遠雷

bluelotus【MAIL

三回忌
2006年05月29日(月)

行こうかどうしようか悩んだ末、三回忌に行ってきました。
詳しいことは省きます。

泣かないようにと思っていたけれど、だめでした。具体的になにということを思ったり、考えたりしているわけでないのに、ただ涙があふれて止まりませんでした。そのときはそんなことすら考えていなかったけれど、いまになって思うと、まだそういう泣き方ができるのだとどこかで安心しています。

あと、行ってよかったと思えたことは、兄弟の中で彼と一番中のよかったお兄さんが最寄り駅まで車で送ってくれたときに話せたこと。ある事情で、そのお兄さんの気持ちを害してしまったのではないかと(もちろん彼を死なせてしまったこと自体がすでにそうなのですが)ずっと気にしていて、今回わたしが行くことに納得していなかったらどうしようと考えていたのでした。わたしの勘違いだということがわかって一安心したことと、いろいろ話をしていて、今現在わたしに新しいひとがいないということが、半分くらい嬉しく思ってしまうと言われたことです。もちろん、今後わたしがずっとHに縛られるようにひとりでいることは本意ではないし、かたくなにそうされてしまうと、わたしの人生を壊してしまったとHを責めるような気持ちにもなってしまうかもしれないから、機会があれば幸せになってほしいと言うことでしたけれど。

Hのことを忘れてほしくない気持ちとは別に、わたしがいままだ違うひとの手を取らずにHと居るということが、嬉しいとどうしても思ってしまうということ。あれから今迄、色んなひとたちから色んなことを言われたなかで一番すとんと心に入ることばかもしれません。そして、他の家族の人でもなく、そのお兄さんに言われたからこそ。心の中がきれいごと(新しい幸せを見つけてほしい)だけであるわけがないでしょうし、それを正直に言ってもらったことが本当に嬉しかったのです。それも直後ではなくて二年たった今だからこそ言えて、聞けることばなのでしょう。

もちろん、それに逆手に取ってひとりを貫く言い訳とするのは、お兄さんの本意では無いでしょう。わかっています。でも、嬉しかったのです。


場所の記憶
2006年05月15日(月)

彼とかつて一度だけ入ったことのあるファーストフードのとある店舗に、そのとき以来はじめて立ち寄りました。そこはかなり昔からあるところなうえ、住宅地のなかの大通りにある店ですから、平日の昼過ぎともなると人もまばら、とてもゆったりした雰囲気に包まれていました。

Hと訪れたときも同じように天気が良く人が少なかったことを覚えています。やや暗雲がきざし始めていたとはいえ、平和なひとときであったようにも思います。

かつてここに来たことのある人のうちいったい何人がいまこの瞬間に存在できているのだろう。このローカルな場所限定で区切っただけでも、どれだけの幸せと不幸があったのだろう。オーダーしたものが用意できるのを座って待ちながら、Hのことをうつらうつらと考えながらそんなことを思いました。

平日の天気のよい午後、新婚でおめでたな友人のうちに手料理を食べにいく道すがら、自分で働いて得たお金で手みやげを買う今日のわたしは、しあわせなのだろうと。



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