言の葉孝

2007年06月24日(日) レノボT61

 新しいパソコンを買った。レノボのT61というA4サイズのノートブックパソコンだ。
 というのも、過去数回ぼやいてきたように、長く使ってきたiBookはどうにもインターネットが遅く、mixiやブログ類は相当時間をかけなければ表示できない。

 インターネットだけならMacBookなどでもよかったのだが、今回はあえてWindowsを狙った。マイナーでこだわり甲斐のあるMacintoshも好きだが、Windowsが嫌いなわけではない。

 むしろ、大学時代にわざわざ期限が切れるごとに手続きをして借り続けてきたPanasonicのLet's Note。これでインターネット上のアマチュア無料ゲームなどを楽しんだのに味を占めてしまったことがかなり大きかったりする。

 ということで、買っては見たものの、ちょっと早まった真似をしてしまったのではないか、と思っている。
 というのも、僕が買ったのはVistaだ。じつは、インターネットでダウンロードできるゲームのいくつかはVistaには対応しておらず、プレイできなかったりするのである。

 なんとなくこれから会社でもVistaも使っていくことになるだろう、と先駆けて慣れようとこっちを選んだし、新しいものは古いものの機能をすべてカバーしていて当然と思っていただけに、その事実はちょっと残念だった。

 インターネットもなぜか込み合ってくる午前0時ごろになると、期待していたほどの軽さを発揮しなくなるし……新しいPCに一抹の不安を感じなくもない。


 ただ、新しいIEのインターフェースでちょっと嬉しいのが「タブ」である。
 今まではリンクを別窓でどんどん開いていくとウィンドウがたくさん発生し、管理が大変になるが、Vistaではそこでひとつ工夫をしている。

 「ウィンドウ」という単位の下に「タブ」という新しい単位を設けているのである。
 説明は難しいが、つまるところ「ひとつのウィンドゥで複数の画面を管理できる」ということだ。

 たとえば、あるサイトでリンクをたどるたびに別窓が出てくるページがあったとする。そのサイトひとつのためにいくつもウィンドウが立ち上がり、下のメニューバーを埋め尽くされるのは少々いただけない。
 そういったとき、サイト単位でひとつウィンドウにまとめるということをやっておけば、複数のサイトを同時に参照するときに便利だ。

 もうひとつ便利そうなのが、「戻る」&「進む」ボタンだ。ブラウザの「戻る」、「進む」がキーボード上のボタンとして存在しているのである。
 ただし、その存在はカーソルボタンに隣接しており、基本的にページのスクロールはカーソルボタンで行っている僕はよく打ち間違って前のページに戻ってしまうので、いくら便利ボタンでも今のところはむしろ邪魔なのだが……。

 とにかく、僕にとってPCは人生に計り知れない影響を与える存在だ。初めて自分の財布をはたいて購入したこのレノボは僕にどのようにかかわってくるのだろうか。





web拍手レス(まだまだ勝手がわからなくて使いにくいよ、Vista)

>しばらくこなかったうちに文体が保守化されたような・・・?

 「文章が安定した」というほめ言葉とも、「地味でつまらない」という指摘とも取れるコメントですね……。
 「保守化」という言葉を使っているところ見るとどうも後者の意味合いのほうが強そうですが。

 “まほゆめ”の場合は自分の小説家として成長するための作品と自分の中でも位置づけている作品なので、今の文章に疑問を持てば、こんごどんどん変わってくる可能性があります。
 とりあえず、そういう意見もあったと心に留めて、精進に励みたいと思います。


2007年06月17日(日) 戦う司書シリーズ


 仮配属から2週間が経過し、大分させてもらえることの幅が増えた。電話番だけから、伝票処理、金曜日には見積書を書く練習もさせてもらえた。
 こうして段々できることが増えていくのだろうが、責任のようなものも同時に増えていく心地もする。この高い緊張感からはしばらくは抜けだせそうにない。


【戦う司書と恋する爆弾(山形石雄/集英社スーパーダッシュ文庫)】 評価:A

 ところで、図書館から借りたライトノベルで集英社スーパーダッシュ文庫の『戦う司書シリーズ』を読んだ。前に人に勧められていたのだが、先日不意に図書館で1〜4巻まで揃っていたのを発見し、借りて読んでみることにした。

 死んだ者は『本』と呼ばれる石になり、それを読むことで死んだ者の追体験をすることができるという独特のシステムがある世界を舞台にした物語で、それがゆえに世界観もかなり新鮮なものがある。

 シリーズの主人公はハミュッツ=メセタという『世界最強の武装司書』であることから、このシリーズは“まほゆめ”もその中に分類されるらしい“主人公最強モノ”かと思われたが、実は全く違ったものだった。

 このシリーズではハミュッツの他、各話個別の主人公が設けられており、実質的に話はその人物を中心に展開される。(というか、話によってはハミュッツは“命を狙われる存在”として以外ほとんど話に関わらなかったりする)
 そのストーリー構成は同じ小説家として、脱帽ものの上手さが感じられた。特にシリーズ最初の『戦う司書と恋する爆弾』は秀逸だ。

 シガルによる“爆弾人間”をつかったハミュッツ=メセタ暗殺作戦と、その爆弾人間が“本”を通して、千年前の人物“猫色の姫様”に抱く恋心。どう考えても繋がらないはずの全く違っているはずの話が、その実繋がりを見せる伏線があり、「どうなるんだ?」と、終止考えながらついつい読みふけってしまう。
 そして、結末にはその二つの話は見事に繋がり、納得感を与えられる。

 ある程度の読解力は必要だが、ジャンルに縛られない物語であるので、どんな人でも楽しめる作品だと感じた。


2007年06月03日(日) 仮配属

 新人研修も一段落付き、金曜日の1日に仮配属としてそれぞれの部署に移され、OJTがはじまった。配属されたのは「ソリューション事業本部営業事業部第2ソリューション営業部」と名乗るのに一苦労ある部署だ。SE志望でこの会社に入ったつもりだったのだが、結局は営業でおさまったらしい。
 多分、電器店でデジカメやらファックスやら売っていた経験が利いたらしく、内定直後の面談で既に営業向きじゃないかと仄めかされていたので、予想はしていたのだが。

 今までは、同じスタートラインに立った同僚だけが周りにいたが、今回は全く逆。先輩しかいない。社会人とあって求められる気遣いもシビアだ。最低この1ヶ月は新入り扱いで許されるだろうが、それ以降はそうはいかない、という話だ。その間になんとか覚えられるようにしなくては。


 話は変わるが、『ダヴィンチ・コード』で世界に名を広めたダン・ブラウンの『天使と悪魔』を購入して読んだ。小説版を読んだ人なら知っているだろうが、『ダヴィンチ・コード』は“ラングドンシリーズ”の2作目だ。『天使と悪魔』はそれ以前のシリーズ1作目にあたる作品である。

 批評家でもない、アマチュア作家の僕がいうのもおこがましいものがあるが、『ダヴィンチ・コード』を読んだ時点で、ダン・ブラウンはあまりストーリー構成には才覚が見えない作家だと感じていたが、この二つ目の作品を読んだ時点でそれは確信に変わった。

 大まかなストーリー構成が、『ダヴィンチ・コード』と全く変わらないのである。

 何か秘密を抱えた被害者、そしてその肉親であるヒロイン。
 事件に掛かる一つの謎を説くために、実際にある芸術作品に隠されているヒントを辿っていく展開。
 主人公の行く先で次々と人を殺していく殺人者(但し、主犯ではない)。

 「このまま展開が同じなら犯人はコイツだろう」と、根拠もなくキャラ位置だけで推測していた主犯が大当たりだった時には本当に呆れたものである。

 『ダヴィンチ・コード』のヒットを受けて、改めて文庫化にするにあたって書かれたらしいこの作品の解説でも、“共通する部分が多い”が『ダヴィンチ・コード』よりも優れているのではないか、とさり気なく述べている。
 “共通する部分が多い”どころではない。ほとんどパターンだ。気分的には同じ造りの建物で、中身の彫り物などの細かい装飾が違っているといった感覚である。

 だが、もともとそういったストーリー構成にはあまり期待せず、話の中に盛り込まれた美術のウンチクに期待して買った本なのでまあそれはイイとしよう。だが、『ダ・ヴィンチコード』とくらべると、そのウンチクもあまり足りない気がする。
 感想としては「イマイチ」という他ないが、このラングドン・シリーズに使われている舞台と美術作品は現実にあるものを使っている。それらを組み合わせてこれほど説得力のあるミステリーを作れるのは素直にスゴイとは認めている。




web拍手レス(拍手コメントなんて久しぶりなモンで一回スルーしてアップしちまったぜ)

>「ラブラブコンビですねぇ♪」

 ハイ、イユエール編で書きたかったことの一つには、あの二人の距離を縮めることも入ってます。
 しっかり伝わっているようで、嬉しいです。(そりゃ、あれだけしつこく書けばなあ)

 ………

 ………

 ………

 ………か、彼女ができたことないからってリクがうらやましいなんてコトないんだからね! 妄想なんかじゃないんだから!

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