書泉シランデの日記

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いろいろ
2004年10月31日(日)

今日は昨日に比べ、少し暖かく、犬の調子もまずまず。今年の冬は電気代を覚悟しないと。

あれこれ溜め込んだ手紙類、いっきに処理。目しょぼしょぼ、肩こりこり。メールの出せない相手は面倒くさい。最悪だったのが、息子のお稽古の先生への病気お見舞。出しそびれていたこともあって、結構苦労した。こういうときには、字のきれいな人はいいな、と月並みなことを思う。いくら雰囲気のある便箋を使ったところで、字がねえ・・・。

夕方、工房をかねた小さなアクセサリー屋さんを覗く。BGMにかかっていた弦のトリオがすごくよかったから、「誰の演奏ですか?」と聞いたら、待ってましたとばかりに、延々と古楽談義になり、歌手談義になり、あげくは、今度のポッジャーの公演チラシの写真は何年前のものだろうか、なんていう話まで。いつピアス売ってもらえるんだろう、と思いつつも、御用楽士の演奏は心が休まるよねえ、とCDを次々交換しながら、おしゃべり。たまたま、いくつか同じ公演に出かけていたから、いっきにお仲間気分になってしまった。息子にいわせると「クラ・ヲタのおばさんが盛り上がったりしては他の客が寄り付かないぞ」。

その息子は、大学生にはなったものの、クラスにもサークルにも講義にもなじめないで堕ちていくヲタ友達のことを心配している。心配するなんて案外優しいんだねえ、と思う。問題の彼の親御さんの心中は察するにあまりあるけれど、第三者としては、う〜ん、これは珍しくもなんともない青春の煩悶だよ。ヲタではあるが、まじめな坊ちゃんなのである。セルフイメージと自分のアチーブメントの差がつらいんだろうな・・・。


『椿姫』
2004年10月30日(土)

急激な寒さで、犬の体調×で、結局、今日は<誰かが家にいる>体制。一応しゃんとはしているのだが、呼吸数が多すぎるし、咳が気になる。たいした用事でもないときは、この冬は犬を出来るだけ一人(?)にしないでおこうということを家族で決める。来年の冬はもうないだろうから

というわけで、今、テレビで『椿姫』 (2002年@ブッセート)を見ている。ブッセートの小ぶりの舞台にゼフィレッリの演出、適当に現代的でしゃれている。ボンファデッリのヴィオレッタ、最初からお迎えが近そうだけれど、それ以外に文句はない。こうして書いていても、ときどき思わず画面に目が釘付けになりそう。

文句をぶつけたいのは、アルフレードのパイパーなる御仁。声質そのものは悪くないし、息も長く声量もあるのに、歌が下手。一本調子で陰影に極めて乏しく、ときどき音程も怪しい(私の耳もすごく怪しいけど)。田舎者の雰囲気は満点だけれど、でも芝居がうまいって感じもしない。見た目は・・・私は歌さえうまければ多少のことは我慢します。それにしても歌は、一生懸命歌えばいいってもんじゃないからねえ・・・、というわけで、集中して見る気を失った私。指揮者のドミンゴが絶対自分より下手な男を捜してきたんじゃないか、と疑いたくなる。

そう、指揮はドミンゴ。ずんちゃっちゃ、ずんちゃっちゃ、と垢抜けない。ヴェルディってもともとそう垢抜けた曲を書く人だとは思っていないけれど、それをいかに料理するかが指揮者なのかも。今日のところは、田舎の料理屋。

ジェルモンはブルゾン。ここはさすがに期待通り。そうアップにして欲しくはないけれど。ボンファデッリもなかなか負けずに、2幕目は上々。「プロヴァンスの・・・」をあそこまで聞かせてくれるとは思わなかった。万雷の拍手鳴り止まず状態ももっとも。


やっと終わった・・・
2004年10月29日(金)

やっと仕事が片付いた・・・・はぁ〜〜〜。

今月後半は忙しかった。
昨日今日はかなり殺人的だった。

今月は忙しい合間を縫って、結構コンサートに出かけたものだから、仕事が予定通りに進まなかった。今朝になって飛び込んできた仕事まであって、実際問題、今日は昼ごはんを食べるのも大変なほど時間に追われた。たいていのことは締め切り前に余裕で終えるタチなのだけれど(←気が小さい)、さすがに今回は必死で締め切りに間に合わせた。書類の不備とか、はんこがどうとか、ゼロが書いてないとか、線がひいてないとか、印刷は両面にしろとか、そういうの本当に苦手。事務処理がちゃんとできる人は、特殊能力の持ち主である。校正の得意な人にも尊敬のまなざしを送ろう・・・で、私は何が得意なんだ?

・・・私は単純な反復仕事が得意です。事務が出来ない代わりに、反復の手仕事にはかなり自信があるので、派遣社員になるよりは、内職をしたほうがよさそう。子どものとき、根気がない、とさんざん母に叱られたので、黙々と続けることがいつしか得意技になった。単純な反復仕事って、何も考えないで済み、心が鎮まって気持ちがいい。もやしのひげ根をとるなんてのも、その一つだし、庭の草取りもそう。

庭といえば、シャクトリムシ、元気です。少し大きくなった。犬の用足しに庭に出るたびに、ちょっと葉の陰を探してみることにしている。以前、自然解像度のある目を持とう、という生物の先生の文章を読んだことがある。何も難しいことではなく、身近な草や木や生き物の名前を覚えてみようというだけのこと。<知っているもの>を見つけて、見慣れれば、自然がだんだんよく(=詳細に)わかるようになるという内容で、今の理科教育はそういう部分を大事にしないからいけない、図鑑の絵をみて暗記するのにも意味があるんだというような趣旨だった。子どもを育てるうちに福音館あたりの絵本でずいぶん勉強させてもらったおかげで、確かにいろんなことを覚え、それ以来、かなり自然が身近に引き寄せられた。名前のわかる虫は多少気持ちが悪くても、生存権を認めてやりたくなる。










マンガって・・・
2004年10月28日(木)

最近そこそこ評判になっているとかいうマンガ家、よしながふみの作品を読む。・・・新しさがどこにあるのだろう?はてな?江国香織の小説みたいだ。考証の甘さが気になる。言葉使いといい、制度といい・・・。ジェンダーに限らず、人権一般への配慮の甘さも気になった。そのくせ、人権団体から何かいわれそうなところはきちんと絵を描かないで逃げている。しょせんその程度か。話の都合だけで障碍者を持ってくるなよ。

マンガオタクの息子を持つがために、マンガを読むときは、常に甘めの採点をしてやろうと思っているのだが、いくら甘くしてもいい点にならない。日々、しょせんマンガなんだから、と希望を持たない方向へと傾く。ストーリーが甘い分、せめて絵ぐらい新味を出してほしいものだ。大衆受けばかり考えていると、結局保守的な絵柄、お決まりの展開、あるいはちょっとだけお決まりをはずす程度にとどまり、すべて既存の枠内での繰り返しである。あるいは、そうやって幻を見させるのがマンガの役目なのか?

しかし、絵とテキストが縦横無尽にからみあうあの表現形態を商業主義的な大量消費作品だけに独占させておくのは惜しい。あのスタイルで、もっと描けるものがあるのではないか?という期待が捨てきれない。それが生まれてこないのは、読者の程度がしれているからか?いっぱしのマンガ読みを気取る息子を相手にしても、議論の奥行きのなさにあきれる。時間の浪費だったな〜、これから片付けないといけない仕事がてんこもりなのに。はい、仕事します


地震被災者のこと・・・
2004年10月27日(水)

新潟の地震被災者の方は本当に、本当にお気の毒。
このところニュースの時間にテレビを見ている暇がないし、新聞を購読していないので、世間さまほど事情通ではないのだけれど、冷たい雨と余震、不十分な食料や水、どれほど不安にさいなまれることだろうか。豪雪地帯で、ずっと家と畑を守ってきた人たちが、雪の季節を前に、なすすべもなく家を捨てて避難所暮らしなんて、どれほどつらいことか・・・今更ながらに三宅島の人の気持ちも少し想像できるような気がする。

不謹慎を承知で言えば、多くの犬や猫、鯉、小鳥・・・どうなったのかなあ。どこかに山古志村の牛の写真が出ていたような。

同じ地震でも被害の様相が神戸のときとはずいぶん違う。こうして地震の勉強が出来るのもいい気持ちではないけど、経験を蓄積し、共有するのも地震対策ではあろう。

それに比べると、目的らしい目的もなく、ふらりとイラクへ行った青年・・・頭がぼけてるんじゃないの?内戦は見世物じゃないのに。人の不幸を旅行者として見に行くという姿勢こそモラル欠如そのもの。へたれ男!

誰であっても命の重さには変わりがないとしても、助ける順序はあるんじゃないか?今助けてあげたいのは、地震被災者

そんなことをいっているお前はいつも遊び歩いているじゃないか?といわれそうだが、避難所で孤独と不安にさいなまれる心を支えるのは、きっとそれまでたくわえた美しいものだろう。私が被災したら、頭の中でさまざまな音楽が鳴るだろう、いろいろな書物の一節が思い浮かぶだろう。何が出てくるかは人によって一様ではないけれど、緑深い山間に咲いた花、小鳥のさえずり、渓流のせせらぎ、谷を渡る風、・・・さまざまな美しい思い出が被災者の心の支えとなりますように。


「拙者はバイオリニストでござる」 
2004年10月26日(火)

今日は本当にあわただしくて、夕ご飯抜きどころか、コンサートホールまで時計を見ながら走った、という有様。そうまでして何で行くんだ?と初台の駅を降りたときには自問自答。

でも、やっぱりまた行ってしまいそう。ヴェンゲーロフうますぎ。おまけにとっても誠実なエンタテイナー。

FAEソナタのスケルツォで開演。準備体操もなしで、流れに飛び込むような感じ。ピアニストはこの時点では、あらら・・・、でも後半はうまかった。その後、ブラームスのvnソナタ1番。私はブラームスがあまり好きではないのだけど、ぐいぐい引き込まれた。技巧的な曲でもないし、アマチュアでもこれがひける人はいる。でも、今日のヴェンちゃんのを聞いたら、「そうだよ、この曲はこういう骨太な陰のある曲なんだよ、ちょいちょいっとこぎれいにひいて終わる曲じゃないよ」といいたくなった。文字通り、一音たりとも適当にはひいていない。本格的なプロは手を抜くことはめったにないけれども、これほど音に没入してひく人はそうはいない。(二度と聞く気がしないプロはカントロフ。この人は×。)もうここまででチケット代の元はとれた。

後半、超絶技巧曲をトーク付きで次々と披露してくれる。このトークがまた面白いんだ。ヴィニエフスキー、パガニーニ、サンサーンス、クライスラー、と次々に繰り出す。顔をしかめてひくような難曲を涼しい顔どころか、微笑みながら楽しげにひいてくれる。まるで、幼稚園児がおだてに応じて連続逆上がりをしてくれるみたい。しかも、これが素晴らしいことだと思うのだが、超絶技巧がそれだけで突出せず、ちゃんと曲の一部になっている。私はへそ曲がりなので、曲芸みたいな演奏はバカにしている。でも、今晩聞いたのは、断じて曲芸ではなく、個々の曲のあるべき姿だった。よかったな〜♪

アンコールでひいたバッツィーニ「妖精の踊り」、こんなもん、遊びながらひくなよ〜、首つる奴が出るぜ〜、といいたくなるほど、愛嬌たっぷり。これってこんな楽しい曲だったっけ??(「妖精の踊り」は本当に超絶技巧曲の極地にあるような曲)

最後に「拙者はバイオリニストでござる、さらば!」とヴェンちゃんは舞台をあとにした。この日本語、かなりきれいな発音。

さすがにサイン会はなかったが、同行したオネエサマと出待ちをする。至近距離でヴェンちゃんの顔を拝んだ。もち肌で、らくだの目をしたロシア人。まだ29歳だなんて信じられない。どういうふうに老成していくのかしら。長生きして見守らなくっちゃ。




皇居潜入?!
2004年10月25日(月)

午前中、宮内庁書陵部の展示を見にでかける。

東京で最高の職場は宮内庁ではなかろうか・・・なにしろあの広い敷地で昼休みを過ごすことが出来る。都心とは思えないほど静かで空気がいい。皇居の周りをジョギングする人もいるけれど、そりゃあ、外より中のほうがいいに決まっているじゃない。

今日は月曜日で御苑の公開がお休みだったから、いっそう静か(公開されていても静かだけれど・・・大手門から北はねばし門の辺りまでお散歩すると◎)。一昔前は各地からの戦没者遺族会か何か、皇室奉仕団みたいな、農家のおばさんおじさん風の人たちが揃いの法被を着てよく庭の手入れをしていた。ボランティアだったのだと思う。でも、何年か前から、本当にそういう人たちの姿を見ない。高齢化とともに解散したのかしら。だから、今は結構芝に雑草が混じっている・・・植木屋さんは草を刈ってくれることはあっても、一本一本雑草を引いてくれたりはしないから。

肝心の展示は儀式関係のものが中心で、あんまりありがたみはわからない。藤原公任の『北山抄』を見て、千年の後にも名が残る歌人といえど、宮廷の役人だもんねえ、ちまちま儀式次第を記録してるのね、といささかわびしい。でも、公任本人にしてみれば、官人として存在することが本務だったんだろうな。朝廷儀式への参加が仕事である貴族たちも、儀式次第を大過なく行うことには神経質だったと見えて、動作の動線を示したようなものもあり面白い。

明治憲法発布の絵、一生懸命遠近法を駆使していることはわかるのだが、あまりにも未熟で、見ていると自分の目が不安になってくる。天井は四角いのに、部屋には角がなくて楕円。無理して洋画家を使わなくても、大和絵師でいいのに。住吉派の年中行事絵巻模本は江戸時代の模本といえど、なかなか楽しい絵柄でなごんだ。




・・・やっと地震のこと
2004年10月24日(日)

今日は午後から今までPCにへばりついて書き物。別に小説やエッセイを書いているわけではなく、仕事がらみの作文。これでは明日の朝、目がぱりぱりに乾いているに違いない。しかし、夫は実家へ行き、息子は部活のOB会へ
行き、ようやく休日に邪魔者がいない状態だったので、長いこと逡巡していたものを一気呵成に書き上げた。はぁ〜〜

大体、私は集中すると歯を食いしばるたちなので、口がこわばってしまうし、気がつくと奥歯が痛い。でもまあ、ここ2ヶ月あれこれ苦になっていた仕事が片付くのはめでたく、うれしい。あちらこちらの皆さんから格別のご助言を賜りまして、まっこと、ありがとうございます、である。

新潟の地震のことにも、ようやく頭が回るようになった。いやはや大変なことだ。新幹線もそうだけれど、上越本線なんていつ回復するの?関越も何とかならないと・・・。地方都市ゆえ土地にゆとりがあるから、まだよかったようなものの、復興となると、その広さがわざわいするような気もする。これでまた山間の村は過疎化がいっそう進むのかしら。大体もともとが十日町なんて雪の深いところで、まもなく冬を迎えるというのに、本当に被災者の方はお大変なことだと思わないではいられない。せめては少し落ち着くまで晴天の日が続くことを祈りたい。東京だってこんなに寒いのに、さぞや厳しかろうこと・・・。

今年は本当にひどい年。あの猛暑に加え、台風の多さ、そして地震・・・江戸時代なら飢饉の年に違いない。


五味文彦氏の講演
2004年10月23日(土)

日本中世史の五味文彦氏の講演を聞く。

声も通るし、内容もよく整理されていてわかりやすい。非常にわかりやすい、とはいわないのは、レジュメに使われる年号に西暦の注記のないものが多く、中世史に不案内な私には順番がわかりにくかったから。レジュメに余白がないのも嫌い。書き込めないから。

内容は、歴史と文学の接点、というか、紙背文書を文学資料の解読に使う、というもので、それ自体、新味のあることではないが、五味氏の手にかかると、私なんぞ<それだけのこと>と片付けがちなものが、いろんな方向へと展開の可能性を持つ糸口になる。なるほどね〜、と感心。<それだけのこと>から先を見通す力が大事なんだなと思う。しかし、その力を持つためには、「夜は飲んだくれて終わるので、朝6時から机に向かいます」という根性が必要なのである。総じて歴史学者には怠け者はいないような気がする。

もう一つわかったのが、五味氏が巧みなセールスマンであること。佐川急便のドライバーが配達と運転と営業をこなすことは知られているが、五味氏もそれが出来そう。研究と講演・執筆と宣伝。宣伝して売ろう、というところまで念頭にあるから、執筆にもおのずと夢がある?もしかして、今度これだけ売れたら車買い替えよう、な〜んて思っていたりして。

ともあれ、勉強になったし、昨今ひたすら敬遠されがちなお堅い世界に、こういう学者がいることはいいことだ。研究の余得として得た一般受けしそうなエピソードを面白おかしく語る人は時々いるし、彼らは彼らで全然悪くないけれど(○家さんとかね)、自分本来の仕事を一般に向けてしゃべり、宣伝して本を売ろうというのは、啓蒙的な見地から見て立派な姿勢ではないだろうか。これを商才に長けている、といってはいけない。

秋は千葉の岩佐又兵衛で終わり、と思っていたが、「明月記」の五島美術館もあるんだった・・・月曜日は宮内庁書陵部の展示だ・・・さすがに忙しい。五味氏は五島でも講演するみたい。藤原定家直属スポークスマンっていうとこか。


『たった一人の反乱』
2004年10月22日(金)

『たった一人の反乱』 丸谷才一

このあいだ『輝く日の宮』についてぶつくさ言ったのだから、もう丸谷才一を読むこともないのだけれど、一緒に借りてきていた本の中にもう一冊あったので結局読んだ。1972年(30年前だ!)「谷崎潤一郎賞」受賞作なのだが、はて、それほどの御作にや?

60年代の学生運動、街頭でのデモ隊と警察の衝突なんていうあたり、はっきりいって、これはSFなのだろうか、と思うほどの読み心地。丸谷氏のせいではなく、時の流れのせい。新宿西口地下広場でフォーク集会なんていうようなこともあったんだよねえ・・・。

とにかく、防衛庁行きを拒否して天下った主人公(3ヶ月前に妻を亡くす。子どものときから身辺の世話をしてくれた女中さんが彼の結婚後もずうっと一緒についている)が、若いモデル(大学教授の娘)と結婚したことで巻き込まれる大騒動が小説を形作る。つまり、モデル妻の祖母が殺人犯で服役後出所して、彼らと同居することになる。その祖母とくだんの女中と気が会い、祖母も女中も「彼氏」を作り、わけのわからんことになっていく。モデル妻もカメラマンと怪しい一夜を過ごすし、主人公も祖母のムショ仲間とキス程度までは到着。機動隊に石を投げる一般市民、催涙ガスで弾圧する機動隊、というような物騒な世相を背景に、恋愛を楽しむ老女、権威にたてつくカメラマン、直感的に自分たちを抑圧する力を知って反抗する者たち・・・<自由>を問いかけているのかもしれないけれど、で、それがそんなに面白いかぁ??

モデルという名札がついただけの幼稚な妻。あるいは彼女の幼さをいいたいがために、モデルと設定したか(これって職業への偏見)。モデルがモデルでありうるための精進はまるで言及されず、それどころか、<モデル>と説明されていない限り、彼女がモデルだとは到底読み取れない。モデル的肉体美を作中から感じられないのだ。・・・<女のかけない作家>決定

他の男と寝た彼女が最終的に「ぼくの妻として生きるしかないと覚悟を決めた」とあっさり片付けられるのも、ちょっとなあ・・・。1972年、女にはその道しかなかったのかね?

女中は惚れた男にそそのかされ、飲み屋をやるために退職するのだが、前半部でとても読者をひきつけるキャラなのに、途中からは作者にほとんど無視される。ストーリーの邪魔になったのかなあ。私はこの人が人生をささげてきた主家を離れる決心をする葛藤こそもっと語られてしかるべき、と思った。

大体、主人公の曽祖父が北陸政財界の大物だった、ということで始まるのだが、それも全体のプロットには十分生かされていないように思われる。30年前の丸谷才一って何だったのだろう?私が読み落としていることも多々あるだろうとは思うものの、もう一度読み返すほどの気にはなれない。つまらなさすぎ。いくら娯楽小説にしても観念だけで女を書いてほしくないなあ。どうしてこれが「谷崎潤一郎文学賞」なんだろうか?この程度に女を描き、女に反抗させるのがそんなにたいしたことなんだろうか?それがそうだとすれば、審査員の受け止め方の恐ろしい古さがあったとしか思えない。谷崎の描く女は実に凄みがあるぞ。

まあ、この程度に女を書いておけば、男は安心かもしれないね。



速水御舟展@山種美術館
2004年10月21日(木)

本題の前に : 夏にはアゲハの幼虫がたくさんついたミカンの木、今朝見ると、なにやら大きなウンコが葉っぱの上にいくつかある。アゲハのものではないし・・・と思って目を凝らしてみると、はい、しゃくとり虫発見。ヨモギエダシャクという種類らしい。気持ち悪くない方は写真をごらんあれ。アゲハがいなくなってから、アブラムシがたくさんつき、それに蟻が山ほどついて、いかにも新芽がいじけていたので、物置にあった期限切れの殺虫剤を散布。アブラムシ即昇天、蟻退散、あっというまに若葉が何枚か出て、枝も育って複雑な気分でいたところに、このしゃくとり虫。殺虫剤が残留していないといいけれど、ちと心配。

今日も本来なら富士山だった。そのために、もともと約束していた仕事をキャンセルしていたので、ぽっかり空白の一日となった。そこで、山種美術館の「速水御舟展」に出かけた。

何年か前、同じ山種で「炎舞」を見て、これが日本画?!と驚いたものだ。今日も出ていたが、炎に集まる蛾(蝶?)の壮絶な感じがする一枚。でも、今日のお目当ては、ポスターにも使われている「名樹散椿」。ゴージャスにして静謐な屏風。リアルなようで、よく見ると絶対リアリズムじゃない。日本画は具象的だとばかり思われているけれど、実は非常に象徴的な描き方をするのではないだろうか?「翠苔緑芝」もよかった。芝の緑が実にいい。

御舟は大観に激賞された人だそうだが、確かに大観の朦朧体?のように画面に水蒸気をうまく描いた(というか、のせたというか)作品もある。長生きして大観みたいになっていたとしたら嫌だな。時には早世もいいとちらりと思う。

とはいえ、晩年のもので、西洋画のような裸体スケッチが出されていた。こういうものを日本画としてどう完成させるかを提示しないまま、なくなったことはやはり残念。

月末に「新日曜美術館」で御舟を扱うので、なんとしてもその前に行っておきたかった。あの番組はどうも押し付けがましくて、えらそうでノーサンキュー。それにあれに取り上げられると、どっと混むのだ。

帰りは千鳥が淵にそった遊歩道を歩く。お堀のボートが、昨日の雨で湯船のように水がたまっていて、沈みかけながらかろうじて浮いていた。ホームレスの人が家財道具を干していた。薄気味悪いが、被害者にこそなれ、加害者になるなんていう自殺行為はしないと信じて、知らん顔で歩く。

この秋は、もう一ヶ所、千葉市立美術館の岩佐又兵衛を見ておかないといけないから忙しい。



『歌舞伎への招待』
2004年10月20日(水)

♪雨が降ります、雨が降る〜

台風はもううんざり。

青木が原で傘もささずにうろつくことだけは免れたが
(しかし12月に延期だと・・・)
不毛な会議におバカのじい様、やれやれ。

戸板康二『歌舞伎への招待』(岩波現代文庫)
50年以上前に書かれたものだから、言及される俳優は一人も現役ではない。
先代尽くしで、写真もよくないのだが、内容はオーソドックスでとてもいい。

一応、「花道」・・・「女方」・・・「荒事」・・・「小道具」「大道具」などと内容別に章立てになっているものの、全体としては随想風。でも、『招待』と銘打つだけあって、細かな薀蓄の披瀝ではないし、教科書的な知識の記述に終わることもない。いろいろな狂言を引き合いに出しながら、章の主題にあわせて、その芝居の見どころを語ったり、役者の芸談を紹介したり、というスタイル。思わず、「ふ〜ん、そうなんだ。今度見ることがあったら気をつけてみよう」という気になれる。

歌舞伎に限らず、古典的なものには手引きがあらまほしい。本当は「先達」がいるといいのだけれど、なかなかそうは調子よくいかないから、ガイドブックに頼るということになる。ビジュアルでもないし、知っている人の名前が出るわけでもないが、『歌舞伎への招待』は今まで見た何冊かの解説書の中でダントツにおもしろかった。当然のことながら、著者のキャリアや確かな目を感じる。渡辺保さんの書くものも悪くはないのだけれど、芝居を見ることに直結する快さは戸板さんの勝ち。


寒い!台風来るっていうのに。
2004年10月19日(火)

また台風が来るというだけでも十分嫌なのに、妙に寒くてうんざり。
寒い、寒いと思いながら、食後をぼーっと過ごす。片付けなくっちゃいけない仕事はあるのに何もしないでいる・・・職場で済ませばよかったのに、車で来ている人に同乗帰宅を誘われたので、やりかけで帰ってきちゃったから。

今年の夏はまるで緯度が下がったかと思うほどの猛暑だった。でも、この間の台風が通過した後は、むっと暑くなることもなくて、冷え冷えじめじめしていたような記憶。今度の台風のあとはどうなるのだろう。

本来なら明日から富士山エコツアーに参加する予定だった(趣味にあらず、仕事のうち。)台風のおかげでツアー中止が決まり、ぬれねずみになって樹海散策をする愚挙を目前に解放されたのだが、その代わりに押し寄せたのが会議であった・・・せっかく年休とってさぼろうと思ったのにさ。やだねー。

とにかく寒いのはごめん。雨も嫌い。山好きは雨に洗われた緑の美しさをたたえるが、どうぞどうぞ、私にお気遣いなく、である。

さっさとお風呂に入って寝よう。



声楽のレッスン
2004年10月18日(月)

声楽レッスン。
私が唯一続けている体のワークアウトである。

ボイス・トレーニングに重きを置いて教えてもらう。(練習をさぼるから暗譜で歌えるレベルに達していない。)今日は、後ろ向きに歩きながら発声練習。そんなこと出来そうな気がしないのに、あ〜ら不思議、やってみると案外いい声が出せる。背筋、とりわけ腰に近いあたり、の問題らしい。

床に仰向けに寝て、背筋を伸ばし、骨盤を開いての発声練習なんてのもあって、自意識のスイッチをオフにしないと務まらない。何がうれしくて、天井見て大声を出さなきゃいけないのか。・・・でも、大声が出せるようになるまで、何ヶ月かかかった。

そういえば、いつぞやはペットボトル2本(3kg)の入った袋を片手に一つずつ持たされて歌ったこともあった。これでオーディションを通らなくっちゃというような生徒さんだと必死だけれど、永遠の初心者を決め込んでいる私はお気楽そのもの。重かったけど。

私のようなヘボだけでなく、相当歌いこんだ人についても、肉体の使い方が本人よりもよくわかる、というのはすごいことだ。普通、楽器はお互い目に見えるところにあるから、やれ、ヒジをあげて、とか手首を回転させて、という注意もしやすいが、声帯だけは、教師にも生徒にも見えないところにあるのだもの。

そして、これが声楽教師なら誰にでも出来ることかといえば、決してそうではない。以前ちょこっと通った楽器屋さん系の声楽教室の先生はまるっきり発声を教えないで、適当に歌曲を歌わせてお茶を濁してくれた。今の先生は罵声も飛ばすけれど、いわれる通りに出来ると、必ず声が出るから怒鳴られても構わない。わが生涯初めての体育会系的レッスン

レッスンの翌日は、いろんなところに筋肉痛が出る。これはたぶん下手だから、余計なところに力が入っているのだろうね。


『縛られた村』
2004年10月17日(日)

『縛られた村』 朱 暁平/訳 杉本達夫

早稲田大学出版部で出している新しい中国文学シリーズの1冊。文革期農村下放青年の目に映った村人たちをそれぞれ主人公とする短編連作。下放青年の苦労話ではない。

村の生産大隊の隊長の狡猾さ。私腹を肥やすことがないではないが、まずは村のために知恵をめぐらす愛すべきずる男。

渡りの刈り屋に恋をする娘・・・美しく、かつ貧しいがためにそれまで義父のいいように利用され、虐待されている娘。彼女なりにあれこれ反逆を試みて、村の女からは忌み嫌われるが、ついに清らかな恋に落ちた。行き着く先は悲劇。

若いときは男気たっぷり、流浪の果てに故郷に戻った老人。農作業のわざとてなく、羊の番をしたり、石臼をひく牛の番をして暮す。ところが・・・。

そのほか、殺人犯容疑で村八分にされながら、幼い息子を育てる父親の話とか、茶碗焼き職人の話とか、縁組大好きおばさんの話など、全部で6話。切なく悲しく暖かい。

タイトルは、土地に縛られ、因習に縛られ、貧しさに縛られ、などの事柄を示唆するのかな。

作品自体に独創性があるとか、実験性があるとかいうものではないが、安心して面白く読めた。こういうことも小説にとって大事なことだと思う。田舎の農民の言葉がどこやら名古屋弁風(三河弁?)なのが、訳の新味といえば、新味。昔はこういうときは東北弁と相場が決まっていたけれど、この頃は差別観とのからみでなかなか大変なのではなかろうか。
★★



題なんかつけられないよ、くだらなくて
2004年10月16日(土)

ママ友達とランチ@白金。

4000円で懐石個室は昼とはいえ安いが、あのサービスぶりでは高○○庵が草葉の陰で泣いているぞ、とひそかに思う。自分たちのマニュアルを最優先する配膳は嫌いだ。話が盛り上がっているところに突然入り込んできて、お料理の説明。たとえ数秒でもタイミングを考えるのが心配りじゃないか?お料理で中断するのは何とか我慢するとしても、店のアンケート用紙を持ってきて記入してくれ、というために、お客の会話を中断させるのは一体なあに?会計の後、今日は満席で込み合っているから、お帰りの際はベルを鳴らせ、とな。お客のお見送りってお客が知らせてやってもらうものか?(で、ベルを鳴らすと、ちょっと待てっていわれた。好きなときに帰りたいよ。)つまりは4000円だからしょうがないか・・・。

本当はアンケートに書きたかったけど、幹事さんに悪いから、書かないできた。幹事さんが「何書いたらいいかしら〜」と困っていたから、「強要されることじゃないから、書かなくてもいいわよ」といってあげた。この人に書かせた日には、ほめ言葉しか書かないんだから。

それにしても、大学生になった子どもの話が尽きないのには予想していたとはいえ、驚く。そうでなければ食べ物の話。車の免許を取らせるために、子どもに相談せず、勝手に手続きをしたり、取得後は、毎週末30分ずつ同乗して練習させたり、と、その至れり尽くせりには脱帽。そうかと思うと、前期に何単位とって点数はなんぼ、と覚えているママもいたりする。一事が万事そんな具合で話が進む。このグループの外に出ると、私はいつも「あなたは子どもをかまいすぎ」と叱られるのだが、このグループにいると、私って子どもをホッタラカシにしてるわ、と思えてくる。仲間に入れてもらっているのが、幸か不幸か。優柔不断の田舎者であることを痛感する。

子ども以外の話題といえばグルメ一筋。最近とみに食べることへの関心が薄れた私にはついていくのが大変。・・・これってやっぱり有閑マダムの昼下がりかも。私は暇そうに遊んでいるけれど、実は忙しく遊んでいるんです。プラチナ通りのお店をコーミングするような暇はござんせん。


今日はバレエ 『ライモンダ』
2004年10月15日(金)

こんないい席、二度と座れないな、というくらい、いい席。たぶん招待券専用・・・とまず座席に感動。出し物は『ライモンダ』

10数年ぶりの生バレエ。最後に見たのは『くるみわり人形』だったっけね。もちろん美しいです。同じ人間とは思えません。(オペラにはまったときは「同じ人間なのに、どうしてあんな声が?」と思ったけど、バレエは別の生き物の芸術です。)

踊りは美しいのですが、オケはどうも今イチ、どころか2も3も不足しているような・・・特に金管。アタックが悪いし、くぐもってひきずるような、歯切れの悪い音。あれでよく踊れるといいたいくらい。

そんなこんなしているうちに、1幕目の後半、隣のおじさんの寝息が聞こえたとたん、眠気が伝染。たちまち、パ・ド・ドゥがパ・ド・カトルとなるような、つまり2人が4人になるような症状に見舞われた。いかん、いかん、というところで、休憩。

休憩時間に、偶然ロビーでバレエにはまっている「おねえさん」と出会う。「金魚歩きがすごいねえ」なんていうもんだから「おねえさん」からダンサーの一つ一つの技がいかに難しいかをこんこんと説かれる。「せめて手足の長さにでも感動しておきなさい」と叱られた。

幸い、2幕目、3幕目はひきこまれ、睡魔とは無縁に終わる。えらいもんだな、『ライモンダ』。オケがいいともっといいぞ。敵役がかっこよかった。ああいう人に誘われたら、何を着ていこうか迷う以前に、この体で行くのかい?と悩まないではいられない。それこそ六条御息所のように生霊で飛んでいかないと。生身の体では到底ご一緒できる自信はない。←ほとんど妄想。

バレエはここまでとして、妄想で思い出したが、『輝く日の宮』は源氏のみならず芭蕉のことまで、丸谷才一が自由に自説を展開したいがために、用意した器なのではないか。丸谷氏の才はたいしたもんだが、小説としてはこれは失敗作のように感じる。登場人物が最後にまるっきり無意味な存在に成り果てて、主人公の語った学説以外に何も残るもののない作品。小説という形に韜晦してあるが、実は結構真剣に取り組んで手にした結論に違いない。もちろん、いちがいに看過できるものではないし、示唆されることも多い。でも、それをなぜ小説に仕立てなくてはならなかったか、という部分で、私は丸谷氏を好きになれない。(出会ったこともないけど。)


『フィガロの結婚』ウィーン国立歌劇場日本公演
2004年10月14日(木)

そもそものお目当てはキーンリサイドの伯爵、キルヒシュラガーのケルビーノ、ハヴラタのフィガロだったのですが、ハヴラタは病気でフィガロ役はバンクルなる御仁。

くだんの2名は期待通り。そして、この間『ドン・ジョヴァンニ』を見てからマークしたムラーロ(本日はバルトロ)は、やっぱり芝居上手であることを確信した出来。(来春、新国立劇場でこの人、フィガロ役です。必見!)スザンナ役のライモンディ、お顔はかわいいのに、歌はイマイチ。転じて、伯爵夫人のイソコスキは歌はいいのに、お顔がノーブルじゃないので残念。気にもしていなかったマルチェリーナ役のグレゴリアン、とってもよかった。小柄なのに声量があり、声がきれい。

バンクルはかなり立派なおなかで、詰め物なしでも、ファルスタッフが歌えそう。バスバリトンの美声、声量たっぷりながら、惜しむらくはいささか一本調子で、フィガロならではの軽やかさを欠く。今シーズンのウィーンでは『パルジファル』のクリングゾルを歌うそうだが、そっちのほうがうんと期待できるのではないかしらん・・・。声量はありすぎるほどで、スザンナと掛け合うところでは、スザンナの声が相対的に小さい印象となり、聞いていてちょっと疲れた。

疲れる、といえば、会場のNHKホールは大きすぎて、舞台の歌手の表情がほとんどわからない。かつてそういう理由で大劇場を避けた歌手がいたそうだが、全く同意できる。特にフィガロのような作品は、濃密な心理劇なのだから、表情がわからないと面白さが半減する。表情を見るためにはオペラグラスを使い続けることになり、目が疲れるったらありゃしない。いろんな事情はあるのだろうけれど、『ドン・ジョヴァンニ』同様、文化会館でやってほしかった。(NHKホールでやると、PAを使ったの使ってないのと話題になることがあるが、今日は絶対使ってないことを確信。でも逆を確信している人もいるみたい。)

そうそう、皇太子も見に来ていた。警備がやけにものものしかったから、また小泉でも来るんかなあ、と思っていたら、皇太子だった。おつれあいはまだこういうところへは顔を出されないようで・・・。


チケット1枚で犬になる、ワン!
2004年10月13日(水)

思いもかけず、バレエのチケットをもらった。・・・元文部官僚の上司から。明日あさって連ちゃんの夜遊びになって、ちと家庭内での肩身が狭いが、「もちろん参ります!」と明るい返事。

チケット一枚で懐柔されてはいけないと思いつつ、オペラにも目のない彼にこの間のグルベローヴァの話なんぞする。なんと彼はウィーンまで追いかけるほどの「グルベのおばさん」の熱烈ファンであった。グルベ賛美のおしゃべりしばし。

かくして私は彼にちぎれんばかりに尻尾を振ったことになる・・・情けない・・・。

帰りの電車で『輝く日の宮』を半分ほど読む。昨年、モデル探しが話題になった小説。特定個人のモデルはいないようだが、そこそこありそうなエピソードが散見される。丸谷才一は才人で、器用だけれど、彼の小説に出てくる女はどうも好きになれない。妙に大人子どもなんだな。ご本人の趣味かしらん。それとも書けないのかしらん。彼の作品には、いかにもっていうようなエロスただよう女が出てこないのでは?

それに才気走った作品の割には、「遊び」を欠いているような気がしてならない。遊んでいる振りをしながら、その実、とっても周りの目を気にして遊びに集中できていないませた子どもみたい、といったら言い過ぎ?

まあ、そうはいっても、安心して読める小説であることは確かです。この先、どうなるんでしょうね。は、は、は。









『生きつづける光琳』
2004年10月12日(火)

『生きつづける光琳』玉蟲敏子

吉川弘文館


光琳受容の様相を述べた美術史研究家の著作。
光琳の魅力そのものを語るものではないが、光琳存命時から今にいたるまで、光琳がどのように脚光を浴びてきたかを資料をもとに丁寧に述べている。

18世紀、京の売れっ子デザイナーとして捉えるのは当然としても、意外なことに文人画家として位置づけられたりもしていた。そして19世紀、忘れられかけた頃、抱一が再評価し、江戸において復活する。明治になって、西洋人による評価、これはさもありなん、という感じであるが、その後、デパートによって好事家のみならず大衆に紹介されたというのは意外だった。しかも本朝におけるアール・ヌーボーとしての扱いも!戦後はメディアを通じてのさらなる大衆化の進展。明治のそれとは異る海外からの視座の提供。

こうなってくると21世紀の光琳評価がどうなるか、大変楽しみである。しかし、それと同時に、美術書がばんばん世に出せたような教養主義的な思潮はいまや期待できないのだから、大衆化も頭打ちなのではなかろうか、と私は思うが、玉蟲氏はそこまでは言及しない。

面白かったのは、「装飾」という言葉についての論考で、実はこれは美術を語る言葉としては、あまり古い用語ではないらしい。decorativeの翻訳語として使われ始めた=西洋人の評価の逆輸入とのこと。そして、それがその後の光琳の評価を縛ることになった。かねてから、美術品や音楽を言語で評価することの限界と矛盾を感じている私としては、とても納得のいく論考だった。著者が言葉を慎みつつ語るのは、この弊害から逃れようとするものだろう。

巻末の参考資料や文献リストが大変充実している。私にはあまり必要のない部分だけれど、何かのときに役に立つかも。

★★★


中国国宝展
2004年10月11日(月)

中国国宝展、中国人で仏教学の専門家の張さんと一緒。ものすごい混み方。ただし、いつものことながら、最初の一角を過ぎるとなぜか相対的にすいてはくる。

考古学的な出土品はどれも非常に状態がよろしい。・・・た〜〜くさん出ている中から状態のいいのが国宝になるのだろう。

一番の目玉は金鏤玉衣とやらで、小さな玉片を金の針金でつづり合わせて人型にした、ゴーレムのようなもの。大層なものではあるが、内心それがどうした、である。

もっと工芸品的な国宝があるのかと思っていたが、考古学的な出土品を除くと、ほとんど仏教美術である。チラシをよく見れば、確かにそう書いてあるが、よく見ないでいった私には意外だった。が、もともと仏教美術は好きな上、同行者が仏教研究者ので、なかなか面白かった。

仏像の顔つきがかなりいろいろ。大体、日本の仏像より笑顔が大きい。にっこり笑っている。考えているものは、結構険しい顔して考えているし、遠慮のない表現。張さんの解説では、しばしば「あ、これは少数民族の国家です。漢民族の国家ではありません」という文言が入り、そうか、中国は多民族国家なんだ、と再認識させられる。確かにそれぞれの仏像が作られた場所によっても、顔つき体つきが違ってみえる。雲南の仏像はやっぱり南方っぽい。

半跏の菩薩像もあり、中宮寺や広隆寺のものを思い出す。秋篠寺の伎芸天みたいなフォルムのもある。要するに日本仏像はコピーなんだろうな。そういえば、鳥毛立女のような絵も出ていた。

顔に痛みのあるものが案外多い。あるいは文化大革命の頃にやられたのかなと思う。目とか鼻とか・・・腕を欠くものも目立つ。

張さんは「共産党への信仰がなくなった現在の中国は信仰空白状態だが、根本は仏教国である」という。彼の故郷(河北省)のお寺(特に名刹でもない普通のお寺)は夏に座禅大会をやるそうで、学生が300人くらい集まるとのこと。仏像に対する畏敬の念も普通に見られるそうで、これから再び仏教信仰に回帰するのではないか、とのことであった。「それじゃ、あなたの仕事も繁盛していいわね」と茶々を入れてしまったけど、私は近代の中国と仏教信仰をあまり結びつけて考えたことはなかったので、少し興味がわいた。機会があったら、中国へ寺院と仏教美術を見に行きたいものだ。



『ドン・ジョヴァンニ』ウィーン国立歌劇場日本公演
2004年10月10日(日)

『ドン・ジョヴァンニ』期待以上に素晴らしかった!大枚はたいた価値大いにあり。そんなんで、家に帰ってきても頭の中で音が鳴ってます。これだから道楽の道は止められない。

しみじみこれはドンナ・アンナ(グルべローヴァ)のオペラなんだと感じました。グルベローヴァ、今日は彼女としての最高の出来ではなかったと思うけれど、それでも十分、他を圧倒していました。年齢を考えたらとうに盛りはすぎているのに、そんなこと作品中では微塵も感じさせません。ドン・オッターヴィオ(シャーデ)をはるかに凌ぐ表現力+声量。「私、死んでしまう」最高。

シャーデは「彼女の心のやすらぎこそ・・・」とか「恋人を慰めて」とか、いかにもモーツァルトのテノールという感じの難曲を歌ってくれました。声量がもう少しあるということなし、ですが、それはまあ、劇場が大きすぎるわけで・・・。(この間、「コシ・ファン・トゥッテ」をテレビで見て、初めてシャーデに惹かれたのに、今日、たっぷり聞けて大満足。今度は『魔笛』のタミーノ聞かせてよ。)

キルヒシュラーガーのツェリーナ大層かわいかったです。「ぶってよ、マゼット」よかったな。マゼット君はコリアンのイン=スン・シンというバス。田舎者の素朴な感じ一杯の熱演でしたが、ドン・ジョバンニと比べると魅力なさ過ぎ。残念ながら東アジア体型がわざわいする。

実は『ドン・ジョヴァンニ』の役ではドンナ・エルヴィーラが好きでした。最初にテレビで見たときの、バルトリの印象が強かったからかもしれないけど。今日のエルヴィーラ、シェルクはどこといって疵のないうまさでした。行動する女ドンナ・エルヴィーラ・・・でも今日はグルベローヴァの存在が大きすぎたわ。

しつこく書き続けますが、名前も全然知らず、全く期待もしていなかったレポレロ役はムラーロ。グルベローヴァがホームランなら彼は本日の三塁打。いかにもレポレロというひょうきんさ、たまりません。結構重々しい役もこなしている人のようですので、つまりは演技が出来る、ということでしょうか。この人のフィガロなんか聞いてみたいものです。

騎士長は最初と最後にしか出てこない役ながら、声量十分、堂々たるものでした。まだ30代前半、これからが楽しみのアンガー。ワーグナーは歌わないのかしら・・・。

さて、最後はタイトル・ロール、ドン・ジョヴァンニはトーマス・ハンプソン。そりゃ、この人、舞台栄えのする容姿ですわ。歌もうまいしね。でも、正直なところ、本日一番の凡打でした。

そうそう、指揮者は小沢征爾さん。指揮のよしあしは私にはさっぱりわかりません。だけど、オケの音に気づくとき、いつも、あ、きれいだな、という感じで気づいていましたから、上々だったんでしょう。休憩時間にピットを覗いたところ、そこにあったのは、ずいぶんとごついヴァイオリンでした。中欧的な顔立ちの楽器ばかりで、ふ〜ん、こんなんであんな繊細な音がでるのか、と。

結構奮発したチケットだったので、席も2階左ながら一番前、しかも、両隣なしという気楽な席。この次からチケットを買うときここを指定したいくらい。ただし音のバランスがちと悪いのと、一階席の騒音(飴の包み紙を開く音など)がびっくりするほど聞こえるのが難。(シャーデのアリアのときにガサゴソと騒々しかったのは誰だ!)


台風の一日
2004年10月09日(土)

台風、雑用や買い物は午後早い時間までに終わったので、あんまり実害はなかった、といいたいところだが、なんと出窓で雨漏りしていた・・・また<諭吉>が旅に出ることになる。ちょっと悲しい築18年。

買い物のとき思ったのだが、世間の人はなんで雨がひどくても長靴をはかないのだろう?地元のスーパーくらい長靴で十分だと思うのに、なぜだ?長靴はくと、水たまりが楽しいぞ♪

台風通過中は、犬の防寒着を縫って過ごした。私は裁縫なんてまるっきり得意ではないが、必要なもので、市販品が気に入らなければ作るしかない。簡単に入手できるのは小型犬のものだけだし、大きい子のは不当に高い。犬は毛皮着用だから、防寒着なんて本来必要ではないのに、心臓病の犬には温度変化が大敵だそうで、獣医さんの薦めで、しょうがなく作るハメに。幸い、出来栄え上々。手仕事の不得意な ― 工作用紙を見るだけで嫌になる息子からは驚異の技らしい。威張ってやった。(^^)v

家が築18年なら、ミシンは製造後30年。そもそも親が勝手に買ったもの。もっと軽いミシン欲しいな、と思うけれど、ズボンのすそ上げ、雑巾にせいぜい犬の服が営業品目ではとても新しいミシンに値しないこと、明々白々。欲しいといえばiPodも欲しい。天から<諭吉>、降ってこないかな。




『江戸人とユートピア』
2004年10月08日(金)

"the little flowers of saint francis" は出かけるまでのほんの少しの時間にぱらぱらと1話、お茶を飲みながらまた1話、という程度の時間で読め、しかも無学の者にもわかりやすい内容で、ふんふん、とばかりに今日も楽しめた。(ただし一度に何話も読むと飽きて眠くなる。)

本当に聖人のありがたい(としかいいようのない)、しかし同時にしょーもないエピソード尽くしなのだが、だんだん、こういうものも世の中に必要かもしれないという気になってきた。愚民教化臭ぷんぷんなのだが、神との交感を求める人間の真摯な姿(その階梯にある世俗との決別と滅私の善行、慈悲の行い etc...)を伝えることに意味があるのではないか。少なくとも、そういう話にそれなりに価値をおく人がいたのだ、ということが実感できる。

さて『江戸人とユートピア』(日野龍夫 岩波現代文庫)30年近く前に書かれたもので、荻生徂徠とか服部南郭、五世市川団十郎などを取り上げた論文集である。しかし、これほど血の通った感じのする論文集も稀有といえる。昨今、論文点数主義が大手を振ってまかり通り、論文のための論文が量産されるけれども、そんなものを10本集めたところで、本書所収の1本の重みにも敵わない。思うにご本人が昨年なくなられたから、文庫化して再び広く読まれることになったのだろう・・・ご存命だったら、いろいろ手を入れたいところもおありかもしれず、たぶんこの形での再版はなさらなかったのではないか。

本書で扱われるところの最も有名人、荻生徂徠とて、一般には日本史の時間か、倫理の時間に名前と古文辞学派という名称をなぞっただけで終わる。関心のある人は、丸山真男の論文とか読むのかもしれないけれど、そこではやはり<思想>だけが問題にされ、どんな人間がそう考えたのか、という生臭い部分は等閑視されがちである。しかし、日野氏の知見と筆力は見事に人間としての徂徠を描き出す。人となりを検証しつつ、その言動に目を向けると(つまり日野氏の筆にかかると)、徂徠先生のお言葉がにわかに息づいてくる。自信満々の鼻息の荒さと同時に、憤りの深さ、肥大する自負心・・・こうなってくるとまさにこれは文学の課題であろう。

というわけで、そもそも論文集とはいえ、それ自体がちょっとしたノンフィクションを読むような面白さがある。周辺知識があるに越したことはないが、なくても不自由はない。学問の成果を世の中に還元できるような論文集である。実際、ここまでやるのが学者の誠意というものであろう。自分たちだけでわかっていたって仕方がないじゃないか!


"the little flowers of saint francis"
2004年10月07日(木)

あれこれしているうちに日付が変わった。

犬のお守り(アッシジの聖フランシスコさまのおメダイ)を買っておきながら、聖フランシスコさま について勉強をしないのも、霊験がイマイチで終わるのではないか、と極めて現世的な理由で注文しておいた”the little flowers of saint francis"なる本が昨日やっと届き、ちょろちょろと気まぐれに読む。

他愛のないありがたいお話ばかりのようだ。ただし、何が little flowers なのか、まだよくわからない。何しろ、幼稚園からずっと税金でまかなわれた学校に通ったものだから、宗教的な素養が薄いのである。おそらくこれをきちんと読み終わることはないと思われるが、珍しいうちは少しずつ読むだろう。宗教用語はいちいち辞書を引くことになって厄介だけれど、敬語的な用法などもお目見えし、今日のところは面白くていい・・・この感想、ちっとも信心深くないなあ・・・

この間はダライ・ラマで今日は聖フランシス、私ってまったく日本人!明日はコーランでも読んでみる??


『やさしい訴え』
2004年10月06日(水)

『やさしい訴え』
小川洋子


『博士の愛した数式』が借りられなかったので借りてきた一冊。なかなかよく出来た恋愛小説。

ハーレクイン・ロマンスみたいなI wish I were...満載の恋愛小説はどうやっても勘弁して欲しいのだが、この作品は夫に裏切られた女性が一人で歩き出すまでの微妙な心理が丁寧に描かれ、読んでいて気持ちがよかった。道具立ても手が込んでいて―仕掛けに気が付くとちょっとうっとうしくもあるが―無駄な飾りがない。

それにしても、バツイチのチェンバロ製作者♂×二股かけていた恋人を女に殺された助手♀×主人公♀ という三角関係を鬱陶しいものにしない筆力はさすがだと思った(こう書くだけでも私には鬱陶しい)。さわやかというのでもないが、まあ、現実はそんなもんだよって。頑張って生きていこうねって。こうやって納得できる恋愛小説は案外少ない。

ここに出てくるのは絶対チェンバロじゃないとだめ。音楽の使い方もお見事。(音楽を使う小説ってどこか作者の衒学趣味が顔を出したり、安っぽい憧れを喚起させるに留まることが多いという印象なんです。目下某大新聞に連載中のはどうなるか?)

生々しい状況なのに、どこか無機的な雰囲気があるところもいいな。

林某さんあたりが書く、読者の世俗的な欲望とタイアップして読ませる小説とは大違いです。

写真アップしようと思ったんですが、文庫本の写真しかなくて残念ながら止めました。だって、単行本の表紙のほうがいいんだもの。 
★★★




『ダライ・ラマ その知られざる真実』
2004年10月05日(火)

『ダライ・ラマ その知られざる真実』  

ジル・ヴァン・グラスドルフ


ダライ・ラマという人は不思議な魅力のある人だと思う。
果たしてチベットがわけのわからんことにならず(中国の干渉を受けずに独立国として存続できていたら)、ダライ・ラマがポタラ宮の主としてチベットに君臨していたら、こんなに魅力を感じさせたのだろうか?

チベット仏教の考え方で行けば、転生の生き仏であることも、インドで長期の亡命生活を送ることもすべてがダライ・ラマのカルマだ、ということになるのかもしれないが、それでもやはり、少年時からの過酷な運命があのおおらかな(印象のある)頼もしげな高僧を形成したのではないか、という俗人の思いを新たにした。



この本は副題から予想されるような個人的暴露本からは程遠いもので、むしろ一般的にあまり知ることのない近代のチベットの政治システムを紹介し、世界の動きに気を配らず、政争に明け暮れる支配層の腐敗を語る。そして、その一方で宗教と生活が何の矛盾もなく同居するチベット人の暮らしを紹介する。醜さと清らかさが不思議に同居している場所のようだ。そんな中でダライ・ラマ13世が死に、転生者として現ダライ・ラマ14世が発見され、成長し、わずか15歳で君主即位、その後は周知のごとく、中国共産党に国を追われ、ヒマラヤを越え、インドに亡命政府を樹立、今に至るまでの道程を描く。

ダライ・ラマ本人だけでなく、その一族の様相―それぞれがチベットのためにさまざまな立場で力を尽くす―が興味深い。高僧の転生者だといわれた兄弟があっさり還俗することもあったりして、チベット仏教もなかなか融通無碍な部分があるみたい。また、パンチェン・ラマ10世との霊的な信頼関係も、これまでパンチェン・ラマは中国共産党の傀儡だと思っていた私には、へぇ〜であった。ノーベル平和賞なんかもらって、世界行脚に余念のないダライ・ラマと思っていたけれど、どうして、どうして、なかなか危ない毎日・・・亡命政府内の不協和音のみならず、亡命チベット仏教各宗派間の争い、世代間の問題、新たな転生者のことやら何やら、ご本人の命さえ暗殺者の餌食になりかねない。(大体、歴史的に見ても菩薩の化身であるダライ・ラマを暗殺することなんか平気なチベット人。わからんな〜。)

かくもわからん境遇であのような魅力を放つダライ・ラマ14世はすごいおじさんである。以前にダライ・ラマによる「入菩提行論」の解説書を読んで、この人の説くことは、抹香臭くなくていいな、と思っていたのだが、これでまたはまりそう。
★★★



コシ・ファン・トゥッテ
2004年10月03日(日)

昨晩の『コシ・ファン・トゥッテ』はなかなかの出来でした。演出は割合オーソドックスで、いつぞや見たベルリン国立歌劇場のやたらモダンで猥褻な『コシ』とは大違い。ソリストが本当に粒ぞろいだったと思う。とっても安定した歌いぶり。重唱が実に美しい。おまけに視覚的にも◎。テノールのシャーデ、これからきちっとマークします。でも、何か知ってるような名前だなあ、と思ったら、手持ちの『マタイ受難曲』で福音史家を歌っていました。ビデオを撮り損ねたのが残念。まあ、こうやって放送するのはたいてい正規のDVDが出るし、ビデオを見返すことなんてほとんどないのだけど。

『コシ』は例によってくだらない筋書きだが、ときどきどきっとするような台詞があるから、台本のダ・ポンテも隅にはおけないね。長広舌ばかりが能じゃないさ。

今日は冴えない一日だったので、何度も昨日の『コシ』のことを考えた。『コシ』は生で見たことがないのよね。超優秀な歌手を6人揃えるのが難儀だから、あまりかからないのかな?大掛かりな仕掛けは何もいらなそうなんだけれど。



モーツァルトはウィーンでいいよ
2004年10月02日(土)

読書日記なんていう登録、やめようかな。

『チベットのモーツァルト』中沢新一、3分の1ほどで挫折。

クリステヴァ論なんてちいともわからん・・・数学が出てくるともう素養のなさが露呈してしまう。頭が後ろを向く。息子に言わせると、実数論をちょっとかじっただけの援用だ、挫折するほど難しいこといってるわけじゃない、みたいなことになるのだが、う〜ん、そういって、親を笑うお前は実数論なんてわかっているのかね、オタク君よ。

私はダライ・ラマっていう人に興味があって、チベット仏教に興味があって、なんだけれど・・・。

この本は83年だったか、出版当時、結構話題になったと記憶している。けどさ、みんなちゃんと読んだの?って聞きたいよ。あの頃はまだこんな本が話題にできるほど、教養主義の残滓があったってこと?いつまでもハリ・ポタなんて言っている今とは大違い。

途中で投げた私がいうのは何だけど、中沢新一がえらい、と思ったのは、オウム事件で不用意な発言をせず、無傷であの時期を通過したこと。この本の最初に「ポア」なんて言葉が出てくる。オウム事件では、当然、マスコミの取材がわっと中沢にいっただろうに。そこへ行くと島○先生はちょっとヘマをしたね。

おっと、今晩はテレビで『コシ・ファン・トゥッテ』だわ。私にはこちらのほうがはるかに大事なモーツァルトでやんす。





チョコレートをめぐって
2004年10月01日(金)

ドゥバイヨルのチョコレートを夫が買ってきた。丸の内OAZOの通り道にあるので、買って来るようにと頼んでおいたのである。丸ビルの地下の店は、わざわざ立ち寄らないといけないが、OAZOの中を通って通勤しているといったのが運の尽き。

おいしいです。

チョコレートといえば、テオブロマも相当気に入っていて、板チョコは冷蔵庫に常備状態です。チョコレートケーキもなかなかおしゃれで贈答品として活躍する一品。(広尾店はちょっと気取っているけれど、本店は値段以外は庶民的かも。)私はどっちかというと、板チョコのおいしいのが飽きなくていいんですが、夫の話ではドゥバイヨルに板チョコはなかったと・・・。そうだっけね?

ついでに書けば、東京駅の大丸地下ヴィタメールのブラウニーはお値打ちで、これも夫が私の機嫌取りに買ってくるものの一つ。ここの板チョコもおいしい。

この間、六本木ヒルズのチョコレート屋(名前忘れた)さんで友達とホット・チョコレートを飲んだ。『チボー家の人々』を最初に読んだとき(30年以上昔)、ジャックがチョコレートを飲むという場面が理解できなかった。ああ、これだったんだなあ、と得心。私は翌日早速大にきび(吹き出物)が出来たけれど、若いジャック君は大丈夫だったのかしらん。私と一緒に飲んだ、もう若くない○子ちゃん、大丈夫だった?

ここまで書いて、そうだ、これは読書日記であった、と思い出し、チョコレート本のことを書くことにする。Hershey'sの"Chocolate Treasury"チョコレート菓子の料理本。チョコレート色の装丁といい、中の写真といい、思わず匂いをかいでしまいそうな一冊(匂いつけて売ればいいのに)。ただしどのレシピも試したことはない(恥)。見るだけで十分幸せ。

もう一冊本棚にあるのは、サンドラ・ボイントンのイラスト本"Chocolate :The Consuming Passion" もしかしたら誰かにもらった本かもしれない。チョコレート喰いにはぴったりのふざけた薀蓄満載。





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