Rocking, Reading, Screaming Bunny
Rocking, Reading, Screaming Bunny
Far more shocking than anything I ever knew. How about you?


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*名前のイニシャル2文字=♂、1文字=♀。
*(vo)=ボーカル、(g)=ギター、(b)=ベース、(drs)=ドラム、(key)=キーボード。
*この日記は嘘は書きませんが、書けないことは山ほどあります。
*文中の英文和訳=全てScreaming Bunny訳。(日記タイトルは日記内容に合わせて訳しています)

*皆さま、ワタクシはScreaming Bunnyを廃業します。
 9年続いたサイトの母体は消しました。この日記はサーバーと永久契約しているので残しますが、読むに足らない内容はいくらか削除しました。


この日記のアクセス数
*1日の最高=2,411件('08,10,20)
*1時間の最高=383件('08,10,20)


2010年04月27日(火)  Lions

iPhoneを使って12日。Softbankから「使った金額が見られるよ」というリンクがメールで届いた。せっかくだからとクリックしてみる。
通話料が160円。パケット通信料が138,417円。
は?
パケット通信料が、13万8千417円。12日間で。

・・・思い出すなあ。あれはまだ20代の頃、シンガポール動物園に行ったら、腰の高さの柵の中に、ライオンが数頭いた。「腰の高さの柵の中」に。自然な地面をまるく囲んでいるだけの、牧場の囲いのような柵である。野生動物なら楽々と飛び越すだろう。そしてライオンはすぐそこにいる。
・・・あまりのことにわけがわからず、とりあえずその柵の前でにっこり笑って写真を取ってもらった。「ひょっとしたらこれ、逃げたほうがいい事態だったりして」と思いつつ。写真を撮った後に見たら、隣の柵の中にシマウマがいた。いまだにあれがどういうことだったのかわからない。
そう。人は、理解を超えたことに出会うと、思考が止まるのだ。

と、いうわけで。じゅうさんまんはっせんえん。
とりあえずSoftbankに「これおかしくないですか?」とメールを打ち、翻訳の講座に出かける。今月から週イチで実務翻訳の講座をとっているのだ。
が、電車に乗ってもそわそわしっぱなしだ。もしかして私、この12日間iPhoneをネットに繋ぎっぱなしにでもしちゃったのかしら。1日1万なら計算も合う。iPhoneは画面を消しても、PCのように背後でプログラムが別進行することがある。そういうことなのか?
もしそうなら「マニュアルもついてないのにわかりません!」と食い下がろう。・・・でも。でもきっとあたし払わされちゃうんだわ。13万8千円。ああ。13万8千円。

講座を受けていても集中出来ない。落ち着かず、軽く苛々する。
「金融政策を引き締めた為に景気が回復しない」という訳文があった。元の英文は"...is preventing the economy from..."のかたちで、それを自然な日本語にすると上記の訳になるわけだが。ある生徒から、「この英文はどうして現在形じゃなくて現在進行形なんですか?」という質問が出た。
今は不安な精神状態である私はイラっとした。またここにも現在形をわかっていない英語学習者がいる。はっきり言って初級中級の英語学習者の殆どが現在形をきちんと理解していない。TOEIC850点以上で現在形をわかっていない人間もちらほらいる。
翻訳の勉強をする前に英文法を理解してきてくれ・・・と思った瞬間に、講師が言った。「え? うーん、いや、ここは普通現在形は使わないですよ。言い方を変えても未来形ならともかく。いや、そうだな、うーん、現在形は普通は使わないですねえ」
「普通は使わない」と繰り返すだけで、現在形だと明らかに間違いになる事実及びその理由が説明できない。つまり講師が現在形をわかっていないということになる。だってそこ"prevents"にしたら、"Water boils at 100℃."と同じことで、「金融政策引き締め」とは景気回復を妨げるものだという意味になっちゃうじゃないか!

その後、講師に別件で質問。講師の顔色が変わるまで掘り下げて訊く。さっきの件で不信感もあったが、そもそも苛々していたせいかも。

帰宅したらメールのお返事が来ていた。曰く、「あのね、あなたは5,700円の定額プランに入ってるから、いくら使っても5,700円よ」
ああああああああああ。マジ?
ほっとしたが。今後のこともあるし怖いから、何がどうして13万8千円なのか訊く為に電話した。そしたらあちらの言うことにゃ、iPhoneでインターネットをすると、最初は自社のとこに繋がろうとするんだけど、たいてい接続が悪いんで勝手に高いとこに繋がっちゃうと。なので、ほっとくと一ヶ月で通信費が100万超えちゃうこともあるんだとか。「でもiPhoneは必ずパケット定額制をお選び頂くことになっているので大丈夫です」というSoftbank社員。「・・・そりゃそんな状況じゃあ、定額制じゃないと大変なことになりますよねえ」と答える私。

切ってから思う。じゃあ一体この「今月のパケット通信料」っていう表示は何の為にあるんだ。無意味極まりないじゃないか。そして私のように、たまたま見ちゃって心臓止まりそうになる奴がちょいちょいいる筈で、苦情も出てるはず。
それと、この半日の私の精神的苦痛はどうしてくれるの。苛々したおかげで、翻訳講師までがあおりをくらって質問責めにされたじゃないか。

Lions (ライオンだ)  *Black Crowes のアルバム。(2001)



2010年04月23日(金)  It's down to me, yes it is, the way she does just what she's told

iPhoneを購入して一週間。ものすごく使いづらい。私の親指は後ろに反り返っている為、何かを押える時は接触面積が大きい。指圧にはもってこいなのだが、タッチパネルをさわるとしょっちゅう隣のキーに触れてしまうのだ。とてもじゃないけどメールなんか打ってられない。加えて昔から何故かATMのタッチパネルが反応してくれないことが多く、iPhoneも同様であることを発見。

それ以外にもこのiPhone、画面を触るだけで何かしてしまうので。
ただ脇において、ふと見たら、勝手に電話をかけていたことがあった。午前5時にである。かけていた先が新宿のロックバーだったんで助かったが。慌てて切った。
この一週間の間に、いったい何度この電話に、「誰がそんなことしろっていった?!」と言ったかわかりゃしない。

・・・と、いう話をしつつ、西荻BITCHのカウンターにiPhoneを置いたら、そのとたん画面にいきなりエアロスミスが出てきた。「・・・ほんとだ」とうなずくマスター。

そう、今日は3ヶ月1週間ぶりにちゃんとお酒を飲んだのだ。人様のおごりで。久しぶりのチンザノ・エクストラドライが美味くて、ぱっぱかぱっぱか飲み、2時半にタクシーで送って頂いて帰宅。
今日はブルーベリーのパイ(ホール)とホワイトチョコ味のマシュマロを頂いたので、帰宅するなりパイ一切れとでかいマシュマロ数個を食う。次いで、今日生徒にもらった揚げ饅頭を食い、家にあった和菓子も食う。その後で突然「ハラ減った・・・」と思う。そういえば今日は何も食べていない。家に何もないので、なんと常備してあったご飯のパックを一個食べる。なんにもナシでご飯だけ。元々お米好きではあるが、この時の私はもう酔ってタガが外れているのだ。
すぐに寝て。少したって目を覚まし、軽くけろっと吐く。「苦しい・・・もうお酒は飲まない」と思い、また寝る。

朝、目を覚まして思う。違うな、吐いたのは「お酒」のせいじゃない。明らかに違うな。うん。

It's down to me, yes it is, the way she does just what she's told (こっちが言ったことだけを従順にやる・・・筈なんだけどな)  *Under My Thumb(親指タッチパネル) / Rolling Stones (1966) の歌詞。



2010年04月21日(水)  And I ran for my life

ああ、日本翻訳連盟から郵便物が来ている。例の、「一時間の筈が時間を間違えて30分しか受けられなかった翻訳検定5級」の結果通知だ。
・・・わかってはいても、不合格って言われるのは気分が悪いなあと思いつつ開封。・・・合格だ。
あ?
合格。うそ。
うっそーーーーーー!
あああ、あたしって凄いんじゃない?(ああ、失敗から学ばない体質に拍車がかかりそう・・・)
試験問題自体は一時間あればこなせると感じたので、不合格でも次は4級を受けるつもりでいたが。それなら飛ばして3級にしよう。

合格証書に添えられていたお手紙に、「おめでとうございます。普段の実力を存分に発揮してどうたらこうたら」と書いてあった。いや、時間が半分しかなかったんですけど。でもだからこそ全力疾走はしたな、うん。

And I ran for my life (全力疾走しました)  *11th Street Kidzz / Hanoi Rocks (1981) の歌詞。



2010年04月17日(土)  Hector Hugh Munro

この日記の読者からメールを頂く。ハンドルネームが私の好きな作家のペンネームと一緒なのは偶然だろうが。こんなことで好印象を持つのが私。
R.E.M.の検索で私の日記にたどり着いたというこの方は、私の書いた次のふたつの文が気に入ってくれたという。
「R.E.M.を聴きながら街を歩く。すれ違う全ての人より自分が幸福に感じる」 (2005,12,11)
スマッシング・パンプキンズが個人の耳元で囁き、キンクスが生まれた街の中だけを歩き、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが共感できる限られた仲間達に呼びかける時、R.E.M.は哲学の美学の観念をもって世界を見渡す」 (2006,8,7)
・・・自分の記憶の中でも、R.E.M.について書いた文章で心に残るベスト3に入る文章だ。

ちなみにベスト3のもうひとつは、夜の電車で"Drive"を聴いていた時の記憶を書いた文章。
「世界中をこの美しい曲の足元に踏みにじりたいような気分になった」 (2005,3,17)

この方は私の文章を色々な言葉で褒めて下さっていて、とても有難い。だがそれよりも、自分が一番書きたかった言葉、個人の感情の高まりを何とか普遍性のある言葉に置き換えようとつとめた部分にきちんと反応してくれているのが嬉しい。

6日前の誕生日にも、別の読者の方からメールを頂いた。この方は、私の日記を読むことで、「レッチリのアンソニーが歌ってる詩の真摯さや、フーファイのデイブのメロウさなど、見落としてしまっていたことの再発見」をしたという。
私は実際にはアンソニーに対して「真摯」、デイヴ・グロールに対して「メロウ」という単語は使っていない。だからこそ、私の文章を消化したうえでご自身の言葉で的確に再現して頂いたのが、なんとも気持ちよかった。その単語で正しいのだ。
ちゃんと読んでくれているんだなあと思う。

この日記を書いて7年半以上になる。遡って全部読んだという方はさすがに減ったが、どうやら今でもいることはいるらしい。
以前はかなりのアクセスがあり、日記だけで一日で2,400件を超えたこともあったが。昨年7月に日記終了を宣言し、さらに10月にはトップページのサーバーを変えてしまったので、以後アクセスはがたっと落ちたままだ。サイトごと閉鎖したと思っている方も多いんだろう。
一度は書くのをやめたわけだし、それ以外にも何度もやめようと考えたことはあった。が、時々頂く読者の方からのメールがそれを思いとどまらせてきた。
アクセス数は多いほうが嬉しい。でも、私の文章を根本的に勘違いして読んでいる方に出会うこともある。ニュアンスという以前の基本的事実を誤読されてがっかりしたことも何度かあった。そういう経験を通して、他人に理解を期待するのは間違いだと自分に言い聞かせている。だから、言葉の通じている読者がいると知るのは救いだ。メールを下さる、会ったこともない読者の方というのは、たいていがそういう方たちだ。あちらも、何かしら理解しあえるものを感じたからこそ、わざわざ知らせて下さるのだろう。

Hector Hugh Munro (私の好きなその作家の本名)



2010年04月16日(金)  Rhinoceros

病院のハシゴ。まずは近所の総合病院でCTスキャン。これは癌の後の定期健診で、去年からずーっと放っておいた。このまま5年経過してしまっても良かったが、ハラがあまりに痛く、先日などは息をしても痛いくらいだったのでとうとう昨日婦人科に行ったのだ。
「いつから痛いの?」と訊くので、「昨年11月からです」と言ったら、触って痛いところを確認し、「腸だね。やっぱり手術後だから腸の動きが弱ってるんだね。可哀想に」とひと言。
・・・あ、それでおしまいですか。「手術後」って、手術からもう16ヶ月ですけど。そうですか。へー。

そしてその日は型どおりに採血(約5千円)し、今日は型どおりCT(約1万円)。ただし万一腸に異常があってもCTカメラには写らない。

ちなみに私は2008年10月に、父に(一緒に東京フィルを観に行った時に)、「私は腸の病気で死ぬと思う」と言った。その夏からずっとハラに激痛を抱えていたのだ。実際はその2ヶ月後に卵巣癌が発覚して手術したが。

病院の2件めは耳鼻科。CTの帰りに寄ってみた。ネットで評判の良い耳鼻科を調べたら、ここが出てきたのだ。
荻窪に越してきてから3件めの耳鼻科だ。不調が出たのは2006年で、聞こえが悪くなった。2006年に通った耳鼻科の女医は、「あらあらどこが悪いのかしらねえ?」と困ったように言い、ただ毎回鼓膜マッサージ機(イヤホン状のものを自分で耳に入れてじっとしているだけ)を使わせ、ただ適当な薬を出し続けた。症状は一切改善されず、薬の副作用が出たおかげで婦人科にかかる羽目になった。2007年に行った別の耳鼻科医は、どこも悪くないと断言して、私の話は聞かずに遮り、頭ごなしに説教口調で喋るので、行くのをやめた。
でもここのところ耳鳴りがするので、とうとう今日また別の耳鼻科に来たのだ。
「鼓膜がやられている」という医者。「他の耳鼻科では鼻から耳に空気を通す治療した? してない? なんでやらないんだろうなあ」と言い、鼻から耳に管を通す。鼻から喉や耳に管を通すのは今までに何度か経験があるが、下手くそな医者にやられるととんでもなく痛く、刺激で涙が止まらなくなったこともあった。が、今回はものすごく不快だが痛くはない。コップの水を飲ませながら治療したりと、かつてないことを色々される。「どう? 今すこしすっきりしたんじゃない?」と訊かれる。本当にいきなり聞こえが良くなっている。
医者も看護婦も態度が良く、治療費は安い。
こりゃ本当にいい医院かも。

ところで"otorhinolaryngologist"(耳鼻咽喉科医)は私が覚えていて書ける最も長い単語だ。"Otolaryngologist"でも同じ意味だが、どうせならこけおどしで長い方を覚えようと思った。
それと、"rhino"が入っているほうが気に入ったのだ。これがこの場合は何を意味するのか知らないが、"rhino"は口語で「サイ」である。

Rhinoceros (サイ)  *Smashing Pumpkins の曲。(1991)



2010年04月11日(日)  Happy birthday to me!!



親切な方が目黒の美味高級ケーキを家まで届けてくださったので。ゴハンの後にソレ食ってたら、その間に日付が変わっていた。・・・ひろりん(sax)からのバースデーメールを見て初めて気づいた。
・・・食ってて、誕生日になったのに気づかないって。「いつからそんな女になっちゃったんだろう」とひろりんに返信したら、「幸せな年の取り方だと思うよ」と慰めてくれたので、立ち直りかけてふと思う。待って、この女はたしか、食い過ぎで自己破産したことがある女。信じちゃいけないわっ。(注:「この女」呼ばわりはワタクシの愛情表現です)

ということで皆様。Screaming Bunny、本日お誕生日です。
メールくださった皆さま、なんかくださった皆さま、有難うございました。今後もすくばにをよろしく。ラヴ。



2010年04月09日(金)  translation dilemma

仕事として引き受けた手紙の翻訳をする。日英翻訳の難しい点のひとつは、漠然としたニュアンスの日本語を、明確な意味を持つ英文に置き換えなければならないことだと思う。例えば、「やはり色々と大変であれかとは思いますが、何かありました時にはまたひとつよろしくお願いします」をどう英訳するんだということだ。この日本語は、長い割には実は意味がほとんどないのであり、ないものは訳せない。そしてここで実際に言いたいのは「また仕事を下さい」だったりするので、それをオブラートにくるんで言うしかない。

先月、翻訳の講習会に三つ参加してみた。日本人二人にアメリカ人一人。たった三例だけだが、どうもこの翻訳というものは、英語を学ぶこととは大分違った作業なんだなと感じる。
三人のうち金融翻訳専門の翻訳家は、原文が読み辛い場合は、読みやすい文章に変えるのが翻訳家の使命だと言った。書いた人間よりも読者のことを考えるべきだと。なので質疑応答の際に私は、「では例えば文芸翻訳の際に、悪文が優秀な翻訳家の手によって優れた文章に生まれ変わってしまっても良いとお考えですか?」と質問した。そしたら翻訳家は一瞬絶句し、「それはかなり深い問題だね。それを今ここで言えっていうの?」と困り果て、いくつか「悪文→すぐれた翻訳文」の例などを話してくれたが、結局明快な回答はなかった。

で、私自身は、悪文は悪文のまま訳したほうがいいと思うのだ。悪文が売りの作家もいる筈であり、だったらそれを味わえるほうがいい。「うわあこれ読みづらい文章だな。よしここはひとつ俺が読みやすい文章にかえてやろう」などというのは「改ざん」に思える。

だが文芸ならともかく、実務翻訳の場合、読みづらい訳文を出せば翻訳家が力量を疑われるのであり、であればお客様が満足するであろう読みやすい文章に仕上げるのは当然ともいえる。

科学論文をよく訳すという翻訳家はこう言っていた。「ネイティヴの文章なんてどれもこれもまあひどいもんですよ。こっちが校正してるんです」
翻訳された論文はどれも画一化されていそうな気がしてくる。論文なんぞに個性はいらないということなのかもしれないが。(本当にそうか?)

翻訳って何なんだろう。原文のイミテーションなのか? 全ての文芸作品は、原文で読むことでしか真価を味わえないのか?
ジェイムズ・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の訳で有名な柳瀬尚紀氏は、英語の語呂合わせなどを日本語の駄洒落に換えたりしているようで、そういったことこそが「翻訳」なのか? 何をもって正しい訳というのか。

無論私自身に結論は出ていない。結論を出すにはまだあまりに経験が足りない。今しばらく勉強してみてから考えたい。

ひとつだけ。去年私の知人が、ある日本の作家を激賞して、「こんな美しい日本語は、翻訳は不可能だ」的なことを言っていたが。―――その知人は英語が全くといっていいほどわからず、英語以外の外国語も出来ない。英語の美しさ、英語の可能性、日本語との差異も知らないのに、何故翻訳の可・不可がわかるんだ。英語と日本語の壁を乗り越えて、川端康成を、谷崎潤一郎を、その他日本人作家の作品を海外に伝えるために、どれだけ翻訳家が懸命の努力をしていると思ってるんだ。
英語が出来ないことはどうでもいいが。知りもしないで適当なことを言わないでいただきたい。

translation dilemma (翻訳の苦しみ)



2010年04月05日(月)  Don't do as I do; do as I tell you!

3月のTOEICの結果が出る。930点(L465、R465)で、リスニングが下がったが、リーディングは過去最高だった。
・・・これでようやく、1月のリーディングが415点とガタ落ちだったことの言い訳が出来る。つまり、疲れ目がひどくて集中できなかったのだ。
それに気づいたのは3月TOEICの前日だ。1月以来初めてTOEIC模試を解いてみたところ、リーディングの読み間違いが20ヶ所もあったのだ。・・・20ヶ所!!
翌日のTOEICは読み間違いに気をつけたので、高得点につながったようだ。

一方リスニングの敗因(1月490点→3月465点)もよくわかっている。いつも生徒にやるなと言っていることを自らやってしまったせいだ。しかもふたつも。
ひとつは、「Part2を解く時、例え正解と思うものがあっても、すぐにマークシートを塗らない」だ。万一塗った後で別のものが正解だとわかった場合、消しゴムで消して塗りなおすことがかなりの心理的動揺を招くからだ。
・・・今回これを思いっきり自分でやってしまった。ちょっとした勘違いから「はいはいBが正解」と塗ってしまい、その直後にCが正解とわかって、消しなおすことで力いっぱい動揺し(机がものすごく揺れやすかったので、隣の人に響かないよう消すのに苦労した)、おかげで次の一問をきれいに聞き逃した。
それと何よりも。Part3とPart4で、設問を読みながらリスニングをしてしまった。いつも生徒に、「音声が始まったら目を閉じて音に集中!」と厳命しているというのに。

ところで先日、20代の男性の生徒から悩み相談を受けた。(女性の生徒にはよくあることだが、男性というのは珍しい) 彼はあることで年長の男性に「そんなんじゃ駄目だ」と説教されたというのだ。
そこで私はこう答えた。「偉そうに説教する年長者の意見なんか聞かなくていい。何故年長者の意見に聞く価値があるかというと、年長者は、自分が失敗を繰り返しているので、己を過信していないからだ。要するに人間が成長するというのは失敗から謙虚さを学ぶことであって、年上だからと偉そうにする奴なんて、何も学んでいないということだ」と。
我ながら大変いい意見だと思う。が、しかし。
先生は、ただ謙虚にしていてはいけない。己の失敗も踏まえて、生徒に説教しなくては。

ということで。これまで以上に生徒に厳しく指導することにする。
「音声が始まったら問題を見るんじゃなぁああい! こないだ先生がそれで点数落ちちゃったって言ってるでしょうがぁあああ!!!」って。
(ま、最終的には本人の好きずきだけど)

Don't do as I do; do as I tell you! (私がやる通りにやるな。私が言う通りにやれ!) *「自分を棚に上げ」説教の定番文句。



2010年04月03日(土)  And who knows which is which

一昨日のひどいパニックの後、病院に行くことを決心した。今までそれを論外と考えていたのは、私が医者という人種を全く信用出来ないからだ。
体の医者には長年さんざんひどいめにあってきた。舌根扁桃腺肥大で喉がふさがって苦しいので、耳鼻咽喉科にずっと通って薬をもらっていたら、実はその薬がただの精神安定剤で、喉を腫らす副作用があるとわかったことがある。
ただの単純骨折だったのに、医者が最低限の処置をせずにギプスで固めてしまった為、足の親指がかたわになったし。
13歳で初めて婦人科にかかった時は、自分の体をインターン数名の講習に使われ、耐え切れずに途中で診察を拒否して帰った。一昨年末の卵巣癌も、医者の言うとおりにしていたら、手遅れで死んでいただろう。同じ時に複数の医者にかかれば、必ず違う診断をすることも経験で知っている。
医者なんてどいつもこいつも最低のクズだとまで偏見を持っている私が、精神的な問題で医者を信頼できるわけがない。そしてこの問題ばかりは、信頼関係がないとどうにもならないだろうに。

しかし今回、自分の症状が何なのか訊いてみようと思ったのだ。どうも私の症状は、通常のパニック障害とは違う気がする。特にそう感じるのは、普通パニック持ちは、次にいつまたパニックを起こすかという「予期不安」があるらしい点だ。私は、普段なんでもない時には、もう治ったんじゃないかと思うくらいに楽観的になる。
先生これ何なんですか?―――そう訊いてみようかと思った。
そして何故かそう決めて以来、かなり精神状態がいい。

心療内科をネット検索。荻窪だけでも10件近くもあることに驚く。
某個人医院に電話する。かなり鳴らして、時間外かな?と思った頃に女性が出た。一瞬しんと間があってから、「はい」とだけ言うので、民家にでも間違い電話しちゃったかと思ったが。確認してみたらその医院。*医院名はお教えしません。
子供のような声だ。妙に間が空くし、喋り方がかなりおかしい。発声障害がある20歳くらいの子を受付に雇っているのかと思ったら。なんと医者本人。
「初診の予約をお願いしたいんですが」と言ったら、「あのね、初診の方にはね・・・こんなこと言ったらあれなんですけど・・・30分みてもらってるのね・・・飛び込みもね、ありますから・・・どうしても大変っていう方のためにね・・・」と意味不明のことを言い、いきなりくすくすと笑う。
こちらはてきぱきと喋っている。これじゃこちらが医師であちらが患者だ。
とりあえず来週の予約をして電話を切り、夜になってから「申し訳ありませんが都合が悪くなりましたのであらためます」とメールした。

精神科の医者が精神を病む例はよく聞く。心療内科も同じなのかな。
なんだか馬鹿らしくなり、おかげでさらに元気が出る。

もし今のこの調子の良さが、病院に行こうと考えたおかげならば。実際に行って失望した場合(その可能性は高いと思う)、また不調になるか、もしくは反動でさらに悪くなることもあり得る。
だったら一旦、棚上げにしようか。いつでも行けるんだと思って。
そしてもし行くとしたら、なるべく個人医院は避けよう。医者が一人静かにおかしくなっているかもしれないから。

やっぱり人間って、あまり一人でいないほうがいいんだろうな。

And who knows which is which (どっちが患者だかわからないな)  *Us and Them / Pink Floyd (1973) の歌詞。



2010年04月01日(木)  It'll work itself out fine. All we need is just a little patience

先週木曜、シャワー中にひどいパニックを起こし、何とかギリギリに身支度をすませて、何事もなかったかのように明るく授業をした。それからの一週間がひどかった。毎日毎日、動揺を抱えて眠り、不快とともに目覚める。喉が腫れている。
簡単にまとめて言うが、地獄の一週間だった。今朝が最悪で、母親に電話して泣いた。

喉元過ぎてしまうと、自分でも気のせいだったようにすら思えるのに。パニックの最中には、これよりひどい不幸があるなんて信じられなくなる。
仕事や人間関係の不幸がなんだっていうんだ。その気になれば捨てられることのどこが不幸? 私の不幸は自分の中にあって、どうやっても逃げられないのに。アル中?ヤク中?ホームレス? 全部好きでやってるんでしょう? 自分のせいでしょう? そう言いたい気分になる。
もっとも、確かにこれよりひどい状態はいくらもある。例えば私は、失明には到底耐えられない。だがどうして私が、目が見えないことをそこまで耐え難く思うかというと、失明という閉所に閉じ込められたらパニックを起こすからだ。多分もう終わらないパニックを。

でも。
逃げられない不幸以上の不幸がひとつある。「終わらない不幸」だ。
私は、パニックの進行を恐れる一方、いつか治るかもしれない望みもある。少なくとも喉元過ぎた時は、毎回そう思う。
でも世の中には、変えられない、終えられない不幸がある。

雅樹は、半身不随という一生治らない障害を背負って、そのせいでパニックも起こすんだという。
だから私は、パニックの最中にしょっちゅう彼を思い出す。私の苦しみは、彼のに比べたら遊びだ。
私の苦しみは、終わる可能性がある。彼に比べれば、ふんだんにある。

だから。
まして、いつかは終わることがわかっている苦しみなら、どうってことないでしょう?

It'll work itself out fine. All we need is just a little patience (時が解決してくれるから、もう少し我慢して)  *Patience / Guns N' Roses (1989) の歌詞。



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