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2004年07月28日(水) ちまちま5

4.

「ほえー」
「すげー」
 窓際に立ち尽くして、アンリとシロウは思わず口に出して感嘆した。
 楕円にせり出した窓の向こう側を、巨大な影が埋め尽くしていた。
 普段なら、漆黒の空が見えているそこは、巨大な客船の壁面が埋め尽くしていた。
 遥か昔、まだ人類が宇宙探査をはじめるより以前、海に浮かべられていた豪華客船というものを模しているらしい。
 黒と白のコントラストが美しく、甲板があり、手すりなどは電飾でけばけばしいほどに飾り立てられている。色鮮やかな旗が、風もない宇宙にひらひらとたなびいていた。
「どうやって飛んでるんだ、あれ」
 子どものように窓にへばりついて、シロウは取引先である豪華客船「オリンピア」を見上げる。
「本来の姿は、普通の宇宙船だ」
 窓にへばりつく大小の後ろから、抑揚のない声が告げた。
「それなりに形は船舶に似せてはあるが、電飾や旗の飾りつけと外観の色合いはホログラム。少し前に開発されたリアルモーション機能が使われているんだ。あれほどまで巨大なものにホログラムを投影するのは、並大抵の技術じゃない」
「じゃあ、あれは”幻”ってことなのか?」
 ひらひらとたなびく旗を横目に見ながら、シロウは体を声の方へ向ける。
「有り体に言えば、そういうことになる」
「わぁ、アルバ君かっこいい!」
 両手をたたき合わせて、アンリが抑揚のない声の主を褒め称えた。
「窮屈だ」
 襟元に人差し指を差し込んで、アルバートはげんなりとつぶやく。
 野暮ったい印象の頭脳担当は今や、黒のタキシードに身を包んでいた。ばさりと顔を覆い隠す長い前髪は後ろ側に綺麗に流され、隠されていた面があらわになっている。
 普段は覆われているその素顔を目の当たりにするたびに、シロウは思わず息を飲んでしまう。
 美しいのだ。
 肌は透けるように白く、涼しげな瞳は髪と同じ深い青。バランスがとれて整った顔立ちは、威圧的ですらある。
 これで標準だ、と本人は言い張るのだから、アグレイア人の”美人”というものは一体どのようなレベルなのだろうかと思ってしまう。
 本人は堅苦しい恰好を厭う傾向にあるため、普段はあのような厚ぼったい印象なのだが、”営業”に連れ出される場合は、”正装”を申し付けられるのだ。
 仕事のためとあらば、普段からは想像も出来ない歯の浮くような台詞も簡単に言ってのけるあたり、彼は策士なのだろう。
 短気で直情型、駆け引きとは正反対の場所に立っているシロウには、逆立ちしても真似の出来ない芸当だ。
「ご覧の通り、アルバートは連れていく」
 ぴんと張った声と共に、ブリッジの扉が横滑りに開いた。
 圧倒的な迫力が、踏み込んできた。
「社長きれい!」
 瞳に星をちりばめて、アンリはほぅっと溜息を落とした。
 露骨なほどに肩と鎖骨のあたりを露出した黒のドレス。
 女性としてはかなり長身の部類に入る体でそれを装着されると、計り知れない圧迫感がある。
 いつもは無造作に纏め上げている真紅の髪は丁寧に巻かれ、肩から背に零れ落ち、眼帯は勿論外されて、前髪がうまく右目を覆い隠すように流されていた。
「豪華客船とは名ばかりのカジノに乗り込むんなら、このぐらいはしないとね」
 両手を腰に当てた体勢で、社長は面倒くさそうに首を回す。
 シロウはぼんやりと、ああこの人も女の人なんだなぁ、などと罰当たりなことを思っていた。
「船はアンリに頼むよ。シロウと一緒にお留守番してておくれ」
「はーい! シロとおるすばん!」
「え! なんですか、人をお荷物みたいに! ってか、カジノなんですか? ここ」
「頼んだよ、アンリ」
 シロウの反応など耳に入っていない様子で、社長はアンリの水色の髪をくしゃくしゃと掻き乱した。
 撫でられたアンリは上機嫌でこっくりと肯く。
「あの金にがめついバカが、少ない資本金を持ってカジノに突っ込んでこないように、見張っといておくれ」
 アンリと視線を合わせるようにかがみこみ、少女の細い両肩をしっかりと掴んで、至極真剣な顔で社長が言った。
 深刻な面持ちで、アンリも肯く。
「せきにんじゅうだい、ですね!」
「その通り。重要な任務だ」
「了解です、隊長!」
 何処から覚えたものか、アンリがぴしりと敬礼をする。
 シロウはもう既に、反論をする気も失せた。
「と、いうことだから。留守は頼んだよ。まァ、取引自体、数時間も要らんだろうが、念のため船の外には出ないように」
 すらりと立ち上がって、ようやく社長はシロウに向き直った。
「荒事にはならないんすね」
 それならば、シロウの出番はない。
「毎回毎回、そう荒事に巻き込まれてたまるか」
 少々大袈裟に、社長が肩をすくめた。それもそうだ。SNAKEHEADSは戦争屋でも海賊でもなく、ただの運送業者なのだ。非合法ではあるが。
「社長、そろそろ時間が」
 美形の能面が促した。
「分かったよ、信用商売だからね。じゃあ、あとは頼んだよ」
 ドレスの裾を優雅に翻して、社長は踵を返した。
 四人を乗せた船は、徐々に豪華客船の後方に回り込む。
 ゆらり、と。きらきらしい船の姿が波紋を広げたように揺らめいて、客船の姿が薄れた。
 無骨なつくりの宇宙船が、その幻の向こう側に透けて見える。
 鯨が口を開けるように、船の底辺が下に開く。
 ゆっくりと自分たちの船がその隙間に飲み込まれていく。まるで取って喰われるようだと、シロウは獏と思った。


            *


《大佐、大佐》
 ラウドは唐突にまどろみから引きずり戻された。
 自らに宛がわれたブリッジの席に沈み、船をこいでいるところだった。
 目の前にはぼんやりとした膜状のモニター。中央にはGFRAのマーク。
 聞こえてくる女の声は耳に馴染んだ優秀なAIのもの。
「……なんだ、どうした?」
 目を擦りながら、ラウドは掠れた声で問う。
《中央本部から通信ですわん。繋ぎましょうか?》
「ぶちっと切ったら俺の首が飛ぶ。繋いでくれ」
《うふふ、分かりました》
 モニターの中央からGFRAのマークが消え、人間の上半身が浮かび上がった。
 白っぽい金髪が肩の上あたりまでかかっている。黒の軍服とのコントラストが見事だ。
 あまり瞬きのない瞳は冷えた青。じっと、ラウドを見据えていた。
 整った顔立ちは中性的で、一見、性別が分からない。
《私だ》
 低くもなく、高くもない声が言った。
 画面の右端では、LIVEという文字がくるくる回っている。
「お疲れ様です、イアン少将。何か御用でしょうか?」
 珍しく背筋を伸ばしたラウドが、敬礼で応える。画面の内側の人物も、ゆるやかに右腕を上げて、敬礼を返した。
《貴官は今、フォルモ星系周辺にいると聞いたが》
「ええ。いつもの運送業者を追いかけているうちにこんなところにまで」
 冗談めかして言うものの、画面の向こう側からは反応ひとつ返ってこない。
(相変わらず鉄面皮だこと)
 胸中で、ラウドはひとりごちる。緩みかける口元を、なんとか気力で引き締めた。
(鉄面皮も何も、つくりものだから仕方ないっちゃ、仕方ないんだけどな)
 ラウドの上官に当たるイアン少将は、脳の一部を除いて全身が機械化されている。
 中性的な容姿や性格も手伝って、年齢ばかりか性別も不詳だ。
 冷静沈着といえば聞こえはいいが、影では感情がないだの鉄面皮だの、酷い言われようである。
 少将を張るだけあって、軍人としては非常に有能であり、ラウドも別に嫌いではなかった。ただ、あまりにも感情の起伏が欠しいため、何を考えているのか測りかねることはしょっちゅうだが。
「このあたりで何か?」
《神泉(センチュアン)グループを知っているな》
「大財閥ですね」
《その末息子が経営しているカジノがそのあたりにあるはずだが》
「ええと、ああ。旧き良き豪華客船を模したデカイ移動カジノですか」
 右手の人差し指で、ラウドはこめかみのあたりを掻いた。そういえば、噂はよく聞く。いい噂とは言わないが。
「今まで黒い噂が聞こえてきても黙認だったのが、今になってどうしたんです」
《『銀色のガーベラ』》
 ラウドは瞠目した。ここで聞くとは思わなかった名だ。
《五年前から姿を消している幹部のひとりが、トニー・C・神泉が経営するそのカジノに潜伏しているらしいことが分かった》
「それは、また―――」
 それ以上、ラウドは言葉を継げなかった。
《彼らは軍内部の重要機密を知っている。野放しにしておくわけにはいかん》
 イアンは黙った。何かを待っているような沈黙が流れる。
 居心地の悪さに、ラウドは嘆息した。無言の圧力というやつだ。
「分かりました。巨大移動カジノオリンピアに調査に向かいます」
《助かるよ》
 本当にそう思っているのか、まったく判別のつかぬ味気ない声で、イアンが言い添えた。
 それでは、とそっけない挨拶とともに、通信は切れた。
 背筋を伸ばしていた力を抜いて、ラウドは座り心地のいいシートに沈む。
「アリシア、聞いたな」
 背後にある人の気配に、ラウドは声をかける。
「はい」
 控えめな返事と共に、靴音が近づいてきた。
「オリンピアですね」
 傍らに、小柄な副官が現れる。
「ああ。今更『銀色のガーベラ』だとよ。勘弁してほしいな。―――キャメロン、データ出してくれ」
《ハァイ》
 鼻にかかったような色艶のある返事と共に、モニターに人の顔がいくつか浮かび上がった。SNAKEHEADSの人間を映し出したときのように、写真の傍には略歴が記されている。
「オヴレバー元帥直属の親衛隊のようなものが、銀色のガーベラと俗に呼ばれる一団だ。元帥閣下が暗殺されたあと、示し合わせたように軍から姿を消した。これが一覧」
「いずれも佐官以上の腕利きだったそうですね。今では全宇宙に指名手配中。名目は脱走、となっていますが―――」
「それだけで凶悪犯と同じ扱いはおかしいだろう。奴らは何か知ってるんだ。だから上層部が血眼になって探してる。イライザ・マーヴァルと同じようにな」
 アリシアは、眼鏡の奥の瞳を細めて、モニターに映し出された人々の顔を眺めた。
《オリンピアの位置捕捉しましたわん。向かいます?》
「ああ、頼む。―――気は進まないがな」
 深い溜息をひとつ落として、ラウドは首の後ろあたりで両手を組んだ。


            *


 控えめに、ジャズが鳴っている。
 すっぽりと巨大なドッグに収められたSNAKEHEADSから一歩降り立ったら、そこは別世界だった。
 高い天井と、眩しい照明。白銀の床。五十メートルほど行った先に、エレベータフロアが設置されていた。あそこから艦内に入るのだろう。
 これでここが荷物搬入専用のドッグだというから、驚いてしまう。客は大半が地上に停泊しているときに乗ってくるようだが、自らの船を乗りつける輩もおそらくいるに違いない。来客用のドッグはまた別ということになる。一体どうなっているのだ、この”豪華客船”は。
「……持ってるやつは持ってるもんだね、金をさ」
 感心、というよりかは呆れた体で、社長が零す。
「さすが神泉財閥の末息子ですね」
「お褒めの言葉として受け取らせていただきますよ」
 甘さを含んだ男の声が、広いドッグに朗々と響いた。
 遠くに小さく見えるドアが横滑りに開き、黒い人影が踏み込んできた。靴音が高く響く。
 黒い短髪の男だった。傍らに、赤いドレス姿の美女を従えている。
 フレームのない眼鏡を装着しているインテリ然に、アルバートは僅かに眉をひそめた。
 今の時代、眼鏡は完全にアクセサリである。権力者や金持ちが好んでつけたがる装飾品だ。アルバートの好みではない。
「わざわざお出迎えですか。恐れ入ります」
 慇懃な口調とは裏腹に、社長は片手を腰に当てた体勢である。上背がある分、やたらと圧迫感がある。
 視線を感じて、アルバートは目だけでそちらを見る。男の後ろに控えた女が、肩に羽織った毛皮を巻きなおしているところだった。
 隙なく化粧の施された瞳と口元で、僅かに笑った―――ように見えた。
「このような場所にまですみませんね」
 穏やかに微笑して、黒服の男は社長に右手を差し出した。
「運び屋ですから。荷物があれば運びますよ」
 社長が握手で応じた。まるで、そこに山があるからのぼるのだとでも言うような台詞だ。
「わたくしの鴉猫を連れてきてくださった方たちですの?」
 あまやかな、強請るような声を出して、女の細い腕が、握手をしている最中の男の腕に絡まりついた。自然と、握手の手がほどける。
 インテリ然とした男の右腕に両腕をしっかと絡めて、女が大きな瞳でふたりを見比べた。
 長い栗色の髪は丁寧に巻かれ、舞台女優のようにくっきりとメイクを施された派手な顔立ちながら、どことなく行動が幼く見えてしまう。
「レナ、少し待ってくれないか」
 苦笑しがちに、男が嗜める。しかし、自らの腕に絡んだ華奢な腕は解こうとはしない。
「いやだわ、これでもわたくし、随分待ったのよ」
 少女のように、レナ―――という名前らしい―――が頬を膨らませた。
「会えてうれしいわ。本当にずっと待っていたのよ」
 華やかに微笑して、レナが社長を見た。
「お待たせして申し訳ない」
 首を傾げるようにして、社長が詫びた。
「いいえ、来てくれてうれしいわ」
「そろそろ話を譲ってくれないか、レナ。自己紹介もまだなんだよ。―――申し遅れました、私がこのオリンピアの支配人を務めているトニー・C・神泉です。今回は厄介な荷物を頼んですまなかったね」
「お荷物を背負い込むのが運び屋のさだめさ―――イライザだ」
「鴉猫はどこ?」
 子どものように瞳を輝かせて、レナが身を乗り出した。
「まだ、ウチの船の中に」
 右手の親指で、社長が後方に停泊している自分の船を指差した。
「荷物運搬用のドッグとはいえ、人目もあるでしょうし。何処に運んだらいいかも分からなかったんで、まだ倉庫に」
 トニーは、細い顎に指先を当てて、小さく肯いた。芝居がかった様子だった。
「確かに、ここは倉庫も兼ねているから、しばらくは人の出入りもあるだろう。明け方にもなれば皆寝静まる。それまではこの船の中は自由に行き来してくれてかまわないよ」
 するりとトニーに絡めた腕を解いて、レナが社長との間合いをつめた。物欲しそうな目で社長の後方に佇むSNAKEHEADSを見上げる。
「朝まで待たなければならないの? 少しでいいから見せ―――」
 船に近づくレナの、進路を遮るように。一本の腕が伸びた。
 細くしなやか、とはいえない。締まった女の腕だった。
「―――申し訳ありませんが、レディ」
 低く通る声で、社長が告げる。
 行く手を遮られて驚いているレナを、頭ひとつ高いところから見下ろした。
「どれほど素晴らしく偉い方でも、酒を酌み交せるほど仲良くならなきゃ船には乗せないと決めているので。賢くて美しい鴉猫は、もう少しお待ちいただきたい」
 真紅の瞳を細めて、社長は微笑した。
 一瞬何を言われたものか分からない顔をしたあと、レナはしょんぼりと肩を落とした。
「分かったわ、イライザ」
「我儘もいい加減にしなさい、レナ。そろそろ夕食の時間だろう。ホールに顔を出さないといけない。―――もしもご迷惑でなければ、おふたりもいかがですか」
 顔に張り付いたような、作りこまれた微笑で、トニーが誘った。
 アルバートは後ろから、かつての上官であり今の上司をうかがった。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
 気が重い―――それでいて予想と寸分違わぬ上司の回答に、アルバートは小さく溜息を落とした。


2004年07月27日(火) ちまちま4

            *


 仲良く手を繋いだ体勢でふたりは、言葉を失って立ち尽くしていた。
 倉庫の奥。所狭しと積み重ねられたコンテナ―――おそらく中身は鴉猫の牙だろう―――その隙間にひっそりと置かれた檻の前で、シロウとアンリは石像と化している。
 愕然と、呆然と。
 檻の中の黒い物体が、来訪者に気がついて首を持ち上げ、金の瞳で一瞥してから、また面倒くさそうに目を閉じた。
「で、か……」
「かわいいー!」
 でかい、とつぶやきかけたシロウの声は、黄色い悲鳴でかき消された。
 繋いでいたはずの手がいつのまにか解かれ、アンリの小さな体は、倉庫の隅に寄せられた檻の前に駆け寄っている。
「あ、アンリ、あんまり近づくと!」
 言葉に効力はなかった。
 アンリは気がつけば、その檻の前にかがみこみ、緑色の瞳で中をじっと見つめている。
 視線に気がついたのか、檻の中の『鴉猫』が、また億劫そうに金の瞳を開ける。
 じっと、両者の視線が絡まった。
 のっそりと、黒くしなやかな体が起き上がる。
 猫、というよりかは豹という生き物に近い。両足を伸ばして立ち上がると、屈んだアンリよりも目線が高い。
 ばさっと音を立てて、背の翼が広がった。鴉、というネーミングは言いえて妙だ、とシロウは思った。濡れたような漆黒の翼は、思わず目を奪われるほど美しく艶やかだった。
 凛と立ち、金の瞳でこちらを見据える姿は、気高いと思うほど。
 威圧される。
 翼を広げるという行為は、自分の体を大きく見せる、という点で威嚇行動ではないのだろうか。そんな話を誰かから―――アルバートだったろうか―――聞いた覚えがある。
 圧力のある金の視線を、アンリは静かに見つめ返していた。
 そ、っと。小さな手を檻の中に差し入れる。
「アンリ……!」
「だいじょうぶ」
 駆け寄ろうとしたシロウの足を、穏やかなアンリの声が制した。
「だいじょうぶだよ」
 アンリは、じっと鴉猫を見ていた。穏やかな微笑をたたえている。
 ぴん、と針金を張ったように伸びていた漆黒の翼が、徐々に張りを失い、しなやかな黒い背におさまった。
 腰を落として座ると、檻の中に差し入れられたアンリの小さな手に顔を寄せて、大きな舌でべろりと舐めた。
「ふふ、くすぐったい」
 猫科の生き物特有のざらついた舌で手を舐められて、アンリが小さく笑った。
 へぇ。
 一部始終を見届けたシロウはすっかり感心する。
 野生の獣のようだから、危険だとばかり思っていたが。
 行動を見ていると本当にただの猫のようだ。
「案外、大人しいものなんだな」
 アンリの傍らに膝をついて身を屈めると、少女と同じように檻の中に手を差し込んで。
 一瞬。

 がぶり。

「―――い、ってえぇ!」
 噛み付かれた。
 檻に差し込んだ腕を慌てて引く。鮮やかにくっきりと歯形が。じんわりと血が滲んでいる部分もある。
 それでも、手加減はされているのだろう。本気で噛み付かれていたならば、この程度では済まないに違いない。
 ……それにしても。
「やだ、くすぐったいよォ」
 目の前では少女と一匹の鴉猫がじゃれあっているというのに。
 なんで自分だけ噛まれなければならないのか。理不尽だ。
 ここ数年―――社長に拾われてからというもの―――こういう扱いをされる機会が爆発的に増えたような、気がする。
「俺は戻る」
 くるりとシロウは踵を返した。
 一瞬、やだシロー、アンリも戻る、という反応を、心の隅で少しは、いやかなり期待していたかもしれない。が。
「うん。アンリ、もう少しロゼと遊んでるね!」
「……ロゼ?」
 聞き覚えのない名に、シロウは肩越しに振り返る。
「名前! 今つけた!」
 鴉猫の首に腕を絡ませて、笑顔でアンリが答えた。
「あ、そう」
 気のない返事をして、シロウはよろよろと、積み上げられたコンテナのあいだをすり抜けて、元来た道を戻り始めた。背後ではきゃっきゃという少女の喜ぶ声が聞こえてくる。
 そろそろ、プロメテアに到着する時刻だろう。


            *


「退屈だわァ」
 窓の外に広がる無音の海を眺めて、彼女はひとつ、溜息を落とした。
 爪に塗りこまれた乾きかけのネイルは真紅。照明に照らすように手を傾けて、色合いを確かめた。
「ねえ、本当に今度の私の誕生日には、鴉猫を下さるの?」
 爪の先に細く息を吐きかけながら、彼女は甘く強請るような声を出す。
「頭のいい生き物なんですってね。しなやかで、美しくて、セクシーで、頭がいいなんて最高だわ」
 美しく塗りこめられた真紅に目を細めて、彼女は笑う。
 惜しげなく晒した肩に、淡い茶の髪が零れ落ちていた。
 ゆるやかに孤を描く長い髪をかきあげて、濡れたような唇で女は。部屋の奥に据えられたデスクに、声をかけた。
「誕生日は明日なのよ、トニー」
「分かっているよレナ。おそらく今日中には届くはずだ」
「ふふ」
 流れるように立ち上がり、女はデスクに歩み寄る。
 巨大な椅子に沈んでモニターに向かっている男の首に、後ろ側から細い腕を絡めた。
「うれしいわ、トニー」
 グロスに濡れた唇を、男のこめかみあたりに押し付ける。
 ちゅ、と小さく濡れた音が響いた。
「暑苦しいな」
 口ではそういいながら、男の声は満更はない様子だ。後ろ側から絡められた細い腕に、抗う様子はない。
「愛しているわトニー」
 男の頬に自らの頬を寄せて、レナは囁いた。
 ネイルにも劣らぬ、真紅に塗られた唇を緩めて微笑した。


2004年07月26日(月) ちまちま3

3.

―――殺される。
 暗闇を、走っていた。
 足元は固いのかやわらかいのかも分からない。
 耳に聞こえているのが、他人の足音なのか、自分のそれなのかも判別がつかない。
 ただ恐ろしかった。
 生命の危機を感じて、走っていた。
 荒い息遣い。
 何故怯えているのかは分からないのに、捕まったら殺される、という奇妙な自信はあった。
 手が、何かを持っている。握り締めている。右手だ。
 首を捻って、大きく振る右手を見下ろした。何を必死に、しっかりと掴んでいるのか。
 重かった。
 握り締めた指と指の間から、ぞわぞわと黒い糸が無数にはみ出していた。
 糸? ―――違う。
 きしきしと指に絡む感触は、髪の毛だ。
 ひぃっ、と咽喉が掠れた悲鳴をあげた。
 思わず立ちすくんで、掴んでいたものを取り落とす。ごとり。
 ごろり、と重みを持ったそれが、闇の中を転がった。
 くるりくるりと回転して、目の前に。
 ぼんやりと浮かび上がるのは血の気の失った、まるで蝋人形のような。


 首。


「うわぁああっ!」
 自分の絶叫で、シロウは目を覚ました。横たえていた体を、勢い良くがばりと起こす。
 視界の端で何かが飛びのく気配と、小さな悲鳴。
「シロ?」
 離れたところに退避したアンリがおそるおそる声をかけてきた。
「だいじょうぶ?」
 小走りに近づいてきたアンリが、下からシロウの顔を覗き込んだ。
 いつのまにか汗をかいていたらしい。こめかみから一筋、顎に向かって雫が落ちる。
「ワリ。驚かせただろ」
 今にも泣き出しそうな情けない顔のアンリを、シロウは乱暴に撫でた。
「だいじょうぶ?」
 心配そうな面持ちで、アンリは繰り返して訊いた。
 無邪気な分、彼女は人の気配の変化に鋭敏だ。
 シロウは苦笑する。
「全然平気。お前こそどうしたんだよ」
「社長がね、もうすぐプロメテアに着くから、シロを起こしてこいって」
「もうそんな時間か」
 一、二時間ひと眠りのつもりが、すっかり一日分の睡眠をとってしまった計算になる。
どうりで体がぐったりと重いはずだ。
「わざわざ来てくれたのか。ありがとな」
「パウンドケーキが食べたいです!」
 心から礼を言うと、ニコニコとアンリが見返りを求めた。
 こういう現金なところは誰から習ったものか―――一瞬脳裏を慣れ親しんだ顔が掠めたが、シロウは気がつかないふりをした。
「ハイハイ。あとでな」
 アンリが横から腕を引っ張るので、シロウはだるい体を起こしてベッドから下りた。
 差し出される小さな手に、自然と自分のそれを繋ぐ。
「ねぇ、こわい夢みてたの?」
「あ? ああ、さっきのね」
 鋼鉄の、鈍い銀に輝く廊下を並んで歩く。
 不快感だけがざらりと残っている。
 断片だけは思い出せるのに、一体それがどういう内容だったのか、どれほど意識を集中しても思い出すことが出来ない。
 澱のように、重みと苦味だけが、今も。
「忘れた」
 単純明快に、結果だけを答えた。
「ええええー」
 不服そうにアンリがブーイングを上げる。
「なんだ、えええ、って」
 悪夢を克明に知りたかったような反応じゃないか。
「だって、なんだかつまんないんだもんっ」
 なんだそりゃ。シロウは嘆息した。
 女性と言うのはどうにも気分屋で困る。


 良く、見る夢のような気がする。
 起きた後は大概内容は覚えていないのだが。
 闇の深さと、こみ上げる嘔吐感にも似た不快感。
 ただの夢ならばいいが、”手がかり”かもしれないと思うと、一度はしっかりと覚えていられたらいいのに、と思う。

 空白の、二年間。
 ぽっかりと、二年分、シロウの記憶は欠落している。
 何故なのかは良く分からないが、社長に拾われる数年前のことは、思い出そうとしてもどうしても思い出せない。
 生まれは何処で、親は誰か。それは分かる。無くしていない。
 ただ、数年前の一時期の記憶だけがすっぽりと抜け落ちているのだ。
 その当時は自分は一体どこにいて何をしていたのか?
 埋まらない空白があるということは、気持ちのいいものではない。
 大方転んで頭でもぶつけたんだろうと、社長は言うのだが。


「プロメテアってね、今お祭りなんだって!」
 繋いだ手を振り回しながら、アンリが言った。わくわく、と顔に書いてある。
「ああ、らしいな。ええと、なんていったっけ? ライスランド……?」
「ラストランドデイ」
 即座に後方から訂正が入った。
 唐突に背後に現れた気配に、シロウはのけぞって、情けない悲鳴をあげる。
 あー、アルバくん! とアンリはうれしそうな声を上げた。
「いいい、いつの間にお前そこに」
「そこの調整室から出てきたところだ」
 親指で、すぐ傍の壁面に張り付いた薄い扉を示しつつ、アルバート・デュランは言った。
 地球人の標準的な身長であるシロウよりも、頭半分ほど低い。
 ぼっさりと顔の半ばまでを覆うような髪は濃い青で、髪に隠された瞳の色は伺えない。
 グレイのハイネックセーターに黒のパンツ姿。全身を暗い色で包んでいるので、僅かに覗いている顔の下半分だけがやけに白く見えた。
「ねぇねぇアルバくん、ラストランドデイってどういうお祭りか知ってる?」
 シロウと繋いだ手をぶらぶらさせて、アンリが聞いた。
「フォルモの祭りだろう」
 大した感慨もなくアルバートは切り替えした。
「元々は祝い事でも何でもなかったそうだ。何しろ、大陸が全て水没した日にちなんだ祭りらしいからな」
「大陸全部が水没?」
「なんだ、シロウは知らなかったのか。有名だぞ」
 厚ぼったく垂れ下がる前髪の隙間からシロウを見上げて、アルバートは僅かに驚いたようだった。最も、その変化も微細なものなので、付き合いの長い人間にしかわからない程度ではあるが。
「事情は大して地球と変わらないらしいが。今では大陸は全て海の底。人工都市が浮かんでいるだけだそうだ」
「へぇー。だからラストランドデイっていうんだ!」
「やっていることは、普通の祭りと何ら変わらない。ただ星を上げて騒ぐだけだ。正月と同じだな」
「でもでも、社長はラストランドデイには確実に必要なものがある、ってゆってたよ」
 てくてく、並んでブリッジに向かいながら、更にアンリは質問を重ねる。シロウと手を繋いだままアルバートにも手を伸ばすので、まるで休日の親子のような形になってしまった。
「鴉猫の牙のことか?」
「カラスネコ?」
 くりん、とアンリが首を傾げた。
「元々フォルモ原産の生き物で、近くの星とつながりが出来た頃に、珍しがられて色々な星に輸出されたんだ。だが、フォルモの本星の大陸が水没してからは繁殖がむずかしくなって、今では天然記念物扱いになっている。昔から鴉猫の牙は魔除けに用いられていて、今ではラストランドデイにその牙をアクセサリにするのが通例だそうだ」
「へぇぇぇ」
 大仰にアンリが驚いた。大きな瞳を輝かせてアルバートを見上げている。
「だからこの時期になると、近くの星から鴉猫の牙の輸入が増えるのさ。今回の積荷も大方、鴉猫の牙だろう」
「からすねこって、猫なの!?」
 一際きらきらと期待に瞳を輝かせて、アンリがアルバートの腕を引っ張る。
「猫といえば猫だが―――子どもでも一メートルぐらいある。黒くて、背中に鳥の羽根が生えているんだ」
 ひゃぁ、と大袈裟に驚いて、アンリが自分の両手を広げる動作をする。
 一メートルを測ろうとしているようだ。
「おっきいね!」
「天然ものは少ない。大体が模造品だ。ごく稀に本物の鴉猫自体が取引されることもあるが」
「アルバくん物知りだね!」
 アンリが尊敬の眼差しをアルバートに向けた。半ば前髪に覆い隠された顔で、僅かにアルバートがはにかむように笑う。純粋で直球なアンリの感情表現は時折気恥ずかしくもあるが、やはりうれしいものだ。

 ブリッジの目の前までたどり着いたところで、唐突にシロウの腕に絡みついたゴツいリストバンドが鳴り出した。ぴこんぴこん、赤く明滅する。
 ある意味、インターホンのようなもので、来訪者からの通信はブリッジと、シロウが右腕に装着している時計兼コンピュータ端末兼通信機―――『キュラクタ』に届く。
 大概はシロウが応対することになる。社長なんかはブリッジにいても無視だ。
 人差し指で応答ボタンを押した。
「はい。こちら運送業務を営む『SNAKEHEADS』ですが。ご用件をどうぞ」
 膜状のモニターが、キュラクタの上部に浮かび上がった。現在は「SOUND ONRY」という赤い文字の表記があるだけで、相手の顔は見えない。向こうにも、シロウの声だけが届いているはずだ。
《毎度ありがとうございます〜、『きら家』フォルモ星系支店の担当ジャクリンです!》
「はい?」
《ご注文の『バルデン星産特上うな丼セット』と『特製牛丼並』。銀河ビール6本セットをお届けにあがりましたー!》
 状況がよく飲み込めていないシロウに、ジャクリンくんはやけに明るい営業用の声でまくし立てた.。
《合計で2760Gになりますー。こちらの番号までお支払いお願いしまーぁす!》
 シロウは慌てて周囲をぐるりと見回した。
 目が合ったアンリはふるふると首を横に振る。
 視線をアルバートに移すと、疑われるのは不本意、と顔に書いてあった。
 ああ、それなら、答えはひとつだ。
「……じゃあ、これで」
 シロウは、キュラクタのボタンをいくつか押して、自分の口座から代金を振り込む。
 しばしの沈黙。
《……はい! 入金確認いたしました! 只今そちらの転送機器に商品転送いたしますので、ご確認お願いしまァす!》
 荒々しく、シロウはブリッジに乗り込んだ。
 ぷしゅんと横滑りに開くドアの左手側。ブリッジの一区画に作られたリビングスペースがあり、壁際に外部から荷物が転送されてくるブースが設置されている―――誰かさんの趣味で作られたカウンターバーの傍だ。そこから、長身の美女がビールの缶を引きずり出すところだった。
「……荷物、とどきました。ドーモ」
《はい。確認ありがとうございます! それではこれで失礼いたしますー! またお願いしますね! アリガトウゴザイマシター!》
 ぷつん。
 キュラクタの膜状モニターが、一本の線になって消える。通信終了。
「あのォ」
 弱々しくシロウは呼びかけた。相手は黒革のソファーに長いおみ足を投げ出して座って、銀河ビールをあおったところだった。
 社長は視線だけをシロウに寄越す。
 あァ? なんだ文句でもあるのか、と。目が言っている。
「……カネ」
 ビールの缶を口元から引き剥がして、社長が僅かに目を細める。
 無言の、圧力。
 しばしのにらみ合いが続き。
「……なんでもないです」
 シロウの連敗記録は更新された。
 シロがんばってー、といつのまにか傍にきていたアンリに慰められる。
「到着までは?」
 ぱきりと、鰻丼牛丼とともに届けられた割り箸を割って、社長が誰ともなしに問い掛ける。
「あと一時間と二十五分といったところです」
 すかさずアルバートが答えた。
「まァ、じゃあ作戦会議だな。座れ」
 トップの号令に、乗組員はリビングスペースに置かれたコの字型のソファーに銘々おさまる。
 アンリはホクホク笑顔で社長の隣にぽすりと沈んだ。
 よっこらしょ、と社長の向かい側に腰掛けたシロウに、ぺしりと『きら家』のロゴが入った箸がたたきつけられる。
「って! 何す―――」
「余ったから喰え」
 テーブルの上には、手付かずの特製鰻丼がひとつ。
「ええっ!? マジっスか!」
 幼い頃はわびしい暮らしをしていたシロウだけに、食というのは人生最大の娯楽のひとつだ。
 放り出された割り箸をありがたく受け止めて、シロウは両手を合わせた。
「いいなぁ、シロー。アンリもうなぎ食べたいー」
 向かい側からアンリが身を乗り出す。
 実のところ、鰻はシロウの好物だったりもする。
 これはもしかして、もしかして元々自分のために注文されたのではないかなどと喜んでしまって。
 一口目を口に運んで唐突に。
 シロウはある事実に気がついた。

(……これ、俺の金じゃんか)

「シロ? どうしたの? おなかいたいの?」
 急に箸が止まったシロウの顔を、心配そうにアンリが覗き込む。
「あと一時間強でプロメテアだな。荷物の引渡し場所はどうなってる」
 何処から取り出したものか、ブラッチーノマイルドを口元に銜え、社長は頭脳担当に赤い瞳を向ける。
「とりあえずプロメテア港で、倉庫の大半を占めている量産型の『鴉猫の牙』をおろします」
「ああ」
 相槌をうちながら、社長は紫煙を空中に吐き出す。
「問題はそれから先です。おおっぴらに例のものは引き渡せません。取引相手が、プロメテア付近に、所有の船で現れるそうなので、そこで取引です」
「そこで?」
「取引相手所有の豪華客船です。この船なんかは、すっぽり入れるそうですよ、ドッグの中に」
「へぇ、そりゃすごいねぇ」
 大して凄いとも思っていない口調で、社長は相槌をうった。
「例のものって……」
 出されたものは最後まで食べるのが信条のシロウは、自分の金から生まれた鰻丼を胃の中におさめながら、聞いた。
 今回乗っている荷物については、搬入の際にちょうど別件で出払っていたシロウは全く知らない。
「ああ、お前は乗せたときにはいなかったね。倉庫に行きゃぁ、会えるよ」
「会える、って」
「そのまんまの意味さ」
 煙草の先を灰皿に押し付けて消すと、社長は新しい缶ビールのプルを起こした。


2004年07月25日(日) ちまちま2

「とりあえず入ってみるかね。中を確かめてみないことには何も言えない」
 よっこいしょ、と掛け声をひとつ。サイジョウは立ち上がった。
 言われもしないうちにてきぱきと、ステフが端末を片付け始める。まるで世話女房のようだ。
 ひ弱にしか見えない、全国指名手配中のテロリストの頭目は、まるで隣の部屋に移動するような気安さで洞穴にもぐりこむ。
 レイとハルトはお互いにを見合わせてから、頼りない背に続いた。


―――ねぇ、もう帰ろうよぅ。
 圧迫感のある狭い岩壁にはさまれながら、レイは幼い子供の声を聞いた。
 半べそなのは、自分だ。まだ孤児院で暮らしていたころの。
 十年以上も前の話だ。今も目の前を歩いている幼馴染の腕を、後ろから必死に引っ張っていた。
―――ばっか、ここまで来て帰れるか!
 ハルトは振り返らなかった。鬱陶しそうに、絡みつくレイの腕を振り解く。
 早く荒野を出て帰途に着かなければ、孤児院に戻る頃にはとっぷりと日が暮れてしまうだろう。
 シスターたちに心配をかけるのは嫌だったし、何より、怖かった。
 しかし、この幼馴染は一度好奇心に火がついてしまうと止められないのも、レイはよく知っていた。
 レイが帰る、と言ったところで、彼は一人で残るだろう。ほうって帰るわけにもいかなかった。
 そうだった。あの日、確かにこの細い洞窟を進んで、その先にある遺跡にたどり着いたのだ。

 ぼんやりと、闇の果てに白いものが浮かび上がる。
 それが、わずかな光を跳ね返す鋼鉄の扉なのだと気づくまで、時間は要らなかった。
 現代の科学をはるかに超越した、古代文明の遺跡。ファレスタ山脈で発見した、伝説の聖遺物、


2004年07月24日(土) db

DB2(仮)


1.

―――おにいちゃん、まぶしいってどういうかんじ?
 雲ひとつなく晴れ渡った空を仰いで、エスリンが問いかけてくる。
―――そうだなぁ、なんつーか、ちかちかって感じ?
 顎を押さえて考え込むと、声を頼りにエスリンがこちらに顔を向ける。小さい頭をかしげた。
―――ちかちか?
―――ってもわかんねぇよなぁ。ムズかしいな……。
 ううんと唸って頭を抱えると、年のはなれた妹はくすくすと軽やかに笑って、華奢な腕をこちらのそれに絡めてきた。
―――……ありがとう、おにいちゃん。


            *


 五年後―――。


 羽音が追い越してゆく。
 白い翼をはばたかせ、鳥が空へのぼってゆく。
 カイは、白い羽根の軌跡を目で追った。雲ひとつない空は高く、どこまでも澄んでいた。鳥の姿はすぐに見えなくなる。
「おい早くしろよ、はじまっちまうぞ!」
 今度はいくつもの足音がカイを追い越していった。
 この街に住む少年たちだろう。靴音も高らかに、緩やかな坂道を駆け上ってゆく。他にも無数の人々が足早に、この途の先にある広場へ向かっているようだ。カイも足を速めた。
 異様な熱気が広場から道を伝って漂ってくる。大勢の人の気配。だが喧騒はない。
 ぐるりと周囲を見回すと、道の両脇に開かれた露店は無人だった。店番すらいない。無用心極まりないが、それだけ街の人間が広場に集まっているということなのだろう。
 なだらかな坂道をのぼりきったところに、その円形の広場はある。人々の憩いの場がいまや、不穏なざわめきに包まれていた。
 たくさんの人、ひと、ひと。皆険しい顔つきで広場の中央を向いている。
 幾重にも張り巡らされた人垣をへだてても見えるほど高く、一本の杭が地面に突き立てられ、頭にすっぽりと布袋を被った男が縛り付けられていた。
 満身創痍であった。
 灰色の服は擦り切れ、あちこちに血が滲んでいる。
「これより公開処刑を始める!」
 杭の傍に歩み出た男が声を張り上げた。白を基調とした軍服は、ブリガンディア神聖国正規軍の軍服である。
 巻かれた書状を縦に開き、朗々と響き渡る声で罪状を読み上げる。
 この男は正規軍の小隊長であったが、畏れ多くも皇帝陛下の勅命に背いた。よって、罪は血で贖われる―――と。
 鎧の音を響かせて、杭の左右に二人ずつの兵士がならぶ。
 天を衝くほどに長大な槍を、石畳に力づよく打ちつけた。
「聖なるかな!」
 書状を携えた兵士が声高に叫んだ。それとともに四本の槍が高く掲げられる。雲にさえぎられることのない太陽のひかりが、鋭い切っ先に跳ね返った。
 声にならないざわめきが広がる。
 カイはただ、朗と響き渡る聖句を聞いていた。
「神聖にして偉大なる主よ、罪深き子を赦し、御許へ迎えたまえ」
 槍を持つ兵士は、縛り上げられた男の前に立ち、一対ずつ交差させた。
「……食料もなく、怪我人と女子どもしかいない村を」
 はじめて、罪人が口を開いた。
 酷くかすれ、震えていた声はやがて、強く大きくなる。
「焼き払うなんて! 俺には出来ない! そんなことは間違っている! 陛下は―――」
「イドゥナの仔に、幸いあれ!」
「ヴォーデンはもはや、狂っている!」
 どっと鈍い音が響き渡った。
 木製の杭を伝い、赤黒い液体がじわじわと石畳に広がってゆく。
 がっくりとうなだれた罪人の首がもはや動かないのを見届け、カイは踵を返した。
 一心に広場の中央を見据えていた人垣がくずれ、ばらばらと散り始める。
「オーブのせいだ」
 雑踏のなか、いずこからかそんな呟きが聞こえてきた。
「……ドラゴンバスターさえあれば」
 カイは思わず足を止め、周囲を見回した。急に立ち止まった青年を不審そうに眺めながら、多くのひとびとが彼を追い越してゆく。
 見渡しても、声の主は見つからなかった。
 身を捩って、もう一度広場の中央を眺める。
 布袋をはずされた男の顔は、自分とほぼ年の変わらない若者に見えた。

―――ドラゴンバスターさえあれば。

「だったらどうして」
 もはやただの肉塊となった罪人の体が、杭から引きずりおろされる。
 ばらばらにほどけてゆく人垣の波に、一本の棹のように立ち尽くし、カイは唇を噛み締めた。
「どうして、誰も探さないんだ!」


            *


 ブリガンディア神聖国は、イドゥナ聖教を国教とする宗教国家である。
 遥か昔、大陸を統一したというヴァン少年王の血筋を継ぎ、伝説の宝玉であるドラゴンオーブを至宝とする、大陸随一の軍事国家でもある。
 第十一代皇帝であるヴォーデン・ヴェルダン・ヴィーグリードは、自らを大陸の正統な継承者であると主張し、大陸を統一すべく、進軍をはじめた。
 大規模な侵攻がはじまってから既に六年。ブリガンディア神聖国は着実にその版図を広げていたが、反面着実に内側から疲弊しはじめていた。
 新たに制圧した領地からの不満もさることながら、性急ですらある進軍に、民たちも疲れきっていた。
 やがて、まことしやかにこんな噂が囁かれるようになる。

 ―――皇帝は、ドラゴンオーブに呑まれてしまったのだ。

 伝説の至宝であるドラゴンオーブは、手にしたものに強大な力を与えると言われている。それとともに、手にしたものの内にうずまく欲望を駆り立てる、とも。
 ゆえに、手にするものの心によって、聖なる秘宝にも悪魔の力にもなり得る。
 元々軍事国家であったとはいえ、侵攻をはじめた頃のブリガンディアは飛ぶ鳥もおとす勢いだった。人々はそれを神の祝福と呼び、この戦いが正統なものであると信じて疑わなかった。
 しかし、版図をひろげることよりも、戦自体に固執するようになった皇帝の異変に、人々はようやく気づき始めたのだった。
 飛ぶ鳥を落とすあの勢いも神の加護などではなく、伝説の宝玉が与えた力だとしたら。強大な魔力に、皇帝の理性が飲み込まれてしまったのだとしたら。
 すべてのつじつまが合う。

 ドラゴンオーブはなにものにも傷つけられない。手にしたものが封印を施すまでは、その力を惜しみなく与え続けるという。ドラゴンオーブを破壊できるものは、この世界でたったひとつ。

 ドラゴンバスターと呼ばれる剣だけである。


2004年07月23日(金) 日記連載予告

日記連載用に日記を借りました。
そこで、
今後ここでやろうと思っているブツをちょっと予告文で載せておきます。

【イレギュラー】

あとは、
arkの個人の短編から何本かを予定しています。
こっちの方が進みがいいのだハハハ。


如月冴子 |MAIL

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