読書記録

2007年07月24日(火) もどり橋              澤田 ふじ子


 年が明けたら15歳になるという秋の日に、お菊は病気がちな母の治療費捻出と口減らしのために三条東洞院の料理茶屋・末広屋へ奉公にあがった

もちまえの向日性と真面目なお菊は他の奉公人ともども一生懸命、身を粉にして働く

ほのかに思いをよせる又七が奉公先の一人娘の婿養子に入ることが決まって、お菊はこれから先は辛い奉公になると思っていたら同じ末広屋にいた
美濃大垣藩十万石御台所組、御賄人十五俵大隈吉右衛門の嫡男で台所奉行の命令で京料理の修業にきている小仲太に妻にと求婚される
国元から小仲太の母がやってきて、「冬の虹は幸せを運んでくる。私を信じて橋を渡りなさい」と、どんでん返しのようなオチだった

結局はこのところ私もしみじみ思うのだけれど、人は上を見るのでも下を見るのでもなく、己の立場をわきまえて自分の成すべきことをすればいいのだと感じている
もちろん夢をもつことや、今に見てろ・・といったような前向きな気持ちを秘めてのことではある



あの時はああだった。こうしておけばよかった。あの<橋>を思慮もなく渡ったためにこうなった。人の一生には目にみえないさまざまな河が横たわっており、一つひとつに橋がかかっている。いったん橋を渡ってしまえば、良いも悪いもまた別な人生がひらける。
悪い場合、渡ってきた橋をめざし、いそいでもどればいいが、当人の属性や人とも関わりは、それを容易にさせてくれない。ずるずる闇への道を下りていくことにもなる。
あの時にああしておけばよかった。
人の一生は悔恨にみちており、いつもみえない橋を想い、往時にもどりたい憧憬を抱いたまま老いていく。
それが多くの庶民の姿であろう。

どこまでもお菊は向日性をもっている。
金持ちはいつまでも金持ちのままではない。盛者必衰は人間世界の哲理であり、貧しい人間でも努力しだいで、
いつかは陽の当る世間に浮かびあがっていける。












2007年07月18日(水) しあわせのゆでたまご         上條 さなえ

 5年生の唯には北斗と天童という二人の弟がいる
が、唯も含めてみんな母親が違う
父親といえばパチンコ三昧の毎日だ
一家の生活費は旅館を経営しているおばあちゃんが送ってきてくれる

そんな父親のもとで唯は二人は二人の弟にも無関心だったけれど
いろんな出来事があって
だんだんと家族というものを考えるようになっていく


 この本の主人公唯には、モデルがいます。
勉強ができて、しっかりしていて、それでいてちょっぴり、コミカルな唯は、私の姉そのものです。
私の姉は、私とほんとうの姉妹ではありません。母は同じですが、父が違うのです。姉の父は、太平洋戦争で戦死しました。
さらに、姉の上に、兄がいるのを知ったのは、私が小学校四年生のときでした。兄と姉は、同じ父を持っていました。私の父は、兄と姉に冷たく当たり、二人を不幸にしました。
でも姉は、私が病気をすると、枕もとにいっしょに寝そべって、「ナコちゃん、早くよくなるといいね」と声をかけてくれました。姉は私を「ナコちゃん」と呼び、私は姉を「マア」と呼んでいました。私は姉が大好きでした。
私が現在勤務する児童館には、父親が蒸発した子どもや、母親が蒸発した子どもも遊びにきます。
のこされた父親、母親どうしの再婚もあります。
「お父さんが、かわっちゃった」という子の眼のなかに、”さびしさ”を感じるとき、私は何もいうことができません。つらいし、胸がいっぱいになります。
そんな子たちに、この物語を贈りたいと思いました。
唯は、北斗を、天童を、どの母たちより深く愛するようになります。二人を
いやします。北斗と天童も、唯を信頼しています。
「親はなくとも、子は育つのです。
では、唯のさびしさを、だれがいやすのでしょうか。ゆでたまごに、それを託しました。
私の姉もそうですが、どんなに過酷な境遇でも、それに負けない強い心を持った人たちがたくさんいます。唯の強い心が、唯自身をいつかほんとうのしあわせにたどりつかせるでしょう。
唯に「しあわせのゆでたまご」があるかぎり、唯は元気です。そう信じています。

           作者  あとがき   より

晴れ。
きょう、しあわせ。
あした、不幸でものりこえられそう。













2007年07月16日(月) さんまシンフォニー          上條 さなえ

 先に読んだ『10歳の放浪記』の作者の出発は児童作家だったので、どんな物語を書かれているのかと図書館で捜してみた

シリーズ物になっているものもあって
さんまマーチ
さんまラプソディー
に続く さんまシンフォニーを借りてきた

9人兄弟の6番目、わんぱくひろしが主人公
建具大工のとうちゃんは、地震・雷・火事・親父に代表されるような怖いけれども一家の大黒柱として威厳も尊厳もあるとうちゃん
そして主人公のひろしがかあちゃんに、どうして9人も子供をうんだのか聞く場面があった
「父ちゃんとくらすとき、かあちゃん、たのんだんだ。花嫁いしょうもいらない。指輪も、一生ほしがりません。そのかわり、たくさんの子どもを生ませてくださいって。とうちゃん、うんっていって、きょうまで、かあちゃんのねがいをきいてくれた。かあちゃんには、なんの才能もないし、働いて、とうちゃんを助けることもできない。たったひとつ、かあちゃんにできることは、子どもを生んで、育てることだけ」

いつかひろしは、さんまを1匹食べたいと願っているようなつましい生活や、家族を大切に思うほのぼのした家庭は・・・今の虐待する親にこそ読んでもらいたいと思わせる物語だ












2007年07月14日(土) 10歳の放浪記           上條 さなえ

 昭和35年、10歳だった著者は父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた。そんな著者を支えてくれたのは、街で出会ったパチンコ屋のお兄さん、やくざのお兄さん、床屋のお姉さん…いろんな人に支えられて10歳でホームレスをしていたのだ。母も異父姉もいたけれど著者の なこちゃん はそんな人々に支えられて、私も覚えのあるやさしかった時代を生きていた。

父との放浪生活に入る前に小学校の同級生と語る場面がいじらしい。
「でも、なこちゃんは、あたいよりしあわせだよ。電器がつかなくても、ガスが使えなくても、お父ちゃんとお母ちゃんがいるじゃん。あたい、早く大人になりたいな。子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、どんなにいやなことだって、がまんしなくちゃならないんだもん」
最近の子どもへの虐待を聞くにつけ、大人はほんとうに心して子供と向き合わなければならないと切に思う。
どの子もかけがいのない宝物なのだから。

物語の最後で養護学校に引き取られることになって池袋の駅から千葉へ行く車中で、付き添いの先生が下手なウソをついて なこちゃん にお弁当を分けてくれるシーンにはほんとうに泣けてきた
「早苗ちゃん、教師にとって教え子はね、自分の子と一緒ぐらい大切な存在なんだよ。菓子パンじゃなく、他の子と同じように、お弁当を食べさせたかった」

その後 養護学園で小学校を終え、中学生になって母親に引き取られお風呂もトイレもない4畳半一間のアパート生活を送る
それでも小学校教員から児童文学作家としてデビューし、埼玉県の児童館館長を務め、県教育委員を経て同委員長にまでなっている
すばらしい経歴だ

逆境に負けないで立派で子供の気持ちが分る大人になった著者に
よく頑張ったね、と私からもエールを送りたいと心から思った



















2007年07月10日(火) 裏葉菊            真野 ひろみ

時代の人柱たらん ! として会津戦争を戦った郡上八幡藩士たちの哀切。

自分は何をすべきなのか、自分には何ができるのか、そして、一体何が世の中の正しい姿なのか。胖之助には何一つ分らなかった。
が、このまま「官軍」が天下をとれば、間違った世の中がやってくるような気がしてならない。
一介の外様藩にすぎなかった薩長が錦の御旗を掲げたとたん、諸藩は雪崩をうって薩長軍に膝を屈した。朝敵の汚名を着るのを恐れ、いともあっさりと徳川家を見限ったのである。
忠義を忘れ、強い者に媚びへつらう人間がつくる新しい日本。このまま「官軍」の勢いに押し流されていけば、この日本はきっと芯の腐った国になってしまう━。
次男ゆえ冷や飯食らいの胖之助だが、勤王と佐幕の二俣をかけた藩の企みなど知る由もなく脱藩して、自分の手で世の中を正しくするため会津へ向かったのだった。
会津が滅び官軍の勝利となってからは、胖之助たち脱藩藩士は国元へ護送され幽閉された
そんな藩士たちを救ってくれたのは胖之助が若き日に屈折した日々の中で
虐げていた女中の おつる だった
だが 胖之助に陵辱されて子供を産んだ おつる は、以前のおびえたように弱い おつる ではなくて、子供と二人で強く生きて行くことを選んだのだ

梅が白雪を凌いで馥郁と薫るように、葉菊が霜を凌いで美しい大輪の花を咲かせるように、おつるも胖之助も、つらい人柱の境遇を耐え抜いて、これからひと花でもふた花でも咲かすことができるにちがいない。

葉菊というのは郡上八幡の青山家の家紋だった
そして裏葉菊というタイトルは、藩に背いて脱藩してまで幕末動乱期を駆け抜けた胖之助たちのことなのか、藩士たちを天秤にかけたお家のことだったのか・・
















2007年07月04日(水) 永順・野の花をあつめて         高橋 永順

 イギリス・アイルランド風日記

半分以上が野の花やアイルランドの町並みの写真で埋められていて、さっと読めるエッセイだった

あまり高くないB&B(ベッドとブレックファースト)という意味の簡易ホテルに泊まりながら、イギリスの田舎を旅していく
あまり予定は決めずに自由に旅して、野の花を摘み雑貨を見て、その晩泊まるB&Bの出窓などに摘んだ野の花を飾っている
何かステキだなぁ・・と思う


 旅は楽しいことばかりではありません。泊まるところだって、どこのベッドもスプリングは伸びていたり、食事も毎日毎日、塩辛いハムや油物ばかり食べていると胃がだんだんと重くなり、ずっと車に乗っていると背中や首や腰だって疲れてきます。
 アイルランドの草原を走っていると、果てしなく続く緑の丘にときおり羊や牛たちがいるばかりで、この景色の連続で他には何もないのです。パラパラと降ってはまたすぐ青い空。花だってそんなにたくさん咲いているわけではないし、本当にやるせないほど、退屈してしまいます。
 それでも『嵐が丘』のように、来る日も来る日も強い風と雨と少しの晴れ間、アラン島のように石ばかりでわずかな菜園があるところ、そんな場所も映画や話だけではきっとわからず、どんなふうに強い風なのかしら、どんな石ばかりなのか、この目で、肌で感じてこそわかることだと思います。
 白壁の朽ち果てたわらぶき屋根の家を見ると、昔の人々がどんな暮らしをしていたのかしら、とふっと思います。あぁ、私たちの暮らしはなんて幸せなのでしょう。少なくても、昔の人々より食べる物もあふれるほどあります。そして冷たい風の吹く冬でも暖かく暮らせるでしょう。吹き飛ばされてしまいそうな断崖に立って、強い風を身体中に感じると私の生活を反省したり、心の中を洗い流すことが出来そうです。
 東京での仕事は毎日毎日が忙しすぎて心の中をみつめる時が少なすぎます。だから、私、疲れても退屈でも旅を続けられるところまで行ってみることにしましょう。

                    作者・あとがき  より








 < 過去  INDEX  未来 >


fuu [MAIL]