ハッピーステップ
泥沼生活から、這い上がった軌跡(日記のはじめのほう)を書いた後
最近では、日常の感じた事をつらつらと、不定期に更新中ですm(_ _ )m

2003年11月08日(土) あきらちゃんとの問題、その後(part4)

「私も、ここまでのことしたくなかったよ。
でも、あまりにもあきらちゃんは、ひどすぎ。
そりゃあ、お金は返してもらいたいけど、そんなことじゃなくて、
苦しいなら、苦しいなりに、もっと、努力してほしい。
努力が見えたら、私も仕方ないと、あきらめもついたけど、
私には、そうは見えない。
もっと死にものぐるいで、頑張りなさいよ!
お金の事だけなら、もっと前に、催促の電話でも何でもかけてたよ。
私は、生活が、苦しくなった時、朝から夜中まで働いて、乗り越えたよ。
人に、迷惑かけたと思うんなら、謝る前に、じぶんで、それくらいのことは、
してほしい。
私だけの事じゃなくて、他に、迷惑かけた人にも、もっと、ちゃんとして。」

そう言って、その念書を持って、私は、怒った態度のまま、
その場を後にした。

エレベーターのところまで、あきらちゃんが付いてきて、
「ほんとうに、ごめん。」そう言った。

私の心は、同情で、少し緩んだが、心を鬼にして、踏ん張った。
振り向かずにエレベーターで、下に下りた。


そこを出てから、私は、言い知れない気持に襲われた。

すくなくとも、昔は、大好きで大好きで、お互い引き合って、
一緒に居た人なのに、
こんな形で、離れ離れになるなんて。。
なんと寂しいことだろう。

勿論、私にあきらちゃんへの想いなど、完全になくなっていた。
これからだって、そうだ。

だけど、あんなに幸せだと思った昔の思い出を良い思い出として、
心の片隅にしまっておくことが出来ない。

そして、あんなにシュンとして謝っている人間に対して、
心を鬼にして攻めなければならない悲しさ。


しかし、私は、あの会社の社員でもなければ、
あきらちゃんと今現在、何か関係があるわけでもない。
あきらちゃんも、いつまでも、私に甘えないでほしい。
自分のことくらい
自分できっちりけじめをつけてほしい。
最後くらい、そんなあきらちゃんを見せてもらいたいものだ。
そう思っていた。


あきらちゃんに返済してもらったお金は、それまでで、半分どころか、
三分の一にも満たない。

11月20日、あきらちゃんから、約束の金額の返済が、
私の口座に振り込まれていた。
これで、あきらちゃんも、改心するだろう。
そう思っていた。

12月、20日は、とっくにすぎているが、まだ振込みはない。
その、連絡さえも入れてこない。
やっぱり、そういう人間なのだ。もう、あきれ果てて、
ちょっとの同情心さえわかない。

今日は日曜日。明日、催促の電話を入れてみようと思う。
それで、出なかったら、
内容証明を送って、きっちりと、法的手段にでるつもりである。
勿論、津川さんの助けを借りてだが。。。。。





2003年11月07日(金) あきらちゃんとの問題、その後(part3)

あきらちゃんは、みかちゃんに、
「今日は、もう帰っていいよ。」
そう言って、促した。

みかちゃんも、なにか、ただ事ではないものを感じたのだろう。
黙って、帰る用意をしている。

「仕事中にごめんね。」
みかちゃんに、声をかけた。

みかちゃんは、
「ううん、だいじょうぶ。」そう言って、出て行った。

「自分で、電話するって、言ってて、かけもしないで、電話しても
全然でないって、どういう事?!なさけないよ。」
「ごめん。」
「こんなこと、ほんとにしたくなかったけど、あきらちゃんのいうことは、
もう、何も信用できない。きっちりしておきたくて、今日は、来た。」
「うん、ごめん。」
何を言っても、ごめんの一点張り、シュンとしている。

少し、かわいそうな気持にもなったが、
ここで、気を許すと、また、ずるずるしてしまう。

心を鬼にして、「今日は、きっちりと、書面にしてもらいたくて、来たよ。
私から、いくら借りて、それをどんな方法で、
どういう風に返済してくれるのか、
きっちりと、これに書き留めて!」
そう言って、紙とペンをあきらちゃんに突き出した。

「うん。」そう言って、あきらちゃんは、なにやら一生懸命計算を始めた。

何をしてるのかと思っていたが、しばらくは、憮然とした態度で、
待っていた。

あきらちゃんが、なにやら、紙に書いた計算結果を私に見せる。

「4月までは、苦しいから、毎月20日に、これだけづつ振り込むよ、
五月からは、これだけづつ振り込んで、来年の12月で、
返済が終了するようにする。
これで、いいかな。ごめん。」

では、こないだの電話で、2月に全額と言っていたのは、なんだったんだ。
ちらっと、そんなことも思ったが、黙って、その通りきっちりした形で、
書面にしてもらった。きっちり、実印も押してもらって。



2003年11月06日(木) あきらちゃんとの問題、その後(part2)

かねてから、そんな思いでいた私は、今年の11月はじめだったか、
いつまでも、いい加減に生きているあきらちゃんに腹がたち、
絶対に、お金を返してもらいたくなりました。


あきらちゃんの携帯に電話してみました。

勿論、その前の晩に、津川さんには、そのことを相談していました。

携帯に出たあきらちゃんは、悪びれる様子もなく、
「おぉ!元気か。お金、全然入れてない。ごめん。」
開口一番にお金の事を言う。

こんなあきらちゃんには、もう慣れた。口先だけのごめんなのだから。

「そのことで、電話した。」と、私。
「年末にちょっとづつ返して、2月に全額返そうと思ってる。
今、ちょっと、都合悪いから後でまたかけなおすよ。」
そう言って、電話を切った。


その日、やっぱり、かかってこなかった。

やっぱりね。

そう思いながら、私のほうから、その夜、電話をかけた。

津川さんも傍にいた。

電話はなるが、出ない。
何度も何度も掛けてやった。
逃げているのだろう。

非通知でかけるようなまねはしたくなかったので、
あえて、私だとわかるように、番号通知で掛けたのだが。。。。

もう、私の怒りは最高潮に達した。

そっちが、その気なら、出るまでかけてやる。
怒りに震えながら、ずっと、鳴らしっぱなしにした。
それでもでない。
津川さんが、横で、
「りか、もう日を改めてまた掛けなおした方がいいよ。」といった。
その言葉で、私は、うなずいて、電話を切った。
津川さんも、「男らしくない。。どうしようもないな。」と、
一緒になって、怒っている。


次の日も、お昼に電話を何度もかけた。
しかし、電話には出ない。
もう、最後の糸が切れた私は、あきらちゃんの会社まで出向いた。


事務所のドアを開けて、中を見ると、あきらちゃんがいた。

腹が立ってしかたない。


「どういう事!!」と、怒鳴りつけた。
あきらちゃんは、「ごめん、電話してなかった。」という。
また、口先だけの言葉だろう。

「こんなこと、したくはなかったけど、もう限界。
きっちりしたくて、来た。」

そこには、みかちゃんも居たが、お構いなく、私は、怒鳴りつけた。






2003年11月05日(水) あきらちゃんとの問題、その後(part1)

あきらちゃんとは、今も完全に全く会わなくなったわけではありません。
。。。っていうと、語弊があるけど、どうも厄介な関係が成り立っています。

今年に入ってから、私は、あるスジから、あきらちゃんの会社の状態を
噂で耳にしました。それは、あまりいい話ではなかったけれど。。。

あきらちゃんが、昔から付き合いのあった得意先が、倒産寸前だとか。。。
あきらちゃんの会社は、その得意先に売り上げを頼っている。

経営者なら、その対策に力を注ぐのが、本当だろう。
あきらちゃんは、何もしない。
結局、自分の足で努力して、物事を改善する事を避ける。

私が経営者だったとしても、新規の得意先を 駄目かもしれないけど、
とりあえず、頑張って探すとか、その倒産しそうな会社との契約内容を
変えてもらうようにするとか。。。
それなりに、なにか、次の動きを読みながら、
アクションを起こすだろう。

人生、努力しても、うまくいかない時期は、ある。それはわかる。
だけど、改善する努力もしないで、さじを投げた状態を
何度も繰り返している
自分だけの被害なら、それも人それぞれの考え方。

だけど、自分では何も動かず、たくさんの人に迷惑をかけ続けている
あきらちゃんに、腹が立つのだ。
全く、感謝の気持とか、そんなものを
心底から持ち合わせない人なのだから。。。

自分自身も、お金に困り果てているのだから、死にものぐるいで、
頑張ればいいのに、それをできない人なのである。


私が、もし、あきらちゃんにお金を貸してなければ、自分でまいた種、
どうぞ、勝手に苦労して、立ち上がってください。と、
あきらちゃんに、腹も立つこともない。

あきらちゃんが、もし、汗水たらし、必死で、
会社を立て直そうと努力しているのなら、
私も、なんとも思わない。

確かに、貸した私も、悪い。それは、十分わかっている。

けれど、すっごく、腹が立つ。
人が一生懸命働いて、こつこつ貯めたお金を
あっさりと、自分の我がままに使い、ひょうひょうと生きていることに。。。
それでも、男か!と言いたい。


・・・と、色々な思いで、この話をすると、ついつい力が、
入ってしまいます。



2003年11月04日(火) 津川さんとの出会いについて・・・

津川さんをはじめてみた時、小説風に、誇張した表現をしたわけではなく、
本当に、『何か』を感じました。

よく、ビビッと婚、とかいう言葉を耳にするけれど、
あんな感じなのかな〜なんて思う。

でも、ひとめぼれとか、そんなんじゃなくって、
とにかく、「あっ!!!」って感じ。。。
言葉では、なかなか言い表せない。



付き合い始めてから、ちょっとして、どうして私に電話番号を聞いたのか、
尋ねてみたことがある。

彼は、まだ、私が、何曜日に出勤か知らない頃に、私が休みの日、
あのお店に飲みに行って、ママと、バンさんが、カウンターで話していて、
私とバンさんが、飲みに行ったときの話をしていたので、
それを聞いて、無性に妬けたそうで。。。^^;

そのときに、自分の気持ちに気が付いたみたいです。。

飲みに行って、店の女の子に、全くそれまでは、
関心を持ったことがなかったらしく、
自分が、ここまでの感情になるのは、よっぽどな事だと思い、
絶対に、他の人に、私を渡したくないと思ったんだとか。。。(笑)




付き合いだしてから、物語にも書いたとおり、
彼は、私に毎日会いたがりましたし、
私も、彼に大きな安心感を感じていました。

でも、物語でも、ちょっとだけ、触りましたが、私は、津川さんに対しての
自分の気持がなかなかつかめないでいました。

そんなときに来る、彼からのガンガンのアプローチに対して、
正直、うっとうしく感じた時期もありました。

今おもえば、あれは、私自身の混乱した気持を 
彼に八つ当たりしていたような状態だったのかもわからない。

あんなに、よくしてくれた彼に対して、
「毎日毎日、会って、正直しんどい。」とか、
「贈り物したら、私がどうにでもなると思ってるの。」とか、
今日から、一週間は、友達と遊ぶので、
会えないと嘘のメールを送ってみたり、
かなり、残酷な事を繰り返した時期でした。

それでも、彼は、「気をつけて、行っておいで。」とか、
「少しでもりかの助けになりたいだけなんだ。」とか、
そんな意地悪な私に対して、いつもいつも、
どんな時も、やさしく大きく、見守ってくれていました。

あの時期のことを思い出すと、ごめんなさいという気持ちで、
今でも、胸が、きゅ〜〜んと、締め付けられる想いです。


彼は、どうしてそこまで、私に入れ込んでくれたのでしょうか?
決して、もてないタイプではありませんし、どちらかといえば、
女の人受けするタイプに見えるのに。。。。


今となれば、あの時、よくぞ耐え抜いてくれました。。。
そんな思いです。(笑)



数年たってから、「あの頃は、ほんとうにごめんね」と、
彼に対して感謝の気持と、大好きな気持を書いた手紙を添えて、
彼のお誕生日にプレゼントを渡しましたが。。。(笑)






2003年11月03日(月) エピローグ

今年で、津川さんと過ごすクリスマスイブは、もう三度目になる。

私の選んだ腕時計を うれしそうにすぐに腕にはめて、
何度も何度も眺めていた。

まだ、腕のサイズに調節もしていないのに。。。



朝の早い仕事である彼は、今日は、忙しいらしく、いつもよりさらに早く
もう仕事に出かけてしまった。

津川さんと付き合いだし、こうして一緒に生活をはじめて三年半。

彼は、気持ちも外見も若くは見えるが、
私との歳の差は、ひとまわり以上である。


毎日のように、私たちは、一緒に食事をとり、
彼は、毎日のように、帰るコールを私に送る。
毎日、笑いは絶えない。そして、感謝の気持も。。。。。




若い頃から、あきらちゃんを中心に、いろいろな経験をした。
長いトンネルだった。


いや、トンネルではなかったのかもしれない。
あの経験があって、今の私なのだろう。

こうやって、フリーで仕事を取るようになってから、
いろいろな人が、声をかけてくださって、仕事が順調に進むのも、
あの時、死にものぐるいで頑張った経験で得た実績のおかげ。
津川さんのような人に出会えたのも、お金に困って、
夜にあのお店で働いたからだ。


津川さんをはじめてみたときに感じた『何か』は、
この人が、私のkey manであると
感じ取ったからなのかもしれない。



そして、私は、昔より、人の痛みを知り、人の寂しさ悲しさ、喜びを知り。
あの辛い日々を知ったおかげで、どんな時でも、
前向きな気持ちを持てるようになった。

毎日のように、神様に祈りながら、時を過ごしたあの頃。。
神様は、私に、最高のパートナーと、最高の日々を与えてくださった。




津川さんの大きな大きな安心感と、やさしさ、包容力、正直さ。
それは、いつまでもいつまでも、何年たっても、はじめのまま。
朽ちる事を知らない。

私が、こうして、毎日を笑って暮らせるのも、すべて、津川さんが、
導いてくれたからだ。


いつも、私の横で、一緒に、笑ったり怒ったり、悲しんだり。。。
いつもいつも、陰になり日なたになり支え続けてくれている。



おごることなく、力むことなく、自然に、
この幸せをいつまでも、
大切にしたい。






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2003年11月02日(日) 第55章 春の陽気に。

次の日、いつものように津川さんから、電話があった。  


「話、してきたよ。津川さんのことも話してきた。」
「そうか。」
彼は、それ以上の事は、言わなかった。




そんなことが、あってから、何度か、私の家にあきらちゃんが来る事や、
電話がかかってくることがあったが、私の気持ちはもう、あきらちゃんには、
戻らなかったし、あきらちゃんも、相変わらず、いい加減な生活を
続けているようだった。


私へのお金の返済は、一切なかった。


もしも、私が、男で、あきらちゃんの立場なら、
私の家へ訪れてくるとしても、
その返済を済ませてから、やり直したい気持ちを伝えに訪ねるだろう。

あれだけの啖呵を切って、私の元から出て行ったのだ。
それを何の悪びれもなく、ひょこひょこ私の前に現れるあきらちゃんに、
嫌悪さえ感じるようになってしまった。



津川さんは、はじめと全く変わることなく、
いつまでもやさしく私を包んでくれた。



私は、それから、就職口を見つけ、そこで一年働いた後、
そこを退職し、フリーのデザイナーとして、在宅で働くことにした。

私自身、その一年の間に、借金もなくなり、少ないながら、
ある程度の貯蓄もできるまでになっていた。

とんとん拍子に、契約してくれる会社が、何軒か見つかり、
仕事は、順調に進んでいった。




ある日、私は、急に自転車がほしくなり、自転車を買いに歩いた。

春の陽気が、ポカポカと、気持ちの良い日だった。

私の心は、その陽気のせいもあり、平和で幸せな気持ちに包まれていた。

こうやって、急にほしくなった自転車を何のためらいもなく、
買うことができるようになったのだと、ふと感じた。

うれしさで、涙が出そうだった。



普通なら、こんなことで、涙が出るほど、うれしく思ったりしないだろう。

しかし、私は、ほんの数年前まで、たった、200円の豚肉を買うために、
お金が惜しくて、何度も何度もスーパーを往復して迷い、結局、買えずに
スーパーを後にする。そんな生活を送っていたのだ。

そのことを思うと、そうして、自転車を買いに行ける喜びは、
大きなものだった。



帰り道、暖かな並木道を自転車で、通り抜けると、
とても爽やかな気持になった。




私を救ってくれたのは、津川さんだ。
私は、心の底から、感謝の気持ちでいっぱいだった。
春の陽気の中で、大きな幸せを手にした喜びに胸がいっぱいだった。





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2003年11月01日(土) 第54章 消え去った想い(part4)

「私はね、あきらちゃんと別れてから、必死で生きてきたのよ!
やったことのない夜の仕事までして、毎日、無我夢中で生活したよ。
お腹に赤ちゃんもできて、その赤ちゃんを流産して。。。」
涙が溢れた。


あきらちゃんは、驚いていたようだが、私の話を黙って聞いていた。
私は、幾分落ち着いて、赤ちゃんの話をした。


心配しているようなそぶりは見せたが、
私には、あきらちゃんの心底からの気持ちを感じ取ることができなかった。


なぜなら、その後にも、平然と、「今日、泊めてくれないかな。」
そう言ったからだ。



この人には、もう、何を言っても無駄だ。
あきらちゃん自身が、もっともっと奈落の底に突き落とされるような
経験をしない限り、
私の話したことの本当の意味、人の温かい心
そんなものを心底理解することは、できないだろう。



「なんなら、ずっと、りかのそばにいるからさぁ。」
あきらちゃんの言葉が、薄っぺらく私の耳に入る。



「無理。私が、悲しくて不安で、苦労でいっぱいの生活をしているとき、
助けてくれた人がいるの。その人は、温かい心を持ってる。
苦労して努力して、自分の会社を立派にした人だよ。
モノやお金で助けてくれただけじゃない。私を毎日毎日、
一生懸命安心させてくれた。
私は、絶対に、何があっても、その人を裏切らない。
何があっても、その人に話せないような行動は、絶対にとらない。」



あきらちゃんは、私の言葉をまた黙って聞いていた。



私は、もう、鍵をポストに入れて、帰ってしまったであろう津川さんに、
とてもとても会いたくなった。


あきらちゃんが、目の前にいても、
もう、津川さんのことが、私の心を
埋め尽くしていた。



あの人は、どんな気持ちで、私を送り出してくれたのだろう。
早く会って、今度は、私が安心させてあげたい。。。。





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