓S50・7・23解約
S50・7・23新設

世界本山御造営奉賛会
代表 高橋美枝子
通知預金NO 960054
16億0135万2387円
   ↓S50・10・17解約
S50・10・17預け入れ

世界真光文明教団
代表役員 岡田甲子
定期預金
18億0135万2381円
NO 3920627
   ↓(S52・2・24東京地方裁判所判決)
S52・3・10
24億8350万円
  ↓S52・3・10解約(利息5225万7078円)
S52・3・10預け入れ↓

世界真光文明教団    ↓
代表役員 岡田甲子   ↓
定期預金        ↓
NO 920−668  ↓     
1億円         ↓
            ↓

    S52・3・10新設
    世界本山御造営奉賛会
    代表 高橋美枝子
    通知預金
    NO 960−088
    NO 960−054
    29億5000万円 (S52・3・10入金分229万6023円)

これが1本の太いラインであるが、複線もある。その複線から友森清晴の「個人口座」に計1億5000万円送金振込みがされている。

なお再三記すように、高橋美枝子は組み手ではないという。

中外日報、昭和57年9月8日号 もう1本の教団名義金ライン

「名義変更図」
宗教法人世界真光文明教団
世界本山御造営委員会
委員長 天野正勝
普通預金NO 922−900
   ↓入金
S50・7・23新設
世界本山御造営奉賛会
代表 高橋美枝子
普通預金NO 968218
2533万4630円
   ↓入金
   ↓S50・8・29
   ↓S50・10・13
    (前出:NO 3920627
      18億0135万2381円の
        岡田甲子名義定期預金へ入金合流)
   ↓
S52・3・1
友森清晴へ
5000万送金(犯罪事実2)
   ↓
S52・3・10
友森清晴へ
3000万送金(犯罪事実2)
   ↓
S52・3・17
友森清晴へ
7000万送金(犯罪事実2)

*結局、代表者 天野正勝の預金通帳には、信者からの直の集金が図示されているのだが、そこから友森清晴警備部長の個人口座に金が抜かれ、(つまり素直にみると天野と友森はぐる)計1億5000万円は、信者の浄財が友森のポケットマネーになったとみられる。これを(犯罪事実2)として告訴された。全額の詳細は、図以外にもあるのでのちほど。

恵珠を担いだ男達のやりかたは、教団マネーぬきには語れないだろう。友森の娘もそこに荷担して恵珠と預金通帳をいったりきたりさせており、金がこの一味から逃げないようにフォローしあっている図に見える。恵珠とはどんな女なのか?なにやら女詐欺師にしかみえないのだが、金だけみると。すべての経歴を洗ったほうがいいタイプ。鷺宮とよく呼ばれるM資金サギなどによく出てきそうなタイプ。それでまた、この中外日報には恵珠のヒドイ写真が使われており、いかにも険のある、いじわるそうで下種な表情で写っている。訴えているのだから仕方ないだろう。



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参考文献

返事が遅れまして申し訳ありませんでした。

「宗教関係判例集成」第一書房(肌色の表紙)1−10巻ある中で、4(検亡及び5(后亡に、「世界真光文明教団代表役員地位保全事件」として出ています。またそこに名のあがった幹部名で元軍人は、「陸軍士官学校」秋元書房に出ております。

陸士34期からは「大東亜戦争史」を著した服部卓四郎氏が海外の戦史研究家のあいだでも有名です。また、新聞雑誌類に過去に掲載された真光の記事をたくさん集めるなら、宗教情報センターで一挙に検索して、記事を出してもらえます。宗教情報センターは小石川にあります。中立の機関です。もし自分が持っている教団の古い本などあったら、こういう機関に寄贈して宗教研究に役立ててもらうという還元の仕方もあると思います。

宗教に知識のない人が、入信する前に情報として「この宗教はどういう宗教ですか」との問い合わせも多いようです。が、相談機関ではなく、中立の情報機関です。やはりオウム事件以後、こういう機関がたいへん必要だということで設立されたようです。

それから嫌なニュースですが、ゲリー・グリーンウッド氏の私書箱が閉鎖されました。どなたか事情をご存知の方いらっしゃいますか?グリーンウッド氏に来日してもらって、いっちょ講演会でもやって貰えたら非常に良いと思うのでありますが。あるいは、グリーンウッド氏と語り合う豪州3日間の旅とか、心をいやすツアーなんかあったら参加者多いのではないですか?



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2004年04月16日(金) 088 gn

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岡田光玉氏の霊的系譜

注) 「>」で始まる文章は、N氏に対する質問等や他の書き込みからの引用を示します。

八幡博堂(顕正)
内田良平の弟子で大日本生産党の幹部だった人物。 大正期から始めは東京の神保町や神楽坂を舞台に左翼政治活動をしていたが、その後左翼運動から右翼に転向し、内田良平の大日本生産党に発展解消されその幹部として活動していた。

昭和十一年以後、持病の気管支喘息が発病し十年の間病苦に苛まれるが、戦後の昭和二十一年に生長の家に入信して宗教活動に入った。昭和二十三年夏に知り合いから誘われて、始めて心霊研究団体「千鳥会」の交霊会に参加した事をきっかけとして、千鳥会の組み手になって自宅の藤沢で支部をやっていた。

昭和二十七年「千鳥会」は宗教法人「まことの道」に改称したが、昭和三十年の「まことの道」が事実上解散後、元千鳥会の医学博士、塩谷信男(信和)、陸軍軍人、大久保弘一(智明)、映画製作者、中田武雄(華風)と共に山梨県甲府で「まことの道宗像道場」(まことの道協会)(聖和教会)を舞台に、独自の活動を始めている。 後に、この軍人グループから薫陶を受けたのが、S界真光文明教団の教え主、岡田光玉や、富士宮瓊光(ふじのみやたまみつ)である。

昭和三十五年六月、岡田光玉の審神をしたのは、中田華風と言われている。

八幡博堂に付いて記載が有りました。
http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/mediaron-daitojuku.htm

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千鳥会について

「千鳥会」からは、あの「世界人類が平和でありますように」で有名な宗教法人、『白光真宏会』の開祖である『五井昌久』氏も、参加していました。五井氏は当時、生長の家の信者であり、講師も務めていましたが、千鳥会に参加して、自分の守護神から「百知は一真実行に及ばず、誠実真行万理を識るに勝る」という言葉を拝受して、帰宅したその夜、いつものように生長の家の行である「神想観」を行い、統一していると、霊動が起き始めて、閉じた目に霊魂が見える様になったそうです。

五井氏は、それからその霊魂群(実は背後指導霊団だったそうです)と交流してみよう、と決意して、そのまま種種の霊的修行を行わされる破目になってしまい、最後の「想念停止の修行」をクリアして、やっと自分の『神我』と一体になる事が出来た、とその著書の中で語っています。(白光出版、「天と地をつなぐ者」より。)

この「千鳥会」という団体は、五井氏によると、大本教から独立した「日本心霊科学協会」(主催者、浅野和三郎、元・大本幹部)から分かれた会で、主催者は、霊媒師でもあった『萩原真』氏と、塩谷博士を中心に、昭和23年頃、発足した会だそうです。さらに五井氏によると、この千鳥会は、心霊科学協会のように、科学的に霊魂を研究する会ではなく、宗教的、政治的意義を持った神界、霊界、人間界の協力団体で、会員は同志的結合の下に、日本再興、世界救世の大祈願を掲げていたそうです。

そして交霊会が主に行われていたのですが、その中では萩原氏の友人で若くして亡くなったK霊の説明が始められ、その説明の後で、一千五百年位以前に生存していた『大峰老仙』の道の教えが説かれたそうです。この『大峰老仙』は、神界にある『聖徳太子』を中心にいただいて活動しているといわれ、天皇中心主義の、人類救済運動であり、神界霊界には、そうした同志が多数、この肉体界運営のために働いているという事なのだそうです。

現在、千鳥会は『真の道教団』と名を変え、現在は交霊会も一切行ってはいない、との事でした。
http://www.makoto.or.jp

しかし、この『千鳥会』がなければ、白光真宏会の五井昌久氏の存在しなかったという事を考えると、当時、この会はかなり重要なみ役を司っていた会だったのかも、知れません。

後、千鳥会は浅野和三郎系統というよりは、小田秀人の菊花会の系統です.菊花会の機関紙「いのち」に岡田光玉と塩谷博士が一緒に移っている写真が載っていました。(昭和四十四年)

昭和五年十一月三日、大本シンパの小田秀人が中心になって結成された心霊研究団体「菊花会」の設立に関しては同人として岡本霊祥(天明)、大嶋豊(後の東洋大学総長)、出口日出麿、(大本三代教主直日の夫)、小高英雄(大本ヨーロッパ宣伝使)、芹沢光治朗(作家)、笹目恒雄(秀和、モンゴルの笹目仙人)、中野貞四郎(出口三千麿)、岡田健文(大本信徒で作家)、岡村孝(バレエ演出家)、中田武雄(映画製作者)等と並び名を連ねている。

小田秀人は広島の旧家に生まれて親から医者に為るように期待されていたが、帝大と京大を計十年かけて卒業した後、昭和三年十一月『本能の声』を出版して青年詩人として暮らしていた。 小田の元に『本能の声』を読んだ人類愛善新聞記者が尋ねて来た事をきっかけに、大本との係わりが出来て綾部を訪ねて心霊現象に興味を持って「菊花会」を設立するが、一年ぐらいして直ぐに運営に行き詰まって休会してしまった。 

第二次大本事件後には日本国内では解散させられていた紅卍会関係の動きで、昭和十三年頃から呉清源、大嶋豊等と語って日本に於ける紅卍会を設立しようと遠藤柳作、八田嘉明、元陸軍中将松井七夫(松井石根陸軍大将の弟)と活動して、大陸と日本を行き来して国内の紅卍会を復興させようとして「世界紅卍会後援会主事」という肩書きで朝鮮や中国に渡って地下で活動していた。 その一端は昭和十四年に出版された『東亜建設と仏教』(財)仏教連合会編というアンソロジーに結晶されている。 この本に寄せられた執筆者を見れば、松井石根、小田秀人、大嶋豊、大久保弘一、といった後々面白いメンバーである。

心霊研究をしていただけで特高から始末書を書かされた事も有ったそうでだが、特高側は紅卍会と大本の隠れ信者の繋がりを察しての行動かも知れない。

小田秀人と萩原真の縁は、戦前の満州で日高見農場という開拓農場を経営していた若林初枝(旧姓、川上)という女傑で女大陸浪人として有名な人物の存在があった。 東京の高等女史師範学校を卒業した才女で、神道家川面凡児の流れをくみ右翼や左翼の青年達を傘下に入れて活動していた。 若林初枝の父親、川上賢三は日露戦争の後、大連に残って地元の経済発展に貢献していた。 又、この人物は大本の人類愛善会大連支部長の肩書きも在ったので、大本との関係も在ったようだ。

若林初枝はその後夫と離婚して内山若枝と名乗り、日本国内と大陸をまたに駆けて瞬出期没の活動をしていた。 昭和七年頃、成城学園に日本の拠点を造り、宗像三女神から名を取って巴章呂(注、巴は八幡の巴紋から取り、呂とは宮の意味である。)と名付けた。 このグループの活動から大連に満州神社が建立された。

内山若枝は、道院の道名を白光と云い、道院紅卍会の女道社(道院の女性メンバーから構成される結社)のトップだった事もあり、満州大連の巴章呂には八幡神社と老祖を祀っていた。

真の道で現在も唱えられている。

 みちから ちはえて あめつち ゆりませ

 顕彰大神通力

これらの言霊は内山若枝が昭和八年十二月二十三日に霊的に授かった言霊である。

その後は日高みほ子と名乗り、篁白光とも名乗った。 そのグループは《篁(たかむら)の一団》と呼ばれていたという。 戦後大本に入った三浦一郎や小田秀人と懇意にしていた。戦時中は板垣征四郎の特務機関で働き、内山若枝の傘下には、大社教大坂分院の千家尊建、陸軍大佐大久保弘一、萩原真、日高一輝、等が居たのである。

日高みほ子は戦後満州でソ連に抑留されたまま行方不明になっている。 心配した小田秀人が交霊会(成田で萩原真を霊媒に使ったろうから、昭和二十二年頃の事と思われる。)で日高みほ子の生霊を呼び出したところ、現われた日高みほ子の生霊は死人のような顔つきだったので、小田秀人は《日高みほ子はもう死んでいるだろう》と諦めたという。

萩原真、大久保弘一、は昭和二十三年六月結成された千鳥会の中心メンバーである。萩原真は満州の日高見農場に住み込んでいる内に霊能が発揮され、昭和七年一旦帰国後小田秀人等の指導で物理霊媒の才能を発揮し始めたのである。萩原真は日月神示《まつりの巻》の四十九人の御筆先を渡された一人である。

大久保弘一は参謀本部付きの軍人で、二、二六事件の折は決起軍将兵に呼びかけた《兵に告ぐ》《今からでも遅くない》の起草者である。 軍のプロパガンダの担当者であった。 千鳥会の機関紙「千鳥」では篁智明と名乗っている。

萩原真も戦後九十九里でしていた鰯の魚油の精製や製塩の仕事が、昭和二十三年九月のアリオン台風で財産を全て失ったりして大変な苦労したのだが、その前後東京の心霊相談所に所属して、元神政龍神会の塩谷信男医学博士と組んで昭和二十三年六月心霊研究団体《千鳥会》を発足させて、現在の宗教法人《真の道》として到っている。

千鳥会自体の霊的な本源が紅卍会に在り、紅卍会の五教同根(基、仏、回、道、儒)の思想を継承して昭和二十三年頃のフーチの神訓に、

《大和の国、神の国雛型なるにより、外つ国根の国にあれませるもろもろの事共ことに雛型なし大和の国におはすものなり。 宇内に五教あり、天に五気あり、地に五行あり、人に五臓あり、五体あり五感あり。 凡て同じきみの力の現われなせるものなり。外つ国の五教、大和の国に姿をうつして五つの教えと現はれしなり。 (大和の五教とは、天理、大本、黒住、金光、御嶽)五感別々ならざる如く五教亦一々のみにては全くからざるなり。 誠なる爪と牙のとの不用なる神の国のみ姿は、五教一に示されたる五にして五にあらざる一にして五なる直の教えなり真の道なり。、、、、》

中田武雄と大久保弘一は親類関係があったという。中田武雄(華風)成城に住み真の道の《キの宮》というのを、奉祭していた。昭和三十五年六月、岡田光玉の審神をしたのは、成城の《キの宮》に於いてである。

千鳥会及び真の道の機関紙上では岡田光玉(良一)の名を見つける事は出来なかった。初期には千鳥会に生長の家や救世教から信者が流れ込んだが、岡田光玉はもっと後に知って、昭和三十年以降に軍人ルートで真の道協会の方に繋がりが出来たのであろう。

霊的な事柄に興味の在った軍人達がかなり千鳥会に集まっていた事実がある。 岡田光玉のその一人だったと考えられる。

参考文献を入れるのを忘れていました。

戦時中の右翼の動向は、「ユダヤ問題と裏返した日本史」三浦一郎、八幡書店から復刻版有り。が参考になります。

真の道に付いては「真を求めて」萩原真 「飛翔」萩原真追悼集が参考になります。真の道全般に付いては、「人間の幸福」が参考になる。教団本部で購入可能です。

真の道協会寄りの情報は、「霊は生きている」塩谷勉 地球社 平成元年 著者は塩谷信男博士の弟で故人、矢野祐太郎に会った思い出等の記述有り。

小田秀人に付いては「四次元の不思議」潮文社 前記の文は大体この辺を使いました。
 
大概は国会図書館で閲覧出来るでしょう。http://webopac2.ndl.go.jp/ 

千鳥会機関紙 「千鳥」は3冊「真の道」は約3年分「まこと」は全部?入っていたかな。 「真光」は昭和四十四年から入っていたような、ギラギラした表紙が印象深い。

「真の道」誌をコピーして持っていたら、岡田光玉の説経の元ネタが入っていたらしくて、驚かれた事が有りました。フの言霊の吹き寄せ吹き分けとか、台風よけの話等、塩谷博士が執筆した論文から全部移している訳ですね。(台風よけの話は紅卍会が元ネタ)ヨの御霊も元ネタは「千鳥」第7号塩谷博士が執筆した「龍神物語」から移しただけですね。 アカナヒ、カラマラとか真光資料の文脈では意味不明ですが、千鳥会ではちゃんと解説されている。 (この号は国会図書館には架蔵されていない。私所有)何所から引いてあるか知っている人間から見れば、真光の教説はお粗末極まりない物です。
 
「御聖言」の原文が改変されている問題ですが、以前仲間内でも話題に上がりました。「御聖言」を岡田光玉に授けた霊が大峯老仙である事は、「御聖言」の中に所々大峯老仙の口調が残っているので「真の道神示」と読み比べれば一目瞭然、中学生程度の文章読解力があれば異論は無い筈。

原文改変は「寸教」というご教示集もそうで、昭和三十八年?に出た最初の講演録から恐ろしく改変されている。 原文にはアジャパーの世とか落語調の駄洒落満載で下町のオジさんのような親しみがあったが、今のは厳格な文章にされて真の道の用語がカットされている。是ほど教祖の教えが抹殺されている教団も珍しい。(○○真光の事)

数人の真光の古い組み手だった人と知り合いだが、生前の岡田光玉は自分の霊的な背景に付いて隠してなどいず、色々面白い本など教えてくれたと言う。(矢野祐太郎の神霊正典、等) 岡田光玉が急死した後の混乱後、組み手達が岡田光玉の霊的な背景を求めて肝川龍神や天津教などを周って歩いたそうです。

分裂騒動や肝川龍神や神政龍神会に人が流れ出す事に危惧した崇教教団サイドが、岡田光玉の霊的な背景を封印して嘘八百並べ出したのが真相だろう。数人の古い組み手だった私の知り合い達は、岡田光玉の霊的な背景や、自称娘が妾上りとかみんな知っていましたよ。おみたまの中身が呪符に変わったいたとか。 最早まともな霊統じゃないとわかる。

ここまで来ると、岡田光玉も可哀想な人物だなと思う。 教祖が書いた本物の文献を復刻するのも、真相に向かう一つの手立てだと思います。
 
>昭和三十五年六月、岡田光玉の審神をしたのは、成城の《キの宮》に於いてである。

 この情報は、陽文研の古いメンバ―だった人から聞きました。
 崇盟五道という天杖(フーチ)は、前回引用した

>外つ国の五教、大和の国に姿をうつして五つの教えと現はれしなり。
上記の事を指しています。

現在千歳烏山にある「真の道」、甲府にある「真の道協会」は別団体です。 以前昭和二十八年頃まで真の道の中心的な組み手だった柿内さんという方に、私が直接《岡田光玉という人物をご存知ですか》と尋ねたら、同じく組み手だった奥様と口を合わせて《全然聞いた事が有りません》と答えたのです。

因みにこの方も元職業軍人で、戦後パージに会い生きる希望を失い悶々としていた時に、軍人仲間から千鳥会の存在を教えられて参加したそうです。昭和二十八年に警察予備隊(後の自衛隊)に入隊する為、当時は思想関係がうるさく真の道から離れざるを得なかったそうで、面接の時に《真の道は右翼の隠れ蓑でないのか》と質問されたそうで、当時の官憲の考え方が判るエピソードです。

岡田光玉は昭和三十年以降に「真の道協会」と接触したものと考えられます。

訂正 バレエ演出家は、岡村祥三で岡村孝とは別人。二人共大本信徒。

訂正 
>移している
写している

>変わったいたとか 
変わっていた

>瞬出期没
神出鬼没


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2004年04月15日(木) 089 gn

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御み霊の中身について

>>  おみたまの中身が呪符に変わったいたとか。 
>このことについて、詳しく教えていただけないでしょうか。

真光の初期に出していたペンダントは、開けてはいけないという規則になっていたが、その気になれば自由に開けて中身を見れる物だったという。見るなといわれると見たくなるのが人の性、大概の人はこっそり見ているそうです。岡田光玉の出していたおみたまは、マルチョン印、乃至は、ちょん、を書いて聖鳳と書いてあったそうです。

それが二代目になってから、ペンダントがハンダ付けしたような全くあかない物に変えられたそうです。その開かないおみたまを持ったある四国の人が真光に疑問を持って、こんな物いらん、と念を込めたらペンダントがパカッと開いて中身を広げたら薄気味悪い字がごちゃごや書いた呪符だったそうです。
 
その話を聞いた家が、元真光の古い組み手だった方の家だったのですが、その方は岡田光玉在世時真光隊?の隊長も務めていたそうで真光の教義に詳しいのですが、その人も中身が呪符に変わっている事を知っていたそうでした。初代と二代目は霊系が全く違っているという話でした。

文明教団側に行った陽光文明研究会の中心メンバーだった人とも、この話した事が有るが、その話は正しいと認めて崇教の二代目ケイジュは(どうゆう根拠かしらないが)ヒマラヤの系統だという秘説を教えてくれた。

二代目ケイジュを霊的に導いた人物が居るという話も聞いた事があり、確か《東出さん》という名だと記憶しているが、その人の話を聞いた時の霊的な波動が悪かったな。多分、八大竜王の系統だろう。

真光を大本系とか伊都能売思想とかに分類するのが、根本的な誤りがあると思う。いい迷惑です。 はっきりいって八木派ですな。陽光子友の会時代の古い組み手だった「たま出版」瓜谷社長が書いた「無私の愛よ永遠に」の中に、真光の古い時代の話が回想されている。

私ももう亡くなったが、陽光子友の会時代の古い組み手だった女性から其の頃の話を聞いた事があるが、信者が百人位しか居ない頃の岡田光玉は、誰に対しても近づき易い大らかな人物だったという。

最後は何故ああなったかと云うと、岡田光玉の心の中に曇りが有ったという事しかいえない。


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心霊医学会

岡田光玉は昭和三十三年結成された岡田道一の主宰していた「心霊医学会」の理事を務めていた。岡田道一の著書、「霊癒の科学」には賛同者として岡田聖玉の名が掲載されている。

金井南龍主宰、神理研究会「さすら」
その一
金井 石田先生ネ、、、、岡田○○ね、、、話が横に飛んで済まないのですが、何千から何万という具合に信者が増え出すと、、、信者が二ケタか三ケタ位のとき、酒席で一緒に軍歌など歌ったときには、嘗っての軍人のときのスナヲさを裸になってサラケ出しましてネ、、、コイツ、、、好いとこあるわい、、、なんて思ってたんですか、、、いつしか「生き神様」の「積分人間」になって了うと、無学文盲ならソレで押し通せますが、彼は高級将校で理性のカケラがあったでせう、、、それで、、、絶対自己の矛盾撞着を感じていたんですネ。 その統一の場とは死でしたよ、、、

石田 馬鹿と気狂い、、、は長生きすることに、、、

その二
世の中宗教裁判位六ヶ敷しいものはない。 ということを奥弁護士は其の体験からして云われている。 氏の懐旧談は中々蘊蓄に富んで居るのである。
二木博士(岡田道一の間違い)創設の心霊医学会に奥さんと家内(金井)さんは好く理事としてその名の如く隣り合って座ってたものである。

「彼、わしの顔は、人間であるならば、マトモに見られたものでないのに、、、」「狐霊(どうぶつ)だからシャーシャーしてますよ」

これは岡田光玉理事のことについての二人の囁きである。 物価統制時での岡田氏の違反や、彼の女性関係での破廉恥行為に対する数度の裁判沙汰のとき、奥弁護士は岡田の弁護を、両人とも熱海の救世教での顧問弁護士と支部長、知己(チカヅキ)以来、岡田氏の裏切り独立営業での度重なる裁判沙汰で、引き受け、岡田の戸籍を汚させなかった。
(原文、漢字の誤りの他、そのまま)

>不勉強で申し訳ないのですが、「ヒマラヤの系統」「八大竜王の系統」「八木派」という言葉について、解説していただけないでしょうか?

返事が遅れました。 申し訳ありません。
「ヒマラヤの系統」は前に書いたように私にも判りません。 聞いただけの話ですから、、、
「八大竜王の系統」要するにエログロナンセンス
「八木派」大本開祖三女福島久の系統を指し、金毛九尾の霊が懸かっていた。
動物霊に人間が頭を下げるなという事です。

> > 金井南龍主宰、神理研究会「さすら」この文献についてもうすこし詳しく教えてくださらないでしょうか。国立国会図書館などで閲覧できるでしょうか。
「さすら」は国会図書館に架蔵されていますが、あの文章が何年何月号かは明かしたくありません。
資料が破壊隠滅される可能性が有るからです。

私が引用した部分が、総てをそのまま引用していますので御参考に下さい。

奥弁護士は、奥一夫といい救世教の顧問弁護士をしていた人でした。 既に故人ですが、東京弁護士会の副会長をしていた事も有ったようです。

心霊医学会は今では存在しないようです。 岡田道一と二木健三が中心になって発足したようです。岡田道一がずっと理事長をして、二木健三が初代会長、二代目会長が小川勇でした。

>「さすら」は神道研究の学術誌で、たとえば國學院大學の図書館にも蔵書があります。このような書誌にこのような記事がのるとはおどろきです。
>「さすら」は、東京の早稲田にある「日本心霊科学協会」で閲覧出来ます。一部については、貸し出しも出来ると思います。


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八大龍王

八大竜王は元々は仏典に登場する神格で各地に祀られている。大本の流れで神道的に見た場合は、どうも霊的にヤマタノオロチの系統とされている節があるようだ。大本で初めに八大竜王を祀ったのは、兵庫県猪名川町の肝川支部で地元の農夫の妻、車小房(金龍姫)が神懸かって八大竜王を祀ったの最初だが、肝川という土地自体が元々源氏のふるさと多田神社の龍神信仰が盛んな土地だったという因縁が強いと思われる。大正三年肝川開きが王仁三郎によって為されたのである。肝川支部が出口直の三女福島久との関係を強めていったのが原因で、矢野祐太郎が入って昭和九年神政龍神会が結成されていくが、昭和十一年三月二十三日治安維持法適用で弾圧を受け崩壊し、矢野祐太郎が獄死したりした事もあり、戦後肝川支部は大本から独立して大国之宮として独自の展開をする。
 
昭和三十六年矢野新(シン)の努力で神霊聖典が復刊されて、岡田光玉も六甲の矢野新(シン)の住んでいた家に二度ほど訪ねてきたという。岡田光玉は肝川龍神にも顔を出していたという話である。

大本に於いても、肝川支部が戦前から大本本部の意向と違う流れに進んで行ったことの関係もあったか、昭和九年愛知県春日井の玉野川沿いの定光寺という土地に八大竜王を祀り直した経緯がある。大本関係では、八大竜王は二箇所祀られているのである。

大本教学上は霊界物語五十七巻から六十巻が伯耆大山の麓、皆生(かいせい)温泉に於いて口述されていて、八大竜王のタクシャカ竜王の改心の物語になっている。 タクシャカ竜王は海王星から飛来したこの世の悪霊の大元とされていて、オロチ、邪鬼、九尾の狐、三体の邪霊の大元の邪気とされている。王仁三郎はヤマタノオロチが退治されたのは伯耆大山だとしているので、因縁が深い部分である。

私の理解では、良く仏像の中で動物に乗っかった仏像が有るが、動物で表される力(未浄化の心)を、コントロールするすべを示していると考えている。心理学上のイドのような物だと考えている。 
 
霊界物語に於いて、タクシャカ竜王が封印されていた山は、アズモス山とされていて伯耆大山の事とされているが、これは富士山でもある訳である。 素盞嗚尊や大国常立尊が祀られる山に最大の悪霊が封印されていた訳であるから、逆説的な真理といえるが、私は龍神という存在は人体のクンダリニーのようなものと理解している。(龍神は霊的実在として存在するが、これは一つの理解としての解説)

昭和二十二年正月に岡本天明が正味三十分ほどで書き上げてしまった「三貴神像」は天照大神、素盞嗚尊、月読尊、三貴神が八大龍王に乗っている図相である。

龍神神懸かり(ピンからキリまで有るが)の特徴は、大体に於いて酒飲みで色欲に溺れ易いという特徴がある。

> 八大竜王と救い主様のことについて「心は宇宙の鏡 成星出版」という本のP86に書いてありますが、この本によりますと八大竜王が救い主様につくことにより手かざしができるようになったようです。この本の内容が正しいかどうかは調べようもありませんが、八大竜王についてもう少し詳しく教えてください。

この手の話は、岡田茂吉に琵琶湖の黒龍(国祖、国常立尊の事)が憑いた。という話から採ったような気もするなあ。まあ、確かに岡田光玉も龍神系の神懸かりだったことはわかるけど、、、
 
だいたい、肝川神啓の中に高津玉大神なる神格がある。 世界経済担当といいフランスと榛名山が領域という。岡田光玉が金銀財宝をジャラジャラ身に付けていたのを思い出す。 典型的な動物霊の仕業ですな。

高津玉と光玉、言霊的な意味は同じです。(津は助詞、高はコとかカは、古語で太陽の事を指す。)(光玉には、琥珀の玉(ぎょく)という意味も有ったようだけど)


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ラーム

今日、古い真光幹部だった人から聞きました。

ラームという人は、インドからアメリカに渡ったインド人のヨガ行者だそうです。「おみたま」になっていたスイスの高級腕時計は光玉がいつも見に付けていた物だったそうです。その人は、ラームのおみたま(ペンダント)は見た事ないそうです。


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高山が日本の中心

これは戦前巨石文化を研究していた退役軍人の上原清二という人が飛騨高山付近の巨石を調査して、竹内文献の研究者、酒井将軍等を連れて来て盛んに調査していたのです。 戦前の話です。戦後、昭和二十六年頃から地元出身の霊能者の霊示が元になって大本教にいた池澤原次郎という人物が中心になって飛騨の位山を開こうという気運が強くなったのです。 それには、上原清二も参加していたんですね。昭和二十九年と三十年に位山を開く祭典が執り行われています。 この話は昭和二十九年の中外日報に書いてある。 真光が高山の事を言い出したのは昭和四十年頃からだから十年早い。真光如きにはオリジナル等何もないという事である。

ついでに岡田光玉が苦労して九州の幣立神宮を突き止めて参拝したという話があるが、これは如何もうそ臭い。 幣立神宮の宮司、青木蘇陽は昭和二十年代後半から中外日報の常連ライターであり、この青木という人物は自己の所管する幣立神宮の宣伝もよくしていたし、昭和三十年頃には幣立神宮の宣伝をした赤い色の小冊子を発行している。 幣立神宮の「五色人祀り」なんて霊媒に語らせた事が起源になった全く根拠のない絵空事であった。

宗教マニアの岡田光玉はそれを知らなかったとは考えにくいのである。

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2004年04月14日(水) 090 gn

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浮霊現象について

前に一度書いたと思うけど、真光の教義(方向性)事体に霊動《浮霊》と言います。《浮霊》、霊が浮かび上がる事を志向している教団であるという事実。真光は《浮霊》を、人工的(意図的)に引き起こそうとしている訳です。

この岡田光玉の《浮霊》への志向性が救世教を破門された理由で、人間の精神に対して非常に危険な方向性だったんですね。「祈言集」の《ゴクビジッソウゲンシカイ》なんて濁音だらけの祝詞は、普通の神道では在り得ない言霊として響きが汚いものです。態とこうゆうのを使用して人を《浮霊》させるのです。この事を私に教えてくれたのは真光の幹部だった人ですよ。

《浮霊》とか似た現象は気功やブリージングセラピーでも起こりますが、ブリージングは私もやった事あるが隣の人が蛇みたいにのたくっていた。 真光信者なら蛇の霊が憑いていると言いたげな感じですが、ただ副交感神経?だかの問題だそうです。(昔はこの手の情報に詳しかったがもう卒業しました。)暗示を受けやすい状態だから、前以て霊の憑依とか言い聞かせられると、その様な反応をするだけです。ただし霊的存在というものは確固として存在します。 霊的存在として動物霊という存在はありますよ。

霊動《浮霊》について補足しますと、本来は霊動《浮霊》=《悪》という訳ではありません。これらの現象は民間医学でいうが如くカタルシスの一種といえます。例えば野口整体の活元運動なんて、霊動《浮霊》に良く似ています。 これには、創始者の野口晴哉が救世教出身というから当たり前ともいえますが、活元運動で霊が憑いたなんていいませんよ。

霊動《浮霊》に付いては、人間が風邪を引くのは体の調整作用だと言われますが、霊動《浮霊》も交感神経の調整作用の一環と考えています。この手の現象が起きるような場合が想定される時は、シッカリ対処できる人間がいるかどうかという事にかかっていると思います。

>「霊動」は濁音の祝詞が起こす「暗示」と関係があるとおっしゃっているように受け取りますが、それでしたら暗示とは怖いものですね。人を一生縛り付ける。確かにゴクビ云々の語韻はゴクツブシといったののしり言葉などを連想させますが。濁音て、詩でもそうでしょう?

「祈言集」は今手元に無く、その《ゴクビジッソウゲンシカイ》は漢字では極微実相、後は覚えていません。
濁音だらけの祝詞なんて・・・国文学や神道学にある程度の関心が有る方ならば、普通納得される筈ですよね。 真言や呪には有るけど、何処の神さんが懸かっているのやら・・・

>この事を私に教えてくれたのは真光の幹部だった人ですよ。

この方は、真光隊の隊長だったかな務めていた人で光玉死後暫く後に脱退した方なので、《ゴクビジッソウゲンシカイ》の話を、今の幹部が知っているか?というのは私には判りません。

>「霊動」はその動作だけ観察したら、薬物中毒者によくみられる現象と同じです。

上記の内容より私はそうは思いません。 本来はセラピーの一環だったと考えます。

>野口整体って、こんにゃく運動の野口先生ですか?

その人です。野口整体と救世教の関係は余り知られていないようです。

>しかし
>>人間の精神に対して非常に危険な方向性だたんですね。
>ということで、光玉、救世教破門の原因が霊動への執着、関心。

そもそも、岡田茂吉は大本に居た時は神霊実験の研究等をしていた。昭和二十年代、始め救世教主宰で物理霊媒、亀井三郎の実験会の主宰等も有りましたが、救世教の浄霊をしている場に於いて憑依現象が度々起こり、弊害が多いために昭和二十六年頃に教祖岡田茂吉によって救世教の場では神懸かりは禁止されたのです。(天国の礎に確か論文が有ったかな?)

当時、例外として神懸かりが認められていたのは、京都のイズノメ中教会の多賀夫人で、この夫人の取り次ぐ内容が機関紙の地上天国に掲載されていたのです。それに触発されて何人か神懸かりを続けていた人物が居り、岡田光玉も止まなかった一人で遂に破門されたというのが救世教で伝わる話ですね。

当時もう一人神懸かりを止めなかった人物がいて、兵庫県の豊岡に居た池内一次という人物は岡田茂吉から直々に審神を受けて本物と認められたそうです。(岡田茂吉没後、独立してひかり教会を設立した)当時、岡田茂吉は総ての神懸かりを否定していなかったという事実は重要です。


以前私が野口整体と野口体操の創始者は同一人物等良く確かめもせず頷いていましたが、後でよく調べてみたら別人でした。

野口整体 野口晴裁

野口体操 野口三千三
でありました。 いい加減な事いってスイマセン。

フト思ったんですが、此方の皆さんは「教祖誕生」上之郷利昭 新潮社刊という本のことはご存知ですか?  何処かの文庫本にも入っていたが、出版系列からして新潮文庫?この中に岡田光玉の伝記資料が収められています。光玉の家族(妾じゃないよ)とか、古い知人からも取材したようです。 以下引用すると、

しかし光玉はこの頃から既に、宗教の方には相当身を入れていたようである。「神道、仏教あらゆるところを模索して歩いた」と、彼は後年、親しい人たちに漏らしている。として、生長の家や救世教、大本に関わっていたらしいと記述あり。 大本の話は、私自身が大本の人から岡田光玉が大本の講座を受講に来ていたという証言を聞いた事がある。あまりソースとしてはこの本の事が話題に上らないので書いてみました。

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愛人疑惑

今日仕入れた話は、ケイジュが光玉の愛人だった事を如何して当時の組み手たちは判ったのですか?と尋ねたら、

《だって、見たそのまんまだもの。》

二人の中を隠してなかった訳だ。なかなか凄い人達だ。

更にケイジュは光玉死後、日陰葛(ひかげかずら)の愛人の身で操をたてて暮らしていたのかと思いきや、早速お付になったT塚という書道の大家とくっついたというのです。こんな酒池肉林を目の前で見たら、普通の神経の人間なら直ぐ信仰を止めるでしょうな。

光玉死後の分裂騒動というのは、光玉と陸士同期の人間達(その玉がケイジュ)と関口氏の間の権力争いであり、教義不在の金をめぐる争いであったという事実がハッキリしました。この話を教えてくれた方も、何時もはあまり真光の話をしたがらない理由が今日判りました。

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生長の家

岡田光玉が生長の家信者だったらしいという伝見は、前記「教祖誕生」の中に記述があり、生長の家の神示と真光の神示を読み合わせて見れば一目瞭然です。七つの灯台の神示と雰囲気がソックリです。光玉の残した「御講話集」を初めて読んだ時、エドガーケイシーやルドルフシュタイナ―の名が出てきたのには驚きましたが、とても当時の軍人の知的レベルを超えています。 此の辺の情報も生長の家から持ってきたようです。 

光玉、最後の御神示の中《くちゃくちゃ》というのは、真の道の大峰老仙という神霊の語り口調です。 その事実は宗教法人真の道刊行の「真の道神示」を参照すれば歴然です。

前にも指摘しましたが、真光の「御聖言」は真の道の大峰老仙という神霊の神示の口調を改竄したものであるという証拠です。(「御聖言」の文語調の部分は生長の家の神示の口調に由来しています。 これもBOOKOFFの100円コーナーで「生命の実相」を参照して貰えれば一目瞭然です。)

光玉とケイジュは言霊の研究会(真の道協会?)で知り合ったいう話が残っているそうです。 何方か引用していた資料ではケイジュは大月の出身とか、(戦争中知り合ったという話とは合いませんが)実は昭和二十七、八年頃、甲府市に真の道宗像道場という場が開かれていました。 甲府市に真の道宗像道場は、昭和三十年の教団分裂後に八幡博堂側についていました。 大月と甲府は近いですなあ。

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瓜谷社長の証言

岡田光玉に対する初期の気さくで大らかな人物という評価から、後年のブリキを切り抜いたような勲章をぶら下げてとても元帝国軍人とは思えないような歯をむき出した薄笑いを浮かべた教祖御真影になった姿とはどうも一致しない。

それについては、たま出版に瓜谷社長は初期の真光組み手であり、光玉のとの経緯を「無私の愛よ永遠に」平成二年刊に於いて書き残している。

(瓜谷氏の超宗教・超宗派への道の提言に対して)
以下引用

〔前略〕顕著な真光の業の実績などにより信者が増えるに従い、やはり通常の宗教セクトと同じような団体を形成し、数ある新興宗教団の一つとしてひたすら信者数を増やすという量的拡大の道を歩み始めた。

間もなく世界真光文明教団という麗々しい名称の下に宗教法人の認可が降りた。 そしてしばらくは世田谷区にある自宅兼事務所で布教活動を行なったが、本部になる殿堂の建立の計画がされ、東横線沿線の格好な土地が求められ、その建設が始まった。 その着工に先立つ地鎮祭の時、私も妻もその式に列席した。 式の途中、何故か物凄い突風吹き、周囲に張られた式幕が風で吹き飛ばされそうになった。 妻はこの余りにも強烈で、突然の風が、何かの予兆だと言い、本教団の前途が波乱に満ちたものであることを示すものと私に語った。

そしてこの予言は的中した。 本殿ができたのが昭和四十三年三月、その後教団自体は大いに伸びたが、初代教主O師(光玉の事)はその六年後、昭和四十九年六月、この本殿で、突然の急死をしてしまった。 その直後から後継者をめぐって二人の人物がそれぞれの正当性を主張し譲らず、遂に裁判まで持ち込まれ、その決着に五、六年を要した。 その結果一方が名称を変え、同じ教義の下に、同じ初代教主をいただいて、宗派活動をするようになり今日に至っている。 間もなく正式名称継承した方の教団から、第三代を名乗る人物が現われ、別派をつくり三つの教派に分裂してしまっている。

思うにこれはあらゆる宗教セクトが陥る宿命的な運命である。 宗教の時代はとっくに終わっているのに、現世的な名誉や財産に捉われ、神の経綸を説きながら、自らはそれを実践できないでいるこの悲喜劇が多く繰り返されている。 ああ何と悲しむべき現象であろうか。

この立派に殿堂が建つ前後よく妻と語りあったものである。

「これからの人を教化する宗教あるいは精神運動の場はすべからく幕舎でなければならぬ」そのように神(妻の)から授かったと彼女は何度も私に語ったことがあるが、私もその通りだと思った。 こういう点では不思議なことに、二人は必ず意見が一致し、何の葛藤もなくお互いの心中を語りあうことができた。

この本殿の建立が始まった頃、本来なら幕舎であるべき所なのにという思いと、万時に宗教セクトをますます強化し信者の拡大に走るその姿と、主神の代行者よろしく自らを特別神聖化して行くO師(光玉の事)の行方に、これではついていけないとの思いがつのった。 そしてある日二人で世田谷の本部に伺いO師(光玉の事)に面会した。 その時二人は信仰を離れることを決意はしていたが、いきなりそこまで言うのは、多年導きいただいた教主たる師に礼を失すると思い、その時は取りあえず、道場長、その他幹部的な役をいただいていることを辞したい旨お願いした。

師は顔色を変え、いつもの温顔がきびしくなった。 師は静かに信仰をやめかねない二人の態度に、もしこの信仰を去れば、それなりの罰や祟りがないとは言えない。 またこれから何かにつけ神の庇護を受けられなくなると、翻意を促すように告げた。 厳しい一瞬であった。 入信間もなく訪れた二階にある神殿のあるご本部の日本間である。 師の言葉は、決意の決まったわれわれ二人には空しかった。 しかし温情ある師から受けた現世的恩義は忘れることはできない。 それは感謝せねばならないし、その気持ちは十分あった。
そして師は、その豊かな霊感を見抜いて、妻に、もし将来あなたが、霊的な指導者として独立するなら援助は惜しまない。 だからもうしばらくここで修行を続けなさいとも語った。 しかしそれは妻が最もなりたくないことで、心中はとんでもないことと思ったが、その場ではその過分なお言葉に、最大級の謙遜な気持ちをこめて、師にその好意を感謝しつつも、はっきりご辞退申し上げた。 このような妻には人一倍強い霊感、霊能を持っていながら、これで信者を集めたり、これを仕事にするようなことは全然念願になかった。 やはり本質はあくまで精神世界的な、一求道者であった。 その意味では二人は文字通り、同じ道を歩む互いにかけがえのない同志であった。

このような一幕があって、折角本部殿堂ができたというのに、二人は次第に足が遠のいていった。 どんな立派なものであろうと、いや立派で堂々たる殿堂である程、二人には何の魅力もない空しいものしか思えなかった。〔後略〕

なんか夫婦愛について記述が長いが、奥さんの追悼集という意味合いが強い本なので仕方がない。

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2004年04月13日(火) 091 gn

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大峰老仙


光玉、最後の御神示の中《くちゃくちゃ》というのは、真の道の大峰老仙という神霊の語り口調です。 その事実は宗教法人真の道刊行の「真の道神示」を 参照すれば歴然です。

>勉強不足で恐縮なのですが、最後の御神示というのはなんでしょうか?一般に公開されていないものという事でしょうか?
>過去に書き込みがあったのかもしれませんが・・・・すみません。


>13日夜 神起こし賜う 神前へこい 13日午前2時急ぎ着がえて神前へ しばらくくちゃくちゃ 御聖地と造営着手御伺い考え考えよ しばし右横へ 方向守るよ 高天原守らむなれど 時悪し神守るなれど 遅いよ遅いよ アマハラ 鎮護せしめん 胆なりヤマト人 遅いよ遅いよ 時悪ししばし 時を見よ(11日夜のこと金星すてぬなれど ここ運つきよ)

>神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、 あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ間に合わず 此地 時をまて 8月10日27所 与えられん思い立ったら吉日よもう一度 ほかの仕組みで 力 外に うまく そらさんも

岡田光玉の改編されていない御神示は、もろに大峰老仙の口調そのままであるという指摘です。千鳥会時代、霊の語るところによると、大峰老仙は役の行者の弟子であったという由で、聖徳太子の時代の人物だったそうです。わしは○○じゃよ。という口調で現れて交霊会で喋っていました。

後に作家になった皆川博子は塩谷博士の娘ですが、多感な年頃に千鳥会の交霊会に接してスッカリ霊的なことが嫌いになったそうで、大峰老仙の喋る《わしは○○じゃよ。》という口調が聖徳太子時代の口調とはとても考えられず、特に嫌いだったそうです。その頃の思い出から、「巫女のいる家」「巫女」という作品を書いています。「巫女」という作品は最近、学研M文庫から出たばかりだから大きな本屋で直ぐ手に入ります。

真の道の教義によると、真光霊団の一番上に座すのは聖徳太子という事ですが、真光教団に於いても踏破されているのでしょうか。

>私の所属道場は古い道場です。この間何日間だけ古い資料を公開していました。その中に昭和30年代の真の道の機関紙などがファイルされていました。(びっくり)
当然救い主様の記事もありました。膨大な量だった事と、時間もなかったので詳しい内容までは読み取れませんでした。

それは当然でしょう。 私の会った友の会時代の方(故人)によると、(真の道協会の人が来て)初期の頃(友の会時代)はフーチを良くやっていたそうです。陽文研に居たN氏によると、昭和三十年代の「真光」誌に真の道協会との交流が良く書いてあったとの事です。

因みに光玉の記事があったという「真の道の機関紙」は真の道協会の「聖和」でないですか? (真の道と真の道協会は分裂した別団体です。 その背景は昨年の十一月三日の投稿を御覧下さい。)

>又、教団設立当初の組み手さん、側近に近い人も何名かいらっしゃいます。(ほとんど話す機会はありませんが・・・)チャンスがあればいろいろと聞いてみたいと思っています。

是非お願いします。 初期の信者さんの光玉像と、現在の流布されている光玉像の間のギャップは如何。 歪められた虚像をただす時期にきているのでないでしょうか。

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ス座

光玉最後の神示というものを読むと、

>>神の大ミソギ早足なりし 上 8/25ヤレ玄岳に心むけさせし時、玄光山とおぬし叫たるが、しかりなれど、 あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為 しばし仮に ヨ丈け秘かにもちて(ヨのみ霊もちて)娘に与えよ

気がついたのですが、上記神示の《玄岳》という山は熱海にある山のことなのですね。
http://www.izu.co.jp/~gaigo/hp5.html

又、《玄光山》という山は、ネット検索には引っかからなかったのですが、その正体は如何に?

玄という字はクロとも読みますが、

>あの時は玄は暗し クライ出思い出さしめん為

クロ クライから飛騨の位山(くらいやま)が連想されたのでしょうか?
文明教団のス座が熱海にあることと、崇教のス座が飛騨高山にあることとは、何か関係があるのでしょうか?

これ一冊でまるごとわかるシリーズ「2」 「古史古伝」論争 新人物往来社刊 という本を読むと、真光では(文明教団と崇教どちらの事か判りませんが)熱海の日金山や三重の御在所山に世界本山を作る話があったとか、書いていますが背景的には如何なんでしょうか。

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人類の母国「神国日本」

神保町で海軍大佐犬塚惟重の《人類の母国「神国日本」》昭和十八年刊というパンフレットを買い求めた。犬塚大佐は戦前、上海の特務機関長でユダヤ研究の分野で有名な人物であるが、逆にこの手の国体明徴の志向が有ったとは、私は最近まで知らなかった。

《人類の母国「神国日本」》の内容は、世界の古代文化の源流は日本にあるという世界観で、インカ・マヤ文化を始めアトランティス・ムー・レムリア文明・聖書ユダヤと日本の関係・民族移動説・地質学・考古学から見た日本原人(明石原人)飛騨高山の巨石文化・ボリビアの神代文字等の存在を根拠として《世界の古代文化の源流は日本にある》としている。これらの仮説を大きく裏付ける根拠として古文献(竹内文献の事・当時は天津教裁判中で名称を使う事が出来なかった)や契丹古伝の存在に大きく依存しているのである。まともに考えれば承知するにはかなり困難な珍説歴史を、戦前の有名な軍人達が信奉していたという事実には、いささか困惑するものである。

《人類の母国「神国日本」》は戦前一部の皇道派国体論者から支持された所説を纏めたものであるが、この本の内容(世界観)は、後の真光の教義と著しい類似を示している。 岡田光玉、本名良一が戦前、この手の国体論者のグループに属していた今のところ記録はない。というより岡田光玉の所説を読む限り、本から得た着想である事は明白である。

《人類の母国「神国日本」》の主張は、戦後は一般から顧みられるような事は無くなっていったが戦前学説?とされて公表されていたものが、戦後になって宗教の教義として登場したことには、真光という存在は、遅咲きのあだ花のような存在であったといえるだろう。


>...アトランティス大陸とムー大陸はかつて、水爆をも用いた大規模で悲惨な戦争をしました。さらに、金星やその他の惑星の霊たちとこの世の肉身をもった人類との間の戦争が起こりました。こうして、その戦いに敗北した霊の系統の者たちは、霊的に非常に強い恨みを現在の人類に対して持つようになりました。本当のことを言えば、現在の人間に憑依している霊の多数は、そのような霊たちなのです。

>神の力を以ってしても、憑依霊が人々の身体から長い間離れないこともあります。その理由を言いますと、ある程度までは、現実の人間の歴史の中で勝ったり負けたりしてきた霊の系統間の争いが、まさに今この現在まで続いているからなのです。現在、強い憎しみと恨みを持った霊たちが、現在の人間が幸せな世界を建設するのを邪魔するために、一致団結しています。言い換えれば、そういう霊たちは組織的に行動を起こしているのです。

>さらに、そのような霊たちは、また他の惑星からの霊たちまでもが、今日の人類の中に紛れ込み、人類の中に転生してきています。例えば、ムー大陸によって破壊されたアトランティス文明の人々は、今日の人間に霊として憑依するだけでなく、実際に、この世界に人間として転生してきているのです。さらに加えて、憎しみを持った霊はそのような人間たちと一緒になって、憎しみに満ち溢れた恐ろしい世界を作り上げようとさえしているのです。これが、現在起こっていることなのです...

上記の説(岡田光玉氏によるアトランティス霊障説 (4.真光、ムー大陸、そして天皇崇拝 参照))は、アメリカで1950年代に流行ったシェーバーミステリーが元でしょう。
SFマニアなら大抵知っている事では・・・

この手の翻訳本も昭和三十年代に、Rディクホフの「アガルタ」とか密教科学社なんていう処から出版されている。 持っていたけど、古本屋に売っちゃった。(高く売れた!)
「アガルタ」の口絵は、仏教徒と称するRディクホフの怪しい写真が載っていた。 この手の本を読んだんだろう岡田教祖は、どう見てもペテン師に思ったけど、気付かなかったのか?

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前に岡田光玉のUFO(宇宙)の話はアメリカのシェーバーミステリーの影響だろうと指摘しましたが、この番見ている人達は知らないようですなあ。 
他の人がNASAが如何のと、一生懸命反論しているのが可笑しかった。

今の世代の人は岡田光玉が影響を受けた戦前の国体主義者の把握が出来ていないと思います。
馬場さんが以前に批判いていたエタとユダが通音という教説は、オリジナルは確か小谷部全一郎か石川三四郎の説だったと思う。(違ったとしても同時代の誰かの説で、本で読んだ事がある)

この分野は余り参考文献が無いんだけど、一つ挙げると「偽史冒険世界」長山靖生 筑摩書房があります。 (トンデモ本解説書の体裁ですが)

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(注 丸付き数字を「」付きに変更、(5.真光、ムー大陸、そして天皇崇拝 参照)の5を4に変更)


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