植木屋さんの介護日記

2004年09月17日(金) AtoZ and so on

 母親が退院してから、きょうで3ヶ月。
 1ヶ月目にも挨拶しに行ったが、ちょうど「経管栄養」の引き取りもあったので、脳外科病棟に饅頭などもって挨拶にいった。お目当ては、看護士のY女史なのだったが、ナース・ステーションの前でI さんとOさんに出くわした。
ふたりとも「はちきん」のいい感じのヤツらなので、Yさんいますか、とも言えず、ぜえぜえゴホゴホの挨拶をして撤収した。饅頭はしっかり受け取ってくれる、頼れるヤツらなのではあった。(個人的な物のやりとりには、結構面倒くさい病院である)
 その後、訪問リハビリ担当のIさんのところに顔を出して、「どうして、あんなつれない置き手紙をしたのか」確認。きのう、わたしが仕事から帰ったら、「来月からは来ない方がいいのでは」という内容のメモがあったのだ。
 ばかいってんじゃないよう〜。田舎の介護ビジネスの中では、ともすれば「介護供給者」側の都合で「これでも食らえ」的なサービスが横行する中、Iさんみたいに「当事者」サイドでものを考えてくれる「労働主体」が稀にしかいない。8月の「担当者会議」でも、思いっきりぶっ放してくれた彼女のような存在がいなければ、この地域環境は変わらないのだ。それを、わたしひとりにやれっていうのかい? とまあ、そういう話のすえ、いままでどおり彼女が来てくれることとなった。めでたし、めでたし。
 きょうは、真岡のショッピングセンターで「真鯛」を購入したので、あした来る妹用に「かぶと煮」をつくった。身は全部わたしがいただいた。



2004年09月13日(月) 「教育フォーラム」で里芋の話

 9月11日「T県の教育を良くする県民会議」という団体の主催する「教育フォーラム」で、パネラーに変身したわたしは、「介護者の食生活と当事者の下痢」について話をした。あるいは、「特別支援教育=ノーパンシャブシャブ論」
 ことの発端は、県内にほそぼそと残っている「日教組系」の教職員組合と仲良しにしていたら、「特別支援教育」をテーマにした集会があるから出て欲しい、ということなわけです。参加者の半数以上が「特殊教育」担当の教員だったようですが、パネルディスカッションの前の講演で、自治医大の塩川さんという小児科医が、結構あけすけにものを言ってくれたおかげで、わたしも全面展開できました。
「知的ハンディ」を除く「軽度発達障害」を新しい「特別メニュー」に組み入れながら、金も人も増やさない。しかし、「習熟度別学習」のためなら、無理してでも加配教員を送る。教員の指導力をランク付けする。「君が代」を歌わない生徒の居るクラス担任を指導・研修対象とする。
 あきらかに、「障害」は日々生産されているじゃないか。

 「がっこのせんせ」というのは、牛小屋のウシみたいに反応が見えない。ウシさんごめん。けれど、滅多に同席しないだろう、普通学級の中の「障害児」の親や、連合系の組合員がいたことで、会議の流れ自体はすごく自然だった。
問われているのは、得手勝手なシステム変更でもなければ、親や家庭の教育力でもない。子どもを取り巻くわれわれ自身の社会イメージだということが、以外にすんなりと通ってしまった。これでええんかいな???

 おまけ
 帰りがけ「お疲れさま」と声をかけてきた人がいた。わが家と同じ組内の4歳年下の親父だ。ええっ?知らぬ間に、妙なかたちで本性を「地域デビュー」させてしまった。

 さて、本日の夜。
 「子連れ狼」最終回を観ながらビールを飲んでいたら、母親から「ウンコ」サイン発令。せっかく娘のことを思い出しながら、しっとりとした気持ちが頭をもたげてきたのに・・・。などと思いながら「オムツ交換」
 しかるに、なんじゃらほい? ウンコしていない。けつがアホになったのか? そうではなかった。オムツをのぞき込んだわたしの呆れ方を見ながら、ゲラゲラ笑ってるよ、この人は。えーかげんにせえよ。
 むかし、ウソをつくたびに「狼少年」の話をわたしに聞かせたのは、確かこの人だったなあ。

 今夜はなんだか蒸し暑い。 



2004年09月09日(木) わたしはさびしい

 「母親」が退院してから3ヶ月、ずっと彼女をいっしょに見守ってくれていた、訪問看護のSさんが来月から週一日になる。
 本人の様子が安定しているので、看護士の手当よりも「外出」の機会を増やす方向で生活を組み立て直したい、というSさん自身の判断を、「母親」もわたしも尊重せざるをえない。
 きょうは「仕事」に出たのだが、是非とも彼女と話がしたくて、車で15分の現場から家に戻った。(東京だと、15分は近いのだが、田舎の15分は結構走るよ。)
彼女に週一日しか会えなくなるのは、本人のみならず、わたしだって寂しい。ほんとに。
 けれども、彼女の仕事の「実績」としては、いままで2回来ていた「利用者」が、一回で済むようになるということは、飛躍的な進展であるはずだ。ありがとう、ありがとう。
 ところがですよ、病院として把握する「実績」というのは、月に幾ら稼ぎ出すか、という視点でしか評価されない。これは「絶対に」違うんじゃないか?彼女の安定したやりとりを、少し離れた場所から聞いているだけで、こころがしっとりとする。その彼女が、本人のこれからを展望して、外出機会の確保のために「訪問」を自制するのだから、こんな明かな「実績」はないと思う。
 わたしとしては、ちょっと動き出そうかな、と思っちゃうわけです。
 「月別看護料」にあらわれない「実績」を、利用者の側からうちだす必要を感じています。



2004年09月06日(月) おかえりなさい

 「ショート・ステイ」終了。きのうね。
 帰るやいなや、どてーっと、部活から帰った中学生のように放心している。
わたしは、宇都宮まで行って買ってきた「巻き藁」の台をつくっている最中だったので、迎え入れだけして作業に戻った。この空白の時間こそが、「在宅」の醍醐味なのだ。と思う。

 「ショート」は結構いろいろあったようだ。先週の金曜日の「通所リハビリ」の時に、施設側が帰宅時間に間に合わせようと、急激な勢いで「経管栄養」を施したせい(だと思う)で、彼女が嘔吐してしまい、次の朝は「おお下痢」だった。
そのことが「施設」をびびらせたのだろう。「ショート」の期間(一泊二日だが)、普段の半分しか「経管栄養」をしてもらえなかったようだ。ダイエットにはよかったかもね。
 あのさ、自分が飯を食うときだって、里芋が半生じゃイヤだから、ゆっくり煮込むでしょ。それとおんなじことをすればいいだけの話。消化の困難な「栄養剤」であれば、せめて「湯煎」にしてからゆっくり落とすとか。(うちみたいに寒天寄せにしろ、とは言わないから。)
 もっとも、つねひごろの介助者の食生活が、通勤途中にコンビニ弁当かっこむ、というのであれば、それは「想像力」に限界があるのもやむを得ない。
でも、それは、いま付き合っている「利用者」の生き方から、介助の人間がなんにも影響されていないということにほかならないわけで、わたしなんかは、そこんところで「ケンカ」したくなるわけです。



2004年09月02日(木) ショート・ステイ

 きょうは訪問看護と訪問リハビリとが、午前・午後にあった日。
 普段は、めいっぱい自己展開して、夕方は心地よい疲れに浸っているはずなのだが、「ご機嫌斜め」。
わたしは知っている。きょう「ショート・ステイ」の契約のため、通所リハビリに行っているところの事務の人がやってきたからだ。
 わたしの予定としては、来月「障害児の高校進学を実現する全国交流集会」というのを、広島でやるので、その期間「ショート・ステイ」をしてもらいたいと思っている。しかし、その時になって、突然「外泊」を強いられるのもえげつなかろう、と思ったので、「ならし」のために今月の空いている日に彼女に「外泊」をお願いしたのだ。
 お願いした当初から、何となく「釈然としない」感じを、彼女はもったのだろう。それが今夜噴出した。わたしも彼女も「食事」をしている最中に、オムツを替えろ指令が発令された。「食事が終わるまで待てない?」と言ったわたしの言葉に、猛然と抗議の姿勢。それならばと、お互いの食事を中止して「希望」(ほんとは希望ではないのだろうが)に答える。すると、今度は掛け物を握りしめて「オムツ交換」に非協力的な態度。結局、わたしがいまどう感じながら「あなた」と居るのか、ということから話す。「母親」泣き出す。

 これだから「親子」は消耗する。が、来月わたしは広島へ行く。母親は不本意ながら、今週末「ショート・ステイ」する。わたしの都合で「生きさせられる」のだ。なぜなら、彼女は、「広島へ行くわたし」と生活しているからだ。そうでないわたしなら、たぶん一緒には生きようとしないだろうが、そういう「仮説」は意味がない。


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