うさぎのつぶやき

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2003年08月28日(木) ◆訃報

今朝TVのワイドショウ、
ショーケンこと萩原健一さんのお姉さまが亡くなられたと報じていた。

その昔、まだおさげ髪だったころの事、
ジュリーこと沢田研二さんファンの友人と、ショーケンこと萩原健一さんファンの友人と三人で
東京まで遊びに行った事があった。

彼女達はそれぞれお目当てのバンドのスケジュールを調べ連日ライブハウスへ行く予定だった。

埼玉に従兄弟がいたので、初日はそこにとめてもらう事になっていた。

東京から、埼玉に向かう電車の中で、ショーケンファンのK子が言った。
「ショーケンの家が大宮なんだけどそこに行きたい」と。
行ってどうなるものでもないけれどとにかく行きたいんだという。
そこで取り敢えず大宮の駅に降り立ってみた。
K子はどうやって調べたのか彼の家の電話番号を書いた紙を握り締めていて私に電話してみてくれという。

物怖じしない私は、興奮と緊張で、何もいえない友人に代わって電話する事にした。

「もしもし・・・萩原さんのお宅ですか?」

「はい!そうです」とっても優しい声の女性がそう答えた。

「ショーケンいますか?」なんと不躾なことだったろうと、今思うと赤面してしまう。

「あらあ、今日ねオトイレなの」

いやッ!おトイレだって!家にいるンやて!よかったね。と小声でK子に言った。

「そうですか。じゃあ待ってます。」と私。

「んっとね、だから、オトイレで・・・」

「ウフフ。だから・・・待ってます。」

「そうじゃなくってごめんなさい。オトイレというのは、レコーディングのことなの」

「ハア・・・?」

「今までいたんだけど、レコーディングがあるから、今出て行ったところなの」

「・・・・・・」

「私、姉なんだけどいつも応援してくれて有難う。きょうはごめんなさいね。」

「失礼しました」

そう言って電話を切った。
もうちょっと早く電話すればよかったね。そういいながら、大宮の駅を出た私達であった。

で、あの時電話で優しく話してくださった方ではなかろうかとまんざら知らない人でもないような
気がして、TVを見ていた。

ご冥福をお祈りいたします。       合掌


2003年08月22日(金) ◆初めての大阪 −4−

USJでの楽しい時間を過ごしたMちゃんは、さすがに疲れた様子で、その日はぐっすり眠った
ようだった。

三日目は、大阪の「ミナミ」のまちを案内し、「よしもと」へ行く予定になっていたが
あいにくの雨、しかも時間が経つにつれてひどくなってきていた。
私は、洗濯やら掃除やらと、家の中の事がたまってきていたので、娘に頼んで先に出てもらい
後で合流する事にした。
彼女たちが出たあと、家事をすませ近くのスーパーへ買物に行く。
毎日外食では、Mちゃんもあいてくるだろうと夕食の買物を済ませ、段取りをしたあと
待ち合わせの場所へ出向いた。

「よしもと」ではMちゃんたちが喜びそうな若手芸人さん出演の舞台ではなかったので、
劇場には入らずにグッズ売り場で、色々と物色し彼女の友人達にお土産を買い込んでいた。
 
Mちゃんの大好きな事のひとつに、プリクラがある。
大阪に来てもそれは変わらなかった。
たくさんのゲームセンターに目がイキイキとしている。
今まで、プリクラに入って写真を撮った事が無い私は、Mちゃんに誘われてあの狭いBOXの中に
入って初めての体験をさせてもらった。
娘と三人で顔をくっつけてポーズをとり、写した写真に色々とペイントして、出来上がりを
待つのだ。

プリクラの機種も色々あるようで、詳しいのなんのって・・・!
これじゃあおこづかいも減るわけだ、と感心しながら言われるままに若者の後ろにくっついて
BOXの中に入っていった。

その後心斎橋で洋服をしこたま買い込み、喜び勇んで帰宅した。
たくさんの荷物だったので、持ってあげようというのに、
「いいよ、自分で持つよ。」と言って肩から腕からいっぱいにショッピングバッグを提げていた。
よっぽど、嬉しかったのだろう。
その日の夕食は、Mちゃんが一番好きな「いくら」を用意して「いくら丼」にしてあげた。
それから「かにクリームコロッケ」どちらも大好きなものばかり。TVのチャンネルを選びながら、
大好きなものをたっぷり食べ、満足げであった事は言うまでも無い。

短かった大阪の四日間はあっという間に過ぎていった。

しかし難問が待ち構えている。
あくる日は宮崎まで一人で帰らなければならないのだ。

そして問題の明くる日、娘も一緒にいってくれると言うので、三人で空港へ向かった。
空席残数はまだまだ余裕があったので、難なくチケットを買う事ができカウンターで、初めての飛行機なので、搭乗ゲートまで付き添いたい旨をお願いして、中に入れてもらい
出発まで、一緒にいる事にした。
時間が来ていよいよ機内への案内が始まり、夏の大阪を満喫したMちゃんは
青空の中に吸い込まれていったのである。

帰ってからの彼女のHPを覗いて見ると
やはりTVのチャンネルの事が書いてあった。それから広い、人が多いなどなど・・・。
  

私が初めて大阪に出てきてミナミの町を見た時、同じような思いをした事がある。
心斎橋が、人の頭で埋まっていてこの中にどうやって入ったらいいのだろうか・・・と
一瞬たじろいだ事があった。
ふとそのころを思い出し、あの頃は純粋だったよなあ・・・と感慨にふけってしまった。


2003年08月21日(木) ◆初めての大阪 −3−

Mちゃんの大阪びっくり体験は初日に我が家に来てから始まった。

まずTVをつけてみてチャンネルの多さに驚いたようだ。
「うわッ!すごい!」「うわッ!」の連発である。

二日目の奈良行きでも電車の自動改札機を通るのは初めてだったので、戸惑ったらしい。
又電車が行き違うことにも驚いたそうで、(宮崎はJRしか通っておらずしかも単線なので
上りと下りが行き違うことは無い)ここでも「うわ〜ッ!」状態だったそうだ。

奈良に着いたら今度は近寄ってくる鹿が怖くて、写真でも顔がこわばっていた(笑)。

無事に家にたどりついたMちゃんだったが、やはりTVが気になるようで、「疲れただろうから
早く寝なさい」といってもなかなかTVから離れないでいた。

あくる日は、USJに行く予定だったので早く起きて出発しようと決めたのに、結局寝坊してしまい
予定より一時間遅れの出発となってしまった。

実を言うと私もUSJは初めてだったのでちょっと楽しみでもあった訳で、娘の案内があったから
良いようなものの、田舎から出てきたMちゃんと変わらない、全く右も左も分からずじまいで
うろうろしたに違いない。

人気のあるアトラクショウンはやはり混んでいて、200分待ちだったり、150分待ちだったり。
お目当てのひとつだった「ジュラシックパーク」は予想通り120分の待ちであった。
“待っている間に予約券を貰ってくるね”そう言って娘は「バックドラフト」の予約券を
もらうべく別の列に消えていった。

わけの分からないまま、並ぶこと2時間、いよいよ私たちに番が回ってきた。
30人くらい一緒に乗れる船で、いざ、恐竜の世界へ・・・。

ジェットコースターというのを私は信用していない。
「もしも」ということがあるからだ。
その「もしも」の時、あんな高いところから空中へほおリ投げ出されることを思うと、
とてもお金を出してスリルを味わおうとは思わない。

でもこの「ジュラシックパーク」の場合は水の上なのだ。
「もしも」の場合も下が水なら何とかなるかもしれないし、痛くないかもしれない。
ちょっとドキドキはするものの、スピードと落下の恐怖も楽しめるかも・・・。
そう思って乗っていたのだが、やはり最後のシーンでは水がたっぷりかかる心配だけを
していたから、真っ暗な中で落ちる瞬間に目の前いっぱいに現れる大恐竜には体がこわばって
しまい、下船した直後は軽い腸ねん転を引き起こしてしまっていた。(爆笑)
めちゃくちゃ怖かったね〜!そういって三人で、顔を見合わせた時には、不思議なことに
もうあの2時間並んだ疲れやイライラはどこかに吹っ飛んでいた。

その後お昼ごはんを食べ、次のアトラクション「バックドラフト」へ。
ここは先に予約券をもらってくれていたので、さほど並ぶことも無く入ることができた。

そのあと、暑かった事もあって、あちこち回るのに疲れておまけに相変わらず待ち時間が
長いので、いっそすぐに入れるところにしようといくつか回ってみた。

そうしているうちに娘が用事があるので先に帰ることとなり、残った私たちはアイスを
食べながら、顔を見合わせて次の行動を考えあぐねていた。
Mちゃんはもう一度「ジュラシックパーク」にいきたい様子だったので、「も一回並ぶ?」
と聞くと「うん!」という返事。
入り口まで言ってみると90分待ちになっていた。
もうちょっと待ってると時間も短くなるかも知れないと、まん前のデザートショップで、
暫く時間をつぶして70分待ちになったところで二回目の挑戦となった。

今度は様子も分かっていたので、前を向いてまっすぐしておこうと決めて乗ったのは良かった
けれど最後はやはり怖くて目をつぶってしまった。

私は、Mちゃんと「待ち時間が無かったら、もう一度乗りたいよね〜」と年甲斐も無く
はしゃいでしまった。

花火の打ち上げがあるということだったが、Mちゃんももう疲れて来ていたし、私自身もすっかり
くたびれていたので、名残惜しかったけれどUSJに別れを告げて家路についたのであった。

(明日に続く)


2003年08月20日(水) ◆初めての大阪 −2−

姪っ子Mちゃんの一番最初にすることは、ネットで空席情報をチェックする事。

往路は、私の取っているチケットと同じ便でないと具合が悪いので、確実に入手する為に
一般料金で、すぐに予約したのだが、帰りの便は15日の便であればどれでも良いという事
だったので、スカイメイトを利用することにした。

Mちゃんはその空席残数のチェックを日に3〜4回入れることだった。
(尤も幸いなことにピーク時にもかかわらず逆方向の移動だったので、大阪入りしてからも100席以上の空席状況は変わらなかったが。)

MちゃんのPCでのチェックの中、いよいよ11日がやってきた。

不安と期待で彼女の顔は心なしかこわばっていたように見えた。
父親が「Mちゃん、大阪弁しゃべらないと罰金払わされるよ」などと冷やかしとも脅しとも
いえるようなことを言うものだから尚更ドキドキしていたことだろう。

空港カウンターで手続きを済ませ、いよいよ搭乗口へ。
あまり緊張しているのでテトリスを出してやると、少し落ち着いてゲームに熱中し始めた。

機内に入りシートに設置してある装置を説明してあげると、「うわぁ!すごいすごい!」
の連発である。
機体が離陸して上昇する時と到着の際の下降して着陸する時には少し怖かったようだが、
こればかりは何回経験してもあまり気持ち良いものではない


かくして「初めての飛行機」は事なきを得ることができたのであった。

あくる12日は娘が計画をしてくれていて、友人二人と一緒に奈良の燈火会に連れて行って
くれるという。
娘たち三人は浴衣を着ていくというのでMちゃんにも何枚か出して、好きなものを選んで
もらい、娘が着付けをしてあげると(私は着付けなど全くできない)自分で髪の毛を今風に
作り上げ、キュートな女の子が出来上がった。

  
Mちゃんは携帯を持っていないので、「プリケー」でも買って持たせようか?
と娘に言ったら「だいじょうぶよ〜ォ。迷子なんかなるわけないやんか!」と一蹴されて
しまい、お昼からワイワイ言いながら始めた支度も終わり、夕方から四人で出かけて行った。

(明日へ続く)


2003年08月19日(火) ◆初めての大阪 −1−

7月22日の夕方、田舎の母から電話が・・・。
母の兄に当たる伯父が亡くなったとの知らせだった。

私の母は、生まれて間もなくに母親が亡くなり、若い頃に父親もなくしてしまった為、
親代わりに長兄がいろいろと面倒を見てくれたそうだ。
「あんちゃん、あんちゃん」と慕ってきた、その伯父が亡くなったと言う知らせだった。
   
私たちも幼い頃遊びに行っては、いつも美味しい物をたくさん食べさせてもらった記憶がある。

急遽取り敢えずの支度をして、飛行機のチケットを予約し、翌朝一番の飛行機で、
駆けつけた。
思ったよりも母の様子はしっかりしていて、伯父の一人娘である姪とあれこれ段取りに
追われ、悲しみにくれる暇がなかなか無い様であった。
尤もそういう場合は忙しい方が悲しみにくれる暇がなく、却って良いのかもかもしれない。

滞りなくお通夜、告別式、初七日と祀りごとを済ませ、ひと息ついたのが翌週に入って
からだった。


毎年盆暮れに帰宮すると友人達からのお誘いがひっきりなしで 二日に一度は夜の街に
繰り出すのだが、今年は伯父のこともあるので、帰ったことを知らせずにいた為お誘いの
電話も少なく、その分両親と一緒にあれやこれやとおしゃべりばかりしていたように思う。

これはこれで楽しい日々であった。

大阪に帰阪する数日前、弟宅でPCを前に遊んでいたら高二の姪っ子Mちゃんが
「大阪に行ってみたいなあ・・・。私修学旅行以外は、宮崎から出たこと無いもん!」
といって父親に訴えた。
「私11日に帰るから、一緒に行こうか?」と上目遣いで、私も弟の顔を見てみると、
その日はご機嫌だったのかして、
「そうだなあ、Mちゃんもこの冬には東京から長野に修学旅行もあることだし、飛行機
の乗り方とか、都会の様子とか覚えておいた方が良いかも知れんなあ・・・」と
以外にも好反応。

そしてついに
「よし!お父さんが費用を出してやるか!いいぞォ行っても・・・」と許可が出た。

かくして姪っ子Mちゃんの初めてづくしの旅がスタートしたのである。

(明日へ続く)


2003年08月10日(日)

つい先日の「小学生4人の監禁」事件。

しょうもない政治家が、「被害者だか加害者だか・・・」と口走ったあの事件である

最近事件に関与している年齢層がずいぶん低くなって驚くことばかりだが・・・。

私はひとこと言いたい。


「大人が悪い!」

年端も行かない、事の重大さも、物事の善悪もまだまだつかないような子供達を利用して、

商売を考える大人が悪い。

需要と供給を考えた時、その商売の相手はいい年をした大人であることに間違いはないので

あるから・・・。

需要があるから、供給するものが出てくる。

歪んだ性衝動に乗っかって供給しようとする族(やから)が後を絶たないのである。

そしてそれは今回の案件だけによらず、

写真集然り、風俗営業然り、はたまた、TVの中の歌手、タレントまで、低年齢化している事も

不安を隠せないことのいくつかである。


確かに「若い」ということは何にも変えがたいものである。

(犬や猫でも、パンダでも馬でも、仔犬、仔猫、仔パンダ、仔馬のほうがよっぽど可愛いし、

毛並みも若々しくて、ツヤがある。)

しかしだからといって、やっていいことと悪いことがあるはずだ。

子供達の「大人の世界をのぞいてみたい」という好奇心を煽り、誘いだす社会そのものが、

何か間違っていると思うのだが。


世の中のいい年をした大人の男性諸君、お願いだから、若い子ばかりを求めないで欲しい。

いい年をした大人のいい女性が周りにいっぱいいるはずだよ。


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