まみいの日記
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2005年10月14日(金) 旅も終わり

夢のような7日間も一日一日と過ぎ去って とうとう日程はすべて終ってしまった。
もうあした行くところは無い・・という寂しさ。

毎日毎日荷物を作り 朝早く起きてあちこちめぐり歩き 美味しいものを食べ まずいものも食べた。
ツアーの中のいろいろな人と出会い 現地では片言の会話で楽しい思いもしたし 通じなくて悲しい思いもした。
帰ってきて地球儀を見ると さすが半日の時差がある国で遠い。
無事に何もなく元気にまた日常生活に戻れたことがうれしい。
何年もかかって実現できたこの休暇で 知ることの無かった国を訪れ人生の中の何日かを過ごしたことは忘れられない。
私の頭の 体の 心のどこにでも何らかの跡が残っているとよいのだが・・。
次の旅行は何年後?


2005年10月13日(木) そろそろ・・・。

ナイヤガラ・オン・ザ・レイク
ナイヤガラ滝の20km下流にあるビクトリア調の街並みを残す楽しい空間だ。
滝のあまりの大きさ怖さ珍しさに茫然自失していると 突然夢の国に迷い出たのではないかと眼をこする。
毎年5〜9月にはバーナード・ショーの作品が上演される演劇祭が開催され 観光客でおおいに賑わうという。
おいしい紅茶のお店・手作りジャムで有名なお店・一年中クリスマスのお店・英国皇太子もお泊りになったというホテルなどどれもかわゆく素敵で お店の雰囲気を生かした前庭の花壇作りが何気無さそうで実は凝ったものであった。

真冬の凍結したぶどうから作ったアイスワインが珍しい。
非常に甘くたくさんは飲めないが 食後に冷やして小さいグラスでいただくのだそうだ。
こちらはそろそろ日本のビールが恋しい〜〜


2005年10月12日(水) ナイヤガラの滝

ナイヤガラは世界三大瀑布と呼ばれ南米イグアス、アフリカのビクトリアと並び賞されている。私はやっとナイヤガラを見ることが出来た。
その迫力からできることなら後の二つも見たいものだと願う。
滝はカナダとアメリカの国境に位置し エリー湖からオンタリオ湖に注ぐナイヤガラ川は川なかにあるゴート島によってアメリカとカナダに分けられる。
今から1万2千年前の氷河期にこの滝ができたといわれている。
現在のカナダ滝がある11kmも下流にあったと調査の結果わかった。
落下のエネルギーでどんどん崖を削り 勿論それは今も続いている。
しかしカナダはその美しい馬蹄形が壊れてしまうのを恐れ(なおかつ 観光名所が後退し動いてしまうのはあらゆる面で困るから)今はその水量を調節しているという。

バスから降り立った時とうとう雨になったのかと思った。
滝のすぐそばにある展望台テーブルロックに行き着くまでに 傘がなかったらずぶぬれだ。
落下する勢いであたりは水煙というか まるでシャワーのようにしぶきがかかる。
ゆったり流れていたと思った川が あっという間に奈落の底に落下していく様を目の前で見る怖さと珍しさ。
本当に引き込まれてしまいそうだ。
1846年からはじまったという船上観光「霧の乙女号」(MAID OF THE MIST)にも乗ったが アメリカ滝は何とか見られるがカナダ滝は近づくに連れ話す声も聞こえず合羽を着ているとはいっても全身びしょぬれになってしまう。

なんとこの滝に落下して助かった人が居るという。
おじさんと妹と上流でボート遊びをしていた少年だ。
ボートはひっくり返り 妹はあわやという所を引き上げられたが おじさんと少年は滝に飲み込まれてしまった。
少年は「霧の乙女号」に助けられたがおじさんは滝の底に今も眠るという。
また この滝のほんの少し前に 岩に引っかかって落下を免れた船が錆付きながらも今もその恐怖を伝えている光景を見ることができる。
なにかと話題の多いナイヤガラ滝だ。

この恐ろしくも魅惑的な滝を見ながらランチをいただいた。
スカイロンタワーの一時間に一回転するレストランだ。
多くの観光客が集まって従業員は目の回る忙しさだ。一時間に何回転だろう??


2005年10月11日(火) オタワとトロント

カナダの首都はどこ?

オタワはパーラメントの丘に立つ国会議事堂が歴史を語る。
ここは英語圏とフランス語圏の境界だ。
すぐ脇のオタワ川にかかるアレクサンドラ橋を越えるとフランス語圏のケベック州となる。
主に政治を司る首都であるようにオタワは落ち着いた街だ。
その中心を流れるリドー運河は夏はクルーズで楽しみ 凍結してしまう冬は世界一長いスケートリンクとして市民から愛されている。
というのも通勤にこのスケートリンクを使っているというのだ。
お役人さんがスケート靴を小脇に抱えて御出勤というのも おおらかなカナダでの出来事なのだろう。
オタワが昔バイタウンと呼ばれていた頃からあるという歴史のあるバイワード市場は 色とりどりの野菜・魚・果物・花・チョコからチーズ おみやげ物売りの屋台まで 新鮮で安く見て歩くだけでも楽しい。

トロントは経済・文化の街だ。
自然の美しさを見てきた私にとって 先進的な都市!!のイメージが印象的だった。
派手な金色の銀行のビルがあり 世界一の高さ533.33mあるCNタワーは霧にその最上部が隠れてしまう。
世界初の開閉式ドーム球場スカイドームを見るに至って カナダ人は世界一が大好きなのだと思う。

カナダの首都はどこ?という問いに トロントと答えたくなる私です。


2005年10月10日(月) 紅葉を見に・・。

はるばるカナダまでやってきて紅葉を見に来ましたというのはどうなのだろう。
わが日本では 某CMにも「そうだ!京都へ行こう」というのがあったし 安芸の宮島に秋に行ったら(^○^)その紅葉の素晴らしさにうっとりした。
いずれも赤というか朱というか 落ち着いた黒瓦を背景になんとも言えぬ華やかさを醸し出して忘れられぬ風景だ。
なにも海外にまで紅葉を追いかけて行かなくても・・・というのはパンフレットを見て行程を決めていたときの私の感想だ。

実際に行って見た紅葉は その延々と続くメープル街道沿いを赤・黄・緑の調和の取れた美しさで埋め尽くし飽きることがない。
私はバスでこの街道を走り抜けたのだが 睡魔に襲われてふっと寝てしまいその後目覚めてもまだ紅葉が続いていたというスケールの大きさだ。
ローレンシャン高原にあるリゾート地トレンブラン山にゴンドラで登り 山頂から見渡す360度紅葉の景色は目を見張るものがあると 楽しみに登ってきたのだが ロッキーで運を使いすぎたのか あいにくの濃霧で何も見えなかった。(T_T)

でも翌日アルゴンキン州立公園で紅葉ハイキングを楽しんだ時は リスまで出てきて歓迎してくれて感激した。


2005年10月09日(日) ロッキーとナイアガラ

まずカナダに行くと決まって 私は「赤毛のアン」のプリンスエドワード島を思い浮かべた。
母が全巻揃えて読んでいたのを小学生の頃見つけて アンの想像性の豊かさに惹かれ 持ち前のバイタリティーで困難を克服していく様を胸を躍らせながら読んだ。
自分の信念に基づいてきっぱりと生きることに胸のすく思いがした。
あの島に私も行けると思うとワクワクした。

しかし旅のパンフレットを取り寄せると アンの島に行くツアーはどれも高い!
一緒に行く仲間は皆秋の紅葉がすてきなローレンシャン高原に行きたいわ・・と
早くもアンは置き去りだ。
多勢に無勢で泣く泣くアンは諦めて(でも必ずいつか行くぞ!)世界遺産でもあるロッキーと知らない者はいないくらいの知名度のナイアガラの滝コースに決定したのだった。

バンクーバー〜カルガリー〜バンフと乗り継いでやっとカナディアンロッキーにたどり着いた。
前日まで地球温暖化の影響か雨が降り続いていたというのが嘘のように 晴れ渡ったロッキーだった。
冷たい空気に頬をさらしてバスから降りると 湖面に山を映し出した息を呑む景色が目の前に迫ってくる。
冬はマイナス20〜40度になるといい人を遠ざけてきたロッキーの湖が今年最後の姿を見せていた。もう道が凍結してしまう為ここは閉鎖されて 来るべき春まで自然のままにしておくのだ。
次々に見て周るどこも自然を大切にしていることが分かる。
ゴミひとつ落ちていない。ロッキーレイク饅頭も売っていない。
あまりにも大きな自然に対して人間は謙虚になるのだろうか?
それとも考えたくないのだが日本人の体質の問題なのか・・。

コロンビア大氷原で雪上車に乗ってアサバスカ氷河の上に行った。
カナダは車を生産していないそうで 唯一の例外がこの雪上車だそうだ。
身の丈ほどもあるタイヤの頑丈なこと。
一面の氷河は年に数センチほどの割合で動いている。
この厚みが365メートルもある氷が温暖化によって溶けてきつつあるとしたら 本当に恐怖だ。

カナダは広い。
ケンモア〜カルガリー〜モントリオール〜ローレンシャンの移動だけで次の一日を費やしてしまった。 (゚o゚)
カルガリーからモントリオールへ向かうウェスト・ジェットの中で 隣り合わせになったスイスの人とつかの間の国際親善をした。
奥さんはイタリア人で2人とも日本へ来た事がないというのだが 実によく日本を知っている。
奥さんは本と首っ引きでてんぷら・すし・うどんを作るという。
別れ間際に奥さん共々是非日本に来てくださいと言ったら喜んでくれた。


2005年10月08日(土) この時期に海外旅行って?

今世界は混沌としている。
飢餓や差別が憎しみをそしてテロを生む。
本当の平等なんてありはしないが お互いを理解しようとする心 お互いの立場をわかろうとする気持ちを失っていけない。
お互いがお互いを理解することが出来ずに 何を考えているのか分からず 疑心暗鬼になってつまりは恐怖の対象とする限り 平和は遠い。
・・・・と 狭い日本の国の中で人生を折り返した私は考える。
でも実際にお隣に日本の国籍を持たない人が住んでいるわけもなく 所詮は机上の空論だ。

カナダは移民の国だ。
元から住んでいたのはインディアンやイヌイットで フランスの探検家ジャックカルティエが16世紀にセントローレンス川あたりで上陸・開拓をはじめて この地一帯をフランス領と宣言したというから わたしなんかは随分乱暴な話だと思う。
その後 イギリスも植民地宣言した。
17世紀のイギリス・フランス戦争がここにも飛び火して 1763年にイギリスの支配権が確立された。
それでもケベック州はフランス人が多く住んでおりカナダの公用語は英語フランス語という。
その後も「人種のモザイク」と呼ばれる程たくさんの民族が移動してきたのを受け入れている。
その歴史からかお互いを尊重しあう風潮がある。
それぞれの持っている背景を認め合って 生きていこうとする。
だからか隣のアメリカに比べて犯罪数も少なく 旅行客も安全だといわれた。
面積は日本の26倍ほど人口は4分の1 しかし冬は零下20度程にもなるという。
日本とは対照的なこの国に行ってみたいと思った。


2005年10月07日(金) 9年目の・・

ここに越してきて以来のテニス仲間と 旅行にでもいきたいねとはじめた月額5000円也の積み立てが 途中テニス観戦などで使ってしまって目減りしたものの だいぶ貯まってきたので念願の旅行に行く事に決まったのが去年の冬。
それぞれの仕事の都合もあり また行きたい場所も違っていて カナダの紅葉を見に行くコースに決定したのは今年の夏になっていた。
思えば積み立てをはじめて9年もたっていた。

この9年間 子育てに忙しく 仕事を始め 父を見送り 義母や母の介護と目まぐるしい日々ではあったが あっという間の出来事で 来年には私にも孫ができる。
人生ってうっかりしているとこのまま目の前の出来事に埋もれて終りかねないと 多少の焦りを感じていたときだった。

後に残していく家族はもう子供ではないのだから心配はしないが 愛犬のこたろうが心にひっかかった。
朝 勤務先や学校に家族のものが行ってしまった後の たった一人で過ごす時間はきっと長いのだろうなぁと心が痛む。

でもあれやこれやの心配事を振り切って私はでかけた。 


2005年10月06日(木) 急な話

急ではありますが 念願のカナダに行ってきます。
本当は赤毛のアンのプリンスエドワード島に行きたいのだけれど 一緒に行くテニス仲間がオーソドックスなコースをお望みなので 涙をのんで同意しました。
勿論はじめてなのでカナディアンロッキー&ナイアガラの滝という初心者コースです。
明日発って14日に帰ってくる予定〜 (^○^)
紅葉が素晴らしいというメープル街道の景色を目に焼き付けてきます。

では イッテキマス!!


2005年10月04日(火) シチュウ

一昨日だったか なんだか変に暑くて湿度が高かった日。
前日に作ったシチューをいただこうとしたら なんだか変なにおいがします。
うちの家族はシチューが大好きなので鍋にタ〜〜プリ作ったのに おおかたを捨てることになってしまいました。 (;´д`)トホホ
当分シチューの顔も見たくありません。


まみい