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2016年03月08日(火) 腹筋ローラーとバンドの思い出



腹筋ローラー?




や っ て ま せ ん





安定のクソ女まりあ。





なのに夫が優しい。
ミスっても怒らない。
むしろごはん作ってくれる。
浮気でもしてんのかな?
いや、相変わらず24時間ほぼ同じ場所にいるし。


なんかもう多分、私に必要なのは、
甘えさせてくれる夫でも親でも子どもでもなく、
だからって怒りもせず、あおりもせず、
「歩くのがいいのはわかってるけど時間がないンスよ」とかいう言い訳を淡々と聞いてくれるカウンセラーなのだと思う。
ライザップマジ悩んでる。
まぁ、そもそもオープンしてるのかしてないのかわからない田舎だけどな。






センチメンタルな思い出を思い出したので書きます。












19才くらいのとき、私はフリーターしながら、
週3くらいで男友達と宅飲みっていうふざけた生活だった。
大好きな寺島君という彼氏?はいたし、その恋も大切だったけど、
元々友達が少ないうえに、女友達ともなじめない性質の私は、
男友達数人と集まって笑わせてもらうのが、
本当に好きだった。


19才の私は、ただの色ボケで、世間も知らなくて、勉強もできなくて、
そりゃ恋のネタくらいは少しはあったけど、お金しか持ってなくて(しかも少ない)
人を楽しませることもできなくて、本当に面白くない子で、頭トチ狂っていた。
彼らとの時間を好きなのと同じだけ自分が嫌いで、
だからって自分を好きになる努力もしないで、ただただ、
彼らが帰る時間になると怯えた。


それでも、彼らはまた来てくれたし、(たとえ便利だったからだけでも嬉しい)
遊びに行くときについてくるのを許してくれた。
本当に優しい人たちに甘えてたんだなぁとしにたくなる。



そんななかで、バンドやろうって話になった。
歌の巧い男友達と、私のツインボーカルで、俺が曲作って…って。
私は、メンバーのひとりに数えてもらったのがすごくすごく嬉しかった。


なのに、その喜びを素直に行動に移すことができなかった。
自分が期待に応えられるとは思えず、積極的に動いていけなかった。
歌詞書いてって言われたからパソコンに向かってみるも、
失敗したらどうしよう、そればかり考えて、
ハウツーサイトを巡って時間だけが過ぎた。
渡るための石橋を壊しているただのデブだった。


結局、話は立ち消えのようになり、今はみんなバラバラだ。
さすがの私も大人になって、もうさびしくはないけれど、
あのバンド、もっと頑張ってみればよかったなぁと思う。

私ひとり頑張っても結果は同じでも、絶対に今とは違っていただろうと思う。
結果が欲しいわけじゃなくて、
あのときの喜びや、感謝や、わくわくした気持ちを、
彼らに伝えきれていないであろうことが心残り。
私は、彼らにたくさんの時間をもらったのに。



はぁあぁぁぁぁぁぁあ今ぐらい元気だったら、
寺島なんかぽいってしてあのひとたちと遊び倒すのにぃぃっぃいいいいい


まぁ、優しい夫がいるから、安心してるから、
こう思うだけなのかもしれんけどね 笑




あう。
今のままだと、その優しい夫に恩返しできなかったってまた泣くんだろうなー。
これを書きたくなったわけがわかった。
腹筋ローラーやってきます。




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