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2022年04月23日(土) 何を笑うかで、その人柄がわかる。

職場の後輩の話である。
残業を終えて帰宅すると、五分も経たないうちに玄関のベルが鳴った。インターホンに出ると、「上の階に引越してきた〇〇です」と男性の声。ドアを開けると、大柄な若い男性が立っていた。
が、なんだか変。とくに話すこともないから切り上げようとするのに、曖昧な笑みを浮かべたまま立ち去ろうとしないのだ。肩越しに部屋の奥を見られている気がしてドキリとしたとき、誰かが階段を上ってくる足音が聞こえた。
男性がそちらに気を取られた隙に、彼女は少々強引にドアを閉めた。

「よその家を訪問するには遅すぎる時間だし、帰ってきたのを見ていたかのようなタイミングだし、引越しの挨拶なのに手ぶらだしで、引っかかってたんですよね。そしたら昨日、ショックなことがわかったんですよ……」
えっ、どうしたの。
「うちのマンションに〇〇って名前の住人はいなかったんです」

ひえええー。そこから昼の休憩室はひとり暮らしの女性の防犯対策の話題で持ちきりになった。
「やっぱり玄関には護身用のグッズを置いておかないと」
「悲鳴あげたって近所の人は助けに来てくれないからね。あわてて自分ちの戸締りを確かめるだけ」
「うちはゴルフクラブ置いてる。いざというときはそれで」
ほかにも、実家を出るとき弟が部活で使っていたバットを親に持たされたとか、小学生がランドセルに吊るす防犯ブザーを靴箱の上に置いているというスタッフがいた。
そういえば私もむかし、玄関には男物の靴や傘を置いておけ、ポストの表札には父親の名前も書けと言われていたっけ。



この話をしながら、私は最近ネット上で炎上した二人組女性ユーチューバーによる恫喝ドッキリを思い出した。
「配達員装ったおっさんが勝手に家に入ってきた時の相方の反応がやばすぎた」というタイトルのその動画は、メンバーのひとりがもう一方にドッキリを仕掛けたものだ。

「ウーバーイーツの配達員がいきなり家に押しかけてきたら、〇〇ちゃんはどんな反応をするのか見ていきたいと思いまーす」

配達員に扮した知人男性に「めちゃめちゃビビらしてください。全然泣かしてくれても大丈夫なんで」と指示し、彼を相方の自宅に向かわせる。打ち合わせ通り、男性は荷物を渡すと玄関に侵入。怯えて後ずさりする女性に写真を撮らせろと迫りながら、部屋の隅まで追い詰める。半泣きで拒絶する女性を「だからとりあえず脱げって、オイ!脱げや!」と押さえつけたところで仕掛け人が登場、「ドッキリで〜す!!」。声を失い泣き崩れる相方に「ガチ泣きしてるん!?これは怖すぎ?」と笑いながら声をかけた------という内容らしい。
らしいというのは、度が過ぎているとの批判を受けて、動画はすでに削除されているからだ。
(参照:「『脱げよ!』男性が家に侵入、恫喝ドッキリで女性泣き崩れる YouTuber過激企画に批判...動画削除」)

私はこの件を知ったとき、本当に驚いた。おとなが三人も関わっていて、よくそんな動画が世に出たな、と。
編集作業をしながら繰り返し動画を見ただろう。それなのに、「やっぱこれ、まずくない?」という声が誰からもあがらなかったことが信じられない。
仕掛け人と撮影に協力した男性にそれを期待するのは無理だとしても、相方の女性が動画の公開に同意したのが不思議でならない。
ネットニュースのコメント欄には、削除前に動画を見た人が「あれはトラウマになるレベル」「私ならこんなことをされたら友達をつづけられない」と書き込んでいた。だまされ、それほどの恐怖を味わわされたら、
「こんな動画、アップできるわけないでしょう!実際にこういう事件はいくらでも起きてる。面白おかしくネタにしていいわけがない」
「人が怯えて泣く姿を見せ物にしようだなんて悪趣味すぎる。やめてと泣く友達を見て笑う子どものいじめと同じじゃない!再生回数を稼ぐためならなんでもありだと思ってるの?」
と抗議するんじゃないのか、ヤラセでないなら。

二人はその後アップした謝罪動画の中で、
「『少しでもいい動画を作りたい、面白い動画を作りたい』という気持ちが先行してしまった」
と言っていた。これを視聴者に喜んでもらえる、笑ってもらえると思うのだから、世間の反応を予測できるはずもない。
撮影中に起こりうる危険についても想像していなかったんじゃないだろうか。見知らぬ男に家に押し入られ、部屋の隅まで追い詰められたとき、頭をよぎるのは「レイプされるか殺される……!」ということだ。そのとき、玄関にバットやゴルフクラブを備えている私の同僚のような女性だったら、そこらにあるもので相手を殴りつけたり切りつけたりするかもしれない。
そこであわてて仕掛け人が飛び出して、「テッテレ〜〜!」とやっても遅い。
また、動画を見て、
「怖っ!こういうリスク、たしかにあるよね。もうウーバー頼むのやめよう」
と思う人もいるかもしれない。実在の企業の名前を出したらどういうことが起こり得るかということは考えていたんだろうか。



何を笑うかによって、その人柄がわかる。

(マルセル・パニョル/フランスの劇作家)

吉野家役員の“生娘シャブ漬け”発言。笑いながら話し、聴衆からも笑いが起きていたそうだが、その発想も表現もただ気持ちが悪いだけだ。
かまいたちの山内さんの“エレベーター”のエピソードもちっとも笑えない。女性に相乗りを避けられてカチンときたのはわかるが、警戒されたと感じたのなら、なぜわざわざもう一回降りて行って自分を怖がっている相手をさらに怯えさせるようなことをするのか。
「ウィーンって(ドアが)開いた時に向こうどんな顔するのかな、と」
驚かせて反応を見てやろうなんて考えることが不気味だし、それをテレビでネタにする感覚も理解できない。

でも、批判され炎上し、自分の感覚が世間一般のそれからズレていることに気づかされたときが、人が変われるチャンス。
そうしたら、面白いと感じるものもこれまでとは違ってくるんじゃないだろうか。

【あとがき】
ネットニュースのコメント欄を見ていたら、「ドッキリなんてヤラセに決まってるんだから、そのつもりで見るもんだ」とか「お笑い芸人の話は“ネタ”なんだから、真に受けてあーのこーの言うのはナンセンス」とかいう書き込みがあって、初めからそういうスタンスで見ている人もいるんだなあと知りました。
無粋にも、今日のテキストは思いっきり真に受けて書いちゃいました。


2022年04月21日(木) 読むために、書く

最近まで就職活動をしていたという大学生と話す機会があった。
「内定をもらってなにがうれしいって、心おきなくSNSができるようになったことです」
と言う。そっか、就活中はその楽しみも控えてがんばっていたのね……と思ったら。
「企業の採用担当者に見られているかもと思ったら、無難なことしか投稿できなくてつまらなかった。でも、もう人事の目を気にしなくていい。よほどのことがなければ、内定取り消しにはならないだろうから」

近年、学生のSNSを確認する企業が増えているという記事を新聞で読んだことがある。
コロナ禍の採用活動では、最終面接で学生と初めて対面するという企業は少なくない。それどころか、オンライン面接だけで内定を出す企業もある。従業員が不適切な写真や動画をSNSに投稿し、企業がイメージを損なったり謝罪しなければならなかったりする事例が後を絶たないこともあり、企業は採用候補者の本当の人間性やネットリテラシーを確認しておきたい。そのために彼らの過去の投稿や「いいね!」先、友達などをチェックしている------という内容である。
就活情報サイト「キャリch」の調査では、九割以上の人事や採用担当者が就活生のSNSを見ていると答えたそうだ。

へええ!内定をもらうためには、プライベートであるはずのSNSのアカウントまで差し出さなくてはならないのか。
嫌なら教えなければいい、というわけにはいかないらしい。フェイスブックは本名で登録しているし、いまどきの若者がツイッターやインスタグラムをしていないわけがないから「アカウントを持っていない」は通用しない。就活用に捨てアカウントをつくり、そこで“理想の学生”を演じる人もいるけれど、自分にはそんな器用な真似はできないと彼女は思った。
「就活本には心配なら公開範囲を制限するよう書いてあるけど、それもなんか、やましいことがあるんじゃないかって思われそうで……」
それで彼女はツイッターに鍵をかけなかった。そうしたら、投稿しても問題のない内容かということが気になって本音が言えなくなり、ちっとも楽しくなくなってしまったそうだ。



わかるなあ、それ。
彼女の話を聞きながら、思わず頷く。私はツイッターもインスタグラムもしないが、自分のものなのに自由にできない残念さは容易に想像できる。
私は以前、知人が私のサイトを読んでいることに気づき、思うように書けなくなってしまったことがある。

「書きたいもの」と「書けるもの」のギャップこそ、日記サイトの寿命を縮める最大の要因だと思う。

(2021年10月7日付 「日記サイトの寿命」)

と書いたように、それから七年間、私は一文字も書かなかった。

どうしてここで文章を書いているの?と訊かれたら、「書くことが好きだから」と答える人が多いだろう。でも、私が好きなのは書くこと自体ではなく、書いたものを後から読むこと。
あるオフ会で過去記事について話していたら、「更新後に読み返すことはない」という人が多数派で、とても驚いた。
「投稿したら自分の手を離れたという感じがするから、執着がない」
「次書くものに気持ちが向かうから、過去の文章を読もうとは思わない」
と口々に言う。投稿ボタンを押してからがこの趣味の醍醐味、の私とは正反対である。
さすがに十五年も二十年も前のテキストは感想でもいただかないかぎり読み返すことはないが、ここ数年で書いたものはときどき読む。たまった記事はブログの書籍化サービスを使い、本の体裁にもする。この楽しみのために、私はひたすら「自分が読みたいと思うもの」を書いてきた。
だから、なんらかの理由でそれがかなわなくなったら、私はたちまち書く意欲を失うだろう。

逆に言えば、そこさえ押さえておけば書きつづけられるということ。
どれだけの人に読まれたかではなく、自分が何度でも読み返したくなる文章であるかがクオリティの指標。もしアクセス数や「いいね!」の数をモチベーションにしていたら、私はとうの昔に書くのをやめていたに違いない。
「えっ、読んでくれた人、これだけ……?」
とびっくりすることもある。が、「あれだけ時間をかけて書いたのに、やっていられない」とはならないのは、誰のためにも書かず(2021年9月5日付『誰のためにも書かない。』参照)、ただ「自分が納得のいく文章を書きたい、読みたい」でしていることだから。
たくさんの人に読んでもらえたらそりゃあうれしい。でも、自分が自分の熱心な読者でいられたらオッケーだ。
動機が“自分の中”にあるかぎり、私はここにいられる。



私が利用している、あるエッセイ投稿サイトが六月でサービス終了になる。
書くことが本当に好きな人の集まりで、アナウンスがあってからはどこに引越そうか、過去記事をどうしようかという内容の記事がよくあがっている。その意味を見つめ直し、書くことをつづけるかどうか悩んでいる人もいるようだ。
この先はみんなばらばら。それぞれが「ここなら」と思える場所を見つけ、笑顔で発つことができたらいいなと思う。

【あとがき】
就活生のSNS調査の話。学生が申告したアカウントだけでなく、調査会社に依頼して裏アカを特定してチェックする企業もあるそうです。お、おそろしい……。


2022年04月10日(日) 忘れられない給食の味

昼の休憩室で、同僚が冷蔵庫から取り出した食後のデザートを見て、声があがった。
「それ、とくれんやん!」
「ほんまや、懐かしい。いまもあったんやー」
「そうやねん、スーパーの催事みたいなとこで売ってるの見かけて、買わずにおれんかったわ」

「とくれん」というのは、小学校の給食で出てきたオレンジゼリーだ。
商品名より「とくれん(徳島県加工農業協同組合連合会)」の文字のほうがずっと目立つため、みんなそう呼んでいた。当時は紙カップではなくプラスチックの容器だったし、フタのデザインもちょっと違っている気はするが、四十年も前に食べていたものが残っていることに驚いた。
配膳時は凍っていて、食べる頃にはちょうどいい感じに解けてシャリシャリになっているのがおいしかったんだよなあ。

そこから、好きだった給食のメニューの話になった。
私が真っ先に思い出すのは「鯨肉のノルウェー風」だ。若い人は鯨を食べたことがなくなんの郷愁もないため、「鯨なんてこのままずっと食べられなくたってべつにかまわない」とさらっと言うが、私にとってそれは「もう一度食べたい給食のおかず」ナンバーワンである。
揚げた鯨肉とミックスベジタブルをケチャップで甘辛く煮たもので、肉はかなり歯応えがあったが本当においしかった。食べた後の器が鯨の脂でオレンジ色に染まっていたことまで覚えている。
北欧を旅行したとき、ノルウェーのレストランでこのメニューを探したのだが、見つけることはできなかった。ベルゲンという港町の魚市場でもおじさんに訊いてみたけれど、知らないとのこと。
私はこのメニューでノルウェーという国を知ったのだが、あちらの料理ではなかったんだろうか。

が、この話をしても「そのノルウェー風ってなに?そんなの知らない」と言う人が少なくない。
同年代で同じ関西出身の同僚も「給食で鯨っていったら、竜田揚げでしょ」と言い、今度は私が「そんなの食べたことない」と返す番だ。
「給食の鯨肉、おいしかったなあ」「また食べたいねえ」と話していても、両者が思い浮かべている味はぜんぜん違うのである。



給食のメニューは世代や地域によってかなり違うと知ったのは、
「『懐かしいものを見つけた』と夫が大きな棒状のドーナツを買ってきた。砂糖ときなこがまぶしてあって、まさに給食の揚げパンだと言うが、私はコッペパン以外食べた記憶がない。こんなおやつみたいなパンがお昼に出たなんてうらやましい」
という話を日記に書いたときだ。
「ココアやシナモンがかかった揚げパンが大好きでした」
「うちの学校は食パンでした」
「ぶどうパン、黒糖パン、メロンパンが出たことがあります」
といろいろなパン情報が集まったが、それ以外にも昭和の給食の“思い出の味”がたくさん届いた。その中には私がまったく知らないものがいくつもあった。

たとえば、「ソフト麺」。
「おいしかった」「楽しみだった」と一番人気だったのだが、私はその名称を聞くのも初めて。
「ソフト麺のカレーがおいしかった」と書いている人がいれば、「ミートソースが一番合う」「ラーメンのスープに入れて食べた」と言う人も。うどんでもスパゲティでもなく、和にも洋にも中華にも使える麺とはいったい……。うーん、まるでイメージが湧かない。
また、「ミルメーク」も私の思い出にはないものだ。
牛乳に溶かすと甘いコーヒー牛乳になる粉で、その日は牛乳嫌いの子もごくごく飲んだという。へえ、ミロみたいなものかしらん。

一方、トンデモメニューを挙げてくれた人もいた。
揚げパンとソフト麺がダントツの人気であるのに対し、「あれだけは二度と食べたくない」は実にさまざまだった。
「幸福な家庭はみな一様に似通っているが、不幸な家庭はどれもその不幸な顔は違っている(トルストイ)」
というやつか。

女性・千葉県
わかめご飯が人気メニューだったからなのか、ある時「わかめパン」というのが出たんですが、ありえない味でした。かなりの不評だったせいか一度きりでしたが……。

女性・東京都
「ウーロン茶ゼリー」が出たが、その中に何故かきくらげが入っていて教室内が騒然となった。あのインパクトは何十年経っても忘れられない。

男性・岩手県
ナスのヨーグルト和え、紫の生温かいヨーグルトにナスが入っている代物です。これだけは二回も出たことを覚えています。

女性・福岡県
最後の給食の日に当時珍しいクレープがデザートとして出ました。これは卒業祝いだと全員大喜びで、特に食い意地の張った男子などはあちこちからもらって(略奪含む)机にクレープが5個なんて子もいました。そして全員が期待して口にしたクレープの中身は納豆でした。

女性・岐阜県
見た目はモナカアイスそっくり(凍ってる)。でもアイスクリームの代わりに納豆がぎゅうぎゅう詰めになっている……。
献立表には「モナカ」としか書いてなかったので、教室のあちこちで悲鳴があがりました。


どれもすごいセンスだ……。
こんなメニューが出てきた日は子どもたちは苦労しただろうな。だって、給食を残すことは許されない時代だったから。

女性・大阪府
嫌いだった献立は昆布を干瓢で巻いたやつ。掃除の時間まで残されたあげく、先生にぐちゃぐちゃに切り刻まれても食べられなかったです。干瓢は紐に見えて食べ物と思えませんでした。トラウマで今も食べられません。

女性・静岡県
私は好き嫌いが多くて、小学校1、2年の時はしょっちゅう残されて食べてました。食器を持って教室から給食室の前に移動し、立って食べさせられました。おかずは冷めてますますまずくなり、それを口に流し込むのはつらかったです(>_<)


掃除の時間に埃が舞う中、給食を食べさせるなんてことをいまの先生がしたら、教育委員会に訴えられるだろう。
でも当時、学校にクレームをつけた親がいるという話は聞いたことがない。子どもたちも反抗せず、けなげに食べようとしていたもんなあ。
……それなのに。

女性・愛知県
納豆汁の日だけ、残しが許されました。担任の先生が納豆嫌いだったからです。


ええええ。先生ずるーーい。



「とくれんの日に休みの子がいたら、ジャンケンで争奪戦になったよね」
「揚げパンが余ったときも。いつもはおかわりしない女子まで参戦してた」
「あの頃、欠席したらクラスの子がパンを届けてくれたけど、揚げパンの日はなぜか届かない」
「牛乳飲んでる子を男子が笑かして鼻からブーとか、牛乳瓶のキャップでメンコとかあったなあ」

給食あるあるに花を咲かせながら、ふと思う。
いま、学校では黙食が指導されている。一年生、二年生は友だちと机を合わせておしゃべりしながら食べる給食を知らないだろう。
子どもたちが授業中と同じように前を向き、無言で食べている姿を想像すると切なくなる。
笑い声や「おかわりいる人〜?」「はーい!」が聞こえる、あの風景が一日も早く教室に戻りますように。
大人になったとき、給食の思い出抜きに小学校生活は語れないから。

【あとがき】
コッペパンについてくる銀紙に包まれた四角いマーガリンがたまにチョコレート味になることがあって、うれしかったなー。イチゴジャムの小袋に書いてある豆知識(「キリンの首はなぜ長いか」とか)を読むのも楽しみでした。


2022年04月06日(水) 桜餅の葉っぱ、食べますか?

ナースステーションの受付には「職員へのお心づけは固く辞退申し上げます」と貼り紙がしてある。
しかし、患者さんやご家族から「感謝の気持ちだから、どうしても受け取ってほしい」と言われることも多く、お菓子はありがたくちょうだいしている。

今日もお昼を食べていたら、同僚が高級そうな包装紙に包まれた大きな箱を持って休憩室に入ってきた。午前中に退院した患者さんからのいただきものだという。
「生ものだから、今日中に食べてって言ってたけど……」
と言いながらふたを開けた彼女が「すごーい!」と歓声を上げた。見ると、桜の葉っぱにくるまれた薄ピンク色のおはぎが箱にぎっしり。
クッキーやフィナンシェなどの洋焼菓子はよくいただくが、和生菓子はめったにない。しかも、この時期だけの桜餅。みんなのテンションが上がり、われもわれもと手が伸びた。

桜餅は食べるときの“お作法”が人によって違っていて、おもしろい。
葉っぱごとぱくりといく人もいれば、ていねいにそれを取り除いてお餅だけを食べる人もいる。
ところで、桜餅には二種類あることをあなたはご存知だろうか。
以前、日記に「私は桜餅の葉っぱの真ん中に通っている太い筋を取り除いてから、ふたたび包んで食べる」と書いたところ、読み手の方から、
「私の場合、どちらの桜餅かによって答えが違ってきます。道明寺桜餅なら葉っぱは食べませんが、長命寺桜餅なら食べます」
というコメントが届いた。
「道明寺?長命寺?」
ネットで調べたら、前者は関西の桜餅、後者は関東の桜餅、とあってびっくり。

これが関西の桜餅。私にとって桜餅といえばこれ。
つぶつぶのもち米で餡を包んだもので、もちもちとしたやわらかい食感がいい。
関東ではこれが桜餅としてではなく、「道明寺」という名で売られているという。

そして、これが関東の桜餅。「長命寺」というそうだ。
小麦粉を練ってクレープ状に焼いた生地で餡を包んだもので、やはり薄いピンク色をしている。
桜餅としてはもちろん「長命寺」という名でも、これが関西で売られているのを私は見たことがない。


関西の人と関東の人が「桜餅っておいしいよね」「私も大好き」と話しているとき、二人は味もかたちもまったく異なるものを思い浮かべているのだ、ということをそのとき初めて知ったのだった。

しかしながら、私の中にある疑問が残った。
西と東で桜餅が別物であることはわかった。しかし、「道明寺なら葉っぱは食べないけど、長命寺なら食べる」とはどういうことなのだろう。どちらも同じ塩漬けの葉っぱなのに、どうして食べたり食べなかったりということになるのか。
これが逆のパターンだったなら、まだわかる。道明寺(関西ではこういう呼び方はしないが)は本体がもちもちしているため葉っぱを剥がすのは大変だが、クレープ生地の長命寺なら簡単だろうから。
でも、コメントをくれた方は剥がしづらいほうの桜餅の葉っぱを苦心して取り除き、剥がしやすいほうは葉っぱごと食べるという。どうしてなんだろう。

……と思ったが、ご本人に訊くこともなくすっかり忘れていたある日、JALの機内誌で二種類の桜餅について書かれたコラムを見つけた。
「関東は葉っぱを食べるのを前提にしてやわらかい葉を使い、関西は匂いづけのために小振りのちょっとかためを使う」
という一文を読んで謎が解けた。と同時に、「ほらあ、私の食べ方は邪道ではなかったじゃない!」と快哉を叫んだ。
「葉っぱを剥がし、茎や葉脈を取り除いてからもう一度お餅に巻いて食べる」と書いたら、行儀がよろしくないと言われてしまった。だが、いままで私が食べてきた桜餅にはやはりかための葉っぱが使われていたのである。

その日記に届いた「葉っぱを食べる、食べない」コメントをまとめてみたら、こうなった。

一番左の棒が全体、つまり「桜餅といえば道明寺」「いや、長命寺だ」「どっちも見かけるよ」を合計して出した結果。
68%が「葉っぱごと食べる」、32%が「剥がして食べる」となっている。
そして、桜餅の種類によって食べる、食べないの比率が異なるということはなかった。

葉っぱの“処遇”は、餡の甘さと葉っぱの塩けのコンビネーションをどう評価するかで決まる。

食べる(長命寺/男性)
餡子の甘さと桜の葉の塩けが絶妙のバランス。葉っぱごと食べるからおいしい。


食べない(道明寺/女性)
葉っぱの塩味と中身の甘さが一緒になっているのが嫌。それに葉っぱのまま食べるとしょっぱすぎる。


他にも見事に対立する意見があり、おもしろかった。

食べる(道明寺/男性)
葉っぱが剥がしにくいのは、剥がすべきものではないからではないでしょうか。


食べない(長命寺/女性)
我が家では家族の誰も葉っぱを食べず、子供の頃から「あれは包み紙だ」と思ってきたので食べられると知ってからも食べる気がしません。


食べる(どちらも有/女性)
柏餅の葉は味がついてないけど、桜餅は塩味がついている。もし柏餅のようにはがして食べるものなら、わざわざ塩漬けしないのでは……。


食べない(道明寺/男性)
柏餅や柿の葉寿司の葉っぱを食べますか?桜餅も同じで香りづけのためのものという認識なので、食べません。


食べない派も葉っぱの存在意義は認めていることがわかるのが、このコメント。

食べない(道明寺/男性)
スーパーでたまに見かけるビニールの偽葉っぱ、あれはいただけません。いくら食べないといっても桜の風味がないと思うと買う気になりません。


ちなみに、「三つ食へば葉三片や桜餅」と詠んだのは高浜虚子。彼は剥がして食べる人だったらしい。



道明寺と長命寺、どちらが本物の桜餅か、なんてどうだっていい。慣れ親しんできたほう、好きなほうがその人にとっての「桜餅」なのだ。
……ときれいにまとめて終わりたいのはやまやまなのだが、これを書きながら「桜餅といったら、やっぱり道明寺よね!」と頷いた私。
私が生まれも育ちも関西だから、ではないよ。
思い出していただこう。「道明寺」は道明寺粉で作った餅で餡を包んだもの。「長命寺」はクレープ状に焼いた小麦粉の生地で餡を巻いたもの。
ハイ、もうおわかりですね。

長命寺って、いったいどこが“餅”やねーーん。

【あとがき】
ちなみに、全国和菓子協会の見解は「お菓子本来の味を楽しむため、桜餅の葉は食べないことを推奨」だそうです。
そして、享保二年に長命寺桜餅を考案した東京・向島の老舗和菓子店「長命寺桜もち」のサイトには、「桜葉はお餅の香りづけと乾燥を防ぐためにつけてあります。当店では桜葉をはずしてお召し上がりいただくことをお勧めいたします」と書いてあります。……ええっ、そうなの!?