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2002年12月31日(火) 私の「今年の漢字」

先日、二〇〇二年の世相を表す漢字が発表された。
今年の漢字に選ばれたのは「帰」。北朝鮮から五人の拉致被害者が帰国した、ワールドカップテレビ観戦のため多くの人が早く帰宅した、昔の歌のリバイバルヒットや原点に帰ろうとする回帰現象が起きた、などが主な理由だそうだ。
では、私の「二〇〇二年の漢字」は何だろう。
日記にタイトルをつけるだけで四苦八苦する私が三百六十五日を一文字になんてできるのか?と思ったが、驚くほどあっさり決まった。というより、これ以外浮かばなかった。
私の今年の漢字は「揺」だ。
二〇〇二年、私の中のいろいろなものが揺らいだ。こんな自分を初めて見た。
人生に無意味な出来事などひとつたりとも起こらない。すべては私が自分で選択し、行動を起こしたことの結果。決して無駄にはしない。
三十の年がどんなだったか、三十の自分がどんなだったか。否定することなく忘れることなく、次の年を生きていきたい。

今年も残すところ、二十四時間をきりました。
本当はみなさんに年賀状を送りたいくらいの気持ちなのですが(出た!このハガキ好きが!)、そういうわけにもいかないのでこの場であいさつをさせてください。
『われ思ふ ゆえに・・・』と小町にお付き合いくださってありがとうございました。
今年は日記を通じてすばらしい出会いがたくさんありました。夏には初めてオフ会なるものに参加し、愛読日記の書き手さんにお目にかかってきました。メジャーどころばっかりだったのでミーハーな私は大はしゃぎ。来年もお誘いがあればあちこち行きたいし、大阪でもいっぺんくらいやりたいな。
そうそう、旅先からはたくさんの方に絵ハガキを送らせていただきました。友人には「あんたは絵ハガキ職人か!」とあきれられましたが、毎晩ホテルでそれぞれの方とのやりとりを思い出しながら書くのはそれはもう楽しくて。絵ハガキを書きたくて、また海外行こうかなと思ってしまう私はどうかしてますね。
メールやメッセンジャーでいろいろな方とお話することもできました。あんな話やこんな話、楽しかったです。
みなさん、本当にありがとう。
どうぞよい年をお迎えください。一月六日にお会いしましょう。

【あとがき】
昨日あたりからあちこちの日記で「今日が最後の更新です」「今年一年ありがとう」というフレーズを目にして、無性に寂しくなっちゃってたんですよね。年末のごあいさつメールもいくつかいただいたんですが、「出会えてよかったです」なんて書いてくれているのを読んだらうるっときてしまって。
年が明ける前からもうすでに人恋しい。しばらくしたらみんな戻ってくるのに、いつもの場所でまた会えるのに。
来年もどうぞよろしくお願いします。


2002年12月29日(日) 恋をしよう

この時期になると、人はおのずとその年の有り様を振り返りたくなるものなのだろうか。朝刊の読者投稿欄はここ数日、終わりを告げた恋に思いを馳せる内容のものが続いている。
といっても、投稿者は若い女性ではない。いずれも立派な中年の域にある五十代の女性である。
とりわけ、「この三ヶ月間、夢を見ていたのかなあ?」で始まる五十二歳の女性のそれにはぐっとくるものがあった。
以前から好意を持っていた男性に親切にされ、あらぬ期待をしてしまった。が、それは彼の気まぐれであったことがわかり、「アホやなあ……」とつぶやきながら、なんとかあきらめの境地にたどりついたという彼女。

でも、幸せだった。私の人生にこんなことがまだ起きるなんて。この年で幻を見られるなんて。
愚かな自分を褒めてやりたい。思い出に変わるまでにはまだ時間がかかりそうでつらいけれど、なんとか前を向いて生きていこう。


その昔、私は「人は大人になるにつれ、こなれた恋ができるようになるのだろう」と思っていた。ティーンエイジャーの頃より二十代、それよりも三十代、四十代。年を重ねれば重ねるほど恋も大人びるものだ、と。
しかし、実際には恋する女の思考回路はオバサンもはたちの娘もそう変わらないようだ。
内館牧子さんや林真理子さんのエッセイにはご本人や同年代の友人の恋の話がよく出てくるが、誕生日をひとりで過ごす寂しさに涙したり深夜の長電話で恋愛相談をしたりといったくだりを読めば、恋の前には仕事も年齢も関係がないことがわかる。新聞の読者投稿欄に、母親世代、ときには祖母世代の女性がせつない胸のうちを吐露した手記が掲載されることも少なくない。

「今から会えるか」
遠慮がちな彼の電話にルンルンの私。それまでに家事一切を片づけて、心待ちにしている自分が愛しい。ときめきだぁー!
肉体関係以上の友情、愛情が芽生え、よろめき、ときめいている二人なのだ。名前も愛称で呼び合って、日々輝いている。久々に会った娘に「おかん、このごろキレイになったなあ」なんて言われちゃった。


これを書いたのが六十代の女性だなんて信じられるだろうか。
彼女が主婦であるという点については今日のところは横に置いておこう。私が言いたいのは「恋ってたいしたものだなあ」ということなのだ。
この年齢の女性に「ときめきだぁー!」なんて書かせてしまうテンション、パワー。彼からの呼び出しに浮かれ、愛称で呼ばれることにはしゃぎ、身も心もすっかり若返っている。
これまで、仕事オンリーの生活を送る友人や「なんかおもろいことないかな」が口癖になっている後輩に「恋をしなさい、恋を!いましないでいつするの」と口うるさく言ってきた私。だけど、恋は若者だけのものではなかったのだ。
そして、人は恋を達観することなど一生できないに違いない。

二十年後の私がこれを読んだらどう言うだろうか。「お、わかってるやん」と頷くか。それとも、「青いなあ」と苦笑いするか。
そんなことを思いながら、三十二回目の十二月二十九日の夜を過ごしている。二〇〇二年も残すところあと二日。

【あとがき】
私が一年を振り返るとき、いい年だったかどうかは「その年の恋がどうだったか」によるところが大きいなと。いや、それで決まると言えるかも。「うまくいった。幸せだ」ならもちろんバンバンザイだけど、そうでなくても「出会えてよかった」と思えるならいい一年だったと言えます。じゃあ恋をしなかった年はって?そんなの論外!


2002年12月27日(金) 電話の向こう側のドラマ

私はいま、某百貨店の配送お問い合わせセンターというところで仕事をしている。
お届けを承った商品についてのお客様からの問い合わせに応対する部署なのであるが、この業務に就いて初めて知ったこともいろいろあり、楽しんでやっている。
たとえば、一日に何十本も取る電話の半数以上が「先方から何も言ってこないんだけど、ちゃんと着いているのかしら」という問い合わせなのだが、たいていはすでにお届け済み。世の中にはものをもらっても速やかにお礼の連絡を入れない人がこんなに多いのかと驚いたものだ。
また、私たちは宅配で荷物が届くとサインをするが、その受け取り印のところに配達員が「30女」「50男」などとメモをしていることをあなたはご存知だっただろうか。
依頼主から「たしかに本人が受け取ったかどうか確認したい」と問い合わせがあったとき、どんな人に荷物を手渡したかを説明できるようにするためだが、このことを知ってからというもの、宅配が届くたびに彼らの手元をのぞきこみたい衝動に駆られてしまう私である。
さて、今日は仕事納めだったのだが、定時直前に取った一本の電話がなんとも言えない後味を私に残した。
「二十四日の夜指定で荷物を送ったんですけど、届いているかどうか確認してもらえますか」
三十代くらいの若い男性の声。いつものようにコンピューターを叩いたところ、モニターに表れたのは「受け取り辞退により売場に返品」というコメント。お届けにあがったものの、なんらかの理由で先方が受け取りを拒否したという意味である。
相手とどういう関係であれ、「受け取ってもらえなかった」という事実は依頼主に少なからずショックを与えるものだ。伝えづらいなあと思いながらモニターに表示された注文伝票のコピーを眺めていた私は息を呑んだ。
商品はサンリオのキャラクターグッズの玩具。備考欄には「X`mas包装で」と書かれている。幼い子どもへのクリスマスプレゼントだったのだ。
宛先にはいまどきな女の子の名前。苗字は依頼主のそれとは違っていた。
私の胸によぎる切ない予感。しかし、ふだん通り事務的に受け取り辞退の旨を伝える。
男性は「わかりました」と小さく言って、電話は切れた。

サンタになれないパパはせめてもの思いを込めて、二十四日の夜に小さな娘にクリスマスプレゼントを贈ろうとした。しかし、別れた妻はそれを受け取るのをよしとしなかった------これはたくましすぎる私の想像力が作りだしたお涙ちょうだいのドラマだろうか。ひとりよがりの妄想だろうか。
うん、そうだ、きっとそうに違いない。ほら、私って思い込み激しいからさ。
そう片付けようとしながらも。
「来年はこのパパと女の子、両方にとって幸せな年になりますように」
とつぶやかずにいられなかった。

【あとがき】
昨日は別の若い男性からも、二十四日指定で注文した商品が先方の女性にちゃんと届いているか調べてほしいという問い合わせがありました。着いたかどうかを本人に尋ねられないってことは、恋人同士の間柄ではないのでしょう。片想いの相手に贈ったクリスマスプレゼントだったのかしら……と私は勝手に想像したのですが、二十四日に届いていて二十七日になっても彼女から「ありがとう」の電話が入っていないところをみると、見込み薄かなあなんて思っちゃいました。
この時期は電話の向こう側にドラマがいっぱいです。でもわれながらイヤですね。スーパーで他人の買い物カゴをのぞいて「今晩はカレーね」とか想像するオバサンみたいで……。


2002年12月23日(月) 私の常識、巷の非常識

天皇誕生日の梅田の街はクリスマスムード一色。人でごった返す紀伊國屋書店で立ち読みをしていた私は、もう少しで驚嘆の声をあげてしまうところだった。
読んでいたのは阿川佐和子さんのエッセイ。友人たちと「何日に一度ブラジャーを取り替えるか」という話になったとき、彼女が「三週間に一度」と答えた、というくだりにである。
「ぎゃーっ、汚い」と叫んだ友人たちに、彼女は平然と言い返している。
「パンティじゃあるまいし、そんなに頻繁に取り替える必要があるだろうか。私は十日間程度の旅行にも替えを持っていったことはない」
読み進めて、私はさらに驚いた。阿川さんの答えにのけぞったくらいだから、友人たちはもちろん毎日取り替えているのだろうと思いきや、彼女たちも三、四日に一度というではないか。
信じられない、どうして毎日着替えないのか。他の下着となにが違うというのだ。三日も三週間も私に言わせれば五十歩百歩である。
こんなに驚いたのは、友人の多くが冬のあいだはワキのお手入れをしていないことを知ったとき以来である。
「じゃあ急遽彼とそういう雰囲気になったときはどうするの?」
「そのときはワキ毛ごと愛してもらう」
考えられない、ありえない。それは私を世界一貞操堅固な女にするだろう。
しかし、私の常識は巷の常識ではなかったらしい。

ところで常識といえば、派遣社員としていくつもの会社にお世話になって気がついたのが、会社ごとに「常識」が存在すること。当たり前に行われていること、許されていることと言い換えてもいい。
新卒で入社した会社に七年間勤めたが、それだけの期間ひとつの会社に浸かっているうちに、いつしかそこの常識があたかも世間の常識であるかのような錯覚を身につけてしまったらしい。そこをデフォルトとし、行く先々で「ここが違う、あそこが変」と比較している私がいるのだ。
さすがに最近はそういうことはなくなったが、派遣としてまだ日が浅かった頃は始終“間違い探し”をしていたような気がする。
たとえば、私がもっとも驚いたのは子どもの写真が机に堂々と飾られていることであった。
「へえ、ここはこういうものを仕事場に飾るのオッケーなんだ」
“デフォルト”では見たことのない風景だった。家中に家族や夫婦の写真立てを飾る外国人とは違う。けじめを重んじ、公に私を持ち込むことを良しとしない日本人の仕事場に子どもの写真。意外だった。
また、多くの社員が会社から与えられた携帯の着信音を着メロに設定していることにも驚いた。仕事中にあちこちで懐かしのアニメソングや流行歌、いかにもウケを狙った効果音が鳴り響くのは不思議な感じがした。
「ここに遊びに来てるのか!」といつか誰かが怒鳴るのではと思っていたが、そんなことは一度もなかった。
私はこの程度の「遊び」が許される雰囲気の会社は嫌いではない。業務に支障が出るほど子どもの写真を眺める人はいないし、着メロも営業先でうっかり鳴らさないよう注意するなら、このくらいの「私」の持ち込みは目くじら立てなくてもいいかなと思っている。
しかし話が矛盾するようであるが、私自身は会社の携帯を着メロにしたり、パソコンのマウスポインタをアニメに設定したり、デスクトップでみかん星人をうろうろさせたりすることはない。他の人がそれをするのはかまわない。でも、自分はそういうところはシャンとしていたいという思いがある。
そして、わが夫の携帯の着信音もごく普通の「ピリリリリ」である。会社の机に子どもの写真を飾ることもないだろう。
公が私を侵食することはしばしばあるが、公に私を持ち込むことはない。私は彼のそういうところを評価している。
毎週月曜の朝のやりとり。
「ハンカチは?」
「持った」
「財布は?」
「持った」
「妻の写真は?」
「……いらない」
しかし、私は知っている。彼が手帳に私の写真を何枚かしのばせてあることを。
出張先でそれを眺めてほしいとは思わないが、それがはさまれているかぎり、私はお気楽でいてもいいような気がしている。
愛妻家も子煩悩も、家に帰ってからやってくれればそれでいい、私は。

【あとがき】
まあ、夫は家に帰っても愛妻家ではありませんけどね。
ところで、どうしてブラジャーだけ特別なの。汗をかくのはどこも一緒でしょ。他の下着に比べてお高いから?毎日着替えなくていいなんて二十年間考えたこともなかった。不思議でしょうがない。誰か教えて。


2002年12月20日(金) 期待させない優しさ

「こういう再会って理想だよなあ……」
日本リーバの『ポンズ ダブルホワイト』のCMを見ながらつぶやく私。
昔の恋人と街で偶然再会した女の子。が、彼女は慌てたりしない。「ダブルホワイト」で朝晩のお手入れを欠かさない彼女の肌はツルツルピカピカなのだ。胸を張って彼の横を通り過ぎる。
しばらくして、彼から「まいった。見ちがえた」と携帯メールが届き、彼女は勝利の笑みを浮かべる。
というストーリー。
自分を振った男からの「きれいになったな」ほど、胸に残るほろ苦さを昇華してくれるものがあるだろうか。こんな再会なら何回でもやってみたいものだ。
しかしながら、現実はそんなに甘くない。ダイエットは順調で肌は真っ白、オシャレもばっちり。そんな「どこからでもかかってきなさい」なコンディションで再会を果たすなんてことはまず期待できないだろう。
ユーミンの歌にもあったではないか。

それからどこへ行くにも
着かざってたのに
どうしてなの 今日にかぎって
安いサンダルをはいてた
今日わかった 空しいこと
むすばれぬ 悲しいDestiny
(DESTINY/松任谷由実)


実際にはこういう無念の再会のほうがずっと多いのではないだろうか。
ところで、さよならした人とどこかで偶然バッタリという経験を私は一度もしたことがない。過去の別れのほとんどが卒業や就職、転勤などで住まいが遠く離れたり、休みが合わなくなったために会えなくなってしまったことが原因だったからだ。
しかし、いまになって思う。この「偶然会える可能性はない」という状況は、失恋直後は絶望的な悲しみと喪失感をもたらしたが、長い目で見ればありがたいものだったのかもしれないな、と。
望んだところで彼には会えない。その現実はあきらめざるを得ないことを私に知らしめた。荒療治ではあるが、結果的に私が心の平静を取り戻すのに貢献したのではないかと思うのだ。
これまで私が別れた人とは音信不通にするのを常としてきたのは、「これからはいい友達として」なんて別れ際の常套句を信じていないことと、もうひとつは自分を彼から“隔離”することによって痛みから逃れたいと思ったからである。
叶わぬ恋なら、いっそ忘れて楽になりたい。彼を思い出させる一切から遠ざかりたい。私はいつもそう願う。
相手の姿がちらついて、忘れたくても忘れられない。それがどんなにつらいことか。七年間の会社員生活のあいだに傷心のまま退職する女の子を何人見送ったことだろう。社内恋愛の悲しい末路だ。
大学生の頃、こんなこともあったっけ。構内を歩いていたら、前方からやってくるひとりの女の子に気がついた。すごい形相で私を睨んでいる。当時私には付き合いはじめたばかりの彼がいたのだが、その元彼女である。
講義に出れば愛しい男の姿がそこにあり、キャンパスを歩けば彼を奪った憎い女に出会ってしまう。それは彼女に想像を絶する苦痛を与えていたにちがいない。彼女は彼のポケベルにかなり怖いメッセージを送りつづけてきていたが、「大学をやめたい」というのだけは脅しでもハッタリでもなかったのかもしれない。

人の心はいったん離れたら二度とは戻らないものだと私は思っている。少なくとも私が好きになるのはそういう人だった。
一縷の望みを持つことも許されない状況というのは、時として人を救う。
沈黙でもって「待ってもむだだ」を私に伝えたあなたは優しい。容赦なくひとおもいに斬ってくれたことに感謝している。

【あとがき】
私とはまったく別のタイプの女の子でした。彼女のあがきはみっともなかったけれど、彼女は気持ちを全部、彼に伝えただろうと思う。やることは全部やったんだろうと思う。私は別れ際にそんなことをしたことがないので、すごいと思ったし、ある意味うらやましいとも。
「どうあがいたって彼の気持ちは戻らないだろう。それならばせめて嫌われまい、彼を困らせまい」ともの分かりよく別れることを選んできた私。だけど、二度と会わない彼の心にきれいな思い出として残ることにどれだけの意味があったのか……。恰好つけてきれいに身を引くよりも、玉砕することがわかっていても、泣いてわめいてすがってぼろぼろになってでも、本当の気持ちを伝えるべきだったのでは……。そう思ったり、思わなかったり。いまも答えは出ません。


2002年12月18日(水) タイトルのススメ

賢明な読み手の方はすでにお気づきに違いないが、そう、私はものごとを端的に述べるというのがとても苦手だ。
陸上競技でも水泳でも短距離と長距離の両方をこなす選手がいないように、「ものを書く」にも適性があるのだろう。

コピーというのは自分の感性、思想、時代背景、スポンサーからの要請などもろもろのものをギュッと締めてとがらせて、その尖端で文字を描くようなもの。ところがエッセイは脳みそをうんと柔らかくして、豆粒ほどの材料をパンのようにふくらませなければならない。両者はまったく逆の作業である。


とは、林真理子さんの弁だ。コピーライター時代は鳴かず飛ばず、しかし作家に転身してからの彼女の活躍は周知の通りである。
そして、私は長距離選手だ。短い文章で笑わせたりうならせたりする瞬発力は持たないが、好きなだけ言葉を使ってよいなら言いたいことを明らかにすることができる。長い文章の中でなら思うように身動きを取ることができる。
学生時代のレポートや論文も、「何枚以上」と指定されるより「何枚以内」と制限されるほうがプレッシャーだった。ものを捨てるのが下手な私は文章を削るのもやっぱり苦手なのだ。詩や俳句といったものは学校の授業でしかやったことがないが、そちら方面のセンスがないことは間違いないと思う。

そんな私が日記書きの作業の中でもっとも苦労しているのが「タイトルつけ」である。
テキストを仕上げることよりタイトルをつけることのほうがずっと難易度が高い。早く更新したいのにタイトルを決められずにいらいら、なんてこともしばしばだ。それはひとつのテキストをぎゅっと凝縮したエキスのようなもの。語り過ぎてはいけないけれど、中身を匂わせ興味をそそる程度の情報は含まれていなければならない。
これといったタイトルが浮かばないとき、私は目を閉じてイメージしてみる。今日のテキストを火にかけ、水分を蒸発させる。さて、鍋の底にはなにが残るだろう……。
これでもダメなときはよほど中途半端なものしか書けていないということである。
「タイトルなんてあってもなくてもいいじゃない」
「そんなにやっかいなら、べつにつけなくたって」
そんな声も聞こえてきそうだが、それがそういうものでもなくて。長く続いている漫画の第一巻と最新巻を比べるとずいぶん絵が違っていることがあるが、私の日記もかなり変化している。書き慣れたのもあるけれど、タイトルをつけるようになったことが大きな理由だ。
「タイトルをつけなきゃならない」というプレッシャーは、ともすれば「あれも言いたい、これも言いたい」と欲張ってしまう私をコントロールしてくれる。話が横道にズレてしまうのを防いでくれる。
一本のテキストの中で述べることは、基本的にひとつだけ。このスタイルが定着したのはこれのおかげだ。
タイトルというのはファッションにおけるベルトのような存在だと思う。
なんとなく野暮ったかったコーディネートがベルト一本であか抜けることがあるように、テキストもタイトルをつけてやることによって“決まる”感じがする。
もし「どうもまとまりのない日記になっちゃうんだよな」なんて悩みをお持ちなら、タイトルをつけることを意識しながら書いてみること、これをお勧めします。

【あとがき】
自分で自分の文章は過保護だなと思います。状況や心情を逐一説明したがるところがある。だから長くなっちゃうのね。
で、私は書くほうだけでなく読むほうも長めが好みです。書き手の主張があって読み応えのあるのが好き。


2002年12月15日(日) 恥ずかしい勘違い

先日出席したサークルの同窓会で。同期の男の子や後輩たちと「恥ずかしい勘違い」というテーマで盛りあがった。
「『乗ったまま借りられます』って看板あるやろ。オレ、ドライブスルーのサラ金やと思ってた」
「江角とトヨエツの『命』って映画あったやん。原作者の柳美里をずっと『ヤナギミサト』って読んでた」(正解は「ユウミリ」)
次々と出てくる赤っ恥に笑い転げる。雑学がほとんどとはいうものの、ものをよく知っている集団であるだけになおさら可笑しい。
そういえば、と私もひとつ披露する。最近、仕事中に遭遇したこんな話である。
向かいの席の女の子が電話の相手に発したある言葉が私の耳に留まった。
「ではお客様にそのウマお伝えしておきます」
ウマ……?調べものの手を止め、私が首をひねっていると、彼女は新たな相手にダイヤルし、またその言葉を口にした。
「恐れ入りますが、奥様にそのウマお伝え願えますでしょうか」
そのウマ。初めて聞く言葉である。こうして日々文章を書いていると、未知の言葉や耳慣れない言い回しに反応してしまうところがある。彼女が受話器を置くや、私は尋ねた。
「つかぬことを聞くけど、『そのウマ』ってなに?」
すると彼女は目を丸くして言った。
「そのウマっていったらそのウマですよ。使いませんか?『その内容をお伝えください』って言うときに」
そこまで聞いて、ひょっとして……が胸をよぎる。
「もしかして『その旨』って書くやつのこと?だったら『そのムネ』って読むんやけど」
「えーー!だって、『旨い』は『ウマイ』って読むじゃないですか」
社会に出てかれこれ六年半、「そのウマ」で通してきたそうだ。

「ってわけ。思い込みって恐ろしいよねえ」
すると、後輩たちがとんでもないことを言いだした。
「小町さん、同僚の話ってことにしてるけど、実は自分の話じゃないんですか」
「ありえる、ありえる。小町さん天然だから。現役のときもけっこう迷言珍答ありましたもん」
「ちゃうわー。私がそんな勘違いするわけないでしょ」
とそのとき。同期のA君が私たちのテーブルに加わった。
手ぶらでやってきた彼は私の飲みかけのグラスにビールを注ぎ足す。もう飲まないからいいやと思っていたら、彼はグラスに口をつけようとしてふいに言った。
「おまえ、どこから飲んだ?」
それを聞いた私。とっさに「ヤダー、やめてよお。いい年して間接キスとかすんのー」と彼の背中をバンバンバン!
彼は一瞬の沈黙のあと、声を荒げて言いました。
「あほっ!そこを避けるために聞いたんじゃ!」
後輩のひとりが言いにくそうにぽつり。
「小町さん。申し訳ないけど、いまの勘違いが一番恥ずかしいと思います……」
私は素直にうなだれた。

【あとがき】
てっきり「ここから飲んじゃお!」とか言われるのかと思っちゃった。だって「どこから飲んだ?」なんて聞くのって、そういう冗談が言いたいときじゃないの?……エ、そんなことない?


2002年12月13日(金) 捨てられない

毎年この時期になると必ずかかってくる一本の電話がある。実家の母からの「今年こそなんとかしてちょうだいよっ。納戸の中のアレ!」というやつだ。
実家の納戸には、私以外の人間が触れることを禁じた開かずのダンボール箱がある。箱の表には娘の文字で「開けるべからず」と大きくマジックペン書きされている。
「ハイハイ、今度帰ったときにやります、やります」
そう言ってとりあえずその場をしのぐのも年の瀬のならいである。

さて、他の人はどうしているんだろうと私が常々疑問に思っているのが、失恋したときにその恋を過去のものにするために行う“儀式”だ。
別れた恋人が残した思い出の品々を人はいったいどうしているのだろう。もらったプレゼントは返すという律儀な人もいれば、一切合切捨てる人もいるだろう。写真や手紙を焼く人もいるかもしれない。いずれにせよ、なんらかの形で処分している人が多いのではないか。友人に訊いても、指輪や時計といったそれ単体で価値のある品は除き、いさぎよく捨ててしまうという意見が多かった。
では、私はというと。これがまた捨てられないのである。われながら情けなくなるほどに。
彼がお気に入りだったプロレスラーのポスター。「景観が壊れる」と部屋に貼るのはだめだと言ったら、彼はトイレのドアの内側に貼りつけた。別れた後も私は長いことそれを剥がすことができなかった。便器に腰かけ、ファイティングポーズを取るムチムチ男と目が合うたび、センチメンタルな気分になったものである。
また、ツーショット写真で作ったテレホンカード。私たちはそれを財布に入れ、お守りのように持ち歩いた。あれから八年経ったいまでも、私は幸せだった日々の証として大切に保管している。
しかし、あるとき彼にそれをどうしたかと尋ねたところ、
「とうに使ったで。ちょうどおまえのおでこに穴が開いて、笑ってもうた」
と無邪気に言われ、私はすっかり傷ついてしまった。
もともと私はものを捨てるのがとても下手なのだ。「いつか必要になるかも」「捨てるのはいつでも捨てられる」と思ってしまうので、読まなくなった本も着なくなった服もなかなか処分することができない。
しかし、私が捨てられないのはものだけではなくて。思い出をいつまでも原型そのままに残しておきたいという気持ちもとても強い。
私が無類の記録好きだという話は以前にもしたことがあるが、旅先から自分に絵ハガキを送るのも、それは気合を入れてアルバムを仕上げるのも、中学時代から欠かさず日記をつけているのも、すべてはこの性分ゆえ。そんな私がどうして好きだった人の形見の品を捨てることができようか。
「いつか彼のことを笑って話せるようになったとき、思い出に浸りたくなることがあるかもしれない」
だけど、それらを手元に置いておくのはつらすぎる。そこで私は失恋するたび、ダンボール箱に思い出の品を詰め、実家に送ることにした。
それがいまもなお実家の納戸に天高く(ってこともないか)積みあげられているのである……。

さて、私はいま頭を抱えている。サイト用にYahoo!メールを使用しているのだが、「まもなくメールボックスの保存容量に達します。古いメールを削除してください」というメッセージが届いたのだ。
このサイトを始めて二年と少し。いただいたメールは二千六百四十九通、百七十二人の方とお話しすることができた(こういう数字が即座に出てくるのが私の記録好きたる所以)。
見知らぬ人と“文通”がしたくて始めたインターネットだったが、こんなにたくさんの人と知り合えるとは。
しかし困った。私がなにを捨てられないって、手紙ほど大切にしているものはないからだ。
恋の現役時代、私は自分がパソコンを持っていなかったことをつくづくラッキーだったと思っている。たとえどんな別れであったとしても、彼とやりとりした何百通ものメールを私は削除することはできないだろう。いつまでもいじいじと読み返しては涙していたかもしれないのだ。
いやいや、いまはそんなことより満杯のメールボックスをどうするか。うーん、まいった。削除できるメールなんか本当にひとつもないんだってば。

【あとがき】
彼が部屋に残していった本やCDといったものはまだ「もの」という感じがするけれど、衣類やライターなんていうのは「彼そのもの」。それに写真や手紙といったものも絶対の絶対に捨てられないな。
開かずのダンボール箱、今年もきっと処分できないでしょう。


2002年12月06日(金) 子ども年賀状

「ひょっとして私って性格がいいのでは……?」
そんな大いなる勘違いをしてしまいそうになるのは、他人にとってイライラや不快の種となることが自分はまったく平気だということがわかったときである。
たとえば某日記リンク集でも話題になっていた、車の「赤ちゃんが乗っています」ステッカー。あちこちで「赤ん坊を免罪符にするな」「周囲に気遣いを要請するような表示はエゴだ」という内容のテキストを目にし、そんなふうに受け取る人もいたのかと心底驚いたものだ。
故意に事故を起こす人間などいないことくらい、貼るほうだって百も承知だ。誰も「赤ちゃんに気をとられているので危険があるかもしれません。そちらが気をつけてね」なんて甘えたことを言いたいわけではない。ただ、中にはすぐにイライラする性格のドライバーもいるから、あらかじめ「こういうわけでスピードが出せないので、お先にどうぞ。煽ったりしないでね」というメッセージを発信しているんじゃないか。
後続車は「赤ちゃんが乗ってる?だからなんなんだ」ではなく、ふつうに「じゃあ先に行かせてもらうよ」とか「車間距離を少しとっておいたほうがいいな」で済む話ではないのだろうか。
常に安全運転していれば「特別な計らいを求められた」とムッとすることもないはずで、何がそんなに癪に触るのか私はいまだにわからない。
子どもだけの写真で作った年賀状についてもそう。あれを嫌う人は驚くほど多い。
来月のいまごろは「僕は君の子どもの友達じゃない」「あなたの近況が知りたいのであって、子どもには興味ない」なんて内容の日記があちこちでアップされることだろうが、こういった声は一般人のあいだに限ったものではないらしい。
内館牧子さんや林真理子さんもそのエッセイの中で、

見たこともない子供がハガキいっぱいに写っていて、まんが風の吹き出しに「ボクは今年から春風幼稚園に通います。でもママはお寝坊だから、ボク心配なんだ」なんて書かれているときては、勘違いを通り越してほとんどシュールでさえある。

坊やがタキシードを着た写真の下に、「ハッピー・ニュー・イヤー」という文字が躍っている。こういうガキ年賀状は、夫がモテることを心配する奥さんの陰謀なんだろうか。私にはわからない。


と書いている。
しかしながら、この子ども年賀状も私にはどうということのないものだ。
家族全員で写っているもののほうがもらってうれしいのは事実だ。「ま、写真写りいいの使っちゃって」「うちのほうが男前だわ」などとつっこみながら読めるし、会ったことのない夫の友人や同僚の顔を眺めながらイメージと答え合わせをするのも楽しい。
しかし、私の中で年賀状というのは相手のためではなく、自分の近況を知らせたくて送るものという認識。だから、子どもだけで写っていようが、吹き出しに「ボク○○くん。ママが今年もよろちくって言ってまちた」とあろうが、「誰だ、君は」なんて意地の悪いことをつぶやいたりはしない。親バカ結構、だってそれが彼女のいまの姿なんだもの。幸せそうでよかったと素直に思うことができる。
自分らしいもの、伝えたいと思ったものを送ればいいじゃないか。受け取った側もつまらないことに目くじら立てず、広い心で見てあげようよ。私はそんな考えである。

しかしながら、私がうーんと考え込んでしまうのは「子どものいない家庭にその手の年賀状を送るのは無神経だ。ほしくてもできない人もいるのだから」という意見を耳にしたときだ。
もちろん子どもができないことを悩んでいる様子があれば、赤ちゃんや子どもだけの写真入り年賀状は控えたほうがいいだろう。が、実際にはその家に子どもがいない理由までわからない場合がほとんどである。送る側はそこまで気を回さなければならないものなのだろうか。
自分だったらどうかと考えてみる。もしなかなか子どもを授からなかったとして、うちにだけ別に刷った年賀状で送ろうとする友人がいたら。
それは余計な気遣いだ。そんなふうに腫れ物を触るみたいにしないでほしい。「自慢してるわけ?」なんて目で私は子どもの写真を見つめたりしない。そう言いたくなるのではないか。
独身の頃、私は明日にも結婚したかったが、友人からの結婚しましたハガキやツーショット写真入り年賀状を「うらやましい」と思いこそすれ、ひがみの目で見たことは一度もない。
結婚と子どもでは深刻さが違う?そうだろうか。これは切実さを持たぬ者の能天気な意見なのか。
でも、私は願っている。どんなときも友人の幸せを素直に喜べる心はなくしたくないと。自分はそれができない人間ではないと信じている。

【あとがき】
今年のわが家の年賀状。ふつうのイラスト入りのものを注文しました。ツマラナイ。写真入りにしようにも、ツーショット写真がなかったの。今年は海外にも3回行ったし、ないわけがないと探してみたが、本当にない。まったくこれってどういうことなのよ〜。


2002年12月01日(日) ふたつの再会

今日は大学時代のサークルの同窓会だった。
OBを含めた会員数は三百を超えるマンモスサークル。創立記念日を祝うため、そのうちの約三分の一が大阪に集まった。
あと二週間足らずで三十一歳の誕生日を迎える私だけれど、これまで自分のことを「年を取った」と思ったことはない。「寄る年波には勝てんわあ」なんて冗談で言うことはあっても、心からそんなことを思っているわけではない。
しかし、昨日初めて、卒業してから八年という歳月が流れたことを実感した。「ああ、私も“ある域”に達したんだなあ」という深い感慨に包まれたのだ。
というのも、後輩たちがかわいくてたまらなかったから。わがサークルはもともと女性会員が極端に少ない。したがって、その対象は男性だ。現役時代はもちろんOBになってからも、彼らのことをかわいいだなんて思ったことは一度もなかったのに、今日は学年がひとつでも下だと「男の子」に見えてしかたがなかった。一歩外に出ればみな二十代の、すでに立派な青年だというのに。
「ちょっと聞いてください。けっこう仕事で苦労してるんですよー」
「ここだけの話ですよ、実はそろそろ年貢を納めようかと思ってて」
なんて話を聞くのが楽しくて。懐かしさも手伝い、よもやま話に花が咲き乱れた。

ひとつわかったこと。何年経とうが、人の中身は変わらないこと。
「久しぶりだね」
ポンと肩を叩かれ、振り返ると彼が立っていた。別れた人とは一切の連絡を断ち、疎遠になるのが常なので、実に十年ぶりである。
ぐいぐい引っ張ってくれる人に憧れていた当時の私にとって、三つ年上で会長をしていた彼はまさにビンゴだった。初めての彼だったこともあり、ふたりのスタンスは横並びではなく私が後ろからついて行くという感じだった。
彼は人間的に冷たいところのある人だった。けんかをしたとき、怒らせたとき、身が凍えるほど冷たい言葉をさらりと投げられた。私は鋭利な痛みによく泣いた。
でも、それもとうの昔の話。私は素直に再会を喜び、いまどうしているのか尋ねた。
「それが離婚調停中でさ」
結婚は三年前、しかしすでに別居生活一年以上になるという。いったいどうして。
ぱっと浮かんだのは彼の浮気だったが、そういうわけではないらしい。会社を辞めて独立したことで生活が不安定になったことが原因だと言う。
「子どもはどうするの。かわいい盛りでしょう」
思わず口にしてから、しまったと思った。子どもと離れて暮らしつらい思いをしているであろう彼に無神経なことを言ってしまった……。
しかし、彼は間髪入れず、あっさり言った。
「んー、数えるほどしか会ったことないんだよねー」
そこには「かわいいでしょう?」に対する答えがなかった。子どもへの愛情を肯定する言葉が見あたらなかった。
強がりが入っていたのだろうか。しかし、後にどんな言葉をつづけるにせよ、「そりゃあかわいいよ」は反射的に出るものだと思い込んでいた私にはショックだった。
彼は妻への不満を口にした。
「どうしてわかってくれないのかなあって思っちゃうよ」
久しぶりに聞いたこの言葉。あの頃、私もよく言われていたっけ。きっと私もこんなふうに、自分の知らないところで知らない女に愚痴をこぼされていたのだろう。
「でも、きっと奥さんも同じこと思ってるよ」
そう言ったら、彼は不服そうな顔をした。

「よろしければ、もうひとりの元彼ともお話しませんか?」
振り返るとこれまた懐かしい、六年ぶりの笑顔。冗談めかしてこんなことを言うところもちっとも変わらない。
「小町ちゃんにフラれて十キロ痩せたんだけど、彼女ができたらまた戻っちゃった」
よく言うよ、三十四にしてもうモウロクしちゃったの?フラれたのは私でしょ。
……と言い返したいところだが、これがこの人の優しいところ。そうよ、ディテールなんてどうだっていい。もうなにもかもまるごといい思い出なんだ。
「いまの彼女、十才年下なんだけど、とにかくかわいくってさ」
愛しげに彼女の話をする彼を見ていたら、胸にじいんときた。ああ、この人はあの頃もこんなふうに、私のことを他の誰かに自慢してくれていたんだろうなあ、と。
別れ際、もういい年だし、彼女を人生のパートナーに決めるかもしれないと彼が言った。
「でもね。やっぱり小町ちゃんの料理が一番うまかったなあ」
それは私が今夜もらった言葉の中で、もっとも心に響くものだった。

【あとがき】
ところで、驚いたのは男性の体型の変貌です。その凄まじさといったら。女性は軒並みキレイになっていたというのに、男性はかなりの人がボリュームアップ。顔を見てもすぐにはわからないほど太ってしまったのも大勢いて、ホテルのロビーで素通りしようとして「オイオイ、無視するなよ」と声を掛けられる始末……。