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■ 近代能楽集より『葵上・卒塔婆小町』
さて、友人と電車に乗り合わせ、梅田へ。 十ン年振りにシアター・ドラマシティ(上の梅田芸術劇場にはここ数年年に1〜2回は行ってる)。 開演時間がpm2:30だったので、大阪駅で友人の買い物に付き合い、昼飯食ってもまだ1時間ほど時間があったので茶店に場所を変えて雑談に興じ。 45分くらい前には開場するかなぁ(芸術劇場がそれ位)と思いつつpm1:55頃劇場に着いたら長蛇の列(苦笑)。 「pm2:00に開場となりますので2列に並んでお待ち下さい」 と言って回っている係員の兄ちゃんが。 「何だ、開場は30分前か(チケットには開演時間しか書いてなかった)」 とか言いながら列に並んで、開場。 ロビーに入ったら炊き籠められたお香の匂いが。 一気に和の世界! ソッコーパンフレット買って、トイレ行って、客席へ。
13列28番。 すげいい位置。客席も中ほどの前より、列のど真ん中からちょっと右寄り。 舞台全体を一目の視界で観れる位置。 緞帳には桜の枝風に照明が当たってて矢張り和。 いやそりゃあ、近代能楽集だから当然なんだけどさ。
ええーと、一応今日が大阪は千秋楽なので、ストーリーも全部暴露してしまいます。 これから観に行くからそれはちょっと、と言う方は以下スルーしてやって下さいませ。
さて先ずは、『葵上』。 お能では葵の上の存在は袿1枚が表現しているだけなんだけど、ここは『近代』能楽集なのでブルジョアが入院する病院。ベッドの上には葵(丸山昌子)が眠っている。そのベッドの枕元には三日月と星をあしらった打ち掛けが。 妻の入院を知って駆けつけた若林光(岩田知幸)が病室に到着する所から始まる。 この病院が一種異様な感じで、んー、イメージ的には精神病院的な? 看護婦も何処か異様な雰囲気で、当然発言内容も異様。 それに少々光が戸惑っているうちに謎の車がやって来て、看護婦達は逃げるように去って行き、葵の傍で光が転寝を始めた頃ベッドの枕元の打ち掛けが絡げられ、六条康子(美輪明宏)が登場。 そして光とのやり取り。葵を取り殺そうとする康子を阻む光。そこから話は展開していって 『あの愛し合った日々を思い出して』『私を捨てないで』『貴女を愛していた訳じゃない』『いいえ、貴方は私を愛していたわ。そして今も』 そして時間は遡りその楽しかった頃へ。 その空間を引き裂くように苦しみの呻きが聞こえ、それが葵だと光が思い出すと、過去の幻影は消えて行き。 『夢だったのか』と光が安堵した時にその視界に写る、康子が残していった手袋とコート。 慌てて康子に電話をかけるが康子は眠っているという。起こしてもらい少し会話をして『あれは本当に康子の生霊だったというのか?』と光が気付くと 「光さん、あたくし、忘れ物をしてしまいましたの。手袋とコート。持って来て下さる?」 その声に引き摺られるようにして光がコートと手袋を手に客席を通って出て行き、通話状態になったままの受話器から 「もしもし? もしもし? どうなさったの? 急に電話をかけていらしたと思ったらお黙りになって。もしもし?」 漏れ聞こえる声。そして電話が切られると同時にもがき苦しみ出す葵。そして葵は絶命する。 とまあ粗筋はこんな感じなんだが。
まあ実際お能の『葵上』を観たことはないのだけど、色々な写真で、お能の『葵上』でも六条御息所が現れるのは枠に掛かった白い布の向こうからだと知っていたので、多分そこから出て来るんだろうなぁ、とは予測していた。 しかしその現れ方がただ、絡げられた打ち掛けの向こうに美輪さんが立っているだけなのに、それだけで空気が変わってぴんと張り詰める感じがする。あの存在感は矢張り凄い。 『黒蜥蜴』を観た時も思ったけど、あの情念の表現はもうもう。 『凄い』としか表現出来ない自分が歯痒いんだけど、ホントに凄い。
で『卒塔婆小町』。 恋人達が夫々いちゃつく夜の公園に独りの乞食老婆(美輪明宏)が現れる所から始まる。その老婆の汚さや醜さに数組のカップルは逃げていき、老婆を興味深々に尾けていたらしい酔っ払った詩人(岩田知幸)が老婆に煙草を貰い、会話を始める。 「折角カップルが座っているのにあんたはどうしてそれを追いやってまでここに座るんだ?」 「このベンチは元々4人がけだ。それに私が追い出している訳じゃない、あいつ等の方が勝手に逃げ出すのさ」 そのベンチに座っているのがカップルだからこそ、このベンチは生きている。あんたが座るとベンチは卒塔婆でしかない。 滔々と身勝手な理屈を語りだす詩人の言葉を老婆は嘲笑して聞き、反論していく。 そして詩人に「あんたの80年前の話を聞かせてくれ」と言われて語りだす、老婆が若かりし頃、評判の美人の小町という娘だったということ。そして自分を『美しい』と言った者は必ず死んでしまうのだということ。 鹿鳴館で開催された踊りの会。その参加者達が客席を通って舞台へと上がっていく。『仮面舞踏会』の曲に合わせて踊り出す紳士淑女たち。 そして腰の曲がった老婆は綺麗な姿勢で立ち上がり(ここはまだ白髪・しわしわの老婆メイク・ボロのような服)、詩人に「さあ、深草少将様、わたくし達も踊りましょう」。戸惑う詩人に「あなたは深草少将の生まれ変わり」。そして2人は踊り出す。 他の紳士淑女たちとのやり取りがあって、鹿鳴館の中(小町を賞賛する会話や深草少将の百夜通いの噂話など)と老婆と詩人の個別のやり取りがあって、一旦老婆の格好をしている小町が舞台上を去って行く。 更にいくらかのやり取りの後、白いドレスの若かりし頃の小町(早変わり)が登場。そして燕尾服の深草少将(=詩人)が。 一頻り踊った後涼みに2人で出た庭で 「私は百夜通いました。本当に貴女は私の望みを叶えてくれるのでしょうか?」 「嘘は申しません」 その答えに感激した深草少将は自分が今どれだけ嬉しいか、けれども不安であると語り始める。そして「今もう私は死んでもいい」等と言い出し、「私が今死んでも、又100年後、いやそれほどもかからないうちに貴女と再会するでしょう」。 そして小町に掛かる呪いの言葉を口にしようとする。それを口にさせまいと、「私は99歳の老婆です。ほら、皺だらけでしょう? ほら御覧なさい、この茶色い皮膚を」。 けれどとうとう深草少将はその呪い言葉「貴女は美しい」を発してしまう。そして訪れる彼の死。詩人は取り戻した深草少将の記憶と共に小町であった老婆の元から死という形で去って行く。 行き倒れとなった詩人の骸は通りがかった警官や浮浪者達の手によって老婆の前から運ばれて行き、老婆は嗚咽する。 そして再びベンチに座って煙草を数えている老婆の元へ、新たな詩人が姿を現し……。 永遠に繰り返されていくらしいそのサイクルを思わせて幕。
カーテンコールの最初は全員が並ぶ中老婆のままの美輪さんが現れ、老婆のまま去って行き、次のカーテンコールは他の配役が2人ずつ現れ去って行き、最後に白いドレスの美輪さんが。金銀の紙吹雪の中『仮面舞踏会』の曲に合わせて数人の男性俳優達とワルツを踊って、ラストでは美輪さん1人がワルツを踊る。
さてさて、上にも書いたけど、本当に凄いとしか言い様がなく。 台詞回しなんかは強弱は付けていらっしゃるとはいえ、よくTVとかで話していらっしゃる美輪さんのままなんだけど、立ち居振る舞いや仕草でころっと雰囲気が変わる。 はっきり言って、結構な年齢で体型だってスリムだとか綺麗だとか言われるものではないのだけど、仕草1つ身振り1つで全てを演じ別けていらっしゃるのは矢張り凄い役者さんなんだと思う。 だって『卒塔婆小町』での老婆は本当に老婆にしか見えないのに、老婆が小町になるときも暫くは老婆のメイクと格好のままなのに既にそこに立っているのは若かりし頃の小町で。 深草少将とのやり取りなんかも、恥じらい方とか19〜20歳の乙女そのもの。 『葵上』の康子も熟女の貫禄とプライド。そしてそれらをかなぐり捨てざるを得ないほどの情念。 『葵上』の方は、光と葵以外の俳優さんは物凄い長台詞で。畳み掛けるように『台本にしたら何ページくらいあるんだろう? これ』な台詞をすらすらと。何だかそっちの方に感嘆したともいえなくもない。
ストーリー的には『卒塔婆小町』の方が好きかなぁ? 哀しい話ではあるし、このループから小町はきっと抜けられないんだろうなぁ、と思うと救いがないような気もするんだけど。
何よりも美輪さんがそこに立っているだけで空気が変わるのが、凄い。そして役柄によってその空気が違うから又凄い。 時々瞬きや呼吸をすることも忘れるくらい集中して観てたらしく気がついたら肩や首ががちがち(苦笑)。
美輪さんは素晴らしく凄い役者だ。
矢張りこの一言に尽きるかも。
あ、因みにpm2:30開演、pm4:30頃終演(間20分の休憩有り)の約2時間。『葵上』も『卒塔婆小町』も「え!? もう終わり!?」って言う程。 美輪さんの芝居、次も又来たら、間違いなく観ちゃうな、これは。 ……って、前の『黒蜥蜴』の時にも書いたような?(苦笑)
さて、劇場を後にしてお茶をしに。 2時間ほど、観劇の感想やら互いの会社の愚痴などを言い合い、帰路へ着く。pm8:00過ぎに帰宅。
明日から又いやんな日常が始まる……(溜息)。
2010年05月30日(日)
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