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2022年10月25日(火) やらずの後悔

読売新聞の「小町拝見」欄で、タレントの光浦靖子さんのコラムを読んだ。
三十代の頃、「いい歳してみっともない」と思われるのが怖くて恋愛に踏み込めなかったが、四十代になったときに「三十代なんて“いい歳”ではなかった」と気づいた。そして五十代のいま、「四十代も“いい歳”なんかではなかったんだ」とまた後悔している、という内容だ。

やりたいことがあっても周囲の反応が気になって尻込みしてしまう、というのは誰にもあることだ。とくに恋愛事では「イタイ人」と思われるのを恐れるあまり、一歩を踏み出せないことがある。
誰かを好きになったらじっとしていられないタイプの私は、自信がないだの時期尚早だのと言って見ているだけの友人がもどかしかった。
「うんと美人なら待ってればあちらから来てくれるけど、私たちみたいなふつうの女が同じことしてたらダメなの。幸せになりたかったら、自分から相手の目に留まりにいかないと!」
と発破をかけたものだ。

恋愛事にかぎらず、私はなにかをやるかやらないか迷ったら、たいてい「やる」ほうを選んできた。やっての後悔よりやらずの後悔のほうが大きいと感じているからだ。
人生においてそこそこ大きな決断をするときは当然慎重になる。でもだからといって、「やらないほうがいい理由」を探したりはしない。ましてや、年齢を理由にあきらめたことはない。
私は人よりずいぶん遅れて看護師になった。ひとり目の出産時、産科病棟が空いておらず小児科病棟に一泊したのだが、そこで働く人たちを見て「世の中にはこんな仕事があったのか」とショックを受けた。そして、後半の人生でやりたいことを見つけたと思った。
翌年ふたり目を生み、受験勉強を始めた私に何人もが言った。
「なにもいまさら……」
私がすでに三十代後半だったからである。
でも、私は「どこが“いまさら”なんだろう」と不思議に思った。まだ二十年、二十五年働けるというのに。いまさらどころか、この先産休も育休も取らずに定年まで働きつづけられるんだから、むしろグッドタイミングじゃないか。

が、そう思うのは私だけらしく、
「看護学生ってバイトもできないくらいハードらしいよ。体力とか記憶力とか大丈夫なの」
「学校で十八や十九の子とやっていけるの」
「資格を取っても、その歳で雇ってくれる病院はあるの」
とさんざん心配された。
当の私は勉強や実習についていけるか、クラスになじめるか、なんて考えもしなかった。それどころか、トップの成績をとって就職活動の際のハンデをカバーしようと思っていたくらいだ。仕事では世代や立場の違う人とずっと一緒にやってきたんだから、学校でも若い友だちができるわ、とも。
で、入学してみたらやっぱり私が最年長の学生だったが、なんの問題もなかった。尊敬できる先生に出会い、ひとまわり年下の親友ができ、第一志望の病院から内定をもらった。これまでの人生でもっとも勉強した、充実の三年間だった。



結局、私はやらなかったことに後悔しています。やらなかった後悔はいつまでたっても諦めがつかないからタチが悪いです。

読売新聞(2022年10月13日) 光浦靖子 「『いい歳して』と怖がらず」

成功であれ失敗であれ、「結果」があれば心に区切りをつけられる。が、決断や行動のないところにそれはなく、「もしあのとき……していたら」という思いを抱えたままになる。
私は「たられば」で生きていくのはいやだ。

自分の人生に必要なチャレンジなら、物怖じしている場合じゃない。誰になんと思われようと、やる。
それに、たぶんこちらが思うほど人は他人のことを気にしていない。「いい歳して」と一番声高に言っているのは、実は自分自身なんじゃないだろうか。

【あとがき】
患者さんから「若いからなんだってできるよ」とよく言われます。七十代、八十代の人から見たら、娘くらいの年齢の私はまだまだ「これからの人」なんですね。そうだよなあと思います。
昨夏から光浦さんはカナダに留学中。恋愛については後悔しているみたいですが、ずっとコンプレックスだった英語を話せるようになるために五十歳で留学を実行に移すとは。すごいなあ!


2022年10月08日(土) 〆切りというもの。

私は作家のエッセイを好んで読む。で、誰のエッセイでもお目にかかるのが「〆切りが迫っているのに、どうしても書けない」という話だ。
あるとき、林真理子さんはある有名歌手からヒップホップの作詞を依頼された。
「メロディを口ずさめば詞は浮かんでくるだろう。一日でできる」
と思い、引き受けたが、何日たっても一行も書けない。レコード会社から頻繁に電話がかかってくるようになり、いよいよ焦って徹夜もしたがまったくだめ。とうとうレコーディング前日になり、なんとかひねりだした一番だけをファックスしようとしたら、夫がゲラゲラ笑いながら言った。
「なんだ、これ。ど演歌の詞じゃないか」
林さんは疲労と絶望感から本気で泣いたそうだ。

こういうのを読むと、自分がその渦中にいるかのようにどきどきしてしまう。
「やっぱりできませんでした」とレコード会社に電話をしたら、「実は本職の方にも頼んであったので、そちらを使わせてもらっていいですか」と返ってきた、という最後のくだりには「あ〜、よかった」と思わず声が出た。
この趣味を二十年以上つづけているくらいだから私は書くことが好きだけれど、それを仕事にしたいとは思ったことがない。
食事の支度をしていても犬の散歩をしていても、「早く済ませて今日の原稿を書かないと……」があたまから離れずいつもいらいらしている、というのもエッセイによく出てくる話だ。プロはアイデアが出ようが出まいが、期日までに形にしなくてはならない。その生みの苦しみ、書けないときのプレッシャーは大変なものだろう。
そんな生活を想像しただけで酸欠になりそうである。

いま読んでいる『〆切本』という本は、明治の文豪から現代の人気作家まで九十人の書き手による「〆切り」にまつわる文章を集めたもの。
言ってみれば、「書けぬ、書けぬ」の大合唱。教科書に載るような大作家が屁理屈をこねたり居直ったり子どもみたいな言い訳をしたりして、〆切りから逃れようとする姿には笑ってしまう……が、それは読む側だから。原稿を受け取る立場の人の苦労が偲ばれるエピソードがてんこ盛りだ。

〆切りの四、五日前に編集部に電話をかけてきて、「あー、君、今回の連載は休みだ!」と言ってがちゃんと切ってしまう大御所。催促の電話をするたび「あと二時間待って」を繰り返すため、編集者が気をきかせて四時間後に電話をしたら、「せっかく書いたのに二時間たっても電話がなかったから、頭にきて破いちゃったよ。お前のせいだ」と怒る作家。
またある作家は、隣の部屋で原稿を待ちかまえている編集者に「ちゃんと書いている」と思わせるため、一晩中、原稿用紙をめくる音をさせていたそうだ。一枚も書かずに。
そんなことに労力を使うくらいならたとえ一行でも二行でも書けばいいじゃないかとツッコみたくなるけれど、編集者に張りつかれようとカンヅメにされようと書けないものは書けないんだろう。

しかしその一方で、こうも考える。
じゃあ「いつまででもお待ちしますから、心行くまでお書きください」と言われたら、さらにすばらしい仕事になるんだろうか。

だいたい作家などというものは、通常の仕事も耐えられないから作家になったのだ。朝早く起きられない。満員電車の通勤に耐えられない。他人がこわい。力がない。こういう人間は作家にでもなるしかない。しかし、本来なにもしたくないのが作家的人格であるから、作家になったとしてもなるたけ仕事だけは避けようとするのが人情であろう。

高橋源一郎|「作家の缶詰」|『〆切本』|左右社


だとしたら、名作といわれているものの中にも「まだか、まだか」とお尻を叩いてくれる編集者がいなかったら生まれなかった作品、完成しなかった作品があるにちがいない。
あるとつらいが、なかったら困る。それが〆切りというものなのかもしれない。

さて、私もこの日記をあげたらレポートに取りかからないと。放置してすでに一か月……。

【あとがき】
イメージ的に村上春樹さんは〆切りを守りそうだなと思っていたら、やっぱりそうでした。「締め切りの三日くらい前には仕上げてトントントンと原稿用紙の角を揃えて机の上に積んでおかないとなんとなく落ちつかない」そう。
ですが、「こんな作家ばかりだったら、編集者はありがたいだろうなあ」と思うのは素人考えのようで。
村上さんの目には、編集者は「もう〇〇さんにはまいっちゃうんだから」とグチりながらも、作家の家に泊まり込んだり受け取った原稿を車を飛ばしてデッドライン寸前に印刷所に放り込んだりといったことを楽しんでいるようにも見えるそうだ。

これでもし世間の作家がみんなピタッと締め切りの三日前に原稿をあげてしまうようになったら――そんなことは惑星直列とハレ―彗星がかさなるほどの確率でしか起こり得ないわけだが――編集者の方々はおそらくどこかのバーに集まって『最近の作家は気骨がない。昔は良かった』なんて愚痴を言っているはずである。これはもう首をかけてもいいくらいはっきりしている。

村上春樹|「植字工悲話」|『〆切本』|左右社

〆切りに苦しめられるのは書く側だけではない。でもすばらしい原稿を受け取ったとき、苦労は吹き飛ぶんだろうな。