++いつか海へ還るまで++

雨が降る 代わりに泣いて いるように

降り続く雨 降り止まぬ雨


2008年01月29日(火) 火曜日の朝に

パソコンの調子はいよいよいけない。
これがささやかなる内職仕事に関わってなければまだ少しは気も楽なのかもしれないが今の状態では仕事も請けれない。
まったくの素人が0から築いてきたもの、それは人様からみれば仕事ともいえない程の小さなものかもしれないけど、わたしには支えであり細い命綱。
だから早急に修理に向けて動き出すべきなんだ が。
末っ子もまた今 1番大切な局面を迎えてる。
ひとつ乗り越えて学校や友達と向き合えつつある。だからここはどれだけしんどくても支えてやりたい。

身体がせめて二つあればと切に思う。
でもわたしは一人だ。

仕事 ここまでくるのにさえ、どれだけ必死できたか。
でも。
元々0だったじゃないか。少なくとも今度は1から始められる。
子供らのこの時は今だけ。なにものにも代えられない。

本当に今 優先すべきは何か。
力不足でどうしても一つしか持てないならしっかりと繋ぐのはやっぱり心。

そうはいっても不安と心細さで心は塞ぐ。
気がつけば鬱の迷路で佇んでいる。

迷いばかりだ。

でも往くしかない。

とてもとても怖いけど
震えながらへっぴり腰で進もう。

正解なんてないんだよ と自分に言い聞かせながら

今日も。


   ゆうなぎ



2008年01月27日(日) いちにちいちにち。

パソコン、何とか今日も立ち上がったけど相変わらず いつダメになってもおかしくないような危うい状態。

結局は修理しかないのはわかってる けど。
そう簡単にいかない諸々の事情もある。

ただ そういう事情関係なしに立ち上がらなくなる日はくるだろう。

そして別にそれは特別なことではない。
モノも人も限りがある。
でもだからこそひと時の大切さを知ることができる。



怖く無いといえば嘘になるよね。
失くすこと、変わること、迷うこと。

不安でパニクってそれまでの理屈やら全部ぶっ飛んでしまう。
オロオログルグルジタバタ
目が眩んで見えなくなる。息が詰まる。心臓はバクバクする。
どうしようどうしようどうしよう。
泣きたくなる。



わたしだけじゃないのは頭ではわかってるつもりなんだけどね。
喉から胸にかけての此処 が どうにも苦しくて堪らないのよ。
理屈とかそーいうの吹っ飛んで
泣きべそかくんだ。


泣きべそかくけど 泣けないのは
そうしても 何も変わらないと骨の髄まで知っているから。

少なくとも
どれだけパニクろうと倒れてジタバタして叫び喚こうと
自分で起き上がって、起き上がれなかったら 這いずってでも
動かなきゃ 何も。何も。

起き上がる力も随分とゆっくりでヨロヨロにはなってきた。
歳を重ねるごとに不安感は増すし
何とか起き上がれては その度に今回も大丈夫だったとホッとする。

そんな強くも立派でもないから
せいぜいがこうして自己催眠かけて
ヘタレを鼓舞する。


でもとにかく こうして いちにちいちにち。




ある日 更新が無くなって、そうしてそれが続いたら
ちょっと いちにち が途絶えたんだな って思ってくださいね。

携帯からでもできる限りはこの日記書き続けていきたいと
思っているし。
途絶えても また 戻ってくるから。


日々は流れていき いつか本当のおしまいの日は
誰にも平等に来るにしても

それまではこうして 往きます。生きます。

いちにちいちにち。

--------------------------------------------------------



                        ゆうなぎ



2008年01月26日(土) 崖っぷちでそれでも踊り続ける

パソコンもわたしもいよいよかなりの崖っぷち。


パソコンの方なんかとうとうエラー表示の連発で
もう冷や汗、脂汗たらりたらりで頭がぐるぐるしてるよ。
今日はそれでも何とかこうして立ち上げ、ネット接続できたけど
次に立ち上げる時どうなのか見当つかないのが正直なところ。

わたしの方もいっぱいいっぱい。
末っ子はむしろ少しずつ少しずつでも光の射す方へと
ジグザクしながらだけど向かってるんだけど
それにはまだわたしの支える手が必要。
ひたすらに求めてくるものにできる限り応えてやりたい。
それに応えること自体は苦痛でもなんでもない。
むしろイトオシイ。

ただ周囲との接触がとにかくしんどい。
身体も心も鉛のように重い。
わたしはしんどいけど でもこれは子供にとっては
今特に必要不可欠。だから頑張るっていうか頑張りたいんだ。
頑張りたいけど何処までできるだろう。
今ももう既に崖っぷちで
半分意識失いかけながら気力で踊ってるみたいなものだから。


こんな時に身近に安心して手を貸してもらえる人がいてくれたら
そんな弱音も吐きたくなるよ。
何 甘っちょろいこと言ってるんだ なんて言わないでおくれ。

だってそりゃやっぱり羨ましいもの。
半分とは言わない3分の1でもいいから
共に同じ道を荷物分け合い背負って
持ってくれるひとがいてくれたらどんなに・・。

わたしは独りぼっちじゃない。
そんなこと言ったりしたら 大切に想ってくれてるひとたち、
大切に想うひとたちに申し訳ない。

わかってるの。わかってるけど でも独りぼっちじゃなくても
この道はずっと一人で往く道。
雨が降っても傘は無い。それを思い知るのがこんな時なんだよ。

濡れないことが当たり前のように色とりどりの傘さして
歩くひとたちは確かにいて。

雨の中 そんな彩(いどろり)をぼんやりと見ながら
ずぶ濡れのまま蹲って動けなくなってしまいそうになるんだ。

ああ・・なんか とっても疲れたね。
このまま泥のように何も考えずに眠ってしまいたい。


我がパソコンよ。
今回ばかりはキミもわたしも何処までもつのかわからない。

ただいえることは それでもキミもわたしもやっぱり
最後の最後まで足掻き続けて起き上がろうとするんだろうなって。
しょうがないやね、染み付いた性分だもの。


崖っぷちでそれでも踊り続ける。
一人と一台。

わたしとパソコン。

もう一日
あと一日
そう繰り返しながら


おしまいの日まで。



--------------------------------------------------------


                            ゆうなぎ                        



2008年01月25日(金) 単純なことなのにどうしてこんなに難しいんだろうね

末っ子は三歩進んで二歩下がる状態。
でもこれってちゃんと一歩進んでるってことだって思う。

それに前に進むばかりが良いわけでもない。
寄り道、迷い道、時には戻り道して初めてわかることもあるんだもの。

でも今の世の中は いや 今に限ったことじゃないんだろうけど
とにかく前に ススメ、ススメ。
ゆとり とか言ってるけど 現実は言葉とは反対方向に
迷走してしまってるように思うのよ。

とはいえ

それが現状ならその中でなんとかやってくしかない。

んだけれど 

末っ子に限らずだけど ウチの子等はわたしに似て
不器用なものでなかなかしんどいものがある。

少しそっとして
少し急かさないで 見守ってくれたら

モノスゴクこんがらがってるように見える糸も
あれれ ってくらいにスルッと解けたりすると思うんだけど
それが今の現状では それぞれの立場とか考えとかあるから。

単純なことなのにどうしてこんなに難しくなっちゃうんだろうね。



ジブンらしく生きる なんて 力入れて意識しなくても
ありのまま でいることが ジブンらしさなのに
それを頑張ってしなきゃって思う時点で既に迷路突入。←わたし

かといって考えるジブンっていうのもまんざらキライじゃないんだけど。
バランス悪いけど でも そうしながら 見つけてるから。

自然体で生きられる人って憧れるけど
それも その人の個性で 
わたしは頭痛肩こり耳鳴り(までしてきちゃった・・なんか平衡感覚が
時々おかしくなったりしてる)四苦八苦 がっくんがっくんしてるけど
そうやって知っていかないと納得できない性分だから
これはこれで。


やっとの週末だけど
相変わらず なんやかやで きついんだわ〜
気は休まらないし、考えたくなくても考えていかなきゃいけないこと
山盛りてんこ盛りだしねぇ。

ぐっちゃぐちゃですわ。頭。現在進行形。

書き残しておきたいこととかもあるんだけど
気力も無し・・。


でもそれはそれで(かなり強引にジブンに言い聞かせつつ)

正解か不正解か なんてわからないし そもそも そんなもの
人生において(なんてまた理屈っぽくなってるけど)
元々無いように思うし。



オンナノコノ日はじまりまして、貧血気味・・・

とにかく 生きますよ ってことで。


--------------------------------------------------------


                        ゆうなぎ



2008年01月23日(水) 雨空に青い傘をさして




どうにもこうにも苦しくて
溢れ出してしまった文章(ことば)を
聞いてくれて ありがとう。

居てくれていること。
心にかけてくれていること。

きっと こんなふうに頭を撫でてもらいたかった。
あなたがココロに貼ってくれたバンソウコウ
そっと手で触ってほんわりあったかいなぁって思った。

きついことはやっぱりきつくて
ツライコトはそれでもツライ

でもだからこんなふうにひとの想いが沁みる。
差し伸べてくれた手の温もりを知ることができる。

あたりまえじゃなくてそれがどれだけ大切なことかを。



今日 朝、末っ子といつものように保健室登校した後で
約束していた映画に連れて行ってきました。
平日の映画館は空いていて ちょっとした貸切気分。
観た映画はアニメ。
その中でストンと心に落ちてきた言葉があって思わず
暗闇の中、スクリーンが滲んだ。
末っ子がいつの間にかそんなわたしの手をそうっと握ってた。
ここにも ちいさな優しい温もり。



うまくいかないことやどうしようもないことは沢山あるけど
それでパニックになったりヘタレまくって大切なひとたちに
心配かけてしまったりするけど

カタチで無くてもいいよね。
はちゃめちゃに矛盾だらけでもいいよね。
まず 自分がジブンを許してやろうと思うよ。


ごめん って口癖 多分やっぱりこれからもいってしまうと思うけど
ありがとう を それよりも沢山いえるようになるといいな。


何度でも。

心のかぎりを込めて。

--------------------------------------------------------


                         ゆうなぎ



2008年01月22日(火) ねぇ なにか言って




溢れてしまいそうだ。
もう容量はとうにオーバーしている。


ねぇ 知ってる?

ずっとSOSだしてること。


それぞれが それどころじゃないのも
世間体とか、
考えすぎるからだって
だから気持ちを切り替えてもっと頑張って とかいう言葉も。

わかってるよ。
もっともだと思う。
ちゃんとわかってる。


わたしが飲んでる薬の内容知らないよね?
知りたいとも思わないよね?
見てられないんだよね?だから目を背けたいんだよね?

少しでもわかって欲しくて読んでみてくれないかなって
渡そうとしたメンタルの本も
今それどころじゃないから 悪いけど が答えだったよね。


わかってるよ。
無理もないと思う。
ちゃんとわかってるけど。


一番身近に存在している肉親から
それを
こころの病気のことを
理解して貰えないことは何よりも辛い。



見ないふり されるか
考えすぎないように 
イジイジしてないで気持ちを切り替えなさい って

あとは反対にこっちだって大変なんだから って愚痴聞かされる。


少しでも声を荒げたら 何でそんなにヒネクレタ見方しかできないの?
って言われて
それを我慢して黙ってたら 何、機嫌悪くしてるの?
って今度は責めるように言われる。



穏やかな顔してみせて 朗らかにみせて
感謝を常に口にして伝えて
それを保ってて やっとわたしという存在が成り立つ。

こころの病気のことも
今のクリニック 本当は替わりたいんだよ。

診察なんて1分くらいだし。
こっちが話をしても
ドクターの言葉は
「大変だけど 頑張って無理しないようにしてください」とかで
シメの言葉なんて
「どうも〜ご苦労様でした」なんだよ。笑っちゃうよ。

薬飲みだして飲む前よりは確かにマシになってる。
薬の効果 それなりにあると思ってる。

仮面なんとかでも被れるようになったし。
自己破壊衝動を大波が来ても何とか抑えていられるのは
薬のお陰だ。

でも辛いのには変わりない。
限界突破してでもやれてるのはもう振り絞った気力以外の
なにものでもない。
手に残っている大切なものをこれ以上失くしたくないから
だから無理だってなんだってする。



病院のこと相談したくても病気のことすら
ちゃんとわかってもらえてないくらいだものね。
無理だよね。話そうとしても聞いてもらえないんだもの。


傷はずっと疼き続けているし
あれからだって気持ちの本当に休まる日なんて
まだ来てない。

いつも何かに追われて
いつも何か必死に考えてて
走って走って走って走って

それでも もう休んでいいから って
誰もいってくれない。

休めるわけもないのくらい知ってる。
頑張らなきゃどうしようもないのくらいわかってる。


だけど


ワタシダッテツラインダヨ クルシインダヨ
タスケテ ホシインダヨ

泣き叫びたいし
イライラをぶつけたいし
ワガママだっていいたいし

ごめんなさい と 悪いけど なんてのを
口癖なんかにしたくない。

ワタシダッテ ヒトリノ カンジョウノアルニンゲンナンダヨ


ねぇ 知ってる?

ねぇ なにか答えてよ。

ねぇ 誰か答えてよ。

ねぇ なにか言って。


コレイジョウ ドウヤッテ ガンバッタライイノ?

ねぇ。


--------------------------------------------------------


                          ゆうなぎ   



2008年01月21日(月) 色々




週末から週明けまで
ほんとに色々。

色々とは良くいったものだと思うけど
まさに気持ちを色に例えたら一通り絵の具が揃いそう。



うまく伝わらないこと。
どうしようもないことでも捨てきれないキモチ。

子供らの方は末っ子も少しずつ明るい兆し。
完全登校をゴールと考えるなら まだまだになっちゃうんだろうけど
そうじゃないと思ってるから。
ただそれに実家の親の思いが絡んでくるので
わたしにはちょっとシンドイことになっちやうのだけど。

方向性が違うだけだから 傷つけようとしてではないから
心配と良かれと思ってのことが逆効果だったりするだけで。

それで積み上げてきたものが無造作に崩されたりして
ガックリと凹みそうになりながらもやんわりと意見を言うのだけど
やっぱりわかってもらうのは難しくて。

それでも長年そうして生きてきた以上 
今更 常識や信念の方向転換できないだろうということも知っているし。
だから尚更にやるせない。


単純なはずのことが変に難しくなってしまうのは
どうしてだろうね。



 それでも ひと色じゃないんだよ。
 人 でも 想い でも。

 イライラどんより雲色に温かな夕焼けオレンジが加わって
 グラデーションになれば
 いつのまにか柔らかなヤサシい空になるように。



大好きなピンクの花束をお友達から。
他にも言葉の花束を色々なひとたちから。

じんわりとひび割れたココロに沁みて
内側から温めてくれる。

ありがとう。


凹んで落ちるだけ落ちて傷ついたりして
それでも まだ見えない明日に 
こんなふうに嬉しいことあったりするから。



実は映画の割引券を貰ったので
子供らと映画 観にいけたらいいな とか
考えてます。

正直 出かけるまでや人ごみ苦手だし
今 かなり疲れてきつかったりするんだけど。

ただ 疲れてるけどしんどいけど それを無理しても
”子供の為に!!とかで頑張っちゃうお母さん”がしたいんじゃなくて
だってそんな無理なんてされたって子供も楽しくないと思うもん。

でもなんていうかこういうのってイキオイみたいなのは
わたしみたいなニンゲンには必要だと思うんで。
じゃないと何にもできなくなるから。

どうなるか現在 今日のこれからだって100%見える未来じゃない。

ほんとうに色々。

どんな色がこれから見えるのか
兎にも角にも週明け。

いろんな顔して 生きる を また始めようと思います。

--------------------------------------------------------


                           ゆうなぎ
 



2008年01月18日(金) 月光





この日に

初めて息をして
初めて泣き声をあげて
初めて世界を肌で感じた

月光 / 鬼束ちひろ

I am GOD'S CHILD この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field? こんなもののために生まれたんじゃない
突風に埋もれる足取り 倒れそうになるのを この鎖が 許さない
心を開け渡したままで 貴方の感覚だけが散らばって
私はまだ上手に 片付けられずに
I am GOD'S CHILD この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field? こんなもののために生まれたんじゃない
"理由"をもっと喋り続けて 私が眠れるまで
効かない薬ばかり転がってるけど
ここに声も無いのに 一体何を信じれば?
I am GOD'S CHILD 哀しい音は背中に爪跡を付けて
I can't hang out this world こんな思いじゃ どこにも居場所なんて無い
不愉快に冷たい壁とか 次はどれに弱さを許す?
最後になど手を伸ばさないで 貴方なら救い出して 私を 静寂から
時間は痛みを 加速させて行く
I am GOD'S CHILD この腐敗した世界に堕とされた
How do I live on such a field? こんなもののために生まれたんじゃない
I am GOD'S CHILD 哀しい音は背中に爪跡を付けて
I can't hang out this world こんな思いじゃ どこにも居場所なんて無い
How do I live on such a field?

わたしは

--------------------------------------------------------


                    ゆうなぎ



2008年01月17日(木) イメージ。 アナタがみているモノはどんなカタチ?

今日はわたしの病院の日だったので 末っ子は朝だけ一人でお留守番。

昨日 彼は約束通りに放課後に学校へわたしと一緒に行った。
保健室で先生に宿題プリントを見てもらって
描いた絵を褒められて照れくさそうにしていた。
少しずつだけど彼の心が解けてきている感じがしている。
それは嬉しいこと。

今度は先生にきていただく日と交互に
一日おきにこうして放課後、学校にわたしと行くようにしてみようか
と 提案してみると 色々いいながらもOKした。
これもとても大きなことだと思う。

だからって この”約束”を振りかざして
絶対 にはしたくない。

心は揺れもするし 特に今は行ったりきたりを繰り返して
考えたり迷ったりしているのだと思うから。

行きつ戻りつ・・・それでいいんだと そう思うから。





わたしというモノのカタチ。

トモダチは別として

その他の人達(両親も含めて)の認識するわたしと
わたし自身の自覚するわたしのカタチは
かなり・・・苦笑してしまうほどに隔たりがある。

もしも わたしが突然この世から消えることがあったとして
見えていなかった”わたし”のカタチが姿を現したときに
その人たちは アングリ口を開けるんじゃないかな。
なんて。

今は没交流(というか もうこちらがお断りだけど)
女社長からの知ったかぶりの”恋をしなきゃ”だの
”相手は絶対年上でないとダメ”だの
ちゃんちゃら可笑しいお節介とか。ふと思い出したり。

その時は というか こういうことを言われると
いつもわたしは曖昧な笑顔でやり過ごすようにしているのだけど。

どうしてか 他人の目からみるわたしは とてもイイコのようだ。
敢えてそう見せる癖がついているということもあるけど。


わたしは むしろ気も強いし、頑固者だったり、
世間の常識とかに囚われるのが苦手だったりする。
慎重なようで開き直ると驚くほど大胆だったりもするし。
むしろ 型破りで激しい性格をしていると思う。

それだけなら なんとか カッコイイオトコマエ にもなるんだろうが
人一倍のヘタレさ加減とか歪んだ精神の脆さとか臆病モノで
パニクった時のみっともなさとかが混じっている上に
その辺のバランスが極端に悪いものだから迷路だらけの人生になってる。


時々

決め付けられているイメージのわたしと
わたしが自覚しているわたしとのギャップに
イライラして叫びだしたくなることがある。

違う!違う!違う!

壊せたらいいのだろう。
そうすればもっとラクになるのかもしれない。

でも枷がある。
これは
歳を年を重ねてきて
背負い抱えるモノがある以上
どうしても外せなくなったもの。

だから 

わたしは

わたしの存在が消えた後で
わたしの真実(ほんとう)を
アノヒトタチに知らせて欲しい などと
まるで復讐をするように思うのだ。

わたしがわたしであった時間を。
それが確かにあったことを。





--------------------------------------------------------


                         ゆうなぎ



2008年01月16日(水) ひとり と ひとり 

末っ子は不安定ながらも
少しずつ解きほぐれてきているような気がしている。

今日 夕方放課後に わたしと一緒に宿題プリントと家で描いた絵を持って
学校にいく約束を昨日先生とした。

先生も学校側もわたしの意を汲んで
ゆっくり無理しないようにといってくださっているのは本当に
有り難いことだと思っている。

お陰でわたし自身が考えていたよりも早いと思われるくらい
状況は進んでいる。
ただ これで一気になどと考えないようにしなくては。
何が大切なのか・・を見失わないように。


学校や先生方へお話してきたこと、正直わたし自身の心身には
シンドイ部分も多かったけど良かったと思ってる。

全てを自分以外の誰かに伝えようとすることは無理だし
それは当たり前だろう。だって他人(ひと)は自分ではないのだもの。
自分が自分以外の誰にもなれないように。

でも それでもそれがどのくらいでも伝えないとわからないし
苦しくてもそうしないといけない時はやっぱりあると思うんだ。

過大な期待しないこと。でもほんの少しでもどこかがわかって貰えたら
それによって 何か が変わる可能性があるなら。
ジブンと闘う意味はある気がする。

正解か不正解か なんてわからない。
それが大事なことなんじゃない。


わたしが末っ子に知って欲しいのは

完璧な人間なんてどこにもいない ってこと。
完全である必要なんてない ってこと。
間違えたってそれで終わりじゃないし、道は探していけばいい ってこと。

傷は決して みっともなくも恥なことでもない ってこと。
傷ついた傷つけた痛みを忘れずに自分の中のヤサシさに変えられたらいい。


とはいえ この呪縛の鎖、わたし自身にもくいこみ絡みついていて
未だ 試行錯誤と迷走を繰り返しているのだけど。

でも だからこそ。

これは子供達みんなに。

まだ探していける可能性と未来があるから。彼らには。


明日はわたしの病院の月1定期検査の日。
心療内科の方にも廻って薬だけでも貰ってきたい。
役所にも申請更新などの用事があるので行けたらと思っているが
ただ今は短時間しか家を空けられないので
日を改めてになるかもしれない。


ひとはどれだけ寄り添っていても

ひとり と ひとり で

それは 時としてとてもサミシいことだけど

そのサミシさも大切なことであるような気がする

それぞれたったひとつしかない別々の存在

ひとり と ひとり だからこそ

たぶん

寄り添ったときに

きっと

温かさを知ることができる から


--------------------------------------------------------


                         ゆうなぎ



2008年01月14日(月) のっぺらぼう


「ここは閉ざされていると思えば牢になり、出たくないと思えば城になる」

                 モノノ怪「のっぺらぼう」より


深夜アニメで評判を呼んだ”モノノ怪”全伍話のうちの
参話「のっぺらぼう」
”モノノ怪”自体 どの話も甲乙つけがたく
とにかく偶然初めて観た時にはひたすら圧倒されて魅入られたけれど
全話見終わって改めて好きな話を敢えて選ぶならこの「のっぺらぼう」を。

この話はきっとわからない人には難解に感じるんだろうな。
そして多分それはその人がシアワセな証拠なのかもしれない。



「あなたが本当に殺したのは,誰だ?」
「耐えたのか」「え」「自分の心を,なくしてまで」
「どうして話を,聞いてくれないの」
「私…ばっかみたい」
「みんな…わたし…?」
「モノノケは,私!」
「叶うわけなどないのに,悲しき,モノノケだ」
              
                   モノノ怪「のっぺらぼう」より



自分で気づかないといけないのでしょうね。

自分が自分であることの勇気。
そうして対峙しないと。


--------------------------------------------------------


                         ゆうなぎ



2008年01月12日(土) かぜモヨウ





「かぜモヨウ」

コンコン と咳
止まらず苦しい

眠れずに寝返り
何度もうちながら

布団の中は暖かいのに
何故か手足だけが冷たい

コンコン と咳
思いだしたように

逃げ込みたい眠りの国は
なかなか門を開いてくれない

暖かい場所にいるはずなのに
どうして こんなに寒いの?

つめたい指先に
そっと息を吹きかけ暖める

いつだって こうしてきた


ドロップの缶かんから カラコロ取り出して
薄荷味 口の中へ ひとつ


コンコン と咳
大丈夫 ちゃんと止まる

コンコンコン
もう一度 目を閉じる

ずっと こうしてきた



ぎゅっと目を閉じて呟く
大丈夫 朝は必ずくる

どんな長い夜でも 時は過ぎ 明けるように



--------------------------------------------------------


                        ゆうなぎ                  



2008年01月11日(金) 雲のゆくえ




今日も子供達を6時半に起こし、末っ子と朝食後に算数のプリントをした。
勉強 というよりも一緒にすることでひとつの習慣になり、
本人もちょっとしたクイズを解いていくみたいになっている感じ。
今日も放課後、先生が来てくださる。
これは難しいかもよ・・と昨日言われていた問題が解けたので
末っ子はかなり得意げ(単純なのだ)で嬉しそう。
こういうちょっとしたことがきっかけになるといいな・・と
心密かに思っているおっかあです。

その後 朝風呂に(わたしは×日ぶりのお風呂)末っ子と二人。
頭洗って顔と身体洗ってさっぱり。
久しぶりに湯船につかり ふぅ・・・と一息つく。

ただ今日、今度は真ん中の子の体調が今ひとつで。
それでも熱が無かったのと本人も行くというので登校させたが
やはり昼前に学校から電話があり、早退してきた。
熱は無いので疲れが溜まったのかもしれない。
元々 真ん中の子は身体があまり丈夫ではないので。
大丈夫とは思うがこじらせない様にしなくては。

やっとの週末だけど まだまだ気は抜けない。
それでも少なくとも土日と学校のことを考えなくてもいいのは
有り難い。


肩がガチガチに凝っていて頭痛と胃痛が慢性化しているのがしんどい。
身体はだるいが反面 睡眠が浅く、眠ってもユメばかりみている。
あと1週間もしないうちに今月の糖尿内科の定期検査。
数値・・・悪くなってませんように・・。
心療内科にもいかないと薬が残り少ない。
ああ その足で区役所にも行っておかなくては・・。
その時 末っ子をどうするか・・
それまでに少し進展あるといいけど いや そこで焦ったらダメだ。


相変わらず頭は容量オーバーで煙上げてる。
毎日がツナワタリ。とりあえずの今日をがむしゃらに。


こんなんやってます。
まだ もう少し、だいぶ かかるかもだけどナントカナントカ。



私信:

こんな状態の中、見守ってくれててありがとう。
昨日の日記に 
これで(大切なひとたちに)離れていかれても仕方ないと思う って
書いたけど だって今までだって充分すぎるほど支えて貰ってきたから。
本当に もし サヨナラいわれても
ごめんなさい と 今までありがとう しか 言えないと
それはずっと思って覚悟していることです。

でも それでも 大丈夫 といってくれてる。
この絆に感謝しています。

わたしの甘えを許してくれて本当に本当にありがとう。
許して大丈夫といって受けとめて貰える事は
何よりも今のわたしにとっての救いです。


 ありがとう。


--------------------------------------------------------


                         ゆうなぎ



2008年01月10日(木) つづく日々



誰か言って 激しく揺さぶって  "もう失うものなど無い" と
1人にしないで  どうか夜が明けるなら 私を現実ごと連れ去って下さい
            
                    Cage / 鬼束ちひろ

変わらぬ一日の始まり。

でも今日も末っ子は6時半に起きて一緒に朝食の後、プリントを1枚した。
何気なく、わたしとできたプリントを渡しに行って帰るだけ と
提案してみるが それはまだ頑なにNO!
ガックリとくるが それでも以前なら学校の話を出すだけでも
丸一日くらい貝になってた時もあるからここで焦りは禁物。

それよりも早起きと勉強(に限らず一つの課題)が継続していることを
大切に考えよう。


今朝は先生に電話でお休みと状況の報告。
正直 電話はきつい。
今 わたし自身の心身の状態があまり良くないせいもあって
話の途中で息が苦しく動悸が酷くなり過呼吸になりかかる。
でもそんなこと言ってられない。

とりあえず先生に放課後にでも家へ寄って
今までやったプリントを持ち帰って丸付けしていただくことになった。
そうしてその時に今学校でしている勉強のプリントを
置いていっていただく。

これによって先生や学校との繋がりを絶たないでおける。
わたしの方でも無理に押すのではなく力加減を考えながら
声掛けを続けていく。

先生にもご苦労をかけることになって心苦しいが
これは彼がこのトンネルから抜けた時の為に
学校という選択肢の道も閉ざさずにいてやりたい。

”学校へ行くこと”が全てだとは思わない。
でも それを別にしても今 彼がトンネルに入っていることは
確かだから。
家からほとんど出ない今の生活が良いわけは無いのは
わたしが一番よく知っている。


一日一日が誰でもない自分との闘いの日々だ。
弱音 心の中で吐きまくりで もう限界 とか
一日が終わって明日はどうしようと考えると泣きそうになる。

大切なひとたちへの電話やメールさえ その気力が無く
返事も応答もできていない。本当に ごめんなさい。
これで離れていかれても仕方ないと思う。

それでも今 わたしがやらなくてはならないことは
これだから。
子供の為 だけでなく、自分の為にも。


パソコン 今日も立ち上がってくれた。
へろへろだけどわたしも頑張るよ。

多分 きっと わたしは しぶとい。
薬の力借りてでもこうしてまだこうしているのだから。


ミエも世間体もまだ残ってるなら捨てちまえ。
ぐちゃぐちゃみっともないのは恥ずかしいし
怖くて不安で身体は震えるけどそれでもいい 顔上げろ。
その代わりに大事なものだけは死に物狂いで守りぬけジブン。


--------------------------------------------------------


                            ゆうなぎ



2008年01月09日(水) 雪どけをまちながら




末っ子結局、始業式に出なかった。
今日も学校を休んでいる。
暫くはこれが続くだろう。

正直言うとわたしの胃は痛い。

”普通”に登校してくれたら 
毎日先生に連絡帳に書いて一日の報告をしたり
電話で状況をお話したり
学校に行かない代わりにせめて規則正しい生活を崩さないようにと
決まった時間に少しでも一緒に勉強をさせたり
その合間にも少しでも学校に行く方向に・・と
あれこれ考えて言葉がけしたりしなくてもいいのに。

常に気は休まらない。 
これをしなくてもいいだけでもかなり気持ちの負担は違う。
そんな風に思いもする。


末っ子は家にいる時はわたしを放さない。
朝から晩まで
おっかぁ!おっかぁ! だ。
今のわたしは自分のことをする余裕がほとんど無い。

疲れが溜まっているのか夜、末っ子が寝た後・・と思っていても
その前に自分がダウンしてしまい、
早くにわたしと寝る(腕枕して足を絡めてくっついて寝ている。
どうも気が付かないうちに寝顔にちゅーもしてくれてるモヨウ)
末っ子は朝も早いので ちょっと一息・・もムズカシイ。

PCもやっと立ち上げて(今回もかなりかかった。途中何度も呼ばれるので
その度 初めからやり直しになる)メールチェックなどの所用を
していても呼ばれるからとにかく大急ぎで済ませる。

この日記も書きかけて何度も呼ばれるので 中断しては
かなり時間をかけてでも急ぎながら書いている。


これは わたしたち親子の 家族の そして
わたし自身の大切な記録として書き残しておきたいので。



きついし、試行錯誤してるし 迷走してるけど
でも わかることが ひとつある。

それは今 この時間が わたしたちには必要なのだということ。

末っ子は今日 朝から勉強プリントを頑張って5枚仕上げた。
横についてはいたけど ほとんど口出す必要なしに。
いっぱい褒めたら鼻の穴膨らませて前のテスト綴りのプリントも
持ってきた。一枚一枚得意気にみせてくる。

こういうのをみていると学校自体が嫌いとかそういうのでは
無いように感じる。なんていうか 躓いて起き上がるタイミングを
逃してしまっているというような。


勉強の遅れも出席日数も不登校の問題も 
疎かにしていいことではないと思う。

ただ”とにかく問題なく普通であること”を重視して焦るあまり
子供の心を置き去りにして
身体だけを無理やり引きずっていったりだけはしたくない。

などといってもわたしに答えが見えているわけじゃないのだ。
それどころか子供と一緒に右往左往してる。
もっとしっかりした親なら違うのかもしれない。
こんな回り道をさせずに済むのかもしれない。

そう思うと心は散々に乱れる。落ち込みもする。

でも これがわたしにできる精一杯のやり方だから
一緒に笑って泣いて悩んで抱きしめて。
回り道でも大切なものだけ せめてしっかり落とさずにいれば
いつかこの雪も溶ける。

それを信じて今日も おっかぁ!の声に答える。


あ また呼んでる。

急いでPCの電源を落として末っ子のところにいってやります。


--------------------------------------------------------


                   ゆうなぎ






2008年01月08日(火) 1月8日の決意

三学期初めの日。

末っ子は昨日から ものすごく敏感になっていてソノコトに
やんわりとでも触れると表情がすっと変わり
イカナイと貝になる。

冬休みはとにかくできるだけ一緒に。
沢山 ぎゅうううして、色々話して遊んで。

そのお陰でか こわばっていた心が随分ほどけてきた感じで
わたしを気遣ったり、本来のいい笑顔を見せてくれるようになってた。

ただ 冬休みの終わりに実家でちょっとしたことがあって。
それはあくまでも良かれとの思いからだったのだけど
正直 今それは彼には逆効果なのに・・とわたしからすれば思える事で。
その場は治まったのだけど わたしが冬休み中かけて築いてきたものが
かなり壊されてしまうという結果になってしまった。

両方、みんな思いあっているのに どうしてこんなに
タイミングが合わなかったり、方向が食い違っていたりするんだろう。
対して、間に入って、 必死で何とかクッションや変換機になっても
それを嘲笑うかのように気まぐれなナニカが邪魔をする。

ひとの心は脆い。疲れたり迷走している時は特にそう。
わたしなんかのあまりにも小さな弱い力では
それをカバーしきれない。自分の非力が情けなく悔しい。


冷静に考えてこのままでは末っ子は今日の始業式に
イキタクナイ というだろう。
新学期の初めからそれは避けたい。
ほんの少しでもいいから 学校に行くということが
今日だからこそ特に大切だと思う。

積み上げては壊れての繰り返しでも諦めないこと。

”学校へ行くこと”が大切というよりも
心 と 学校=先生、友達=人=外の世界 が
彼の中でこんがらがってギクシャクしている部分を
一緒に解いていってやりたい。

今 考えているのは 登校時間より少し遅らせて
「おっかあも一緒に行くから 通知表だけでも先生に渡してこよう」
と 朝 伝えること。

ダメならダメでその時はまた考えよう。


昨夜から一晩かけて 
ある方に長い手紙とこれまでの経緯を添えたものを書いた。
それでどうなると期待してはいけないし、またこれは私たち親子が
対峙して時間をかけてでも乗り越えるしかないことだけども。
ただ 意固地にそればかりにこだわり過ぎてもいけないと思ったから。

少なくとも信じるに値する”人としての器の大きさ”をもってらっしゃると
思える方で子供達のことも小さな時から良く知ってくださっている。

全てとはいえないが 人様にお力添えを願う時には
キレイゴトだけでない こちらの状況や過程や事情をできる限り
知っていただかなくては どうしようもないと思う。
腹を断ち割って曝け出す覚悟。

昔気質の父などは それを恥をさらすことと考え
プライドが許さないだろうし だから わたしの書いたもののことが
耳に入れば激怒するだろうが、それでも敢えて。

これが結果的に良い方へ向かうのか惨敗に終わるのかは
わたしにすれば 勇気を振り絞っての賭けになる。
それでなくとも 人を信じて思いを託し助力を求める ということが
苦痛にすらなってしまう状態の自分であるので。

それでもどういう目が出るにしてもしない後悔よりも
してからの後悔の方がいい。
子供らのことならそれは尚更強く。

今更 わたし自身のことで失くして怖いものなど無い。
どうせ傷なら無数にあるし、世間様の評判も 人との関わりも
自分なりの礼を尽くした結果 どういわれることがあっても
それは仕方ない。



本当は全部が怖い。
今日からの色々なことを考えると頭が破裂しそうになる。
不安とパニックと心細さで身体は震える。

わたしもまた情けないほどに哂ってしまうほどに
臆病で弱い。
自分を鼓舞しながら腰が引けてる。誠にカッコワルイ。

だけど へっぴり腰でも往く。

いや 途中で何度もひっくりかえって、へたり込むだろうけど
でも多分 諦めは 悪いから。


宣言。
這いずってでも どんな深手負っても 
最期まで諦めないこと。しぶとく運命とやらに食い下がること。




もうすぐ夜が明ける。

今日が始まる。



--------------------------------------------------------
 

                    ゆうなぎ



2008年01月07日(月) にたものどうし




わたしのパソコンはわたしと似てる。



今回もこうして何とか立ち上がって
こうして日記を書いているわけだけど
ストレートに立ち上がるわけではない。
もうその力は無いのだろうなと思う。

もうこれはまるでひとつの儀式みたいになってきたのだけど
電源を入れて一度は普通に立ち上がるのだ。
ただ しばらくすると必ず落ちる。確実に落ちる。

そうしてそれから再度 立ち上がるまで
警告やらエラーやらが出ては落ち続ける。
ポイントは起動音で これがある程度
安定して聞こえて来ないとダメだ。

何回となく一連の動作を繰り返した後で
やっと立ち上がってくれた時は心底ホッとする。

それからは勝手に落ちたりしないのだ。
これも約束のように。


本当はサポートセンターに電話して修理に出した方がいいことは
わかってる。
壊れかけているのは確かで
それを無理させているのだからいいはずない。

だけど今 ウチにもわたしにも余裕がない。
騙し騙しでも一日でも長く頑張って起動し続けてもらいたい。
矛盾しているけどパソコンが何とかでもこうして起動してくれている限り
わたしはサポートセンターに電話しないだろう。

そしてそれに応えるかのようにパソコンは頑張ってくれてしまう。
だから 見て見ぬふりする。パソコンに心で手を合わせながら
いけるところまで・・と思ってしまうのだ。

皮肉なものだ。
頑張らなくて もう ダメです と投げ出した方が早くラクになるのに
でも それでは立ち行かないことを知っているから。

本当に動かなくなってからでは治らないかもしれないのに。
それでもやっぱり 今日も立ち上がる。

一度目に立ち上がって
でもやっぱり いつもどおり落ちて
それから もう一度 時間かけて とにかく立ち上がる。
これが最期かもしれないとどこかで覚悟しながら 
でも 立ち上がる。多分最期まで立ち上がろうとする。



ヘタるくせに壊れそうで完全に壊れない。
変なところでしぶとい。



似たもの同士。


--------------------------------------------------------


                      ゆうなぎ



2008年01月06日(日) Happy birthday to you







「ある晴れた日に」

消したものではなく
消えたものでもなく

自然に溶けていけたらいいな

そうして
残るのは 優しい想い出だけがいい

暖かい春のそんな日に
おひさまに目を細めて ふと

わたしを 想いだしてね

いつか




*




今日は大切なひとの誕生日。

日付が変わってすぐに おめでとうメールをしました。


風邪は相変わらずで心配かけてばかりだけど

毎年のこれだけはどうしても届けたくて。

すごく喜んで貰えて嬉しかった。


遠く離れた場所にいて

こうしていつまで側にいられるのかわからないけれど

その時間がすこしでも長いものでありますように と

そっとかみさまに祈ります。




 お誕生日おめでとう

あなたが生きて笑って幸せでありますように。




いつかわたしがいなくなる日がきても

どうか どうか かみさま。

「call」 鬼束ちひろ

目の前から私が消えてしまったら 貴方は名を呼び探してくれる?
この肉体が朽ち果てても逃げられなかったら 貴方は何度でも泣いてくれる?
正義や現実など今更 何にもならないって 気付いて 狂気を見せてよ
貴方が並べたどんなに 悲しい嘘にだって 今なら 縋りつけるから

だって例えば 私がいなくなる時には 一緒にいなくなってなど 言えるはずない

ねぇ何か言って

儚さが 滴り 時間を 染める どうか貴方にも届けばいい
ぎりぎり日常が 壊れていく音 どうかあなたにも聴こえればいい
貴方の優しい顔なんて私を喰い千切るだけで これ以上 見たくもないから

だっていつの日にか 私の姿が見当たらなくて 貴方が狂ってくれると 思えるはずない

ねぇ何か言って

だって例えば 私がいなくなる時には 一緒にいなくなってなど 言えるはずない

ねぇ何か言って

--------------------------------------------------------

                                 ゆうなぎ



2008年01月05日(土) ありがとう と ごめんなさい

自宅からですが まだどうにも心身ともにしんどくて。

メールのお返事や電話も待っててね。
心配かけてごめんなさい。
UPしたい画像なんかもあるのだけど
後日にきっと。


あのね 気になって書いておきたかったこと。少しだけ。

親も子も人間なんだよ って。
人間なんて誰でも完全なもんなんかじゃないよ って。

相手のこと想っていても不器用な言葉と態度で
伝わらないこと傷つけてしまうこと拗れてしまうこと 
悲しいけど沢山あって。

だけどね 傷つけられただけじゃなくて
自分もどこかで誰かを傷つけてることを
やっぱり忘れちゃいけないような気がする。

そんないったって痛いものは痛いし、つけられた傷は傷で。
許せも忘れられもしないのだけどわたしだって。

でも不幸を誰かのせいにするのはやっぱり嫌だよ。
そんなの悲しすぎるじゃないか。ミジメじゃないか。
だから それだけはしたくないって意地を張るんだ。


本当に極悪非道な人なんて多分いない。
いてくれたらどんなにかラクなのにね。

それぞれの言い分。
それぞれの感情。
それぞれの立場。
それぞれのイイワケ。

それだけの違い。だからやりきれない。


子供だけだった頃 親の気持ちなんてわからなかったよ。
親と子供両方になったときに少しわかった気がした。
親だってシンドイんだってこと。
親も子も不器用なんだよねぇ。ウチも三世代ご多分に漏れず。

でも最期に無意識にでも呼ぶのはやっぱりきっと 
オトウサン オカアサン


う やば 頭がぼんやりぐるぐる
このまま意識がなくならないうちに

もういちどおやすみなさい。


ゆうなぎ



2008年01月03日(木) 薄荷どろっぷす

缶かんの隅に残ってた
白い薄荷ドロップ。

薬飲んだ後、口に放り込んで転がす。

コンコン

また風邪をひいてしまったようで。
喉イタイ、鼻水クシャミ、ヘックション

まだ実家です。

なんやかやといろいろは
来年と呼んでいたのが
今年という現実になっても変わらず。

そんなものでしょうと
口の中、ちいさくなったカケラの名残を惜しみながら。

振ればカラコロと鳴る
缶に残った薄荷ドロップ
あと いくつ?

早く風邪治さなきゃね。


残り少ないけど薄荷ドロップ。

カラコロと鳴らしてみて
まだ大丈夫ねと言い聞かせて目を閉じる。

想う 逢いたいひとの微笑み。

明日は少し暖かな日だといいね。


枕元の缶に手が触れたら
カランとちいさな音。

薄荷どろっぷす

返事みたいに。


ゆうなぎ


 < 過去   INDEX  未来 >


ゆうなぎ [MAIL]

My追加