もうちゃ箱主人の日記
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2010年06月30日(水)  サッカー報道の解説者の意義と課題 ・・・について

  私が語るわけじゃありませぬ。キッパリ! ……(^^;)


 今から5年前に、あの マツキさんの解説を
 社会学の研究対象としたレポートのサマリーを見かけた。
  (いつまでアップされているかわからないので
     記録として収録)


マツキさんの解説では、数年前、何の試合だったか
日本代表とどっかとの試合の中継で
0:0の均衡から、相手に1点先行された時、
 「まだ大丈夫ですよ、2点取れば勝ちますよ! 」
と、のたまってるのを聴いて、固まっちゃった。(笑)

 おい、おい、1点取るのも大変で、目下0点なんだぜぇ!

で、その試合がどうなったかというと、、、、
    (記憶だが)
   そのまま 1:0で日本の負け。。。

ま、
バンドウさんを、さらに おバカにした感じで
にくめないおっさんキャラを売り物にしているお方ですから。。

5年たっても
まだキャラ健在のようです。。
















・・・・・
一橋大学大学院 社会学研究科 稲葉研究室

サッカー報道の解説者の意義と課題
−松木安太郎に対する批判の客観的分析を通して−


 本研究は、サッカー解説者の松木安太郎に対するインターネット上での批難の声をきっかけとして、その批難の妥当性を客観的・定量的に分析し、サッカー解説者の意義と課題を考察することを目的としている。

スポーツ報道の意義を、.好檗璽弔遼楴租な魅力を伝え、視聴者に“見る目”を与えること
 ∧顕修涼瓦ぜ蠅箸靴謄好檗璽弔侶鯀瓦僻展に寄与すること と設定するとともに、その意義と相反する近年のエンターテイメントに傾倒するスポーツ報道をバレーボールワールドカップとJリーグを事例として考察した。
番組全体がエンターテイメントに傾倒する中でも、解説者は専門家として自身の経験に基づく深い洞察や知識をわかりやすく伝えて視聴者にそのスポーツが持つ特有の魅力や楽しみを知ってもらうように努めるべきであり、それが解説者の意義であると考えられる。

インターネット上では解説者の役割を松木が果てしていないという批難の声が多く見られ、その客観性を検証するとともに批難される要因を考察するためにサッカー実況放送の内容分析を行った。
解説者の発言を一つの意味のまとまりごとのコメントに分解し、それらは7つのコーディング基準でコーディングを行い、結果を比較対象の解説者(水沼・金田)と比較・考察した。

 松木は解説者としての役割に逸脱するコメントを行う割合が20ポイント以上高く、松木への批難の客観性は実証できたと考えられる。
コーディング結果の詳細な割合を考察することで、松木の解説者としての問題点は
 _鮴蘯圓離汽檗璽拭鴫宗´∀正鬚箴楮戮弊睫世里覆ぞ淹燭簇稟
 実況アナウンサーの役割への侵食 であることが明らかとなった。

 スポーツの健全な発展のため、スポーツ文化を通したゆとりや充実感のある生活を人々が送るために、スポーツ報道ならびに松木をはじめとする解説者は、過去の反省と現状の認識を行い、役割・意義を果たせるように進歩するべきである。

(高橋佑介)

http://inabalab.soc.hit-u.ac.jp/thesis/2005hit/30b530c330ab30fc58319053306e89e38aac8005306e610f7fa930688ab2984c-677e67285b89592a90ce306b5bfe3059308b62795224306e5ba289b37684520667903092901a30573066/


2010年06月29日(火) マーラーの孫娘

先日 エゴン・シーレを専攻してる大学院生と話してて
シーレの一族の子孫はいるの?という話題になり
マーラーの孫娘のことを思い出した。

大音楽家 グスタフ・マーラーには
長女マリア・アンナと次女アンナ・ユスティーナの
二人の娘がいた。
長女は夭折した。(この時のマーラーの嘆きは有名)

マーラーの死後、未亡人となったアルマは建築家グロピウスと再婚。
彼との間にもうけた娘マノンは、美少女として有名だったそうだが、
虚弱で夭逝した。
マノンのことを、かわいがったのが作曲家のアルバン・ベルクで、
ベルクはマノンの死後、ヴァイオリン協奏曲<ある天使の追想に>を
作曲した。

それにしても、夭折した長女と妹との間にはさまれた
次女は、どう育ったんでしょう。
アンナ・ユスティーネは、長じて彫刻家として活躍した。
彼女は、母と同じく多彩な恋愛遍歴で知られ、生涯に5回結婚している。
2人目の夫は、マーラー「交響曲第10番」の補筆を行った作曲家エルンスト・クルシェネク。第二次世界大戦中は、母親がアメリカ亡命を選んだのに
対して、イギリス亡命を選んだ。

さて、そのアンナ・ユスティーネの娘さんが
マリーナ・マーラーさん。
数年前、雑誌記事でその存在を知った。

Webにこんな記事が残っていた。


>> 03, 2004
バンベルクで行われた第1回グスタフ・マーラー指揮者コンクールの
優勝者は,ベネズエラの23歳の指揮者,グスターボ・ドゥダメル
Gustavo Dudamel に決まりました。

このコンクールはバンベルク響/バンベルク・フィルの主催で4月21日から5月2日まで行われたもので,14カ国の代表16人が参加しました。
審査員は,委員長にバンベルク響音楽監督のジョナサン・ノット,
他にエサ=ペッカ・サロネン,ユッカ=ペッカ・サラステ,
レオン・ボッツタイン,ローレンス・フォスター,マグヌス・リンドベリと
いう錚々たる面々,
グスタフ・マーラーの孫娘マリナ・マーラーがパトロネスとなっています。
  《後略》

http://hayes.cside2.jp/hakushu/archives/2004/05/post_158.html



2010年06月28日(月) チョコレート!?

大相撲の賭博問題が拡大しておるわけでありますが、、



チョコレート!
ゴルフをやる人々でこの意味を知らない人はないでしょう。


ゴルフをするプレーヤー同士で賭けをすることを、
チョコレートを賭ける(握る)と称します。

もともとは、チョコレートをかけてプレーしていたのが、
いつしかお金をかけてにぎるようになった、と言われますが、
そもそも、大の男が、チョコレートを賭けるかってえの。(笑)
 どうも、この説はうそっぽい。
ほんとうのところは、賭けの後ろめたさを、
オブラートに包むという趣旨だったんでしょう。
 チョコ 1枚 100円で
 チョコ 10枚の負け、なんて風に使われ、
 チョコにとっては、まったく迷惑な話。……(^^;)







まあ、話が、この程度で治まっておれば、よかったんでしょうが
バブルの頃は、レートがどんどん、エスカレート

 芸能人や 893さんの間では、
 チョコ1枚が、数万円、数十万円だったとか
 こういうゴルフやってる人々のプレーは
 雰囲気が違ってて一目でわかったといいますが
 そりゃそうでしょう。。。



さて、バブルもはじけ
世の中、そんなバカな賭けをする輩も
なくなったと思いますが
別の意味ので、住みにくさは、広がってるようです。。


草野球、ゴルフコンペでお金や賞品をかけた場合、
刑法 百八十五条の賭博罪は、
二人以上の者が相互に財物をかけ、偶然の勝負によってその財物の得失を
争うこととされているので、
草野球、ゴルフコンペも、一応は賭博罪に該当するわけです。

ただ、百八十五条ただし書きに、一時の娯楽に供する場合には賭博罪に
当たらないとなっているので、例えばゴルフのコンペの賞品が、
いわゆる親睦ゴルフ、サラリーマンが普通やっているような
お互いに会費を出し、それを集めて賞品を出し合う場合、
大概の場合賭博罪には当たらないと、考えられています。

簡単に言えば「程度問題」ということで、
あまりに高額な会費を取って
常軌を逸する商品を出せば賭博罪、
経費+α程度で商品を出す程度なら賭博罪に当たらない、
 ということになりますよね。

以前、某メーカー企業の社内コンペで行われた賭けが内部から告発され、
起訴された事件があったということですが、、
これは、いろいろ個別の事情があってのことと思います。

ところで
最近は、「法令順守 コンプライアンス」がやかましく言われ
ついには、こんなことになってるようです。
  もちろん刑事事件には、なりませんでしたが、、


大相撲のバクチに比べれば、かわいいもんだと思いますがねえ。



>みなと銀が賭けゴルフ 内部通報で警察から注意19人処分
2010.1.15 11:45

賭けゴルフを企画したとして、第二地銀の「みなと銀行」(神戸市中央区)
の行員や関連会社の社員計19人が昨年12月下旬、同行から処分を受けて
いたことが15日、分かった。
同行は処分の内容を明らかにしていない。

 同行によると融資事務センターの行員らがゴルフコンペを企画。
参加者を競走馬に見立て、業務用パソコンで1口200円の賭け券を
作成した。

 内部からの通報を受けた神戸西署が同行に注意したところ、
コンペは中止になった。
参加予定の18人と賭けだけに参加しようとした1人の計19人が処分を
受けた。

 同行は「お金を扱う銀行員としてモラルを欠いた行為だった。
 法令順守を徹底したい」としている。
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/100115/fnc1001151145010-n1.htm






2010年06月27日(日) デジタル書棚へ

突然、思い立って
 このところ、せっせと文献のデジタル化に励んでいる。
 (ほんとはこんなことしてる場合じゃないんだが、、、)


とりあえず、
だいたい20頁くらいの論文や
毎週ゼミで受け取るレジュメを
スキャンしてpdf化している。

整理法として
 Gメールに添付し、自分宛にメールする。


iPadがもう少し安定したら
購入し、それで観ようかと思ってます。


もっといい方法を
 実践してる方のアドヴァイスを求めます!
   よろしくお願いします。


2010年06月26日(土) サッカー 2ちゃんねる から

たいして興味ないので、、……(^^;)


むしろ、人の大騒ぎしてる姿が面白い。 
 あまんじゃくだねぇ。……(^^;)


というわけで
先取点する直前の2ちゃんねるの状況を、、、





・・・・・

@ サッカー 2ちゃんねる 実況から

>441 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:03 ID:B25MruUv0
スローインがバツゲームってなんでやねん

442 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:03 ID:90IaRk0j0
遠いな

443 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:04 ID:r7My7KCA0
こい

444 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:07 ID:/IQXMYZ50
ここ大事


445 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:07 ID:Y7+8qdKd0
本田決めてしまえ

446 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:08 ID:8WZDyX010
ゴリラいけ

447 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:10 ID:yEVjMEWr0
ここは慎重に!

448 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:10 ID:CevR1T3J0
押されまくり・・・・

449 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:14 ID:RgcI2OS80
>>422
がっ

450 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:15 ID:LBQ7Zmr00
浮かしすぎるなw

451 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:17 ID:4uQai8pxP
また遅延取られるぞw

452 :・?・:2010/06/25(金) 03:47:18 ID:54nFRFdq0
キタ━(゚∀゚)━(∀゚ )━(゚  )━(  )━(  )━(  ゚)━( ゚∀)━(゚∀゚)━ !!

453 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:19 ID:IiwLTjAb0
△たのむぜ


454 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:21 ID:E+3TmEn/0
くるぞ

455 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:21 ID:Ze2Ocv+T0
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!

456 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:21 ID:I0lluw0l0
キタ━━━━━(゚∀゚)━━━━━!!!!!

457 :Ψ:2010/06/25(金) 03:47:22 ID:44BPW5wX0
キタ━━━━━━(゚∀゚)━━━━━━ !!

458 :〈(`・ω・`)〉 ◆EQUAL/Pi.Q :2010/06/25(金) 03:47:23 ID:SJrRlvQ90
キタ━━━(ノ゚∀゚)ノ ┫:。・:*:・゚'★,。・:*:♪・゚'☆━━━!!!!




以上
http://2bangai.net/read/a6bda006b3f08b97e4b5fa5246014e6b1d55129df827a5b580eda0a6754729e1/


2010年06月25日(金) マンション下水槽の緊急工事

この春から、マンション(取り壊し、建替予定)の
管理人のお手伝いをしております。
その他、マンション管理組合代表幹事の不在時代行も
依頼され、以前からの建替理事会理事も兼ね
ここにきて、肩書きが増えちょります。
 別に、こちらから
 希望したわけじゃないのにね、、……(^^;)



さて、
6月15日朝、マンション地下の下水槽から異臭が出ているとの通報で
近くの業者に緊急点検してもらったところ、
排水ポンプが機能しておらず、汚泥が沈殿し、
微量ながら硫化水素!が発生しており、
放置すれば、危険な状態になるとのこと。

硫化水素って
毒ガスですからね。。

緊急措置として、バキュームカーで汚泥を除去し、
近日中に、排水ポンプの交換工事を行うことになりました。

原因は、排水ポンプの老朽化に加え、
建替え案件が起きて以来、本格的な定期清掃を見送ってきたことにある!
 とのことでした。




見積もりしてもらったら
何と、 752,640円! 

いずれにせよ
やらねば、ならない。




テナント業者と、分担についての折衝がまた一苦労。

本来、テナント業者も
マンション管理費を支払っているので、分担不要との主張も
成り立つのだが、
従来から大きな工事については、都度相談して
何割か負担頂いている。

今回、工事費の2割分を負担するとの、お申し出を頂き
とりあえず安心しました。
(これでも、組合員の中には、不満を言う人もいるから
  まったく大変です。。 ……(^^;))


早く
建替が進んでくれないと、困る。。。


2010年06月24日(木) 満開 あじさい電車!

井の頭線 明大前〜下北沢の間、線路の両側の
 紫陽花 が満開ですよぅ。。  (^ω^)




毎年のことだが
満足に観たような気がしない。

考えてみると
電車も減速徐行するわけでないから一瞬の間に
通り過ぎちゃうわけでぇ

それでなくとも
動態視力が落ちてる身なものですから
満足に観たという気がしないのも当然。

でも
それが、飽きない理由とすれば
それもいいかも。。 (^ω^)




2010年06月23日(水) 昔、カール・ベームという指揮者  ・・・がいた。

カール・ベーム
 (Karl Böhm, 1894年8月28日 - 1981年8月14日)
///////


そんな昔のことではないと思っていたら、
今の若者の中には、知らないという人も、、、  

考えてみれば私が
クラシック音楽を聴きだした 1968年頃
1954年に亡くなったフルトヴェングラーの演奏を
「古くさい」と思っていたのだから
無理もないということか。。。……(^^;)

先日も引用したが、堀内修氏の著書にあったカール・ベーム評。


>つい最近、改めてベームが指揮した『フィガロの結婚』の全曲盤を聴き、
愕然としてしまった。
 古臭くてついていけない、と感じたからではない。
 なんと美しく、なんと優美な演奏だろう、と思ったからだ。
 現役の指揮者として振っていた『フィガロー』を聴いた時は
そう思わなかった。
 ベームはその前の時代の、よりロマンティックな演奏に対し、現代的で
硬いところのあるモーツアルトと考えられていたし、そう感じていたのだ。
 ところがいま聴くと、優美そのもの。これが失われたウィーンの優美な
モーツァルトそのものだ、
 と思えてしまう。


ほんと
当時、カール・ベームは
いわゆる ノイエ・ザハリヒカイトの信奉者で
フルトヴェングラーら、ロマン主義的演奏の対極に位置すると
考えられていた。

代表的な例が、BPOと録音したブラームスの1番ね。
当時は、端正な演奏と思って聴いていたが
今、聴きなおすと、そんなことはない。 
  十分にロマンチックだ。 (^ω^)

ベームの録音で有名だったのが、
《トリスタントイゾルデ》のバイロイト録音。
他の大指揮者の録音がLPまるまる4枚だったのが
ベーム盤は、3枚半に収まるということから
テンポの「速い」指揮者とされていた。

その彼のテンポが遅くなり始めたのを
感じたのは、
ウィーン・フィルとのベートーヴェン交響曲の録音。
特に、第九を聴いた時、実感した。

そう思って、聴いてみると
例えば、モーツァルトの《レクイエム》ら
その頃の録音は、みんなそう。
ベーム老いたり、
 とそう思ったものだ。


さて、世評高いモーツァルトだが
もちろん、私は、彼の演奏で
モーツァルトを知った。

三大シンフォニーを始め
《コシ・ファン・トゥッテ》や《フィガロの結婚》《ドン・ジョヴァンニ》、《魔笛》
みんな、彼のLPで知った。

特に
《コシ・ファン・トゥッテ》の映画には感激したものだ。
 (同じにリリースされた《フィデリオ》と共に、
   お金持ちの知人のお宅に伺い、高価だったポニーの
   ヴィデオ(VHS以前のマガジンという形式)を見せて頂いたことも
   懐かしい)

晩年にウィーン・フィルを連れて来日した時も
 もちろん聴いた。(会社を休んで、、……(^^;))

亡くなる前年、ウィ−ン・シュターツ・オパーとの
《フィガロの結婚》。。
   名演奏には違いないが、生命力に乏しい、
      抜け殻の演奏のように感じた。



堀内氏の言葉で
同感したのは、

>さまざまな上演を味わえる現代でも、安心して歌だけ聴ける、時代劇オペラ
 としてのモーツァルトを楽しむには、オペラの辺境に出かけるほか
 なくなるだろう。
 さもなければ1960年代の舞台を思い出しつつ、CD全曲盤を聴くことになる。
 ノスタルジーに浸るのも悪くない。
 昔から、年季の入ったオペラ・ファンは過去を懐かしんできたのだ。



そう、ノスタルジーを、恥ずることはない!

昔だって、トスカニーニやフルトヴェングラーを、ひたすら信奉し
カラヤンやベームを排斥した人々がいたのだ。

信じられないと思われるかもしれないが、
1960年代末期の『芸術新潮』のレコード評欄では
新譜の紹介の欄に、新譜の評に加えて
毎回決定盤をあげる評者がいた。

例えば、アバード=VPOのベートーヴェンの第7シンフォニーの紹介の後に
「この曲の決定盤は、トスカニーニの1939年録音!」
 などという評が、掲載されていたのだ。

思い出したぞ。
シェリング、フルニエ、ゼルキンの《大公トリオ》に対しては
「この曲の決定盤は、SPの カザルス・トリオ!」 (笑)

 (もちろん私は、「何を古臭いことを言ってやがる」と
    反撥しながら読んだのだが、、)


いまや
私も、その「古臭いことを言ってやがる」世代になっちゃった。……(^^;)

でも
時には、新しい風にも、当たっていたい。


2010年06月22日(火) チケット売り切れ!

悔やまれますよね。。。
 秋のコンサート。 ↓



ボヤボヤしてる内に
 売り切れになってただよ。。……(^^;)


近頃はコンサートに行くのが億劫で
 (失望することが多く、、、)
その中で、これだけはと思ってたんだが、なぁ、、
 残念!

(どなたか、お譲りくださぁい!)



・・・・・・

@内田光子  ピアノ協奏曲 

内田光子ピアノ&指揮 サントリーホール スペシャルステージ
サントリーホール 大ホール (東京都)
■ 10/4/28(水)12:00〜10/5/10(月)18:00 座席選択先行
■ 10/5/16(日)10:00〜10/11/13(土)18:00 一般発売
一般発売・予定枚数終了

曲目・演目:
<11/14(日)>
 モーツァルト:ディヴェルティメント ヘ長調 K138/
  ピアノ協奏曲 イ長調 K488/ピアノ協奏曲 ハ短調 K491

<11/16(火)>
 モーツァルト:ディヴェルティメント ニ長調 K136/
  ピアノ協奏曲 ニ短調 K466/ピアノ協奏曲 変ロ長調 K595

>公演日時
2010/11/14(日) 19:00開演
×  ×  ×  ×  ×   
2010/11/16(火) 19:00開演
×  ×  ×  ×  ×
 http://eplus.jp/sys/main.jsp?prm=U=82:P6=001:P1=0163:P2=040127:P5=0001:P7=1:P0=GGWC01:P3=0001







2010年06月21日(月) 聴き逃したコンサート

悔やまれますよね。。。
 先週のこのコンサート。 ↓


ハーディングのモーツァルトは
 2006年にマーラCOとの来日公演で、三大交響曲を聴いた。

あの時は、ハードなスケジュールのせいか
 オケも、今1つだったような気がした。


今回のプロは
 何といっても、スウェーデン放送合唱団との組み合わせが魅力。

つい、チケットを買いそびれてしまった。……(^^;)



ネットでの評判をいくつか、、
 (あの金髪○○野郎のコアサさんも行かれたようです)



  
@ハーディング レクイエム
2010年6月15日(火) 19:00 東京オペラシティ コンサートホール
ダニエル・ハーディング指揮
 スウェーデン放送交響楽・スウェーデン放送合唱団
 リサ・ミルネ(ソプラノ)/クララ・ムーリツ(メゾ・ソプラノ)/
 ジョシュア・エリコット(テノール)/ジョナサン・レマル
   (バス・バリトン)

曲目:モーツァルト:交響曲 第40番 ト短調 K.550
       レクイエム ニ短調 K.626






>・・・今回は美しいより、若さ溢れる、力強さを前面にだした、演奏かな、
合唱が声量豊かで、席からはオケが聴こえない、殆ど声楽しか聴こえない・・
4名の歌手・・メゾが良かったかな・・

ト短調・・2楽章・アンダンテは絶品ですね・・ふくよかな弦の響きと木管の旋律と言い、呼吸感が素晴らしい・・4楽章は弦の強さが際立ってましたが・・横糸の音楽表現は良いのですが、縦糸の1楽章から、4楽章にかけての、構成美、音楽の流れが?・・
 音楽が進む過程で弦群の固さ?・・奏法かも??・・
http://blog.goo.ne.jp/miken_001/e/03331a46bdb900f70761f72b4148b9d0


>ダニエル・ハーディング 6月15日ソワレ2010-06-16 23:40
・・・・モーツァルト:交響曲第40番 ト短調 K.550・モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626合唱はレクイエムにつきます。「モツレク」と呼ばれることの多い曲です。ハーディングさんの指揮は、直線的、鋭・・・ 《後略》

ameblo.jp/urimarikoaji/entry-10564909598.html - 別ウィンドウで表示


>ハーディング指揮のスウェーデン放送交響楽団2010-06-16 23:37
・・・足しておきたくなりました。終演後の拍手についてです。モーツァルトのレクイエムが終わると約2秒で拍手がパラパラと。。。しかし、ハーディングは指揮棒を上げたまま静止。拍手にも動じませんでした。・・・《後略》

めじの音楽日記
ameblo.jp/music-para/entry-10565248971.html - 別ウィンドウで表示


>東京オペラシティ2010-06-16 22:27
・・・放送合唱団による演奏会。プログラムはモーツァルトの交響曲第40番とレクイエム。ハーディングの40番に数小節で引き込まれ、続いてのレクイエムでスウェーデン放送合唱団に殺られました!  《後略》

麻美のお散歩
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>都会の夜は2010-06-16 10:26
・・・スウェーデン放送交響楽団のコンサートに行って、モーツアルトの40番とレクイエムを聴いてきた 面白い指揮者だね
ベルリンフィルを振ってる姿を見たいな で、その後はSEX AND THE CITY・・・  《後略》

春風亭小朝オフィシャルブログ Powered by Ameba
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スウェーデン放送響 東京公演1日目@オペラシティコンサートホール(2010/06/15)2010-06-16 01:16
・・・交響曲第40番 ト短調 K.550〜休憩〜レクイエム ニ短調 K.626
スウェーデン放送響&スウェーデン放送合唱団によるモツレクを聴いてきました♪以下、演奏会のサマリー・・・   《後略》
vodkaのコンサート日記
ameblo.jp/vodka-2009/entry-10564399361.html - 別ウィンドウで表示


オペラシティのハーディング2010-06-15 23:27
・・・曲目は以下のとおり モーツァルト: 交響曲第40番、レクイエム。
でも今日の演奏はなんて言ったらいいんでしょう?ちょっと複雑ですねそれほど評価が分かれる演奏かもしれませんまずト短調の交響曲い・・・ 《後略》

AtoZの独りごと
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鑑賞記録 ハーディング モーツァルト40番 モツレク2010-06-15 22:40
・・・モーツァルト:交響曲 第40番 ト短調 K.550:レクイエム ニ短調 K.626
ギリギリになってやっとのことで比較的安いチケットを手に入れました。学生席を除くと一番安い席が11000円・・・

ジェラールのクラシック・オペラ名盤迷盤ガイド
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スウェーデン放送交響楽団&スウェーデン放送合唱団2010-06-15 22:36
・・・:ダニエル・ハーディングの交響曲第40番、レクイエム。
ものすごくいい演奏でした!メリハリがあるけど音のハーモニーが素晴らしく、全く飽きない演奏で感動感激。どちらの曲も最高で、今日・・・
   《後略》
ユウユウジテキ
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背筋の寒くなる感動のモーツァルト(今晩のコンサート)2010-06-15 22:19
・・・一部の聴衆からは、「ヘンなモーツァルトだったわねぇ」とか、
「あんなのレクイエムじゃないわよねぇ」なんていう会話も聞こえました。
古典派だけの演目のコンサートというと、保守的な音楽を期待してチケットを買う聴・・・    《後略》
めじの音楽日記
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2010年06月20日(日) モーツァルトオペラ 現代の上演・演出について

堀内修著 『モーツァルトオペラのすべて』   
  平凡社 (2005年12月)




ずいぶん遅ればせだが、上記を読んで驚いた。
2006年を当て込んで書かれた新書で
しかも、『モーツァルトオペラのすべて』という大仰な題名を見て
敬遠していたのだが、、

読んでみたら、ずいぶん過激っぽいことが、書いてあった。
(我々の仲間内では、それほどのことではないのだが
  一般のモーツァルト・ファンには衝撃的と思う人もいるだろう)

私は、この本の主張すべてに賛同するわけではないが
かなりの部分、わが意を得たような気がする。

(以前、カルチャーセンターで、この方の講演を二三度聞いたことがあるが
 無難な話ばかりしていた。あれは年齢層の高い聴衆に配慮していたのか。)


 (興味あったら、新書ですから、お買い求めになって
  全文、お読みになることをお勧めします)


面白いと思った箇所の抜粋を、いくつか、

例えば、こんなところ
>つい最近、改めてベームが指揮した『フィガロの結婚』の全曲盤を聴き、愕然としてしまった。 古臭くてついていけない、と感じたからではない。
なんと美しく、なんと優美な演奏だろう、と思ったからだ。
 現役の指揮者として振っていた『フィガロー』を聴いた時はそう思わなかった。ベームはその前の時代の、よりロマンティックな演奏に対し、現代的で硬いところのあるモーツアルトと考えられていたし、そう感じていたのだ。ところがいま聴くと、優美そのもの。これが失われたウィーンの優美なモーツァルトそのものだ、と思えてしまう。


>ラトルの指揮した『コシ・ファン・トウツテ』には、別の洗練があった。
きつい強弱の対比や、ヴィブラートを抑えた響きや、まるでスイッチで操作するように移ってゆくテンポで、ベルリン・フィルが演奏する時、そこには現代の、洗練を極めたモーツァルトがある。もう後戻りはできない。


>さまざまな上演を味わえる現代でも、安心して歌だけ聴ける、時代劇オペラとしてのモーツァルトを楽しむには、オペラの辺境に出かけるほかなくなるだろう。さもなければ1960年代の舞台を思い出しつつ、CD全曲盤を聴くことになる。
ノスタルジーに浸るのも悪くない。
 昔から、年季の入ったオペラ・ファンは過去を懐かしんできたのだ。

>劇場にやってくる客に問題を投げかけたり、あえて挑発したりもする。
演出によっては、スキャンダルを怖れないどころか、むしろそれを狙うことだってある。昔に作られた、かつては安心して楽しめるオペラとして提供されていたモーツァルトは、時には目をそむけた くなる現代のドラマとして、ますます元気に生きている。




・・・・・・・・・・・・・
<本文のごく一部>


>現代の演奏

優美な「ウィーン風」のモーツァルトも悪くなかったなあ、と思う時がある。
年季の入ったモーツァルト・ファンには、優美であってこそ『フィガロの結婚』じゃないか、と信じて疑わない人だっているはずだ。

さすがにブルーノ・ワルターが指揮した、ロマン派の演奏スタイルに直結するモーツァルトとなると、直接知っている人は日本にはほとんどいないだろうが、録音で聴くことならできる。 《中略》

半世紀前の話だけではない。少し長くモーツァルトのオペラを楽しんできた人なら、カラヤンかベームの指揮するモーツァルトが、規準になっていたのではないか。1980年代まで、モーツァルトのオペラの上演の、頂点を成していたのはザルツブルク音楽祭だった。モーツァルトの都市としてのザルツブルクの名声を支えたのが、カラヤンとベームだった。

 当時はベーム派がカラヤン派を攻撃したり認めなかったりして、まるっきり違うスタイルの共存と考えられていたのだけれど、いまになってみれば、二人のやり方はともに伝統に沿ったやり方で、どちらもすぼらしかった。そしてどちらも懐かしい過去のモーツァルトとなっている。 《中略》

 ・・現代の上演に親しんでから、 1960〜80年代の、カラヤンやベームの指揮するモーツァルトを聴くと、それが過去のスタイルであるのが、はっきりとわかる。
 つい最近、改めてベームが指揮した『フィガロの結婚』の全曲盤を聴き、愕然としてしまった。 古臭くてついていけない、と感じたからではない。
なんと美しく、なんと優美な演奏だろう、と思ったからだ。

 現役の指揮者として振っていた『フィガロー』を聴いた時はそう思わなかった。ベームはその前の時代の、よりロマンティックな演奏に対し、現代的で硬いところのあるモーツアルトと考えられていたし、そう感じていたのだ。ところがいま聴くと、優美そのもの。これが失われたウィーンの優美なモーツァルトそのものだ、と思えてしまう。

 実をいえば、現在も十九世紀からの伝統を引き継いだモーツァルトの演奏が、ないわけではない。たとえばウィーン国立歌劇場音楽監督となった小澤征爾の指揮する『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』には、過去の演奏スタイルが刻印されている。喜んで迎え入れる人もいれば、とまどう人もいる。大勢は違う方向に進んでしまっているからだ。

 モーツァルト演奏の大御所で、カラヤン、ベーム後のザルツブルク音楽祭でのモーツァルト演の立役者でもあったニコラウス・アーノンクールは1960〜70年代、ウィーンで新しいモーツァルト演奏に取り組んでいた。ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスを組織し、十八世紀の演奏法を研究して、ピリオド楽器 (作曲された時代に合わせた楽器 )を用いて、当時の演奏の再現を目指した。ベームがそれを批判したのを憶えている 当時アーノンクールとウィーン・コンツェントゥス・ムジクスは細々と活動していた。それが逆転してしまった。

 十八世紀にはどんな楽器が使われ、どのように演奏されていたか ?
歌手たちはどのように歌っていたのか?
モーツァルトは『フィガロの結婚』を、どのように上演しようとしていたのか?  そうした「研究」は、研究室にとどまらない。
オペラを過去の遺物としないための試みは、面白いことに、過去の遺物を研究することで活発になったのだった。 《中略》

 さらに大きな変化は、ピリオド楽器による演奏のスタイルを、標準的なオーケストラが取り入れるようになって起こった。現在では、歌劇場にピリオド楽器の演奏団体が入ることもあるし、オーケストラにピリオド楽器の奏者が加わることもある。そして、オーケストラがピリオド楽器の奏法を取り入れた演奏をする例も、少なくなくなった。強い主張を持った一団のやり方は、いつのまにか、音楽界の中心へと入り、混じりあったのだった。 《中略》

しかしラトルの指揮した『コシ・ファン・トウツテ』には、別の洗練があった。
きつい強弱の対比や、ヴィブラートを抑えた響きや、まるでスイッチで操作するように移ってゆくテンポで、ベルリン・フィルが演奏する時、そこには現代の、洗練を極めたモーツァルトがある。もう後戻りはできない。





>現代の上演・演出

『フィガロの結婚』も『ドン・ジョヴァンニ』も『コシ・ファン・トゥツテ』も現代劇だ。
それがモーツァルトの時代の現代劇か、私たちの時代の現代劇なのかは、上演次第。どちらかといえば、後者のほうが優勢か。衣裳や舞台美術をロココにしても、あくまで現代の、私たちにとってのオペラとして上演されることが多いから、『フィガロの結婚』の上演のほとんどが、現代劇としての性格を持っているとみてもよさそうだ。

 モーツァルトのオペラを初めて見る人だったら、おそらく現代の、主にドイツを中心にして行われている舞台を存分に楽しめるだろう。
でも、これまで少しは見ている人の中には、違和感を味わう人もいる。
犠牲者としてのドン・ジョヴァンニなど、間違っている!と叫ぶだけでなく、
そもそも伯爵が背広を着ているのが許せない、と怒る人も、少数になったとはいえ、健在だ。
いまのところ、ロココ風の衣裳と、常套的な演技による上演も、かろうじて生き残っているけれど、これからは難しい。

 さまざまな上演を味わえる現代でも、安心して歌だけ聴ける、時代劇オペラとしてのモーツァルトを楽しむには、オペラの辺境に出かけるほかなくなるだろう。さもなければ1960年代の舞台を思い出しつつ、CD全曲盤を聴くことになる。
ノスタルジーに浸るのも悪くない。
 昔から、年季の入ったオペラ・ファンは過去を懐かしんできたのだ。
   《中略》

 しかし現代に直結する「演出の時代」は、もう少し後になってから盛んになる。立役者はジャン・ピエール・ポネルだった。
ポネルがスター的な演出家として注目された 1970年代以降、モーツァルトのオペラは、ただ美しい歌と音楽を中心とした舞台作品ではなくなる。

 ポネル演出による『フィガロの結婚』は、ウィーン国立歌劇場の引越し公演で、日本でも見られたが、ベームの指拝と組んだ映像作品も残っている。繰り広げられる出来事や人物関係が明瞭になり、ドラマの流れがくっきりしただけではない。そこにははっきりとした階級対立が見てとれる。伯爵対フィガロ、そして伯爵対伯爵夫人の対立が強調されている。上演の許可を得るため台本作家ダ・ボンテが抜きとったといわれる、このオペラの危険だったところが、実は生きていて、いまも力を発挿するのが証明されていた。


ポネルと同時期に、当時の東ドイツの演出家たち、ハリー・クプファーやゲッツ・フリードリヒ、ヨアヒム・ヘルツらが、ドラマをちゃんと作り上げるという以上の、踏み込んだ表現をするようになり、モーツァルトの上演は活気づく。
イギリスやフランスの演劇畑の演出家たちも乗り出し、モーツァルトのオペラの上演は、大きく変わってゆく。その大きなヤマ場が、 1991年の没後二百年の「モーツァルト・イヤー」だった。《中略》

 「モーツァルト・イヤー」のあと、落ち着きを見せるかと思われたが、落ち着くどころか、さらに進化していった。クプファーやフリードリヒ同様旧東ドイツの演出家で、最もスキャンダラスだったのが、ルート・ベルクハウスだった。
 ペーター・コンヴィチュニーをはじめ、ベルクハウスに師事した演出家たちが、いまやドイツ演出界の中心的勢力となっている。

 虚色をはぎとり、性的な要素を中心にすえるのがベルクハウスのやり方で、アンナやエルヴィーラなど、女たちの欲望のままに弄ばれ、地獄に落ちてゆくドン・ジョヴァンニは、彼女の面目躍如だった。その時は問題視されたのだが、現在はその先に到達してしまった。ベルクハウスの影響は大きく、モーツァルトのオペラのエロティックな面は、今日劇場でそれを聴く人の常識のようになっている。

 もともと『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』が、大変官能的なオペラであるのは、十九世紀には、誰もがそれと知りながら、あえて舞台上で表現しなかった。道徳的な時代のやり方だったわけだ。
現代は、遺徳的というわけではなかった十八世紀に直結しているのかもしれない。ケルビーノに舌なめずりする伯爵夫人や、ドン・ジョヴァンニをものにするためならなんでもしでかそうというエルヴィーラが、堂々とその欲望を白目のもとにさらすようになって、モーツァルトのオペラは現代化した。

 もちろんモーツァルトのオペラは、エロスだけに支配されているわけではない。家族の問題は『イドメネオ』の重要な主題で、演出家は時にこの父と子の問題を現代化させる。また現代の世界情勢とだって、モーツァルトのオペラは関わっている。西欧と中東、あるいはキリスト教圏とイスラム国家との、毎日のようにニュースに登場するあつれきを抜きに、『後宮からの逃走』を上演するのは、いささか難しくなってきている。

 解釈の明確化と主張ある表現だけが現代の演出ではない。
心理的・社会的な解釈を内在させたまま、オペラの演劇的リアリズムを追求するやり方だってある。リュック・ボンディやトマス・ラングホフのような、リアリズムを基本とした演出も、現代の最先端に立っている。   

 劇場にやってくる客に問題を投げかけたり、あえて挑発したりもする。
演出によっては、スキャンダルを怖れないどころか、むしろそれを狙うことだってある。昔に作られた、かつては安心して楽しめるオペラとして提供されていたモーツァルトは、時には目をそむけた くなる現代のドラマとして、ますます元気に生きている。
  (18〜23頁)


2010年06月19日(土) ただ結果だけを、、、

  記録しときましょう。。。










><南アW杯>日本、オランダに0−1惜敗 1勝1敗に
6月19日21時16分配信 毎日新聞

サッカーのワールドカップ(W杯)南アフリカ大会は
第9日の19日、1次リーグ3試合。
E組の日本(世界ランク45位)はダーバンでオランダ(同4位)と対戦し、0−1で敗れた。

オランダは後半にスナイダーが決勝点を挙げた。
日本は1勝1敗で勝ち点3のまま。オランダは勝ち点を6に積み上げた。
日本は02年日韓大会以来の決勝トーナメント進出をかけ、
24日午後8時半(日本時間25日午前3時半)にデンマークとの最終戦に
臨む。 《後略》

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100619-00000020-maiall-socc


2010年06月18日(金) 偶然のゆえい

大相撲の賭博問題、たいへんなことになってますなぁ。

ま、いろいろ言いたいこともあるんだが
今日のところは、元 法学部という立場で、薀蓄を少々、、、
 (ええかっこして、墓穴を掘らねばいいが、、、……(^^;))



今の刑法(平成7年(1995年)改正、通称:口語刑法)では

賭博について、いきなり

>第185条 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。
 ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、
 この限りでない。

となっていて、「賭博とは何ぞや」という説明がないのね。

いわゆる 旧刑法では
こうなってました。

「偶然ノ輸贏ニ関シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ為シタル者ハ
 五十万円以下ノ罰金又ハ科料ニ処ス
 但一時ノ娯楽ニ供スル物ヲ賭シタル者ハ此限ニ在ラス」


輸贏って字、読めないですよね。
ほんとは、「しゅえい」って読むらしいが
 読めないで、誤って「ゆえい」と呼ぶ人が多く
 いつのまにか「ゆえい」が一般化したらしい。
   (むか〜し、おべんきょした知識です(^ω^))

さて、この賭博罪は
「偶然ノ輪贏 二関シ 財物ヲ以テ」とあるので
この2つが構成要件となる。
 (どちらかが、欠ければ、罪とならない)

財物の帰属を偶然の結果にかからせること、と説明される。
金銭の多少は、賭博罪の成否に関係しない。

重要なことは
但し書きの
 一時の娯楽に供する物を賭けたときは罰せられない、という点。

さらに、重要な判例があった。

>当事者の一方が危険を負担せず、常に利益を取得する仕組みになっている
 場合は賭博とはいえない (大審院 大正6-年4月30日判決)



昔べんきょした
いくつかの例を、思い出してみると、、、

・テストでいい点を取った方に、1000円を与える。
  → 「偶然」でないので、賭博罪にあたらない。
   (同様な例は、美人コンテスト等々)

・パーティーなどで行われるビンゴゲーム
  →当事者の一方が景品を用意するだけで
   片方は負けても損をしないので、上記判例に照らし
   賭博には当たらない。

・いわゆる <いかさま賭博> 
  → 勝敗が一方当事者によって全面的に支配されているので
    詐欺罪を構成し、賭博罪は成立しない(最判昭和26年5月8日)


も一度整理すると、
 輸贏は、広辞苑では「(「輸」は負け、「贏」は勝ちの意) 勝負」とある。

 賭博罪が成立するための、「偶然によるところの勝負事」は、
客観性によらず主観的なもので足りるとされることから、
かなり広範囲になる。
ゲームなどにとどまらず、スポーツや自然現象も含まれるから
例えば、「明日の天気の予想」も偶然の輸贏となる。
 (ゲームという点では、判例で、囲碁、麻雀をその対象としている)

<『偶然の輸贏』に関する主な判例>

・大審院大正11年7月12日判決
「「偶然の輸贏」とは、当事者にとって確実に予見したり、その意思により
 自由に支配できない事実に関して勝敗を決めることをいう。」

・大審院大正3年10月7日
「賭博罪成立のためには、勝敗が主観的に不確定事実に係ることで足り、
 客観的に不確定であることを要しない。」

・大審院昭和6年5月2日判決
「麻雀の勝敗は技能・経験に左右されるが、主として偶然の事情に基づくから 「偶然の輸贏」にあたる。」

・大審院大正4年10月16日
「勝敗が単に技量のみにより決まらず、偶然の事情の影響を受けることが
 ある囲碁についても、賭博罪は成立する。」








このほか、面白いのは
判例では、賭博罪は挙動犯で
財物を賭けて勝者に交付することを予約するだけで既遂に達する、とされる。
つまり、賭銭を場に出し、花札を配布すれば、たとえそれが
親を決めるためであっても既遂となる(最判昭和23年7月8日)


数年前の
いわゆる新潟県警事件でのマージャンは、警察庁の見解で
賭博罪に該当しないと説明されたのは
次のような理屈付けによる。
(こどもじゃあるまいし、図書券なんてねぇ
  実際はどうだったかわからない……(^^;))


●新潟県警察をめぐる事案
「マージャンは、満貫賞の景品として本部長が五百円の図書券二十枚を
 私費で購入、提供していて、その都度図書券一枚が配られているので、
 財物の得喪を争っていないことから、刑法百八十五条の賭博罪には
 該当しないものと考えられる。(第147回国会 法務委員会)」

ポイントは、
1.景品は本部長の自腹である
2.賞金ではなく、図書券という景品である
3.勝負事の結果で景品が渡されたわけではない







下記サイトほかを参考にしました。

http://kokonoka.cocolog-nifty.com/tei/cat3366896/index.html


2010年06月17日(木) 「CDだって一回きりで聴かなあかん」

かつて、ライブ録音CDは一度聴いたら
 燃えてなくなってしまったらいい、、
  と思ったことがある。

また
 大切な曲 (例えば、《マタイ受難曲》やト短調交響曲)
 大切な録音
   は、1年に1回だけ、心をこめて聴きたいと思う。

 (そう思ってると、ついつい聴くのが億劫になり遠ざかってしまうのだが)



我が意を得たり
 と思うような文章を見つけたので
   ご参考までに、、、





@ 何遍も聴いたら感動が無くなる (笑福亭鶴瓶)

        ・・・・
談志師匠は『芝浜』。ええときの『芝浜』ね。
これは絶品。でも一回しか聴かん。僕はそれがええ。
志ん朝師匠の『文七』も一回だけですから。
一回聴いてもう聴きたくない思うたもんね。ていうか、もうそれでええやん。
もう一番最初のいいタイミングでいい印象が残ってるから。
それでもう一回聴くと、こんなとこもあんなとこもって
思うてしまうだろうしね。
何遍も聴くうちに「ここの息継ぎがどうこう」なんて細かいことに
気がいくようになる。
だから『文七』は一回しか聴いてないですよ。それで、もうこれだ!
っていうのが自分の中に出来あがってるんですよ。

あのね、何遍も聴いたらあかんと思いますよ。
そもそも寄席っていうのは噺家の体調と聴く人のタイミングでいいものに
出会えるから寄席なんですよね。
寄席の出会いは一回ですから。

だからCDも一回でいいんです。
何遍も聴いたらあかんのですよ。もうね、何遍も聴くな!と。
CDだって一回きりで聴かなあかん。
一期一会や。そうしないとダメですよ。
こんなもん何遍も何遍も聴いたら最初の印象がどんどんうすれて感動が
無くなりますよ。

で、聴き始めたら途中で止めたらダメ。
一時停止してトイレ立ったりとか、そんなん絶対あかん。
だからすることが何もない状況、寝しなに聴きなさい。
誰も部屋に入ってけえへんというね。
寝ながら暗くして。そうしないとダメですよ、落語は。

昼間に景色の見えるところで、なんていうのはあかん!

寝る時に一席聴こうと思って聴く。これ大事です。
CDやからもう一回聴けるとか思わない。
自分でこれが一席の独演会と決めて、まあ二席でもいいですよ。
志ん朝二席だったら例えば『堀の内』を聴いたら、あとは『文七』とかね。
自分でプログラム組んでね。始まったら最後まで集中して聴く。
落語の中に入り込む。

そうしないと志ん朝師匠に失礼ですよ!


 <落語ファン倶楽部3号 25頁>


2010年06月16日(水) こういう話が好き (^ω^)

おととい夜のサッカー
 もちろん私は、TVを観てなかった。(^ω^)


視聴率はたいへんなものだったらしいですね。
で、 こんなことがあったそうです。
(昔、紅白がお化け番組と言われてた頃、
 大晦日の帝国ホテルで、紅白が終わると同時に
 入浴する客が多く、給湯が追いつかず
 その時間帯、湯がぬるくなるという話を聞いたことがある)




・・・・・

アレ中はトイレ我慢?
ハーフタイムと終了後に水道使用急増2010.06.17

日本が勝利した14日のサッカーW杯のカメルーン戦で、試合時間帯の
大阪市内の水道使用量が、ハーフタイム中と試合直後に急激に増えていたことが16日、分かった。
発表した大阪市水道局の担当者は
「試合中、ずっとトイレを我慢していたのでは」と分析している。


市によると、午後11時の試合開始直後から水道使用量が急に減り始め、
前半終了直前の同45分では毎時約4万7000立方メートルと、
平均に比べ13%減。
ところが、ハーフタイムになると一気に5万3000立方メートルにまで
増えた。後半も同様の傾向が認められた。 《後略》

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20100617/dms1006171258002-n2.htm


2010年06月15日(火) ボッコちゃん




頂いたチケット(←またかよ! (^^;))で
家内と一緒に世田谷文学館 星 新一展へ ^^

とってもなつかしい。

高校生のころ
リアルタイムで読んでました。(^ω^)



今回の展示で驚いたのは
細いエンピツの文字で書かれた下書き、、、
 とても読めんぜよ  (^ω^)



星 新一を知らない世代の方のために
初期の代表作『ボッコちゃん』の一部を、、、




ボッコちゃん

そのロボットは、うまくできていた。
女のロボットだった。
人工的なものだから、いくらでも美人につくれた。
あらゆる美人の要素をとり入れたので、完全な美人ができあがった。
もっとも、少しつんとしていた。
だが、つんとしていることは、美人の条件なのだった。

ほかにはロボットを作ろうなんて、だれも考えなかった。
人間と同じに働くロボットを作るのは、むだな話だ。
そんなものを作る費用があれば、もっと能率のいい機械ができたし、
やとわれたがっている人間は、いくらもいたのだから。
それは道楽で作られた。
作ったのは、バーのマスターだった。
     《中略》
金は酔っぱらいたちがもうけさせてくれるし、時間もあるし、
それでロボットを作ったのだ。
まったくの趣味だった。
趣味だったからこそ、精巧な美人ができたのだ。
本物そっくりの肌さわりで、見わけがつかなかった。
むしろ、見たところでは、そのへんの本物以上にちがいない。
しかし、頭はからっばに近かった。
彼もそこまでは、手がまわらない。
簡単なうけ答えができるだけだし、動作のほうも、酒を飲むことだけだった

彼は、それが出来あがると、パーにおいた。
そのバーにはテーブルの席もあったけれど、
ロボットはカウンターのなかにおかれた。
ぼろを出しては困るからだった
お客は新しい女の子が入ったので、いちおう声をかけた。
名前と年を聞かれた時だけはちゃんと答えたが、あとはだめだった。
それでも、ロボットと気がつくものはいなかった。

「名前は」
「ボッコちゃん」
「としは」
「まだ若いのよ」
「いくつなんだい」
「まだ若いのよ」
「だからさ・・」
「まだ若いのよ」

この店のお客は上品なのが多いのでだれも、これ以上は聞かなかった。

「きれいな服だね」
「きれいな服でしょ」
「なにが好きなんだい」
「なにが好きかしら」
「ジンフィーズ飲むかい」
「ジンフィーズ飲むわ」

酒はいくらでも飲んだ。
そのうえ、酔わなかった。
美人で若くて、つんとしていて、答えがそっけない。
お客は聞き伝えてこの店に集った。
ボッコちゃんを相手に話をし、酒を飲み、ボッコちゃんにも飲ませた。

「お客のなかで、だれが好きだい」
「だれが好きかしら」
「ぼくを好きかい」
「あなたが好きだわ」
「こんど映画へでも行こう」
「映画へでも行きましょうか」
「いつにしよう」

答えられない時には信号が伝わって、マスターがとんでくる。
「お客さん、あんまりからかっちゃあ、いけませんよ」
と言えば、たいていつじつまがあって、お客はにが笑いして話をやめる。

マスターは時どきしやがんで、足の方のプラスチック管から酒を回収し、
お客に飲ませた。
だが、お客は気がつかなかった。
若いのにしっかりした子だ。
べたべたおせじを言わないし、
飲んでも乱れない。
そんなわけで、ますます人気が出て、立ち寄る者がふえていった。

そのなかに、ひとりの青年がいた。
ボッコちゃんに熟をあげ、通いつめていたが、いつも、もう少しという感じで、
恋心はかえって高まっていった。    《後略》




2010年06月14日(月) ありゃりゃ!!!

殆どの人の予想をくつがえして、、、

  勝っちゃった。。。


カメルーンに1―0 (本田がゴール)



明日の朝刊が楽しみ。。。
 手のひらを返したような記事が出るだろう。


2010年06月13日(日) >モ愛好会と共に30年

モ愛好会例会に、、、


創立以来の会員の方の回顧談。

私は、つい10数年のキャリアだから
 大先輩に比べたら、ほんのひよっ子です。……(^^;)

しかし
 頂いた資料に見る2000年から例会予定をみると
 懐かしさがこみあげてきます。


今では、完全に運営から手を引いているが
2000年頃は会場手配やら出演交渉やら
いろいろあった。

この10年、短いようだが
 ほんと、いろんなことがあったもんだ。。。。




・・・・・・
第368回例会 会員発表
2010年6月13日(日) 2:00 p.m
東京しごとセンター(飯田橋)
「モーツァルト愛好会と共に30年 」 横溝正信


2010年06月12日(土) 音楽学会例会

例会に行ってきました。
 例によって、呑み会に参加。午前様です。
 ふう〜、疲れた。 (^ω^)






・・・・・
>日本音楽学会例会
第339回定例研究会

日時 2010年6月12日(土) 午後2時〜5時
場所 武蔵野音楽大学 江古田校舎 3号館447室
(西武池袋線「江古田」駅北口、または「新桜台」駅4番出口より5分)
司会 平野 昭 (静岡文化芸術大学)

研究発表
1. レオニード・クロイツァーのベートーヴェン解釈
-ピアノソナタ第26番 Op.81a 変ホ長調「告別」を例にとって-
畑山 千恵子

修士論文発表
2. タイ音楽の伝統とプラシッド・シラパバンレン(1912-1999)の音楽実践
山下 暁子 (お茶の水女子大学大学院)

3. A.シュナーベル校訂『ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全集』に関する一考察
畑野 小百合 (東京学芸大学大学院)

4. チェルニーの演奏理論におけるテンポの位置づけ
-楽譜と演奏のはざまで-
中川 航 (東京大学大学院)

5. ベートーヴェンとファンタジー
-即興演奏と作曲の間の創造プロセス-
越懸澤 麻衣 (東京藝術大学大学院)

・・・・・・・・・・・・・・


2010年06月11日(金) 指揮者がいると、、、

先日の国立音楽大学コンサートについての感想について
i教授からブログでお返事を頂きました。



>たのもーさん(私のこと)のコメントについて、私感を少々。
指揮者がいたらなあ、というご感想はよくわかることで、われわれの演奏の至らなさの的確なご指摘
なのですが、指揮者のいないコンサートの経験も、もっともっと必要だと思っています。

指揮者がいると「みんなが指揮者に合わせて演奏する」という形になりやすく、
横の連携が希薄になることがしばしばあるからです。
声楽の指導をすることが多い昨今ですが、オーケストラを聴く、ピアノを聴く、という価値観を重んじて
います。歌のパートのみを一生懸命歌い、あとはピアノがついてきてくれ、というスタンスの人、
どうしても多いのです。

たのもーさん、安田祥子さんの声を絶賛しておられますが、私もまったく同感。
のびのびとまっすぐに飛んでくる若々しい声で、最初のリハーサルのとき、鳥肌が立ちました。
高橋織子さんの気品ある円熟した声とは、また別のよさです。
昔はテノールやバリトンの声ばかり好きでしたが、最近は女性の美声にも、
 本当に惹かれるようになりました。
http://prof-i.asablo.jp/blog/2010/06/11/5155936


2010年06月10日(木) (大きな声ではいえないが)

(ここだけの話)
近年うかがった若手の演奏会で、明らかに、手抜き、準備不足が見受けられるケースに
数回出くわしてから、
この種のコンサートを敬遠するようになっておりました。
 (決して、i教授関係のコンサートではありません。念のため)

・・・考えてみれば、(我が身を振り返って)
学会発表にも準備不足の時もあるし、
殊更、若手演奏家だけをあげつらうのは酷かもしれません。
それこそ大人気ないですね。反省、反省……(^^;)


演奏家の方々のブログを読むと
非常勤講師やバイトの過酷な日程の中
演奏の仕込みをする苦労がわかる。

 が、しかし
聴く側としては、
それでも、なお、、という気が強い。


以前に紹介したプロというもののあり方についての    
長嶋監督の言葉(要旨)
 (一生に1度試合を見に来てきれた方のためにも、
  すべての試合に勝つつもりで臨んでいる)

対照的な 志ん生師匠の言葉(要旨)
 (商売ですから、毎日毎日の高座で命がけなんてえことはできません。
   せいぜい、年に何回かです。)

 どちらも正しいとおもいます。





2010年06月09日(水) 音楽史研究会

例会に行ってきました。
 (呑み会はパス)


会場に ダルシマ の演奏家という方がいらしてて
 ビックリ!





・・・・
「音楽史研究会」例会

日時: 2010年6月9日(水)18:00−20:00
発表: 太田 峰夫 氏
(東京大学大学院人文社会系研究科美学芸術学研究室助教)
「なぜドレスにツィンバロンなのか?
 ― 二重帝国時代のハンガリー市民社会におけるツィンバロンの流行をめぐって ―」
会場:桐朋学園芸術短期大


2010年06月08日(火) モーツァルト×オペラ=様々な愛のかたち

   勝手な感想を少々、、、

久々に、若い方のコンサートで
楽しませて頂きました。

オペラアリアで、こんな素敵な経験は
約40年前、当時大学院生だった
島田祐子さん、秋葉京子さん!のジョイント・コンサート以来とおもいます。
(すぐ昔を引き合いに出す
  悪癖ですね……(^^;) お許し下さい)

フィオルデリージの安田祥子さん、修士2年というのにプリマのオーラを備えているようです。
常に笑顔を絶やさず、舞台での存在感抜群に思いました。
歌唱も今風の発声で、すばらしいと感じました。
ただ、私には、この方の声質、キャラは、フィオルディリージというより、スザンナなど、
スーブレット向きのようにおもえました。
今回お歌いになりませんでしたが、例えば、《岩のアリア》での強靱なスピントは、
いかがなんでしょうか。

(このへん、フィオルディリージの役作り解釈に関わることなので、あくまで私見です。
 是非、本番の舞台で確かめたいと思います。)

ドラベッラの鈴木 望さんも素敵でした。
こういう声質のメゾ・ソプラノ大好きです。

男声陣、りっぱだったんですが
 私には少々、どなり過ぎのように思えました。(オケ伴奏だと、印象がまた違うかもしれませんね)

いづれにせよ
秋の大学院オペラが楽しみです。
(実は、もうチケット予約済みです (^ω^))

第2部では
高橋織子さんの、すばらしい風格ある歌唱にひかれました。この方、個人のスタイルを確立なさった(なさりつつある)ように感じました。

阿部雅子さんのオペラ歌唱に接するのは、《イドメネオ》以来です。あの時も感心しましたが、さらに 進境著しいですね。

是非、早い機会に、阿部さんの歌う《ハ短調ミサ曲》をお聴きしたいものです。待ってますよ。。 (^ω^)

日頃、ボーイソプラノで歌われることの多い三童子さんですが、
昨夜のように実力ある方々にきっちり歌って頂くと、
この歌の魅力がわかりますね。

モノスタートスを歌われた葛西さん、
まだ20代でしょうか?
あの若さでモノスタートスを、あれほどうまくこなされるとはオドロキです。


器楽陣について、大半が今春の学部卒業生という表記を読んで、思わず「ウソでしょう!」と
叫んでしまいました。
皆さん、お上手ですね。
驚きです。


ないものねだりのようで申し訳ないのですが
フィオルディリージとフェランドの二重唱を聴いて
1つ感じたのは、指揮者がいたらなぁということでした。

序曲もそうですが、このような曲になると指揮者の重要さを、まざまざと感じます。



・・・・・・

>>レインボー21
@ 国立音楽大学プロデュース
モーツァルト×オペラ=様々な愛のかたち
―歌と木管アンサンブルで奏でる『コジ・ファン・トゥッテ』と『魔笛』

日程:2010年6月8日(火)19:00
会場:サントリーホール ブルーローズ(小ホール)

出演
「コジ・ファン・トゥッテ」
フィオルディリージ:安田祥子(大学院修士2年)/
ドラベッラ:鈴木 望(大学院修士2年)
フェルランド:小堀勇介(大学院修士2年)/
グリエルモ:照屋博史(大学院修士2年)
ドン・アルフォンソ:千葉祐也(大学院修士2年)

「魔笛」
パパゲーノ:大川 博(2009年大学院修士修了)/
パパゲーナ:阿部雅子(大学院博士2年)
タミーノ:碾 圭(2010年大学院修士修了)/
パミーナ:盒郷セ辧並膤惘’郢裡嫁)
モノスタートス:葛西健治(大学院博士3年)
童子機Щ該衙〇辧並膤惘’郢裡廓)/童子供Ю酳 茜(大学院博士2年)/
童子掘盒狭恵(大学院博士1年)
武士機Ь堀勇介(大学院修士2年)/武士供Ь伐闇郢法並膤惘―せ裡嫁)

木管アンサンブル
フルート:日野真奈美(大学院修士1年)
オーボエ:後藤望実(アドヴァンスト・コース)/高橋舞衣(アドヴァンスト・コース)
クラリネット:武藏隆一(2010年音楽学部卒業)/赤岡あんり(アドヴァンスト・コース)
ファゴット:楠麝技辧複横娃隠闇音楽学部卒業)/田作幸介(アドヴァンスト・コース)
ホルン:丁 晃子(2010年音楽学部卒業)/石崎はる奈(アドヴァンスト・コース)
コントラバス:砂川拓彌(2010年音楽学部卒業)
チェレスタ:吉田彩(2010年大学院修士修了)

ナビゲーター:礒山 雅(国立音楽大学教授)

マネージメント学生
加藤千佳(2010年音楽学部卒業)/伊澤 学(アドヴァンスト・コース)
清水優花(音楽学部音楽教育専攻4年)/鈴木美緒(音楽学部幼児教育専攻4年)
西岡理佐(音楽学部音楽研究専修4年)/山崎有香(音楽学部ピアノ専修4年)

プログラム
モーツァルト
オペラ『コジ・ファン・トゥッテ』K.588 ハイライト(木管アンサンブル編曲:足本憲治)
オペラ『魔笛』K.620 ハイライト(木管アンサンブル編曲:足本憲治)

入場料
2,000円(全席自由)

モーツァルト×オペラ=様々な愛のかたち
カップルたちの「愛」が物語を動かすモーツァルトのオペラ。
男女の考え方の違いが鍵となる『コジ・ファン・トゥッテ』、二組のカップルを主題の一つとした『魔笛』にみられる様々な「愛」をとりあげます。
今回のオーケストラは、モーツァルトが深く愛した木管楽器によるアンサンブル。その豊かな色彩感はきっと歌をひきたてることでしょう。
「モーツァルトのくにたち」が贈る、歌と木管アンサンブルで奏でる新しいオペラにどうぞご期待ください。

この演奏会の企画・制作は、アートマネージメントコースの学生が担当しております。
サントリーホールと大学の全面的なバックアップの下、チラシ・プログラムの制作・PR活動・チケット販売・舞台構成など、アートマネージメントについて一から勉強している最中です。出演者は大学の推薦を受けた在校生および、卒業生であり、質の高い演奏が期待できます。
尚、今年の「レインボウ21」では、本学のほか、桐朋学園大学(6/4)、東京音楽大学(6/11)が採用されました。詳細は、サントリーホールのホームページをご覧ください。
http://www.kunitachi.ac.jp/event/concert/perform/20100608_01.html


2010年06月07日(月) この秋は、、、

応募していた秋の美学会全国大会での研究発表が
採択されたとの通知を頂きました。
 (つまり発表してもいいよ、との決定 (^ω^))

夏休みは、この準備に傾注したいと思います。


2010年06月05日(土) ケネディの『 勇気ある人々』 

鳩山辞任、、の中で
この本のことを思い出している。

ケネディという名が輝きをもって受け取られていた
幸福な時代の遺産というべきか。






@勇気ある人々 ジョン・F・ケネディ (著), 宮本 喜一 (翻訳)
: 392ページ: 英治出版 (2008/1/10)

>内容紹介
だれの人生にも、自分自身の“勇気”を問われる瞬間がある。
――ジョン・F・ケネディの伝説的名著、待望の復刊!

政治は一つの舞台に過ぎない。どんな人生であろうと、われわれは皆、ある時、自分の勇気を問われる瞬間に向き合うことになる。そのとき人は何を思い、何を守り、何を賭けて行動するのか。本書に登場する人々の、夢と幻滅、栄光と挫折、称賛、非難、妥協、苦渋の決断など、それぞれの生きざまから、われわれは何を学ぶべきなのか。ジョン・F・ケネディが、当時そして未来の読者に向けて、渾身の力をこめて書きのこした情熱と気迫の人間論。

(本文からの抜粋)
本書で私は彼らの人生を、つまり、彼らが命をかけた理想や守り抜こうとした主義主張、彼らの美徳、罪、夢と幻滅、受けた称賛、耐え抜いた誹謗中傷などを、的確に紹介しようと努めた。……彼らの人生にはどれも、……地元の人々の心を動かし、この国のあらゆる地域に住むあらゆる市民の人生を豊かにしてくれる何かがあったのだ。



自分の利益、そして自分の選挙区のことしか考えない政治家と、
国や国民のことを考え、たとえ自分の選挙区の人々から反対されようとも、自分の信念に従った行動を貫く政治家の違い。それは、真の勇気をその政治家が持っているかどうかである。
これが本書で、著者ジョン・F・ケネディが、読者に言いたかったことであろう。


時に、勇気ある行為は、世間には反逆のように映る。
が、それは真理にもとづく反逆であり、それは真理の頂を目指す、孤独な戦いに耐えうる者のみに
許される気高い行為である。

”著者 前書き”
「私は上院に入るずっと前、ジョン・クインシー・アダムズ、ならびに彼と連邦党との相克に関する記録を読んで以来、選挙民の圧力に直面する政治的勇気の問題、ならびに過去の政治家の伝記によってこれらの問題を明らかにすることに興味を抱いてきた。1954年、背骨の手術に続く長い入院と静養の期間、初めてこの計画に必要な読書と研究の機会を得た。(中略)妻ジャクリーヌの激励と援助と批評なしには、本書は生まれなかった。」

「勇気ある人々」は第六代大統領ジョン・クインシー・アダムズほか下記八名の「勇気ある行為」
を述べている。

ジョン・アダムズ・・二代大統領アダムズの息子、言論の自由の擁護者としてまた奴隷制度の拡大に
 反対した。
ダニエル・ウエブスター・・ ダートマス裁判で母校の弁護人を務めた強硬漢の上院議員。
 史上最高の雄弁家と言われ連邦政府権限の強化を叫んだが、1852年の大統領選挙で民主党の
 フランクリン・ピアスに敗れた
トーマス・ベントン・・  国立銀行問題で硬貨論を唱えて紙幣制度に反対した上院議員
サム・ヒューストン・・  テキサスが併合される前のテキサス共和国初代大統領。
  テキサス州知事、上院議員。強力な連邦論者
エドモンド・ロス・・ 奴隷反対論者で南北戦争の勇者。
  カンサス州知事選挙で敗北後、ニュー・メキシコ総督,腐敗と戦ったため失脚
ルシアス・ラマー・・ ミシシピー州出身下院議員。南北戦争では南部連合のために働く
ジョージ・ノリス・・ 共和党急進派からルーズベルトのニュー・ディール政策を支持。
ロバート・タフト・・ 共和党保守派の総帥、党大会でアイゼンハワーとの指名争いに敗北


のちに「ケネディ語録」に収録された「勇気ある人々」の中の言葉のいくつか。

「兄弟同士が戦った南北戦争で、砲火の下の勇気を判断するうえで、どちらの側で戦ったかなど
 問題ではない」
「過去において、勇気の本質を忘れた国民は、今日、選ばれた指導者に勇気を要求するとは
 思えない。また、勇気ある指導者に報いるような国民でもない」
「国民が政治的勇気を妨げ、政治家に良心の放棄を強要している恐るべき圧力は、安易な道を
 選ぶ者には寛大である」
「勇気ある者でなければ、強力な敵との戦いにおいて、生き抜くために必要な、困難にして不人気な 決定などできない」
「勇気ある者でなければ、アメリカを生み、この国の幼年期を育て苦しい試練を通じてこの国を成年に 育てあげてきた個人主義と独立精神を、胸に燃やし続けることはできない」
「議員の責務が有権者の衝動に束縛されることを否定する者こそ、民衆の英知を信用するもので
 ある」
「勇気の意味は、政治活動と同じく誤解されやすい」
「真の民主主義とは、その主義に対する貢献のために不人気な方向をたどった人物を非難しない
 だけでなく、その勇気に報い、高潔さを尊敬し、最後に正しさを認める信念を植え付けることである」
「勇気と良心の問題は、アメリカの官吏と公人格の地位の上下にかかわらず、官公吏にかかわる
 問題点である」
「勇気によって死んだ人々を軽んじることなく、勇気をもって生きた人々の行為も忘れてはならない。
 勇気ある人生は、最後の瞬間の勇気ほど劇的なめざましさはない。
 にもかかわらず、そこに、壮大な勝利と悲劇が同居していることには変わりはない」

さらに・・・・・・・

「政治は、勇気に特殊な試練の土俵を提供するに過ぎない。
 人生のどの領域でも勇気の試練に遭遇するものだが、良心に従えば、直面する犠牲が何であろう
 とも、友人や財産を失い、仲間の尊敬さえ失っても、進むべき道を決断しなければならない」


下記を参考にしました。
http://www.maedafamily.com/denki/11.htm

・・・・・・・・・・・


2010年06月02日(水) さっすが、テレ東!!

やってくれましたね、
  さっすが、テレ東!


鳩山辞任で、他局が特番組んで
 大騒ぎしてるっちゅうのに
 ゆうゆう 通販番組流しちょるう。。。

>▽10・05モーテレ・買い物ランドショップ島!


なかなかできるこっちゃないと思うよ!
 いかに、ニッケイ天下りの連中に毒されてないかということが
 わかるかも。





(思い出すのは
 マサコ様 婚約発表の時のこと。
 この時も、ゆうゆうanimeを流しておった。
 対照的にドタバタしたのがCX、
  放送中の ツユキ部長んところに
  部下が「視聴者から、番組中断についての苦情が
       殺到してます!」と報告。
  ツユキさんが、「あとで、あとで、、」と
  慌ててるのが、みんな流れちゃった。)






鳩山さん、小沢さん 辞任 については、また後日。。


2010年06月01日(火)  ダブルCDマガジン「モーツァルト」 だって。。

ある方からのお知らせで知った。。


内容みて思ったが
ある意味、感慨深い。

「ベーム、マリナー、グリュミオー 抜き」 の
モーツァルト選集の時代になったんだ、ということか。。


殆ど持ってるので
買うこともないが
初回 890円というのはお買い得。

通常回 1490円というのは、どうか。
どのくらいヒットするか
 興味深い。



中で感心(?)したのが
下記の演奏選択。。

なかなか凝ってるねぇ。
だれの企画なんだろう。。
(あとは、解説者の名前が気になるね ???)
  残念ながら、私には廻って来なかった。(笑)



 ヒロ・クニサキのヴァイオリン・ソナタ
 アーノンクールの交響曲、オペラ
 クリスティの《後宮からの逃走》
 クリスティのハ短調ミサ
 ペ−ター・ノイマンの戴冠ミサ
 パユのフルート四重奏
 ムーティのレクイエム
 シュタイアのP協奏曲
 アルバン・ベルクQの弦楽四重奏、五重奏


少々残念なのは、Pソナタの殆どが、バレンボイムっ てとこと
  KV 364がオイストラッフ ってとこか。
    (エラそうにすみません。… (^^;))



・・・・・・

講談社 http://shop.kodansha.jp/bc/mozartcd/   から


ダブルCDマガジン「モーツァルト」
2010年5月27日(木)創刊!
代表的な名曲をすべて収録!モーツァルト入門の決定盤、登場!!
CD50枚(全25巻予定)でたどる、大モーツァルト・コレクション
【各巻CD2枚つき】
創刊号特別定価:890円(税込)通常号定価:1,490円(税込)
代表的な名曲をすべて網羅し、さらにめったに聴くことのできない初期の作品までも、現代最高の名演でお届けします。
オールカラー32ページのマガジンは、イラスト図解や内容充実の読みもの満載で、モーツァルトの世界がもっと身近になります。
感性を磨く。情操を育む。モーツァルトで極上の癒しを。


第1巻
交響曲[1]
ニコラウス・アーノンクール指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

交響曲第40番ト短調K.550
交響曲第41番ハ長調K.551《ジュピター》

協奏曲[1]
ピョートル・アンデルシェフスキ(p/指揮)

ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466 [スコットランド室内管弦楽団]
ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467 [シンフォニア・ヴァルソヴィア]


第2巻
管弦楽曲[1]
セレナード第13番ト長調K.525《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団

バレエ音楽《レ・プティ・リアン》K.Anh.10(229b)
6つのドイツ舞曲K.571

レイモンド・レパード指揮 Raymond Leppard
スコットランド室内管弦楽団 Scottish Chamber Orchestra

器楽曲[1]
ピアノ・ソナタ第10番ハ長調K.330
ピアノ・ソナタ第11番イ長調K.331《トルコ行進曲付き》
ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調K.332
アレクセイ・リュビモフ(fp)


第3巻
協奏曲[2]
フルートとハープのための協奏曲ハ長調K.299
フルート協奏曲第1番ト長調K.313
オーボエ協奏曲ハ長調K.314
ジェームズ・ゴールウェイ(fl)フリッツ・ヘルミス(hp)
アンドレアス・ブラウ(fl)
ローター・コッホ(ob)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

室内楽曲[1]
クラリネット五重奏曲イ長調K.581
カール・ライスター(cl)
ベルリン・ゾリステン
ホルン五重奏曲変ホ長調K.407
ラドヴァン・ヴラトコヴィチ(hrn)
ベルリン・ゾリステン
ピアノ四重奏曲第1番ト短調K.478
デジェー・ラーンキ(p)
エーデル四重奏団団員


第4巻
交響曲[2]
交響曲第38番ニ長調K.504《プラハ》
交響曲第39番変ホ長調K.543
ニコラウス・アーノンクール指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

室内楽曲[2]
ヴァイオリン・ソナタ第35番ト長調K.379
ヴァイオリン・ソナタ第40番変ロ長調K.454
ヴァイオリン・ソナタ第42番イ長調K.526
フランク・ペーター・ツィンマーマン(vn) アレクサンダー・ロンクィッヒ(p)


第5巻
協奏曲[3]
ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488
ピアノ協奏曲第26番ニ長調K.537《戴冠式》
フリードリヒ・グルダ(p)
ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

交響曲[3]
交響曲第25番ト短調K.183
交響曲第29番イ長調K.201
交響曲第33番変ロ長調K.319
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団


第6巻
オペラ[1]
《フィガロの結婚》K.492
トーマス・ハンプソン(Br) バーバラ・ボニー(S)
ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

オペラ[2]
《コシ・ファン・トゥッテ》K.588
シャルロット・マルジョーノ(S) アンナ・シュタイガー(S) トーマス・ハンプソン(Br)
 ジル・カシュマイユ(Br)
ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団


第7巻
協奏曲[4]
ヴァイオリン協奏曲第1番変ロ長調K.207
ヴァイオリン協奏曲第2番ニ長調K.211
ダヴィド・オイストラフ(vn/指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

協奏交響曲変ホ長調K.364
イーゴリ・オイストラフ(vn)
ダヴィド・オイストラフ(va/指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

協奏曲[5]
ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216
ヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調K.218
ヴァイオリン協奏曲第5番イ長調K.219《トルコ風》
トーマス・ツェートマイヤー(v/指揮)フィルハーモニア管弦楽団


第8巻
室内楽曲[3]
フルート四重奏曲第1番ニ長調K.285
フルート四重奏曲第2番ト長調K.285-A
フルート四重奏曲第3番ハ長調K.285-B
フルート四重奏曲第4番イ長調K.298
 エマニュエル・パユ(fl) クリストフ・ポッペン(vn) ハリオリフ・シュリヒティ(va) ジャン= ギアン・ケラス(vc)

室内楽曲[4]
クラリネット三重奏曲変ホ長調K.498《ケーゲルシュタット・トリオ》※
ピアノ三重奏曲第3番変ロ長調K.502
ピアノ三重奏曲第4番ホ長調K.542
ダニエル・バレンボイム(p)ニコライ・ズナイダー(vn)
キリル・ズロトニコフ(vc)※以外
マティアス・グランダー(cl)※のみ 
フェリックス・シュヴァルツ(va)※のみ


第9巻
管弦楽曲[2]
3つのディヴェルティメント ニ長調K.136/変ロ長調K.137/ヘ長調K.138
ディヴェルティメント第11番ニ長調K.251
トン・コープマン指揮 アムステルダム・バロック管弦楽団

声楽曲[1]
歌曲《すみれ》K.476
歌曲《春へのあこがれ》K.596 他
バーバラ・ボニー(S) ジェフリー・パーソンズ(p)
アリア「あなたの心は今は私に」K.217
アリア「私の感謝をお受けください」K.383
アリア「いえ、いえ、あなたには」K.419 他
スミ・ジョー(S)
ケネス・モントゴメリー指揮 イギリス室内管弦楽団


第10巻
器楽曲[2]
2台のピアノのためのソナタ ニ長調K.448
アンダンテと5つの変奏曲 ト長調K.501
四手のためのピアノ・ソナタ ハ長調K.521
四手のためのピアノ・ソナタ ニ長調K.381
マルタ・アルゲリッチ(p) アレクサンドル・ラビノヴィチ(p)

協奏曲[6]
ピアノ協奏曲第22番変ホ長調K.482
ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491
ダニエル・バレンボイム(p/指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


第11巻
交響曲[4]
交響曲第35番ニ長調K.385《ハフナー》
交響曲第36番ハ長調K.425《リンツ》
ニコラウス・アーノンクール指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

管弦楽曲[3]
行進曲 ニ長調K.249
セレナード第7番ニ長調K.250《ハフナー》
セレナード第6番ニ長調K.239《セレナータ・ノットゥルナ》
トン・コープマン指揮 アムステルダム・バロック管弦楽団


第12巻
オペラ[3]
《魔笛》K.620
エディタ・グルベローヴァ(S) バーバラ・ボニー(S) トーマス・ハンプソン(Br)
ニコラウス・アーノンクール指揮 チューリヒ歌劇場管弦楽団

オペラ[4]
《皇帝ティートの慈悲》K.621
フィリップ・ラングリッジ(T) アン・マレイ(Ms) ルチア・ポップ(S)
ニコラウス・アーノンクール指揮 チューリヒ歌劇場管弦楽団


第13巻
管弦楽曲[4]
セレナード第10番変ロ長調K.361《グラン・パルティータ》
セレナード第12番ハ短調K.388《ナハトムジーク》
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・モーツァルト管楽合奏団

交響曲[5]
交響曲第13番ヘ長調K.112
交響曲第14番イ長調K.114
交響曲第20番ニ長調K.133
ニコラウス・アーノンクール指揮
ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス


第14巻
器楽曲[3]
ピアノ・ソナタ第1番ハ長調K.279
ピアノ・ソナタ第2番ヘ長調K.280
ピアノ・ソナタ第8番(新全集第9番)イ短調K.310
アレクセイ・リュビモフ(fp)

室内楽曲[5]
ヴァイオリン・ソナタ第25番ト長調K.301
ヴァイオリン・ソナタ第28番ホ短調K.304
ヴァイオリン・ソナタ第32番ヘ長調K.376
ヴァイオリン・ソナタ第34番変ロ長調K.378
ヒロ・クロサキ(vn) リンダ・ニコルソン(fp)


第15巻
協奏曲[7]
クラリネット協奏曲イ長調K.622
カール・ライスター(cl)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

協奏交響曲変ホ長調K.297b
カール・シュタインス(ob) ヘルベルト・シュテール(cl)
マンフレート・ブラウン(fg) ノルベルト・ハウプトマン(hrn)
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

交響曲[6]
交響曲第17番ト長調K.129
交響曲第18番ヘ長調K.130
交響曲第19番変ホ長調K.132
交響曲第22番ハ長調K.162
交響曲第32番ト長調K.318
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団 [W]WPCS-11106


第16巻
室内楽曲[6]
弦楽四重奏曲第14番ト長調K.387《春》
弦楽四重奏曲第17番変ロ長調K.458《狩り》
アルバン・ベルク弦楽四重奏団 [W]WPCS-10392

協奏曲[8]
ピアノ協奏曲第5番ニ長調K.175
ピアノ協奏曲第6番変ロ長調K.238
ピアノ協奏曲第8番ハ長調K.246
ダニエル・バレンボイム(p/指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 [W]WPCS-12085


第17巻
協奏奏曲[9]
ホルン協奏曲第1番ニ長調K.412
ホルン協奏曲第2番変ホ長調K.417
ホルン協奏曲第3番変ホ長調K.447
ホルン協奏曲第4番変ホ長調K.495
ヘルマン・バウマン(naturhorn)
ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

交響曲[7]
交響曲第21番イ長調K.134
交響曲第23番ニ長調K.181
交響曲第24番変ロ長調K.182
交響曲第27番ト長調K.199
トン・コープマン指揮
アムステルダム・バロック管弦楽団


第18巻
室内楽曲[7]
弦楽四重奏曲第18番イ長調K.464
弦楽四重奏曲第19番ハ長調K.465《不協和音》
アルバン・ベルク弦楽四重奏団

協奏曲[10]
ピアノ協奏曲第18番変ロ長調K.456
ピアノ協奏曲第19番ヘ長調K.459
アンドレアス・シュタイアー(fp/指揮)
コンチェルト・ケルン


第19巻
オペラ[5]
《ドン・ジョヴァンニ》K.527
トーマス・ハンプソン(Br) エディタ・グルベローヴァ(S) バーバラ・ボニー(S)
ニコラウス・アーノンクール指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

オペラ[6]
《イドメネオ》K.366
ヴェルナー・ホルヴェーク(T) トゥルデリーゼ・シュミット
ニコラウス・アーノンクール指揮 チューリヒ歌劇場モーツァルト管弦楽団


第20巻
協奏奏曲[11]
ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271《ジュノーム》
ピアノ協奏曲第17番ト長調K.453
アンドレアス・シュタイアー(fp) コンチェルト・ケルン

協奏曲[12]
ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503
ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595
ダニエル・バレンボイム(p/指揮)
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団


第21巻
器楽曲[4]
ピアノ・ソナタ第18番(新全集第15番)ヘ長調K.533+K.494
ピアノ・ソナタ第15番(新全集第16番)ハ長調K.545
ピアノ・ソナタ第16番(新全集第17番)変ロ長調K.570
ピアノ・ソナタ第17番(新全集第18番)ニ長調K.576
ダニエル・バレンボイム(p)


室内楽曲[8]
弦楽五重奏曲第3番ハ長調K.515
弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516
アルバン・ベルク弦楽四重奏団 マルクス・ヴォルフ(2nd va)


第22巻
交響曲[8]
交響曲第28番ハ長調K.200
交響曲第31番ニ長調K.297《パリ》
交響曲第34番ハ長調K.338
ニコラウス・アーノンクール指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

器楽曲[5]
メヌエットとトリオ ト長調K.1
メヌエット ヘ長調K.2
アレグロ 変ロ長調K.3
メヌエット ヘ長調K.4
メヌエット ヘ長調K.5
幻想曲 ニ短調K.397
ロンド ニ長調K.485
ロンド イ短調K.511
アダージョ ロ短調K.540
小さなジーグ ト長調K.574
ダニエル・バレエボイム(p)
「ああ、ママに言うわ」による12の変奏曲(キラキラ星変奏曲)ハ長調K.265
ダニエル・バレエボイム(p)


第23巻
オペラ[7]
《後宮からの逃走》K.384
クリスティーネ・シェーファー(S) パトリシア・プティボン(S)
イアン・ボストリッジ(T)
ウィリアム・クリスティ指揮 レザール・フロリサン

管弦楽曲[5]
セレナード第9番ニ長調K.320《ポストホルン》
行進曲ニ長調第1番K.335-1
行進曲ニ長調第2番K.335-2
ニコラウス・アーノンクール指揮 ドレスデン・シュターツカペレ


第24巻
宗教曲[1]
ミサ曲ハ長調K.317《戴冠式ミサ》
教会ソナタ ハ長調 K.329
ミサ曲ハ長調K.337《ミサ・ソレムニス》
教会ソナタ ハ長調 K.336
ペーター・ノイマン指揮 コレギウム・カルトゥジアヌム
宗教曲[2]

ミサ曲ハ長調K.257《クレド・ミサ》
聖体の祝日のためのリタニア変ホ長調K.243
ニコラウス・アーノンクール指揮 ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス


第25巻
宗教曲[3]
ミサ曲ハ短調K.427
ウィリアム・クリスティ指揮 レザール・フロリサン

宗教曲[4]
レクイエム ニ短調K.626
モテットK.618《アヴェ・ヴェルム・コルプス》
パトリシア・パーチェ(S)
ヴァルトラウト・マイヤー(MS)
フランク・ロパード(T)
ジェイムズ・モリス(B)
リッカルド・ムーティ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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もうちゃ箱主人