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■ 昨日
午前中だけ仕事をして、昼から田舎である高知へと飛びました。 もう後2年くらいだろうと言われ始めてから5年くらいになる親父方のじーちゃんが亡くなったんですね。 まあ、86ですし、そんなに苦しまずに済んだようなので、大往生といえば大往生でしょう。 で、始めて知った我が家の宗派。真言宗でございました〜。今日まで我が家の人間(親父ですら)知らなかったという宗派。 昨夜の通夜で『理趣教』が読まれた辺り(出だしから『南無大日如来〜』です)でもしかして、と思っていたら、今日の葬式で、判明。葬儀屋さんが『真言宗○○山○○寺の住職によって』告別式が執り行われる〜と言っておりました。 しかし、私は自分の家の菩提寺の名前が聞き取れなかった;; 我が家は一応武家(郷士=山内一豊が高知に来る前の話)の出らしいので、菩提寺というのが決まってあるんですね。そこには家系図があるとかないとか。 いやぁ、実は私無信仰だけど、宗教の中で真言宗が1番好き(2番手は神道)で、空海さんが好きなんですね。この辺り、我が家の血だったのかぁ? 等と;; 自分の家の宗教知らなかった割には個人的に好きっていうのは間違いではなかったのねぇ、なんて(苦笑)。 なので、お寺さんが仏具を持ってらしたんだけど、もう何だか感動ものでした(ってをい;; 葬式やっちゅうねん;;)。いや、だって金の五鈷杵とか、水盆とか、モノホンですよ! あ、それから何で『理趣教』が判ったかというと、以前(つい先頃UPしたショートショート『時流のかけら』の本編『光風霽月』)にその中の1部分を借用したせい。今日の葬式でもあげられたのでその部分がどうやってお経として読まれるのか、いや、もう、しっかりベンキョーしましたとも!(いや、だから、葬式なんだって!!) お経を上げ終わると『舞い』というものがあって、外に置いたお棺の回りを色々なもの(提灯だの、幟だの、位牌、写真、供物、孫の手=草鞋や飾りのついたもの……)を持って紙吹雪が撒かれる中お寺さんの読教と共に回ったり。お棺の中には遺族の爪、髪の毛を摘んだものなんかも入れる。で、焼場で焼く時には草鞋も一緒に焼くんだそうだ。 木彫りの卒塔婆には、梵字で『ア・ビ・ラ・ウン・ケン(多分)』その下に戒名+初七日から七七日まで(薄いものが7枚)書かれたものと角柱卒塔婆で『ア・ビ・ラ・ウン・ケン(多分)その下に戒名』が書かれたものがあったり、位牌の戒名の上には梵字が一文字あったり。 取り敢えず帰りの飛行機がpm3:00の便だったのでpm1:00の出棺を見送って帰って来たので焼場までは行ってないけど。 じーちゃん安らかで綺麗な顔をしてました。よかったよかった。
しかし、一昨日から私の肩凝りが酷くって、昨日なんかは吐き気がするくらいだったんだけど、何故か、妹と高知へ向かう為に家を出て、JRに乗って、空港バスに乗って、空港に着いて『このままだったら飛行機に酔うんじゃないかな〜』と不安に思っていたら、飛行機に乗った辺りから徐々にそれまで辛かった肩凝りが軽くなっていく。高知空港に着く頃にはすっかり楽になってて……、じーちゃんが、『自分の葬式をきっかけに(諸事情あって私は田舎と断絶状態になってたから;;)帰って来いよ』って言って迎えに来てくれたのかなー、何て思ったりして。ちょっと感慨深くなってしまった。
☆ 今日までかかって読んだ本 ☆
学研 M文庫 安田喜憲『古代文明の興亡』
2002年07月05日(金)
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