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sandglass - overflowing with every day...sand

 

 

会社の送別会 - 2004年09月27日(月)

私の影


※10月某日に思い出しながら書いています。


この日は会社の送別会に行きました。
おじさんばっかり。

でも、妙な私のおじさん受けのよさは、
もうちょっとなんとかなりませんでしょうかね。。

帰り際に新しく入った部長さんに、
「あなたが大らかな人でよかった〜!」と言われてしまった。

大らかっていうか。
私は仕事に人間関係が絡むのが大嫌いで。
(仕事なんだから、子供みたいにぐちゃぐちゃ言うな、って)

そして人間関係を築くなら、仕事を離れてのが好き。
送別される人が「や、送別会なんていいっすよ」って言ったのを聞いて、
「俺をネタにみんな呑んでくれ!っていうくらいじゃないと!!」と
力説しちゃうような人間。

そんなことを言える自分を、実は私は大好き。





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壊れちゃいたいと思っていたのになぁ - 2004年09月26日(日)




※10月某日に思い出しながら書いています。

この数日は、とっても彼に対しての罪悪感を感じ続けていました。

彼を利用し続けている自分や、
結婚はしないって断言している自分が本当に嫌になっていた時期です。
そもそも、最初に彼を食事に誘ったのは私からで、
それはある程度の自爆願望から来ていたと認識もしました。

逸脱した行動をしたいという、願望でもあったかな。
バラバラに私を壊してほしいという、願望。

でも、彼は私を壊してくれなくって、
むしろ繋ぎとめて包み込んでしまった気がする。

ヒヤッとするほどの危うさ、彼はそう形容するけれど。
壊れても答えはでないよ、って彼は言うけれど。

自分をこれ以上知り、受け入れる。
それよりもいっそ、壊れてしまった方が何ぼも楽だろう。
そんなことを考えつつ、壊してくれない彼に苛立ちもし。

私の中にわだかまっているこのナニカは、
彼と居続けることでほぐれていくのか、
或いは彼と別れるほうが早いのか。

答えはいつ出るのかすら、わからず。



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自分がコントロールできなくて惨めな日 - 2004年09月24日(金)

うちの傍


※10月某日に思い出しながら書いています。
※※今日から9/11に行った森林公園の写真です。

この日は、前日の沼津行きの疲れが残っていたらしく、
とても不安定な気持ちだったのを憶えています。

前の晩に疲れたままずるずると彼に相談をしてしまいました。
私が彼といるときの自分が好きではないことや、
なのに幸せと感じていることに混乱している、そんな話を。

そんなこと彼氏に相談していいのか、と思うのですが。
相談できる彼氏でよかった、そんなことも思うのです。

結局彼が言ってくれたのは、
そんな相談をする私でも愛しいってこと、
私は結論を出すのに急ぎすぎてるってこと、
私が抱えているワダカマリを少しずつほぐしていこうね、ってこと。

彼が知っていて、私が知らない、理解できていない《よいところ》を、
ゆっくり私の中に戻していこう、そんな結論。

でもこの日の私は、そんなことすら理解できなくて。
ウツウツとしていた。
会社帰りにデートもしたけれど、苛立ちをぶつけてしまった。
男としてそれはナサケナイでしょう?
そんな、今まで抱えてきた不満を。
結局帰ってきてからも、惨めな思いで寝付いた、そんな日。



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ヌマヅまで小旅行 - 2004年09月23日(木)




※10月某日に思い出しながら書いています。

この日は、今年の夏に結婚した友だちを訪ねて沼津まで行って来ました。
お魚食べて、旧御用邸を見学して、新居にお邪魔して。
帰宅。

幸せな結婚っていいなぁ、という気持ちばかりが残って切ない。
でも。そもそも、幸せな、っていうのは何だろうって思って。
考えていたら、本人たちが満足できる結婚、とイコールかと思いついた。

以前、友だち同士が結婚したときはそれほど羨む気持ちはおきなかったけれど、
今回訪問した友だちは「家庭」を作りつつあったので、
それがとても羨ましかったのだ。

それはたとえば新しい命を育み、子供を養育するのに十分な場だと思う。
そして本人たちにとっても、新しく充足した生活の基盤で。
とてもとても羨ましく・・・・・・・

彼女のホームページで、
出かけても帰るところが同じなのがいい、
そんな言葉がとても羨ましかった。



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調子に乗って焼酎づくし - 2004年09月22日(水)




この日はお酒を飲んでしまいまして、やっぱり更新できず。
調子に乗って飲みすぎだろ、とは思うのですがいやはやいいお酒でした。

会社の上司、三十代後半の独身女性と神楽坂で呑みました。
私が大好きなお店をご紹介、そうしたらえらく気に入られたらくし、
呑み、食べ、話し、笑い、、、、気づいたら23:50になっていました。

慌てて帰宅の準備をして、ふらつく足取りで地下鉄へ。
家についたのは1時前という不良っぷり。
ごめんなさい、お父さんお母さん、そして寂しく心配していた彼氏さん。
(お店が圏外だったので、途中入ったメールも確認できず)

でも、とっても楽しく色々な話を聞けたので本当によかった。
会社でキャリアを積んでいくとしたら、ああいう人になりたいと思う。
一緒に話していると、学問の世界に戻るのではなく、
人事や管理部門で仕事をしていきたくなってしまうくらい。

大学院に行きたいという気持ちがぐらつくんですよね、
そんなことを言ったら、
「でもね、私はそっちの方向へ行くチャンスをつかんでほしいの」
といわれてしまった。
一生は勉強の連続なのだから、仕事は仕事として別の関心・勉強をしていくことは必ず身になるのだから。
そしてそちらの方向に進めるものなら進んでほしい、そんなことも。

その話をしたことで、
今すぐ大学院に行くことだけを必須目標としなくていいんだ、という結論に。
大学院に行く前に経験したいこと、勉強したいことは山ほどある。
チャレンジを続けながら、勉強も経験も積んでいこうと決心しました。


人生フレキシブルに必要なものをゲットしていかないと。



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「すべての亡骸に花を」 <B-T> - 2004年09月21日(火)




9/18の朝日新聞夕刊で、久しぶりにBUCK-TICK情報を見ました。
CDもDVD情報もCheckしなくなってそろそろ一年、
それでも久しぶりにあの音が聞きたいと思えた記事でした。

書いていたのはやはり、今井智子さん。
朝日新聞芸能欄で、確実にBUCK-TICKのライブを取り上げ続けてくれている。
今回は正に母親のような書きっぷり。

残念なことに朝日新聞のサイトでは掲載を確認できず。
そのために、個人的な保存目的にて下記に転記しておきます。


9/18 朝日新聞 夕刊11面より

鎮魂と平和 言外に伝える

 9月11日、横浜アリーナで行われたBUCK-TICKのライブは、言外に鎮魂と平和の気持ちを想起させるものだった。
 個々のソロ活動が一段落してバンドを再開するに当たり、12年前と同会場で同日にと企画したら、この日だっただけ、と言う。だが自分たちの足跡と歴史が偶然にも重なったことに、感じるところがあったのだろう。
 久しぶりに5人がそろったからか、落ち着いた調子で始めた前半は、ハードでポップな曲を並べ、来年結成20年となる彼らならではの、安定感と持ち味を発揮。ボーカルの櫻井敦司と掛け合いで歌う今井寿が、ソロ活動の成果か声の通りがよく、曲を華やかに彩った。
 細やかで効果的な映像や炎を使うなど、派手な演出と一体になってテンポよく進めつつ、流れを大きく変えたのは、中盤に演奏した「楽園」。98年の発表当時に、コーランの一節をサンプリングして問題になった曲だが、エッジの効いたヘヴィなアレンジで演奏。
 「神の子が殺し合う 愛の園」というシニカルな歌詞を強調するように、新旧の戦争記録映像を編集したものを後方に撮影した。以後その雰囲気を保ちながら、ドラマチックに深みを増していったのは、このライブの意図がバンドの集中力を高めただろうか。
 アンコールで櫻井が、「9月11日なので、なくなった人たちに」と呼びかけ、会場全体で1分間の黙祷を捧げた。メンバーが去ったステージに、「すべての亡骸に花を すべての命に歌を」の文字が浮かんだ。
 終演後に「誤解もされるかもしれないけど、何もしないよりは、と思って」と櫻井。ナイーブではあるが、ひととして率直に失われた命を悼む気持ちが、ライブという形で表現されたのだろう。同じ夜、様々な表現があったと思うが、そのひとつに立ち合えたことを嬉しく思う。
(今井智子・音楽評論家)


著作権等は朝日新聞、或いは今井智子氏のものであり、
個人的な記事の保存を目的に転記するものです。
また、指摘・要望があった場合は速やかに削除いたします。

できれば残しておけるよう、ご協力を。



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袋田の滝まで小旅行 - 2004年09月20日(月)




家族でちょっくら小旅行をしてきました。
練馬区を出て、一路車で茨城へ。
水府の竜神大吊橋を眺め、その後は袋田の滝へ。
帰りは蕎麦道場の蕎麦を食して、舟納豆屋に乗って納豆を購入。
ウトウトしているうちに、家についてしまいました。

久しぶりの家族4人での旅行で、楽しかった。
楽しかったけど、なんだか途中で彼のことを思い出していたら少し幸せな気がしてしまってブルー。

私は、彼と一緒にいる自分を、拒否してたらダメなのかも知れない。
当たり前?当たり前かもしれない。
彼といて幸せで、暖かくって、優しくなれる。

ただ、それは「彼」でなきゃいけないことなのか、
これから先出会える誰かでもいいことなのか。

私は「彼」を選び取る決定打を見つけられずにいる。



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思い出が積みかさなってしまう - 2004年09月19日(日)




今日は、昨日子供と格闘したおつりに苦しみました。
ただの全身筋肉痛なんですが、生理痛と重なってだるい。
昼近くにおきて、ちょっとパン齧ってはウトウトし、
お昼を食べては夕方まで眠るという、まっとうでない一日。
精神的にもローテンションで、彼にメールを送ったのが夕方という体たらく。

しかし、彼もローテンションらしく、メッセンジャーで話をしていても途切れがち。
お互いにPCの前でぼーっとしている無為な一日だったかも。

こんなんだったら、会いに行けばよかったと思った。
そして、一緒に暮らして、もっと傍にいられたら、
もうちょっと素敵な一日になったのかな、と少し夢を見てみた。

私は彼と結婚する気はないのだけれど。
それは年齢差や、親の反対や、私の将来設計と、彼に感じている物足りなさ故なのだけれど。
でも、彼の暖かさや優しさや、与えてくれる安心感と安堵は今確かにかけがえのないものだと思う。
(彼に感じてる物足りなさは、「熱(パワー)」だと思う)
(物事を改善していこうというパワー、人生への情熱、そういった私が感化されたい「熱」)

それでも彼と付き合い始めて十ヶ月、怖いことに気づいてしまった。
彼と一緒にいたい、と思い始めていること。
たかが十ヶ月を二人で積み重ねてきたのに、一緒に見たもの感じたもの一つ一つがとても愛しく感じられること。
つまり、このまま時間を積み重ねてしまったら、私は彼から離れられなくなるんじゃないか、と。

私にとって結婚って、思い出を積み重ねていく人を見つけることだ。
去年の夏は楽しかったね、おととしの冬はどこへ行ったんだっけ、
あそこで食べた料理は美味しかったね、あの時見た景色また見たいね。
友だちとは違う密度で、恋人よりも日常的に、
お互いの日々を重ねていく約束をすることだと思っている。

そこに親や親戚の介在は避けられないし、経済的な事情も深刻だ。
その点において、理性としては今の彼との結婚は考えたくないのだけれど。


このまま時を重ね続けてしまったら。
振り返れるだけの、語り合えるだけの思い出を積み重ねてしまったら。

それはそれで美しい思い出が重なってしまう気がするのだ。
それが怖くて怖くて仕方がない。
とりあえず逃げるために明日は家族ドライブに参加します。
(結局この三連休、彼には会わないという計画)




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冒険遊び場で泥だらけ - 2004年09月18日(土)





この土曜日は、《冒険遊び場》ことプレーパークへと行って来ました。
中学・高校の児童館でのボランティア仲間、というやや古い縁を頼っての参加でした。

初めての場所で初めての人にもお会いするので、
かなり緊張しながら参加したのですが。
途中で泥まみれの子供の相手をしだしたら、大変なことに・・・。

いや、あのね。泥だらけになるのは奨励するけどな。
水撒いたところに滑り込んで、その服で抱きつくなぁっっっ!

仕返しだぁぁぁぁ。。べちゃ(笑

そんな感じで、私もどろどろになりながら、遊んできました。
いや、楽しかった。
私の原点に帰った気がする、というくらいに楽しかった。

そのあと、反省・感想会にも出て、さらに語り呑みにも参加する。
色々それぞれが思っていること、考えていることを聞けてしゃべれて、本当に良かった。
言葉の至らないところもあったけれど、
久しぶりに《現場》で話ができたのはとてつもない収穫だったと思う。

たくさんの刺激も受け、様々に考えることもあったけれど、
それはまた後日ポツポツ書いていくこととして。

《子供》という現場で、私はまだ若い、まだまだ成長しうると実感しました。
そして、そこで成長したいな、と正直に思った一日でした。



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本当に大切にしたい人のために人を切り捨てる話 - 2004年09月17日(金)




明日から3連休、喜んでばかりもいられない派遣社員。
一句できそう・・・できないか。

私には今現在、二人の大嫌いな男友だちがおりまして。
それは友だちじゃないだろう、というご指摘はまさにそのとおり。
切るに切れない縁の人くらいの意味に考えてください。

そのうち一人から昨晩電話があって、とても気まずい切り方をしました。
その苛々は次第につのってしまい、二時過ぎまで寝付けないという醜態。
おかげで今日は23時前から眠気で呆けております。

どんな電話かと言えば、一昨日の自殺をほのめかすメールに関してだったのですが。
私のそのメールへの対応は今まで鬱氏と付き合ってきた関係から、
【今回はかまわない、大騒ぎしない】でした。
彼もそういった対応をしたらしく、それでよかったのかという容認を求めるような内容でした。

私の主張としては、今までの関係性から【対応】は選択されるものですから、
彼の【対応】が正しいかどうかは彼にしかわからないのです。
それは様々な局面で彼に伝えてきたことでした。(色々とあったのさ)
勿論、慣れてない彼が慌てたというのも良くわかるのですが。。。

ただ、彼は鬱氏は現実認識が甘い、といった主張を持っておりまして。
それをどう伝えたらいいか悩むんだよね、という話は前々から聞いておりました。

ちなみに私と彼は大学に同じ年に入学した同期です。
ただ、彼は社会人入学で二つ目の大学だったので、一年先に卒業していきました。

そしてね、四年前に、私より先に就職した28歳の《彼》が、うつ病に近い状態になったとき。
現実と理想と自分とのギャップをひたすら聞いていたのは。
就職活動中だった22歳の《私》なんですよね。

ゆえに、《彼》が鬱氏に伝えたいと考える現実認識云々って、
言葉ですぐに理解してもらえる類ではないことを私は知っているので、
(分かっている、とはいえないけれど・・・)
彼は、己を振り返れず鬱氏に一方的に伝えたいとしか考えられていないように見えて仕方がない。

その上で鬱氏の今回のメールに関して、私の電話での対応のまずさは多いに、多いにあったにせよ、
【仕事で忙しい俺が、関わらなくてもいいことだよね?】
という台詞が出てきたことで私はもう決定的に彼に見切りをつけるべきだと、
私は彼に付き合いきれないと。。。。

私は鬱氏の友だちとして、
友だちと仕事を較べたときに、仕事を取る程度の関係の人に鬱氏に関わってほしくない。
そして、えんえんと彼の話をきいていた22歳の私の立場もない。
もしあの就職活動の大切な時期に彼からの電話がなければ、
もう少し就職活動に集中できたんじゃないかと、どうしても思ってしまうので。
(就職活動の責任は、勿論私のみが負うべきものですが)

少なくとも、私には彼よりも大切にしたい人たちがたくさんいる。
それが結論です。



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へこんで浮上した 勢いで - 2004年09月16日(木)




体調崩したり、落ち込んだりしているうちに、
更新しないままあっという間に週末が目の前に。

忙しない一週間で体調を崩して微熱を出してみたり、
同年代の人が亡くなったという話を聞いたり(友だちの友だち)、
感情の波が見事谷にはまり込んで泣きじゃくってみたり、
・・・起伏というより色々沈みっぱなしで大変でした。

でも、人間何が契機で浮上するか本当に分からない。
昨日友だちから「自殺をほのめかすメール」が届きまして。
落ち込んでられないなぁと重い腰をあげたら復活した、そんな感じ。
友だちからのその類のメールはここ数年続いているもので、
重大に受け止めすぎずに気にかけるという対処に落ち着いているもの。

案の定、先ほど「生きてます」ってメールが来ました。
一安心。

でも復活したら勢いがついていて、
大学の友だちに電話して近況を話しまくり、
小中学校のときに通っていた児童館の先輩がプレーパークの代表を
やっていることをwebで知って連絡を取ってみたり、
いきなりoutputに転じてしまいました。。。
物事、勢いって大事。

そんなわけで、今週末はプレーパークに遊びに行って来ます。
プレーパークってなんじゃ?
と思った方は冒険遊び場づくり協会へ。

子供が自分の責任で自分で遊ぶことができる場を。



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一人の男の話 - 2004年09月08日(水)




お酒を飲むたびに、一日日記が遅れる癖はなんとかならんものか。
この日は遊び友達と食事しながら呑んできました。

女の子で三つ下、社会人一年目。
明晰と言うより、肌でいろいろ知っているタイプ。

彼女と一人の男性の話をした。
その男性は私たち共通の遊び友達で、とってもユニークな人。
頭の回転が速い、口から先に生まれてきたような、
でも動きがなんとなく不器用な男友達だ。

彼女と会う前日に、私はもう一人の女の子と彼の話をした。
彼は少し人間不信というか、人間を舐めてるところあるよね、
彼は人とぶつかれないよね、逃げちゃうよね、といった話。
私はそれにとっても同感で、昔は何とかしてあげたいと思っていた。

今は、彼自身の問題に首を突っ込む気は無いけれど。

その彼の話を、今日会った彼女ともしてみたところ、
終始、友だちとしていいやつだよねーというノリでした。
色々あるっぽいけどさ、遊んでて楽しいんだからいいじゃん!と。
それも道理で、私はうなずいて帰ってきた。

今日の彼女と昨日の彼女のパーソナリティーは勿論違う。
とても違う。
見ているところが違うし、彼への対応も違う。

私はどちらかというと昨日の彼女に寄っていたけれど、
ここ数ヶ月で今日の彼女の考え方に寄ってきた気がする。
人は無意識のうちに自分と似ている部分に共感して、着目する。
それを考えたら、彼女たちのパーソナリティーも垣間見れて、
私自身も変わってきたのが良くわかる。

人に対して共感性の高い人っていうのは、
色々経験して人間として成熟してるってことなんだろうなぁ。。



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大風吹いて - 2004年09月07日(火)




東京、突発的に雨と、大風が吹いています。
暴風、強風、というよりは、質量を感じる大風です。
空気の塊がゴゴゴゴゴ、と移動しているのを体感できるような。

台風です。台風18号。

史上最高数の台風が上陸となり、踏んだり蹴ったりな日本列島。

日記をランダムで放浪していてもその話題が多くてびっくり。
日記によっては被害に合われた方もいらっしゃって、
災害が早期に落ち着くことをお祈りいたします。

余談ですが・・・
「大風吹けば桶屋が儲かる」ということわざが頭を離れません。
 大風吹けば眼病が流行り、失明した人たちが生活のために三味線を習う、
 昔?三味線は猫の皮だったので、三味線を作るのに猫が狩られて減る、
 すると鼠が増えて、桶が齧られ、桶屋が儲かる、と。。。

この台風で儲かるところはあるんでしょうか。
 クリーニング屋さんとかかな?



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いいニュースもある - 2004年09月06日(月)




台風に地震、不安を呼び起こすものが次々と訪れていますね。
嫌な感じ。

でも今日はいいニュースです。
大学の同期の夫婦がいるのですが、彼らがなんと。
マンションを購入したとの知らせが入りました。

リッチなようですが、借金の身なのでオゴレ!というのと、
引越しを手伝え!というのがメインかもしれない(笑)。

夫婦共働きとはいえ、それでも社会に出て四年目にしてマンション購入とは。
凄いし、偉い。立派!

人生設計の立て方が違うんでしょうねぇ。
羨望のまなざしを向けつつ、私はどうしようと思いを馳せてみたり。

ある人たちにとって、結婚はひとつの基盤になるんだと、思いました。



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デートしてきました - 2004年09月05日(日)




前日の日記を書くことが定番化しつつある今日この頃、
日記には間違いないから、ま。いっか。

この日曜日は彼とデートしてきました。
私の中で彼との歳の差に抵抗感あって、
なので何度でも書くけど、彼は15歳年上です。

でも?一緒にナンジャタウン行きました。
夕飯が早く終わったので時間つぶしに二時間弱、入場料だけで遊んできました。
アトラクションも何もせず、餃子もシュークリームも食べず、
何をしていたかといいますと。

スタンプラリー!!(通称ナンジャビザ)

フェスタリアン(祭食主義者)であることを保証するビザで、
ナンジャタウン各所に隠されているスタンプを集めて回る、という。
息の長いイベントです。

どれくらい長いかっていうと。
地区代表スタンプが、今回一個も見つからなかった、
それくらい根気の要るラリーなのです。

それでもいつの間にかスタンプ探しに夢中になりまして。
「帰ろう」って言いながら、思わず足元をスタンプ探ししてしまう・・・
私だけでなく彼もw

更には彼から「また行こう」と・・・凝り性なんです。。。
思わずやったーと歓声を上げてしまう私。。

だって。ここで語ってしまうほど実はナンジャタウン好きなんです、実は。
25歳?関係ありません。
ディズニーランドよりもリーズナブルでかつ簡単にマニアックになれる!
(入場するだけなら300円、ビザは1000円)

また行こうと思わずにやけてしまいます。
って。あれ?のろけ?あれ?
・・・めつらしいことではありますので、たまにはお目こぼししてください。



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一日パジャマで。 - 2004年09月04日(土)




今日から写真は雨の光が丘公園にてお送りいたします。
撮影は8/29、若干暗めですがご容赦を。

今日は昨日のお酒が響いて、記憶は朝の八時からあるものの、
起床できたのは十二時近くという不良娘。

朝ごはんの残りをパクツイテ、新聞を読んで、掃除をして。
そんな一日。

ロシアの学校で起きたテロ、凄惨でコメントもない。
日経の春秋に出ていた「学校は新しい世界的宗教である」
という言葉が印象に残る。
これは公教育システムの限界を説いた思想家のイヴァン・イリイチの言葉だとのこと。

確かに学校で保たれる平和と平等は、一種の宗教だろう。
(それが名目で終わっている面が多々あるにしても、
 それが《信仰》されているという点において)

その場がテロや殺戮の場となる悲劇。
その場に希望に満ちた新学期を取り戻す必要があると締められている。

学校でのテロは教会や寺院でと同義だろうと思う。

明確に必要性を主張している点で、
「人間性」に訴えて終わる朝日新聞の天声人語よりも好感を持てた。

日経新聞TOP >「社説・春秋」>過去記事一覧 9/4

朝日新聞TOP>「コラム」画面下 >最新>(一週間分閲覧可)

 




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お酒呑みのお話 - 2004年09月03日(金)




この日記当日はかなり酔っ払ってしまいました。
日記を書くどころではなく、彼に電話をしたものの切った記憶がないくらい。
なのでこの日記は4日に書いています。

この日、とても甘い、甘酒っぽいニゴリ酒を呑んだのです。
家族が母方の実家に帰ったときに、伯父から私宛のお土産で(笑)
生のフクフクとした甘さの、母いわくドブロクの繊細なやつ、といったお酒でした。

生なのですが。あと半分あるので、いつ攻略しようか検討中。。
早めに攻め落とさないと、味が心配。

しかし日記を見返していると、二週間に一回の割合で布団に入る記憶がないくらい酔っ払ってるようです。
悪いお酒じゃなく、ふわふわ〜と楽しい気持ちになって、
笑いながらお布団を抱きしめて眠ってしまうような酔っ払いですが。

どうなの、と自問しつつも心も体も軽くなる気がするのでやめられません。
食事中のお酒としては日本酒が一番で、あとは焼酎、赤ワイン。
食後にショットバーっていうのも大好き。
ウィスキーもブランデーも好きなのです。
カクテルは・・・気分次第で。

好きな食べ物も「それは呑み助でしょ!」っと指摘されること多し。
※そばがきとか、ひかりものとか、塩辛とか、明太子とか、、、

お酒大好きです。
お酒呑みながら語りに入るのも好き。

お酒を飲むと人懐っこくなって明るくなって、笑い上戸です。
いや、笑い上戸は・・・中学の友だちに「お酒飲む前から!」って断言されたから違うのかな?

普段、ん、と思いつめてるところがほぐれていくようなところが、
お酒の一番の効能だと思います。
たまに、ほぐれすぎて後悔しますけどね。。。(反省)



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一緒にいたくって - 2004年09月02日(木)




今日は彼と夕飯を食べてきました。
言葉数少なく、うむうむ美味しいねと頷き合って食べました。

その後デパートをふらふらして帰宅の途につきました。

私と彼の家は、同じ路線上にあり、彼の方が三駅先にあります。
普段は送ってくれるのですが、今日はちょっと都合が悪くて、
「一人で大丈夫?」って訊かれました。

時間は八時過ぎ。「大丈夫」な時間ではある。
ムリなときは遠慮なく言ってね、と前々から伝えてはいた。
でも、いざそう言われると寂しくて堪らなくなってしまった。

私の最寄り駅から家までの間、ちょこっとキスしてもらったりするのがとっても幸せなのです。。

もちろんわがままを言うわけにも行かず、拗ねてみせるわけにも行かず、
(言葉数が少ないくらい、疲れが見えていたので)
黙って電車に乗りました。

しかし。しかし。
自分の駅についても降りる気になれず、結局彼を駅まで見送ってしまいました。
いや、反対方向に乗って自分の駅に戻る私を、彼はきちんと見送ってくれました。

一緒にいられる時間がたかだか十分かそこら伸びただけなんですが。
それが分かっててもなお、そうせずにはいられなかったのです。

一緒にいたい、ということの気持ちは、最後にどこに行き着くのでしょうか。



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思い込みの自分(ジョハリの窓) - 2004年09月01日(水)




気温の変動に体がついていきません。。
五月に大病まではいかないまでも、入院していたせいもあってか、
やや体力が落ち気味なのです。
養生せねば(いくつだ、私)

今日、ふっと「ジョハリの窓」を思い出しまして。
これは自己領域の構成を図示した心理学の一概念です。
以前就職活動をしていたときに、相談員の方に教わりまして。

上の写真のように、縦軸に「他者」横軸に「自分」をいれ、
それぞれに「知ってる」「知らない」を設ける図のことで、
そうして現れた四つの領域は次のように名付けられています。
*自分(知ってる)∧他者(知ってる)=〔開放領域〕
*自分(知ってる)∧他者(知らない)=〔隠微領域〕
*自分(知らない)∧他者(知ってる)=〔盲点領域〕
*自分(知らない)∧他者(知らない)=〔未知領域〕

得てして自分が知っている部分だけを【自分】だと思い込みがちですが、
他者だけが知っている【自分】も排除しきれないと読むこともきますし、
また他者が知らない【自分】があるのも当然だとも読めます。
それぞれの領域を拡大したり縮小したりすることが、
自己開示や対人関係、就職活動における自己分析に必要不可欠であるのは分かりやすいことだと思います。

こんなことを思い出したのはチラリと以前の日記でも書いたとおり、
思ってもいない自分像を彼から提示してもらったり、
また職場では「一緒にいると一日一回は腹の底から笑わせてもらえる」
という微妙な評価をもらったりしたからなのです。

私が知らない私が存在するという、驚き。
そして私しか知らない私も存在するという不思議。

一瞬一瞬を生きていく毎に〔未知領域〕は拡大していき、
他者とのコミュニケーションを怠けていては〔隠微領域〕と〔盲点領域〕だけが肥大していくんだろう。

本当に、ちょっとこう考えるだけで人間は一人ではなかなか有意義に生きられないという結論になるからこれも驚き。



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