せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年01月24日(火) 「ファシスト」と決別決まる

またしても、日記とすっかりご無沙汰している。

本来的業務の提出締め切りが迫っていて、慌てている。しかも、これまで何度か日記にも書いたように、新年早々既に終わっている筈の話を持ち出してはあれやこれやと注文を付けて来る非常識な人々がいたお陰で、そちらの業務に相応の手間を掛ける羽目になり、お陰で本来的業務が予想外の遅れを取っている。

しかしそれも、今日で終わりである。

先方から突如「この話は無かった事にしたい」と言って来たのである。


「同僚その一」からその旨連絡を受けた際、ワタシは目が点になった。

ここ最近は、先方の「非常識な音楽家女性」という人が、どうやら担当者であるワタシとは口も利きたくないかなにかで、「同僚その一」を間に入れて話を進めたいとリクエストして来たので、それを聞き入れ、彼女を「仲介役」として諸々話し合いを続けて来たのである。

それ自体子供染みた真似だし、また不要な誤解や手間も生じるしで、ワタシとしては全く迷惑な話だと思っていたのだが、しかしそれであちらさんの気が済むならそうするが良いと放っておいた。

それがどう拗れたのか、兎も角あちらさんは円滑に企画が進められなかったのでここでキャンセルする、これは最終決定であり、他の日本からの参加者にも承認を取ってある、などと一方的に通告して来たそうである。

随分ふざけた話だなぁ。

ワタシはその報告を読みながら、暫し呆れる。

そちらの勝手で、間に別の人を入れて話をさせろだとか、仕出し用の金を突如宿泊用に回せだとか我儘を言って来て、それを手間隙掛けて思い通りにしてやったのに、この期に及んでやっぱりキャンセルするだと。不可解な人々である。

ワタシはこの企画に個人的思い入れは無いものの、しかしこれまで費やした時間や手間、それに余所の団体に無理を承知で彼是お願いしたりなどの様々な交渉に費やした時間と手間、気苦労などの先行投資が全て無になったという事実を鑑みると、ほとほと呆れざるを得ない。

しかしこの企画が実際執り行われる事になったとしても、それに伴う更なる手間や気苦労を思うと、ここで取り止めておいて正解だと思う。

そもそもワタシは、先方で何か決定的なミスでも遣らかして、これはいよいよ取り止めにさせて貰わねばと此方に思わせるような結末的事態を、実は待ち望んでいたのである。渡りに船。


それ程までに拗れた今回の一件というのは、確かに先方の担当者が必要な事情を全く理解しておらず、「適任者」で無かったという点に加えて、更に思い通りに行かないと感情に任せて直ぐ切れる、民主的な「オープン・ディスカッション」には参加せず自分のやり方を通すのみ、人の意見は聞かぬどころか「ケチをつけられた」と思い込んで頑なに拒否する、等というまるで「ファシスト」なのがそもそもの原因ではあるが、しかしワタシも交渉担当者としてもう少し巧く取り扱えたら良かったのに、と多少後悔しないでも無い。


さて、そういう訳でワタシは是より本来的業務に一身を傾け、今週末までには何としても課題または最悪その大部だけでも提出する方向で、昼も夜も無く取り組む所存である。

今週末に予定されている団体幹部らとの「新年会」も、出来れば来週後半以降にして貰えると有難いと希望を告げたので、恐らくそのように取り計らってくれるものと期待する。

では、いざ。


2006年01月15日(日) 強風にも負けず、進め

このところだらだらと愚痴を垂れている例の馬鹿女についてだが、ワタシはもうすっかり頭に来て、とうとう先日は「蟹座の満月」だというのを承知の上で、これまでの先方の所業に関しての苦情を一筆申し上げるに至った。

それには、これまであちらの所為でどれだけ引きずり回されながらも何とか企画を成立させる為にこちらが努力を重ねて来たかについて、言葉を選んで述べた。

それはひょっとして先方が将来的に、突如血迷って「法的解決」に持ち込もうなどというような事を考え出した場合にもちゃんと対応出来るように、こちらは必要な事を必要な時にやって来たのだ、という事が分かるように、文章にしておいたのである。

またそれは、途中からこの企画に加わったスタッフにも一部始終が分かるように、これまでてんでんばらばらに物を言っていた人々にも「一寸黙れ」という意味も込められている。

事情を正確に理解していない癖に、ああだこうだと知ったような口を利く馬鹿というのは、何処の世界にも居るものである。



さて、ワタシはそういう訳でこのところこの問題にすっかり煩わされていて、本来業務の方はすっかり遅れているし、その他の通常のワタシの穏やかな暮らしは随分脅かされている。

先日も例によってヴォランティア活動をしに出掛けたのだが、折角楽しく有意義な一日を過ごしたのに、この馬鹿女を初めとした非常識な人々が持ち込む色々の諸問題のお陰で、その事を日記に書きそびれてしまった。


それはある公立小学校の図書室の整備というものであった。

この街では、公立学校に対する予算が減らされた所為で、学校図書館の「司書」という特殊な訓練を積んだ職員数が欠乏している。また、人々は進んで蔵書の寄付などするのだが、それにラベルを付けてから決められた通りに書棚に整理するという作業をする人手が無く、気の毒な事に多くの優れた書物が置き去りにされているところが多い。

ワタシの関わっているヴォランティア団体では、そうした学校図書館へ時折一定の人々を送り込み、一日がかりで一斉にそれを整備する、というのをやっている。

ワタシもそれに加わって先日行って来たのだが、ある小学校の小さな図書室が半日程で機能可能に整えられて行く様子を目の当たりにして、ワタシはこういう仕事はひとりで何日も掛けて黙々とやるよりは、大人数を借りて来て一斉にやるのが最適であると学んだ。

朝飯に珈琲と卵やハムの挟まった温かいサンドウィッチ、小腹が空いたなと思った頃には、昼飯にと大きなピザパイとソーダが届く。

それを適当に作業の手を休めて口に入れながら、ワタシたちは無造作に箱に入れられた本を低学年向けの簡単なフィクションと高学年向けのフィクションとに分け、それから恐らく世界中の図書館で採用されていると思われるやり方、つまり分野毎に番号を割り振ってその番号の順に並べていく方式でもって、それらの本を一斉に整理して書棚に並べていく。

ワタシは普段の生活でも多くの本に囲まれて暮らしているので、子供たちがこれらの本を手にしながら、目を輝かせて新しい情報に触れるところを想像して、わくわくしながら作業に勤しんだ。

例によって、こうしたヴォランティア活動にやって来る人々というのは、街の社会福祉に志のある好人物が多いので、作業の合間にお喋りなどしながら、手は休めずてきぱきと作業を進める。自分の担当した部署の整理が終わると、未だ終わっていない部署に取り掛かったり他の人の分も手伝うなど、率先して作業をする。

ワタシたちはその日、予定したより数人少なかったらしいのだが、それでも予定の時間までに全ての作業を完了したので、先方の図書館司書女史も大変喜んでいた。

ワタシが担当した部署は、500番台の所謂「科学系」の書物だったのだが、小学校というところでは意外とこの系統の書物が他より多くて、それに気付かずに手を付けてしまったワタシは、後から中々終わらないそれらの多さに気付いて一寸後悔した。お陰で時間一杯掛かってしまったが、それでも既に他所を終えた人々と手分けして進めたので、終わる頃にはその綺麗に並べられた様子を見ながらすっかり満足し、さあ子供たちよ、良い本を沢山読むのだよ、と密かに念じながら、小さな図書室を後にした。

これだったら、またやっても良いな。

帰り道、普段は乗らない街中のバスを待ちながら、ワタシは再び、小さな子供たちが本を手にあれやこれやの新発見をするところを想像しながら、微笑ましく思う。



子供というのは、社会の宝である。

ワタシは自分が社会の一員であるという自覚をそれなりに持っているので、時折子供たちに接する機会があると、良いものは進んで奨励し、間違いは間違いでいけないと諭し、出来るだけ彼らの教育に参加するように心掛けている。

こうした活動の中でも出来るだけ子供たちの教育や余暇に関する物を選んでやるようにしているのだけれども、特に親が子育てに手間を掛けていない場合が多い昨今なので、尚更そういう機会には子供たちひとりひとりの個性を見つけ、それぞれに注意を払うようにしている。親の手が届かないところは、社会の大人が手分けして構ってやる必要がある。

この間も若い人々と話をしていて、ワタシは高校というところを最後まで修めなかった(どころか半年も行かなかった)けれども、それでも最終的には大学院まで行ったのだという話になったら、若者たちは不思議そうな顔をしてワタシの話を聞いていた。

そういう顔を見ると、こんなワタシの生き方でも、誰かの何かの役に立つのかも知れないと思ったりする。「下の世代を育てる」という事をそれなりに念頭に置きながら、ワタシは結果的に自分自身も育てているのだと思う。

自分の今の暮らしは、未だ落着かない「過渡期」ではあるけれども、しかしそうは言っても、全ての物事は所詮「途中段階」である筈である。人生とは、「プロセス」である。


そういう事をいつまでも言っていると、「実績」はどうしたのだといって爪弾きにされる訳だが。


ワタシはそういう訳で、長らく子供も居ない未婚女性として暮らしているけれども、それを特に悪いと思っていないのは、そういう次第である。このまま子供を持たず、結婚もせずに一生を終えようとは今のところ決めた訳では無いけれども、しかし当面は人様の子供の事も考えながら生きているから、それで勘弁してくださいな、の意である。



昨夜の雪が、未だ残っている。

大家さんちの庭に突き出た大木の枝に、雀やそれより一寸ばかし大き目の黒い鳥が沢山止まって、日向ぼっこをしている。強風にも負けずに、枝に張り付いている。

日本ではとんでもない大雪で、死人も出たりしているそうだが、この界隈ではこのところ暖かい日が続いていた。

急に冷え込んで来たので、今日は洗濯屋に行くつもりだったのを止す。序でに買い物にも行くつもりだったのだが、そういう次第なので今日は冷蔵庫の掃除を兼ねて、ある物で適当に済ませる事にする。


連休中に本来業務的作業を少しでも進める事にする。


2006年01月08日(日) 「忠誠心」

再び、例の馬鹿女音楽家女史の話である。

彼女から連絡が来たので不本意ながら対応した、という同僚によれば、言うに事欠いて、「あの人(=ワタシ)はやる気あるんですかね?」と言って来たそうである。

担当者としてこれだけ時間や手間を割いて色々と提案やら伝達やらをしてやっているというのに、それに対して殆ど返答を寄こさない上、そもそも何週間も音沙汰無しだった人物から「やる気が無い」と思われていたとは知らなかった。お前の方こそ、やる気あんのか?


そういえば、それは一寸だけ「二ホンジン的」な観念のように思う。

ワタシの住む国では、会社や上司などに対する忠誠心のようなものを要求される事は殆ど無いので、働く側は「雇用契約」に記されている自分の仕事だけきっちりやっていれば、特に文句は言われないものと心得ている。

つまり課された仕事だけやっていれば、後は例えば日本では「飲み会」と称する就業後の社交的活動などにも、特に参加しなければならないというような云われは無い。だから勿論加わらないで、さっさと帰宅するなり友人と会うなりして、自分の生活に戻る訳である。

自分の個人的生活が脅かされるような事態は、こちらでは日系企業以外、余り見掛けない。


今回ワタシが関わる羽目になっている「企画」というのは、そもそもワタシにとっても本来的業務外の、既に片手間的活動である某団体業務の一部であり、更にこちらから持ち上がった話ではなく先方から是非こちらで開催させていただきたい、と持ち込まれた話である。

しかも先方が話を持って来た時点で、今年度予算が当の昔に決定して更に数ヵ月後という、少々遅過ぎる話でもある。

そういう事情の中で、何とかしてどこかから金を引っ張り出せないだろうか、とこちらでも色々と知恵を絞ったり提案して差し上げたりして、それなりの貢献を試みたのである。なのに、それらに対しては一切「フィードバック」が無かったのである。

「なんだかこっちだけ張り切っちゃって、馬鹿見ちゃった」というのが、本音である。

当初聞いた感じでは中々良さそうな企画だったのだが、そういう訳でこれまで散々愚痴を垂れたような次第で一向に話が進んでいかないのと、先方の担当者の態度が失礼千万甚だしいのとで、幹部一同とっくの昔にやる気を失っている企画である。

だからこちらとしては、通常我らが手掛けている「月例会」の要領で、出来る範囲で簡単に済ませよう、という申し合わせが出来ている。今更先方からの様々な要求には答えられない、というか答えない事にしている。そんなのを一々聞いてやっていたら、進めるべき仕事が進まないからである。


そもそもワタシ個人的には、今月はこれまで手が回っていなかった本来業務的作業に追いつくのが至上課題なので、大変忙しい。そういう旨は既に周囲にも伝えてあるので、元々最低限の事しかやる心積もりもなければ、物理的時間的にも無理である。

ましてや無闇に怒鳴られたり、こちらの提案その他に誠意を持って答えてくれない人に対して、一体どういう「忠誠心」を期待しているのだろう。


こういう「いざこざ」でワタシの寿命が縮んでいくのかと思う。

長生きするには、無用なストレスの元になる煩わしい彼是を避けて、本来人生に必要な「チャレンジ」のみを取り入れて、適度なアドレナリン放出とその労に見合った褒美とで、楽しく暮らして行くのが良かろうと思う。


早く本来業務に戻りたい今日この頃。


2006年01月04日(水) ふりだしに戻る

昨日の日記で新年早々憂鬱な話を書いたら、そのうち例の「我儘音楽家女史」から私の携帯電話に何度も電話が入って来た。

以前密室で彼女から散々怒鳴られた教訓から、彼女と二人きりでの会話は極力避ける事にしているので、ワタシはこれらの電話も勿論取らない事にする。

するとそのうち個人的に話すのは諦めたのか、彼女は執行部の皆にメールを送ってくる。会場は広ければ広い方が良いに越した事は無いから、縮小せずそのままやりませんか、と言う。そしてこれには、今回の「ツアー」のうち此処以外の町でのイベント一切を担当している「本当のコーディネーター女史」も賛成していると言っている。

メールでのやり取りに最近加わって来た「本当のコーディネーター女史」は、続ける。


ところで「資金問題」はどうなっているのか。日本からやって来る人々の宿泊代くらいは出せそうか。


明らかに「コーディネーター」同士の連絡が行き届いていない様子だが、ともあれ先方が漸く核心部についての質問を寄こして来たので、待ってましたとばかり、ワタシは現状について一通り説明する。「音楽家女史」から金は要らんと聞いているので、そのつもりでこちらが検討しているのは主に仕出しする飲食物の勘定のみであり、「宿泊代」については元より計算に入っていない旨を伝える。

すると「本当のコーディネーター女史」は、実は同じ街の他の機関でもイベントを開催するつもりで打診していたのが失敗に終わったので、今回のツアー中最も宿泊費が高いこの街での宿泊費用については、今のところ全く「あて」が無く、大変困っている、どうにかならないか、と泣き付く。


…そういう肝心な事は、もっと早く言うべきじゃないの?他所との交渉が失敗した時点で、では益々こちらと仲良くしておかなければならない事は明らかなのに、音信不通のまま数週間ほっぽらかしておいて、今頃やっぱり金が要るんです、なんて言われても、こちらだって困る。


案の定向こうさんは、ならば「仕出し」を一切止めて、その分を宿泊費に回してくれろと言って来た。

しかしそれには、我がボスが「そんな事は絶対に有り得ない!」と即座に一筆書いてくれたので、ワタシは胸を撫で下ろす。

そりゃあ、そうだわ。うちも共催団体も、当初から「仕出し費用」として見積もっているのだし、それだって全然足りないでどうするべと話し合っている(た)ところなのに、好きでやって来る人々のホテルの世話までしていられない。

ボスも漸く、何だかこの話変ね、と呟く。

そりゃあ変ですよ!もうとっくの昔から、変だ変だって、ワタシが散々言って来たでしょうが、もう。



大体この話は、そもそも物事の「順序が逆」なのである。

企画を持って来る立場の人間が、その企画を売り込むのに必要な「見本」だとか詳細を記した「書類」だとかを用意して来ない。

自らの勝手で押しかけて来る癖に、宿代だの足代だのを出せと言う。

その癖、資金集めに必要な「詳細」をちっとも知らせて来ないで、何週間も音信不通で平気な顔をしている。

しょうがないから、とりあえず大都会の一等地に会場をタダで確保して上げようというのに、その労に対して礼も言わないどころか、もっと金出せだの、「難だったら見本は先に入手して上げても構いませんけどねぇ」だの、「上映するフィルムはそれぞれの団体になんと『贈呈』して差し上げるのですよ」などと恩着せがましい事を言う。


その上更にワタシなんか、単に「連絡担当者」であるというだけで、そういう常識知らずの馬鹿たれ共から怒鳴り散らされたり悪人扱いされたりして、全く目も当てられない。

世の中、何処か間違っている。


そうこうしているうち、色々のやり取りをボスと「本当のコーディネーター女史」とワタシの三人でやったら、大変有意義かつ効率的に進んだので、一瞬このままさっさと進められるのではないかと錯覚したのだが、今回のイベント自体の具体的な「詳細」について再び質問事項を並べたら、あぁそれは私の担当では無いので、「音楽家女史」がお答えするでしょう、と言ってまんまと逃げられてしまって、それきりまたしても「詳細」は誰からも知らされないでいる。

しかし「本物のコーディネーター女史」にしてみれば、それは尤もな話でもある。彼女はその「試写全国ツアー」のうち、何故だかこの街のみ同伴しないらしいのである。来ない人間がああだこうだとやっても、問題が起こった際対処出来ないのだから、ならば初めからこの街在住で当日もやって来る「音楽家女史」に任せた方が面倒が無い、と考えているようなのである。

で、その「音楽家女史」が使い物になる「コーディネーター」ならば、此方も苦労は無かったのだが。


新年早々、折角の労を重ねた企画が「ふりだし」に戻る。



2006年01月03日(火) 謹賀新年。

読者の皆様、明けましてお芽出度う御座います。

ワタシの愚痴は、今年も続きます。そんなのばっかりで、済みません。今年こそ、何とかして暮らし向きを変えて行こうではないかと思っています。



さて、うちの界隈は二日が「仕事始め」なので、テレビで真夜中にでかい「電飾金玉」が街の中心地に落っこちるのを見た後一眠りして起きたら、すっかり通常に戻っていた。しかも雨模様で憂鬱な三が日である。

序でに、ワタシもすっかり忘れていたのだが、二月にワタシの所属団体でやる事になっている例のイベントの「現地コーディネーター」という自分勝手な音楽家女史が突如メールを寄こしたので、驚いた。一旦日本へ帰国して「一月に帰って来る」と言った通り、どうやら本当に一月一日に帰って来て早速メール出したらしい。

「上映予定のフィルムのDVDが届いているから、試写会をしましょう!みんなで楽しく成功させましょうね〜!」

何やら元気が良い。

しかし、そのメールはまたしても関係者各位・「オールスター」に送り付けられていた。彼女が直接面識も無く、直接連絡を取る必要の無い偉いさんまで、全てである。新年早々、軽い目眩を催す。

貴方が連絡すべきは担当者であるワタシと、「皆さんと話し合いをしながら進めて行きたい」と言ったその「皆さん」である我が団体執行部一同であり、それ以外の外部団体の人々にはメールは不要、また一月中は休暇中の偉いさんも多いので、公式メールアドレスはパンクしがちであるから、尚更注意が必要、と返事を出す。

それから向こうから聞いて来ないからこれまで放っておいたのだが、当初獲得した会場が広すぎるので、それより小さい規模の会場に変更の予定である、と報告する。それから経済的事情により当日仕出しする飲食物が収容人数分賄えない可能性もあり、宣伝に関しても手が足り無さそうだが、その辺りに関してのそちらの計画を知らせて貰いたい、とも伝える。

ああ、そういえば、当初予定していた「基金」の申請は取り止める事にしたから、そちらの客人らに宿泊費や足代などは出ないよ、と言うのを忘れていたけれど、まぁ向こうも一切確認などして来ないのだから、どの道要らないのだろう。

しかもうちから大して金が出ないから同じ街の他機関でも同様の企画を進行中、などと失礼な事を言って来てそれきりだから、きっとそっちで必要な手当ては出るのだろう。

という事にしておこう。


しかし、憂鬱である。

共催相手の団体からは、こちらの提示した「規模縮小計画」について、うんともすんとも言って来ない。

しかも、パネリストのひとりとして参加予定だったうちのボスと来たら、執行部が「規模縮小」を言い出した直後、そのイベント当日には他の街に行かなくちゃいけない予定があった事を「すっかり忘れていた」と言い出し、別の同僚に当たってみてくれなどと言うので、ワタシとボス本人とでそれぞれ打診したのだが、それも音沙汰が無い。

という事は、パネル自体が成立しなくなってしまう訳だが、しかしあちらがどこまでそれを期待しているのか不明でもあるので、この際どっちでも良いのかも知れない。

共催相手は恐らく、うちのボスが参加するのなら金を出そう、という事だったのだろうと思うので、それが出ないという事になると、あちらの計画に支障を来すのではないかと思うのだが、それにしても何故連絡を寄こさないのか、不明である。


まぁ何れにせよ、人々が連絡を寄こさないのだから、話が進展しなくても仕様が無い。

それに、いきなり自分が時間が空いたからさあ活動するぞ、とある日突然言われても、こちらは既に一月は忙しいから早めに必要な仕事の内容を知らせておいてくれないと、急に言われても対応出来ない、と伝えてあるのだから、文句を言われる筋合いは無いのである。

でも文句言われそう。面倒臭いなぁ。


まぁそうなったら、誰か手の空いている執行部員に任せてしまっても良い。

ワタシとしては、出来れば一旦引き受けた仕事を途中で放り投げるような真似はしないで済ませたいと思うけれども、もしあんまり我儘を言われるようなら、ワタシの精神衛生上宜しくないし、何しろ他にも、やらなければならない事はどっさりあるのだから、致し方あるまい。


そう、どっさりあるのです。



昨日翌日
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