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2001年06月19日(火) それが愛なのか

世の中にはさまざまな価値観があり、自分には理解できないこともたくさんある。そんなことはわかっている。
しかし、ある番組を見て、やりきれなさを感じずにはいられなかった。
その日のテーマは「美容整形」。出演者が賛成と反対に分かれて意見を戦わせる形式だったのだが、スタジオに現れた手術を目前に控えた女の子の話を聞いていたら、とても悲しくなってしまった。
彼女は二十才。太るのを恐れるあまり、拒食症と過食症で三十kg台まで体重を落としたことがあり、おなか、もも、ふくらはぎはすでに脂肪吸引を受けている。そして、今度は顔の整形手術を受けることにしたという。
「顔には手を出さないでいようって思ってたんですけど……」
そんな彼女を決心させたのが、恋人の「頬骨が出てるの、整形したら?」というひと言だった。
「いまの彼女が気に入らないってわけじゃないけど、外見ってやっぱり大事でしょ。僕は美容整形は化粧みたいなものだと思っているから抵抗がないし、彼女も気にしていたから勧めたんです。彼女が自分好みに変わってくれるのはうれしいことですし」
彼があっけらかんと言うのを聞いて、大きな怒りを感じた。危険を伴う整形手術が化粧の延長?冗談じゃない。
そんな彼に疑問を持たない彼女に対してもやりきれなさを感じた。「彼好みの女性になりたい」というのは、恋する女の子なら誰だって考えることだ。しかし、それは髪を伸ばす、短いスカートは履かない、ぞんざいな言葉を使わない------髪型や服装、立ち居振る舞いを「自分」を失わない範囲で彼の望む方向に寄せていくという話ではなかったか。
それが、彼に言われたら体にメスを入れることも厭わないという。彼女の「整形は彼のため六割、自分のため四割です」に、実に憂鬱な気分になった。
恋人といえども、いや、恋人ゆえにぜったいに言ってはいけないのが見た目を否定することだと思うのだが、彼女は「心から信頼している彼が勧めてくれたから、決心しました」と言う。
「彼とはずっと一緒にいたいんです。彼好みの女性になっていきたいんです。もし彼が胸の大きな女性がいいって言ったら、シリコン入れます」
そこまでしないと不安なのか。そこまで自分をなくせるのか。それが愛だと思っているのか。

たしかに外見はいいにこしたことはない。
私だって、「人間は中身でしょ。顔なんてついていればいいのよ」なんて言わない。好きになる人を自由に選べる時代にあって、内面さえよければと思うほど無欲恬淡ではない。中身が自分のタイプであることは当然だが、容姿や学歴や仕事といった属性もひっくるめての総合評価である。
good-lookingは人の価値を決める絶対的なものにはならないけれど、ないよりはあったほうがいい。
美容整形自体には、反対する気持ちも賛成する気持ちもない。「この顔のせいで人生がうまくいかない」と思い悩む人に、「親からもらった大事な体」などと言ったところで無意味だろう。苦しみは他者にはわからない。
しかし、やるなら覚悟しなければならない。顔を変えても人生をリセットできるわけではないこと。バラ色の未来が待っているとはかぎらないが、そのとき、自ら捨てたものを「失った」とは思ってはいけないこと。
番組には「元の顔に戻したい」という女性も出ていたが、二十才の彼女がそんなふうにならなければいいなと思うのみである。

五月一日付けの日記「本当に不幸なのは」に書いた彼女がスタジオに登場していた。
二百三十万円をかけて四時間半の大手術を受けたにもかかわらず、悲しいかな、彼女はほとんど変わっていなかった。「顔が小さくなった」「柔和になった」の声はあったものの、「それほど変わったように思えないんですけど」という出演者の感想からもそれは明らかだ。
「顔が変われば、心も変わってやさしくなれる。人生やり直せる」と言っていた彼女。本当のところ、その新しい顔をどう思っているのかわからないが、出演者の「私は前のお顔のほうがずっといいと思いますよ」に沸き起こった観客の大きな拍手を彼女はどう聞いたのだろうか。

【あとがき】
もうひとつわからないのは、どうしてテレビなんかに出ちゃうんだろうということ。費用をタダにしてもらえるとかそういうのがあるんだろうけど、私だったら整形したことはぜったいにまわりに知られたくないから隠し通すな。まあ、そもそも整形に対する考え方が違うわけだけど。しかしまあ、大変な危険を伴う美容整形を「化粧の延長」だなんて言ってもらいたくないね。彼の発言は本当に不愉快でした。