遠雷

bluelotus【MAIL

1年が終わる
2006年06月29日(木)

祥月命日がある、それだけで6月は6月としての存在意義があり、6月がもう終わるということだけのことが大層重要な、まるで年末のような気分にさせられます。

「今年やり忘れたことはないだろうか」と同じように、「悼む気持ちに漏れは無かっただろうか」と。もちろんそこから2年前のことに飛び、過去がどうにもならないことに悶えています。年末に夏の出来事を悔いても仕方ないように、2年前のことを悔やみ、この2年間のわたしの身の処し方を悔やみ、そして悔やんだところでどうにもなりません。だからといって毎年年賀状を書くのがギリギリになって反省するくせに次の年もできないように、来月からのわたしもきっと来年のわたしから及第点を貰えるわたしではないのでしょう。

今年の祥月命日も終わってしまった、ではなく、また12ヶ月後にやってくるのだから。そう思えるときもあり、思えないときもあり。月命日はもう半月後、と、まずはそれを考えることにします。


きのう
2006年06月15日(木)

昨日、調子はずれに終始してしまったのでそのことばかり書きましたが、昨日は今まで寄らずにいた、Hの実家のそばの河原に寄りました。

お参りの行き帰りに、近くを通りかかるのでいつも気になってはいました。でも、なんとなく行きそびれていました。ついに寄ってしまったことで、またわたしはひとつクリアしてしまったのだなと悲しい気持ちでもあります。

それほど頻繁にふたりで訪れた場所ではないのですが、付き合いはじめの頃から、ちょうど前回のワールドカップのあたりまでくらいに訪れたことがあり、思い出深い場所のひとつです。Hの子供の頃の河原で遊んだ話をしたこともありますし、初めてHのお父さんに会ったあとに寄って、夜の河原で話をしたこともありました。河川敷を自転車に二人乗りして、ちょっと肌寒い中でHの背中が暖かくて気持ちよかったことも覚えています。わたしを河原に連れて行くのだからとレジャーシートをわざわざ買って用意していたことに大笑いして、でもそんなHの気持ちが嬉しかったことを照れてHに伝えられませんでした。ワールドカップの決勝の日、ふたりで試合を見ようと部屋に向かう途中に寄って歩いたことも思い出します。いい年をして夜の広場で夢中で鬼ごっこのようなことをして、何が面白かったのかそれが楽しくて楽しくて、この人でよかったと嬉しくなったことも覚えています。それだけは、Hの方からも言ってくれて、同意するというかたちで多少なりとも伝えられた覚えがあることが、なにより大きいでしょう。

天気も良く、気持ちがよくて、特に子供の頃から好きな場所だったというHの気持ちもよくわかる気がしました。寝ている人を見ればHも昼寝をしたんだろうなとか、集まっている子供の団体を見れば、Hはどんなだったのだろうと考えたり。

でも、先日の日記ではないですが、気持ちよければ良いほど、いればいるほど堂々巡りになりそうでしたのであまり長い時間は居られませんでした。今度行ける時が来たら、お茶とお菓子でも持って(もしくはビールとツマミ)Hのぶんまで気持ちよくなろうくらいの感じで過ごしてみたいものです。


掛け違い
2006年06月14日(水)

去年と違う。
なんとなくタイミングがあわない一日でした。
もちろん今日もお墓参りに行って来たのです。

1. まず、お花を自宅近くの花屋で買って行こうかと思ったのですが、やっぱり霊園のそばの花屋でいいかなと買わずに行ったら、花屋が休み。

2. 仕方ない、参道沿いの店で買おうと思い、とりあえず隣の酒屋で黒ビールを買いました。その後、お供え物を買おうとスーパーに立ち寄り、ちらりと店前の花屋を覗いたら、鉢植えしか見当たらなかったのでやっぱり仏花は売店かなと考えつつ、マカダミアナッツのチョコとシュークリームを買いました。平日の昼下がりの大型店でしたから、皆大量の買い物で、レジに待たされることにイライラして、そんなことではいけないなどと考えながら支払いを済ませて出口に向かうと、花がありました。売店のものより安くて豪華なのはわかっているので買おうかと思ったのですが、先ほどより混んでいるレジを見て断念。

3. いざ、目的地についてみると、いつもより人が多いことに少々がっかりしました。去年はわたし一人でずっと佇んでいられたのに、今日は入れ替わり立ち替わりお参りの人たちが来るので、どうも落ち着かないのです。いろいろ頭の中でHに話しかけてはいるのですが、集中できなくて、涙の出るタイミングもなくて、諦めて早々に立ち去ってしまいました。唯一よかったことは、いつもより風が弱くて、お線香の火のつきがとても早かったことくらいでしょうか。

4. しかたなく、いつものようにビールを飲もうと納骨堂そばの休憩スペースに座ったところ、道を挟んだ向かい側にあるトイレに汲み取り車がいて、作業中でした。多少離れているので我慢できないほどではないものの、やっぱり臭いです。

5. 匂いが収まるのを待っていたら、自転車に乗ったオジさんがやって来て、ベンチに座ってしまいました。もう少し行くと公園のようになっているスペースもあることから普段はそのベンチに座る人も少なくて、大体はひとりで座っていられるのでいろいろできるのですが、落ち着かないオジさんでこっちを見たり、立って周りをうろうろしたり、また座ったり、伸びをしに立ったり。なんとなくビールもシュークリームも開けにくくて、ついイライラして気になってしまい、Hに話しかけるなんて余裕も無く、あきらめてビールを飲み始めたらやっとオジさん退場。やっとシュークリームもあけて食べ始めるものの、そうこうしているうちに近くに停まった車がエンジンを切らないのでうるさくて、やっぱり集中できずにゆっくりもできず、立ってしまいました。おまけに帰り道、行ったはずのオジさんが道をまたうろうろ走っていてなんとなくイヤな感じで。

その後はとりあえず河原に座ってぼけっとして、お茶を飲んでから移動をしました。

6. 去年したように、よく待ち合わせをした駅の改札そとに立ち、柱を背にしてぼんやり改札をながめていたら、それまでそこに立っていたひとたちがあっという間に全員いなくなってしまったのです。待ち合わせの相手が来たわけでもないのに、なんだろうと不思議に思ってしまい、またもやそこでも集中できず。なんだか改札から出てくる人も少なめで、Hがひょっこりどこかにまぎれているのではと思いにくくなってきたので、そこも早々に立ち去ってしまいました。

7. いつも行くバーのある駅まで行き、Hの好物で夕食をとろうとあるチェーン店を探しました。大体、どこにもある店なのでその辺にあるだろうと思っていたら、よくよく調べると駅の反対側の結構歩いたところしかなく、足が痛かったわたしは諦めて別の店に入ってしまいました。ごめんね、明後日仕事に行ったときに、職場近くのところで食べることにするからと思いながら。

8. バーに入り、普段は座らない、Hのお気に入りだった席に座って飲んでいたら、バーテンのひとりが常連のひとたちに「おめでとう」と言われていたので、聞いてみたら、なんと今日が誕生日。同い年ではなかったのが救いですけれど。昨年の今日は、まだここにいなかったからどうしていたかと聞き、更に一昨年はどうしていたのかとも聞いてしまいました。友達とふたりで飲んだくれてましたねという言葉に泣きそうになり、今日この日に誰かを祝うなんてと「おめでとう」といいながらまた泣きそうになり。

9. 店内が混んで来て、カップルが入ってきました。カップル席のようになっている場所に座っていたわたしは、席の移動を頼まれました。(店員に事情などはもちろん話してないですから。)断ることもできずに一席動いて、そこに座った人たちを見ることもなしに見て、また泣きそうになり。わたしもHと一緒に座っていたなら、移動することなどなかったのにと。

と、こんな具合の一日でした。その割には帰りの電車の乗り合わせがすごくよくて座れたりしていましたが。なんともこれだけ続いてしまうと、Hにとても申し訳なく思えます。本当は今日、時間があれば写経に行こうなどとも思っていたのにそれもできず、そんなことを総合して、わたしの普段の行いが悪かったのがいけないのだろうかと考えていたら、やっぱりあんまりHのことに「浸って」いないことに気がついて、もしかしたらそうならないようにHが邪魔でもしてるのだろうかなどと考え始めたり。

今日は何やってもだめそうなので、この文もこれくらいにして終わります。


笑った分だけ
2006年06月11日(日)

彼の友人たちに誘ってもらったので、今年も一緒にお墓参りに行きました。

前回より減った人数に、少し寂しかったり。
(休みの都合をつけるのが大変なことはわかっているけれど)

前回話せなかったことを少し話せたことが嬉しかったり。
(まだまだ話せないこともたくさんあるんだけれど)

そしてわたし自身が彼らの友達だったようにバカ話をして、大笑いして楽しいひとときだったのに、帰り道、このあつまりはHが居ないという前提のもとの集まりだということに気がついて、笑った分だけ泣きそうになったり。
(きっとHも大笑いして楽しんでくれた飲み会だったと思うけれど)


そして、
「また来年集まろうな。」
一番の親友だった人のその言葉が、とても嬉しかったのです。
Hは、いないけれど、きっと来年も楽しい集まりになるでしょう。



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