読書記録

2012年10月25日(木) 消えた女   彫師伊之助捕物覚え         藤沢 周平


 主人公伊之助は岡っ引きをやめ、いまは版木彫りの職人の身でありながら、のっぴきならない依頼を受けて、なかば巻き込まれるように危険な人探しにのり出していく。

人探しとは義理ある弥八という先輩の岡っ引きの娘おようだった。
子供のころから知っていたおよう。母親が小さいときに病気で死に、親一人、娘一人の境遇で、途中から不良とつき合ってグレはじめ、自分を裏切った女房とおなじように、悪い男と一緒になって、消えてしまった若い薄倖な女の面影が、伊之助を危険な人探しの迷路に誘いこんだ。

幼なじみの飯屋おまさや同心半沢など、心通う人たちの協力もあって無事おようを苦界から救いだすことができた。



だがいつも、しあわせというものは、そう長くはつづかないのだ。そして気づいたときには、そのしあわせに、つくろいようもないほど大きな穴があいていたということも多いのである。











2012年10月16日(火) 羅針                 楡 周平



 昭和三十七年。
 三等機関士の関本源蔵は北洋にサケマス漁の航海に出た。航行のさなか、かつてない大時化に襲われ、船は遭難危機に。その時源蔵が思いを馳せたのは、十八年前にサイパンで別れた、今は亡き父親のことだった。父親は言った。「お母さんを助けてやれ」―。
そんな父の言葉を折りにふれては思い出し、母を楽にしたいためその頃としては比較的給料の良かった船員になった。
そして家庭をもってからも妻や子を思いながら数ヶ月に渡る航海をしていた。

 海しか知らない源蔵が 息子との間に溝が出来たことを憂いながら、義父から頼まれた知人の息子とともに南氷洋で鯨を追う航海に出た。
だが 運悪く天候悪化による時化に合い死を直ぐ側に感じながらも奇跡の生還をするのだった。

 今の時代とは違った無骨で不器用だけれど 家族のことはすごく愛している荒ぶる昭和の海に生きた男の物語だった。




ただひとつ言えることは、父の生き様は己が人生の指針となる。
もちろん、針の指し示す方向に正解があるとは限らない。真逆に向うも良しである。要は、親の生き様から何を学ぶかが重要なのだ。そう、親は子の羅針となればそれでいいのだ。











2012年10月05日(金) なぜ君は絶望と闘えたのか         門田 隆将


  本村洋の3300日




 全国で起きる様々の凶悪事件を事件直後は憤ったり驚愕したりして覚えているつもりでも、正直自分と関係がないからかいつとはなしに忘れてしまっている。
だが この事件だけは何故かいつも心の中に残っていた。
最愛の妻といたいけな娘を殺された本村さんが、報道陣の前で語った搾り出すような思いを見たからだろう。
未成年ということで遺族が望んだ極刑が得られなかったことで、本村さんは『犯人を世に出してくれ、私が殺す』と裁判後に語った。
その後 世間で死刑論を論じられるようになったら
『私の妻と娘の事件を題材にしないでほしい』とも訴えていた。

今の裁判は容疑者を守るためのもので、何の罪もなく無残に世を絶たたれてしまった被害者のものではない。

何の縁もない私でも激しい憤りを感じるのだから遺族ならば当然の気持を今の司法は理解していないことになる。

犯人が極刑に処されたところで遺族の悲しみ、無念は決して消えることはないがのうのうと生きていることには耐えられないだろう。

今年の春に刑が確定したが、本村さんのこれからの人生が安らかであることを節に祈りたい。
亡くなられた弥生さんと夕夏ちゃんのためにも。











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