Amitie Diary

2005年09月27日(火) 秋ですね

しばらく間をあけているうちにすっかり秋になりました。

お客様にブレンドしていただいたフラワーエッセンスがうまくマッチしたのか、しばらく時折私を悩ませる感情に左右されることなくすごせていました。それで私は元気なのですが、チビマル(ネコ18歳)の方がちょっと元気がなくて、あれこれあれこれ気を遣う毎日。単に年のせいで足腰が弱くなったのか、どこか悪いのかわからないのですが、急に後ろ足が弱くなってしまい、よろけたりするのです。
本にゃんも、季節の変わり目か、思ったように足が動かないのがもどかしいのか、なんだかとてもしょんぼりしているように見えるので、余計目が離せません。高幡と八王子を往復している合間に、ネコを観察、ヒーリングを試みている毎日です。(いつ主婦しているんでしょうね、ホントに。)

こんな風にネコもセンチメンタルになっちゃう秋、人間がちょっとそんな気持ちになるのも当然かもしれないと思いました。

さて、最近の私の関心事は、やはり、アロマのオイルトリートメントとエネルギーワークをどう効果的に組み合わせていけるかな・・というところです。
基本的に体の外側の「気」をチェックしてはたらきかけるセラピューティックタッチとトリートメント中に直接、気の停滞というか蓄積(おそらく)を感じることとの相関性があいまいだったり(感覚がまだ洗練されてないからでしょうが)、トリートメントの時間では対処し切れない場合が結構あったりしますので。
気の停滞の感覚があると、これは本来どこへ行くべきものなのかと思い、その道筋の経絡を知る必要性などもいままでに増して感じます。
そんな興味から、
「タオ、気のからだを癒す」(遠藤 喨及)
「気と身体」(片山洋二郎)
今、ちょこちょこ開いている2冊です。それぞれ指圧と整体の先生です。
具体的な技術はもちろん本からお手本になどできませんが、そういうことではなく、「気」に対する考え方・哲学に共感できる名著です。



2005年09月08日(木) 音楽がやっぱりいいナ

台風の被害大変です。お見舞い申し上げます。
日曜日は、世の中の出来事知らずの日記で、申し訳なかったです、反省。

その日は、多摩センターの永山名店街の秋祭りのイベントで唄わせていただきました。
会場は、子供たちが輪投げをして遊んでいたり、お年寄りの方々が仲間同士で楽しくお酒を飲まれていたり、ほのぼのムードな感じ。
前日夜は、多摩ドリームジャズオーケストラの演奏で盛り上がったそうですが、日曜昼の演奏はいろいろで、バンドは、オールディーズあり、ベンチャーズあり、そして私は鍵盤を弾き唄わせてもらい、それから和太鼓の演奏などもありました。

楽しく気持ちよく演らせていただきました。自分の父かそれよりもご年配の方が何人か、わざわざ感想を言いに来てくださって、それもとてもうれしかったです。多摩ドリームジャズオーケストラ(http://www.tama-dream.com/)のバンマス佐藤さんが機会を作ってくださり感謝しております。
活動の仕方のヒントもいただきまして、もっと上手くなって、レパートリーも増やし、ぜひ教えてくださったようにやってみたいです。

通勤していた頃より時間ができて、音楽もそろそろやりたい・・と思っていたところなので、8月のアートフェスティバル、そして日曜日の演奏でさらにモチベーション、あがってきました。
自前伴奏いやいや弾くのはやめて、ピアノの練習と伴奏をちゃんと創り、間奏などのフレーズも自分で考えるようにしようと・・思い始めました。
ちょっとだけクリエイティブなことに挑戦してみようと自発的に考えてる、この心境の変化は自分でも驚きです。

それに、音楽をすることは、自分自身の健康(ココロの・・ですね)のためにもすごくよいことだとまた始めてみてあらためて感じたし、仕事の方にも絶対よい影響があると思うのですよね。

そんなわけで、次は・・・日野市の文化祭にでてみようかなと思っています。
まずは、数こなして慣れ・・から。



2005年09月04日(日) また歌える

台風は関東の方へ向かったこなかったようですね。助かった!!
今日は、昼間の時間、アートフェスティバルの縁で、また歌えることになり、緊張しながらも楽しみにしています。

多摩市の永山の方のイベントだそうですが詳しいことは不明、とりあえず言われた時間に道具を持って行ってみます。
どういう場所なのかもよくわかりませんが、要は、うたえるとなればどこへでも出て行くということかな。(いつもやりたきゃもっと高めろ・・という話もありますが。)
でも今日は、なんとギャラもいただけると云うことだそうなので、張り切り度合いがちょっと違うかも。〜このときだけ、バンドじゃないことラッキー!

お金がもらえるからというより、なんでもそうですが、些細なことでも自分の持っている何かややっていることに、価値をもって扱ってもらえるというのは、ホントにうれしいということですね。

それでは、今日はがんばってきます!



2005年09月02日(金) ワークショップ

思いがけなくヒーリングのワークショップに参加させていただきました。
フラワーエッセンス、アロマ、エサレン、鍼灸・・いろんなテクニックを使う人たちが集い面白かったです。
講師は、アドラーコリンズ慈観さん。(名前の通り、優しそうで風格のあるお坊さんでした。)
高野山で得度されたイギリス人の僧侶であり、日本の(公立)大学で唯一初めて正式な講座として看護学生にヒーリングを教え、そしてヒーラーとしても活動されていらっしゃるという。
〜重大な病気にかかっている人たちに対してヒーリングをされていらっしゃるようです。
プライベートで開かれる講座は、午前10時から午後10時までの予定になっており、このスケジュールにもびっくり。おそらく「ヒーラーさんの集まり」に自分が行くのも不思議な感じがしましたが、めったにない機会と思い、興味深々でかけました。

気功・ヒーリングのワークです、と言われていたので、身体を動かしたり、瞑想したり・・なのだろうと思いきや、ワークはほんの少しで、あとは車座になりはなしです。しかし、次から次からなされる問いかけに、どう答えていいのかわからない。「スペースとは(禅問答か)。」「ヒーリングとは。」「なぜヒーリングが必要なのか。」「(五感について)目では何をする。(またしても禅問答)」「触れるとは。」「なぜ浄化が必要なのか。」・・・。情けないけど、困っていました。(私って空っぽだ・・。)

あまりメモもとれなかったですが、残った言葉少しだけ。

「他人を癒す(ヒーリングする)ことは出来ない。」
相手のことは、限定された自分の世界からみている。結局、そこでは「自分の痛みや悲しみ」を相手に映し出しているのにすぎない。
ヒーリングはつまり自分自身を癒しているということ。

「ヒーラーは怪我をしたときのギブスの役割」
治すのはその人自身の力。

「ヒーリングに道具は本来いらない。」
セラピーはすべてあなた自身の中にある。
相手と周波数が合えば(同調できれば、共鳴できれば)ヒーリングは瞬時に起こる。だから、アロマセラピー・フラワーエッセンスetc・・は、クライアントとセラピストをリンクする道具にすぎず、その必要性は、与える側が価値を与えてはじめて発生しているということである。

私にとってのこの時間、(実は、ずっと本当はできたらそうしたかったのだけど)トリートメントに、ヒーリングという要素をとりいれていくにあたり、もういちど、整理してよく考えなさい・・と言われたようでした。


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