草原の満ち潮、豊穣の荒野
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46 River, Sea, Ocean 2〜月と椰子の木

ヒダルゴの夕暮れ。

いつもの酒場は酒処として夜の開店準備をしている。
ブルーはなしくずし的に住み込む形になっていた。
酒場の主人が女房子供に出て行かれた過去を
切々と語るのを聞きながらブルーは酒瓶を厨房へ
運び込んでいる。

「まいどー。珍しい品がよーやっと入ってきたんで
試しに一本飲んでみてやー」

「はい?」

不機嫌そうな青い店員がいぶかし気に振り返った。

「兄ちゃん聞こえんかったん?試飲用に1本サービスする言うてるんじゃ」

「....」

ブルーは地上の言葉は大抵理解出来た。
幸い地上はひとつの言語が公用語のように
ほとんどの場所で使われている。
少なくともブルーが歩いて旅できる範囲においては。
加えて彼はやろうと思えば声から情報を得る事もできる。
普段は特に必要もない能力だったが。


丸い黒眼鏡の男。
辺りはとっぷりと暮れている。盲目なのだろうか。

そんな事を思いながらブルーは彼の声を注意深く聞いた。

「わははは、あんさん新顔かいな。ほなよろしゅうな?
俺はナタク言うんよ。あちこちから酒仕入れては
卸しの仕事しとるまあ、流しの酒屋みたいなもんやな」

「...流しの酒屋ぁ?」


ブルーは頭を抱えた。
混乱を呼ぶ喋り方、いわゆる訛り。
旅の道中でもこんな奇っ怪な喋り方をする者なんか
初めてだ。
尤もブルー自身、旅商人の男から『ものすごい訛り』と
称された『異国人』なのだが。


「いや、失礼。その...なんというか...
聞き慣れない言葉なもんですから」


慎重に言葉を選ぶ。
ブルーにとって街の人間全てがどう商売に繋がるかわからない。
以前ならわかんねえよ、お前、だったけれど。

「故郷(くに)がここらとは違うて遠くやからなー。
まあ、これ飲んでみぃ?」


ナタクと名乗った男はボトルを一本ブルーに放り渡して
かかか、と笑った。

前開きのシャツに細綾織りの丈夫な綿布製ズボン。
やや長めの黒髪をうなじの辺りで縛り
額に縞模様のバンダナを巻いた流しの酒屋。
黒眼鏡が怪しさを醸し出しまくってひと回りし
かえって妙な親しみすら持たせている。

「あ...こりゃどうも。私はブルー。
頂きます」

酒を酌み交わす相手にとりあえず敵はなし。
適当な持論でブルーは受け取った酒を呷った。

「あ、うめえ」

「そーやろー?こーゆう美味い酒に遭うために
世界中渡り歩いとるけんな。
趣味が高じてこの仕事、ちうわけ」





開店準備もそっちのけで酒宴開始。
呆れ顔の店主がせめて開けてからにしてくれ、とやってきた。
背中には青い子供がくっついて歩いている。
息子と年が近い、と鼻水をすする店主は
息子をすっ飛ばして孫にメロメロのじいさん、と言った方が正しい。

「なんならそいつ、あんたにやるよ」

ブルーがラッパ飲みしながら面倒臭そうに言った。


「...ブルー殿」

「は?...うわっ!!」

ブルーは危うくボトルを落としかけ、後ずさった。
黒い服の男が明らかに機嫌の悪い顔で立っている。
右手にはあの森で見た銀色の棍が握られていた。

「おお、カーくん」

酒屋がのんびりした緊張感の無い言葉を口にした。

「カーくんはよせ」

「久しぶりなんやき、ええやん。
カーくん暇元気そうでなによりやし」

「....お知り合いですか」

「10年来のつき合いやからねぇ。
なんぞカーくんについて聞きたい事があるんか?
当たり障り無い範囲なら教えちゃってもええで?」

「当たり障り無い.....って....」

ブルーが暗い顔で呟く。
森での一件を思い出すだけでも気が重い。

「教えるな」

カノンはその顔と同じくらい不機嫌な声で言い放った。

「カーくん、相変わらずやな」

「....だからカーくんはやめろと言ってるんだ」

「なんだか知らんが私は開店準備がありますんで」

「待ちなさい、保護者殿」

「誰が保護者だ」

「先日言いそびれた事があってね。
少しばかり時間をもらえないか?」

「仕事がありますんで」

「ブルー、司祭の言う事は聞くもんだぞ。
こっちはいいから」

「...良くねえよ」


店主の迷惑な計らい。
逃げ損なったブルーは酒場の隅に座り、ふてくされ顔で
煙草に火を付けた。

「あんたもやるかい?」

「君はシラフじゃ話もできないのか」


煙草をくわえたまま、ブルーは肩で笑った。
吐き出す煙りの匂いはいわゆる『煙草』とは別物。

「ビミョウなもん吸うとるな、ブルー殿」

ナタクが子供を煙の来ない風向きに押しやって苦笑した。
ブルーはわざとらしく煙を吹き、卑猥な歌を口にして
噛み付くように言った。

「ああ、そうだよ。
こういうロクデナシをもうひとり作りたくなきゃ
そのガキゃ、とっとと連れてってくれ」

「そのつもりだよ」

「はん?」

カノンは眉ひとつ動かさず続けた。

「神殿にその子を昼間だけでも寄越さないかと言いに来た。
問題のありすぎる人物が保護者であれば
サポートがあった方がいいだろう。
神殿には孤児や親の手が回らない子供に
読み書きを教えたりする援助活動の場が設けられている。
君としてもその方が楽になるはずだと思うが?」

「あくまでも保護者扱いか」

「君の事情がどうであれ、そんな瑣末に興味はない」

「...ムカつく奴だな」

「なんや二人とも喧嘩腰じゃなぁ。
もちっと穏やかに話しせんと、まとまるモンもまとまらんやろう...」

「ナタクは黙っていてくれ」

「ケンカを売ってるのは司祭様ですぜ」


風向きが怪しい。
酒屋はやれやれ、と子供の手を引いて言った。

「しゃーないのう。ほなルーくん、あっちで遊ぼか?」

「ルーくんて誰だ」

「ブルー殿のちっさい版やから仮にルーくんでええやろ。
ブーくんじゃなんだし、な。それに
カノンもカーく...」


カノンが氷青の目でナタクを睨んだ。

「へいへい、お父ちゃん達はほっといていこか」

「だから親父じゃないって...」

ブルーが頭を抱えた。






「ブルー殿、大人だという自覚があるのなら
もう少ししっかりしたらどうなんだ」

カノンが口火を切る。

「複雑な事情があると言うのなら少なくとも
説明する努力はすべきだろう。
心当たりがない、知らなかった、で済む問題ばかりじゃ無いのは
君も判っていると思っていたが?」

「.....ふうん。
で、誰を信用して説明しろ、と?
あんたの言う神殿はオレにとっちゃ得体が知れねえ。
そもそも深夜に...」


ブルーの言葉を遮ってカノンが言った。


「...僕を信頼しろとは言わないがね。
信用がおけないところに預けるぐらいなら
厄介払いにその辺に放り出して、野垂れ死にさせた方が
ましだとでも言う気かい」


ブルーは煙草に似たシロモノを足で踏み消し
唸るように言った。

「とっとと行きやがれ。さもなきゃオレはあんたを
ブン殴るまで諦めねえぞ」

「それが君の応えか。子供以下だな」

ブルーが床を蹴ってカノンに殴りかかった。




「やめんかいな!!」




間に割って入ったのは酒屋。
右手でブルーの拳を止め、左手でカノンの棍を掴んで
立っていた。

「ったく、さっきから聞いとったら何や。
そろいも揃うてガキ同士の言い合いと変わらんやんかお前ら。
カーくん、慇懃無礼も程々にしとき。

ブルー殿も負けるケンカ売ってボコられるんが趣味か?
とにかく、問題はルー君の事やろが。事情はよう知らんけども
俺がここに滞在する間は相談にのるけん、結論急がずに一旦退けや。
せやないと、両成敗で一発喰らわしたるでホンマに」

先にカノンが棍を下ろした。
ブルーだけが納得のいかない顔で動かない。

「...ブルー殿、聞けんか?」

「....」

黙ってブルーはカノンを睨んでいる。

「ちょい、あのなぁブルー殿...」

ナタクが空いた左手でブルーを手招いた。
ブルーがカノンから視線を外した僅か1秒間。
もし誰かがその1秒を目に止められていたなら
凄まじい力でブルーを拳ごと床に叩き付けた
酒屋の姿が見られただろう。

鈍い音と共にブルーは床に伸びていた。
声ひとつ上げる事もなく。


「スマンなぁ。けど、カーくんに突っ掛かるぐらいやったら
こっちの方がマシやけんな。
......たく、カーくんもな、自分より弱いの判ってて
何たき付けとんのよ」

「カーくんはよせ」

「まあとにかく。言うたからには、こっち居る間
この子の様子見ながら相談のっちゃるよ。
ぐだぐだ言うたかて、昼間ぐらい神殿に預かって貰うた方が
ブルー殿も楽なんは事実やから、その辺り話つけたるわ。
それでええやろ?」

「....わかった」

「まあ、俺もそんな長居は出来んけどな。
それでもカーくんがごり押しするよりゃ、うまくに話しとく」


「ならば...僕はこれで退散しよう。彼が起きないうちに」

「おう、行け行け。ご苦労さんや」


カノンは店主に挨拶をして出て行き
ブルーはその数分後に目を開けた。


「...くそったれ」

「気ぃついたか?カーくんはもうおらんでー」

「あの野郎、いつか絶対ボコる」

「威勢がええのはかまわんけども。
そればあじゃカーくんをボコるのはずーっと無理やな。
たんこぶ出来とるで」

「ナタさん、あんた一体何者なんです?」

ブルーは頭のこぶを押さえながら黒眼鏡の怪力男に訊ねた。


「俺は酒がめっちゃ好きなだけの流しの酒屋や」

「は?」

「酒場は酒を楽しむ所や。喧嘩はアカン。...というよりな
割れよった日にゃ酒が泣くわい。始末は面倒、ええ事ないで。
……俺は今日遇うたばっかし、よう知らんけども
ブルー殿もそらいろいろあるやろ。
まあ飲みや。そんな時ゃ飲んでから考えたらええねん」

流しの酒屋はブルーの肩に手を掛け、ほれ、と酒を勧めた。

「どうも...」

口にした酒は確かにテーブルにブチまけるには惜しい香り。
いらついた神経をなだめるのに丁度良かった。


「おう、飲め飲め。でもな、せめてご機嫌な酔っ払いまでで
やめとくんが身の為やで。あんま、わけわからんモンまで
やっとったら長生きできんし」

ブルーは踏み消した『微妙な煙草』を拾い上げポケットに
突っ込むと呟いた。

「酒が切れてのたくってる酔っ払いより
飲んでご機嫌な酔っ払いの方がまだいくらかマシだよ。
...酒に漬けた果物はもう元には戻らねえ。
果物なら捨てりゃいいけど...」

「それはシャレにならんで、ブルー殿」

「いや、オレの事じゃないですよ。
アレ、薬の代用品みたいなもんでね。商売で
ちょいと作ったばっかのを試してみただけで」

「ブルー殿、薬屋なん?」

「おおまかには、ね。同じ薬でもやばめの方が金になる。
文無しで旅、ってわけにはいかないし
かといって、あんまり外道は好きじゃねえから
せいぜいチンケな悪徳薬売りってとこかな」

「そら環境子供向きやないなあ、確かに。
せやかてちっさいルーくん放るわけいかんし
ブルー殿かてニンゲンひとり背負い込めば
たまらんやろ。
...ところでほんまにブルー殿、身に覚えないんか?」

「断じて無いッ」

「わはは、冗談や。ちうか、身元がわかりゃええんやから
なんぞ手がかりないやろか?俺も遠くやら行った先で気い付けとくし」

「そっちも無いですよ。オレだって、ひとり放り出されたガキが
どんな気分になるかくらいわかるけど
知らないものを知ってるとは言えないでしょうよ」


ブルーは一気にボトルを呷って咳き込んだ。
続いて思いきり鼻をかむ音。


「うへ。鼻から出さんといてや。せっかくの酒やぞ。若造。

それにしてもなあ、ブルー殿、カーくんにもそう言うとれば
あんまり話ややこしならんですんだんやけどなあ」

「けっ」

「またそない子供みたいな事。ブルー殿。
ま、僅かばかりなら力になれるかもしれんし、なれんかもしらん。
約束はでけんが、酒だけは間違いなくええモン持って来るよってな」


「....ナタさん、あんたいい奴だ」

「ありゃりゃ、ブルー殿、もう回っとるんかいな」

「いや、そうじゃない。そうじゃなくってさ...
昔聞いたのとあんまり違うから...南の浜もなきゃ
特別な椰子の木もない。
夢の薬欲しがってまで見た夢がこれか、って思うとさ
シラフでやってられるかってんだ....」


そのへんの酒瓶を空にした挙げ句、ブルーはよくわからない言葉や
歌らしきものを口にしながら椅子からズリ落ちた。


「やれやれ、潰れてもうた。ちと度数も高かったし
ちゃんぽんはやっぱあかんで、ブルー殿」

酒屋は床に転がった若造を引っぱり起こしながら
黒眼鏡の奥で『ルー』を見ていた。




「…なんちゅうかホンマ、こらややこしそうやなぁ」

酔い潰れて眠り込んだブルーを見ながら
ひとりごとのように呟く。

ルーが駆け寄ってブルーを覗き込むと笑った。
額にあった大きなコブが引いて行くのを見ながら
酒屋は表情ひとつ変えなかった。

「ブルー殿の手に余るんは間違いなさげやな……。見てしもうた以上
放るわけにもいかんしな…。たく、何時でも面倒ごとは
芋蔓式なんやから…
なあ、ルーくん。あんさんほんまどっから来たんかね……」


青い子供はにこにこ笑いながら酒屋を見ているばかり。



     むかしむかし、南の浜に特別な椰子の木が
     はえていました。

     その木はまっすぐ月に向かってはえていました。
     その木は神様の木で、特別でした。

     月や星をひとやすみさせるために
     はえている木でした。
          
     それはとても高く、空にむかってのびていました。
     月や星はその枝に腰掛けて、こっそり
     ひとやすみしては、夜空へ登っていったのです.....          










水属海遊博覧館へ


クリップアートはcoolmoon様からお借りしました。


45 River, Sea, Ocean 1

昼下がりのヒダルゴ。

街角にある小さな一軒の商店。
色とりどりのキャンデーが入った瓶に
干した果物で作られた菓子類、焼き上がって
並べられたばかりのビスケット。

カウンターの横には多少の酒類もある。
大抵は大人が子連れで入ってきて
店主に注文のリストを渡す。
この街にない品を求めたい時、ここで頼めば
定期便で探してきてもらえる。

子供が買い与えられたキャンデーやビスケットに
夢中になっている間、大人達は用をすませ雑談に興じる。
ある時は遠い国の香辛料、またある時は高価な布生地。
揃えられる限りなんでも並ぶ店。
時折子供達だけがいくらかのコインを握りしめ
菓子類を買いにやってくる。




「おい、見ろよ。あいつ変な色」

「青い顔してるぞ」


数人の子供達が瓶のキャンデーを物色する手を止め
ひそひそと話しはじめた。
好奇心に満ちたその目の先にひとりの子供がいた。
年の頃は10歳になるかならないか。
服装こそ街の子供と大して変わらなかったが
その髪、肌、目はすべて青かった。


「おや、司祭、いらっしゃい。今日は何をお頼みで?」


店の扉が開かれ、黒い服の大人が入って来た。
店主が読みかけの新聞を置いて立ち上がる。

「神殿から頼んでおいた書物に追加があってね。
すまないが間に合うかい?」


司祭、と呼び掛けられた男は穏やかな声で答え
カウンターに腰掛けた。
小さい店内の端には子供が数人。
いつもの光景だ。
彼は特に気にも留めず店主と追加分の確認を始めた。




「...おい、あいつ見た事ないな」

「この店はぼくらのなわばりだってこと
教えた方がいいんじゃないか?」

「そうだよな、あいつ
ぼくらの方も見ないし気に入らない」


噂の子供は男の子だった。
髪は長く背中まで届いているが
見るからに悪戯小僧、と言った顔つき。
どこにでもいる元気そうな子供。
青い事さえ除けば。

彼は自分が噂の的になっている事など
全く気付きもしない様子で張られたポスターや
飾られた人形を夢中で眺めていた。


「....いい考えがある」

子供達は輪になってひそひそ内緒の相談を始めた。
黒い服の司祭が用をすませ店を出て行きかけ
足を止める。

「....?」

どこかで見た顔だ。

司祭....カノンは店の隅で窓の人形にへばりついている
子供の横顔を見て頭を傾げた。

あれは...確か....。



カノンの傍をすり抜け子供達が青い子供に近付いた。
彼等は隣の人形を覗き込むようにして、青い子供の傍に立つ。
にこにこしながら人形を見ている子供は
相変わらず気付いていない。

「......」

カノンの表情が一瞬険しくなった。
眼鏡の奥で氷青の目が細められる。


子供達はそのままぱたぱたと店から出て行く。
青い子供だけが人形にかじりついたまま。
店の入り口で最後の子供が振り返ると
彼を指差し、大声で叫んだ。

「おじさん!そいつ悪い奴だ!
ポケットの中調べてみてよ!」



はじめて青い子供が顔を上げた。
その顔を正面から見たカノンが小さくあっ、と声を上げる。
店主が新聞を叩き置いて怒鳴った。


「コラ!この手癖の悪いガキめ!」

店主は呆然とした青い子供をひっ掴み
そのポケットの中の物をカウンターにブチまけた。
色とりどりのキャンデーがころころと転がって
床に落ちる。

「代金を払ってないだろ」

店主は子供の腰を掴みあげ、ズボンを下ろすと
ものすごい勢いで尻を叩き始めた。
子供の顔や尻が青く、珍しい色をしている事すら
頭に血が登った店主には関係ない。

「子供でもっ、泥棒はっ、
いかん事くらい知ってるだろ!!
この性悪ガキめ!親に引き渡す前に...」

子供の泣き声が店に響く。
いきなりつかまえられて尻を叩かれているのだ。
勿論、彼はキャンデーなんか触りもしなかった。

「この!ダラダラ店にいるからどうも怪しいと
思ってたら案の定!」

「店主、ちょっと待ちなさい」



叩く数発目の手を掴んで止めさせたのはカノンだった。

「その子は何もしていない。
さっき出て行った子供達が、その子のポケットに
商品を入れたのを僕は見ていた。
言うのが遅れてしまったが……」

「えっ....」



街の多くの人間にとって神殿の人間は尊敬に値する。
通りすがれば目礼程度の敬意を表すのが常識だ。
相手もにこやかにそれを返し、ふんぞり返っているわけでもない。
そんな街の人間にとって、良き相談相手でもある司祭が言ったのだ。
疑う者などない。
司祭はすまない、と、すぐ声を掛けられなかった事を
詫びた。

「ああ、いや、滅相もない。こっちこそ...」



青い子供の泣き声が止んだ。床に下ろされ
店主が特大の棒つきキャンデーを手に握らせた瞬間
彼はにこにこ笑い始めた。

「...現金な子供だ」

大人ふたりが呆れて子供を眺める。
注目されている当の本人は持たされたキャンディを
さっきまで見ていた人形と同じくらい
夢中になってひっくり返したりすかしたりしている。


「いやあ、司祭。申し訳ないですね。
とんでもない誤解で子供叩いちまったなんて。
教えて頂けて助かりました。
それにしてもあの悪そう小僧共め、今度来たら
とっつかまえて尻叩きだ」

「罪をなすりつけられて叱られる子供を
黙って見ている訳にはいかないからね。
...子供の悪戯は意外と巧妙だ。
間違えたのは仕方がないさ」


慰めるように言いながらカノンは子供を見つめた。

......もしかしたら。


「どこの子供でしょうね。司祭。
こんな子は始めて見る」

「......多少、心当たりがある。確信は無いんだが...」












「...で?なんで私が子持ち呼ばわりされにゃならんのです」



夕刻、酒場で仏頂面になっているのはブルー。
カノンが連れて来た子供を見て知るもんか、と手を振る。


「僕は心当たりが無いだろうかと言っただけだよ。
君の子かとは訊いてない」

カノンが渋い顔で嘆息した。
あまりにも似ているのだ。
改めて二人並べてみても親子、もしくは兄弟以外の
なにものでもない。何か事情でもあるんだろうか。
カノンでなくとも誰もがそう勘ぐっただろう光景。

酒場は夜の開店準備中。
まだ店主と厨房手伝い女しかいなかったが
全員ブルーと『ミニサイズブルー』を見て絶句していた。




「構わなければ、君の年齢を聞かせて欲しいんだが...」

「....推定で23ですよ」


ブルーは孤児である。
従って本当の年齢はわからない。面倒臭いので適当にサバ読んで
でっちあげる。それでも大体このくらいだろうと
己でも思っている年齢を口にした。


「なるほど…。いや、こちらとしても
身元がわからない子供を放っておくわけにいはかないんでね。
君の身内じゃないとしても、同郷には近いんじゃないかい?
何か心当たりなど思い出せるような事でもあれば
教えて欲しいんだが....」

「知るもんか」


ブルーはすっかり気分を害していた。
見てくれは一応これでも23前後にしか見えないと思っている。
まわりも多分そう思っているだろう。
それなのにこの司祭と来たら
突然、子連れ呼ばわり同然の事を言ったのだ。

冗談じゃない。身に覚えがないばかりか
10そこらで子供なんか誰が作る。


「僕も失礼は百も承知だが。
いかんせん、この街には色んな種族の者がいる。
外見と年齢が一致しないものもまたしかり、なんだ。
すまないな」

カノンはあっさりブルーの顔から抗議を読み取ったのか
無礼を詫びた。


「それはいいとしても....私は本当にこんな子供
知らないんです。
そもそも私が最近までいたのは海...」


ブルーが言いかけて黙った。

海で生きていたのだ。しかもこの子供は真昼に街なかを
うろついていたのである。単に似た外見を持つ種族の
子供としか考えようがなかった。
正直、自分でもうりふたつのその風貌に驚愕していたのは
事実だ。

子供はにこにこしながら大人達を見ていた。

「この子は何を聞いても答えないんだ。
このまま保護者が見つからなければ、神殿の方で孤児として
扱わざるをえないな...」


カノンが子供の手を引いて店を出かけた時
子供が笑顔で言った。


「ブルー!」









その日程、彼はバツの悪い思いをした事はなかった。
子供のろくでもないそのひとことで
彼は保護者の責任を逃れようと企てたロクデナシの
烙印を喰らったのである。

カノンは言葉こそ静かなものだったが
きっぱりと言った。



「僕はひとことも君の名前を言っていない」





挙げ句の果てにそのガキはブルーに駆け寄り
手を握ったのだ。満面の笑顔で。

カノンは冷ややかな視線をくれ、子供を置いていった。
多分、魔獣の幼生の件とダブルで大馬鹿者の烙印を押しただろう。
どう思われようと構った事ではなかったが、子供を
置いて行かれたのには参った。


「一体どうしろっていうんだ!」

ブルーが喚く。

「おまえ子持ちだったんだな」

店が開店し、客が入ってくる度そのセリフが聞かれた。
酒場の店主はしんみりと、うちの宿を世話するから、と肩を叩いた。
どうやら経験者らしいがその前に誰か
真実かどうかくらい疑ってくれ。


オレの人生は最悪だ。
ブルーの頭にはその言葉がぐるぐる回っていた。
頼みもしないのにいろんなものがくっついてくる。
オレはオレ自身の事すらわけわかんねえんだぞ。

最悪だ、クソッタレ!

どうして人生において楽しい事であろうものの順番を
すっとばしてガキなんかがいきなり現れる?
しかもそいつと来たらずっとヘラヘラ笑って
オレの名前以外口にしない。
見たか?あの司祭野郎の顔。
押し付けられた幼生の時もそうだった。他人にとっちゃ
やっかい物を背負い込む奴が阿呆ってコトだ。


ブルーは酒場の宿で子供を前にうろうろ歩き回っては
叫びまくった。しまいには怒りにまかせて安物のカップを
壁に投げ付けた。運の悪い事にそのカップは砕けて
跳ね返り『破壊者』に復讐した。

欠片はブルーの手に突き刺さり、ぽたぽたと
少なくない血が流れ始めたが、ブルーは構わず
その傷口を握りしめドンドン壁を殴り出した。


やっと慣れてきてなんでこうなるんだ?
どいつもこいつもオレが望んでやったわけじゃない事で責め立てる。
オレがどう思ってたかなんて問題にもならない。
うまくやったかやらないか、だけが問題なのか?
間抜けな奴はいったいどうしろってんだ。
いや誰が間抜けだ。
オレはさっきから何を考えてる?

血が赤い...

混乱し始めた思考。


「ちっ...」

ブルーの顔が苦痛で歪んだ。食い込んだ欠片の上から
叩きまくったツケがやってきた。
傷が広がってどこかまずい場所を傷つけたらしい。
血が止まらない。


おかしい。
死に損なって以来、何故か怪我をしても階段から転げ落ちても
馬車の荷台が激突してもすぐに回復した。
不死身かどうかなんて知らないが、体はいつもと違って
回復どころか悪化し始めた。

本来ならそれが当然の事であったのに
それすら考える事ができない。
頭がくらくらする。呼吸のリズムが激しく乱れてきた。
血は吹き出すようにどくどくと流れ落ちて行く。


「くそ...止まれってちくしょ...」


膝を折り、突っ伏しかけたブルーの傍で笑い声が響く。
彼はぎょっとして振り向いた。
青いガキがけらけら笑っていた。
いつも獣化の激しい痛みに苛まされた時
聞こえていたあの笑い声。


こいつの声なのか!?

子供が笑いながらブルーを覗き込んだ。

「寄るなッ...」


血まみれでぶっ倒れた人間を、笑いながら覗き込む子供なんか
気味が悪いにも程がある。
だがそいつはいっそう笑いながらオレの手を握り
オレはそのまま気を失った。




数刻後。

ブルーは酒場の店主に起こされた。
食事を用意してやったから来い、と彼は言った。
床の上で眠りこけてしようがない奴だ、とも。
あのガキはにこにこして椅子に座っている。
店主がやたら同情の色を浮かべて付け加えた。

割ったカップは子供が怪我するから片付けろ、と。


ブルーは言われるまま、どこの誰かもわからない
子供とモソモソ飯を喰った。
端から見ればこれ以上ないくらいそっくりな大と小。

笑われているのを背中越しに感じながら彼は
何気に自分の荷袋を覗き、あの老司祭から持たされた
青い球体が消えている事に気付いた。

「....じじい、いったい何を持たせやがったんだ...」


回復した手。
うっすらと傷痕がまだある。
死に損なった時を思い出しながら
彼は青い子供を見、思わず顔を覆った。
そいつは昔の子供時代とそっくりな食べ方をしていた。


「おい、親父ならもう少し飯の喰い方教えとけって」

苦笑まじりに声が飛び、ますますブルーはテーブルに
突っ伏して現実逃避した。
唯一違っていたのはその子供がいつもにこにこしていた事。
彼はひどい握り方をしたスプーンで一口すすっては
店中を見回しニッコリ笑った。


「そうか、そうか、そんなに美味しいか。
坊やはいい子だな。おかわりはたっぷりあるから
遠慮するな」


その光景はまるで飲んだくれてダメな親父に
巡り合って嬉しさを炸裂させた『不幸な子供』の
ようであっという間に語り種となった。

様々な憶測が乱れ飛んだ中、最高傑作だったのは
女房に愛想を尽かされ落ちぶれた男の元へ
子供が慕って追って来た、というストーリー。

人の不幸は自分に降りかかるまでは娯楽なのだ。
自分の頭にコブが出来てやっと悲鳴をあげ
不当性を怒りだすのだ。
そして今、自分は立て続けにコブを喰らっているところだ....
ブルーは苦虫を噛み潰した顔でそんな事を思いながら
ヤケ酒を飲み、いっそうその噂の信ぴょう性を高めさせる
羽目となった。


「なるようになりやがれ....」

彼は溜め息と共にベッドに潜り込みそう呟いた。
背中にはよくわからない例の奴がくっついている。
眠りに落ちる間際そいつはブルーの手を握り
それがやけに心地よく彼は朝までぐっすりと眠った。