a short piece

2004年12月10日(金) complaints【28】

香港がなんだってんだ…くそぅ。

片腕がどうにも動かせない状態で慣れないベッドの上に転がっている。
いやに清潔そうなシーツも枕カバーから感じる消毒の匂い。
若干小さめのパイプベッドはちょっと動くと軋むような音がする。
うんざりする。
動かせない左腕を投げ出して、右手で額にかかる前髪をかきあげる。
目を開けてみれば、広がるのは見慣れない天井。
左右を分けるクリーム色のカーテンレール。
そして、自分の横たわるベッド脇に添えられた点滴キット。
ベッドの上に据えられた何語だか判らないビニールパックからぽたりぽたりと均等な雫を下に据付けられた容器内にたらしている。
ぐるぐるとたるんだチューブの行きつく先を目で終えば、その先は当然、自分に刺さっていた。
ぷっすりと左腕の前腕筋近くに張り出した血管に刺さったままの針。
多分、そこからわしの体ん中に、あのビニール内たっぷりの薬がはいってる訳ね。
それにしても。
なしてこないなことになったんだか!
わしのクサレ弟が大事に学校からもってきやがるから!
なんか寒いなぁと思ってはいた。やや風邪気味かな?と思い、早めを対処を心がけて保健室にいったら、ちょっとびっくり38.3をマーク !
あまりの高熱に昼もくわんうちに早退させられていた。
そりゃ食欲なんて実はあんまりなかったからいいんじゃが…。へえぇぇ。
あっとゆーまに病院の処置室に連れ込まれたわしはそのまま90分という長時間拘束にあってしもーた。
90分って!?なしてそんなかかるんじゃ!点滴っつーもんは!
とにかく当たった医者が悪かった。
わし、点滴うちたいなんてゆーとらんで。くそう。
とにかく病院ていうのは、なんもかも苦手じゃ。
自分のつけているJAZZの香りがなんだか恥ずかしい程度に違和感がある。
こんな場所くるやったらトワレなんてつけんかったに。
とにかくやることもなし。
病院内じゃ携帯もつかえんし、柳生じゃないから当然、本なんつーもん常に鞄にあるはずもなし。
どうせ眠くなるじゃろ、とたかをくくっていたらこれがまた耳を澄まさなくても、やたらと聞こえてくる周囲の話し声が気になって寝つけん。

「おじーちゃん!もう少しで終わるから少し点滴の速度はやめるね。あと少しだから待ってねー」

キャリア十分の看護師さんが、じいちゃん相手に病状を諭すようにこなれた話っぷりをしている。声の方向からして、ありゃきっと入り口近くにあったベッドに寝てたじいちゃんだ。
さっきからベッド脇にいる奥さんに「トイレ行きたい」やら「暖房があつすぎる」やら、ぐだぐだと甘え腐ってた親父じゃ。
なにあまえとんじゃ!じじい!とつい悪態をつきたくなる。耳ん遠いせいじゃと思うが声がでかいんじゃ!お陰で気になってねむりゃせん。
聞こえる言葉の端々をつまんで見ればどうも大した病気ではらしいが透析がどうのとか、カメラの検査結果がどうのとか。
まだ結果がでないことが不安らしく、かあちゃんにぐずぐずと甘えてるらしい。そんなことまで判っちまうほどに声がでかい。いや、そんなデバガメな話よりもだ ! どうせなら一緒にこっちの点滴もはやめてくれや。
ぼんやりといまだたっぷりと水分を蓄えたパックをみる。
注射器の本体みたいな容器から有線マウスのラインみたいなチューブがやたらと長ったらしく伸びている。そんなに距離いらんのやったらなんで短いの、つかわんの?そのほうが早く落ちるんでねぇ?
そんな事を思いながらぐたぐたとどうも収まりの悪い枕を後頭部でぐいぐいと押し付ける。なんつーか位置がびみょーに悪いんじゃ。
左腕は動かせんから、なんとか半身だけを起こして枕をずらす。
枕というにはセンベイすぎる枕を除けて、自分が着てきたダウンジャケットを必死に畳んで枕代わりにしてみた。
ちょっともがきすぎて、左腕に刺さる針が皮膚の上でぴくっと引きつった気がしてあわてた途端、シャッと勢いよくカーテンを開く音がする。

「なにしてるんです?」

それは看護師じゃあ、なかった。
カーテンを開けた隙間に顔を出していたのは、セピア色に赤と茶でラインが入った学校指定のマフラーをしたやつ。
チャコールの薄手のオーバーにシルバーの眼鏡の縁を白く曇らせた柳生が立っていた。

「鞄をもってきました」

そういった手にはわしの部活用の鞄。そうだった。保健室に持ってきてもらえたのは学生鞄だけだったんじゃ。

「明日は土曜ですから、中身の入れ替えがあるでしょう?」

そういって柳生は鞄を近くにあった籠に乗せた。

「すまんの」
「いいえ。それより大丈夫なんですか?」
「たぶんな。インフルエンザやと」
「みたいですね。香港A型と聞きました」

柳生はベッド脇にあったパイプ椅子を据えた。
マジカに座られるとなんでか困って恥ずかしくなる。
こんな格好でばったん倒れてみっともねーったら。

「ウツルぞ」
「私はとうにワクチン注射済みですから」

…さようですか。
今時まじめにワクチンなんぞうっとるワカモンがおるかい!と、さっきの医者に「ワクチン注射の有無」を聞かれた時に思ったが、こないに近いところにおりましたですか。

「無用心ですまんの」
「うちは特別です。毎年恒例行事のようなものですからね」
「医者のお家は警戒厳重やな」
「予防は最大の防御です」

なんか意味違う気もするが、そんなこと突っ込む気力もない。
不甲斐ない話、体力と同時に気力も萎えるもんらしい。
へえ、とため息をついて頭をゆする。やっぱダウンじゃ嵩がありすぎじゃ。
処置室の室温が高いから少しは凹むかとおもったが…。
すると、不意に柳生が腕を伸ばしてきて、枕にしていたダウンをとった。
その掌で静かにわしの頭を一旦ベッドにおく。
そして、さっきわしが脇に寄せていた枕を元の位置に戻すと、自分がしてきたマフラーをすっと解き、手際よく畳んでそのうえにおいた。
汗ばんだ頭皮に柳生の指の梳く感触を感じる。
そのまま頭が浮きあがり、ぱふん、とマフラーの上に頭を置かれる。
それからそっと後頭部から掌が抜かれる。
ふっくらとちょうどいい首の位置にマフラーが入り、頭の具合が安定した。

「どうですか?」
「ん。ちょうどいい」
「よかった」

そのまま掛布団の上にトグロをまいていたチューブを手にし、わしの腕に刺さったチューブを固定したまま、器用にチューブを伸ばした。そうすると、気がつかないうちに、ベッド枠からはみ出しかかっていた腕に余裕が生まれた。針の刺さる、皮膚のひきつったような感覚が去り、すこしの自由がうまれる。

「短くしすぎなんです。貴方は眠ると体が自然と右に傾いてしまうでしょう?だから左腕だと少し釣るんですよ」

掛け布団を直して、座りなおす柳生の横顔。
いつも柔和に微笑むときもあるけれど、なんでじゃ?妙にこう…
なんだかこう…

「なんです?」
「やさしいのう」
「なにをいってるんでしょうね、この人は」

そういってやけにやさしい声で低く笑う。
いつもラケットのグリップをさする指先で、丁寧にわしの前髪を目元から退かす。何度も。何度も。
そのたびに指先から触れる生暖かい熱が伝う。
ああ、なんだか気持ちええなあ。
わし、点滴うちたいなんてゆーとらんけれど、こんな気分になれるんなら、案外お得なヒーリング効果や。
病院ていうのはなんもかも苦手やけど…

「やっぱ優しいのぅ」
「優しくされるのは病人の唯一の特権です」
「そうなん?」
「そうですよ」


そのまま額に触れてくれる掌の、少し冷えた感触を感じたまま、目を閉じてみる。
まるで額から熱を吸い込むように、ひたりと吸い付く感覚。
ああそんままにしといてくれ。なんだかすっごい気持ちええから。

「仁王くん?」
「うん?」
「まだ40分くらいはかかりますから眠れるならねたほうがいいです」

うん。

「仁王くん?」


うん…

やることもなし。
たまには弱るのも楽しいもんだな。

触れる指先の戸惑いを感じながら眠りに入れそうな空気を感じてる。
確かに香る。

慣れた柳生の匂い。

そのまま、やわらかなマフラーに片頬をうずめる。
わしもやっぱりぐずぐずに甘えたままや。
わりぃ。


「おやすみなさい」

うん。

おやすみ。














2004年12月04日(土) vanilla【28】

なんか微妙にウルサイな…

埋もれた布団の隙間から手を伸ばし、携帯をみる。
ディスプレイはデジタルで11時。
少し寝すぎた土曜日の朝だった。
40%起きかけの頭に、甘く霞む香りが部屋の中を漂っている。
なんの香りだったろう。
いろいろな記憶が散らばって眠たい額の上を行き来する。
普段はあまり感じることのない空腹感とか。
満たされる感触とか。
いろいろな感覚が眠たいままの頭の中を過ぎってウルサイ。
ああもうすごく誰かに似てる。そんな感じ。
いや、違う違う。そんなことよりも。
なんだろう、匂いは。
そして耳につく、この音。
カシャカシャと金属の掠る音が響いている。
諦めて布団からでる。
ベッドからはみ出していた足先だけが少しひんやりとする。
リネンの寝間着じゃもう寒いかもしれない。
貰いもののチャコールグレーのパジャマにフリースを羽織ると、誘われるままに階下に降りてみる。
より濃密になる香り。
あまるほどに暖かい空気にふんわりと漂うバニラ。
その音のさきには、小さい掌でレトロな泡だて器をかしゃかしゃとかきまわす幼い妹がキッチンにいた。
母が開いてあげたのだろうケーキのレッスンブックをみながら、真剣な顔つきで生クリームを泡立てている。
テーブルの端には小さなバニラエッセンスの小瓶。
ああ、確かになれた香りだと納得する。
気だるいほど幸福な記憶を思い出させる。

「あ。おはよう、ヒロちゃん」

起きてきた私に気がついて、POM PONETTEのエプロンにいっぱいクリームを飛び散らした妹が笑う。

「おはよう。ミントちゃんの顔が真っ白になってますよ」
「だって押さえてるの難しいんだもん」

彼女の腕には余るだろう、大きなシルバーのボウルをいっぱいに抱えて精一杯、固定しようと努力しているらしい。
覗いてみれば、随分長いこと頑張ったらしく、温度で緩くなりつつも僅かにホイップがツノを立てていた。

「この匂いだったんですね」

以前、授業でつくったショートケーキを思い出す。
あのときはあっというまにツノがたったような記憶があるけれど、やはり子供の力では勝手が違うのだろう。

「ママがね、こうしてつんって白くちっちゃな山ができる位まで頑張りなさいっていってたの。もういいかなぁ?」
「いいんじゃないかな?確か授業で習った時にもこれくらいで平気でしたよ」
「ほんと?やった♪つっかれたぁ!」

すっかり温まったボウルを置いて、彼女は冷蔵庫から丸いロールケーキを出してくると、キティちゃんのイラストがついたナイフで慎重にロールをあぶなっかしく切り出した。

「なにをつくってるんですか?」
「サンタさんにあげるケーキの練習してるの。夜におなかがすいてたら食べてもらうの」
「練習ですか」
「うん。なんとかノエルっていうケーキなんだって」

ブッシュドノエルのことだろうか。
まだ幼い妹は、私がとうの昔に過ぎ去ってしまった赤と柊の夢の中で、愛らしく戯れているらしい。小さな、その瞳にはいっぱいの夢があふれている。
私にはとうに聞こえなくなってしまったクリスマスの、あのしゃんしゃんと揺れる鈴の音が彼女には聞こえているのだろう。
既に私の中でサンタクロースは白いお髭をつけながら玄関からそっと入ってくる、よく知った父の顔をしているけれど…。

私より遥かにさいさな妹が、切り分けたロールケーキに白いクリームをぎこちない手つきで塗っている。チョコレートを塗るよりは簡単に真っ白なクリームを惜しみなくいっぱいに塗りこめる。まるで夏休みの粘土工作と同じ手つきだ。

「チョコレートでコーティングしないんですか?」
「全部ぬるには足りないんだって。だからママが今、買いにいってるの」
「なるほど」
「あ、ここからヒロちゃんは見ちゃだめだよ」
「なんです?」
「いいの!あっちいってて」

なんてさびしい。
せっかく兄としての感傷に浸ってというのに。
傷心のまま、冷蔵庫からエビアンをとりだしてリビングに引き下がる。
持ってきていた携帯を見ると、サイレントにしていた携帯にはいつのまにか彼からのメールが入っていた。
みなとみらい線がなにかのイベントで、ひどく混んでいて約束した時間には少し遅れるらしい。
だから、土曜に出かけるなんてやめましょうといったのに。
ただをこねるから。
寝起きいっぱいの水を飲んで深呼吸する。
なんの疑いもなく幸福なクリスマスを待ち焦がれる妹の背中。
自然と視線が緩む。

「ほら!できたよ!ヒロちゃん」

感傷を壊すのが得意な子供が、どん!と私の前に、よりによってカレー用の皿にのせたケーキとフォークを置く。

「あ」

そこに置かれた2つのロールケーキには子供らしいデッサンでチョコや切り分けたフルーツなどで、ディフォルメされた人の顔が描かれていた。
ひとつはたぶん私。そしてもうひとつは…

「こっちが二オーくん!似てる?」
「え、ええ。似てますよ」

似てないといったら泣き出される。けれど十分それだと判るくらいに似ている。

「なんで…」

ケーキを置かれた皿の空いた空間いっぱいにわずかばかりのチョコレートでいっぱいにありきたりの文字が書かれていた。

「知ってたんですね」
「だってこの前遊びにきたとき、なんどもヒロちゃんに言ってたもん」

確かにそうですね。すみません。
くどい位にしがみついて私に、アピールしてた彼を子供心にがっちり記憶していたらしい。
白地の皿に、ぎりぎり読めるくらいの文字でいっぱいにhappy birthday。

「これは…すごい勢いでメッセージがはみ出しましたね」
「…だってケーキはお顔でいっぱいになっちゃったから文字書くところなくなっちゃったの」
「いえ、いいんですよ。初めてにしては大変上手に出来てます。これは彼に食べさせるのはもったいない…」

ふと思いついて、手にした携帯でケーキを写す。
それを添付して写メールしてやろう。メッセージは空白。
それだけで十分伝わるはずだから。
ディスプレイから紙飛行機が飛んでいくのを妹とふたりでみつめる。
いたずらそうな黒い瞳で携帯を覗く。
ほら、1分もしないでリターンが飛んでくる。
メールを開いてみる。そこには簡潔に2行だけ。

『すごいのぅ!thank you!今日はどっちも食わしてや』

高い声で笑う幼い顔には甘いクリームがついたままだ。
むせるようなバニラの香り。

「におーくん、2個とも食べたいって!ふとっちゃうよ」
「そうですよ」

手早く返信を打つと、フォークであとわずかでメールを受け取るだろう彼の顔近くを切り分けた。

「わーさきに食べちゃうの?」
「朝ごはんですよ」
「もうお昼だもん」
「いただきます」

ぱっくり頭からいただいてしまうと、きゃあああ〜と喜んでるのか、悲しんでるのか判らない声で妹が叫ぶ。
いいんです。
どうせ戻ってくる台詞なんて絶対確実にひとつだから。

「携帯光ってるよ」

空いた手で開封する。
ほら。
彼は絶対に間違えない。

『本物だけ頂けりゃもう充分です』


自然と視線が緩む。
テーブルから香るバニラ。
ほら、確かになれた香りだ。
気だるいほど幸福な記憶を思い出しながら、きれいにひとつの仁王くんを頂いてしまおう。
ありきたりの祈りをこめて。
私にとっては、いるかいないかもしれないサンタクロースなんかよりも、現実に落ちてきた有り得ない彼の存在のほうが不思議でならない。
けれど…こうして彼女が願うような24日の夜を迎えられる日々がこれからも少しでも長く続きますように。

君の幸せな夢を守れるように。
私の夢を守れるように。

happy birthday。





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