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ムシトリ日記
加藤夏来
→ご意見・ご指摘等は

2006年02月27日(月)
改名披露

前の日の追記の通りの理由で、数時間も悩んでいませんが、HNだかPNだかを変更します。



A.


改め


加藤夏来



かとうなつき か ナツライで。脈絡無くて申し訳ないですが、気に入ったんで皆さん以後よろしくお願いします。






追記:つけた直後に気づくこと

何この同じ音名前誕生日血液型年齢だけやっつ下。



2006年02月26日(日)
学習日

土曜日は小説の勉強をする日でした。先月さぼったのですが、やっとこさ同人ででもひとまとめすることができたので、これを先生に見てもらいに行きます。


先生:「頑張ったなあ。でも前半と後半で別の話になっちゃってるよ。
じゃあまあ、これはリハビリってことで、次を頑張ろうね」

私:「はい(TT)」



持っていく前からよく分かってはいたのですが、いざ評価をもらうとやっぱりへこみます。姉弟子方は最近めきめき力をつけているところで、昨日もちょうど処女作の発売日にあたる人が拍手をもらっていましたし。(「これは普通に文庫本で売りに出されていても、何も不思議はありませんね……」と言われている人も)ただ、一番うらやましいのはデビューした人ではありません。デビューする予定も何かの同人に出すわけでもないのに、実に楽しげに伸び伸びと一年で四千八百枚小説を書きまくっている御仁です。おおおおお。(くずおれる)

結局のところ、自分が一番いやなのは『自由でない』ということですね。私は思いつくことは脈絡無くポンポン思いつくのですが、それを一本の小説にするまで足回りをじっくり固めるとか、「こういう部分を考える必要があるから必要の部分を中心に思いつこう」と思うと、途端に根気が続かなくなっちゃうたちです。根気が続かなくならないように、しっかり準備をしてから始めると、肝心な書く作業の途中で飽きちゃったりします。そこには「納得のいく小説を完成させたい」という望みに対する自由がありません。

今回ゲストで来ていた編集者の人にも質問を受けてもらったりしていて気づいたのですが、「編集だって楽しみたい」んですね。職業的に作品を扱う立場にある人でさえ、あれこれ相談してそうなる予定だったところに作品が落ち着いたりされると「……」となる。考えてみれば書くほうもそうです。自分で書く小説の先が読みたいじゃありませんか。


私:「……『プロットは予定表じゃない』?」

先生:「そう」



じゃないとすると「作品に対するビジョン?」と尋ねて同意してもらいましたが、それを具体的にどういう形で作っていくかは個人個人で違います。プロの小説家でも、フローチャートで完全に固めてくる人も、わざとおおまかな状態から始める人もいるそうです。「タイトルとキャッチコピーと人物配置」しか決めない剛の者も。こりゃ、うちの先生ですが。

大姉弟子にあたる人が講義をしていかれたこともありますが、作品の構成を完全に作曲の技法と同一視していたので、生徒の大半と先生でさえも口が半端な大きさに開いていました。頭の中で形にならない物語の流れを、どういった方法で手にとるか。それをどういう段階を踏んで文章に翻訳していくか。これは実際に書きながら、自分でつかんでいく以外にありません。

「このまま死ぬまで長編小説の書けない人生なんて、冗談じゃない!!」
というのが、学生時代一旦やめていた小説を再開した主な理由でした。こういった方面で、私は未だに切実に自由になりたいと考えます。で、本当に自由になるとはどういうことなのか、それも百人いれば百通りの答があるんだろうなあとも思っています。



追記:

先生:「ついでに、君いい加減人間の名前を名乗りなさいね。なにこのアルファベット一文字。その前は記号だったし、作者の顔が見えなくて気味悪い」

その場では理屈をこねてましたが、まあそりゃそうです。考えてみます。



2006年02月23日(木)
原文メモ

我ながら、なんと大それたことをやることか。
ここを越えれば、人間世界の悲惨。
越えなければ、我が破滅。
さあ進もう、神々の示現と卑劣な政敵の呼ぶ方へ!



賽は投げられた!!
Alea jacta est!!



2006年02月22日(水)
ニコール・キッドマンであるということ

好きな相手に好きになってもらえないとき、もっとはっきりフられたとき。
誰でも考えます。


「私がニコール・キッドマンだったら、せめてもうちょっと何とかなったのかなあ」

この時点で『ねェよ』という容赦ないツッコミが入りました。数年前、遊び友達に久しぶりに連絡をとってみたところ、


私「また振られた」
友「ふーん。こっちは彼氏と別れた」
私「ああうん。………とりあえず朝まで飲むか」



とかいう流れになって、二人して歌舞伎町を本当に朝まで徘徊したときの記憶です。バーもナイトショーも歌舞伎町での徹夜も二回目くらいでした。「二度とやるかこんなくだらんこと」と意見が一致しました。すいません話がそれました。

それはさて置き、誰でも一回は考えるものです。もっと美人だったら。金髪美形の胸がバーンと出たすらっと背の高い白人のハリウッド俳優とまではいきません。せめてもうちょっとだけきれいな形の足首をしていたらとか、可愛いものの言い方ができたらとか、何よりも相手の気持ちや立場を分かってあげられたらとか―――仮定は永遠に終わりません。

またまた横道にそれますが、「おれがあいつの弟じゃなかったら、兄貴を追い出す必要のない女の子だったり、兄貴がもうちょっと諦めがよかったり、せめて親父がもう少しあいつら親子を丁寧に扱ってくれたら……」とかいうククールも同じです。となると私ら二次創作はけっこう大半が「ククールの代弁者」だったりするのでしょうか。それはそれでちょっとばかし薄気味悪い話です。

また話は戻ります。いつも変わらず容赦ない友人のおかげで、私は遠慮なく病的な未練がましい話にひたることができたのですが、その時にひょっと思いました。ニコール・キッドマンは、『自分がニコール・キッドマンだったら何とかなったかもしれないのに』と愚痴をこぼすわけにはいかないのです。例えば、トム・クルーズに振られたときとかに。

既に充分に努力しているというのは、そういうことなのです。力の限り頑張って、もうこれ以上行けないぎりぎりのところまで来ていると感じられれば、『自分がニコール・キッドマンだったら』なんていうたわけた妄想にうつつを抜かすスキはありません。それは背水の陣を敷くということです。それと同時に、この世にそれほど沢山はない、明確な基準を見つけることでもあります。

さっきの横道に戻りますが、その明確な何かが見つかっていない状態だからこそ、物語としての二人の状態にはたいそう魅力があります。アナ、抜け、弱点、スキ。何でもいいですが、満たされていない部分こそが人の魅力の中枢を占めています。

ただ、それはそのスキや穴が、最終的に到達すべき明確な何かを内包しているゆえの魅力だとも言えます。どうもまとまりのない話ですが、多分ニコール・キッドマン自身は、自分がニコール・キッドマンであることに満たされてなんかいないでしょう。それは、「最終的に目指すべき到達点」というのが、「ある到達点を目指して懸命に努力している状態である」ということなのかもしれませんが。



2006年02月21日(火)
好きなものの話

再びナルニアの話です(一ヶ月くらい楽しみにする気でいるらしいですよ!)

今度はナルニア王国の創世記にあたる「魔術師のおい」から、この世界の始まりから紛れこんだ宿命の悪であるところの魔女の話です。
この巻に出てくるチャーンの女帝ジェイディス、もうすぐ公開の(一分幸せにひたる)「ライオンと魔女」でまさにタイトルになっている冬の魔女、「銀のいす」の黒幕、エチン荒野の緑の貴婦人と、ナルニアクロニクルにはつごう三人の魔女が現れます。いや、この三人は実は同一人物であるかもしれず、ことに前の二人は設定上同一人と明言されているのですが、各巻がそれぞれ独立している構成から言っても別に扱った方がいいでしょう。

ジェイディスは自分の王国を滅ぼした女帝です。実姉と玉座を争ったという経緯はともかくとして、いざ陥落となったときに敵の手に渡すよりも自分以外のものの滅亡を願い、死の国と化したチャーンの廟所でいつ果てるともしれない眠りについていた女です。言わば、エゴイズムの具現化した姿と言えるでしょう。

彼女はその点については誰も口を挟みようがないほど堂々としており、威厳に満ちて、余人には耐えることもできないような孤独の中に厳然と立ちつくしています。C・S・ルイスの女性(特に大人の女性)の書き方については、かなり厳しい意見もありますが、少なくとも敵役としてジェイディスは少しも薄っぺらな存在ではないと言い切ることができます。

間をすっ飛ばしますが、ジェイディスは結局ナルニアを立ち去るものの、無視できないほど強大な力を持った魔女となって長くこの王国を苦しめることになります。彼女がそんなにも大きな力を持ってしまったことに、どうしても納得がいかない主人公ポリーとディゴリーに対して、この世界の絶対者であるアスランは以下のように教えます。



「魔女はその心の欲を満たした。女神のように、うむことのない力と尽きない命を得た。しかしいまわしい心を抱いて生きながらえることは、それだけ苦しみが長びくことだ。魔女もすでにそのことをさとりはじめている。ほしいものはなんでも手に入る。ところがそれが、いつまでもすきでいられるとはかぎらないのだ」



これが魔女に与えられた罰だとすると、こんな恐ろしい罰はない、と私は思います。ジェイディスは疑いもなく、それによって自分を呪ったり、生きることを諦めてしまうような弱い女ではありません。それはそれで一個の物語だと思います。しかし、この際は彼女が強い人間だということが、最も惨い罰を成立させているいうことになるでしょう。

何でも手に入るが、その中に本当に好きになれるものは存在しない。これは現代であれば、ほとんどの人が小規模に体験したことのある感情ではないでしょうか。世界にはあらゆるものがありますが、そのどれも好きになれない、価値を見出せないとなれば、すなわちその人を取り巻く世界そのものから価値が無くなります。それはとりもなおさず、その人の生きている時間に価値がなくなること、その人自身に価値がなくなることです。

毎日の暮らしの中に、好きな人、好きなもの、好きなことの数を数え上げてみてください。特に好きな人の数を数えてください。上記のような理由で、私は『それがあなただ』と言い切ることができます。

好き、という気持ちを大切にしてください。
別の言葉では、それを愛情と申します。
これは決して奇跡を起こすことはありませんが、奇跡よりも重大な価値を持っています。



2006年02月20日(月)
ここまでならできます。

 なべて世は過ぎたれど、時もなお解きえぬ悲しみぞあり。
 黒きは黒玉(オニクス)、夜にまさりて黒く、
 されどこの運命はいや増し勝りて黒く、黒に黒を重ぬるなり!



 見よ、青玉(サファイア)蛋白石(オパアル)の波頭わたりゆけ
 青薔薇と緋水仙の花咲く庭ぞ、乳色に帯なす霧なる彼岸ぞ、
 そは彼方なる国、いと高き神々()ませる。



 神々の国に母の胸乳(むなち)のごと園苑(そのう)の谷あり、
 露と霧に養わるる谷に、いかなる百合の香れるやと人の問う。
 我は答えん、そは人の形したり、すべて完璧の鋳型より鋳出されたり。
 白きこと朝の百合のごとく、たおやかなること微風に揺るる百合のごとし
 優美なること夕暮れに憩う百合のごとく、美しきこと百合のごとし!



 あまたある美の乙女のうちに美に勝ち誇り輝ける美、
 十六夜の月に向かいて()くかくいえる乙女あり、
 「汝すでに用なし、なんとなれば妾は汝にまさる輝きなり!」とぞ。
 まことにそのごとし、乙女は麗し。陽も月も顔色なし。



 乙女は数え十六、えもいわれぬ風情なり。
 黒髪は長く豊かに背に腰に垂れて奔流に似たり。
 詩人の言えるごとし、
 「汝は嵐なり、汝は人の心を捕らえて離さぬ網なり、
  流れぬ滝瀬(たきせ)のごとく、人の魂をすなどる網目のごとし!
  囚われたる無数の魂は苦悶の声をなどてあげざる、
  美なり、嵐なり、滝瀬なり! 予もまた囚われんと欲す!」



 乙女は背丈五尺三寸、愛らしきことさらなり。
 唇は咲きそめたる海棠(かいどう)(つばな)のごとく、
 頬は薔薇、額は梔子(くちなし)、長き睫は色濃き(すみれ)なり!
 詩人の言えるごとし、
 「汝は花園なり、汝は人をして酔わしむるかぐわしき花園なり!
  我は鼻梁(びりょう)梨花(りか)に迷い、頬の紅薔薇の小道に迷う、
  しかしてついには深き色したる魅惑の泉にぞ出会わん、
  そは藍色(あいいろ)したる睫なる菫の葉陰(はかげ)に隠れし深き泉、
  風信子(ひあしんす)の瞳なり! 愛らしきかな、また危険なるかな!
  我はこの泉にて渇き、命尽きるまでその眼差しを飽かず飲むかな!」





ウェブ上でできる文字表示の操作。つまり、画面の設計。



2006年02月19日(日)
私に似た人

「この世にもう一人自分がいたら、どうする?」






二年ほど前に尋ねられたことです。きっかけがちょっと思い出せないのですが、何であれ他愛もない話です。尋ねた人は素晴らしく頭のいい、話題の広い人で、「私なら絶対に友達になりたい。死ぬ気で引き止めて、すごい勢いで話し込む」とのことでした。
人通りの多いエスカレーターでしたが、私は次のように答えました。




「何を置いても殺しに行く。殺さないといけない。だって放っておいたら、その人は私を殺しに来るに決まってるから」




私は私を殺したい。よく考えてみなくても、シンプルな答でした。妙なことに、ここには同時に「死にたくない」という意識がかなり切実に表れています。自己否定というのは常に、生物の基本的な生存本能に真っ向から対立しているために、かなり深刻な葛藤と苦痛を生みます。しないに越したことはありません。


どうしてそこまで思い定めるようになったかは、すでに細かい記憶がはっきりしないため何とも言いかねるのですが、その頃私はほとほと嫌になっていたんだと思います。二十四時間、一分たりとも自分の傍を離れてくれない、自分という人間のことが。


私には先生がいます。師事し始めてからもうすぐまる四年、一貫して教えられてきたのは、「小説とは、その人である」ということでした。みみっちい奴の小説は小さい。凛とした人の小説はかっこいい。お人よしな人の小説は可愛い。自分の経験ですが、書くものがどうにも肌に合わない人とは、うまく行くことが少なかったように思います。逆も真なり。こっちの小説にまるで興味のない人は、実は私のことが必要ありませんでした。


それを敷衍して、今はこう思います。自分の書くものが自分で気に入らないとき、私は自分のありようが気に入っていない。占いみたいなものですが、占いよりは情報に信が置けます。


以前、『小説はその人自身の姿をして、隣に黙って立っている』みたいなことを書きました。信じる人も信じない人もいると思います。私にとってはこの言葉は、呪いのようなものです。例えどれだけ実際的な不安が無くても、それ自体に社会的な意義が薄くても、そんな必要がないと言われても、私は自分で満足できる小説が書けないかぎり、完全な人間になったような気がしません。


この間、冒頭の問いを発されたことをふと思い出しました。思い出した途端に、その場にへたりこみそうになりました。今ではもう私は私を殺したいと思わないし、『お互い苦労だよ、なあ』と背中のひとつも叩いてやれるということに、ふと気づいたからです。たいがいの人間はおもてに引っ張り出してよくよく姿を見てやれば、そんなに悪い奴でもすごい英雄でもないし、けっこう付き合えるかもしれないということも分かるものです。作品というのはそういうものです。人間の発明品の一種なんだと思います。



2006年02月17日(金)
よい話ではありません

駅前の定食屋で夕ご飯を済ませて帰ろうとしました。何だかうるさいなあと思って後ろを見たら、どこかの中年の男性が宮崎勤の事件についてしゃべっていました。

「二人目は○○○ちゃん、当時○歳。生きていれば今頃立派なお母さんになっているだろう」

とか。延々と。一人で。
お店の人に明るく注意されても、それに返事するでもなく、止めるでもありません。
スツールごとくるっと振り返って笑顔で、
「うるさいから止めてくださいな☆」
と爽やかに呼びかけたところ、黙ってくれました。姿勢を元に戻すとまたしゃべり始めてしまうため、しばらく真っ直ぐ目を合わせて座っている必要がありましたが、結局言いたいことは分かってくれたので頭や体の機能に障害のある人ではなかったようです。


別に皆がそうだと言っているわけではありませんが、殺人事件というものは何故か人を饒舌にさせる効果があります。現実の事件に限らず、例えば推理小説といったらこれはエンタメ小説の王子様のようなものですし、軍記物、アクション映画と殺人の規模が大きくなっていくと、一大スペクタクルにもなりえます。


その楽しさの起源を遡っていくと、遺憾ながら『人殺しは楽しい』という基本的な快楽原則に話は行き着くんではないかと思います。それがいいか悪いかはひとまず置いておいて。


言っときますが(当たり前ですが)、現実その光景を実際に見たとしたら、普通の人は楽しいどころの騒ぎじゃないと思います。というかフィクションであっても、殺陣というか殺し合いの場面はよく見れば見るほど、ちっともいいものじゃありません。私は小説の材料にするので、『美しい』殺陣ばかり選んで参考にしていたのですが、それでもそう思いました。


で、一般的な感覚に逆らうのは重々承知で申しますが、上記の快楽原則は普通に誰にでも根ざしていると思います。獣が獲物をとるとき、または敵に立ち向かうとき、死や流血に対してストレスばかり感じていたのでは危険な場面を乗り切れません。ですからその獣の子孫である人間にも、闘争本能とそれに伴って快楽を感じる機能はきちんと備わっています。いくつかのキーワードやキーアイテムをスイッチとして。


本能を期限としているがため、それらは根源的で普遍的です。怒りや恐怖をきっかけとして闘争本能が発動し、それが無意識の快楽を呼び覚ますことを習慣的に経験していれば、そのキーワードであった死が快楽そのものと直接的に結びつくのは、自然な流れなのではないでしょうか。


文明社会が発展して、本能は昔どおり発動させていては役に立たない場合も多くなりましたが、その根になる部分は今も残っています。ローマ時代まで遡れば獣に人を殺させるのが人気興行だったし、けっこう近代になるまで死刑は大衆のためのエンターテイメントでした。現代ではそこに羞恥心がはたらくようになったため、ホラーやサスペンスとしてフィクションの世界へ移動し、より『洗練された』娯楽になっています。


その一方で、やはり現実の死者に対するそうした視線も消えたわけではないわけです。これも被害者やご遺族にとってはとんでもないことですが、一旦何かの媒介を通してしまった殺人事件は、簡単にエンターテイメントになりえます。ことに、真剣に重々しく考えているつもりであるために、そうした構造に気づいてもいないとなると、かなり危険なんじゃないかとも思います。お互いしゃれにならない罠にはまらないためにも、十分注意しましょう。


で、そういう話の後にミステリーを再開する奴がいるわけです。



「にいさま」

ほんの小さな声で呼びかけたつもりだったが、兄は体ごと反応した。ソファを立ち、大股に歩み寄ってくる。無言で示された方向に従いながらも、その表情に含まれためったに見られないほどの余裕のなさに気づいて、彼女は内心肩をすくめた。

「控え室にいなさいと言っただろう」
人気のない廊下に妹を連れ出したところで、兄は苦味のきいた声を出した。
「ごめんなさい。松原のおじさまに話をうかがってました」
「あの人がお前びいきなのは知ってる。だが今はふらふらしないことの方が大事なんじゃないのか」

思わず胸元の、真珠色に光る布地に目を落としてしまうと、忌々しげな溜息が降ってきた。心配するあまりの不機嫌だということは分かっている。しかし彼女も、引き下がるわけにはいかなかった。なんと言ってもこれは彼女自身の問題なのだから。

「聞いてください。注意を聞かなかったのは悪かったですけど、おかげで分かったこともあるんです。渋谷さん、どうも会社の外にトラブルを持っていたみたいで」
「聞いたよ。渋谷氏の趣味の問題だろ?」
黙るしかなくなった。さくらにできることくらい、兄はとっくに手を回していたのだ。

「会社というか、本家はとっくに承知していたらしいな。渋谷には数年来の愛人がいて、しかも若い男だってことくらい」

渋谷正弘の愛人は、京都の花柳界の人間だった。月に数度商談と称して出向くたびに、少なからぬ額の金銭を注ぎ込んでいたらしい。しかし、その関係は一方的に破棄されかかっていた。当の愛人が、別の男に好意を寄せたことをきっかけとして。

「どんな大旦那かと思えば、できたばかりの菓子屋の主人ときた。あの自信満々の渋谷にしてみれば、これ以上腹の煮えることもあるまい。花柳界の人間が金銭抜きで旦那を変えるのも解せない話だが……」
「その方の話も聞いてきました。別に裏はありません。ごく普通のお菓子屋さんです。ただ、ちょっと信じられないくらい艶福なかたではあるみたいですね」
「つまり、本家はそこまで調べていたわけだ?」

またも、さくらは居心地の悪い思いで頷いた。先代からの竜王家の大番頭である松原老人にとって、それくらいは”普通の仕事”であったらしい。ついでに渋谷が京都の財界筋から手を回して、真鍋のパティスリー”ル・ペシェール”に圧力をかけていた事実が判明したのは、ほとんどご愛敬のたぐいである。本業とまるで関係のない、土地の賃借問題の件で嫌がらせをされて、真鍋はかなり腹に据えかねていたはずだ。というのが、老人の説だった。



2006年02月16日(木)
今頃レポ

イベント帰りの疲れをひきずって床にびろーんと伸びている間に、竜魂レポをし忘れておりました。今からでも遅くないからやっておこう。


記憶1:前の日友達と映画を見に行って浮かれている間に、りるるさんとの約束を四十五分ぶっちぎった(映画館出て携帯開いてみて真っ青)

……。

記憶2:よりによって携帯電話と財布という二大貴重品を家に忘れて、いい加減遅い出がけにさらに十分遅れた(太郎飴さんをスタバで半時間待たせた)

……。

記憶3:会場のエレベーター前でサークルチケットが見当たらなくなり、『はい、やっちまいました』とご丁寧に宣言して無関係のあきちゃ。さんたちの肝を冷した(二分後に発見した)

……全ての記憶が『お前には整理整頓と計画性が足りない!』と叫んでいます。学習しました学習しましたごめんなさい。
っていうか、この日発揮した最大の計画性「現地の下見を済ませておく」が功を奏してアフターはたいそう心地よかったので、もうちとそれを拡大したいと思います。

皆さんあちこちで書かれてますが、会場はゆったりして気持ちよかったです。っていうか、机があんなに広いとは予想外でした。広すぎてちょっと無理な体勢で対応をしてしまったような気もします。ははは。まさか机の一番端に置くと、こちら側から手が届かないとはねえ(^^; でも何だか、それが楽しかったようです。

またもガシャポンの中に入ってくれた(……語弊が…)太郎飴さん、うまむーさん! そしてもちろん一緒に巣をかけてくれたりるるさん、お立ち寄りくださった皆様、たいへんありがとうございました。時節柄チョコレートの飛び交う会場がとても楽しかったです。

ところで、太郎飴さん←→A.はガシャポンで交換題をやっていました。当人達はけっこう面白かったのですが、通りすがりの方々はよく分からなかったなと後になって反省しました。

A.が太郎飴さんに出した課題:
「バジリスク」
「石の花」
「二つの画題」
「王命」
「魔神(ジン)」
「砂を流れる水」
「王手(チェック)」
「モンスター」
 ………から二つか三つ

太郎飴さんがA.に出した課題:
「世界の内なる幻」
「ポケットの中の悪霊」
「死人の送る、秘密の生活」
「悪人は星を見るか」
「肩越しに遠く」
「中耳の中の小さな三つの骨」
「爪床のチアノーゼ」
「死斑は語る」
「ブラック・タイで出かけるデート」
 ………改編OK

当日の太郎飴さんの作品:
「バジリスク」
「砂を流れる水」

当日のA.の作品:
(三題噺×3)
「ポケットの中の小さな三つの骨」/「悪霊」/「死は遠く、語る」

「かの人の幻」/「床のブラック・タイ」/「肩越しに見る世界」

「トーチで出かける生活」/「星を送る人」/「秘密の中の」


皆さんA.が課題のどこをどこまでやったかお分かりですか。

ちなみに、やっぱり全部使い切れず、余しました。


生まれて初めて出した「すてきなイラストが表紙になったつるつるの本」の感動に、思わず さ あ 次 は 何 に し よ う か と思い定めてしまいましたが……っていうか企画自体が今既に動いてますが……今回かなり表面化した『すぐに尽きる体力問題』の解決も視野に入れつつ、地道に少しずつ運動していこうと思います。とりあえずほぼ日刊イトイ新聞手帳を使いこなすんだ、私。年間予定表はシャレでついてるわけじゃないんだ……!





拍手レス

16日零時半ごろの方(雪の山荘もの〜)
初めまして、雪の山荘の二人にコメントありがとうございました!
探偵役っていうか、展開これから決めます……(汗 考えるのは私なんで、真鍋さんが目立つことにはなると思いますが(笑 よろしければまた見に来てやってください。ご訪問ありがとうございました〜



2006年02月15日(水)
あーあーあー(発声練習)

何だか、一ヶ月以上もほぼ更新落ち(何だそれ)してると「外に向かって発言する」という行為自体を忘れちゃったような感じがしてイヤンです。

順当に行くと長編の続きをアップしないといけないのですが、すでに現在アップロードされているのと同じくらいの分量があって、『これ全部HTML化するのか……』と思うとそれだけでくらくらしてきます。しかもすぐウェブで読めるようにしてしまっては、せっかく本を買ってくださった皆様に申し訳ないし。

というわけで、次からの更新はちょっと横道にそれるのをお許しください。一息入れて短編を書いたりし、次のパートをどうするか目処が立ってから、淑女シリーズの続きは始めようと思います。

とりあえず本日はオフライン案内です。それと↓。足りない部分がありそうなので、あとで書き足しましょう。





英一朗の尋ね人は探すまでもなかった。一応身の置き所に配慮したらしき風情で、会場の隅の花瓶の脇で壁に背を預けている。花瓶に溢れるように生けられた温室咲きの花々よりも際立った、危うげな美貌に、英一朗は一秒半足を止めて笑みをひらめかせた。彼の恋人は、未だに時折彼の思考を引き留める。
「玲司」
考え事に耽っていたらしく、びくっと震えながら組んでいた腕を解いた拍子に、下になっていた携帯電話が現れた。開きっぱなしの状態で、自己主張するかのようなアラートランプが光っている。
「どこかに連絡を?」
「いえ、ちょっと友達に電話。……真鍋さんこそ、さっき捕まっていたようですけど、用事は済んだんですか」
「あっちは単に雑談の相手をしてほしかったそうです。どうも他人とは思えないので、興味を持っていた……と」
「ああ……」
二人は共通の認識を持っているもの同士の、短い笑いをかわし合った。その男が会場に現れた瞬間から、誰もが眉をひそめて問いただすほど英一朗と彼は外見が似通っていた。お互い一言も喋らなければ、血縁がないとは信じられないほど面差しは共通していたし、兄弟、それも双子だと言ってもすんなり通っただろう。実際には相手のほうが一段年少で、身長も体型も無視できないほど差があったのだが。
相手の男には連れがいて、念の入ったことにこれは九十九との共通点をたっぷり携えていた。ただし、性別が違ったため、せいぜい互いを思い出させるという程度の印象だったが。
「実はその、捕まってた相手の話を聞いてたんです」
「知ってる人がいましたか」
「ええまあ。男の方は竜王正史。女の方は竜王さくら。夫婦じゃありません、兄妹です。竜王電機の会長の孫どもだそうです」
「彼は、わたしに向かっては役者だと言ってましたが……」
「ええ、今けっこうな勢いで売り出してますね。兄貴の方は孫といってもお妾の息子だそうで、最初から会社の経営にはタッチしてません。妹は本家の一人娘で、これが婿をとって会社を継ぐ予定だったとか」
「……? で、実際にはどう?」
「さくら嬢は高校在学中なんですが、この程学業と婚約をぶった切って腹違いの兄貴のところへ、役者になりたいってんで駆け込んじまったそうです。彼女を家に返すの返さないので竜王家は相当揉めてると」
「それはまた」
英一朗はひとしきり対岸の火事に向かって笑い声をたてると、目の前の秀麗な顔がゴシップを楽しんでいるのとは程遠いのに気づいてそれを納めた。
「で、その話はさっきの死体のどこにつながるんです。正直、今の状況を逸らせるなら何でも聞きたい心境なんですが」
九十九は鋭い表情のまま、親指で会場の隅を指差した。
「さくら嬢と結婚する予定だった竜王電機の取締役は、渋谷正弘って名前だそうです。あの死体、確か渋谷とか言いませんでしたか」






うまむーさんへ>
キャストをお貸しいただきまして、大変ありがとうございました! ギャラはうまむーさんの口座に振り込んでおきますので、ご遠慮なく使い込んじゃってください☆



2006年02月08日(水)
帰ってきました

原稿と仕事からようやく帰ってきました。11日までたくさん書くぞー!! … … と思いつつ、ふと気づくと夜八時から朝六時まで寝入る始末。さすがに二週間休みないとちょっときつかったみたいです。くそう。


ただ、変な方向に妄想走ってる間は元気みたいで、帰りの新幹線の中でPCいじってる間にモノが増えました。


*補足説明
むかしむかしから、昆虫は合同誌というものに憧れておったのです。人と世界を共有するとか、たいへん燃えであります。そして私は、すこし可哀想な感じに真鍋さんが好きです。ええとその……この間と似たようなでんで『ひとり合同誌・役者を借りてきました』と思ってください。うわ恥ずかしい。




「昔むかしは、何故か大きくなったら自分は推理小説作家になるもんだと思い込んでいてね」
「ほう?」
返事に言葉以上のものが詰め込まれていた。小ばかにしたような響き。それを発した主の人生が、どこまでその概念からへだたっていたかという事実。彼は気にしなかった。夢を見がちな人間の常として、自分の思っているものが誰かに相手にされないことには慣れていたし、その積み重ねた経験のおかげで、そこまで興味がないにしては、その男が礼儀正しい態度をとってくれたことが分かったので。
「で、当然のようにそういうものの本を読み漁ったんだが、おかげで分かったことがある。あれはずいぶんと制限の多い話で、してはいけないことがイスラームの戒律みたいに厳密に決まっているんだな。研究者も多いし、分類も系統だっている。その中で古典中の古典、源流とされるのが、『雪山山荘もの』なんだ」
「で?」
「古典であるということは、基本であるということだ。それに、パターンが出尽くしているということでもある。別の言葉では、『陳腐』と表現してもいい」
「つまりはあなたは、こう言いたいわけか―――」
男は掌を上に向けたまま、じつに優雅に右手をスライドさせた。コックコートに身を包んでさえいなければ、古式にのっとった宴席へ客を案内する貴族のように見えただろう。舞台装置そのものは完璧だった。それを裏切っていたのはただ一つの異物だった。会場の隅のヴィクトリア王朝風のテーブル、真っ白なテーブルクロスに無秩序に彩色された鮮やかな血痕と、その端から垂れ下がっている湾曲した指。
「―――この状況は陳腐だ、と」
「ご名答」
彼はタキシードの下で肩をすくめてみせた。何とも表現しがたい笑みを浮かべて、真鍋英一朗は視線を彼の頭上に滑らせる。あえて追従こそしなかったものの、英一朗が見ている窓の向こうにパンくずそっくりの氷の結晶が乱れ飛んでいるのを、彼は知っていた。そして、ふもとの幹線道路にいたる道が、雪崩によって閉ざされたことも。



やっていいすかーー?>明後日の方向へ向かって叫ぶ