- 2005年09月23日(金) 今日も昼寝をした。 誰もがそうであるように 私も、何かについて真剣に考えていると 決まって必ず眠くなる。 そういうときの目覚めは、けだるい。 また眠ってしまった、と夕方の部屋で起きるとき 孤独なような、タオルケットにくるまれて安心なような 世界から取り残されたような、それが嬉しいような 複雑な気持ちになる。 そういうときに脳裏に浮かぶのは、サバンナ。 なぜだかは、わからない。 ただ、サバンナの夕暮れの風景が思い起こされる。 - - 2005年09月15日(木) 自分が両親のどっちに似ているのか、自分でもよくわからない。 というより、当たり前だけれども、 両方に似ているんだろうな。 叔母が、お姉ちゃんには言わなかったけれど もう随分前になるけれども、3人目を流産した、 と話したとき、 母は「私に言わないなんて…」と絶句した。 ショックだったらしい。 私にしてみれば、大人になってしまえば 言わないことも多いだろうな、というくらいの感想しかない。 例え流産という悲しい出来事であろうと何であろうと。 そういうとき、私はつくづく母とは似ていない自分を 感じる。 そういえば、私も自分の入院を母に言わなかったっけ。 どうして私は、こんなにも母に自分の内面に 触れられるのを嫌がるのか。 あくまでも、フォーマルな対面しかしたくはない私である。 私が変わっているのかもしれない。 - - 2005年09月14日(水) 傷は消えるものだ、とあらためて思う。 まもなく、記念日となるはずだった日がやってくる。 あんなに悲しかったはずなのに いまはもうなにも感じない。 今年はめずらしくその日を前に思い出したけれども ここ数年は、思い出すこともなかった。 でも、消えない傷もある。 あまりに深くて、消せない傷もある。 じくじくといつまでも折りにふれて痛む傷。 それに気がつくと、 自分がいつまでも一カ所に立ち止まっているようで、 いつまでも、子どものままでいるようで、 いつまでも、成長しないままでいるようで、 傷の痛みもさることながら、 自分の幼さに辟易する。 雨の日は、そんな自分の幼さとついつい向きあってしまうから ちょっと疲れる。 - - 2005年09月10日(土) どうして私が、こんなにイライラしなきゃならないのか。 私自身のことではなく、*のことで。 ことのおこりは、*の仕事関係の人からの電話だった。 *が帰宅してから、その人が明日のお昼に会いたいと言っている と告げると、*はたちまち不機嫌になった。 またその人から電話があると思う、と続けて言うと *は一層不機嫌になった。 電話があっても取り次がないでくれ、明日は行くから、と 仏頂面のままで私に言った。 ほどなく、その人から電話がきた。 私は、ウソをついた。 *はいません。でも明日は伺いますと申しておりました、と。 私のウソはたぶん見抜かれただろう。 でも、見抜かれたかどうかなど、どうでもいい。 それよりも、 なぜ、私はいつもいつも*をかばってしまうのか。 そういう自分自身に苛立っている。 *が電話に出るのがイヤだというのは知っている。 でも、私だって電話でウソをつくのはイヤだ。 どうして、私はいつもいつも*をかばってしまうのか。 ウソをついてまで。 自己嫌悪に陥ってまで。 今夜も眠れそうにない。 - - 2005年09月09日(金) 母と私は、エネルギーの量が違うような気がする。 母は、パワフル。 いまでも。 私は、そうじゃない。小さい頃からずっと。 だから『合わない』と感じるのかもしれない。 ただ単にそれだけのことなのかもしれない。 - - 2005年09月05日(月) 自分が辛いときには、相手も辛い、と思うようにしているのだが どうしても、自分だけが辛い、と思いたくなる。 私のこういう、被害者意識は、どこから湧いてくるのだろう。 -
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