私の毎日 The past diary

2003年01月29日(水) 食べて〜

最近、連太朗があまり食べてくれません。
正確には食べないのじゃなくて食べながら遊んじゃって困っています。

コップやスプーンも自分で持ちたがります。
それはいいのですが、お茶はこぼれるわ
スプーンでグシャグシャ食べさせても
口より手が先に出て自分で何でも掴みたがり
テーブルにご飯をベターっと塗ってくれたり
こうやって自分で食べることとかを
覚えていくのでしょうけれどつき合うこっちとしては
お代官様、御勘弁を〜ってところでしょうか。

何度もブチっと私の頭の中で音がしますがグッと堪えております。
ハッキリ言って一日中、食事の度に憂鬱でした。
一日3食、食べる事で一日が終わってしまってる感じでした。
カズが帰ってきたら食事の事ばかり話して
あげくに八つ当たりまでしてました。

でも、こうなったら吹っ切るしかないと思いもうドンドン遊んでくれ〜
食べたくないなら食べるな!って気持ちを変えました。
すると食事の時間、遊びばかりに目がいっていたけれど
結構、食べる時には食べてるんだよねぇ〜。

最近、赤ちゃんから幼児へと変貌をとげようとしている連太朗。
私も変わっていかなくてはいけない時期なのでしょうね。



2003年01月25日(土) 大分の友人宅へ

3ヶ月ぶりに大分県宇佐市まで
同じアパートだったH家へ遊びに行きました。

大人はあまり変わりはないけれど
子供達と3ヶ月も会わないと成長ぶりに驚かされます。
3才になった啓タンはお喋りもちゃんと文章となっているし
私の着ている洋服を誉める事もできビックリしました。

弟の大ちゃんは連太朗と同級生だけどすでに1才8ヶ月です。
3ヶ月前は連太朗もまだ歩いてなかったし成長の差が大きかったけど
今では身長が少し大ちゃんが高いけど
体重は連太朗の方が重く対等に遊べるようになっていました。
そんな大ちゃんも夏にはお兄ちゃんになろうとしています。

子供達は車や列車のオモチャで遊んだり
家中3人でグルグル走り回り、何が面白いのか
3人で団子みたいに固まってキャーキャー笑ったりと
連太朗はとっても楽しそうでした。

カズが子供達3人と一緒にお風呂に入って暴れ回っていました。
広いお風呂は楽しいね。
途中、大ちゃんが泣き出してお風呂から先に上がりましたが
連太朗は最後まで啓タンと水のかけあいをしたりして遊んでいました。

それからみんなでお好み焼きを作って食べました。
一人、また一人と子供達は眠り夜遅くまでお喋りを楽しみました。
今度遊びに来るときにはまた子供達は成長してるんだろうなぁ〜。

次の日、啓タンが起きたら連ちゃんが居ないので
「連ちゃんは?連ちゃんは?」と連発してたそうです。
前回は、「連ちゃんは?」と泣いたそうですが今回は「また来るよね。また遊べるよね。」と前向きな事を言っていたそうです。

啓タン!連太朗と一杯遊んでくれてありがとう。
連ちゃん、大好きって言ってくれてありがとう。
また、遊びに来るからね。



2003年01月19日(日) 宇美八幡宮へ

さぁ、今日は何処へ出掛ける?
ホークスタウンのグラスランドで欲しい物があったので目的地を決めて
出掛けていると急に宇美八幡によりたくなり
予定変更で宇美八幡へ向かいました。

ここはネットで知り合った仲間5人で石をとり子宝祈願をした所です。
その5人全員揃ってめでたく妊娠する事が出来た神社です。
私もここへお参りしてから約半年後に妊娠発覚。
(もちろん、それだけじゃないけれど)

その時、預かった石と新しい石に連太朗の名前、性別等を書く
お返しは済ませていたので
今回は、二人目を授かれるように願いを込めて新しく石をとってきました。

カズは「連太朗の妹ができますように・・・」とお願いしたそうです。
私は、連太朗が無事大きくなってる事に
感謝とお礼を言いカズと同じくお願いもしました。
またこの石を早く返しに来れる日がくると良いなぁ〜♪♪

その後は、予定通りホークスタウンへ行き
グラスランドでガラスの赤ちゃんをもう一人増やしてあげて
(以前、阿蘇ファームランドのガラスのショップで
ガラスの赤ちゃんを買って願いが叶い
次の子の願掛けの為にもう一人分ずっと欲しかったので)

GAPでカズと連の服を買い(安かったぁ〜)
食事をしてマリノアシティ(アウトレットモール)へ行きました。
夜だったので観覧車キレイだったぁ〜。



2003年01月18日(土) 英語教室体験談

先日、パンフレットをとってきていた
英語教室(セイハ)の様子を見たかったので
夕方から近くの若松イオンへ行きました。

ちょうど少し外から様子を見たとこで
教室が終わり話を聞くことができ
すぐ後に始まるハロー教室(0〜3才)を体験させてもらいました。

その時間の参加者は2歳児二人(男の子)と
1才9ヶ月(男の子)と8ヶ月(女の子)の兄妹でした。
先生は日本人一人と外国人のアーネーストです。

時間は30分。
始め短いかなと思ったけど、この年齢には
持ちこたえれるギリギリの時間でちょうど良い時間だと思う。

内容は先生達と歌って踊って
最後に絵を描いてって感じでした。
絵はまだ描けないのでかわりにカズが描きました。
連太朗も始めてクレヨンを握り
みんなの真似してジロジロ何やら描いておりました。

連太朗は始めて触れ合う外国人にも
気にすることなくすり寄って行っておりました。
他の子のお母さんの所にも寄って行ったり
2才の子の後を追いかけたりしていました。

まだ喋れない連太朗。
その分、私とカズが思いっきり
「さに〜、くらうでぃ〜、」などと
先生に答えたりしました。

「はう おーだぁ〜ゆぅ?」と聞かれ
もちろん「いれぶん まんす!」と答えました。
英語で連太朗は「れんたぁ〜ろぉ〜」って感じ。
その後、バカ親夫婦はナリキリ外国人になったのは
言うまでもありませんが・・・

で、通うか通わないかは
もっと他の教室の様子を見てからって事になりましたが
通わせたい気持ちは強くなりました。
言葉の喋れない今の時期から始めるのって
とっても良いらしいです。

どこの親達も同じだと思うが
もしかして自分の子は天才じゃないか?って
とんでもない空想をえがいてしまっているはず!
もちろん私とカズもそうです。
「親に似ず連太朗はスゲー奴!」と信じて疑わないバカ親なのです。
きっと何年か後に「やっぱり私達の子やったね・・・」と
気付く日が来るとは思うけれど
それまで思いっきり、ある意味でバカ親でいたいと思う。

私もカズも自由奔放に育ってきたので
教育ママゴン&パパゴンにはなるつもりはない。
子供の進む道は子供自身で決めていくのだろうけれど
ちょっと、こうゆう道もあるよと教えてあげる事も大事だと思うし
色々とやらせてあげれる事はやらせてあげたいなぁ〜と思う。

余談だが、うちのじいちゃんは詩吟と剣舞を
連太朗に教えるつもりで張り切っている。
(じいちゃん、詩吟と剣舞の先生もやってます。)

まぁ、何でも挑戦出来るといいけど
¥¥¥もかかるんだよねぇ〜。
暖かくなったらベビースイミングも行きたいのに・・・



2003年01月09日(木) 男同士

連太朗、お父さん(カズ)が大好きです。

退院後はカズの後ろをトコトコついて歩いてばかりでした。
カズがトイレに入ればドアの前で待ってるぐらい。

泣きはしないので後追いとは違うと思うが
私の後なんか追った事もないのに…よっぽどお父さんが好きなんだね。
オッパイ欲しいときだけお母さんのとこに来るくらいで
寝かしつけもお父さんは上手です。

まぁ、男同士仲良くしてる姿を見てるのもとってもイイもんです。

そうそう思い出したけど・・・
入院中、売店のおばちゃんが
「連太朗くんの、この笑顔は一生の得やね。」と言ってくれ
「この前、お父さんにどんな育て方をしたら
こんなに愛想が良くなるとって聞いたんやけど
良い育て方をしたんやね〜。」と言われ
私は、どんな育て方したっけ?と何の事かわからず
「何て言ってました?」と聞き返したら
「私も妻も連太朗と目が合うたびに笑いかけました。」と言ったそうだ。

私は、「へぇ〜そんな事を言ってましたかぁ〜。」と言いながら
内心、可笑しいやら何か不思議な気持ちになりました。
カズの口からそんなもっともらしい言葉が出るなんて
この人も親になったんだなぁ〜と妙に感心してしまった。

お父さん、これからも笑顔で頼みますよ!



2003年01月01日(水) 初正月

元旦は、私の方の親戚でお祝い。
二日目に、パパの両親がお祝いの会を開いてくれました。
ちょうど、甥っ子の映思くん(長男家の子)も初正月なので
両家の両親・兄弟全員参加でバスのお迎えで「いこいの村」へ行きました。

みんなで御馳走を食べ大広間で子供達は大騒ぎ。
鯛の活き作りのワサビを連太朗が鷲掴みしたりと笑いの絶えないお祝いとなりました。

そのまま温泉でお風呂に入ったりして帰りカズの方の親戚達が集まり騒ぎました。


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ちぇる