鮎見時子の日記
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2005年09月29日(木) フェミは私と気はあわない理論かも。

かなりまたしても世間にさからった
感覚にとらわれていて
でもさすがに誰がなに思おうと勝手なはずだけど
世間の顰蹙怖くってもっとアクセスのほとんどない日記に
書いていたことのコピー一部推敲です。

ただの一個人のたわごとだということを冒頭のお断りとして
明記しておきます。

***

「結婚帝国女の岐れ道」上野千鶴子と信田さよ子の対談読んだ。
でますますフェミって実は細木数子の説教の仲間なんじゃん?
私の頭の思考推論の針の結論はそっちに傾いた。

そもそも本読んで一番の感想は
妄想なんだけど、どうにもこれって結局
中年以降のおばさんが無自覚にやる
自分がどれだけ
まじめに頑張ったか自慢?
そういう親の子としての葛藤抱えた私に十分妄想抱かせる内容で
ふ〜ん?って感じ。

他人というか生き方の憧れはみんな好みの問題で
私にはとくになんの感化対象にならない
上野さんを尊敬するって人がいても
それだけなら別にそういうひともいるんだ
私にはよくわからないけどで、おしまいって感じだけど

30代からの中高年
(本の中で40代はこの本は相手にしてないと宣言してあって私40なんで実際相手にされてない
年齢だけどね)
結婚してもしなくても煮詰まってるみんな、
それぞれというか試行錯誤というか、そういうのを

「結婚帝国女の岐れ道」
もうこのタイトルからなんだそれって感じ

(読んでもらうためのパフォーマーかもしれないけど、だから余計、細木数子と同心円?)

で、フェミが届いてほしい人ほど届かない。
はい?フェミって万能?と
思っていたら偶然フェミ暦長いネット友人とのやり取りで
フェミにはまってる中年30代40代も将来の試行錯誤切実だって。
じゃあやっぱりなんかだからなんなんだ、ただいやみな分析してるだけで、
ほとんど何の答えも示してないじゃん。って思ったのも
そう思うのもありだと思った。


そもそも独身女性が派遣に流れたり親の介護を自分の視野に入れて
介護の後は社会で労働のスキルもない無保険難民になるのは
嫁がやらなくなった老いの介護誰かがやらなくちゃで
社会制度だけでまかなえないシステム不備だったり
子どもの先を心配しないで子どもを老いを見る道具に思う親に
説教することが順番的にさきじゃん?
とか
派遣の使い捨ては
今までだって日雇い肉体労働者を都合よく使うニーズの結果
今大量なホームレス者を抱えてる社会構造の
第二バージョンにすぎなく
個人が踊らされての自己責任だけがもんだいじゃない。
フェミって、フェミ歴長い友人の言葉にもあったんだけど
成功して躓かない一部の人には都合よくても
それってただそれだけのことって気がする。
みんなが思ったようにはいかない。
上野さんの対談読んだら自分が頑張ったらできた
あなたもそうなんだという勝手さのにおいがして
私はついていけない世界の人だと思う。
フェミって常に自分の権利獲得闘争前提だけで感化された
次世代を育てる構造は持ってない視野にない
それはその個人の問題にしてしまうらしい。
それは一見は正しいけど、

私の一番地雷それだけで前後すべて
どこかおかしいと決め付けてしまう
私の良心倫理感覚では
正しさ正義の諸刃への責任さえどうもそれは自分の責任範囲にもしない

それはちょっと・・・で、だからこそ

フェミとDVの関係
前から聞いたことはあったけど
本でDV支援の担い手フェミだそうで。
フェミはDV支援の担い手やって
自分たちの宿題問われてるんだと思う。

私のフェミと細木数子同心円説的に言えば同類だから。。
でも同類同士のみでしかも同類自覚なしで支援者になろうって
うまくいくと思えない。

これを表的表現に変えたら、
DVはフェミから遠いからこそ起きてる。
それを支援ってDV当事者、つまり支援者被支援者の感覚の差すごい遠くて
それは困難だろうな。

あるいは、フェミがDVに深くかかわるのは
マーフィーの法則
変わるのはフェミ。フェミのかけてる鏡がDV
であってDV当事者を変えることばかりにとらわれても
それでは、パワゲーのレベルなんだからフェミが
変わらないと先はない。

なんて、まじめに現場でDVの支援やってる人が読んだら
怒りまくるような気が。

現場知らないからこそ勝手なこと言ってる訳だけど
だからこそできる発想もあり
表現の問題はあるにしても全く見当違いでもないような。

DV支援には三つ提案(机上論だけで実際困難だろうけど
どうせ支援の今後の展開煮詰まってるんだから言うだけでもいいかなと)

ひとつは重篤な末期DVは別にして
双方が何かおかしい。止めたい止めさせたいカップルに
二人でカップルカウンセリング。
徹底的なロールプレイで暴力以外の行動選択肢を
外側から学ぶ対処両方。

いまのところそういう支援は聞いたことがないけど
あったら一部の人たちには有効だと思うけどな。

二つ目は言えば顰蹙だけど、最初から派手なDV関係だった場合は別として
中高年から今までまあいいかって思ってたことが全部嫌になる
またはますますエスカレート。
そしてDV度が悪化・・
それは間違いなく双方の加齢で脳の思考の柔軟さが欠け衝突してしまう。
だからおかしいと思ったら精神科へいくといいよ。
薬で柔軟でまともな思考補って夫婦維持するのも止めるのも
どっっちにしても二人だけもしくは親しい身内や友達の第三者介入でよけい
こじれるよりベターな結果になる可能性大。

そしてDVの被当事者&当事者に一番先に啓蒙必要優先は
「別れ話は二人だけでするなさせるな。」
(例外もきっとあるとおもうけど例外にしてよさそうな条件は被当事者すぎて想像不可なんでとりあえず)

殺傷は別れ話のとき起こると結果命にかかわっちゃうから。
なにから支援を手をつけるってまず
三番目の話を世間に広めること実用即効性高いと思ううですけどね・・

カップルの問題を楽しい二人だけの秘密はいくら持ってもいいけど、
自分と相手だけで密室にしてなんとかしようって間違ってます。

もともとDVも
結婚パートナー幻想、
あれは脳でとりあえず相手と生涯ともにするってシュミレーションを
人生の最後までの優先にあげてしまって
そうやったら生存本能の誤作動で強固に
実際の行動が楽しい楽しくない関係なく維持することだけ
目標に暴走。被害者も加害者も演じる役で暴走の外見は違うけど
本質には共通項あるような・・・
この説明も理解されないだろうけど
気分だけはわかる気がする被当事者だからこその思いつき・・







2005年09月28日(水) せっせと書いてる自己開示長文の一部公開

まだまだ書き足し推敲あるんだけど
とりあえず誰かに読んでもらいたくて公開
原稿用紙10枚くらい書き出しの冒頭のみの未完

殴られない幸せ

「おまえはなんでもやりたいことやって生きている。」
「したいことはなんでもさせた。」
「ママなんてちょっとでも逆らえば、父親に殴られた。
殴られたことないおまえは幸せ。」
私の母親の口癖である。
物心ついたころからいったい何十回聞いたかわからない。
聞かされる子どもの気持ちを想像する能力が欠落し、
母親には言葉とおり以上も以下もない素直な感想。
今は40過ぎの中年の私にも、もちろん、
以上も以下もない言葉でしかない。でも、
お母さんがかつて子どもだった
私について記憶してそう語る印象と私自身が子どもだったあの頃、
祖父母、母、父4人の大人のそれぞれの勝手、
大人同士は力関係のバランスとって
成り立っていたのだと今はわかるけれど、
当時そこに幼い子どもだった私が存在していい隙間なんかなかった。
私は過去をそう分析して感じてる。
全く違う認識。それはでも、
子どものときのことなど過去のこと。
やるせない気持ち全くないと言い切ることはできないにしても、
もう今更どうでもいいことなのだとつい最近まで思っていた。
大人4人の過保護過干渉で
自立能力低い中年になってしまったのは本当だと思うけど、
だからって今更親を非難する気もないし、
それ以上の愛情は注いでもらったし、
思春期以降の子どもにとっては
精神的にも金銭的にもたからない十分いい親。それでOK。
そう思っていた。ところが、
実際、医学的な定義も今現在存在していない、
根拠はといわれたら
私自身の他人に見えない感覚のみを信じる直感だけが頼りの話に
過ぎないけれど、今更ですまない。子どもの頃、過去が
現在の私をいまだに支配をしている。
意識を記憶が束縛している。
その現実を直視し、率直な自己開示してみなければ、
この先私はすでにパートナーがいて
かわいい子どもがいて大人の責任果たし、
日々のささやかな幸せ大事に生きたい。
頭、意識はそう願うのに
魂、無意識の混濁しきった闇がそれを否定している。
そう考えだすきっかけは、
トリイヘイデンのフィクション「霧の中の子」のなかで、
後に解離性同一障害と診断される子どもに向かってむかって
トリイが感情とはなにか、いろんな気持ち、
つらいどうしていいかわからなかった気持ちを
困った場所にしまいこんでしまって
そのままにしておいては
あなた自身を私は助けたいと思うけれど
できないのだと説明するシーンが生々しく、
私に向かっていわれたような気がしたことで
私自身の子どものときの記憶の起草に繋がった。
実際にはその以前、最初に、乖離の感情を思い出したのは、
10年ちかく前、
子ども虐待を学ぶ講座で擬似セラピー体験を受けたとき、
当時の毎回のばらばらなエピソードは
まったく覚えてないけど、ああまただ、と思う瞬間頭の中が、
空白で自分が消えるというか、みない、聞かない
そういうことを繰り返していた生々しい感覚だけ甦った。
そしてでも、今はそのころの自分じゃない。
世の中は安全、私の力も関与できるし自分で先が選択もできる世界。
それが納得でき、それまでなんて、常に気持ちは決まっているのになぜか、物が決められない、選べない。
かつての幻の過干渉に支配されて常にパニック。
30になって
初めてなぜ自分の言動がコントロールできなかったのか悟った。
それに、十代半ば以降
親の視界以外の世界が増えたころからは止まったけれど、
それまでいつも私の頭の中は知らない他人が
いつも会議やっていて私は傍観、
いつか声に人格がでて私は乗っ取られるのかもしれない。そう感じていた。
そんなになるまでの
過干渉は十分虐待だろうとおもうけれど、
救ってほしかった当時、
頭の中で人の声がするなんて誰かに話していても
光があったように思えないし、
今それを蒸し返しても蒸し返すだけなら何も意味はない。
なにもこれからにプラスはない。
だけどそれから10年たって
霧の中の子でさらにリアルに起草したそれによって、
30歳での起草は乖離を外側からみていただけ、
感情は伴ってないイメージだけだったのだと知った。
実際にはあれも感情なの?と思うくらい、思い出すだけで、後頭部の首に近い部分ががんがんと痛い。
感情として言葉で整理するのは難しすぎる。
あえていうなら怒りよりただのくるしい混乱。
でも、あんなにも追い詰められる感情を頻繁に子どもの脳で毎度まじめに処理したら
脳はオーバーヒートして
20歳前に精神科病棟生活者だったんじゃないかとまじめに思う。
乖離と表現していいのかわからないけど
乖離で脳を守って生き延びた子どもが今の私。
ひどい虐待から自分を守る手段としての
乖離これは生き延びるには役にたつけれど
大人になってからは困った間違った反応習慣として自分を苦しめている。
私自身のいまのありのままをありのまま表現しても、
今現在、
乖離は記憶を処理しきれないから閉じ込める方法という説明のみで、
そうじゃなくてどうしていかわからない、
どうにもできないから歌でも歌って聞かない、見ない、
現実を記憶から飛ばしてかき消した。
無録画、無録音ノイズが大量に保管になっていて
今もその残骸ノイズで頻繁に思考がサーバダウンみたいに止まる。
頻繁にフリーズするPCみたいなのかもしれない。
しかももっと困るのは
大人の今正当な義務や責任のプレッシャーやストレスからも
現実逃避して浪費癖で借金までしている
自分の原型が子どものときの乖離のパターンを持ち越してきている、
今更やっとわかった。
けれど、単純に外側、何も考えないのは実際楽だと自分でも思う恣意な自己意思選択であるのは事実だけど
そこのところだけ切り取って、
ただの甘え甘え言い訳としてのみ非難される。
非難とまで行かなくても、
実際医療の一部は、依存症は本当にどうしようもなくなって底をついて
本人の意思で変わろうと思わない限り立ち直らないと、
医療支援の限界を当然のように表現している。
依存症当事者の感覚としては、
頑張らないととだけ思っても
実際生きることを楽しいとか明日の希望とか感じる能力が退化し
(脳ハードの感情の理解って多分ほんとに微量な物質の差であるわけで
虐待などでの強烈な未消化不良の感情は過剰物質流通という意味で
微量な差の認知をハード難しくしてしまうことは物理ハード的には
ありえる話だと思う)

正直言えば鬱のピークがくれば、
別に、今日寝て明日目が覚めなくてもそれが一番楽かもとさえ思う。
そもそも今こうしていることもなんだか
他人事。ロボットの操作を仕方なくやってるだけって思う。
とにかくなにもかも面倒でわずらわしい。
人間なんて食べてうんこ製造それだけが生きること?と思う。むなしいだけでなにもない。
確かにこれが私の本音でもある。
でも心のどこかからそれはおかしいぞという声もする。
娘はかわいいし、成長楽しみだし
夫も結婚してよかったと思うほどじゃない後悔の比率の方が
相当高い相手だけど、彼なりの誠実さで大事にしてくれる。
私の母もそう。
生きることが、わずらわしいなんて何かおかしい。
やっぱりまともに生きたい。
私なりに、今後もまともに生きるには、
今の自分もっと客観視した肯定や、そこからできることできないこと他人と比べないでひとつずつかえることが大事。
おそらく非難のほうが大きいだろうけど、
私ひとりがこんなじゃない。
子どものときの過剰ストレスで脳ハードがうまく昨日しない。
余計な意味不明のソフトウエア詰め込みすぎて
頻繁にフリーズする感覚実感としてシェアできる人もいるんじゃないか。
同じ感覚シェアできる人から生きるテクニックも学びたい。
この話、私が5年早く生まれても、情報がなく、
ただの甘えた怠け者として何か違うとおもうけれど、
言語化することはできなかったろうし、
5年あとに生まれても、今度は
時代のある意味では甘やかしにのまれて、
自分は悪くないそうおもうだけで
生きる責任考えなかったろうし、
うまい説明かどうかわからないけど、
親の愛情も物質の豊かさがバックにあったら、
うちの親たちのように程よく品良くお金や物を扱えない親から
愛情は感じるの難しかったんじゃないかと思う。
つましい欲のない暮らしそれが当たり前の親、間違ってないと思うし、
今もできる範囲よくしてくれるけれど、
子どもにとって、善良な行動に言葉が伴わない。小学生になっての
私からの母の日のプレゼントに
「こんなお金かけてもったいない」であったり、
風邪で寝込んでる高校生の私に向かって
「病院代もったいない」であったり、
思春期なんて祖父母が、お金ほしさで不良になったら困る。
で、「ほんとにほしがるものなんでも与えた。」と、
いまも母は信じ込んでる。
でも私側からは、ほしいも何も
私が何がほしいかじゃなく
与えたいものという基準だったわけで、
何が必要でないがいらなくてといったものを選ぶ選択行為の
自主決定権は思春期以降親の視線の外範囲が増えて初めて奪還された。
いま、40以下30代そういう子増えてるんじゃないかと思う。
私の世代だとまだ物質信仰カルチャーはないし
親の手間隙で子ども育てるしかなかったからそれを嫌がらないことで
愛情示せる機会多かったんで
親をただ憎む気にもなれないしけど時代が少し違ったら、
親をもっと軽蔑してたのかもしれない。


2005年09月06日(火) 通院薬追加

こんなにもう借金減る見込みないのに1万2万平気でつかってるのは
いけないな〜と
心療内科へ行って
衝動的に2万3万つかってしまったりで困ってます。
ってことで薬増やしてもらいました。
あうかあわないかわからないし
きちんと合った量飲んで血中濃度管理しないと
聞くか聞かないかわからない・・
薬きちんと飲むのってかなり苦手だけど
今回まだ3日だけど頑張ってる。3日朝晩飲むなんて
かなり頑張ってるぞ私(汗)

でも、1回
2万も使ってたら大変だよね。。
いつから?

って聞かれ20代から・・と答えてみて
今更気がついたんだけど
20代30前でも前半でも5年10年前から精神科薬
合うの探してドクターショッピングしてたら
立ち直ってることはないにしても
正気の期間がこの20年であと半年でもあったら
100万単位でお金生きてたかもしれない。

なんでいかなかったんだろうな〜。。謎。

精神科って深くカウンセリングとか難しい全部喋らないといけないと
思い込んでいたせいもあるかな。
そうじゃなくって
なぜかお金使いまくってしまうので困ってますで
よかったんですよ相談は・・・

***
話し変わりますが風水で9月9日
さんかん柄の器で日本酒に菊をうかべてのみましょう。
さんかんって何?
ネットで調べてわかった「桃ざくろ橘」の果物。
そんな柄の器なんて簡単に手に入る分けないと思っていたら
ふと付録つきドクターコパの風水雑誌、さんかんがらの風呂敷。
コップをこれで包んで代用でOK?
(ちょっと違うかな?)
でも食用菊なんてそう日常売ってない入手困難。
この台風じゃなければだめもとでスーパーで儀式に使うからほしい
取り寄せお願いしてみてもよかったけど。。。
切花の菊を農薬覚悟で花びら1枚だけ入れる?

どうなんだろね。。

ちなみに風水の1年は秋から始まるんですって。
いかにも農耕民族感性のカレンダーですよね。。
農作収穫終わって種籾の準備などなどもう来春にむけて
秋から始まるわけで。。

後また、全然話し変わりますが、久々履歴書書きました。
そうしたら園がとっさに書けなかった。
101日から雇用予定の急募じゃないから
どうせ受かる気がしないし横着で書きたくなくていたけど
頑張って明日の朝には書いて台風ひどくなかったら
(ひどいのは深夜らしいから・・)だしてこなくちゃ。
受かっても受からなくても努力が大事・・?






2005年09月02日(金) 鬱々愚痴愚痴日記・・

生理前で生理がなぜか予定から、遅れる数日から1週間
衝動的で投げやり感覚ピーク。
昨日それでも心療内科へ行って前と同じ薬、と下剤と、睡眠薬処方してもらってきた。
でも、いらいらし数万とかお金使ってしまうのどうにも止まらない。
やばすぎ。。。
こういう衝動生理前の限られた日が一番ひどい。
ほかの日は思っても実行までクッションがあったり
やっぱり止めたり完全に止められないにしても
理性の声がちゃんとする。
でも生理がちゃんとこない期間は理性の声ぶっとび・・
で、ああこういうとき用のきつい頓服薬がほしい。
週明けまた心療内科行ってもらおうかな・・
副作用でぼ〜と体動かない。麻痺で1日すぎても
衝動的に2万3万お金消えるよりはまし。

薬なんかじゃなく止める意思・・でも、24時間
頻繁に衝動のスイッチはいりそうになるのを止め続けるのは
気合だ意思だじゃ、不可能にちかい。
いったんすいっちいれちゃったらとめられない。
だから入れちゃいけない。

今日もでも衝動発作中で、家は出たけど
でもお財布家に忘れ、で、1000円だけ車にあったから
神棚の榊かえようと何日もおもっていた榊1件目で、
1束しかなく、
もう一箇所よって買ったついでに、
娘が引っ張るからゆがんだめがねのフレーム直してもらい
(これもかなり前からやらないと、と思っていた)
もうでもゆがみすぎて完全には直らない。
きちんとしためがねも必要みたい。いつ壊れるかわからないし・・

で、家に帰ってきて榊をとりかえ、
そうだこの話を日記とメルマガに。。とPCに向かい・・

若干の正気で半日頑張りました。
午後と夕方からはまたどうなのかな・・・

***
車で財布忘れて帰り道。
自分の母親のことを考え、
今同じパート仲間が肋骨おったから、
少しよくなるまで時間外で仕事手伝うことにした〜

100パーセント善良でいい人というか
私欲は必要最低限だけって感じで。

で、どうして私はこうなのかな〜
我慢とかできないは
そのときの欲望だけで、つき動いちゃうの。

人格品格が低い・・でも高くしたいと思えない。
楽しそうに感じないんだもん。

なんてこと告白してみました。
今までこれは気持ちの中ではそう感じていても
実際言葉にしたことなかった。
だってそれは人として恥ずかしすぎ・・

何で楽しく感じないのか理由はいっぱいあるような気がする。

もちろん、そんな自分勝手じゃだめだけど
同じレベルの自分勝手でも
時の勢い運に乗っていたらなんとなく発動しないというか
人生の破滅までやけにはならない。
時の勢いから外れたときにますます投げやりで
非建設な思考どうでもいいやとか
自分だけは今までなんとかなってきたから大丈夫とか・・

書いていて思ったけど
依存症で破滅する道から抜けない人が思ういうこと
そのまんまの今の私。

ため息です。。。





2005年09月01日(木) 鬱々な棚卸日記〜依存症の半生、反省。

今日の日記冒頭からなんですが、
生理不順だと思考めちゃめちゃで理性がない
だからこそここまで書ける・・・みたい
自己中な吐出しです。


***

相変わらず万単位お金使ってるわけで
そんな馬鹿な自分が嫌で実際死んだりしないけど
気分は明日目が覚めなくてももういいや、
超無責任モード。
実際死にたいというよりすべてに関心もないし
何の感情もないのに
なぜだか生きて喋って食べて・・疲れてもう全部終わりだといいなって感じ。

夫への不満も。
最低な人でもないけど、小学生の子どもの親?って気分で
ブルー。
加齢でますます些細なこと?で怒鳴るし。
10年後20年後一緒でどう?って本気で思う。

全然未来に希望とか展開みえないし。
パートは久々書類選考応募しようとこれから履歴書書くつもるだけど
好条件なんで採用期待なしのだめもとって感じ。

こうなってしまうここにいたってしまったこと
選択してきた結果のせいもあるから
なにもかも運のせいとか人のせいとか
そうじゃない反省も必要。

でも今の時期は運がないみたい。
まるで見えない圧力で自己中への天罰?

最善の選択今からでももうあるのかないのかわからないけど
また心療内科行って
衝動的で良心麻痺な心境のとき役に立つ頓服薬もらうか
心療内科から精神科へ変わろうか
(といっても精神科って心療内科より柔軟がないみたいであうドクター探すの難しそう)

数万も使う自分だったら最低子どもの安全守る能力だけ
残っていたらボーっと無気力廃人のほうがまし。
長期的にそうなったら困っちゃうけど
どうも運がない運が動く時期じゃない今を維持するのが
今の私の難しい課題。

実際の日記の日付とは前後してるけど
3日前心療内科へ行って
便秘薬と睡眠薬も追加してもらった。
便秘薬はたまりすぎていたから速攻効きすぎ1錠でこの二日
これって宿便も出てる?てくらい。
でもまだすっきりしないけど
便秘の解消でイライラが若干消えというか
お金使ってるのも疲れるんだな〜何にもしないで
家でグーたらあるいは夫や娘とだらした日常も楽しいわけじゃないけど
か〜っと衝動で買い物してるより体は楽かも・・とか
やっぱり夜寝るというのも体には大事だな〜

・・・今頃じゃなく、もっと早く5年前3年前
こんな自分でいいんだ〜って開き直りと
薬に頼る心境できていたら
(といっても5年前3年まえでは精神科薬遅れていたろうね)

人生全然違ったろうな〜

精神科薬に頼るなんてってのは
風邪を薬でだましだまし社会生活したり
高血圧抑えたり。
そういうのとどこもかわりない。

もっと早くから薬に頼っていたら
数百万単位でお金を生かせた。

依存症一人で頑張るのは早く止めましょう。
頑張っちゃうと、
人生のその後の選択肢狭めます。
体験者の反省を込めたアドバイス。





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