せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年02月26日(土) 電脳的誘惑と戦い、破れる

慌しく課題に取り組みつつ、しかし外界の出来事にも一応追い付かなくてはと、メールと新聞記事のチェックだけ、のつもりで、ネットを繋ぐ。

三十分程で切り上げるつもりなのに、これが貴方、何時の間にやら二三時間など経っていたりするのです。

一日はたったの二十四時間しかないのだという事を、改めて思い知る瞬間である。

尤も新聞というものは、隅々までしっかり読もうと思うと、どうしたって二三時間くらい平気で経ってしまうものではある。ワタシの場合はインターネット上での話なのでそこまでは掛からないが、しかし数紙に目を通さねばならないので、思いの他時間が掛かってしまう事がある。

メールもまた、時間を取られがちである。ワタシの場合は業務連絡の殆どがメールでやってくるので、放っておくと何十件という単位でそのまま溜め込まれるから、厄介である。勿論、直接ワタシ個人には無利益な案件も多く含まれているから、全部を一々読みはしないけれども、しかし一応内容には目を通さねばならないので、面倒である。

恐らくこんな事を、世の多くの事務系お仕事人その他の皆さんは日々こなしているのだろうと、ワタシも納得するようにしている。またこれで紙の無駄が減るのなら、環境にとってもよろしい事なので、歓迎するべきかとも思う。


以前使っていたメールのアカウントは、某労働組合系のもので、これは我ながら中々格好良いメールアドレスを取得出来たので、大変お気に入りであった。ただ弱小団体の所為か、サーバーが幾分不安定なのが玉に瑕であった。

それからリベラルな労組という性格上、ここの方針で「来るものは拒まず」というのがあって、だから入ってくる営業広告など、つまり「スパムメール」というやつの事だが、そういったものは全て入るに任せてあった。個人の判断で削除するしないは決めてくれ、という事である。これはワタシのような公私の連絡に多用していた人間にとっては、実に厄介な問題であった。

末期には、スパムの数は日に数百件を数えた。いずれは取り除かないと、アカウントは一杯になってしまって、次に入ってくるメールは断られてしまう。そのうち、重要事項が届かないという事態が発生するようになった。

苦情を申し立てているうち、スパム対策ソフトウェアを入れてくれたのだけれども、これがまた、重要なメールであっても「疑わしい」と判断されたら、一切合切「スパム箱」へ入れてしまう。旅行中だとかコンピューターやサーバーの故障などで暫くメールのチェックが出来ないでいた時には、数千件のメールがそこに溢れ、もう一日間引くのが遅れていたら、それらは全て永久に抹消されるところであった(この猶予期間は、個人で設定可能)。

その頃には、ワタシの一日はまず「スパム箱」を一覧して、重要なメールが紛れていないか探し出すことから始まっていた。これに相当の時間が費やされ、それをやっている間にも途切れる事無く入ってくるスパムメールを弾きつつ、じゃんじゃん入ってくる業務連絡メールをも読みながら、ついに堪忍袋の緒が切れたという訳である。

それ以来ワタシは今更ながら、インターネット上でチェック出来る所謂「フリーメール」というやつを主たるアカウントとして利用する方針に切り替えた。これなら、大概スパムを取り除くシステムが予め備わっており、その「スパム箱」に入っている分は全体の容量に加算されない事になっているから、自分のメールボックスの残りの容量を気にせず利用出来る。また、そこから別のアドレスに入ってきたメールも取り込める機能を使って、業務連絡にも滞りなく対処出来るから、好都合である。

しかしその業務アカウントの方も、実は相当不安定で、新しいシステムの導入が叫ばれている。

最近では、情報部門の部長職に新たな人材を据えようという動きが起こっているのだが、同僚の中には、こう不安定では日々仕事にならぬというのに、これまでの部長が再選を狙って応募しているのは論外であると言って、真っ向から反対している。

個人的には、自宅で電話回線を使った方が、余程安定した作業が進められると思っている。そのくらい、この業務サーバーはよく落ちる。


ワタシは、近年のコンピューター技術の進化は、今から十年位前と比べて、一般人の生活にとっては既に充分な程度の速度や容量を提供してくれていると思うので、今のところこれ以上望むものは無い。企業や団体などでは、安定した業務用サーバーや常時接続回線を供給して貰わないと困るけれども、普通の生活には電話回線*にラップトップで充分用が足りると思う。

(*ちなみにワタシの住む国では、電話料金が日本などと違って格安である。ひとたび掛けたら、切らない限り一律に日本円にして約十円であり、これが夜間や深夜になると最大60パーセントまで割引になる。だから、ケーブルなどのデジタル回線の基本料金と比べると、電話回線の基本料金パックプラン(月幾らで市内通話掛け放題プラス幾つかのオプション、など)を利用した方が割安である。

日本から来たばかりの人々は一様にケーブル回線を申し込むようで、電話回線を使っているなどと言うと小馬鹿にするから、その度に日本の電話代の高さに同情する。これが時間毎に幾らと加算される方式だったら、さぞかし心臓に悪い事だろうと思う(注 市外通話や国際通話では時間毎加算方式)。)



兎に角、それが何処をどう間違ったのか、何時の間にやらメールと新聞だけで済まなくなっているから貴方、インターネットというのは恐ろしい。

調べ物の為に彼方此方の関連機関などのサイトで読み物をしているうちは良いのだけれど、そこからどう脱線するのか、何時の間にか航空券の値段を調べていたり民俗音楽のCDを物色していたりするから、全く世の中というのは分からないものである。

ワタシは最近ではあんまり作業が進まないから、「インターネット禁止令」というお触れでも出そうかと検討しているところである。いっそ今着手している課題が終わるまでは、新聞すらも読むのを止そうかと思っているくらいである。

しかしそれではワタシの業務性質上支障が出るので、せめて二三日に一度くらいは目を通しておかないと拙いだろうかと、葛藤が湧き上がる。


そうこうしているうちに、気が付くと何時間か経過して、慌てふためいて作業に戻る、という日々の繰り返しが、ここ数日続いている。


2005年02月24日(木) わんわんまりまりと積もる雪を眺めながら南国行きを妄想する

綿のような雪が、わんわん降っている。

さっきトイレに立った時は、はらはらと粉が舞っているくらいだと思ったのに、暫くしてふと顔を上げたら、窓越しに見える風景がえらい違いなのを発見して、吃驚する。

みるみる積もっていく雪。北国に住んでいるのだという事を、また実感する。

ここ数年、寒波の来る頻度も、その程度も、随分増したような気がする。気候変動は、それが人為的であれ自然変異であれ、確実に起こっているという事を、ひしひしと感じる。



だから今のうちにと、いつでも南国へ逃避する心と物理的な準備は、もう出来ている。

誕生日だったのをいい事に、色々と迷った結果、以前から目を付けていた鞄を購入する事にした。相変わらず「バッグフェチ」なワタシ。

もういい大人なのだから、いい加減自分を律して、物に縛られない暮らしをすべきなのは、よくよく承知している。

しかしひとつ言い訳をすると、これはもう随分長い事気に掛けていて、いずれ売り切れにでもなったらさぞかしがっかりするのだろうなと思ったら、やはり今買ってしまうに限ると思われたのである。

しかも気付いたら、値が三分の一程に下がっていた。「アタシを買って」と目の前でローブを脱がれたようなものである。(どの映画のシーンだったかしら。)(映画なんて見ている場合ではないのに、何時の間に・・・)


いざ手にしてみたら、知らぬ間におまけの小袋が付いていて、これに旅券やら航空券やらを入れるのに丁度良く出来ていた。また鞄の後ろには、大きな鞄の取っ手をくぐらせる為の切れ目も付いていて、これはジッパーで開閉可能なので、普段は新聞などを一寸突っ込んでおくのに良さそうである。

期せずして高機能な鞄だったので、これは中々悪くない買い物だったと、ひとりほくそえんでみる。

それと、やはり安売りで買った某航空会社のノベルティ電卓が、手元に届く。これは丁度掌に収まるサイズなので、値切り交渉などには持って来いの品で、使い勝手が良さそうである。

この二つを持って(いや、二つだけでは心許無いので他にも入れるけれども)、どこへでも旅に出ようぞ!と、暫し妄想に耽る。

以前行ったあの南国の島々は、ここからならどうやって行くのが良いだろう。直行の飛行機は飛んでいないだろうから、どこかを経由するようになるか。それならいっそ、他所も周って長旅をしながらかの地へ到達するというのはどうだろう。

そしてそんな時間と金は、どうやって捻出したら良いのだろう。

意外と何とかなってしまったりして。ならないかな。

本気でやろうと思ったら、金やその他の諸問題というのは、自ずと付いてくるものだとかいう話も聞くし、そういえば昔のワタシもそうだったような気もする。年を経てしがらみが増えてくると、どうにも身動きが取れないような気がして、息苦しく思ったりするけれど、考え方次第で、意外とどうにかなるものなのかも知れないとも思う。

どうにかなるのだろうか。

先の事を心配しすぎて迷いが出ても、現在の仕事に差し支えるし、それなら現在のひとつひとつに集中して、他は成るように成ると割り切るのも手だろうか。


そうして妄想に励んでいる間にも、まりまりと雪は降り続く。


2005年02月20日(日) 昔の事ばかり思い出しているのはノスタルジィか現実逃避か

鬱状態が続く。

「藁をも掴む思い」の所為か、留学相談などで大学時代にお世話になった大先輩の事を、ふと思い出す。長年音信不通になっているのだけれど、確か昔貰った葉書が取ってあった筈、と埃をかぶった箱から引っ張り出してくる。

そこには1999年の消印があった。

メールアドレスも書いてあったのだが、何度送っても戻ってきてしまって、それきり連絡を取るのをすっかり諦めていた。しかし今回は、クラシックに手紙を出す事にする。風情なんてのでは無い。ワタシは手書きで日本語はもう書けないから、葉書ではなく手紙をタイプして出すのである。

嫁入り先と実家と、両方に出せば、どちらかが手元に届くだろう。非常に身体が弱い人なので、ひょっとすると今頃は実家に居るかも知れないと思う。

涙を拭きながら、思いを一気に手紙に吐き出す。

長く国を離れているうち、古い付き合いの人とは音信が途絶えている事が多い。思い出す事も沢山出てきて、大分薄くなった葉書の文字を眺めながら、今度こそなんとかして連絡を取らねばと思う。

一通り書き上げても、まだ涙が止まらない。

しかしやらねばならない事が相変わらず山積みなので、なんとか自分のご機嫌取りを試みる。冷蔵庫の中の食材も少ないので、明日ヨガレッスンの帰りに買い物に寄る事にして、今日のところはグリッツ(コーンミールのお粥状のもの)を作ったりヤム芋(さつま芋の親戚)を焼いてみたり、更に取って置きの鮭缶を開けてみたりと、お気に入りの食べ物責めにするものの、やはり気が晴れない。やる気を出さなくてはならないのに。

こういう日に限って、掛かってくるのは間違い電話ばかりである。メッセージには、どこぞの不動産会社から、本日のデュープレックス部屋(重層式アパート、通常は高額)の見学会のご感想やご質問などあれば是非ご連絡くださいなどと入っていて、ああワタシも今頃はそんなところへ住める身分だった筈なのに、一体何をやっているのだろう、と一層がっかりする。狭いのは一向に構わないのだから、もっと人の多いところや出入りのし易いアパートに越したいと思う。

昨日からまた寒波がやって来ていて、どうやら雪が続くらしい。大きな山場を一ヵ月後に控えて、ワタシは最近また忙しくなってきているので、この天候は頭が痛い。


底力が無くなって来たと、この頃思う。


2005年02月17日(木) オトコの匂いと三重武装

先日、ワタシときたら余程飢えていたのか、昔々のオトコが夢に出てきた。

あんまり生々しいので、夢の詳細については読者の皆様のご想像にお任せするとして、ここでは多くを語らないでおく。「お預け」にしてすいません(一応これでも嫁入り前の娘ですので)。

しかし何しろ鮮明な彼の「匂い」が記憶に残っていて、がばと起き上がって思わず赤面するような始末で、我ながら一体どうしたのだ、ええ、と問い質したくなるような、赤裸々な夢であった。

お陰ですっかり寝坊してしまった。「インキュブス」とか「スキュブス」とかいう、かつて教科書で見た単語が、思わず頭に浮かんできた。

なにやら慌しい朝であった。



昔のワタシは、今と違ってひょろひょろとしたオトコノコが好きだったので、今回夢にご登場いただいた彼も、少年のような細っこい成りをしていた。

彼は恐らく「ええとこのこ」だったのだが、「陸サーファー」でもあったので、格好良い車にサーフボードを積み込んで、ワタシの住む街の辺りにもよく遠征してきた。それで、二人は可愛らしくドライブデートなどもした事があって、今にして思えばなんとも微笑ましい限りである。

彼がどういう訳かワタシに関心を持っていたのは、人伝に聞いて知っていたのだけれど、なぜか当時のワタシには、彼とお付き合いをしようというような気が起こらなかった。

・・・何故かしら。(勿体無い。)

彼が「ええとこのこ」だったからか。それは中々有りそうな言い訳ではある。

それとも、ワタシ自身(のカラダ)に自信が無かったからだろうか。

十代半ばの頃のワタシは、それは今からしたらえらく勿体無い発想だけれど、自分の身体の発育に戸惑って、女性としての自分というのが受け入れ難い時期でもあった。だからもしそれが理由だったとしても、さもあらんという気がする。


しかし「その気」は無かった割りに、彼の身体から発する「匂い」が、ワタシは大好きだった。

野生のケダモノの匂いとか、酸っぱいイカの匂いとかでもなければ、お気に入りの香水とかいうのでもなくて、なんだか妙に甘い匂いがしたのである。

一体何の匂いなのか、ワタシには見当も付かないけれど、ひょっとするとそれはワタシが知らないだけで「ワキガ」というものだったのかも知れないけれど、いやそんな事はないと信じているけれど、なにしろワタシは、どういう訳だか彼の匂いに引き付けられていた。

少し大人になった今なら、馬鹿ねそれが「フェロモン」てやつの事よ、なんて含み笑いのひとつもしながら言うかも知れないけれど、当時の若くてうぶなワタシには、さっぱり見当も付かないまま、何だか知らないうちに吸い込まれるような、なんとも奇妙な感覚を味わっていた。


当時ワタシたちは、殆どグループでの付き合いの枠を出なかったのだけれど、その所為かどうか、彼は暫くすると遠くの国へ留学していった。

そのうちワタシは大学生になって、休みになるとあちらこちらへ旅行に出掛ける様な活動的かつバブリーな女子大生になった。そのうち、彼の住む街も訪れてみたくなった。

それである日彼に国際電話をして、一頻り近況を報告しあった後、ところで夏休みの旅の途中に一週間くらい泊めてくれないかしらとお願いして、上手い具合に承諾を得ると、のこのこと出掛けていったのである。のこのこ。


彼はある海辺の街に、男ばかり四人して、一軒家を借りて暮らしていた。真っ白い壁が、晴れ渡る空に良く映えていた。

この辺りは治安が良くないからひとりで出歩かないようにと、口を酸っぱくして言うので、専ら彼の運転で彼方此方連れて行って貰ったくらいで、だからワタシはこの街の地理を余り良く覚えていない。

彼は二階を親友と二人で共有していて、彼のスペースは部屋というより、仕切られただけのスペースといったようなところだった。窓際に丁度ベッドが納まるサイズの小部屋のような区画があり、そこをカーテンで仕切った手前には、居間のような区画が設けられていた。

ワタシはそのベッドのスペースがえらく気に入って、そこへ寝っ転がっては、窓から見える星空を眺めたり、暗い通りを行き来する薬物販売人の取引の様子をこっそりと覗き見たりして、楽しく過ごした。(顔を出すと撃たれるというので、そのうちこれは止す事にした。)

ワタシたちは寝っ転がって、アルバムを見たりそれまでのワタシの旅の話をしたりして、夜更けまで過ごしていたのだけれど、まあなにしろそう近くにくっ付いて横になっている訳だから、あの懐かしい「匂い」がすぐそこにあって、ああなんだかどうしたらいいのなんて思っているうち、あれよあれよという間に色々な事になってしまって、気付いたらそんな事になってしまっていた。


(なんだ、だったらもっと早くやっといても良かったんじゃないの?)

などという悪魔の声が聞こえる。今のワタシならそう思う。

若いって、なんだかじれったい。


その家に居候している間、彼の同居人たちは、あの二人は一緒のベッドで寝ているらしいぞとか友達とか言ってるけどそんなの信じられるかとか、白熱して色々と噂をしていたらしいが、そのうち彼の親友が口を切った。君は彼とセックスをしたのか。

余り唐突で、直接的な質問なので、まだ若くてうぶなワタシはつい、してない、と答えてしまったが、まあ誰も信じなかっただろう。



彼のテクニックだとかについての詳細は、敢えてここでは触れないが、ただひとつだけ気になった事がある。

その街は気候がとても温暖なので、彼は所謂「バミューダパンツ」というショートパンツを穿いていたのだけれど、実はその下にもう一枚ショートパンツ(所謂「ボクサーショーツ」というやつ)を穿いていて、そして更に所謂下着の「ブリーフ」というやつも穿いていた。

ワタシは、このクソ暑いのにどうして三枚も穿いているのだろう、**こが蒸れないのかしら、などと思ったのだけれど、その事に付いては聞けずじまいで、その街を後にした。


それから十年以上が経って(いやだわ、時代を感じる)、ワタシは全く別の街で、全く別のオトコノコが、同じように三枚のパンツ類を穿いているのを目撃する。

その彼は、暑いからと上半身裸でいたのだが、下半身の防御は些か過剰気味という、何やら解せない状況であった。

まさか流行っているのかしら。いや、ワタシの知る限りでは、どちらかと言うと少数派のような気がするけれど。寧ろ一枚しか穿かないで、腰掛けた途端「あらねずみさんこんにちは」というのだっているというくらいなのに。

ワタシは、まさか同じ匂いがしやしないかしら、などと勘繰って、思わず彼の傍に擦り寄って、匂いを嗅いでしまったくらいである。


匂いはしなかった。


2005年02月16日(水) 蟹座の気違い男、後日談

後日談である。


その気違い男の高級アパートを出てから、半年以上経った頃の事である。

ワタシはその頃にはもう一回引越しをして、現在の住処でやっと、ひとり静かに暮らし始めていた。いや、全く、他人の精神の問題とか身勝手な生活振りとかに振り回されないで済むのは、本当に気が楽である。

ある日、友人から知らせが届いた(今回は「生臭坊主」的なのではなく、本当の友人)。

例の気違い男が、最近又掲示板にて奇妙な議論を繰り広げており、奴に反対意見を述べる人々をまたワタシの仕業と勘違いして、「テンパった」書き込みを続けているという。

それだけならまだ笑って済むのだが、仕舞いに「こそ泥の様に夜逃げをして、随分手慣れたものだな。しかしこういう嫌がらせをいい加減止さないと、日本のご両親に連絡して何とかして貰わないといけないから承知しておけ」等と捨て台詞を吐いているので、これは友人として一報入れるべきであろうとの配慮であった。多謝。

そう言われて、ワタシはその当該掲示板を覗きに行ってみた。成る程、よくよく読んでいくと、事情を知る人なら、これが誰の事を言っているのか分かってしまうだろう。脅しのつもりなのだろうけれど、しかしこの奴のテンパリ振りからすると、更に個人情報を暴露しないとも限らないから、ワタシは俄かに心配になってきた。

しかも、奴等がこれまでにどれだけ広範に渡って噂を撒き散らしたのかは知る由も無いから、この街の二ホンジンコミュニティでワタシと奴との事情を知る人がどれ程居るのか、見当も付かない。

尤も、それに返事を付けている人々の中には、なんでここで「日本の両親」の話が出てくるの?アンタ何の話してるの?といったような、全く事情を知らない人もいた訳で、それはまあ当然の反応ではあった。

しかしワタシは、自分ひとりの事ならどうにでもなるけれど、無関係の家族を巻き込むのは反則だと思ったので、まず実家の親父にメールを打って、以前の同居人で一寸可笑しいのがいて、ワタシはもう引っ越したのだけれど、変な言い掛かりを付けて来るので、万が一そちらへ電話が来たら、娘に嫌がらせをするのは止さないとこちらも取るべき手段を取るぞと言ってやってくれ、と書いた。

それから奴の奥さんにまたメールを書いた。それは概ね、次の様な内容である。

お宅のダンナがまた妄想を起こして、インターネット上でワタシに嫌がらせをしていると聞きました。ワタシの新居には、お宅に居た頃のようなケーブル回線も無ければ、月極めの限定アカウントを使っているので、ネットサーフィンなどしている余裕もなく、近頃はネットの掲示板からも遠ざかっております。それで先日友人からの知らせで、漸く今回の件を知ったくらいです。そこで出来れば奥様の手で、ワタシが入居した際お渡しした日本の両親の名前や連絡先などの個人情報を速やかに処分して頂きたいと思います。もしこういった個人情報がお宅のダンナによって悪用されるようですと、こちらとしても何らかの防衛手段を取らざるを得なくなりますし、またワタシとしては既に色々と問題のあった皆様とこれ以上溝を深めたくないとも思いますので、お互い今後の面倒を考慮して、ここはひとつご理解の程、よろしくお願いします。


彼女から返事は来なかったが、その代わり掲示板でのダンナの書き込みは、以後すっぱり止まったそうである。以前にも、奥さんが小言を言ったら当分書き込み自粛という事が何度かあったから、これは余程効果的なのだろう。



それからまた何ヶ月かして、ある日不用品を売り出そうと思って、ある掲示板を訪れた。そうしたら、そこの引越しセールの広告に見覚えのある家具がどっさり載っているのを発見した。

それは紛れも無く、あの家に置いてあった食卓だとかテレビだとかベビーベッドだとかコンピューター机だとか大型ベッドだとか、そういう家財道具一式だった。

ワタシは、彼らはあの高級アパートを出たのだなと思った。悪くすると別居とか離婚かも知れない。いや、驚くには値しないが、何とまあ、気の毒な男だろうと思った。


それから暫くして、また幾つかの掲示板で、どうやらあの気違い男ではないかと思われる執念深い書き込みが時折現れるようになった。好みのネタがジェンダー問題とか文化的偏見といったように似通っていて、またねちねちと執拗に攻め立てるところも、あの男にそっくりである。

そうやって突っついて、誰かが反撃や反論をして構ってくれるのを、気長に待っているのである。

また、奴は以前から、この街の二ホンジンを集めて「飲み会」だとか「合コン」だとかいうような催しをする「サークル」というのに参加していたが、近頃ではそれの「幹事」とか「リーダー」とかいうような肩書きで、率先して企画開催などしているようである。

これらの活動は全て一世の二ホンジン、純二ホンジンを対象にしていて、つまり日本社会で行われている事をそのまま他国へ持ち込んでやっているものである(殆どの場合は、日本食のレストランやバアを渡り歩くので、出費も嵩む)。

そこでは、奴のように在住二十年選手から最近やって来たばかりの若い留学生や会社員などもいて、長く居る奴等が先輩面するのに打って付けの場でもあるし、また同世代の現地人と友達になれないでいる気の毒な中年長期在留者が唯一(一回りも二回りも年下の)「友達」を作る場でもある。

異国の街でそこだけが、その独特の慣習とか「気遣い」とかいったものの通用する、「日本」なのである。



ワタシはこの男と一切関わりが無くなって久しいけれど、しかしこの街に長く逗留すればする程、奴を知る人間もまた多く居るらしいという事に気付く。

後に人伝に聞いたところによると、奴はワタシの事を「勉強のし過ぎで頭がおかしくなった、執念深い気違い女」などと言って、噂をばら撒いていたそうである。

そんな噂をされる程がりがりと勉強した覚えは無いし、当のドクター様程幾つも学位を持っている訳ではないのだが、裏を返せば、それくらい奴等にとってワタシの存在は脅威であったという事なのだろう、と思うようにしている。

しかしこの一連の件があって以来、ワタシはすっかり人間不信に陥ってしまったし、またこの街が何だか鬱陶しくて仕方が無くなってしまったのである。


「蟹座の気違い男」 終。


2005年02月15日(火) 蟹座の気違い男、その八

何とかプレゼンテーションもやり遂げて、家に帰る日が来た。

その間ワタシは、次に引っ越す先の同居人に連絡を取って、実は事情が変わって身の危険があるものだから、今直にでも引っ越したいのだけれど、と相談した。しかし月末までは彼の同居人がまだいるから、直という訳にはいかないと言う。

しかし彼は良い人だった。そういう事情なら、手付けに貰った金は返すから、直に入れるアパートを探したらいいと言ってくれた。

そこでワタシは、また新たに部屋探しを始め、偶々この住む予定だったアパートの近所に空き部屋広告を見つけた。そこにはまだ越して来たばかりだという二ホンジン女性が住んでいた。

これがまた、稀に見る挙動不審な蟹座のおねーさんで、人の言う事を何度も聞き返したり、既に決めた事をまた何度も繰り返して質問したりするので、交渉成立まで余計な時間が掛かってしまった。何やら嫌な予感がしたが、しかし家賃が安かったのと、直に入れるという事で、ワタシはその他の要素は見なかった事にして、即決した。

ちなみにワタシは、この不気味な蟹座のおねーさんのアパートには、一ヶ月程住んだだけで、直また引越しをする羽目になる。


兎も角、次の行き先を決めたワタシは、家に帰ると先ず三日後に引越し出来るよう、引越し屋の手配をした。そして悟られないよう出来るだけ静かに、荷物の梱包に取り掛かった。

既にワタシは、引越しだけはもう随分数をこなして来たから、大体二日もあれば全ての荷物をまとめられるようになっていたし、荷解きも大体三日もあれば良い。ダンボール箱も全部取ってあるから、甚だ不本意ではあるものの、いつでも夜逃げは決行出来る。

しかし今回は、逃げるとは言っても、部屋と建物の鍵については、返そうと思っていた。返すのなら、引越し日を早めた事は、いつかは言わなくてはならないだろう。

それにインターネット回線のルーターが彼ら夫婦の寝室にあって、ワタシの部屋とはコードで結ばれているから、それを外して貰って、コードを引き上げなければならない。

考えた末、ワタシは奥さんにだけ、引越しの日程を知らせる事にした。

そこで、居間に置いてある、奥さんがいつも使っているコンピューターのキーボードの下に、メモを残しておく事にした。話したい事があるので、良かったらメールを下さい、と書いた。

翌日、彼女からメールが来た。

ワタシは、まず彼女が居ない隙を見計らって、ダンナがワタシに喧嘩をしに帰って来た日の一部始終を書いて、そういう訳で何をされるか分からない人と一緒に生活は出来ないから、引越しを早めて密かに出て行く積りでいる、と書いた。そこで、奥さんに鍵とネットのコードの件について協力を仰いだ。

彼女の返事は、こういう事態になったのは自分の不行き届きの所為であるから、申し訳無い、しかし彼も貴方の事を心配していたから彼是考え過ぎる結果になってしまったので、悪気があった訳ではない事を分かって欲しい、とあった。

これは、ワタシの事を心配していたというより、寧ろ自分が嫌われたのではないかという不安から来る心配では、と思うけれども、兎も角彼女と連絡が取れた事により、ワタシは全くの「夜逃げ」という後味の悪い思いを少し軽減する事が出来たので、とりあえずほっとした。

当日は、同居人が全て出払った時間帯を見計らって、予定通りに済んだ。翌日には鍵も返して、ワタシは漸く束の間の安堵感を味わう事が出来た。

つづく。


2005年02月14日(月) 蟹座の気違い男、その七

奴は続けた。


俺の知らないところで、君が色々と噂を流しているのは、聞いてます。

はあ?「噂」って、どういう意味ですか?「色々」って何ですか?

いやだから、ある事無い事裏で色々とばら撒いてるって事は、分かってるって言ってるんだよ!

「分かってる」って、何を分かってるって言うんですか?勝手に人の事決め付けないで下さいよ。ワタシは貴方が何の話をしてるんだか、さっぱり分からないし、変な言い掛かり付けられても困ります。

言い掛かりじゃないだろう?俺はちゃんと分かってるんだから、そういう嘘を付くのは止しなさい!

「嘘」って、どっちが嘘付いてるって言うんですか?それに、一々怒鳴るの止めて貰えますか?


そうして話はエスカレートして来た。奴はくちゃくちゃとやりながら怒鳴るものだから、こちらになにやら飛んで来て、汚いし、不快である。


まあ、貴方もちょっと落ち着いて。怒鳴らなくても、ワタシは目と鼻の先に座っているんだから、ちゃんと聞こえますよ。

そうたしなめると少しヴォリュームを落とすのだが、又直に怒鳴り出すところは、本当に例の 「がみがみガール」そっくりである。


第一、貴方が最初に始めた事じゃないですか?あの晩だって、何が気に入らないんだか、酔っ払ってワタシたちに失礼な発言を繰り返していたでしょう。奥さんだって、怒って黙り込んでしまったじゃないですか?

いや、彼女は別に怒ってなんか居ないよ!機嫌が悪くなっていたのは、君だけなんだよ!俺たちは全く問題なかったんだよ!

・・・貴方、奥さんの顔、見なかったんですか?貴方が口を開けば開く程、益々怒って、押し黙ってましたよ。

いや、俺が話をしていたら君が突然機嫌が悪くなったようなので、俺たちはどうしたんだろうって心配していたんだよ!彼女は君が機嫌が悪くなったから、それで心配してそういう顔になったんじゃないか!君の所為なんだよ!

はあ?だったら、その後そう言えば良かったじゃないですか。そんなの一言も言わないで、何事も無かったかのようにしていた癖に、それである日突然メールを送り付けてきて、説明もしないで出て行けだなんて、そういうやり方の方が余程嫌らしいじゃないですか。

それは君が、裏で可笑しな事をするから!

「裏で」?「可笑しな事」?一体何の話ですか?ワタシが何をしたと思っているんですか?

いや、別人に成りすましても、俺にはちゃんと分かるんだから!

「別人に成りすます」?貴方、本当に何の話をしてるんですか?いい加減に、変な言い掛かり付けるのは止めて下さい!

え、じゃああれは君じゃないのか?

だから、何が「あれ」なのか、はっきり言ってくれないと、何の話をしてるんだか分からないって言ってるんですよ!何が言いたいんですか?

ああ、それはじゃあ、俺の勘違いだったのか・・・ いや、それは悪かった。

はあ?貴方ねえ、ひとりだけ納得しても、会話にはならないんですよ。ちゃんと人にも分かるように説明してくれないと。

いや、それは、疑って悪かった。じゃあその事は、もういいから。

…もういいって、貴方、随分勝手ですね、これだけ人に散々失礼な事を言っておいて。

謝ったんだから、いいじゃないか!それを許さないってのは、どういうことだ!

貴方、何ヶ月も人に嫌がらせしておいて、そんな簡単に、一言謝ったらそれで済むとでも思ってるんですか?

だから俺の勘違いだったって言ってるだろ!


この調子で怒鳴り合いが暫く続いたが、そのうち、奴の不安から来る勘違いや妄想が更なる勘違いと妄想を呼び、話を拗らせたという事は、奴にも漸くはっきりしたようだ。

奴も徐々に落ち着いてきたので、ワタシは思い切って聞いてみた。


あのー、こんな事言うのは難ですけど、一度心理療法士とか精神分析医に掛かってみる気はないですか?

いや、実はもう掛かっているんだ。

あら、そうなんですか?それで、その調子はいかがですか?

それが、双方のスケジュールが中々合わないので、思ったように会えないでいて・・・

ああ、なるほどね。こういうのは、定期的に行かないと、余り効果がないんですよね。それにお互いの信頼関係なども関わってきますから、やはりここは出来るだけコンスタントに続けていくのが望ましいって事になってますしね。まあ、こんな事は多分ご存知でしょうから、余計なお世話ですけど。

まあねえ。出来ればもっと頻繁に会えるといいんだけど…

それじゃあ、ご自分でも心理的な面で問題があるという事は、承知していらっしゃる訳ですね?

ああ、随分前から何とかしなくちゃとは思っていたんだけど、中々都合が付かなくてね。それに、そうこうしているうちに、妻の方が子育て関係で心理の先生に相談に行きたいと言い出したから、そっちが先になっちゃって…

はあ、なるほどね。

(っていうか、子育てじゃなくて、寧ろダンナの問題なんじゃないのかしら…)

などとワタシが考えているうち、奴はこう言った。

だからね、俺は自分がキレると、自分でも何をするか分からないんだよ。本当に自分でもどうしていいか、分からなくなっちまうんだ。だから、俺の事を怒らせないで欲しいんだよ。俺を怒らせたら、自分でも何をするか分からないんだから。


……

こいつは何を言っているのだ。

ワタシは硬直した。

いい大人が、自分の感情のコントロールが出来ないから、他人に俺をキレさせないでくれと言っている?俺を怒らせたら何をするか分からないぞと他人を脅して、他人の行動を制限しようとしている?


奴は当時、夜中によく徘徊していた。

どうやら眠れないらしく、時折部屋から出て来ては台所へ行き、換気扇を回して煙草を吸う。吸い終わると、換気扇を止めて部屋に戻り、妻子が寝ているベッドの脇でインターネットをやる。暫くするとまた出て来て、煙草を吸いに台所へ行く。これを夜中に何度もやるのである。

折角生活時間をずらして、静かな夜を独り占めで夜更かししながら作業中だというのに、始終廊下を行ったり来たりするスリッパの音で、ワタシは落ち着かなかった。既にこの調子なのだから、この期に及んで、一体次は何をすると言うのだろう。


…何をするか分からないって、それはどういう意味ですか?

いや、だから、俺は自分がキレたら何をするか自分でも分からないんだよ。だから、キレさせないで貰いたいんだ。

…キレさせないでくれって言われても、いつ貴方がキレるのかなんて、他人には知りようも無い事ですし、そういう自分の感情は自分でコントロールしてくれないと…

いや、分かってるけど、それが出来ないから言ってるんじゃないか!自分でも何をするか分からなくなる時があるんだから。俺を怒らせたら、何をするか分からないんだよ!だから、俺を怒らせたら駄目なんだよ!

…それは脅迫ですか?

なんでそっちへ行っちゃうんだよ!ああ、もう、そうじゃないんだよ!俺が言ってるのは、全然違うんだよ!なんで分かってくれないんだよ!

奴は瞬く間に、また混乱して怒鳴り始めた。

ワタシは恐ろしくなった。

暫くして、ワタシは席を立った。

とりあえずワタシは、言うべき事はもう言いましたので、ワタシからお話しする事はこれ以上ありません。今後は奥様か第三者の同席が無い限り、貴方と個別でお話はしませんので、その旨よろしくお願いします。

そう言い置いて、一目散に部屋へ戻った。


ワタシは早速友人に電話をして、今夜から暫く泊めて貰えないかと頼んだ。重要なプレゼンテーションを控えているので、こんな状態でこの家に居ては、不安で準備もままならないだろうと思われた。先ずは自分の身の安全を確保しなくてはならない。

ワタシはボストンバッグに着替えを少し詰め、小型のスーツケースに必要な資料を詰め込むと、同居人らが寝静まるのを静かに待った。

そして台所にメモを残して、家を出た。

つづく。


2005年02月11日(金) 蟹座の気違い男、その六

翌日、ワタシは一日自宅にいて、部屋で寝巻きのまま引越しの算段をしていた。

思いのほか早く帰宅した奴は、ワタシの部屋に直行すると、ドアをばんばんと叩いた。薄暗い顔で、話があると言う。

只ならぬ気配に、ワタシは一先ず寝癖だけ整えると、ゆっくりダイニングへ出て行った。


ワタシが腰掛けるのを待って、奴は聞いた。

ハンバーガー喰う?

は?

(難しい顔をして人に話があるなどと言っておいて、ハンバーガー喰う?って一体…?)

ワタシは一呼吸置いてから、

結構です、ご用件は何ですか?

と言った。

奴はああそう、と言うと、ハンバーガーの包みを開けて、食べ始めた。そして口をもごもごと動かしながら、話を続けた。

いやね、***(=妻)が居ない時に、話を聞いておきたいと思って。

そう言って、また一口、一口、と食べ進んで、中々肝心の話を始めない。

ワタシは苛々してきた。

一体何のお話ですか?ご飯食べるんでしたら、食べ終わってからまた呼んで貰えますか?

席を立とうとすると、奴は慌てて止めた。


ああ、いや、食べながら話すからいいよ、そのままで。

(いいよって… それはワタシに失礼では・・・?)


一頻りむしゃむしゃとやって、奴は漸く本題に入った。


まあ、色々と噂を聞いているんだけどね。

「噂」って、何ですか?

いや、その、裏で君が色々と噂を流しているという事をね、聞いてるんだけど。

聞いてるって、一体誰がそんな事を言ってるんですか?

いや、それは言えません。でも兎に角、俺の知らないところで、君が色々とやってるっていう事だけは分かってます。

はあ?「色々」って、どういう意味ですか?一体ワタシが何をしているって言うんですか?言ってる事の意味が全然分からないわ。


この調子で暫くやり取りが続いたのだが、長くなるので種を明かすと、昨夜ワタシのメールを受け取ったうちの一人、つまり友人だと思っていた男である「生臭坊主」が、どうやらメールを転送しただか内容を知らせるだかして、煽ったらしい。

それでぶち切れたオヤジは、仕事もそこそこに、いざ大喧嘩をぶちまかそうと意気込んで、わざわざ早退してきたというのである。

そしてこの議論は忽ち怒鳴り合いに発展するのだけれど、これで明らかになったところによると、どうやらもっと以前から、この「友人」である筈の生臭坊主が、この気の毒な情緒不安定オヤジを煽り立て、ワタシの悪口を仲間内で広めるのに一役買っていたのである。



この生臭坊主はもうこの街には居ないから、序でだからこの場でしっかりとその悪童振りを暴いておく。

コイツは京都の寺の息子だそうだが、元々は滋賀の山奥の出身だとか言っていた。日本でその筋の大学に通ったそうだが、卒業してそのまま寺の跡継ぎになるのが嫌だったらしく、海外「遊学」を決め込んだ。

ええ、文字通り。

何しに来たのだと聞かれて、自分から「…んー、遊学?」と言うのである。

本来この言葉には、「学問をする為に余所の土地へ行く事」という意味がある筈なのだが、奴は恐らく字のまま、「遊びに来た」のだろう。

ワタシは「観光」とか「所用」とか「留学」とか、または素直に、この街が気に入ったからもう少し長く滞在して色々見てみたかったから、というようなのは聞いた事があるのだけれど、自分から「遊学」と言ってのけた人に会った事が無かったので、この時は二の句が告げなかった。


この若造は、この街では「芸術関係の専門学校」とやらに通っている事になっていたのだけれど、実際殆ど学校には行かず、暇な二ホンジンを集めては日系居酒屋やオカマバー等を飲み歩いて、豪遊の限りを尽くしていた。

また耳から首から指から、じゃらじゃらと幾重にもジュエリーを身に着けたり、黄色く髪を染めたりしていた。とんだ生臭坊主である。

(ちなみに友人に「生臭坊主」という表現を知らないという人がいたので、一応説明を加えるけれども、これは余りに俗世間に浸かりすぎて、生臭い肉や魚も平気で食べるような、不品行で戒律を守らない坊主の事を指して言う。) 

コイツは、能書きを垂れる前に、「宗教家として」と一々断りを入れるのが、口癖である。それから、自分はそういう身分だから、人から目標とされるような人物であらねばならないと、日夜修行に励んでいるのである、という口上を述べるのも常である。

しかし大仰な事を言う割りには、まあ所詮遊び盛りのガキんちょだから、口で言う事と実際やっている事の差があり過ぎて、言っている事に重みが無い。その品行や「黄髪にジュエリー」を目の前にしては、残念ながら信憑性に欠ける。

そもそも人間というのは、宗教関係の学校に行って勉強したからといって、自動的に「悟りの境地」に辿り付くものではないから、ワタシはコイツの言う事は大概まあ話半分に聞いておいた。丸きり馬鹿にはしないけれども、しかし鵜呑みにもしないという程度のものである。

とは言え、ワタシは奴との友人関係は一応保っていて、時折メールや電話のやり取りをしたり、何ヶ月かに一回は一緒に飲みにも行ったりしていた。


ところがこの生臭坊主は、「ぺらぺら小僧」でもあった。

娑婆の暮らしに、余程退屈していたのだろう。ワタシの同居人オヤジの妄想を面白半分に煽り立て、それを周囲に拡大して言い触らし、そのお陰で更にオヤジを不安定にさせ、結果的にワタシたちの同居人関係は険悪になった。どうやらこの小僧が、その張本人だったのである。

ワタシはこの生臭坊主またはぺらぺら小僧の、暇に任せて他人の事情に首を突っ込んで、何でもない事をわざわざ拗らせた所業というのは大罪であり、決して成仏しないものと思う。

(もし読者の中に、京都近郊の檀家の方がいらしたら、こういう不届きな坊主が法事に来た折には、塩でも撒いてやるといいですよ。伊達に袈裟なんか着てるからって、見掛けに惑わされてはいけません。坊主だからって無闇に有難がるのは、間違いの元。)

(尤も、坊さんの耳たぶにピアスの穴なんて開いていたら、ワタシだったら一寸気味が悪いと思う。)


さて、そういう訳で同居人オヤジは、奥さんの目の届かないところでワタシと喧嘩がしたくて、わざわざ仕事を早退して来たそうなのだが、ワタシは既に奴のそういう、くちゃくちゃと喰いながら話をするとか、自分こそ人の悪口を言い触らしておきながら、平気で人に言い掛かりを付けたりなどする失礼な態度が気に入らなかった。

そもそも、奴が酔って人に愚痴を聞かせたり、不適切な発言を繰り返して平気で居るのにも嫌気が差していたので、なんだやるなら掛かってきやがれといったような心持ちで、じわじわと沸点を迎えつつあった。


つづく。


2005年02月10日(木) 誕生日に陰気な事を書くのは止めにしてちょっとだけ祝う

連載の途中だが、今頃は日本時間的にいうところのワタシの誕生日であるので、時差のある土地で誕生日を祝うようになって十数年来の習慣にしている、「生まれた時間きっかりに祝う」というのに乗っ取って、陰気臭い連載は一先ず中断して、祝いモードで日記を書く事にする。


とは言っても、相変わらず課題に負われて慌しい日々を送っているので、実際祝うと言っても、街へ繰り出して人々と歌って踊って飲んだくれるとか、恋人と可愛らしいケーキを突付くとか、そういう予定は特に無い。日本の家族も友人らもとっくの昔に忘れてしまっていると見え、ここ数年はお祝いのカードも電話も無い。

こう書くと、なんて寂しい人間だろうと思われる読者もあるかも知れないが、一応言い訳をしておくと、これでも日本を離れてまだ間も無い頃には、毎年数人からお祝いを貰っていたので、近頃では皆疎遠な状態に慣れてしまったのだろうと思う。

そういうワケだから、今年のワタシの三十何回目かの誕生日当日は、仕事の合間に年の数だけアーモンドを齧りながらお茶をして、またすぐさま作業再開となって、過ぎた。

三十代になったばかりの頃は、自分は二十歳の頃から何も変わっちゃいないに違いない、くらいに思っていたのだけれど、それから暫くして身体に起こる様々な変化やら経験に応じた知恵とか先見性とかいったようなものによって、ワタシは意外と随分成長しているのだという事を思い知らされたので、今ではもう二十歳の頃と同様な自分ではない事をすっかり自覚している。

身体に起こる変化とは、例えば徹夜仕事や飲んだくれた翌日の許容範囲が狭まった事とか、ふと気付くとより深く刻まれている小皺だとか、そういうものの事である。しかし皺とか肌の張りについては、いい年をしてそういうものが無かったら却って気味が悪いから、年輪とか貫禄とかいったようなものと判断して、好ましく思う事にしている。

それに身体の無理が利かないと思えばこそ、自分を労わったり食事や健康管理に気をつけたりなどする気にもなるのだから、それはそれで良い事でもある。

色々な事があったけれど、今もそのうちのひとつが進行中で心苦しいけれど、しかしそれでも何とかここまでやって来たなと、自分で自分の肩をよしよしご苦労さんと叩いてみる。


ところで自分の誕生日に自分でプレゼントをするのも、ここ数年の習慣になっているのだけれど、今年は忙しさにかまけて何も考えていなかったので、これから仕事の合間に、一体何を自分にくれてやろうかと考えるのを楽しみにする事にする。


2005年02月09日(水) 蟹座の気違い男、その五

丁度その頃、あるインターネットの掲示板で、ちょっとした意見の食い違いがあった。

ワタシはその頃書き込みはしていなかったのだけれど、奴はどういう訳だか勘違いをして、その反対意見を述べて奴に突っかかっているのは、どれもワタシが別名を使ってやっているものと判断したらしい。それで、アンタだってことは分かってるんだ、いい加減にしなさい!などと一人で興奮して書き込んでいた。

彼の投稿の中には、ワタシの普段の生活や個人事情などをほのめかした文章も多かったので、知らない人にとっては思わせ振りで、このオヤジは何を訳の分からぬ事を言っているのだ、と茶化す投稿者もあったが、しかしそれでもその話題は長々と続いていた。

そうして奴は、すっかり勘違いしたまま、どんどん妄想をエスカレートさせていった。誰も返事をしなくても、どうした痛いところを突かれたから返事に窮しているのか、とか俺はちゃんと分かっているんだ、などとひとりで納得しながら、ひとりで日に何度も書き込みをして、いつまでも大騒ぎを続けている。

それは、当初傍で見ている分には中々面白い様子だったが、しかしそれが長引いてきて、奴の更なる混乱振りが露骨に見えるようになって来ると、ワタシは段々気味が悪くなってきた。これは冗談ではなくて、本当の病気なのかも知れない。


ある日遅く、奴からメールが来た。

そこには、「このような状態が続くようでは、お互いの為に良くありませんので、出来るだけ早く次のアパートを探して出て行って下さい。よろしくお願いします」と書かれていた。そして、どこかのサイトからコピーしてきた、同居人募集という情報が幾つか貼り付けてあり、これを参考にして下さい、とあった。

ワタシは直に返事を打った。


一体何がお気に召さなかったのか分からないので、困っています。「このような状態」とありますが、一体どのような状態が起こっているのか分かりませんし、同居人として何か不都合があったのなら、遠慮なく仰って下されば、こちらも改善するなど対応の仕様がありますが、そう突然出て行けと言われてましても、こちらの都合もありますので、一先ずどういう事なのか、理由を説明して頂きたいと思います。


すると奴は、こうするのがお互いの為です、お願いですから勘弁してください、と返事を遣した。


ワタシは俄かに、それまで何事も無かったかのように接してきたこの人々が、実は腹に何やら抱えていたのかも知れないという事に思い至り、何やら不信感に駆られてきた。

例えダンナが気が触れていたとしても、せめて奥さんがそれをそこで食い止めて、他人のワタシに迷惑を被らせないようにしてくれるだろうと思っていたのだが、それすらも無いところを見ると、どうやら奥さんも同様にワタシに出て行って貰いたいと思っているのだろうか。これまでああしてにこやかに挨拶をしたり、世間話などしたりして、全くそんな様子は見せなかった癖に、なんと気味の悪い人だろう。これが日本的対処法という事か。


ワタシはそれから、仕事の合間を縫って部屋探しを始めた。出来るだけ家には居ないようにして、仕事も持ち帰らず居残ってやるようにした。

相変わらず子供は良く懐いていたので心苦しかったが、これ以上懐いては後で別れる時に可哀想だと、幾ら遊んでとおねだりされても、極力応じないように心掛けた。

ニヶ月程経って、漸く手頃なアパートが見つかった。次の同居人となる人は中々好人物そうだったので、翌月からそこにお世話になる事に決めた。



その日の夜、夕食後の夫婦を前に、切り出した。

予てより出て行ってくれとの事でしたので、これまで部屋探しをしていたのですけれど、この度漸く手頃な所が見つかりましたので、今月一杯で出て行く事にします。それでもし特に問題が無ければ、既にお支払いした敷金を返していただく代わりに、最終月である今月分の家賃に充てて頂ければ、お互い後々の面倒が無くてよろしいと思うのですが、いかがでしょうか。

すると奴は、それはそれは、実は夏に親戚が訪ねて来る事になって、寝る場所を都合付けなけりゃと思っていたから、それまでには出て行って貰わなくてはと話していたところだったのだよあははは、などと見え透いた言い訳をした。

どうやら、以前の同居人たちを追い出す時に色々と苦し紛れの言い訳をしたものだ、とワタシに話した事を、すっかり忘れているらしい。この期に及んで、みっとも無い男である。

さっさと挨拶を済ませると、ワタシは自室へ戻って、友人たちにメールを打った。

同居人の嫌がらせに閉口して遂に出て行く事にしたのだけれど、今より狭い部屋に移るから少し家財道具を減らそうと思うので、このリストの中に気に入ったのがあったら、連絡を下さい。


ワタシはこの時点でまだ、その友人らの中に「密偵」が居た事に気付いていなかった。

つづく。


2005年02月05日(土) 蟹座の気違い男、その四

いつもなら、奥さんは夕食が済むと、仕事がまだ残っているからと言って、さっさと居間の隅にあるコンピューターに向かってしまう。可哀想にダンナは一人残され、孤独にテレビを見ながら、程なく酔っ払って愚痴を溢し始める。

ダンナの側からしてみれば、こういうコミュニケーション不足から来る淋しさが、ネット依存だとか愚痴の多さだとか奇怪な言動だとかに繋がっているのだから、それらはつまり早く気付いて欲しいというサインを出している訳である。一刻も早い措置が必要な精神状態である事は、傍で見ているワタシにも容易に理解出来る。

しかし逆に奥さんの側から見てみると、これで意外とそういう事にはとっくに気付いていて、そういう依存的なダンナが重たくて仕方が無いから、わざと自分を忙しくして避けているのかも知れないなとも思う。彼女は若いし、また自立していて、行動力もある女性だから、奴と違っていつまでも愚痴愚痴とやっているような性質ではない。



食事に誘われたり、またワタシの食事の時間帯が偶々重なったりして、止むを得ず一緒に飲み喰いをする羽目になると、この連夜の愚痴に悩まされた。

こうなるともう、飲まないでは相手をしていられないので、ワタシも勧められるままビールを頂くのだけれど、しかしワタシは奴と違って、ビールニ本切りではああも酔っ払えないから、そのうちハードリカーに切り替えて、奴の酔いっぷりに合わせるようにしてみた。

しかしそれも段々量が増えてしまって、幾ら飲んでも酔わなくなってしまった。

それで思い余って徳用の大瓶でウォッカやジンなどを買って来ては、それをくぴくぴとやるのだけれど、奴の愚痴は日々その度合いを増して行き、毒舌や暴言もまたエスカレートしていったから、それに対抗して喧嘩にならないように自分を抑えながら、言いたい事を冗談に乗せてやり過ごしたりするには、やはりこちらもまた更に飲まねばならなくなってしまった。

あの家に居る頃のワタシは一体何本くらい酒を開けたのだろうかと、ふと思う。案外短期間しか居なかったのに、毎週の如く大瓶を空けていた事を思い出して、ぞっとする。あの頃の酒代は、勘定していないけれど、相当のものだったろうと思う。


精神衛生上良くない環境に居ると、身体にも良い事はない。


兎も角、その晩も同様に、いつもの愚痴が始まった。やれやれ、また始まったか。ワタシは適当な頃合を見て自室に退散しようと、その機を伺っていた。

奴は何時になく大声で喋り始めた。珍しく奥さんが座って聞いてくれているから、調子に乗っているのだろうか。


今時の男どもは弱くなったなんて言われているが、それは違うね。それは女が社会進出なんかし出したから、女が強くなったの。だから比べたら男が弱くなったように見えるかも知れないけど、そうじゃなくて、女が強くなっただけなのよ。

あら、そうですか。なるほどね。

そうだよ。だから、女がね、強くなっただけなんだよ。男が弱いんじゃないんだよ。男は別にどこも、ちっとも変わっちゃ居ないんだよ。

へえ、それは結構ですね。

すると、奴は突然怒鳴り始めた。

結構じゃないよ!全然結構じゃないよ!これからの時代はね、女はそんな社会進出だのキャリアだのってほざいてないで、家庭に戻ってだね、昔のように三つ指突いてお帰りなさいって、ダンナの為に家庭を守っていればいいんだよ!

ワタシは唖然とした。ワタシや奥さんという身近な女を目の前にして、言ってる事の意味が分かっているのだろうか。

ワタシは奥さんの顔を見た。初めは笑って聞いていたのだが、その頃にはもう真顔で、どこか一点に目を据えている。口をきっと結んで、黙っている。

それでも奴の説教は留まらない。やれ女が仕事やキャリアだのと言って身の程も知らずに外をふらふらとしているのは怪しからんだの、そうやって居る間に犠牲になっているダンナや子供の事をよく考えてみろだの、唾を飛ばしながらべらべらと捲くし立てる。

奴が喋り続けるのを聞きながら、奥さんはじっと固まって、無言で宙を見詰めている。奴の方を見ようともしない。段々険悪なムードになってきた。

一応平和主義を貫いているワタシとしては、まあ、どうやら随分酔っ払っちゃったみたいですねえ、今日はもうその辺でお酒は止したら、と促してみたのだが、

酔ってなんかいないよ!

とまた怒鳴るので、

ああ、そうですか。(それならこちらも、貴方は本気で喧嘩売ってるって事で了解しますよ?)

と言って、ワタシは続けた。

でもなんだか随分時代錯誤な、男尊女卑的な発言ですねえ。ちなみにワタシにしろ奥様にしろ、貴方の言う、外でキャリアを目指している女性たちなんですけど(そういうこと言ってると、ワタシたちからもっと嫌われちゃうけど、いいの?)。

奴はワタシを頭から否定した。

時代錯誤じゃないよ!男尊女卑じゃないよ!これは事実なんだよ!そもそも女が強くなったから、この世の中は可笑しくなってきたんだ!この世の中の問題は、元を糺せば全てそこに辿り着くんだよ!女は家庭に戻れ!

そうして奴は、似たような主旨の事を幾度も繰り返した。こちらが何を反論したところで、奴の頭の中はもうすっかりそれ一色だから、話は一向に噛み合わなかった。

ワタシはこの堂々巡りの議論に穏やかに対応し続けるのに疲れたのと、この酔いに任せた無礼な振る舞いに対する不愉快さの余り、もう反論をするのを止す事にした。大体奥さんだって黙っているのだからと、ワタシも暫く黙って聞いていたのだけれど、奴の基本的な論点には変化も無く、奥さんの表情にもまた変化は無く、ワタシも引き続き黙っていた。

それから、彼らが使いたいと言うので共用にする為にリビングに置いておいたワタシの爪切りを取って来ると、話は半分に、テレビの方を向いて爪を切り始めた。それが終わると、誰も見ていないテレビの方に身体を向けたまま、話は聞き流していた。奴の話は、結局誰に対して向けている訳でもなく、また誰の意見を取り入れる訳でもなく、ただの独り言でしか無かった。

そして同じ話ばかりを聞きながら番組がもうひとつ終わったのを機に、じゃワタシはそろそろ失礼させて頂きます、お休みなさいと言って、退散した。


それからワタシたちは、いつもの通り会えば挨拶を交わし世間話をして、一見何事も無かったかのように見えた。

あの晩から数週間が過ぎた。

つづく。


2005年02月04日(金) 蟹座の気違い男、その三

毎週水曜日になると、子供を寝かしつけた後、夫婦は二人きりで食事に出掛ける。本来この国では、ベビーシッター等の監督者無しにある一定の年齢未満の子供だけで放置するのは、法律で禁じられているのだが、シッターを雇うのをケチっているのか、全く意に介さない様子だった。

同居し始めて間もなくの頃、ワタシも水曜の食事に誘われた。それでは誰かが子供を見ていないといけませんねと言ったのだが、すると、いやどうせ大人しく寝ているから大丈夫、などと言って取り合わない。通報しないでねと口止めされたので、これまで公にはしなかったけれど、ワタシも何度か誘われるうちニ三度一緒に出掛けた事があって、なんだか幼児虐待に加担しているようで大いに気が引けた。


ある時彼らがそうやって出掛けて帰って来た頃、偶然子供がニ三度咳き込んだらしい。ワタシは隣室に居て、それまで特に物音も聞かなかったから、ずっと静かに眠っていたのだろうし、またその日は特に風邪気味という様子でもなかった。しかしその咳き込んだのを見た父親が、風邪かな、薬を飲ませてやるといい、と言うので、母親が子供をわざわざ起こして薬を飲ませたそうだ。

そうしたら、半時間もしないうちに子供がみるみる具合を悪くして、げぼげぼと吐き出した。夜通しわんわん泣いて、げろげろとやるから、それはもう大変な騒ぎであった。ワタシなどはとうとう幼児虐待でも起こったかと不安になり、トイレに行く振りをしながら隣室の前で物音を確認してみたりしたものだ。

そのうち未明になって彼らが出て来たので、いったいどうしたのですかと聞いたら、事の次第を教えてくれたが、ワタシはこの医者である筈の父親に対して、一体どういう藪医者振りだろうかと、忽ち怒りがこみ上げた。

そんな事があったので、ワタシは「リサーチドクター」という、実践経験の無い医者という人々の言う事を、余り信用しない事にしている。



話が逸れたけれど、そういう訳でこの家では、朝の子供の世話以外の事は、結局全て奥さんがこなしていた。このダンナより十五ばかり年の若い奥さんというのは、フルタイムの仕事を持ちながら、パートタイムでフリーランスの仕事も取って来て、そして更に母親業に家事も殆ど一人で手掛けていた。

更に良く見てみると、彼女は四十幾つになろうかという自分のダンナの「母親」の役目もこなしていたのだ。


ある時奴は、いつものようにさっさと酔っ払うと、憎々しげにワタシにこう言った。

女は子供が出来ると、変わるね!

何の事やらと不審に思いつつ、そうですかとワタシは聞き流した。

すると奴は間髪を入れずにこう続ける。

女はね、全ての女っていうのはね、子供を生むと全然変わっちゃうんだよ!

恰も大発見でもしたかのような口振りに、ワタシは堪らず笑い出した。しかし奴は真顔で続ける。

俺はね、知ってるんだよ。前の女房もそうだったけど、今のもそうだね。どの女もそうだ。子供が出来た途端に、女はころっと変わっちまうんだよ!


奴曰く、前妻とは必ずしも結婚する予定ではなかったそうだ。

ある時婦人科系の疾患のある彼女に治療を受けさせる為、自分の配偶者として保険で賄ってはどうかという話になって、便宜上入籍をする事にした。子供は恐らく出来ないだろうと言っていたのに、籍を入れた途端妊娠した事が分かった。彼女は、これが最後の機会かも知れないから是非産んで育てたい、と言って聞かないから、仕方なく同意した。そうしたら、彼女はすっかり「変わってしまった」のだ。

それで彼女と暮らしていくのが段々嫌になり、家に帰らず飲み屋を梯子したりしているうちに若い女と知り合ったので、別れて再婚した。しかしこの新しい妻もまた、子供が出来た途端「変わってしまった」のだ。


これを翻訳すると、以下のようになる。

女が母親になった時、彼女は必然的に女から母親へと成長していく。それは彼女自身が、その新たな人生の試練に対応していかなければ、乳飲み子の面倒を見る人は他に誰もいないからである。子供の誕生と同時に、それまで成長した大人の男であるダンナに向けられていた関心は、当然ながら子供の方へ多くが向けられてしまう。しかしこの男は、それが俺は気に入らない、女が俺に対する愛情や関心を失ってしまうのは許さない、と言っているのである。

こいつは、いい歳をして随分情緒不安定だな、と思われた。そしていつまでも子供のままで居たいなんて、気持ちの悪い野郎だ。いい加減父親に、そして大人の男になるべく、成長したらどうだろう。しかも同じ事をもう二度も経験したというのに、失敗から何も学んでいないのだから、相当重症である。


ワタシは奴を放っておくことにした。四十を過ぎたコドモの男に周りがどんな説教をしようとも、そう聞く耳もないだろう。こういうのは一生こうやってほざいているのに違いない。母親の愛情を充分貰わないで大きくなると、こうやって自分の子供にまで嫉妬して、妻にすら怨念を募らせるのだ。全く教科書通りのサンプルである。



ワタシは初めのうち、同居人としてお互いを知り合う為にもと思って、交流を持つ機会を作る様心掛けていた。だからこの夫婦が夕食を一緒にいかがと誘ってくれれば、どうぞワタシの事はお構いなくと一応は断るものの、何度も勧められたら無下に断るのもどうかと思って、それではとご馳走になっていた。

そしてそれが度々続いたので、それが負担になってはいけないから、本当にどうぞお構いなくと言ったのだが、いやそんな事は気にするなと言うので、心苦しいながらもご馳走になり続けていた。

そこで週末などには、例えばカレーだとかパスタだとかを大鍋に作っては、さあ沢山作ったからご一緒にいかがですかと薦めて、出来るだけ「お返し」をするようにしていた。実際「借り」があるような気分だから、正直言ってこちらとしても負担だった。

しかしそれもひょっとすると、奴の長男としての責任感だとか情緒不安定の所為で、ワタシに「貸し」を作る事で奴なりに満足していたのかも知れない。もっと言えば、お前は俺に「借り」があるのだから、晩酌の時に俺の愚痴を黙って聞かなくてはならない、とか俺に関心を払わなくてはならない、とでもいうような、歪んだ優越感を感じていたのかも知れない。

というのも、ワタシが借りを返すと決まって、「いやそんなことをして貰う訳にはいかないだろう」などと言っては、更にワタシにご馳走してくれようとするのである。しかしこれでは、奴は良くても、結局奥さんの負担が増すばかりであった。

実際、後に怒鳴りあいになった晩に、やはり毎度食事に招待するのは負担だったと言われたのだから、それ見たことかという気分である。


その晩は珍しく奥さんもまだ食卓に付いていた。

つづく。


2005年02月03日(木) 蟹座の気違い男、その二

実際同居人になってみると、奴は本当にうんざりする程、愚痴の多い男だった。

大して酒に強くも無いのに毎日晩酌をしては、例の教育熱心で厳しい母親がどれほど自分を認めてくれなかったかとか、三人兄弟の長男としてどれほど自分が犠牲を払ってきたかとか、普段付き合いのあるニホンジンの若者たち(例えば某生臭)の軟弱振りは甚だしい等々、あれやこれやと愚痴を垂れ始め、それは止め処が無かった。放って置いたら、一晩中そんな繰言を続けていた。

要するに、奴は「同居人」というより、晩酌の相手をしてくれる若い二ホンジン女性が欲しかっただけなのである。「酌女」または「ホステス」。そういう事をヴォランティアでやってくれと言って理解する女性は、ニホンジンは兎も角、非二ホンジンでは中々いないだろう。「バーテンダー」だって、金を貰うからこそ、黙って酔客の愚痴も聞いてくれるのである。

そもそも「同居人」の定義は、「無償心理カウンセラー」とか「心理的ゴミ箱」ではないのだから、そういう事を当てにするのは土台から間違いではある。お互いの領域に踏み込まないのが、他人同士の同居の大前提である。


実際、「同居人募集」とメールが来た時点で、条件が奇妙だという事については、気付いていた。

それには「若い独身の二ホンジン女性限定」である事が明記されていた。奴はそれを、子供が小さいから若い女性の方が良いだとか、日本語を覚えさせたいから二ホンジンが良いだとか、もっともらしく当時は説明したけれど、これは結局「隠れ蓑」であった。子供をダシに使っているけれど、早い話がそれは自分の要望なのだ。

それからそこに住むに当たって、その同居する女性は奴の「妹」であり、暫く滞在しているのだという事にして欲しい、とも告げられていた。

後で聞いたら、同居人を入れるには相応の手続きが要る決まりになっていて、そうすると家賃が上げられてしまうから、こっそりやるのだと言った。随分せこいやり方だが、幾らアジア人の見分けが付かないとはいえ、容姿の異なる女性が代わる代わる入居してその度に「妹です」と言ったところで、ご近所の人々だって気付かぬ筈はないだろうと思う。

それから、平日の夕方から夜に掛けて、奥さんが小さい子供の世話で慌しくしている時間帯には、来客を禁ず、という決まりもあった。これは、奥さんが在宅の間は子供に掛かりきりで手を焼いていたから、実質的には客は一切連れ込めないのと同様だった。

ワタシにとっては、これが一番響いた。帰りしなうちへ寄って食事でもいかが、などと気軽に友人を招待出来なくなってしまったのだ。これは独身女性としては、致命的でさえある。


この他にも、実際入居してみると、当初の話と違う事が幾つもあるのに気付いた。

例えば、アパートの掃除は一切面倒見るから遣らなくても良い、その代わり自分の個室内と共有部分を使ったら後片付けだけはしてくれ、と言われた。

しかしそれではワタシの気が済まないから、ではワタシが入居するまでにバスルームとキッチンの掃除をしておいて下されば、入居後はワタシも日常的に掃除をやりましょう、と言った。過去に人が汚したのを掃除するのは嫌だけれど、一度綺麗にして「リセット」しておいてくれれば、自分も汚すのだから、気にせずまとめて掃除をする気になる。

しかし入居してみると、共有部分はどこも掃除をした形跡が無かった。特にバスルームは、一体何ヶ月間掃除をしていないのだろうと思わせる程にカビと水垢がこびり付き、埃が彼方此方に溜まってそのままになっていた。

これは数日様子を見たのだが、掃除をする気配が見られなかったので、仕方なくある日、ワタシはバスルームを一斉に磨き上げた。

どうやらこの家では、定期的に掃除をする習慣というのが無かったらしい。辛うじて、奥さんが手の空いた隙をみて床を化学布巾掛けするのが、まあ月に一度あるかどうかという程度であった。それ以外の掃除は、殆ど半年に一度とかいう風に、思い出した時にするようだった。

一番酷かった思い出は、靴箱の悪臭である。このアパートには、入り口を入って直の所に、靴と掃除用具や運動器具などを入れられる一寸した納戸のような小部屋があったのだが、この扉を開ける度に、例えようも無い悪臭が湧いて出てきて、何度か吐きそうになった。

貴方の靴はこちらへどうぞ、と区画を設けられたのだけれど、そこへ自分の靴を仕舞って臭いが染み付いたらどうしよう、と躊躇する程であった。それなら土足禁止になどせず、靴を履いたまま上がった方が、余程清潔なのではないかと思われた。



奴は自分の役目は、風呂掃除と子供を風呂に入れるのと週末の洗濯、それに朝子供を託児所に送って行く事であり、自分は二ホンジンのダンナにしては、随分家事を「手伝っている」ほうだ、などとよく自慢していた。

成る程、奥さんは毎日早朝から仕事に出掛けて行くから、託児所が開くのを待っていられない。こればかりは、ダンナがやらざるを得ない仕事である。

しかし奥さんが出掛けた後、子供が起きてきても、ダンナはいつまでも起きないでいる。夜中までネットの掲示板にせっせと書き込みをしたり、それに誰か返事を付けたかななどとそわそわしながら、逐一確認しにアクセスしているから、朝は中々起きられないらしい。自称「ネットオタク」である。

子供にはスナック菓子のような朝食を用意して、彼を食堂の子供用椅子に固定すると、テレビの子供番組を付ける。そしてさあ食べろと言い残して、父親は自室へ籠もる。そしてまたインターネットである。

子供は一人ぼっちで食べる朝食なんて詰まらないから、少し齧って、持て余して、そのうち食べ物とミニカーで遊び出す。そうこうしているうち、何かを床に落とす。奇声を上げたりする。それでも父親は、その間一向に顔を出さない。

ワタシが子供の声で起き出してきて、トイレに行こうと廊下へ出たりすると、あー、お姉ちゃーん!と叫んでいる。

いや、実は彼は言葉が遅くて、正確には「お姉ちゃん」とはっきり発音していなかったのだけれど、まあなんとなくそれに近い感じでワタシを呼んだ。

お早う、ご飯食べた?

彼は首を横に振る。

食べないの?

また首を振る。そしてお姉ちゃん、お姉ちゃん、と言いながら、おいでおいでをする。

ふむ、お姉ちゃんとしては是非遊んでやりたいところだけれど、他所んちの子供のしつけに無闇に手を出すと、後で面倒があるといけないので、気の毒だがここは心を鬼にして立ち去る他あるまい。

ばいばいをして、ワタシが用事を済ませ部屋へ戻ろうとすると、彼はみるみる肩を落として落胆している。

お姉ちゃーん… 

あーあ、そんな顔をするなや。お姉ちゃんも心苦しいのだよ。


ところで、ワタシはこの家庭の様子を見て以来、将来自分に子供が出来たら、食事は必ず子供と一緒に取って、家族皆で食べるのが当たり前なのだと体験させてやろうと思うようになった。そうしなけりゃ、朝飯は一人で食べるもの、皆は食べないけど自分だけ椅子に固定されて食べさせられるもの、という印象が刷り込まれてしまう。

同様に、寝る前の歯磨きも、自分だけ無理矢理されるものだと覚えてしまったら、習慣になる筈は無い。皆やるのが当たり前なのだから、君もやるのだよと教えてやらなければ、自立出来る筈のものも出来ないだろう。


しかしなんと可哀想な子供だろう。母親は自閉症の心配していたようだけれど、実際言葉が遅いのも、ああやって毎朝テレビを見せられながら一人で食事をさせられたり、また折角朝から働きずくめの母親が帰ってきて甘えられる夕刻が来たというのに、忙しなく夕飯を食べさせられ風呂に急き立てられ、さあもう寝る時間だよとベッドに追い立てられ、ゆっくり会話をする暇も無いのだから、さもあらんと言うべきだろう。

それにしても、この子の父親は本当に医師の免許を持っているのかと、ワタシには疑わざるを得ないような出来事は、度々起こった。

つづく。


2005年02月02日(水) 蟹座の気違い男、その一

この街に、彼是二十年以上住み続けているという男がいる。

奴は日本では、九州のある有名進学校を出て大学受験まではやったらしい。しかし某有名私立大学の政治経済学部*に合格したというのに、母親がそれでは納得せず、浪人して更に格上と称される某国立大学を目指せと言うので、頭に来てそれを放り出して、国外へ逃げてきたのだという。

(*政治経済学部というと、日本では「政治学」と「経済学」という異なる二つの分野というより、「政治経済学」というサブカテゴリー的分野を主に勉強する学部と思っている人が多いらしく、「政治学」や「経済学」のそれぞれの専門家の陰が薄いように思われるのは、嘆かわしい事である。)

それでこの国の某有名私立大学に入学して大学の学位を幾つか修めると、大学院へ進んでまた幾つかの学位を取った。そしてまた進学して今度はその上の学位を取得すると、上手い具合に医学研究の職が決まって、今では常勤教授の地位を与えられているという。

ちなみにワタシは元々、大学院に行ってまで、専門学位を彼方此方の分野から幾つも幾つも取るというような輩は、余り信用しない事にしている。

それはその人の専門性がおぼろになるので胡散臭いというのもあるし、また余りにも自分に自信が無いので、資格の数でもって自分に「ハク」を付けてますと言わんばかりの資格・学歴信奉またはその裏の過剰な自意識の表れにも聞こえるし、また以前何度か聞いた事のある、留学中に不治の病に掛かってしまって、そんな病気を持って日本には帰れないからと、外国で大学院の「ハシゴ」をする学生の話も思い浮かんで、何やら拠所ない事情があるのではとつい想像してしまう所為でもある。

まあそのあたりはさて置いて、ワタシはこの男とは、インターネットの掲示板を通して知り合った知人を更に介して知り合った。知り合いの知り合いである。

(ちなみにこの最初の方の知人が、「生臭坊主」である。こいつについては、後に詳しく述べる。)

当時、この「知人の知人」は、掲示板でも有名な嫌われ者で、その独特の偏見に満ちた投稿によって、人々から鬱陶しがられていた。奴が書き込む度に、いいからお前はもう出て来るな、などと苦情が幾つも書き連ねられる始末であった。

その掲示板はワタシも時折覗いたり、書き込んだりなどしていたのだけれど、彼はワタシの書き込みから何やら思うところがあったらしく、ワタシの事を随分気に入っていたようである。

というのも、ワタシは必要以上に喧嘩の相手を痛めつけたりやり込めたりなどしない性分で、また誰かが言い掛かりを付けていれば、それは理屈が通らないと弱い側に加勢してやったりするので、どうやらその辺りが、自称理論派の彼のお眼鏡に適ったらしい。これは後に起こった、予め持たれていた過剰な期待がどれだけ災いするか、という事を考えると、ちっとも嬉しくないのだが。

彼は知人(某生臭)経由でメールを送ってきて、そのうち直接個人的にやり取りをするようになった。

ある時のメールには、二番目の奥さんとその間に出来た当時二歳半位の息子と暮らしていた豪華マンションの一室を誰かに貸し出したいから、貴方のお友達の二ホンジン女性を紹介して欲しいとあった。

しかし如何せん部屋代が高かった。そのたった一部屋分の家賃が、当時ワタシが同居人と暮らしていた川向こうの2LDKアパート一世帯分に相当した。勿論それだけ豪華な所だからそれは妥当な金額なのだけれど、生憎ワタシの友人にそんな金額を払えそうな者はいなかったから、メールを転送する事自体憚られたが、一応心掛けておきますと返事をした。

そうこうしているうち、ワタシ自身に同居人問題が持ち上がって、結局そこを出て、金を返して貰うのにまた法的手段に訴えざるを得ない状況になってしまった。

それで、新たな部屋を探す事になった、という話をしたら、それならうちが開いているから是非いらっしゃいと奴が言う。ワタシはそんな高い部屋には住めませんからと言うと、希望者が無いので値下げし続けて、結局当初の三分の二まで下げたと言う。

しかしその金額なら、ワタシでも一人暮らしが出来る金額である。現に逃げるまで住んでいた初めての一人暮らしの部屋はそのくらいだったから、他人と暮らすのにそんなに出すのかと、ワタシは躊躇した。とはいえそのまま同居人と問題を抱えたまま暮らすのは限界に達していたから、仮住まいだろうが何だろうが、兎に角どこか探さねばならなかった。

彼は非常に熱心にワタシを勧誘した。貴方が入ってくれるなら、家賃はもう少し負けてもいいという。

結局そのディスカウントに絆されて、仮のつもりでお世話になる事にした。家賃には電気やガス等の使用料が一切含まれていたし、ケーブルのインターネット回線が使い放題という。またそこからなら歩いてどこへでも行かれる地区だし、ワタシとしては自力では恐らく一生住めそうも無いような豪華マンションの一室に、間借りとは言え住めるのだから、これは中々良い話ではあった。

つづく。


2005年02月01日(火) 「蟹座の気違い男」 端書

実は、以前に大雑把な下書きを書いて、書き終わったなり気が済んでしまった雑文がある。そして下書きを書いただけなのに、どうやらここへ載せたものとすっかり思い込んでいたらしい。

今回それをもう一度読み返して、少々推敲を加えたので、分割してまた掲載しようと思う。一寸「時差」が感じられるけれども、折角だからそのまま据え置く事にする。

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既に何度も述べているけれど、ワタシは自分が長年住んでいるこの街が好きではない。だからこの街については、敢えて紹介などしない事にしているし、また住み着くのは誰にも勧めない。尤もワタシなどが言わなくとも、ガイドブックやら在住ニホンジンらによるインターネットのサイトなどが乱立している世の中だから、知りたい人があれば、情報などは容易に見つかるだろう。

中には、住み始めて間も無いうちから、恰もその国の全てを分かった様に書き連ねているのもあるようだから困った物だが、だからと言ってワタシのようなひねくれ者のほざく愚痴などを参考にしていては、住まないうちから住む気も失せよう。

尤も、どこか余所の国に住みたいと思うような人というのは、他人がなんと言おうが構わずに住み始めてしまうものだろうから、そういう独立心とか自立心とかいうようなものを備えている人には、ひとつの情報としてワタシの意見も或いは参考になるかも知れないと思う。

随分前にも述べたように、この街には多くのニホンジンが住み付いている。中には仕事も無いのに、兎に角住んでしまえば何とかなるだろう、などと見切り発車をする輩も後を絶たないらしい。

それは法的に問題であるばかりでなく、それによって例えば不法就労などで捕まったり、他のニホンジンとのいざこざに巻き込まれた末謀られて移民局に通報されたりなどして、強制送還の憂き目に遭うのもいるというので、その辺りもよく考慮するが良いと思う。

聞くところによると、この様にして同胞を陥れる民族というのは、この街ではどうやら二ホンジンだけだそうである。

(ちなみにワタシの住む国では、現在移民局という名称の機関は無くなって、統括した別の名前になったのだが、ここでは要するにその系統のことを司る公的機関の意で使用する。)


この街のニホンジン・コミュニティは、日系企業を中心としてそれなりの規模がある。そして意外なところで意外な知り合いが通じていたりして、非常に狭い世界でもあるのが、少々ややこしくまた煩わしくもある。ここで言う二ホンジン・コミュニティとは、元々日系現地人を中心としたものの事だが、現地に帰化していない駐在や留学などの目的で短期間やって来た純二ホンジンも、その数が増えるにつれ独自のコミュニティを作り出している。

ワタシはこの街へ越して来て以来、いけ好かない同僚や訴訟をきっかけに知り合った一部の隣人を除いて、ニホンジンの友人というのがいなかった。そこでこれはいい機会だと、少しばかり接触を試みた事がある。

これは今にして思えば、大きな過ちであった。あの「気違い男」と関わる事になってしまったお陰で、忙しい最中にも関わらず、たった数ヶ月の間に、訴訟の一件以来またも夜逃げを決行する羽目になってしまったのだから、経済的心理的影響は多大である。しかもそれは、ワタシを人間不信にも陥らせ、同朋に対する不信感をまた募らせる一因にもなったのだから、これはもう充分な害を被ったと思っている。



「蟹座のがみがみガール」に続く、蟹座シリーズ第二弾、「蟹座の気違い男」について書こうと思う。ワタシがこの街で知り合った蟹座の奇妙な人々にはもう一人、「蟹座の気違いおねーさん」というのがいるので、気が向いたら大迷惑を被った蟹座シリーズ三部作となるかも知れない。請うご期待?

ところで、蟹座に該当する人々が皆頭が可笑しいなどと言っている訳ではないので、誤解をされないように予め断りを入れておく。

これは偶々、誠に偶然、ワタシがこの街にやってきて以来知り合った二ホンジンのうち、何故か蟹座が群を抜いて多かった事、彼らに共通する何かにつけて感情的になり易い性質が偶々尋常で無く、周囲と色々な問題を起こす人が多かった事、そして彼らとの問題が容易に、極端な形でエスカレートし易かったのにワタシが大変驚いたという事、などの極めて個人的な経験に基づいて述べている次第である。

この傾向がこの街に住む蟹座二ホンジンに共通事項であるかどうかについての事実関係は、社会学的人類学的研究を待たねばならないから、その点に付いては、ここでは関知しない事にする。

また「気違い」という表現は差別用語であると指摘する向きもあろうかと思うが、少なくともこれから登場する人物については、専門家の保護や監督無しに社会生活を送っているとこういう事をやらかすのだという好例でもあるので、敢えてそのまま使う事にする。

読者の皆様がこういう輩に出くわさずに、穏やかな暮らしを営まれる事をお祈りして止まない。


第一、相手の方が先にワタシの事を勝手に気違い呼ばわりして、周囲の人々にさんざん触れ回っていたのだから、そういう様子をワタシが「気違い」の沙汰と呼んではいけないという云われはないだろう。

と一先ず正当化しておく。

それからこの話には、 この間も少し述べた「生臭坊主」がひとり、登場する。


昨日翌日
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