まみいの日記
DiaryINDEXpastwill


2003年05月25日(日) 夕食後は〜

最近 滅法忙しい毎日になってしまった。
今 仕事がふたつ重なってしまった私は 毎日スケジュールを調整するのに忙しい女優さんのようだ。
あ! いえいえ 調整するマネージャーさんのようであると訂正。(^○^)
女優さんと同じなのは 体力勝負という事で 違うのは 容姿を問われるかどうかという事。

そんなわけで 私の夕食後は もっぱら体力回復・温存の為に使われる。
なにをしているのかって?
勿論 ZZZZZZzzzzzzzz・・・・・・


2003年05月19日(月) 肩こり

母の日に娘に整体に連れて行ってもらったと書いたが それから目覚めてしまったような肩こりはひどくなるばかり。
首筋から肩 肩甲骨のあたりが張っている。
頭痛もするし あまりこりすぎて吐き気までしてきたので 近くにオープンした接骨院に行って来たのが先週の金曜の事。

初めてのことで どうされるのかちょっと怖かったが 電気でもんで貰って その後ローラーのようなものを当て かなりリラックスしたところで先生が登場と相成った。

ちょっと触れただけで 「かなりこってますね。『むち打ち』しました?」と言われるのはさすがである。
今日はあまりきつくもんでも もみ返しが来るので ほどほどにしておくので 当分毎日来るようにとの事で ああやれやれ終ったと安心したところで あごをつかまれてごきごきと首の筋を入れかえられた。
痛くはなかったが その音がすごいので思わず身がすくんだ。

なんでも初めてのことは恐る恐るといった感じが付きまとう。
会計をボーっと待っていたら 愛想のいいお姉さんが「初診ですので1500円です」と言って私の様子をみて付け加えた。
「首の筋だから大丈夫ですよ。 骨だったらもっと違った音がするわ」

その時は「ありがとう」と言って帰ってきた私だが 家に辿り着いてから 首の骨ですって??と恐怖に慄いた。

その接骨院の名誉の為書き加えると 翌日は肩が軽くなって 久しぶりに快適な朝の目覚めとなったわけで 当分この接骨院のお世話になる事にした。
首の筋のごきごきは 毎日するのかなぁ・・・。


2003年05月18日(日) トマト

熊本からトマトが届いた。
小粒のおしりの部分がとんがって 真っ赤に熟れているが 触れてみると実はかたい。
レタスとサラダにして朝食にだしてもいい。
うすくスライスして 同じくもっとうすくスライスしたたまねぎと しょうゆをベースにしたドレッシングであえるのもおいしい。
もっと 熟れて実がやわらかくなってきたら 煮込み料理にするのも 楽しい。

だけど私は じゃばじゃばと水で洗ったら 丸のままがぶりと 食べるのが一番おいしい。

さあ どれにしようかな?


2003年05月15日(木) ブック ○フ!

私は本を読むのが好きだ。
小さいころは 一日本を読んでいて 頭が痛くなった。
中高時代は 試験勉強してる振りして 本を読んでいた。
そのころは学校の図書館で借りまくっていた。
新刊がくるといち早く借りて その本の後ろに書かれる借りた人の名前のトップに 自分の名前が書かれることがささやかな楽しみだった。
司書のお姉さんとも 顔馴染になって 楽しい図書館通いだったが ある日 ライバル出現!
私と同じ楽しみを持つ特異な人がいたのだ。
それからは 自分の図書カードが何枚目か?を争っていたように覚えている。
それは 職員室の先生方も知るところとなり どなたの陰謀か 3年のクラス変えの折に同じクラスとなったのがきっかけで かつてのライバルは何でも話せる親友と化した。

こうして 本は私にいろいろな楽しみを与えてくれたが また 厄介な問題ももたらしてくれた。
本が増えすぎてしまったのだ。
あんなに夢見た「本に埋もれる生活」だが 実際にやってみるとそれは生活の場が徐々に侵略される事であり 家族からの抗議の声が大きくなって私の立場は小さくなる。
思い切って 本を売ることにした。
身を切られる思いで 売る本を選別する。
選別しているつもりが ページをめくり出し よみふけることもしばしば・・。
私にしてはやっとの事 ダンボールで3箱を作り出した。

今は便利な世の中で かの中古本取り扱いのブック○フが取りにきてくれるという。
私の気の変わらぬうちにと娘が電話をすると すぐに取りにきた。
査定をして 買い取り金額は銀行振込されるという。
私にとっては思い出の 家族にとっては場所塞ぎのあの本たちは 何処に並んで 誰のところに買われていくのだろう?
なんだか うまい言葉に操られて あれよあれよという間に 女衒に大事な娘を売ってしまったよな 空虚な思いにとらわれている雨降りの午後だった。


2003年05月11日(日) HPも体もメンテ

あちこちのHPが 入れない状態になっている。
私の設置したBBSがふたつとも 私自身が入れない。
レスを付けたくても 歯がゆい思いで 待つしかない。

PCの前で知らず知らず 肩に力が入っているようで 最近肩こりが激しい。
娘が 母の日のプレゼントと言って「中国式推拿整体」に連れて行ってくれた。
日曜の昼下がり のんびりゆっくり1時間も ソフトにもみほぐしてもらって 終った直後は体がしゃきっとせずに 力が入らない感じ。
今は 凝り固まった肩がやっと少しやわらかくなったようで 「あともう一回行きたいものだわ」と感想を述べると 娘はそこで今日もらった サービスチケットを渡して 「お一人でどうぞ」ですって・・・。

整体を受けた後は 寝てしまった方が良いそうで 翌日の朝はすっきりするそうだ。
HPも開かないし では 今日はこれで おやすみなさい!!   ZZZZZZzzzzz・・・・・


2003年05月08日(木) 嬉しい知らせ

私には ダウン症で生まれて これまで何回となく手術を繰り返して今に至っている従兄弟がいる。
父方の叔父の末っ子だ。
先だって父の入院先にも 叔父夫婦が揃ってお見舞いに来てくださり 近々又心臓の手術が予定されていると話して だから私にも父母の面倒みるのを「頑張るのよ・・」と励ましてくださった。
私はその後 父の事で頭がいっぱいで失念していたが 父の葬儀の翌日に手術だったそうだ。

きょう 父の遺影に手を合わせていると 母がその従兄弟の手術が成功したと 昨日の夜電話があったことを告げた。

手術の後目を覚ました従兄弟は 叔母に
「僕が手術を受けている時に 夢に敏おじちゃんが出てきたよ」と言ったそうだ。
敏おじちゃんというのは 私の父で 親戚からそう呼ばれていた。
叔母は もしかして私の父が自分の息子を連れて行こうとしたのではないかと 一瞬目の前が暗くなったそうだ。
「敏おじちゃんは なんか言ってた?」
「敏おじちゃんの周りは金色で 『かおちゃん おじちゃんがついているから 大丈夫だよ。頑張るんだよ』っていってくれたよ」

私は そこまで聞いて 溢れる涙を止めることが出来なかった。
父は 無事に天国に着いたと安心した。


2003年05月06日(火) 父のこと

入院していた父が 闘病の甲斐もなく 4月27日午前0時5分に亡くなりました。
 
その時々の父への思いを 私自身の気持ちの整理をかねてここで綴っては 皆さんに励ましてもいただき 亡くなってしまった時も 悲しみはあっても混乱することなく受け止める事が出来ました。
父の入院生活は 信頼できる医師・看護師さんにめぐり合うことが出来ただけでなく 同室の患者さん・ご家族の方々とも 毎日励ましあってきた 本当に恵まれた環境でした。
最後をそのように過ごせた事は 父にとっても残された私たちにとっても 幸せな事だと思っています。

4月28日に葬儀 5月5日に初七日と 無事に終えることが出来ましたが 煩雑な事務処理に追われる毎日で 悲しみに浸ってばかりいられないのは かえってありがたいことのようです。
すっかり気の弱くなった母をささえて なんとか四十九日の法要まで無事に済ませることが 私の目下の目標です。

父はずっと意識のない状態でしたが 亡くなる時に一瞬はっきりと私を 母を見つめてくれました。
穏やかな顔のままであったことが 私の慰めです。

ずっと不在だったこのHPを 毎日覗いて心配くださったみなさまに ほんとうなら そちらに伺ってお礼を申したいところではありますが ここで感謝の気持ちをお伝えするだけにさせていただきます。

ありがとうございました。


まみい