まみいの日記
DiaryINDEXpastwill


2003年07月28日(月) さて 今日の感立ては?

目の回る忙しさもこのところは一段落。
といっても 月末に又一山越えなくてはならない。
この山は もう十年来のいつもの慣れた山で だから忙しいと言っても 気持ちは楽だ。
問題なのはもうひとつの方で 今月から始まってまだ慣れていない事もあるが 私の不得意分野な為気も重い。
それは 在宅援助の生活支援というものだ。
利用者さんのところに出かけて行って 生活する為に必要なお手伝いをする。
私が今回受けたのは 短時間で朝昼夕の三食を作って なお掃除・片付けをこなさなくてはならないものだった。
それぞれ三食にバリエーションをつけながらも 限られた材料でまかなうことの難しさ!
冷蔵庫を開けて見るまでは なかになにが入っているかも分からない。
まるでびっくり箱を開けるような気で おそるおそる 冷蔵庫の中をさぐる・・。

パパっとイメージがひらめいたらもう大丈夫なのだが 何も思いがうかばなかったり 思ったような材料がなかったときは パニックだ!!
それでもこれまでは何とか切り抜けてきたが 明日のことは神のみぞ知る。
ちょっと悲痛な日曜の夜〜〜



さっき書いた家事援助のご報告〜

冷蔵庫の中にあったのは・・・
ひき肉&卵 豚こま きゅうり にんじん大根ジャガイモ 豆腐
さあ あなたなら どんな献立を作る??

昼はひき肉をいためて たまごをいって二色丼に・・。
きゅうりの塩もみで増えるわかめと共に酢の物を作り 豆腐の味噌汁。

夜は 肉じゃが 冷奴 大根の煎り煮

明日の朝は ひき肉のいためたのを少し取っておいて オムレツに・・。
ブイヨンでスープを作ってわかめを浮かせた。

他に 「こんな献立ができるよ」と思いついたら是非教えて!

おまけの話・・コンロが一個しか使えない〜
頭の体操をしているようでした。
お疲れ!!


2003年07月23日(水) 誰の誕生日?

7/25がこたろうの誕生日だ。
わんこの誕生日をお祝いするなんて 少し前の私には考えられない事だった。
今まで飼った犬は 棄てられていたのを拾って飼いはじめたということもあって 祝いたくても誕生日が判らないこともあった。
そうでなくても 犬にバースデイケーキを・・という発想が無かった。

今回は娘達がやろうと言い出し 記念の一年目ということもあって ちょっと豪勢な夕食をやってもよいかなと思い立ち いろいろPCで検索してみた。 
すると 見た目は普通のショートケーキのようで 材料は犬用に砂糖なし肉が入ってる素敵なバースデイケーキを見つけた。
しかしそれは2〜3週間前に予約しなくてはならない。
娘と共にあれこれ考えて わざわざ犬用とうたっているケーキを購入しなくても ドッグフードの缶詰半分に豆腐を混ぜて ヨーグルトをかけ トマトのトッピングをして ジャーキーをろうそく代わりに立てることにした。

思いがけないほどの出来栄えであったが 時間がたつとろうそく代わりのジャーキーが倒れてきてしまう。
芸能人並みのフラッシュを浴びて こたは少し緊張気味!?
(もしかしたら たまらないほどのおいしそうな香りに 気絶寸前だったかも・・)
無事に撮影も終わり こたのハッピバースデイは笑いに包まれて 終了した。
また来年も元気に 特製バースデイケーキを食べてくれますように・・・。




2003年07月17日(木) カメラつき携帯


なにを今更・・と思われるむきの方もおいでだろうが 私はつい最近まで 携帯は受け答えできれば上出来 電話なのに メモ書いたり 電卓になったりなんて邪道だと思っていた。
それが急にカメラ付き携帯を欲しいと思ったのは 携帯とデジカメをふたつ持って出かけるのが面倒になったのだ。
年なのかな〜〜

出かけるときは 最小限の荷物だけ持って行きたい。
写真を撮りたくなったいろいろな場面で バッグの中を引っ掻き回し 挙句の果ては「見つからない・・」とベソをかくのはもうごめんだ。
携帯なら 専用の場所がきちんと作られているバッグは当たり前であるが デジカメ用の場所が確保されているバッグはみつからない。
大事に大事に使ってきたデジカメだからこそ ものにぶつけたり バッグの底に潜んでいておいたとたんに壊してしまったなんて事をしたら 自分を許せない気がする。

もっと気軽く写すには・・・と考えて 思い切って機種変更した訳だ。

例によって マニュアル本は分厚くわかりづらい。
しかし ここ数日は楽しくて楽しくて 携帯でカメラ機能ばかり使用している。
私は電話を購入したのか? カメラを購入したのか?


2003年07月09日(水) 犬を飼うということ。

2年前にフィラリアで死んでしまった「トランプ」(雑種)は外犬だったからか 今うちにいる「こたろう」(ダックス)より大人だった。
先祖にシェパードがいたような外観のトランプは 犬と言えども毅然としたところのある 可愛いというより 同居人のような存在だった。
それに比べて こたは甘えん坊で 一人で留守番をしていて私が帰ってくると しっぽをちぎれんばかりに振り耳を倒して擦り寄ってくる。
抱かれると 頭の上まで駆け上らんばかりにして喜ぶ。
可愛いけれど 疲れているときはその歓迎振りが重荷でもある。

トランプもこたも お散歩は大好きで 紐に繋がれていても 興味の尽きぬ広い世界を駆け足で楽しむ。
丁度うちの前は広場になっていて そんな愛犬家の格好の運動場となっていた。
鎖を放し 犬同士 人同士が楽しくお話できる空間であった。
それが 急に犬の出入り禁止になってしまった。
一部の心無い飼い主が フンを置き去りにするというマナー違反を犯したのである。
立て看板には「犬は入ってはならない」とあり
散歩の途中のつかの間の自由は無くなった。
そこは少年野球の練習する場所でもあって 子供の健康を考えたら フンの置き去りは許せない事である。
シャベルで埋めてしまえば 自然に還ると平然としている人もいるようだが 衛生面から考えるとそれもいけないことだ。
今はフンの持ち帰りやすいように いろいろ工夫された商品も目に付く。
犬を飼っている人はぜひとも 自分の飼っている子のフンは自分のうちに持ち帰って欲しいものだ。

今年も蚊が飛ぶ季節になった。
はじめて飼ったトランプを 無知からフィラリアで失ってしまった私は せめてこたは同じ過ちで失うことのないように ケアに努めている。
15年ほど生きる犬を飼うという事は 可愛いだけではすまされない 重い責任を負うことでもあるのだ・・と自らを諌めている。


2003年07月07日(月) 「ソラリス」

久しぶりに 映画を見に行った。
金曜のレディースデイで1000円だったので大きい事はいえないが ちょっと消化できない思いをかかえて帰った。。
ジョージ・クルーニーに惹かれてみた「ソラリス」は前に映画化された「惑星ソラリス」のリメークだということだった。
しかしその内容は SFから180度転換して男女の愛情物語に終始しており 違う展開を想像していた私は 理解不能状態に陥った。

「起承転結」ではないけれど 何かが起こってその結末はこうだった・・という 誰でも分かる筋書きで無い。
その場合 映画を見た一人一人がその人の状況に応じて 理解すればいいことなのだが つい あれはどうしてああなったの?あれはどういう意味?と 内容を皆と同じに把握したがる。
楽しい時間を共有しようとやってきたのに 肩透かしを食わされた気分だ。

結局私たちはスリルとサスペンス 犯人探しの推理物 スペクタクル満載のはらはらどきどきがあってるのね・・と帰りの電車の中で笑いあった。

人生をあそこから あの時点からやり直したい・・と考えるのは 誰でも一度くらいは覚えがあるだろうが 魂となってもその人を求め 魂となってまで人生をやり直したいと願うのは尋常ではないように思える。
「ソラリス」の力を借りて その思いを遂げた二人を羨ましく思えないのは 映画が暗かったからか はたまた 私の実生活が充実しているからか そこまで求める情熱をもちあわせていないからか??  


2003年07月03日(木) ムクドリ

もう何年になるだろう?
駅に向かうケヤキ通りに 夕方になるとムクドリの大群がおしよせて 人の会話も聞こえないほどだ。
下の歩道は 落ちたフンで滑りやすくなり 駐車していた車の屋根やボンネットは汚され 道行く人は戦々恐々のおもいで 通り抜ける。

夏休みに入ってすぐに 地域の夏祭りが予定されている為 関係者によっていろいろな撃退法が試されてきた。
音で脅かすもの。
木を揺さぶるもの。
超音波で追い払うもの。
目玉などの形のビニールをぶらさげるもの。

そのどれもがはじめは良くても すぐにムクドリの方で慣れてしまい 2週間もてばいいほうだった。
さあ 今年もまたムクドリとの戦いが始まった。
今年はどんな方法で せめて祭りの期間だけでも ムクドリを追い払おうと考えてるのだろう?
それにしても いったいどこから あんなにたくさんのムクドリがやってくるのだろう〜
本当にヒッチコックの「鳥」を連想してしまうほどだ。


2003年07月02日(水) 随分日が延びて・・

今はもう午後6時になろうとしているのに
まだまだ外は明るい。
ついつい その明るさに惑わされて 洗濯物を取り込み忘れたら大変だ。
このところのどんよりと曇った天気は 今日一変して 高原を思わせるすがすがしい一日となった。
太陽はさんさんと輝いているのに 吹く風は涼しくさわやかで こんな気持ちのいい日は長く続いて欲しいと思う。

さて 私は携帯を持つようになって 今のが3代目であるから かれこれ8年になる。
はじめはPHSだった。
その頃は公衆電話もあちこちにあって 電話を持ち歩くという珍しさだけで さして便利なものだとは思わずにいた。
家族が持つようになって 家族割 学生割が効くからと今の携帯になったのだが 仕事で使うのは簡単な発信のみで 高度な使いこなしは必要としなかったし まだまだ電話の域を脱していなかった。

それがあれよあれよという間の技術躍進で 学生は勿論の事 当初携帯に白い目を向けていたPTAのおかあさん達も 今は持っているのが当たり前のようになってきた。

電話 メール 時計 メモ書き 計算機 写真 音楽 こんなに小さく うすっぺらい機械でなんでもやってのける。
まさに驚異の世界!

デジカメと携帯をいつも持ち歩いている私としては 小さくひとつにまとまって その画像も申し分の無い美しさなのには 文句をつけるどころか 大いに嬉しく積極的に使いたいと思っているわけだが あまりにも機能があり過ぎて 使いこなせるか? 壊れてしまったら 多機能の分ダメージが大きいかな?
なによりも 忘れ物しないか 落とさないか 根本的に自分の性格から 大事にするのもはじめのうち 丈夫で長持ちしてくれるか そこが知りたいものだ。

と考え事をしているうちに 日もとっぷりと暮れて ほらほら こんなに集めたカタログをどうするの?
ばたばたしまいこんで 夕飯の準備に取り掛かる。


まみい