Jukebox
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眠い。
昨日の夜から4時くらいまで遊んでいて 2時間ちょっと友達の家で寝て、帰宅したのは朝10時。
友達の送別会だった。 仲のいい女の子が一人また一人と実家に帰ってしまう。
最近、ちょっとだけ 彼氏がいたらいいなぁって思うようになった。
そうしたら遊んだり、無駄に散財したりしないのに。 でも勉強しなきゃいけないから今は行動しないほうがいいかもね。
男友達がいてもやっぱり何だか違う。
好きになるのって、すごい時間がかかる。 気持ちを継続するにはいっぱい労力がいるし。
友達を好きになるのとか、向こうから言い寄ってこない限りは 照れくさくって出来ないし。
誕生日の週は実家に帰ろう。 ここにいたら遊んでほしいって強請っちゃいそうだから。
もうすぐ3月。
気持ちがぐらぐらしている。 どうしちゃったのかな。
新しい1日。
その人も同じように、新しい1日を迎えている。 そうだよね?
不思議と、いてくれてよかったって思う。
本当はお姉ちゃんもお母さんも、みんな今日って日をはじめてるのに 私には想像力が欠落していて、実感することができない。
そういう人が私には必要だって、昔ある人は言った。
今度こそ、本物なの?
もっとしっかりしなくちゃなぁ。。。
肌はきれい。 全部決まって、ストレス吹き飛んじゃった。
もう少しこうしていればやる気も起きてくれるはず。
ガラスに映る顔をみて、コンタクトを落としたことを思い出した。 目を覗いて目の中にレンズが入っていないか探してもらった。
何度かそういう経験がある。 顔が近すぎて恥ずかしくなってしまう。 なぜかそういう時助けてくれるのは男の人で、それでさらに恥ずかしい。 男の子って優しいなぁって思う。
友達のママと私のママがちょっと前に落ち合ってご飯を食べた。 その時、私のママはお父さんのことをこう言ったらしい。
「話があるから降りて来い」ってお父さんは言ったけど 何を聞くのかと思っていたら、いきなり 「お前、誰か友達に金借りたりしてないか?」って言った。
私は何も考えず、実際そんなのしてないし「ううん」って言ったけど それを聞いていたママは拍子抜けしたらしい。
お金借りて迷惑かけてなかったらなんでもいいのか?と思ったらしい。
うちの家族はそれぞれに全然違うことを考えているらしい。。
毎日、おはようとおやすみを言ってる。
夕方にいなかったら、たぶんゲームしてるか仕事が忙しいかで 休みの日は友達と遊んでるんだろうなって思う。
それでも毎日のように、おはようとおやすみ。 生活の一部になりつつある。
朝起きたら、ベットから起き上がる前に携帯を見る。
寝るのは私のほうが遅いので 相手がおやすみを言ってからテレビをみたりお風呂に入る。
寝てしまう時はちょっと残念に思う。
また明日の朝は私より早く起きておはようって言ってくれるのだと思うと 起き上がって一日を始めようって気持ちになれる。
少し前までは一日が始まるのが嫌でしょうがなかった。
変なの。助けられてる。
来週会うかもしれなくて、珍しく緊張してる自分が嫌だ。
誰とでも仲良くなれるんだから呼んでもいいでしょ?って言われて まーーね。私はいいよ。って答えたけど自信ない。
ボード行ったり、お買い物したりして 無為に数日をすごした。
気持ちがぐらついている。
もういや。
友達に電話しようかな。
遊びの予定を組んでいて、ちょっとだけ話した。
それでも気分は少し落ち着いた。よかったよかった。
試験の結果は散々。 来年も4年生を継続。
友達は学校を辞めた。 引っ越してしまうから、友達を集めて飲んだ。
今年になって初めて集まった。 「このメンバー、ちょうどいいよね」って言葉がとても気に入った。 男5対女2のいつものメンツ。
5時まで飲んだ。 そのあと車で送ってもらった。
じゃんけんで乗る車を決めたんだけど 私を乗せる車が一番かわいそう。
家がすごく遠いから。
結局この車なんだろうなぁって思ってた車に当たった。 話してて飽きないからいい。 暇になったら歌えばいいし。
パパから電話。 たあいもない会話だった。
でも最近電話が来るのは、心配してるからなんだろう。
ママからも電話が来た。 振込みした、とのこと。
いろいろ1時間以上話していた。 学生会館みたいなところに引っ越すかもしれない。
そうしたら門限があり、 しかも家を早く出なきゃ学校に間に合わないので 遊んでいる暇などない。
それでいいと思う。 そうしたければそうしようってママから言ってくれた。
ちょっと嬉しかった。
眠い。
ご飯は半分残したけど野菜炒めは全部食べた。
お買い物に行ったら小松菜が美味しそうに輝いて見えたので 夕飯は野菜炒めにすることにした。
試験。
掲示板をしばらく見ていなかったら やることあるわあるわ。。。
模試の申し込みやら、予備校の講義やら 卒業アルバムのお金やら、祝賀会の案内やら・・・
面倒くさいので今日は放棄。 明日の試験が終わったあとにまとめてやってしまうつもり。
それから美容室の予約。 ・・・このまえ髪を切ったのはいつだ??
友達とすれ違いざまに 「借りてた漫画、持ってきて平気?」と聞かれる。
実家にいて思い出した。漫画を貸してたこと。 良く覚えていたなぁって思う。
あの子のさりげなさとか、言葉の選び方が好き。
グレート・ギャッツビー、キャッチャー・イン・ザ・ライが届く。 数日前に家に届くように注文しておいたもの。
しばらくお姉ちゃんの家に泊まることになりそうなので そこで夜や電車の中で、暇があったら読もうと思う。
大人の読書感想文があれば、絶対にこれを選ぶ。
高校生のときはノルウェイの森で校内の佳作に選ばれたけれど。。 私の文章は大した内容じゃなかった。
夏休みが終わる頃、焦ってその夏読んだ本を思い出し 原稿用紙を埋めただけの脈絡のない文章。
国語の先生が著者の文は私には合わない、と言っていたのに 私の感想文を読んでこういう受け止め方もあるのかと思い直し シドニーを読んだらしかった。
月曜日の授業恒例の、今週の一冊で紹介していた。
とても恥ずかしい思いをしたのを覚えている。 全校集会で佳作の場面で呼ばれるのだってものすごく嫌だった。
同じクラスの子で、入賞した他の子は ひとりは生徒会長に立候補するような目立つ子で ひとりは割と内向的なとても頭のいい子だった。
私は呼ばれなくってもいいやと思っていた。
小学校1年生で「だってだってのおばあちゃん」を読んで書いたときから 何かしら読書感想文は(道で準入賞か佳作が最高で)選ばれていて 他の子がどんな感想文を書いているのか気になってしょうがなかった。
道の授賞式に呼ばれたのを覚えている。
私の文が他人の手に渡り、大人が読んで評価されることが奇妙に感じた。
普段は着ないような堅苦しいグレーのツーピースを着て うしろには香水とイヤリングをつけたスーツ姿のママがいて。
よくわからないまま式は進行し、帰りに賞状をもらった。
日記を書く、という行為はこういうところで役に立つものなのか。 もしくは本を読むと言う行為がそうさせているのか。
習字を書けば、絵を描けば市の文化センターに飾られたし 小学校で陶芸をやったときには図工室のウインドウに飾られた。
大人の視線を集めることには長けていたように思う。 それについて何の感慨も覚えなかった。
今になって友達に言われる。
自分の子供は、私のような子供にしたくない、と。
マクロビオティックはじめました。
今まで、ずっと飲み続けていたミネラルウォーターはそのまま。 白米を玄米に変えて3日ほど経つ。
とくに白米が余っているわけでもなく、玄米が不味いわけでもないので 続けれると思う。
副食はほとんど今まで食べていたものと同じ。
夕飯
鮭の塩焼き お味噌汁 玄米ご飯 野沢菜のお漬物 梅干
玄米は便秘にもいいそうだけれど、あんまり効果は感じない。 もともと便秘体質ではないから。
ただ、お腹が洗浄されたような感覚がある。 肌は綺麗になりそうな気がする。
試験。
昨日はママに電話。結局泣く。 泣くつもりでかけたわけじゃない。
ただ部屋にぽつんといるのがさみしかった。
ママの本音。本当はママだって辛いんだよね。 ごめんね。ありがとう。
近すぎて、照れくさくて 「ありがとう」しか言えなかった。
何がありがとうさ!!と言ってママも泣いてた。 そんな風に私に言いたくないのも分かってる。
切って、ボーっとしていたらパパから電話。 めそめそしている私に、どうしたの?元気ないね、と言う。
パパは私の理解者だと思う。 いままで私が何も話さず、ずっと黙っていただけで。
ママに何も話せなかったママも辛いと思う、と言ったら 「お父さんから(ママに)何か言って欲しいことあるか?」と聞かれた。
ない、と答えた。
10年後こうなっていたい自分が明確に見えてはいる。 そのための今日と明日と明後日は、全体の方向としては間違っていないと 確信を持って言える。
どうしてなんだろう。 確約もされていない未来に、希望を持てるのは。
こうやって思い出して書き出す間にも涙が流れる。
悲しいのか切ないのか。 悔しいのか。
今朝、ママからメールが届く。
CMみたいな家族なんて嘘だと思ってた。 メールでなら、何でも言える。
ママも一晩考えたのかな。 絵文字たくさんの、ママにしてはちょっと長めのメール。
手紙を書こうかなと、思ってる。
だめだ、やっぱり今回も続かない。
いつもそう。
そうやってどんどん変わっていく。 その変化に私はついていけない。
もうやめよう。
もう、やめたいよぉ・・・
消そ。
わたしと話すとき、その人はいつも酔っ払っているのだろうか。。
鉄の壁が少しずつ、ほんの少しずつ崩れつつある気がする。 でも将来なんてない関係。。
いつ消えてもおかしくない。
まぁ・・・まだ1年ある。 関係が現実のものとなるまで1年かけたっていいや。
たまに言い争いになる。 謝ったり無視したりして、どんどん強くなる。
言い争ったとしても、そのあとは笑って楽しい関係。
思いが強いといつか燃え尽きてしまう。 彼氏と別れたら友達として続かないのはそのためなんだと思う。
細く長く続けばいいと思う。 今いる友達が、細く長く続けばいいなって思う。
昨日、トップランナーを見てたらYUIが出てた。 そんなわけでずっとiPodからはYUIの歌声。
3月から実家に住むと決まった。学校の都合がつけば。 1年なんてあっという間だ。
友達には言っていない。 なんだか、言えない。
本当は友達と離れたくない。一人で住んでいたい。 それもあるから今までの友達を恋しく思うのかもしれない。
卒業したら 半年後、東京へ行く。
ちゃんと国試合格して そのあとは札幌で研修。この2ヶ月が勝負。
みんな、心配している。
私のことを。
ママがお姉ちゃんの家に泊まりに行ったので昨日から一人。 がらん、とした実家で息をしている。
電話がかかってきて、気持ちの沈んでいる私にママは苛苛していた。 携帯もパソコンも使えなくするよと言われた。
この人はそうしたら私が死んでしまうと言うことを わかっていないのだと思った。
ママからテレビ電話がかかってきた。 甥っ子がわけもわからずきょろきょろとしていた。
その少し前。
酔っ払ったパパから携帯に電話がかかってきた。 お母さんは?と聞くのでお姉ちゃんのところに行ったと告げた。
お前も辛いよな。とパパは言った。
勉強できるか?と聞かれて、ぼちぼち、と答えた。
一昨日はした。でも昨日は勉強していない。 それは言わなかったけど、私にとってのぼちぼちはそういうこと。
その少し前。
元彼に電話をかけた。 相手には迷惑だって分かってたけど、自分のためを思ってそうした。
電話には出なかったけど、メールが返ってきてメールでやりとりした。
彼女ができていた。 いまはその人のことしか考えられないということだった。
それが聞きたかった。
それでやっとわかった。 思いの強さで行動する人だったのだと分かった。
私はどちらかと言うと、思いの強さよりも 弱くても持続する思いを重要視してしまう。
元彼が私と付き合った日は、その前の彼女と別れた日だった。 そのことをもっと重く受け止めるべきだったのだ。
悔しい。
おかげでそんな思いが沸いてきた。
あんな奴のために、私はどれだけ忙しい時間を無駄にしたんだろう。
男の人を変えるたびに成長するなぁと思っていたけど やっぱりその通りなのかもしれない。
高校生のときも、そう思った。
思い続けて2年間、元彼やその後に付き合った彼女になんて 絶対に負けない良い人生を送ってやると誓った。
勉強頑張って、幸せに生きることが、ささやかな復讐だと思った。
今日から復讐することにする。
もちろん、私が生きていること自体が復讐であり 何年も経った後には絶対に羨ましいと思わせる。
誰にも迷惑がかからないんだから、いいでしょ、このくらい。
何かのきっかけで人は変わる。
試験まで1週間を切った。 あいかわらず集中力はもたず、さらに悪化しつつある。
試験を最後まで解けるかどうかさえ、困難を極める。
終わったら楽になるだろうか。 私の心はそれまで、もってくれるだろうか。
自分のことなのに自信がない。
ピアノを弾いているおかげで人間らしさが少しある。 所見で曲を弾いたりしているおかげで、先の見えないことへの対処法を 身につけていると私は思って弾いている。
感情はすべて曲に乗せて飛ばしてしまえばいい。
きっかけをつかまなければ。 その一瞬はすぐに過ぎ去ってしまう。
この3ヶ月弱、いままでの一生で一番泣いた。 何リットルもの涙を流した。でもまだまだ流れる。
涙が流れなくなったとき 何かを掴めていればそれでいい。
これでダメだったら確実に私の心は死んでしまう。
また、自分のことを話したい・聞いてほしいというひとが 私の前に現れた。
正直、迷惑である。が、まっすぐに目を見る。 この人は私のことを見ていない、と目を見て分かる。
要するに話をする相手は誰でも良いのだ、結局は。
私はいつも他人のごみ溜めとして機能している気がする。 それが存在理由なのだと昔から思っていた。
高齢になっても、体力は落ちるが、精神は成長し続けると 何かで聞いたことがあるのだけれど本当なんだろうか。
空気を読む力というのは衰えてしまうのだろうか。 そうだとしたら、私だって気をつけなければいけない。
耳の遠い(と思われる)その人は言いたいだけ話して去っていった。
去年の夏は寂しい・話し相手がほしい人が多いと思った。
人間の精神は成長し続ける。 それでも寂しさや孤独・死への恐怖には克つことができないのか。
思いやりを大切にと育てられてきた、いまの私と同世代の人は 落ちこぼれたり、ニートだったり、フリーターだったとしても それと同じだけ、他人を許せたりもする。
多大なる情報量にとらわれている場合でないことだってわかっている。 多くの友達はテレビなど見ない。疲れるから。
それが世間一般的に言えるかどうかはともかくとして。
いじめだって見たり、小中学校であったり、受けたりもした。 けれど、そんなのめんどうくさいからもうしない。
それで、結果論わたしたちはすくすくと育って成人した。
それぞれの思い出があり、それぞれに生活がある。 毛糸を編むように淡々と生きる。
隣人を愛する。それはどういうことだったんだろう?
人間の幸せとは?
物質的な欲求に満たされることではないと知っている。 もうすでに物質的には恵まれているのだから。
どんどん、特にほしいものなんてなくなっていってしまう。 周りに対する興味があんまりわかなくなってきてしまう。
そう。みんないつかは死んでしまう。
ある人が昨日言った言葉。
もし、祖父の歳で母が亡くなるとしたら 母には余命があと4年しかない。
気持ちを麻痺させるということは
案外たやすいことである。
再度話し合い。
外は雪が降っている。 これは積もりそうだ。
朝「話があるから降りてきなさい」と父の声。
どなられる。
他人のことにどうしてそこまで躍起になれるのかが私にはわからない。 親だから?にしてもやめてほしい。
私の養育費にかなりの額がかかっていることが、とても嫌だ。 働いたら大学の分は親に全額返して終わったらもう縁を切りたいくらい。
だけどきっと、その先は介護で身を削られるに違いない。 そうして私はきっとそんな状況をほおって置けないのだろうと思う。
他人に指図される生き方はしたくない。 それで納得してくれた様子。
だから時間をください、自分で決めて行動したい。 (今までそうしてきたのを彼らはひとつも分かっていなかったらしい)
それが理解できないなら一切援助してくれなくて構わないと言った。
この家に住んでいることをとても恥ずかしく思う。 前から思っていた。
実際、干渉しすぎ。あの人たちは。
友達との電話やメールも禁止。内容まで聞きたがる。 それで自分のことばかり話して私の話を聞こうとはしない。
なので何も話さなかった。話したくなんかなかった。
よく思う。 世の中には自分の話を聴いてもらいたい人ばかり溢れている。 そうしてそういう人間が私の周りには集まってくる。
威圧的な態度をとる。
だから何、というようなくだらない質問をする。
気が狂わないでいることが奇跡に近い。
私としては話し合うことよりも、毎日の行動を見ていてほしかった。 目に見えることと勝手に作り上げた妄想だけで人を判断してほしくなかった。
人を判断するという行為を激しく嫌っている。
多面性を持っているのが人間であり 私たちは他人に対してその一部しか明かしていないのが事実であると思う。
自分でも気づかないような新しい顔を隠し持っていることもある。
だけどもうこれで何も言わせない。
ここまで育ててくれたことを感謝してる。 できなかったことを反省している。
言葉では言い表せないほど感謝していると言うこと。
それは誰よりも一番私が心に刻まれてわかっていること。
どうしてそれがわからないんだろう。
心の動きが読めない人間。 他人と言うのは自分の想像を超えたことを考えているものだ。
私は何を考えているかわからないと突き放したりはしない。
想像力が欠落しているとしか思えない。 私はそういう人間になりたくないと21年間、両親を見てきた。
毎日話してはいるものの 一向に興味はなさそうだし、プライベートで会う機会だって たぶんないんだろう・・・と思っていた。
数日前、お互いに言い合って何となく熱くなり 最後はけんかみたいになって終わった。
面倒くさくなったんだろうなと思った。 次の日、避けられている感じがした。
相手にしても気まずかったんだと思う。 毎日話している人が不意にいなくなるとさみしいなと感じた。
こういう時、私がとる行動は 一番に自分から謝る。
自分に非が1割でも1分でもある限り、先に謝るようにしている。
歩み寄りの姿勢が大切で、それでも相手が寄らないならば それはそれで仕方のないことだったのだと思い諦める。
・・・とまぁだらだらと書いたけれど。
結局はそれで仲直り。 昨日から少し仲良くなったかもなぁという感じがしている。
そして少しドキドキする。
知らない人に対してドキドキしたりするのは当たり前。 知らない部分があるからこそドキドキするんだそうだ。何かで聞いた。
知れば知るほど嫌になるかもわからない。
知らないからこそ自分のいいように妄想して作り上げてしまっている ・・・というのが正しいところなんだろう。
どういうひとによわいかっていうと。
村上春樹の小説に出てくる主人公のような話し方をする人に私はよわい。 ああいった生活をしている人に私はよわい。
これは読んでいる人にしかわからない。 なので「どういう人がタイプの好きなの?」と聞かれると参る。
日常を淡々と生きる人なんだと思う。 だけどこの表現も違うような気がする。
めんどうくさいので 「将来性のある人」とか「本気で私を好きになってくれる人」 と答えているけど、たぶんそれは真実ではない。
いま気になる人がそういう話し方をするからなのかもしれない。
でも先行きは暗い。 そのうち何でいいなと思ったのかさえ忘れてしまうと思う。
さて。
最近気になったことに、戸籍がある。 ちょろっと検索してみたらいろいろ出てきた。
裁判傍聴とかやりだしたらはまってしまいそうだ。
何かの機会に陪審員制度についての舞台を見たことがある。 あの時も真剣に陪審員って面白そうだなぁと考えた。
人生わからないものである。
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