言葉にしようとすると泣けてくるのだ。 わたしのすきな「音」は、すべて「経験」としかリンクしてない。 大好き。クランベリーズも、スティングも、キザイヤ・ジョーンズも、イジョンミも、スピッツも、ジュエルも、ノラ・ジョーンズも。おんなではない。ハートの襞から、プラプラと自分の想いをぶら下げて歩き続けた「友」から、すべてもらった感性だ。傾斜することの心地よさ。
とりとめもなくなってきたが、今日は「いちご煮」を寒天寄せにして「口」から食べた。 ご存じない方のために、「いちご煮」とは、ウニとアワビを潮汁にした缶詰のことである。 わたしんちの「母親」は気仙沼の生まれで、おそらくこういう味を普段から味わっていたのではないか、という「誤解」に基づいて、わたしが気仙沼と連絡をつけた。さっそく「寒天寄せ」を食わせたら、しまりのない顔で「うんまいなあ」という表情で答えてくれた。 基本的は、おきて破りな食い物である。クロさんだって食ったことないでしょ。
たべたいひとは、 岩手県九戸郡種市町22−131−3 株式会社 宏 八 屋 tel 0194−65−5111 まで
月に一度、母親の経管栄養と薬をとりに、車で40分ほどの町にある病院(母親が入院していたところ)へ行く。 わたし自身の子どもとの関係を考えてもそうなのだが、「親子」という関係は厄介なもので、ちょっと気をゆるすと「ぐずぐず」のなしくずしになりがち。お互いに展望のない「どつぼ」にはまる可能性が、つねに潜んでいる。 そんな「やばさ」を感じたときには、「病棟」にお邪魔して、廊下の椅子に座って、そこの雰囲気を吸収してくる。尊敬する「看護士」さんは、眼が合うと、何も言わずにとなりに座って、深い呼吸であれこれの話につきあってくれる。 「そうなのよね。わたしたちは仕事だから、それできちんと付き合い方が決められるけど、肉親はそうはいかないものね。」 ごく当たり前の会話だが、わたしはその「場」にある、患者とそれを取り巻く仕事師たちの関係が好きだ。その雰囲気は、病棟ごと・診療科ごとにばらつきはあるものの、長い時間をかけてはぐくまれ、しかも、いつでも開放可能な「柔軟さ」を備えている。プロとはそういうものだろう、と思う。 しばらく話をしているうちに、呼吸が丹田におりていくのが分かる。 「手厚い看護をしてるって、聞いてるわよお。」 それはちがう。 わたしが、母親の入院中、水族館の芝居と「蒲田のひと」とのあいびきで欠席した以外、毎日病院に通ったのは、あなたたちの雰囲気を味わいに行ったようなもので、生き物としての生存に必要な手当をするというだけの場合にも、じゅうぶん豊かな関係をもつことができるのだ、という事実にしびれたからだ。
だから、居宅介護の場合でも、個体の生存に関わる部分は、あたりまえのこととして、なんとしても確保しておきたい。しかも、苦しさや辛さのない関係の中でね。 社会的生存に関わる部分に関しては、本人と、わたしを含めた周囲との協働の問題だ。ただ生きていたって、生きてるとは言えない。自分の外に向かって、望むことをあきらめず、それに無条件に応答するわたしたちが、どれだけ 拡がりをもった構えをとれるか、ということだ。
確かにイライラが多い。姉妹の帰った後の台所・冷蔵庫は、食欲や想像力を減退させるにはもってこいで、今回は、彼女らの到着早々「こごと」ばかりを打ち明けつづけた。その甲斐あってか、冷蔵庫はまあまあスッキリとしていた。(豆腐4分の1とか、納豆2分の1とか、油揚げ1枚とか、ケーキふたかけとか、わたしはだいっ嫌いなのです。ほんと嫌いなんです。)
きょうは、なくなりかけた介護用品の買い出しと、高校時代にやっていた「弓道」の稽古着さがしと、18年前の水害以来出していなかった弓・矢の手入れをした。お盆中、中学校で担任の次にわたしを目の敵にしていた「先生」が、亡父の同級生だという理由だけから、わたしを自分の「弓道仲間」にゲットしようという申し出を受けてしまったからだ。とりあえず、乗ってみるが、さきは解らない。あしたが練習日だそうだ。 それにしても、水害で水浴びした「弓」は、かなりきつい。自分が高校時代に、こんな強いものを引いていたとは思わなかった。あしたがつらそう。 それから、「神前に礼」ね。やっぱり、それが一番のハードルでしょう。
母親はマイペースです。幾分、娘たちの「孝行」慣れして、喀痰の補助をもちかけてきますが、わたしはタオルを投げておしまいですから、そのうちいつものリズムに戻るだろうと思います。
きょうは「竹薮一家」が泊まっていってくれた。 その後、菩提寺の「施餓鬼会」わたしは、昨年死んだ親父の後釜として、檀家会計などという、うら若い成年男子には明らかに相応しからざる役を「お仕着せ」られてしまったので、仕方なく、予算・決算書をつくって檀家総会に提出した。まあ、これも地域生活の一端なわけで、「母親」のところにひとりでも多くのひとが出入りしてくれれば、存外の成果となる。
それと「新盆」ね。できれば逃げ出したかったが、そこそこの周囲の納得ラインをクリアしなければ、生きてるものの今後の生活にも、何らかの影響がでないとも限らない。(二重否定が多すぎる、とパソに注意された。) その催しも終わって、いささか脱力気味。ちっとは「母親」にも優しくできるかな?
今朝にぎやかだった家も、母親が通所リハビリから帰ってきたときには深閑としている。しばらくふたりで「ふうっ」と呼吸した。
☆竹薮追加☆ 今朝、通所リハビリにいく母上の準備をするベッドサイドで、冷える話になった。植木屋さんが冷えやのぼせの話に相槌をうつので、姉さんとふたり「それ更年期じゃないの」と冷やかした。するとなんでもよくわかっておられる母上が麻痺のない左手で掛け布団をたたいて笑った。 楽しい一コマだった。御盆でご兄弟が帰省。珍客の来襲もあって、母上もお疲れのことでしょう。お大事に。
書くなよといわれたけど、書いちゃう。
| 2004年08月11日(水) |
とある町の教育委員会 |
に行ってきた。 「ダウン症」と診断された小学校1年生の女の子。普通学級に通って3ヶ月。担任教員が音をあげ、おなじクラスの保護者が「母親の付き添いがないなら、私たちのこどもたちの迷惑だ」と騒ぎはじめた。 学校は、女の子本人の学校生活について、おもだった保護者に情報提供しながら、「村八分」状態になるのを静観する構え。このままでは、夏休みが明けたら、彼女の居場所は確保できないかも知れない。
そんなことで、「母親」を置き去りにして「とある町の教育委員会」へ。
相も変わらず「この子のために」「より手厚い教育を」「発達段階2歳半」などという、本人を目の前にしたら普通は恥ずかしくて言えないようなことを、平気でのたまう。 「きょうは保護者にしゃべってもらおう」と思って行ったのに、爆発してしまった。
母親が地域へ戻って生活したい、という望みをもったから、いまの生活が始まった。そのことと、この女の子が「みんなと学校へ行きたい」と言うこととは、わたしにとっては同じこと。問われているのはわたしたちであって、彼女たちの生き方の選びとりに、「是非」などあろうはずがない。思わせぶりな「ために」がひとを殺す瞬間だ。
適度な喉の運動になったと思いながら帰路1時間、家に帰ると、留守中来てくれた「訪問看護士」の置き手紙。「ご苦労様」不在中は、わたしがしっかりケアしましたよ、という内容。遅々とした足取りだけど、母親を見守る眼差しが少しずつ増えていってくれればいいな、と思う。
きょうは、母親が一日わたしと家で過ごす日。 例によって、バイタルサインのチェック。とりわけ「尿量」が大事。投薬・経管栄養・水分補給・体拭・更衣、それから洗濯。ここまでを、自分の食事とあわせて2時間でする。そうしないと、仕事をする日には、どこかで手を抜くことになってしまうからだ。手を抜くこと自体はいいのだが、生存に関わることまで「手抜き」しだすと、これは癖になる。
きょうは「ご機嫌麗しき」ご様子。しばらくわたしの顔をながめて、 「まいいや」とのたまう。なにが「まあいいや」なのか? きょうは、わたしにも余裕があったのだろう。「まあいい」のは何かを追求する。 すると、3度目くらいに、にっこり笑って横を向く。これは「あきらめ」の表情である。コミュニケーションから撤退する仕草。
そうか、「まあいいや」ではないのだ。「あ」の段から、いち音ずつ拾っていく。あ、ピンときた。「歯医者」 彼女は、わたしの腫れた右顎を見て、「歯医者にいけ」と言っているのだった。オムツを替えてもらっていても、「親」をやろうとする姿勢に、一応脱帽しました、とさ。
夏になると、めちゃくちゃ汗をかいて(しかも若い頃のような美しい汗ではない、きたない汗だ)、歯ぐきがやせて、心臓が痩せて、歯茎が腫れる。 これは、ここ数年間の恒例なので仕方ないのだが、それでも、わたしに対する母親の「もたれかかり」を感じて、そいつが一因ではないかと、多少辛くあたったりする。これはわたしの「もたれかかり」だ。 ことほど左様に、「肉親」というのは不幸の原因の最たるもののひとつである。他人であればあり得ない「関係の強制」を強いる。ありのままでない「ありのまま」を、無理やり相手に認めさせようとする。わたしのようにセンシティヴな人間(?)は、早々に音をあげる。
かつて、「親という他人」という話を書いたことがある。 自分の子どもとの関係において、「親」でいる自分への違和感をわりとストレートに伝えようとしたのだが、これは子どもの側からするとどう感じたのだろうか? いまは、いっしょにいなくて良かったかも知れない、とも思う。 いや、いないからバランスが悪いのか? ともかく、親が「のうのう」と自分のありようをわたしに請け負わせようとするのに、我慢がならない。「自分のことは自分でけつを拭いましょう」 介護のことではない。存在することへの緊張感というか、ヴィビッドさというのか・・・。℃ これをきょうの「訪問リハビリ」のPTであるIさんは、なんにも聞かずに解ったねえ。彼女は、母親が4年前に「小脳出血」で倒れた時からのつきあいで、彼女なりの「こだわり」をもって関わってきている。そのこだわりに甘えてはいけない。わたしはどうしてここにいるのか? わたしも、母親も、そのことからあんまり逸れてはいけないのではないだろうか? と思っている。
昨日かいた介護サービスの「O嬢」。 失敗できない窮屈な「ケア・マネ」に、彼女の対応は素晴らしい、と言ったら、「みんな一生懸命なんですけどね・・・」とかえってくる。ちがうんだよね。いくら頭で解っていても、本人を目の前にしたときにどういう感じでつき合えるか、というのは、ほとんどセンスの問題で、いくら一生懸命になっても、むしろ一生懸命になるからこそ難しくなってしまう。これは、介護者の認識レベルの問題ではない。
植木の仕事をしていても、「筋がいい」若者は、なんにも言わなくても木に寄り添うあり方をしている。この枝がこうだから、なんていう説明を一生懸命聞いてくるやつは、だいたい途中で職をかえる。早くほめられようとして「一生懸命」なだけだからだ。しかし、プロの世界はうまくいって当たり前、だあれもほめてなんかくれない。ざまあみろ。
ここで、つねづね問題となっている「理解と自由」の問題。 理解されたって「自由」は遠い。理解というのは、「する側」と「される側」が、割と画然と存在することを前提に成立する。非常に理不尽な関係が「前提」されるわけです。なんでわたしが「される側」なわけ?とかね。 「理解」されて楽になるのは、本人ではなく、保護者とか家族とか、本人を代理できないくせにそれができると思っている馬鹿者だけなのです。 そんなわけで、わたしは「差別」に対して「理解」を目標設定する感覚を、根っこから疑う癖があるという自己紹介でした。
| 2004年08月02日(月) |
すべてはコミュニケーション権から |
きょうは、庭のゴヨウマツとモチノキの剪定をしながら、介護サービスの人たちのやりとりを、遠くから聴いていた。いぢわるな「利用者の家族」である。 午前中に訪問看護があり、これは母親が入院していた病院からの派遣。 わたしとは非常に気が合う。本人主義の徹底した看護士だ。持ち時間目一杯に看護メニューをこなし、わたしが差し出す冷茶をごくごく飲み干し、冷やしたタオルで額の汗をぐいっと拭う。おみごと。(ときどき抱きしめたくなるくらいだが、それはセクハラになりそうなので抑制)
昼の介護サービス。Oさんは、年若いのに「本人」とのやりとりをきっちりとする。車椅子移乗の際にも、「どうですか?車椅子に乗りますか?」体拭の時も、「からだを拭かせてもらってもいいですか?」きっちりやる。しかもマニュアルでない雰囲気を持っている。おみごと。
午後の介護サービス。昼とはちがうひと。 入院以前から「家事援助」で、家に出入りしていたひとなので、母親との信頼関係はとれている。しかし、母親を「先生」と呼ぶ。 たしかに、家庭科の補助教員として、わたしが中学に行った頃から「先生」をしていた。わたしから見れば、ずぼらな「先生」だったが、高校の頃つきあっていた彼女も教わっていて、なんとやりづらかったことか?(やりづらいって何を?) そんで、「先生、先生」といいながら、介護者自身が思いっきり先生をしている。近所中聞こえる声で「あ・い・う・え・お」とか、発声練習を「させる」のだ。どういう「関係」なのだろうか?
わたしは基本的に、「本人」の自由はコミュニケーションからしか獲得できないと確信している。発語が困難になるまでの期間、彼女がつくってきた「関係」が、いま彼女に逆襲しているだけのはなしなのだ。「先生」と呼ばれながら「あいうえお」することへの抵抗感は、次に目指すコミュニケーションへの、かなり大事なプロセスだと思っている。権利を獲得する闘争は、小さなベッドの上から始まっているのです。
| 2004年08月01日(日) |
植木屋さんの介護日記開設 |
いよいよ植木屋さんの介護日記開設の運びとなりました。 男性で仕事を続けながら、在宅介護にふみきったことは、大きな一歩だったと思います。 その日常のありさまや、母上、植木屋さんのお気持ちを日記に書いていただいて、多くの方で共有していただけたらと思います。 竹薮自身とてもたのしみにしています。 感想はこれまで通り長電話におよせください。
ご紹介に与りました植木屋です。 どれくらい続くか、それはわたしのバランス次第ですので、突然書き込まなくなったからといって、母親が死んじゃったということではありません。 きょうは日曜日。介護サービスも訪問看護も、デイ・ケアもありません。 今年のお盆は「新盆」なので、ここいらの田舎では、一応来訪者のおもてなしがうるさい。できないことはできない、というわたしの日常感覚は、仏事の中でどの程度許容されるでしょうか? そんなこといいながら、きょうは近所の魚屋にお盆中の「仕出し」を頼んで、「子ども一同」の「盆灯籠」も発注せざるをえないような、周囲の流れに巻き込まれています。
日課 6時起床・・経管栄養の調理(件の粉寒天仕立て)・自分の飯の仕度 7時バイタル・チェック(体温・血圧)・清拭・自分の食事 8時経管栄養注入・水分補給・・・・・8時30分までに終了
お盆前なので、家の庭の手入れ、暑くてやる気が出ない。 やる気を出すため、道沿いの生け垣から手をつける。途中で投げ出せないのでつらい。 午後4時掃除とも終了。このかん、昼飯の時間に、母親水分補給。 暑いので、尿量が減らないように気をつけています。皆さんも気をつけてね。
午後5時くらいから、まずビールだべ。つまみを造りながら経管栄養の準備。自分用、炒りナス・豚バラ柳川、サラダを造ろうと思ったが、面倒になり中止。・・・朝同様バイタルと経管栄養・最後に胃ロウチューブ滅菌のため「穀物酢」の希釈したものを注入。
ここまで記入しながら、あしたからはこんなのやめようと思う。 母親とのやりとりについては、あした言及しよう。
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