言の葉孝

1902年02月09日(日) 呪縛の蝋・6

呪縛の蝋





 翌朝、朝食の席でもう一泊お世話になることを三沢家の人たちに伝えると、離れに戻った赤羽教授は千鶴と向かい合って座った。

「では、昨日の儀式について話そうか。もっとも君には検討がついているだろうが……」
「“蝋人形になってしまった人たちを人間に戻す魔術”、ですよねー」
「そのとおり、“蝋人還し”と私たちは呼んでいる」

 少し考えれば分かる。村人はこう信じている。あの六体の蝋人形は魔術によって生身の人間が変えられたものだ、つまりあの蝋人形はいなくなってしまった村娘たち本人である、と。そして魔術で蝋人形になってしまったのなら、魔術で元に戻すことができる、そう考えてもおかしくない。

「あの魔術儀式ってどこから出てきたんですかー?」
「伊戸部の研究メモが自宅に残されていたそうだ」

 人間を蝋人形に変える魔術、蝋人形魔術のうわさが広まったのも、この伊戸部の言動のみではなく、そうした形に残ったものが元になったのだろう。
 そのメモには蝋人形から人間に戻すための魔術の記述があったらしい。何のためにはわからないが。

「いつか自分自身も蝋人形になってみたくなったとき、元に戻すための手段がほしかったのかもしれないな」
「でも、何度もやってるんでしょうー、“蝋人還し”。なのにぜんぜん元に戻らないんですかー?」
「“蝋人還し”は未完成の段階らしくて、今の状態では成功確率は千分の一らしい。だから何度やっても成功しないし、困ったことに一年に一度しかやってはいけないことになっている」

 だから、死者の魂がうろつく盆を選んで行っているのだ。

「ふむふむ」と、千鶴は教授が述べていく事実を手早くノートに書き留める。「ま、アレについてはこんなもんかなー」

「これからいろいろ聞いて回るのかね?」
「ええ、そうですよー。まー、教えてくれるとは限りませんけどねー」

 元々、この旧白灯村は現在外部のものが立ち入れないことになっている。そのルールを破ってここにいる千鶴は、住人の信頼がまったくないために、行動はかなり制限されるだろう。
 覚悟の上だとはいえ、これからする苦労を思い、のんきそうな笑みに苦味を走らせる千鶴に、教授は封筒を差し出していった。

「君の身元を私が保証すると書いた手紙だ。もし拒否をされてもこれを見せて説得すれば何とかなるだろう」
「え、本当ですかー?」と、ぱっと表情を明るくして千鶴はその手紙を受け取ると、ふっ、と思ったことを聞いてみる。
「教授って、この調査にはあまり賛成してないように見えたんですけどー、急に協力的になったりして、一体どうなって欲しいんですかー?」

 教授は数秒間、千鶴と目が合ったまま沈黙していたが、やがて意味深長な笑みを浮かべて答えた。

「知られるのは怖い……が、知って欲しい。それに尽きるよ」



 外に出ると、強い日光が千鶴の肌を焼き始めたのを感じた。光にはわずかながら圧力があるというが、夏はそれを実感できる季節だ。紫外線は肌に悪いが、昼間に唯一見える星である太陽の美しさが一番映える夏を、千鶴は気に入っている。

「まずは交番かなー」

 三十年前の事件だがまだ当時のことを覚えている警官がいてもいい。
 交番の場所はわからないがおそらく村の中央部のどこかにあるだろう。公的機関はすべてそのあたりに集中しているからだ。
 時計をみて九時を一,二分過ぎたのを確認すると、目的地を決定し、いざ進もうとしたそのとき、先ほど千鶴も出てきた玄関扉が開く音がした。

「ちょっと待ちなさいよ」

 振り返らなくてもこのとげのある口調でわかる。千鶴は肩越しに目をやると、案の定雛子だった。睨み付けるような眼差しで彼の視線を受ける彼女に、千鶴は口元の笑みを深くし、やや嬉しそうに言った。

「来たねー?」



 昨夜、“あれ”を見た後、雛子に聞かれた。

「……ねえ、どうすればいいと思う?」

 あれほどつっけんどんな態度を取っていた相手にそんなことを聞くとは、よほどショックを受けたのだろう。手に持った灯籠の光に照らされた彼女の顔は薄暗くてもはっきり分かるくらいに困惑をあらわにしている。

「そう聞く人は大体、どうしたいか分かってるんだよねー」
「分かったような顔して言わないでくれる!? どうしたいかなんて関係ない、どうすればいいのか分からないから聞いてるのよ!」

 いささか捻くれた返答と取ったのだろう、雛子は調子を取り戻したようにキッと千鶴を睨んだ。千鶴はその怒りは全く受け取らずに流すが、視線だけは受け取って合わせると、笑いかけて言った。

「そう、君がどうしたいかなんて関係ないんだよー。そして、君がどうすればいいかも関係ない」
「ど、どういう意味よ?」

 意の掴めない言葉に、雛子は少しひるんだように剣幕を引っ込めて聞き返すと、千鶴は相変わらず間の抜けた調子で、だがしっかりとした言葉で答えた。

「僕がやるからー」

 しばらくの沈黙の後、雛子は続けて尋ねた。

「……それって蝋人形魔術の秘密を暴くってこと?」
「そうだよー」
「それで、あの蝋人形が日奈伯母さんじゃない、って証明するってこと? 死体を見つけて?」
「死んだと決まったわけじゃないしー、見つかるって保証もないけどね、最善は尽くすつもりだよー」
「いなくなった人たちが生きてるって信じてる家族の希望を奪うって言うの?」

 赤羽教授が言っていたことを受けて聞いているのだろう。
 希望を奪われることは心の支えを失うこと。真実は知られるべきものだとしても、それを貫いてまで人の希望を奪う権利は、千鶴のような好奇心しか持たない部外者には無い。
 その問いを受けて千鶴は答えた。

「あれは希望なんかじゃないと思うんだー」

「……どういうこと?」
「どう見ても異常だったでしょうー? “あれ”」

 伊戸部老が唱える呪文に合わせて、魔方陣にむかってひれ伏す大人たち。まともな神経でできるものではない。あれはおそらく蝋人形魔術で蝋人形になってしまった人達を元に戻すための儀式なのだろう。
 なぜそんな魔術があるのかは分からないが、それでもあの大人たちは「あの蝋人形はいなくなった娘たち自身である」つまり、「まだ娘たちは死んでいない」ということを信じての行為だ。
 それを教授たちは“希望”と呼んでいるが、本当に生きていると信じているならばやらなければならないことがあるはずだ。村娘たちは死体が見つかったわけではない。ただ、拉致されてどこかで生きている可能性もあるのである。
 それを探そうともしないで、あんな魔術的なものにとらわれている様は、生きているという希望に縋っているのではなく、生きていると“信じ続けたいだけ”なのではないか。
 だとすれば、それは希望などではない。執着……、その“希望”に捕らえられてしまっているという意味では“呪縛”と言って良いだろう。

「呪縛は心を支えない、ただ縛るだけ。だったら、開放してやるべきなんじゃないかなー?」
「で、でも! 真実を知った事でなにかが壊れちゃったら……!?」

 あの儀式にさえ目をつむれば、この旧白灯村は全くの平和なのだ。人口が少なく、住人全員が知り合いのこの状況を下手にいじれば全体がギクシャクしてしまうことになる。

「それなんだけどねー、一応真相は調べておこうと思うんだー。君は事件の関係者と関係が近いわりに事件との関わりは薄いしねー、真実を知った後でこれを公表するかどうか決めるのは君が一番最適だと思うんだー」

 でねー、と千鶴は続けた。

「よかったら一緒に調べないー?」
「え? な、何で?」

 何でアンタなんかと、というより、邪険に扱っているはずの千鶴が誘ってきたことに驚いているらしい。

「結果だけ聞いてもあんまり分かんないかもしれないからさー。調べる過程から見れば、本当に理解できるんじゃないかなー、と思って」

 千鶴の提案と考えに、雛子は言葉を返すこともなく目の前で考え込み始めた。好奇心や責任感、恐れ、そういった感情が複雑に彼女を板ばさみにし、葛藤させている様子が見て取れる。
 だから言った。

「どのみち調査を始められるのは明日からだから、今夜ゆっくり考えてみて。もしOKなら朝九時にここにきてくれればいいからねー」



 そして雛子は現れた。若干の遅刻はギリギリまで悩んでいたからだろう。おそらく窓あたりから千鶴が出かけるのをみて慌てて追って来たに違いない。

「協力してくれるんだー?」
「……自分の中でもやもやしているのが嫌なだけよ」

 そう、雛子は今までと変わらずつっけんどんに答えるが、そんなに毛嫌いしている相手の言葉でもちゃんと聞いて受け入れられる素直さは美徳で好ましい、と千鶴は思った。

「どっちにしろありがたいよー。僕、この村のことあんまり知らないからさー」

 それがはじめに交番を選んだ理由であったりする。狭い地域とはいえ、千鶴にはこの地域の土地勘がない。それが、一番初めに交番を選んだ理由だ。ここならこれから回ろうと思っていたところすべてを聞いて把握できる。
 だが、人間関係をはじめ裏にある事情というものはそこに長期間すんでいないとわからない。これから話を聴きに行く人たちも、見知った雛子が一緒にいるほうが口も柔らかくなるだろう。

「で、どこから行くつもり?」
「交番かなー。事件当時の捜査資料とか残ってるかもしれないしー」

 こうして、千鶴と雛子による蝋人形魔術の謎への挑戦が始まった。


 三十年前、伊戸部礼二が何をしたのか? 何がしたかったのか?

 蝋人形魔術の真相は?

 蝋人形の代わりに消えた伊戸部礼二と六人の娘たちの行方は?


 やるべきこと、解くべき謎は山積している。

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