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2021年01月31日(日) 勝つことよりも。

向かいに座っている女性三人は、子どもが同じ運動部に所属しているママ友のようだ。どうしてわかるかというと、電車に乗り込んできたときから、話題がもっぱら部活動の顧問についてだったからである。
彼女たちの子どもは小学生のころからその競技をつづけており、親も活躍を期待している。しかし、現在の顧問の教員は未経験者のため、実技指導をすることができない。三人の保護者はキャリアの短い顧問より競技に詳しいと自認しており、練習メニューや試合・合宿のスケジュール、試合時の采配、キャプテンやレギュラーの決定にも疑問と不満を隠さない。子どもも自分たちより下手な顧問をなめてしまっているという。
「やったこともないスポーツの顧問をやれって言われて、先生も気の毒だとは思うけど」
「先生にとっては部活はボランティアみたいなものだもんね」
と一定の理解を示しているかのようなことを口にしながらも、「お飾り顧問」「ド素人」といったフレーズがさらりと出てくるところに三人の本音が窺える。
結局、「顧問の指導力不足で、子どもたちが能力を伸ばせずチームが結果を出せないでいる」と言っているのだった。

「他のママも集めて、顧問を替えてほしいって学校に言ってみようよ。無理なら、外部から指導者を連れてきてもらうとか」
目を閉じて聞きながら、驚いた。その要望は中学校の部活動に求められる範囲のものなのか。
しかし、“熱心”な保護者はここまで介入してくるのである。顧問の教員が置かれている立場を想像したら、思わずため息が出た。
ルールもよく知らない競技の部活動の顧問になるのはどんなに気が重いことだろう。しかしさらに大変なのは、本務を後回しにして練習を見るから平日はもちろん残業になり、土日も少なくとも一日は練習や試合で潰れることだ。私などはこれを考えただけで、自分は中学校の先生にはなれないやと思うのだが、そうして自分や家族のための時間を割いて顧問を引き受けてくれる教員がいるから、今日まで部活動が存続しているのである。しかしそのことに、子どもだけでなく大人も気づいていない。
保護者に練習内容を知らせれば「こんな練習では勝てない」と改善を求められ、試合が終われば先発メンバーの人選や采配の根拠を問われる。そこに顧問に対するリスペクトはない。
こういう保護者から及第点をもらうには、顧問はどれだけのプライベートな時間とエネルギーを捧げなくてはならないことか。嘆きたいのは教員のほうではないだろうか。

わが子のために環境を整えてやりたいという気持ちはわかる。しかし親としては、その前に必要なことがあるんじゃないか。
「先生は技術的な指導はできなくても、朝練も放課後の練習も見てくれて、休みの日だって部活させてくれるでしょう。先生にも大切な家族がいて、ほんとは少しでも早く家に帰ってゆっくりしたり自分の子どもと過ごしたりしたいところを、あなたたちのためにがんばってくれているの。みんなが部活をつづけられるのは先生のおかげなんだよ」
と教えてあげてほしい。そして、「もしあなたが先生の家族の立場だったら……」を想像してみるよう促してほしい。
誰に支えられていまの自分、いまの生活があるのか。子どもがそれに気づき、素直に感謝できる人間に育つことは、「中学校の部活動で好成績を収める」という経験以上に彼のこれからの人生に豊かさと幸福をもたらすと思うのだ。

【あとがき】
三人の保護者は他人の耳目のある場所であれだけ遠慮なく話していたくらいだから、家ではさらに言いたい放題なのでしょう。それを聞いていたら、子どもが顧問の教員を見下すようになるのも無理はない。
たしかに、未経験の顧問では心もとないと感じる場面は多いでしょう。技術的な指導をしてもらえず残念なのもわかる。でも、ちょっと想像してみてほしい。自分が顧問の教員の家族の立場だったら……?「夫(妻)は部活のために毎日残業して、休日にも学校に行っているのに、下手だからって生徒からも親からも空気みたいな扱いをされている」「僕たちはパパ(ママ)と一緒に過ごす時間が少なくても、部活だからしかたがないって我慢しているのに、いてもいなくても同じ“お飾り”って思われている」なんて、やりきれないのではないでしょうか。
ないものにばかり目が向き、あるものには気づかないというのは、決して幸せなことではないと思います。


2021年01月25日(月) 気にする、気にしない

同僚の話である。義妹が結婚することになったので、車ですぐの夫の実家を訪ね、お祝いの品を贈った。義妹も義父母も喜んでくれ、ほっとしたのもつかの間、後日夫を通じて耳にした義母の言葉にもやもやしているという。
訪問の数日後、仕事帰りに実家に寄ってから帰宅した夫が言った。
「母さんが、『お祝い事だから、日を選んでほしかった。それに人に物を贈るときは、午前中に届けるもんだ』って言ってた」
同僚はそのとき初めて、「吉日を選ぶ」という発想がなかったことに気がついた。その何日か前に義妹に連絡したら、「その日ならずっと家にいるから、何時に来てもらってもだいじょうぶ」と言われたため、用事を済ませたあと午後に訪ねたという。その場では義母はなにも言わなかったが、内心思うところがあったのだ。
それを知り、彼女は自分の至らなさを痛感し、情けなくなった。が、その一方で、面白くない気持ちも湧いた。「何時でもいい」と言っていたところをみると、義妹もそういうことを気にしていたとは思えない。
「そこまで気が回らなかったことは失敗だったけど、でもだからってそんなにがっかりされなきゃいけないこと?そもそも、この時代にそんなことにこだわるのがおかしくない?」
と彼女はこぼした。

同僚の「大事なのは気持ちでしょ」はもっともだ。でも、“お日柄”を気にする人たちは「贈答や慶事弔事の際、作法に則ること」も相手を大切にする気持ちのあらわれ、とみなすのである。
もしかしたら義母は「贈答のマナーも知らないなんて」と息子に愚痴ったのではなく、嫁が今後誰かに常識知らずと思われないよう教えておいてあげなきゃと思ったのかもしれない。
友人に、仏滅に結婚式と披露宴をしようとして双方の親に縁起が悪いと猛反対され、「それだったら出席しない」とまで言われ断念したというのがいる。彼女は、
「仏滅プランだとサービスがグレードアップして費用は安くなる、式場は混雑しない、希望日で予約を取りやすい、でいいことづくめだったのに……」
と悔しがっていたが、そのドライな感覚を親世代に理解してもらうのは難しいだろう。
結婚式や披露宴は自分たちのためだけに行うものではない。式場を選ぶ際に遠方から足を運んでくれる人たちのアクセスを考えるのと同じように、日取りに関しても両家両親や年配のゲストの心情に配慮してもいいんじゃないかと私は思うくちだ。
大学進学のために一人暮らしを始めるとき、引越し業者の予約を取ろうとした私に母が言った。
「三隣亡の日は避けなさいよ」
三隣亡とは建築関係の大凶日で、この日に地鎮祭や上棟式、竣工式といった建築行事を行うと火難が起こり三軒隣まで焼き滅ぼすと言い伝えられている。「そんなの科学的根拠のない迷信だ」とこちらは気にしなくても、転居先の隣人はそうでないかもしれない。だから「自分がよければ」ではだめ、今後の付き合いを考えると得策ではないよ、と。
たしかにそうだなと思った。気にする、気にしないは個人の自由。だけど、それを重んじる人もいることを忘れてはいけない。

そうは言っても、もう十年もすればこれらのしきたりや迷信にこだわる人はぐっと減るだろう。六曜が記載されたカレンダーも結婚式の仏滅割引もなくなっているかもしれない。
先日讀賣新聞で、「丙午(ヒノエウマ)の女」の迷信が影響して、直近の丙午の年(一九六六年)の出生数は前年と比べて二十五パーセント減だったという内容の記事を読んだ。
丙午は六十年に一度訪れる干支。その昔、丙午生まれの八百屋お七という女性が激しい恋心の末に、「火事が起きれば愛しい彼に会える」と江戸の町に放火した事件が起こり、そこから「丙午生まれの女性は気性が激しく、夫を食い殺す(寿命を縮める)」という俗説が広がったと言われている。
次の丙午は五年後の二〇二六年。しかし、そのときには女の子が生まれるのを恐れて妊活を延期しようと考える人はほとんどいないだろう。
二十代の同僚に「丙午」と言っても誰も知らない。それに知っていたって、その頃に結婚・出産の適齢期にあるのは丙午に生まれた女性が生んだ子ども世代。丙午生まれを不吉だなんて思うはずがないもの。

【あとがき】
丙午を知らない人も多いけど、「三隣亡(サンリンボウ)」を知っている人はさらにいませんね。で、知らなかったら、周囲に配慮のしようがないわけで。棟上式や地鎮祭をしようとしたら建築業者が止めてくれるでしょうが、引越し業者は教えてくれるかどうか。「この日に建築や工事を始めるとその建物だけでなく隣三軒にまで悪い影響が及ぶ」という言い伝えがあることを知っている人の隣に、何も知らず三隣亡に引越してくる人があったら……と想像するとちょっとコワイです。その後の近所付き合いに影響することもあるんじゃないでしょうか。三隣亡って字面からして恐ろしい……。


2021年01月17日(日) コロナが明けたら……

「わ、おいなりさん!」
職場の休憩室で弁当箱の蓋を取ったら、椅子ひとつ分空けた隣席で先に昼食を食べていた同僚が声をあげた。
「家でつくったん?」
「うん。何日か前から食べたくって」
「へえ、私つくったことないわ。ごはんの中になにか具入れてるん?」
回転寿司店でその皿に手を伸ばすことはまずないが、油揚げを甘めの煮汁でふっくら炊いたいなり寿司を無性に食べたくなることがたまにある。スーパーで買ってもそこそこおいしいのだけれど、自分でつくれば酢飯に甘辛く煮たにんじんやしいたけを入れてもっとおいしくできるし、なにより好きなだけ食べられるもんね。
そう答えようとしたとき、唇に人差し指をあて「シーッ」とジェスチャーをする別の同僚の姿が視界に入った。
……おっと、いけない。お昼を食べながらのおしゃべりは禁止なんだった。
ぜったいにクラスターを出してはならないと、緊急事態宣言が発令された昨春から、昼の休憩は三交代になった。壁に向かって配置されたテーブルに横並びに座り、食事中の私語は禁止。私生活でも家族以外と食事や外出をしないよう言われ、県をまたいで移動する際には事前の届け出が必要だ。Go ToトラベルやGo Toイートの恩恵を受けることはもちろんできなかった。

通勤途中、ジョギングをしている人をよく見かけるが、ほとんどがマスク着用である。運動場で部活動中の中学生もマスクをしている。
スーパーに行けば、「マスクをお忘れのお客様はサービスカウンターにて一枚単位でマスクを販売しておりますので、お立ち寄りください」のアナウンス。バスを待つ列に並ぶ人がマスクを着けておらず、ほかの人から「マスクお持ちじゃないんですか。乗るならマスクしてください」と詰め寄られているのを見たこともある。世界が変わってしまったことを思い知らされる瞬間だ。
いまやマスクなしでは社会生活を送ることができなくなってしまった。

年始に受け取った年賀状やLINEのメッセージの中に、「コロナが終息したら会いましょう」「コロナが明けたらごはんを食べに行こうね」という一文をいくつ見ただろう。これは転居を知らせるハガキの「近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください」のような“挨拶文”ではない。
人と会っておしゃべりに花を咲かせるとか、おいしいものを食べに行くとか、安全に仕事をするとか。それがこんなに尊いことだったなんて。
一年前までは「普段」だったあの日々を取り戻せるのはいつになるんだろうか。



さて、今日は「こんなふうにまた友人と気軽に会ってごはんを食べに行きたいなあ」という思いを込めて、外食時のエピソードをお届けします(ただいまサイト統合のため、別サイトからログを移行中)。

2019年3月28日付  「好きなものを最初に食べるか、最後に食べるか

最初に食べる派、最後に食べる派、どちらの言い分にも一理ありますね。
ところで、好物を先に食べる人はたい焼きを食べるときも餡の詰まっている頭から、好物を最後のお楽しみにとっておく人はしっぽから食べるのでは……と想像しますが、どうでしょう(私は当たっています)。



【あとがき】
いま街で見かけるほぼ100%の人がマスクをしています。うっかりマスクを忘れたら、人と話すことも買い物をすることも電車に乗ることもできない。おじいちゃんやおばあちゃん、入院中の家族にはマスクをしたって会うことができないなんて。本当にせつないことです。


2021年01月12日(火) サイト名の由来

前回のテキスト「本物のwish」の中で「やりたいことリスト」について書いたが、私がリストアップした内容には触れなかった。あれをしたい、こうなりたいという趣味嗜好やビジョンにはその人の内面が如実に表れるため、はずかしいからだ。
しかし、書き終えてふと気づいた。
「あらら。図らずもひとつ公開しちゃってるわ……」

サイト名を変更したとき、何人かの方からタイトルの意味を訊かれたのだけれど、『猫の夜更かし』は私のふたつのwishをくっつけたものである。
「猫」と聞くと、多くの人が「自由気まま」「ツンデレ」「単独行動を好む」といったイメージを思い浮かべると思うが、たしかにうちの猫にもあてはまる。おなかが空いたりなでてほしかったりすると足元にまとわりついて離れないが、そうでないときはつれないものだ。遊ぼうよと声をかけても、高いところにのぼったままで返事もしない。寝ているのかと思い、ためしに「ちゅ〜るだよお」と言ってみると、にゃーんと鳴いていそいそと降りてくる。ちゃんと聞こえてるんじゃないか!要求があまりにわかりやすくて笑ってしまう。
しかし、人間はこうはいかない。私の仕事はチームワークが不可欠なため、同僚に気まぐれで個人プレーを愛する自由人がいたらとても困る。だから、職場での私は協調と連携を重んじ、職務に忠実に、そして共に働くメンバーのよきパートナーであろうとして、忍耐強く友好的な「犬型人間」に徹している。
家に帰ったら帰ったで、母親という立場上、自制心を発動させなければならない場面がいくらでもある。「いまはそういう気分じゃない」と食事の支度を後回しにしたり、布団の中から子どもに「いってらっしゃい」を言うわけにはいかない。
もともと私は犬型気質であり、無理をしているという実感はない。それでも、気分と欲求の赴くままマイペースで過ごし、こんなにかわいがってくれる飼い主にも「忖度」のその字もない(ように見える)猫の姿に、「私もたまには“猫”になって、解き放たれたいナー」と思うことがある。これがひとつめのwish。
もうひとつのwishである「夜更かし」については、読んで字の如し。
夜勤で仮眠がとれず、完徹になることはよくあるが、私が望んでいるのはもちろんそんな“オール”ではない。「明日の予定はなにもなし。今日は夜更かししちゃうぞー!」と宣言して、家族が寝たあと静かな部屋でひとり、好きなDVDを見たりweb日記を書いたりできる夜に憧れているのだ。
いまの生活で、私が自分のためだけに使える時間は本当に貴重なんだもの。

以上が私のささやかなwishesであり、サイト名の由来である。



それでは、今日は「名前」つながりで下記のテキストを更新(ただいまサイト統合のため、別サイトからログを移行中)。

2019年6月10日付  「誇りと、重荷と
名前で苦労するといえば、親にキラキラネームをつけられた人を思い浮かべますが、これは苗字についてのお話です。



【あとがき】
誰でも「猫」と「犬」、両方の気質を合わせ持っていますが、その配分によって、猫型人間、犬型人間に分かれるんじゃないでしょうか。で、私は犬型気質がかなり強いです。
犬型であることを求められる職種がある一方で、猫型人間のほうが向いている仕事もあるでしょう。社会生活を送る上ではどちらの気質もバランスよく持っていることが必要ですが、職業を選択するときは自分の適性を考慮しないと余計な苦労をしそうです。


2021年01月08日(金) 本物のwish

出掛けた先で、元同僚とばったり会った。同年代の彼女はいま別の職場で働いている。
「そっちはどう?」「退職者続出で、もう悲惨やで」といった話から、彼女が職場で出されているという“宿題”の話になった。
「来週までに願いごとを百個書いて提出せなあかんのやけど、ぜんぜん埋まらんねん。一緒に考えてよ」
と言う。願いごと?なあにそれ。
「ほら、いっとき流行ったやん。自分の夢とか目標を百個紙に書きだして、毎日眺めて実現するっていうやつ。メンタルマネジメントの研修で使うらしいねんけど、まだまだ足りんくて困ってるねん」
ああ、それなら聞いたことがある。「やりたいことリスト」とか「ウィッシュリスト」とかいうあれでしょ。でも、「毎日眺めることで実現」というものではたぶんないと思うけど……。
それはともかく、いまどのくらい書けているのかと訊いたところ、用紙の右半分が白紙の状態とのこと。年末から暇さえあれば考えているのだが、もうなにも浮かばないそうだ。
見せてもらったら、最初のほうこそ、なにがしたい、あれが食べたい、どこそこに行きたい、が並んでいたが、三十を超えたあたりから苦心の跡が見えてきた。
「USJの〇〇に乗る」「USJの△△に乗る」「USJの□□に乗る」といったシリーズものが増えてきたほか、「PTA役員をまぬがれる」「主任が異動する」「夫の給料が上がる」「近所にいい歯医者ができる」といった、文字通り「願う」ことしかできそうにない願いごとがずらり。PTA役員はくじ引きだし、職場の人事異動や夫の給料は上が決める。閉店したうどん屋の跡地に入るテナントに関与することもできない。やりたいことリストの目的は「書きだすことで自分のwishを明確にし、意識づけすることで実現に向けた行動に結びつける」であろうから、自分ではコントロール不可能なものを挙げても意味がないような気がするけど……。
「ええねんええねん、とにかく埋められれば」だそうだ。

願いはどんな小さなことでもよく、実現の可能性の有無も気にしなくてよいという。そこで彼女と別れたあと、帰りの電車の中で私も考えてみた。
が、家に着くまでに思い浮かんだのは十数個。いつしかあきらめてしまった夢や見失っていた目標を思い出すかもしれない、とその夜も皿を洗いながら、湯船に浸かりながら、布団に横になりながら心の中の洗い出し作業をしてみたのだけれど、結局リストアップできたwishは五十に遠く及ばなかった。そして、ふと思った。
「自分が本当に叶えたいと思っていることなら、ぱっと思い浮かぶはず。苦労してやっとこさ集めてきたそれは、“本物”なんだろうか」
ひと昔前のドラマや漫画では、受験生の部屋の壁には決まって「必勝!」と書かれた紙が貼ってあった。願いや思いを可視化することでモチベーションが高まるというのはたしかにありそうだ。しかし、それは用紙の五十個目や六十個目に記入されたwishにもあてはまるのだろうか。
正月に箱根駅伝を見ていたら、「子どもの頃の文集に『夢は箱根を走ること』と書きました」と実況されていた選手がいた。彼は先生に「さあ、『将来の夢』について書きましょう」と言われたとき、原稿用紙を前に「ああ、なにを書こう」と頭を抱え、悩んだ末に「箱根駅伝の選手」と書いたわけではないと思う。作文に書かずにいられないほど、そのころから「本気」だったのだ。
私は以前、サッカー選手の本田圭佑さんの小学校の卒業文集を読み、驚愕したことがある。

「将来の夢」

 ぼくは大人になったら 世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。
 世界一になるには 世界一練習しないとダメだ。
だから 今 ぼくはガンバッている。今はヘタだけれどガンバッて 必ず世界一になる。
 そして 世界一になったら 大金持ちになって親孝行する。
 Wカップで有名になって ぼくは外国から呼ばれて ヨーロッパのセリエAに入団します。そしてレギュラーになって 10番で活躍します。一年間の給料は40億円はほしいです。プーマとけいやくしてスパイクやジャンバーを作り 世界中の人がこのぼくが作ったスパイクやジャンバーを買って行ってくれることを夢みている。
 一方 世界中のみんなが注目し 世界中で一番さわぐ 4年に一度のWカップに出場します。セリエAで活躍しているぼくは 日本に帰り ミーティングをし 10番をもらってチームの看板です。ブラジルと決勝戦をし 2対1でブラジルを破りたいです。この得点も兄と力を合わせ 世界の強ごうをうまくかわし いいパスをだし合って得点を入れることが ぼくの夢です。


衝撃を受けたのは、「ぼくは大人になったら 世界一のサッカー選手になりたいと言うよりなる。」という一文。
「なりたい」ではなく、「なる」。「ぜったいになってみせる」という強い意志があらわれている。
この「本気」こそが行動を生むのだ。だとすれば、乾いた雑巾を絞るようにしてwishをかき集めてくることにどんな意味があるのだろうと思えてくる。

願いは、自分の力で叶えるもの。力とは、「行動」だ。
私が大学を選んだ経緯を話したら、たいていの人がひえーとのけぞる。好きになった人を追いかけたのだ(下記過去ログ参照)。
相手はクラスの男の子や部活の先輩といった現実の知り合いではない。高校三年のとき、視聴者参加のテレビ番組に出場していた大学生にひと目惚れしたのである。箱根駅伝を見ていて、選手に恋をしたようなものだ。
「この人に会いに行こう」
わかっているのは、名前と大学と学部、なんのサークルに入っているかだけ。電話帳を見て同じ苗字の家に片っ端から電話をかけたり、大学の門の前で待ち伏せしたりすれば、手っ取り早く会えただろう。しかし、私の望みは「ファンです」と伝え、握手をしてもらうことではない。正攻法で知り合う必要があると思った私は、まず後輩になろうと決めた。だから、推薦で決まっていた大学を蹴って受験勉強を再開し、親の反対を押し切ってその大学に入学。そして、同じサークルに入った。
計算外のことがあり、“再会”を果たすまでに二年かかったが、そのときその人は私に言った。
「気づいてるか?いま、この瞬間があるのはラッキーやったからやない。おまえがつくりだしたんやで。それはすごいことやと俺は思う。ようここまで来てくれた」
それを聞いて私は気づいた。自分の願いを叶えられるのは自分自身だけなのだ、というシンプルなことに。

以来、私の中には「願いを叶えるも叶えないも自分次第。本気で望むなら、行動せよ」という揺るぎないものがある。こうと決めたら、どうしたら達成できるかを必死で考え、あとは「選んだ道が最良の道」と信じて前に進むだけ。
誰に笑われたってあきれられたって、かまわない。いつか、不本意な一生だったと振り返らねばならないことほど怖いことはない。
私の人生の舵を取るのは私だ。

【参照過去ログ】 2007年2月27日付  「自力本願

【あとがき】
イチロー選手や石川遼さんも卒業文集に書いていますね。本田選手と同じように、いついつまでにこんな結果を残す、と具体的な数字を挙げて将来のビジョンを記しています。
当時、本田少年の作文を読んだ多くの大人が「ハハハ、夢はこのくらい大きく持ったほうがいいぞ」と読み流したでしょうけど、本田選手はそれを行動(努力)でひとつひとつ実現してきた。本当にすごいと思います。
……で、私の「やりたいことリスト」はどうなったのかって?えーとですね、私の場合は願いを可視化しようとしまいと、それが本物ならじっとしてはいないので(行動を起こさないということは、そこまで真剣に望んでいないということ)、やりたいことリストより「やるべきことリスト」をつくって、ガシガシ消し込みしていくほうが性に合っている気がします。


2021年01月05日(火) それでも、「エンピツ」が好き

「エンピツ」のシステム上の問題(と思われる)により、年が明けてから日記を書き込めない状態がつづいている。
二年前、エンピツに新しいIDを登録したときに、いつまでたっても入金確認がされないため管理人さんに連絡しようとして、苦労したことがある。問い合わせ先にメールを送れば「受信メールボックスの容量オーバー」で戻ってくるし、電話もFAXもつながらない。最終的には記載されていた住所に手紙を送り、解決をみた(おそらくそれを読んでくれたのだろう)のだけれど、私はその手紙の中で「ユーザーのために、連絡をとれるようにしておいてほしい」とお願いしていた。
しかし、今日送信したメールは前回と同じ理由で届かなかった。あれからも状況は変わっていなかったのだ。

私が日記から離れていた間にも、「エンピツ」では突然サーバーがダウンして何日もサービスを使えない状態に陥ったことがあったと聞く。このときもユーザーから運営側に連絡がとれず、いくつものサイトが先を危ぶんでほかのレンタル日記サービスに移っていったそうだ。
そして今回、不具合が発覚してまだ数日であるが、すでに引越しを完了したと報告するサイトや移転先を検討中というサイトが出てきている。
たまにこういう事態が発生することはしかたがないと思えても、いくらリーズナブルとはいえお金を払って利用しているサービスでサポートが機能していないのでは、ユーザーが見切りをつけるのも無理はない。

けれども、私は「エンピツ」が好きなのだ。
「書く」ことに注力できるシンプルな仕様を気に入っているし、比較的欲のない穏やかなユーザーが多いことも居心地のよさの一因だ。しかし、ここを離れたくない最大の理由は、管理人さんのこれまでの誠実な対応に恩を感じているから。
日記サイトをはじめるとき、多くの人は日記スペースやアクセスカウンタ、アクセス解析などのサービスをレンタルしたり、日記リンク集に登録したりするのだが、それらをしばらく利用していると、それぞれの管理人の人となりやユーザーに対する誠意のあるなしがはっきりわかる。なにかを問い合わせたとき、速やかに回答が届くところは障害が発生した際には現在の状況や復旧予定をきちんと説明してくれるし、いつまでたってもなしのつぶてのところは事前のアナウンスもなくメンテナンスが入り、半日使えないといったことが起こる。そして、いつごろからかはわからないが、現在の「エンピツ」は後者である。
しかし、二〇〇五年から利用している私はこれまでに何度もお世話になったことがある。「書いた日記を誤って消してしまった」「タグをいじっていたら、デザインがめちゃくちゃになった」など困った事態が起きたときにあわててメールを送ると、毎回速やかに、とても親切に対応してくださった。そのことに私はいまでも感謝しているのだ。
だから、この状況に困っているのはたしかだが、私の中にあるのは「早くなんとかしてちょうだいよ」といった怒りや不満ではなく、「あの管理人さんが、いったいどうしたんだろう。なにか事情があるにちがいない」と案じる気持ちである。

とここまで書いて、途方に暮れる。ああ、このテキストをどうしたらいいんだろう……。

【あとがき】
もとから誠意を感じられない対応をされていたなら、さっさと見切りをつけるでしょうが、そうではないので気がかりなのです。たとえば体調が悪くて運営どころではないのでは、とか。
すみません、今日は「エンピツ」ユーザーでない方には「なんのことやら?」な話でしたね。


2021年01月03日(日) 新年のごあいさつとサイト名変更のお知らせ

あけましておめでとうございます。今年も……いや、今年はよろしくお願いします。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
盆暮れ正月関係のない仕事のため、私は年末年始も出勤でしたが、明日はようやく休み。箱根駅伝を見ながら(お正月の楽しみなのだ)ゆっくりしたいと思います。

本日よりサイト名、ハンドルネームが変更になっています。
といっても、昔から読んでくださっている方はなにを改める必要もなく、『われ思ふ ゆえに・・・』の「小町さん」のままでいいのです。変わるのは“ラベル”だけで、中身は変わりませんから。
『猫の夜更かし』で私の文章を知り、読んでくださっている方はひきつづき蓮見をよろしくお願いします。

というわけで、前回お話したようにサイトを統合するにあたり、『猫の夜更かし』で書いていたテキストをこちらに移行していきます。そのため、しばらくの間(一月いっぱいくらいかな)は過去ログの更新になりますが、よかったら読んでね。
お正月休みの方も多いだろうということで、今日は二本更新。

2019年3月12日付  「マイルール
『猫の夜更かし』一本目のテキスト。

2019年3月15日付  「web日記界華やかなりし頃
七年のブランクを経て再び日記を書きはじめたときに受けた軽いショックについて書いています。




それではみなさん、楽しいお正月をお過ごしください。




……という文章を一月二日の夜に書いたにもかかわらず、なぜ十二月三十一日付で更新しているかというと、二〇二一年以降の日付で日記を更新しようとしてもエラーが出てしまい、できないからなのだ。「一月一日以降、更新できなくなった」と言っているユーザーが大勢いるので、大規模なシステムエラーなのだろう。
エンピツのサポートデスクは何年も前から機能しておらず、管理人さんに連絡をとるのがとてもむずかしい状況である。管理人さんがこの事態を把握していない可能性が高く、日記を更新できるようになるまでには相当時間がかかりそう。最悪の場合、このまま書けないかもしれない。
いまは妙案が浮かばないけれど、とりあえず今日のところは予告通り、サイト名変更のお知らせと過去ログの更新をさせてもらいますね。

【あとがき】
「web日記界華やかなりし頃」の中にも書きましたが、二年前に『猫の夜更かし』開設のためにエンピツのIDを登録したとき、何日経っても入金確認がされず、とても困ったことがありました。管理人さんに何度メールを送ってもエラーで届かず電話は通じず、手紙を送ってやっと認証されたのでした。
そういうわけで、この状況がどうにかなるまで更新できそうにありません。ここでまた書いていこうと思った矢先になんてこと……。
【追記  2021年1月4日、管理人さんにメールを送ってみましたが、「相手先のメールボックスの容量オーバー」という理由で返ってきてしまいました。
【追記◆ 2021年1月7日、「エンピツ」復旧。管理人さん、ありがとうございます。2020年12月31日付でアップしたこのテキストを本来の日付で更新しなおしました。