茶畑
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2004年04月28日(水) 沈没

昨夜は山岳会の定例集会。

行く前に飲み過ぎに気を付けなきゃーとか思っていたのに飲み会が始まったらそんなのどこへやら。飲んで飲んで飲みまくっちゃったじゃないのさ。

久しぶりに(いや初めてか?)朝まで一睡もせずに飲む、ということをやってしまった。いろんな話もしたしカラオケも行ったし楽しかったが、未だ(現在午前10時半)に酔いが回りまくってて気持ち悪いのなんの。間違いなく酒気帯び運転になると思ったんで朝っぱら教習所もキャンセルしちゃったよ。

そういえば教習所、昨日は雨の中S字とクランクやりたくないからとキャンセル。明日は前の会社の友達に誘われて駅伝に出るから行けない。気づけば一週間ぐらいあいてしまうのねぇヤバイヤバイ。

ああー気持ちわるぅぅぅ。一緒にオールしたみんなはもう会社に行って仕事してるんだよね・・・偉い。偉いぞぅ日本のサラリーマン!(あぁ酔っぱらい)

ダンナは一昨日の話で私が怒ったり泣いたりしていたのを承知していて、だからなのかわからないが昨夜は会社で徹夜。引き続き仕事をしている様子。私が徹夜で飲んだことを知ったら怒られるに違いない・・・でも飲みたい気分だったのさぁ許してくれえぇぇ。つーかもうしません。気持ち悪くて死にそうです。

ではまた落ちます・・・・・・。日記を書いたからって酔いが醒める訳じゃないのね。当たり前ですか。

ATOKで三点リーダーを入力するのってどうやるんだ。誰か教えて。


2004年04月27日(火) 理不尽か否か

昨日の夜は最悪だった。泣いてしまった。

ダンナの勤め先の公益法人は財政が厳しく、リストラのようなこともやっているらしい。公益法人にもリストラがあるのか、と驚いたのだが。

そんな中、私が2月で会社を辞めてダンナの扶養家族になったことが勤め先の人事の人にあまり良く思われていないようなのだ。扶養というのは会社側にそれなりに負担がかかることであるらしく、働ける人間がなぜ扶養なんだ、扶養家族になっている割にダンナが弁当を持って行くわけでもなく、便利なところに住んでいて余裕があるじゃないか、と。子供ができたわけでもないのに会社を辞めてのんびりしていい身分だ、と。

確かに会社に行かなくなってからの私はのんびりしている。最近は家事すらサボりがちで、それは反省しなければならないだろう。

だが。

ダンナにも言ったが、2月までの私は相当な激務だったのだ。なぜ少しぐらいのんびりすることが許されないのか。ブツブツ文句を言っている会社の人の奥さんは私ほどきつい仕事をしていたというのか。そりゃうちは子供はいないけれど。それに今の町に住むことを決めたのはダンナなのだ。最初はうちの親のことも考えて、実家の近くで探していたというのに。

そもそも私は無職じゃない。
3月だって少しだけどフリーとして仕事をしていたし、本来なら5月から雑誌の仕事と書籍の仕事で忙しくなる予定だったのに、雑誌の仕事はなくなるし本の方も連絡が来ていない。それは私の責任ではない。雑誌の仕事の話がなければ私は4月から派遣で働いていたのだ。条件のいい仕事、最低でも月収25万は保証される仕事をしていたはずだったのだ。

しかし現実として仕事がなくなってしまったのだから仕方がない。親のことを考えると必要なので免許を取りに行っている。夏は久しぶりに山に行きたいから、秋ぐらいから働きたいと考えていたのだ。フリーはやっぱり私にはまだ厳しい、派遣でも正社員でもとにかく定収入のある仕事をしたい、と最近は思うようになっていたのだ。秋から働くという考え方がそもそも「いい身分」と言われればそれまでかもしれない。でも昨年までろくに夏休みも取れない生活をしてきて、今年ぐらい山に行きたいと思うことがそんなに悪いことなのだろうか。

ダンナにしてみれば、会社での立場もあるし、私の収入が減った分頑張らなきゃならないわけで、それなのに横で山に行くだの飲みに行くだのと言っている私が頭に来るのかもしれないが。

とにかく嫌な気分だ。ダンナが、子供を持たないことに関してちょっと否定的なことを言ったのもかなり神経に障った。子供については結婚前にさんざん話したではないか。私は一生子供が欲しくならないかもしれない、それでもいいか、と何度も言った。子供を持たないという選択肢は私の場合、決して軽いものではない。これからもずっと子供が欲しくないかどうかはわからないが、このことについては何年も何年も悩み続けているのだ。あまり触れて欲しくない部分なのだ。

結婚ってめんどくさい、と初めて思った。
ひとり暮らしをしているような人だったら秋から働くなどと悠長なことは言ってられないだろうから、やっぱり甘えているのだろうか。それに最近あまりにもだらけていたことは確かなので、そこは改めなければならないとは思ってる。それから、仕事のことももっと真剣に考えなければ、と。

それにしても、どうしても納得が行かない。
会社を辞めるとか、子供を持つとか持たないとか、どこに住むとか、そういう個人的なことに何故いちいち口を出されなければならないのか。なぜ私が悪いかのような言われ方をされなければならないのか。
悔しい。涙が出てくる。


2004年04月26日(月) やや低め

どうも気分がすぐれない。PMDなのだろうか。

そういえば生理中の教習ってイヤだなぁ。技能教習の時は指導員と車に乗る訳なので(大体がどうとも思わないオッサンだが)、口臭やら体臭やらには一応気を付けてる。でも生理中のあのニオイはどうしようもないかなぁ・・・。あれを指導員に気づかれるのだけは寒気がするぐらい避けたいっす。

昨日は仮免前効果測定を受けて合格してきました。これに受かっていないと修了検定前の「みきわめ」(検定を受けてもいいかどうか指導員に見極めてもらう)が受けられないのだ。23日の技能予約2時間をキャンセルしてしまったし、技能8時間が終わった段階で教習項目の半分まで行っていないから、みきわめまではまだ遠いけど。

頭がすっかり教習でいっぱい、時々は遊ぶ、という状態で仕事のことを忘れている。実際仕事ないし、積極的に取りに行く気もない。雑誌の仕事がなくなって以来、「フリーランス」という選択肢は消えたも同然になってしまった。もう一つ、本の編集の仕事の話もあったけど、こちらも5月スタートの予定だったが未だに具体的な連絡がないし。なきゃないで別にいいや。引き続いて教習に行けるし。

予定としては、うまく仕事が見つかれば秋ぐらいから派遣で働くつもりでいる。10月のアパート更新を機に、実家の近くに引っ越すかもしれないので。それまでに免許取っとかないとね。


2004年04月22日(木) 進みます

教習所生活続行中。

だいぶ車に慣れてきた。
とはいえまだ基本的な操作ミスをしたりエンストしたりノッキングしたりふらついたりということが時々あるけど。右左折も坂道発進も一回の技能でOKもらいました。クランクは一回目は脱輪したけど二回目は何とか成功。半クラッチも何となくわかってきた・・・かな。坂道発進は2時間続けてやるので、次もまた挑戦。意外に難しくないと思ったのは所内だからかな。路上だともっといろんな坂があるし後続車もいるから怖いかも。

明日はまた2時間続けて乗る。指導員が毎回違うから、始まる前はいつも「今度はどんな先生なんだろ・・・」とかなり緊張する。学校の方針なのか、怒鳴ったりする人はいないようなので(もちろん基本的なミスをしたりすれば怒られるけど)そんなに怖がらなくても良いのかもしれない。でもまだあたってない先生で怖そうな人もいるからなー。

今考えても、実車3時間目であたった先生は本当に良かった。あの時間を境に車に対する気持ちが変わったと思う。2時間目でけっこう怒られて凹んでいたし、3時間目も厳しく言うだけの先生だったとしたら車が怖いままでずっと来てしまったかもしれない。ありがたやありがたや。

学科はすべて取り終え、日曜日に効果測定。って書いてるヒマあったら教本でも読め、って感じではありますが。


それと今日は友達と東京ドームで野球観戦。
もちろん横浜ベイスターズ側で、応援団のすぐ後ろだったからかなり楽しかった。試合は延長10回、逆転勝ち。ストッパー(クローザーと言うべき?)の佐々木も見られたし、大満足でした。


昨日書いたひとりごとの気分はまだまだ続く。


そういえば今日ってこの日記の3周年だ。始めたときは、3年後にこんな生活をしているなんて想像もつかなかったな。


2004年04月21日(水) ひとりごと

何でもない。

何もしない。

誰も知らない。


いいじゃん。


2004年04月18日(日) 自分のアタマ

教習所に入校して今日でちょうど一週間。
土日は朝一(8:10〜)とかでないと予約取れないし、昨日まで計5日通ったから今日はお休みにした。明日と明後日は学校が休みなので少し空いてしまうけど、今まで学科と実技を一気にぐわーと取って予習復習を手抜きしているという本末転倒な状態なので、少し休んでしっかり復習しないと。といいつつ明日は山に行ってしまうわけですが。

教習の進行状況は、第一段階学科7時限、技能5時限終了。
「授業を受ける」というのが久しぶりで新鮮だし、指導員の先生方も生徒を退屈させないように心がけているのか、学科は楽しい。

問題は技能。
前も書いたけど技能2時限目は酷いもんだった。入校日に模擬運転で習ったことなんぞスパーンと抜けてる。初日は朝から適性検査やら種種の説明やら学科やら盛りだくさんで、まだ学校や教習のシステムに慣れてないうちに模擬運転をやるもんだから頭に入りにくい。その分教本を読んでしっかり勉強しておかないといけないのに、何もせず実車に乗ったもんだからハンコは一つだけ。

15日の3時限目もハンドルさばきがまだまだで、相変わらず縁石に乗り上げるやら他の教習車や二輪に突っ込みそうになるやら散々怒られた。先生は最後は励ましてくれてちょっと泣きそうになった。帰りは胃が痛かったし。うちに帰ってお腹の調子を崩してしまったのだ。

16日、技能を2時間連続で予約してしまったから嫌々ながら行った。そうしたら4時限目の先生がすごく良かった。緊張をほぐすように冗談を交えつつ、悪いところはしっかり指導。お陰で続いて乗った時は「安定してきたね」と言われましたよ。もちろんギアチェンジとかクラッチとかブレーキ踏むタイミングとかまだまだ問題は多いわけですが。でも本当に4時限目がS先生で良かった。運転に対する恐怖感がちょっと薄れたから。他の先生も一生懸命教えてくださるけどね。

で、一週間を終えての反省点は。
「運転するのは自分」という自覚が欠けている。のです。

昔々からこういう性格なのだが、授業は真面目に出て真面目に聞くのに予習復習をしない。授業そのものが目的になってしまうところがある。だからして受験時代も第一志望には入れなかったし浪人も経験したわけで。30歳近くなって、こういう性格の原因なんて考えても意味がなく、とにかく少しずつ改めなければ。

高校や大学に入学するとか、会社で仕事を覚えるとか、そういう段階でミスがあっても、自分が落ち込むとか親や上司や同僚に迷惑かけるという、いわば個人的な問題(会社だとそうじゃないことも多々あるけどさ)。でも、運転を覚える段階でちゃんとしていないと、失敗したら他人の命に関わるのだ。人生を奪ってしまうかもしれないのだ。それってすごく重い。

教習所の先生に言われないとできないのではダメなのです。家でもしっかり勉強して、自分で考えて判断するようにしなければ。自分が運転するんだから。

次の教習は21日。学科3時限、技能1時限です。


2004年04月13日(火) やや落ち着き

人質事件はまだ解決せず。人質になってしまった3人は危険を承知でイラクに入っていたり、犯行グループの声明文になぜか広島と長崎の原爆の話が登場したり(だれか日本人の書いた文章を訳したんじゃねえか?という憶測が飛んでいる)、テレビに登場する人質の家族の態度がイマイチ引っかかるものだったらしく、けっこう人質3人とその家族を叩く意見も多い。でもまあ何にせよ無事に解放されるのが一番だよな。あの人達ぁ解放されたらされたで、性懲りもなくイラクに戻りそうな気もしなくもないが・・・。


それはそうと、やっとこさ教習所に通い始めましたよ。11日に入校して、今日が2回目。初めて実車に乗ったけど散々だった。力が入りすぎてハンドルを握りしめるもんだからうまくカーブが曲がれない。実家の車がMTなんで限定無しの免許を取らないといけないがMTって難しいのね。ホントにできるのかなー。でも両親(特に母親)の運転手をせねばならぬし、意地でもMT車を運転できるようにならないと。教習所にはやっぱり若い人が多いけど年輩の人もいて、そういう人を見ると「頑張らないと!」って思うのでありました。


仕事の件は、例の雑誌の取材を依頼してきたフリーの人にメールをして「確認してくださいヨー(泣)」と言っておいた。当然、向こうも責任を感じており、確認しておく、とのことだが2日経った今はまだ連絡無し。ま、そのフリーの人はともかく、プロダクションの方にはけっこう不信感を持ってしまったからなぁ。あのプロダクションと仕事するのはちょいと気が進まなかったりする。あそだそだ、伝票送らないと原稿料が入ってこない。ついでに退職金の請求もまだなのだった。ぐずぐずしておる。

先週の金曜日に前の会社の人たちと飲んだ。相変わらず現役社員は大変そうで。その中の一人は出版社の出身で、その会社なら紹介できる、と言われた。ただし。家庭が壊れても責任が持てない、と言われるほど激務だそうであり。3〜4日家に帰れないなんて当たり前だそうであり。そういう生活も嫌だ。やっぱり派遣でマニュアルやるのが一番いいのかな。ノンビリと考え中。秋ぐらいからはちゃんと仕事したい。実家とも相談しないといけないな。


2004年04月09日(金) テレビの中

イラクで日本の民間人3人拘束。

すごいことが起きているわけですが、仕事上のショックと同時期に発生したからなのか、あまりビックリしていない自分が嫌だ。正直言ってかなり他人事に思えてしまうのだ。国内でたまに起きる誘拐事件と同じようにニュースの一つとして捉えてしまうというか。日本だってテロが起きるかもしれない、とは自衛隊がイラクに派遣されることになってからよく言われていることで、実際同じようにイラクに軍隊を送っているスペインでは大規模なテロが起きている。だから決して他人事ではないはずなのに、なんだこの冷め方は。

自衛隊の派遣に関しては私は反対ではない。国際関係上やむを得ないと思うので。ただし、自国の考えで派遣を決めたというよりは「ア、アメリカさんにお伺いを立てておかなきゃ・・・」的なニオイを感じるのが嫌だ。といっても私たち一般庶民も、ハッキリ言って「何で自衛隊を派遣するの?」「派遣したらどうなるの?」というような関心があまり高くない気がするので、政府に対して文句を言えた柄ではないかもしれない。

うちの実家は革新系の考えを持っていたから、自衛隊はダメ!とにかく戦争ダメ!という感じだったし、私も学生の頃はそう思ってたけど、そう単純にもいかないようだ、というのが段々わかってきたのですが。だからといって最近の国際情勢を勉強している訳でもないので、こんなところでボソボソ書いてみるに過ぎない。

人質になっている皆さんが無事に解放されることだけは、真剣に祈っています。


2004年04月08日(木) 大ショック!!

腹立った&落胆激しいので今日は思いっきり愚痴を書く。

フリーで雑誌の仕事がある、というから受けた。
でフリーになるかならないか迷っているうちに仕事が来たからとりあえず在宅で仕事を始めてみた。条件のいい派遣の仕事を断って。

なのに今日プロダクションの人と電話で話してたら、その雑誌の仕事は「返事を保留にしたままなんですが、その後連絡がないから流れたような気がしてます」って言いやがった。連絡がないからじゃねえよ!ライター見つかったって連絡してねえのかよ!!私は最初にその仕事の話をもらったからフリーになることにしたんじゃねえかよ!!そんな事情はプロダクションの人は知らないようだが、なんかものすごく腹が立った。

そのくせ、「客先の出版社で人を探してるから紹介してくれないか。誰か紹介したらうちに仕事が来る」とか言ってくる。別に紹介したアタシは謝礼をもらえるわけでも何でもないし、まあ実際紹介できるような人もいないけど、アタシが頼みにしてた仕事が流れたかもしれないという話をされた直後にそんな虫のいいことを言われたってこちとらどうしようもねー!!

今までだって仕事があるあると言っておきながら結局私のところに来たのは一本だけじゃねえか。確かに私はデザインとかできないし仕方がないとは思ってる。でもその一本だって、客先からいつ校正戻りがあるのかとかいう具体的なスケジュールなんて何も知らされず、突然電話がかかってきて直しをお願いしたいという。原稿出しても何も連絡がないからこっちから連絡すれば「忙しくて連絡してるヒマがなかった」とか言うくせに。こっちだって都合っつーもんがあるんだよボケ!!

今後もまた何かあれば・・・とかボソボソ言ってたけど、ハッキリ言ってあてにできねえ!都合がいいときだけ使い捨てにすんじゃねー!!フリーって元来そういう立場なのか??

もうなんか本当に嫌になってきた。うちにこもってるのも嫌気がさしてるし、やっぱり派遣でも何でもちゃんと勤め人をやった方がいいのかもしれない。ああーあの派遣の仕事惜しかったなぁ。またああいう条件のいい仕事来るかなぁ。10月から派遣で働けるだろうか。連絡してみようかしら。

くそぉー全然順調じゃねえよ。自分も悪いとは思うけどさ。世の中甘くないってことだろうけどよ。ああーでも腹が立つし残念だよ!せっかく雑誌の記事を書けると思って楽しみにしてたのに!ばかやろー!!


2004年04月04日(日) 色々有ります

土曜は大学時代の女友達5人でおしゃべり。

また飲んだ翌日にブルーになっちまった。生理ってのもあるけど。はぁあたしって空気読めん、つーか読めてても口が止まらぬアホ!って自己嫌悪。うぅ。飲むとほんと良からぬ発言が多いので、それは大反省するとして。ってか何でいつもこうなんだろう、嫌な奴だ本当に。はあー嫌な奴だ。なんでそんなに自分に自信がないのだろ。だからしてああいう発言になるのだ。

愚痴も書いちゃお。

私は5人の中で唯一既婚だし、ガンガン仕事をして手に職も付けたし、趣味もあるし、まあ順調に行ってる方なのだ。といってもみんな頭が良くてまじめな子だから、順調じゃないと言ったってたかが知れている。まっとうに働いて恋愛したりして、勉強も頑張ってたりするのだけどな。かなりちゃんとした人生送ってるのだけどな。

んでも私に対し、「いいよね、あなたは順調でさ」みたいな・・・言葉の端々やらふとした表情やらに、ちょいとした風当たりを感じることもあるわけだ。特にみんな20代が終わりに近づいてきて微妙な時なので。

でも私は10代の頃は非常に辛いことが何度もあった。親すら知らないけど11歳にして首を吊る練習したなんて悲惨だよね。いつも順風満帆に生きてきたわけではないのだ。20代、特に社会人になってからはかなり順調に来ていると思うし、それは我ながら良いことだと思っているけどさ。でも10代の辛い経験はトラウマになって残ってるし。どんな人生だって色々あるんだよぉー。手に職を付けたのだって、みんなが残業の少ない休日出勤もないゆとりある時間を過ごしてるときに、あたしはアフター6やら土日やらを仕事でつぶしまくってたのだよぉー。

はあ、ちょっとすっきりした。難しいなー女友達って。私も気にしすぎかもしれないけど。

なんだかんだ言ってもうすぐ10年になる付き合いだし、種々の思惑はあっても年一回ぐらいはみんなで会って喋るのも良いのさ。しかし、30代に突入するかしないかの今後数年はちょっと微妙かもなぁ。ううむ。


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