まみいの日記
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2002年02月28日(木)

私は 2月27日 雪のしんしん降る静かな明け方に産まれた。
母は末っ子の甘えん坊で はじめてのお産を実家の近くで迎えることに決めて はやいうちから実家に身をよせていた。
まだ 産み月まで2ヶ月近くあるという お正月の慌しさがなくなりかけた頃 祖母が突然倒れた。
自分の夫には決して逆らわず 子供の為 家庭の為に身を粉にして働く 昔かたぎの女性だったという。

突然倒れ 突然逝った。

人一倍甘えん坊だったという母の嘆きは 如何ばかりのものだったろう。
そのことについて いつも多くは語らないが 今もって祖母の古びた写真を大事に持っていることを私は知っている。

そして 母は早産で私を産んだ。
頼りにしていた人は無く はじめてのお産が自分の愛する母の葬式の後だなんてどんなにか心細かったことだろう。
母は 私を祖母の身代わりと思っていたらしい。
随分と可愛がってもらった覚えがある。

そんな母も最近めっきり年老いたようでいつもの元気がないようだ。

母にいつまでも元気で・・・と願うのは子の常だが 私も人並みの子として思う。
これからの あなたの人生が 穏やかで安らぎに充ちたものでありますように・・・。
私を産んでくれてありがとう。長生きしてね。


2002年02月27日(水) 病院にて

いまはやりの風邪にかかっていた長女が きのうの晩から悪化してものが食べられない。
「おなかが痛い」と訴え。あげくは「うーん」とうなり出したので とりあえず病院へ連れて行くことになった。
車で5分もかからずに行けるこの病院は 私のかかりつけで 丁寧に看てくれて信頼している。
ただ 年末年始の忙しさにとりまぎれて 本当は私は2週間に1回顔を出さなければならないのを 完全にすっぽかしていた。
先生に怒られるだろうな との思いがますます私の足を遠のかせていたのだ。

久しぶりにはいった待合室には患者さんがいっぱいで 2ヶ月前は午後からだったら空いていたのに・・・と自分が発見したつもりのニューアイドルを横取りされたかのような気持ちになった。

そして久しぶりに会った先生はちっとも変わりなく「自分の体を自分が守らなくてどうする」とやっぱり怒られた。でも怒られて嬉しかったのも事実で・・・。

長女は幸いたいした事なく 風邪からの胃腸炎と診断された。
わたしの番になると 私の顔をじっとみて 何回も血圧を測り直し 聴診器もことさら丁寧にあてる。
自覚症状は何もないんだけれど・・・。
去年の春 膠原病の疑いありで ちょっと騒動になったけれど あれから何も無くもう1年になろうとしている。最近PCに向かう事が多くなり睡眠不足だけれど ここ2.3日はまめに寝るようにして体調は良い(はず)・・・・。

先生はおもむろに口を開いた。
「最近 体に悪いことなにかしてるでしょ」
「・・・・。」(汗 たらり)
「睡眠足りてる? ちゃんと栄養とってる?・・・・・・」
先生の話は続く 続く 
とうとう私にPCにはまっていることを白状させ「時間決めてやんなさいよ」と言い渡すと無罪放免にしてくれた。

恐るべし!我が先生!!
でも 余計この先生が好きになって いつまでもついて行こうと改めて思った。


2002年02月26日(火) 今日の一日

ここにHP開いて およそ2週間が過ぎようとしている。
それまでとは一変した生活。
本屋に寄ると それまで徘徊していた文庫のコーナーは素通りし テニスの雑誌も手にとることなく まっしぐらにPC関係の本がおいてある趣味の棚へと急ぐ。
車や写真の本を立ち読みしているおじさんに混じり 私はいかに解り易く説明されているか・を基準にパラパラとページをめくる。
どれも 帯に短したすきに長しね。
ためいきをつきながら 本屋をあとにする。

帰ってくれば やらなくてはならないことは目白押し。
一度PCの前に座ったら長くなる事は承知しているから とりあえずしとかなくてはいけないこと優先に時は過ぎていく。
やっと PCに触れて・・・・・気がつくと時計の針は「あした」を指している。

睡眠時間はナポレオンと一緒。
こんな生活が長続きしない事は わかっているのだけれど・・・・。


2002年02月25日(月) 甘酒

風は冷たいけれど春近しのきざしがあちこちにうかがえる うきうきするようなきょうの昼下がり。
私は一軒の家の玄関をがらがらと開けた。
とたんに 私を包むいいかおり・・・。
「いらっしゃい」出迎えてくれた奥さんに 私は挨拶もそこそこに「いい匂い 甘酒作ってたの?」
そんな私に微笑みながら奥さんは「今出来上がったばかりよ。 よかったら飲んでって」
出てきたばかりなのに すぐ台所へとってかえした。
私はこの家に遊びに来たわけではない。
ちゃんと仕事できたのだ。
仕事の最中にいくら勧められたからとはいえ 上がりこんで甘酒など・・・・正論が頭を掠めたが私はそれをおしやった。 
奥さんは嬉しそうにしてくれているし私もうれしい。
ここで湯気を立ててる一杯の甘酒をいただいたとして それが悪い事とは思えない。
かえって固辞する方が奥さんを悲しませる気がして
「ありがとう いただくわ 私甘酒大好きなの。」
一口含むとトロっとした濃い目の甘酒がしょうがをきかせて私をよろこばせる。
ひとしきり甘酒の作り方などをやり取りした後奥さんはつぶやいた。
「作っても今の子は 飲んでもくれないの。」
「こんなに おいしいのにね。でも私も母に作ってもらったときはあまり飲まなかったかもしれないわ。年をとると判る味なんじゃないの。お宅のお子さんはしあわせよ。本当の味を知ってるんだもの。」
そうなのだ。ふっと思い出すのは母の味 こうして作っていたっけと思い出しながらやってみる。
いまは コンビニ弁当 冷凍食品全盛の時代だけれどうちの子達は 私の味としてなにを覚えてくれているのだろう?

甘酒のお陰で ポカポカあたたまった体と気持ちを心地よく思いながら 「久しぶりに私も甘酒こさえようかな。」
冷たい風さえ気持ちのよい今日の午後でした。


2002年02月24日(日) 花粉症

去年からすこし怪しかったのが 今年になってもうすっかり立派な花粉症患者になってしまった。
春は強風がつきもので 仕事で外へ出るのが怖い。
一歩出たら最後 目はむずむずして 時間がたつに従い 目玉を取り出して洗いたくなる程だ。止めども無いくしゃみと鼻水の連続。
ティシュ一箱もって移動することになる。
この苦しみはなって見なければ分からないものだ。

しかし よくしたもので 毎朝一錠飲めばたちまちのうちに症状が軽くなるという薬を与えられ 本当にたちまちのうちに私は 安穏な生活を取り戻す事が出来た。

くしゃみも鼻水もさようなら
でも2週間ごとに医者に通うという新しい習慣ができてしまった。


2002年02月22日(金) え! やせた!?

ほんのすこ〜〜しだけれど やせた!
PC始めて まだ何も分からないのにHPなんて作ってしまい 実は四苦八苦している。
でも こうやって自分の好きな事書いていられるし お友達も増えてPCの前にいる事が多くなった。
必然的におなかがすかないし もうちょっと・・とおもっているうち忘れてたっていうこともあったっけ。

それで ここにきての減量ならいう事ないじゃないの!!

でも本当は PCの前で流した冷や汗のせいかもしれない。


2002年02月21日(木) お金がたくさん戻ってきますように・・。

今日は 午前中まだ風が強く吹く中 市役所まで行って確定申告をしてきた。
昨夜 眠い目をこすり よく分からないながらもやっと作り上げた書類をしっかり持って 大会議場に入る。
そこは 朝早くから並んでいたらしい人々ですでに埋め尽くされており 私は最後尾に辿り着いた。
すぐに終わる人 なにやら話し込んでいる人
私の書類に不備があったら・・・・とちょっと緊張する。
確定申告したところで 戻ってくる金額はほんの少し。でも其のほんの少しが貴重に思える私だ!
おりしも 今日国会では外務省問題で真紀子さんと鈴木宗男氏が召喚されている。
早く帰ってTVもみたい。
私の税金を返して!
馬を買ったり 高級HOTELに泊ったり あなた達の生活をUPさせる為に私は働いて税金納めているんじゃないのよ!!

それでも 長い時間待たされて順番がきた時
小心者の私は ただ「お願いします」としかいえなかった。
へこんで帰路についた。


2002年02月20日(水) 三女のこと

BBSでお話しているうち出産の話題になり ふいに三女を産んだときの事を思い出した。
そこは転勤地の沖縄 那覇の産院で 東京在住の母は父が怪我をした為に来られなくなり 私は3人目という事もあって 1人でいても大丈夫と落ち着いていた。
しかし微弱陣痛が続くばかりで 一向に産まれてくる気配はない。
かなり苦しんだ後 やっと「ウンギャー」というかぼそい声と共に三女はこの世に生をうけた。
ほっとしたのもつかの間 私は病室のあまりの静かさに 思わず「五体満足なのでしょう?」と 赤子の面倒を見ていた看護婦に尋ねた。
まだ若い看護婦は困ったような顔をして医者に視線を動かす。
「ああ 何かあったんだ。」と身構えた私に医者は「丈夫なお子さんですよ」と優しく言った。

結局赤ちゃんは見せてもらえず 不安な一夜は過ぎていった。
主人はすぐに医者に呼ばれ事の成り行きを聞かされていたが「奥さんは察しておいでのようですが今夜は黙っていましょう」との言葉に従い私には何も無かったように接した。

一晩中まんじりともせず 私の思いは悪い方へ悪い方へと向いていき とうとう二人で死ぬ事まで辿り着いた。しかしまだ幼い二人の子を残しては死にきれないと葛藤に葛藤を重ね ようやく私はこの子と生き抜くことを決心した。

そして長かった夜が明け朝食を終えた私の病室に医者がやってきた。
もうすっかり決心のついた私は 至極落ち着いて話を聞いた。
「お子さんは膝が反対に曲がってしまって産まれてきました」
「直るかどうかわかりませんが ここを退院後すぐ小児科に行ってください」
言葉が私の胸に収まるまで 数秒かかった。
考えられる限りの最悪な状況を覚悟していた私にとって その時の印象は「な〜んだ足一本のことだけ?」今思えばなんと不遜な言葉であろう。
でも 真実その時の私はしあわせだった。
それぐらいの事 大丈夫なんとかなる。
私が悲嘆に暮れると思った医者は拍子抜けした様で「お大事に」といって去った。
こうして 世界で一番不幸だと思った私は一瞬にしてしあわせな気持ちになり 神に感謝した。私が太刀打ちできる程度の試練で許してくれた事を・・。

その後 三女は大方の予想を裏切り退院までには元に戻り 訪れた小児科の先生は珍しい症例を見逃した落胆を隠しもせず もう本当に大丈夫なのかという私に「そりゃ 無理に曲げろというんなら曲がりますが 折れちまう」と不機嫌そうに言い 私はにっこり笑いながら危険な先生から三女を取り戻したのであった。

幼稚園では かけっこの速い活発な子であった。その子も今年高校生となる。
どの子にも 誕生にはドラマがある。
ドラマを話続けていく事が私に出来る 命をつなぐことなのか・・・。



2002年02月19日(火) 千と千尋の神隠し

今朝の朝刊一面トップは昨日来日したブッシュアメリカ大統領の事でもなく 成績が低迷しているソルトレイクオリンピックでもなかった。
ベルリン映画祭の最高賞である金熊賞を 日本のアニメである「千と千尋の神隠し」が受賞したとの報道だった。
TVでも受賞式の様子を写していたが 誰が受賞者なんだ・・とばかりにざわつく客席に宮崎駿監督の姿は無く ちょっとまぬけな授賞式になった印象をもったのは 私だけでないと思う。
私は「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」を見たときのほうが 感動したけれど・・・。
個人的意見はおいといて 「他にも良い作品がたくさんあったと思うが このアニメを選んで頂いて嬉しい」とコメントされていた監督自身も困惑されていたようだった。

彼は もう映画本当に作らないのかな


2002年02月17日(日) 日曜日

2月12日にここを始めてからというもの PCの前が私の居場所になってしまっている。
朝から晩まで眉をしかめながら ああでもないこうでもないとPCと格闘している。
家の者も その迫力に負けたのか 声をかけても応答がなくて拍子抜けしたのか 対応に困惑していたようだ。
昨日 やっとどうにか 満足する事が出来てPCの電源を切った。

そして迎えた日曜日の朝。
いつもより遅く起きた私は「とりあえず・・」と PCのスイッチをONにしたが 待てど暮らせど何の音沙汰も無く 再起動にも反応しないのは昨日までの家族に対する私の様である。

すこし 時間を置いてから又やってみたら?の助言にしぶしぶながらも同意し さてそれでは・・と長女の買い物に付き合い 三女とファミコンで対決し 主人の仕事のグチを聞き 帰りの遅い次女に連絡をとり 春が近づいてきたのでついお花屋さんへ足を運び しっかり主婦をしたのだった。
みな よくしゃべること!
ここ数日手を抜いていた料理も私なりにしっかり作り ・・みな よく食べること!

それで ちょっと反省した1日だった。
やりだしたら止まらなくなってしまう私の性質をよく知ってて 黙って見てくれていた家族に感謝して 日曜日は暮れていった。
PM6:00 PCは何事も無かったかのように動き出した。 PCが動かなかった原因はわからない。


2002年02月16日(土) ん〜 難しい!

昨夜から 画像BBSの取り付けでおおわらわ。
なーんにも分らないので検索で調べて どこから借りたら良いか・・からはじめるので時間ばかりかかる。
これかな?というのがあっても そもそも画像貼り付けをこれからチャレンジしようとしている私には 使い勝手がいいのかどうかも謎!
やっと決めて案内文を読むとまたまた意味不明な言葉の羅列に 頭はジンジンしてくるし 眼はしょぼしょぼしてくるし で休憩タイムに入る事となる。
リフレッシュしたところで理解力がついた訳も無く横文字恐怖症になりつつある。
それだけならまだしも 日本語で書かれているのに何をどうするのか分らずに PCの前で何回しばし呆然とした事か・・・。

みなさん こんな思いをしてきたのだろうか?

後からおいかける私にとって この世界の先輩達はみな手品師のようだ。
ひょいひょいと目の前に出してくれる的確な情報に 何度助けられた事でしょう。
感謝の気持ちとともに 不遜な私は思う。
「今に 私だって・・。」 


2002年02月15日(金) ゴールドにあこがれて

3年前に 踏み切りでの一時停止をしなかった為 今年の免許書き換えも ブルーでした。
そこは 流山線というローカルな単線の踏み切りでした。 
たった今電車が姿を消したばかりの まだバーが跳ね上がった振動でゆれている最中の事 差し掛かった私は お義理に左右を確認すると止めたとも止めないともなんとも微妙なタイミングで 踏み切り内に入ったのです。
運転席から見えない位置で待機していたパトカーに 捕まってしまいました。

その日は1日ショックでうつろな気分でした。
それは 一万円ちかくの罰金でもなく 衆人環視の中パトカーに停止させられた事でもなく 警官が思いのほかやさしかった事でも有りません。
それは 事情を確かめ切った切符にサインをするという事のため 乗るように言われたパトカーの後部座席のことです。
それまでは「止まった」と抗議しようとしていた私ですが パトカーのドアが閉まるや このまま警察署に連れて行かれたらどうしようという恐怖心がこみあげて ああもこうも言わず ただはやく降りて一般社会に戻りたいという一心で サインする手は震えていました。
それからの私は本当に優良ドライバーです。
警察が そこまで見抜いてしたことなら立派としかいえません。

しかし 私には後遺症が残ってしまいました。
異常に警官が怖くなってしまったのです。
特に車を運転している時にパトカーを見つけると 何も悪い事はしていないのに ドキドキしてしまいます。
私は 単なる小心者なのでしょうか?


2002年02月14日(木) きょうは・・。

まだ出来上がったばかりのつたないHPにおいでくださった皆さんに ご挨拶がてら訪問させていただきました。
それぞれに 自分をアピールなさってて 手の込んだHPに思いがこもっています。
歩んできた人生を確かめているような書き込みに思わず引き込まれ 文章1つにも人となりが表れてしまう事を今更ながらに気付きました。

私も1家庭人となり 子育てということを通しての自己表現は 学校で 地域でしてきた積りですが 一区切りついた今 私自身を見直してみたいという思いでいます。 

おりにふれ 何を感じ何を思い何を願い生きてきたのか そして生きていこうとしているのか 出来るだけ 書いていきたいと思っています。


2002年02月13日(水) HPをもつまで〜

PCをはじめて 遠くの友人と気軽くメールのやり取りが出来たり 顔も知らない人と楽しくおしゃべりしたりして満足していた私に ある日娘が「お母さん HP作らない?」と誘いをかけた。娘の狙いはホームページビルダーを私に買わせる事にあったのだが 私は私でPCに強い娘を手なずけてあわよくば 楽してMy HPを手に入れようとの目論見があって 二つ返事で承知した。

こうしてお互いの思いはホームページビルダー購入まではなんの問題もなく ふたりの間の平和は永遠に続くと思われたのだが・・・。
いざ品物が手に入るや 娘は一読するなりもうすぐに立ち上げてしまい 完成目指して一直線に突き進んでいく。私の抗議に娘は講義で答え私に残されたのは こんがらかった頭と分厚いガイドブックのみというのが二日前の事。

この2日間私は何をしていたのか思い出したくない。
とりあえず自分の能力に見切りをつけ ここに逃げ込んだ積もりだったのに ここもそう甘い所ではなさそう。 PC歴6ヶ月でやっていけるのか? 

いろいろ不安はつきないけれど きょうは体裁を整えただけでおやすみなさい。
きょう訪問してくださったみなさん 長い目で見守ってやってください! 


まみい