遠雷

bluelotus【MAIL

区切り
2007年06月15日(金)

昨日分の日記から仕切り直して、いつものお墓参りのことなど、備忘録がわりに。
14日より前に、誘っていただいて彼の友人たちと一度、昨日に一人でまた一度。

友人たちの方は、人が少し減りました。「今年はもう、向こうから連絡してきてくれた人だけにした。どうせ俺が毎年行くのは皆わかってるんだし、行きたいなら自分から連絡するだろうから、誘われないと来ないヤツなら来なくてもいいのかなって」。はい、私もそれでいいと思います。

さすがに3回目ともなると、私も私に対する他の人もだいぶ打ち解けられるようになって、今までは暗黙の了解のように触れてこなかった話までできました。ちょっと嬉しかったりしました。そのなかで、「頭がおかしくなれたら楽だったのに、そうもなれなくて辛かった」という私のことばに、「おかしくなったりしないような人だからこそ、あいつも好きになったんだと思うよ」と言ってもらえたことが、嬉しいけれど、切なかったのでした。私も一人の仲間として扱ってくれることも嬉しくて、ずっと気になっていた、私がここに参加していいのかいつも悩むということも、「ダメなら声をかけたりしないし、どうせ自分は毎年行くんだし、こうやって一年に一度皆で会うのは単純に楽しいから」と。ありがとう。

「ちょっと掛け違っていたら、3年会えないなんて当り前だよ」たしかにね。
「今いなくても、いたんだからさ。いなかったら、今ここでこうして飲んだりしていないよ」ほんとにね。

昨日の分。
午前中急用で仕事をしたこともあり、いまいちどっぷり命日モードにならないまま、お参りも今月2度目とあり淡々と済ませました。その後の行動も、ずっと行けなかったところにいこうかどうしようか思いつつも雨で止め、いつものルートをたどりつつ、良く行った店をハシゴしてひとり窓の外を眺めてぼーっとしたり、本を読んだりして過ごしました。彼のことを考えているような、ただ呆然としているような一日でした。

最後にいつも締めにいくバーに寄ったのですが、そこの店長が誕生日だったこともあり少しうるさくて、このところ常連同士の馴れ合いや、話し声の大きさにうんざりし始めていたこともあるので、これからはここに毎回来るのももうやめようと思いました。ふたりで来ていた頃のスタッフからするともう何代目かで、勿論その頃も常連はたくさんいたけれど、今の雰囲気とはちょっと違ったのでした。私が一人で来始めた頃はもう少し静かな時が多かったし、そもそも、彼がこの店を気に入っていたのは店の雰囲気がいいということもあるけれど、常連同士の馴れ合いが少なくて、付き合いに悩まされることもなく静かに飲めるということだったはずですから。別に今のスタッフが気に入らないわけではないのですが、この店を卒業するというのもひとつの区切りになるだろうし、単純に「もう潮時かな」と思ったのです。それに、(彼には関わりのない)一人で行ける店というのも職場近くにいくつか出来たし、彼から一人飲みを教えてもらった店として、あまり思い出を壊さないように、たまに行くくらいで丁度いいのかな、などと考えていたらいつもより多く飲んだのに殆ど酔えませんでした。

そして、一度も涙を流さない日でした。そういえば、彼のことで最後に泣いたのは何時だったでしょうか…? そんなものだろうかと悲しくなったけれど、やはり涙は出ませんでした。そんな風に考えたばかりだというのに、これを書く前にちょっと思い出したことがあって久々に彼からのメールを見たら、びっくりするくらい涙が出ました。何も考えられないくらいの勢いの嗚咽でした。涙が収まりかけた頃に、やっと「私まだ泣けるんだ」と安心しました。そして、そんな風な安心をしてしまう自分、こんな文章を書いている自分がいることが3年経ったということなのだと、「解決」ではないのだけれど「理解」できるようになったのだろうと、改めて思います。


14日以前までのこと
2007年06月14日(木)

相変わらず、時間が空いてしまっているのに覗いて下さるみなさん、ありがとうございます。
何度か書こうと思っていたのですが、上手くまとまらないままに、今年もまた命日が来てしまいました。
15日に書いていますが、14日付けてこれを書きます。

前回の日記に書いたできごとのあと、もちろんそのままではありませんでしたが、相対的に楽にはなっていたと思います。でも、苦しみは少なくなったとしても、彼が幸せなのだとしても、私のそばに存在しないという喪失感が無くなるわけではないのです。たとえ生きていたとしても、ひどい失恋をして別れた人を何年も忘れられないというのは珍しいことではないですよね? 会いたくても会えない人に会えないことはとても辛いことです。その辛さは彼の状態や、彼に対する私の罪悪感とは全く別なのであって、あくまで自分が寂しいだけなのですから、生きていようと死んでいようと関係ないのです。そして、どんなに今迄のような病的な罪悪感が消えたとしても、罪悪感そのものは消えないでしょう。たとえ以前書いたような形でどんなに自分の中で彼の死を浄化できたとしても。

あれをしてはいけないなど、自分で決めたルールがいくつかあります。単純に辛くて行えないことから、自主的に禁じたことまでいろいろと。それを少しずつ崩してみつつあることは、前進したことになるのでしょう(髪を切ってもいいなと思ったこととか、行かなかった店に行くとか)。少し前の自分であれば、そんなことは彼に対する冒涜だ、罪を償って生き続けなければいけないのに怠慢だなどと思っていたところでしょうが、私がそれらを行うことが果たして彼の今後にどういう効果があるのだ?と。悼むことや罪悪感をもつこと以外に、自分以外には意味のないような縛りを自らに課して、それが償いになるのかと。

素直に「もういいのかな」と思えもし、「ただ楽になりたいだけなんだろう」と自虐的になりもします。ルールは、狂いきれなかった私が少しでも自分を狂っている状況にとどめようとした手段なのですから、それをやめようということは、もはや私には狂ってしまいたいという意識がなくなったことです。そして、「もういいのかな」とおおむねのところ思えるようになったのをハッキリと意識したのは、「成仏している」ということからでした。前のようには涙もでないことに気がついていましたし、息苦しくなることも殆どありませんから、わかってはいたのです。認めたくなかっただけで。

結局「時が解決」してるじゃないかと言ってしまえばそれまでです。でも未だにそのことばで慰められはしません。「たった」と取るか、「やっと」と取るか。この時間の中で私がこのように変化したことは理解します。慣れたということかもしれません。鈍くなったのかもしれないし、単に忘れかけているのかもしれないけれど、3年と言う時間が存在しているというだけで変化したわけでもないし、辛いことも寂しいことも少なくなっただけで「解決」なんてしていません。言葉のあや、屁理屈かもしれませんけれど。気持ちに「解決」なんてないと思います。



と、相変わらずぐだぐだと長い文章ですが、要は
「たとえ成仏してたとしても、会えなくて寂しい」
「成仏してるなら、まあ、少し楽になった」
それだけなんですけれどね。

「会いたい。いなくてさみしい」
結局これだって、いない人を美化して疑似恋愛しているだけかもしれませんが。

15日に続きます。



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