ひとりごと
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できあがったプラネタリウム。 階段に置いてみました。 トイレにも持って入りました。 お風呂で見るのが一番きれいみたいです。 10000個の星が映っているのです。
リビングの暖かい床の上で 鳥と一緒に見ているうちに眠ってしまいそうになりました。
私は「おねえちゃマン」
明日、妹と姪たちが遊びに来ることになった。 6歳の姪じきじきに「ココちゃんのかおがみたいな」とメールをくれたのだ。
「見て見て〜。リョウコからメールが来たの。」と 夫に携帯電話の画面を見せた。 そしてあらためて自分でも見て、そして笑ってしまった。 「おねえちゃまんへ」と書いてある。 2行目にも「おねえちゃまんが」と書いてあるので ボタンの押し間違いではないらしい。 一文字一文字真剣にひらがなを選ぶ幼児が 余計な文字をわざわざ打つわけはないし。
もしかしたら、今までリョウコは私のことを「おねえちゃまん」って呼んでいたの? 「アンパンマン」や「ウルトラマン」と同じような「おねえちゃマン」だったのね! いつも私を呼ぶときの、彼女の声を思い出そうとしてみた。 甘えて「おねえちゃま」と言う言葉の最後に「ん」がついていたかしら。
母や妹が、私に向かって「おねえちゃま」と言うのを聞いていて、 甥や姪たちも、そう呼んでくれるようになった。 「おばちゃま」と言われるより若くいられる気がして、 それに、ほんとに小さな弟や妹ができたような気がして、喜んで返事をしていた。 でも実は、私は「おねえちゃマン」だったのだ〜!
いつか気がつくときが来るのだろう。 それまでは、私はなんでもできる「おねえちゃマン」でいよう。 明日、じかに呼びかけられるのが楽しみだ♪
遅れていったお稽古のお茶室の襖をそっと開けて、先生の顔を見たとき 「あぁ、来てよかった!」と思った。 八畳の茶室の向こう側に座っていらした先生は、ピンク色のお元気そうな顔で、 「やぁやぁ、いらっしゃい。」とにこにことおっしゃった。
実は昨夜から微熱があり、どうやら風邪らしく寒気や腹痛、頭痛があった。 本当は休んでしまいたかった。 でもできたばかりのお初釜の写真を是非持って行きたくて 気合でお茶のお稽古に行ったのだ。
お扇子を前に置き「おはようございます。」と挨拶する私に向かって、先生は 「昨夜、夢の中にあなたが出てきたのですよ。」とおかしそうにおっしゃった。 びっくりして照れくさくて「あら、想いが通じたのかしら!」とおどけて答えた。 「夢の中で私、何をしていました?」と伺っても、 先生は嬉しそうな顔のまま「さぁ…?」とおっしゃるだけだった。 気になるなぁ〜。
夢の中にある人が出てきたとき、自分が想っているのでその人の夢を見たのではなく、 むこうがこちらのことを強く想っていて、その想いが飛んで自分の夢に現れたのだ、と言う話がある。 都合がいいようだけれど、こんな話に勇気づけられたり嬉しくなったりしたことが何度もある。 あの人は、私の夢に現れるほど想ってくれているのだわ! こんなに強く想っているのだから、あの人の夢の中に私は現れるのでしょう…なんて。
たしかに昨夜は先生のことを考えていたかもしれない。 ご高齢の先生は、昨年の夏には体調を崩され、先生なしのお稽古が続いた。 もう会えなくなってしまったらどうしよう!ともやもやとした不安が湧いてくるのだった。 でも晩秋には、少しやせられたけ先生が前のようにきちんとお茶室に座られた。 お点前のお稽古をつける確かさも、美しく活けられている花も変わらなかった。 特に寒いと言われているこの冬が心配だったが、お初釜にはますますお元気になられて みんなを迎えてくださった。 それがとっても嬉しかった。 そんなことを思い出しながら、写真を1枚ずつポケットアルバムに収めていたのだった。 背筋をぴんと伸ばして亭主席に座る先生の写真を、昨夜は何度も見直したのだった。
今日も先生は終始ご機嫌なままお稽古を進められた。 まず先生がご覧になった。 「うちの庭も写真に撮るとなかなかいいですね〜。」と喜ばれた。 そのあとアルバムはお弟子さんたちに回され、ほんの2週間前の思い出話と笑顔を呼んだ。 私もきれいなお菓子をいただき、熱いおいしいお茶を飲んで身体が温まり、 気分がすっきりとして、風邪の症状も少し治まってきたように感じた。 やっぱりがんばってやって来てよかった。 こんな風景、どこかで見たような気がする。 もしかしたら昨夜の夢の中かしら。
人の夢に自分が現れるって不思議。 私の知らない私は何をしているのでしょう? どんな話をしたのでしょうね?
寒いといわれている今年の冬だが、実は私はいつもの冬ほど寒く感じない。 もちろん寒いことは寒いのだけれど、手袋なしで出かけても平気だったり、 家の中では裸足でいられたり、去年までより肌着1枚少なくても寒くなかったり、 寝るときの氷のような足の冷たさを感じなかったりする。 体の中からぽかぽか暖かい感じ。 これはもしかして、半年前から始めた整体とヨガのおかげかな?
去年の夏、いつもにも増して足が冷え、むくんでしまっていた。 だるくて冷たくて、冷房のない部屋でもレッグウォーマーをはいていた。 肩こりもますますひどくなっていた。 それで、スポーツクラブの中に整体の施術室があるのを思い出して行ってみたのだった。 最初に先生に診ていただいたとき、腰から背中、肩の冷たさ、硬さにびっくりされた。 真夏だと言うのに、私は汗ひとつかかなかった。 肩甲骨は背中にはりついて、びくともせず、マッサージのための指もかからなかった。 せっかくジムで運動をしても、肩甲骨や関節、筋肉が自由に動かないと 運動効果もあがらず、疲れもとれにくいのだそうだ。 確かに、もう1年以上通っているわりには、私の運動能力も、筋力もアップしていない。 やさしくマッサージしながら押されると、熱く血が巡り始めるのがわかった。 先生の手が温かくて気持ちよかった。 「気長にやっていきましょうね」と、妹の友だちのようにかわいい先生は励ましてくださった。
それから毎週水曜日の整体、翌日木曜日のヨガは欠かさない。 硬い冷たい体もだんだん温まりほぐれていった。 肩甲骨が動くのを、自分で感じられるようになってきた。 そのうち、バレエのクラスにもまた出られるようになるかもしれない。
そして今日の施術のとき、先週先生に薦められたバランスボールやストレッチポール、 ピラティスを始めたことをお話した。 「体幹部の筋バランスを改善(主に腹部筋強化と背部柔軟性の向上)」を目的としたピラティスは 腹筋も背筋もろくにない私にはきつかったけれど、だからこそ続けていくといいらしい。 「体のバランス調整、体をゆっくりと伸ばす」ためのバランスボールとストレッチポールは楽しかった。 私も無理なくできて続けられそうだった。 今までのヨガに加えて、これからはできるときにはピラティスや、 バランスボール&ストレッチポールに出てみようと思った。
そんな話をしながら、足の関節を治してもらっていると左足に違和感を感じた。 前から思っていたのだけれど、どうも左足のほうが硬いようだ。 姿勢の癖でなのか、左右のバランスがくずれてしまっている。 「椅子に座るとき、足を組みますか?」と先生に聞かれた。 「そうですね〜。気がついたら組んでいることが多いかも。」 「足を組むのはよくないんですよ。血行が悪くなるし、骨格もゆがんでしまいます。」 「そうだろうな…とは思っていました。どう考えても体にはよくなさそうですものね。」 「私も足を組む癖があったのですが、直したんですよ。」と先生。 びっくり。直せるの?
「座っていると足を組みたくなりますが、そのときに我慢するんです。 足を組みそうになったら意識してやめるんです。」 「え〜?そんなことできるかな。」と私。 「どうしても足を組みたい!って感じるときもありますけれど 我慢しているうちに、2ヶ月くらいで足を組みたいと思わなくなったんですよ。」 「2ヶ月ですか!」 それは長い…と思ったけれど、悪い癖を直せるのならがんばってみたらいいかもしれない。
「私、足を組むどころか、時々足がむくんでだるいので椅子の上に足を上げてしまうんです。」 と、先生に告白した。 「それも意識して直したほうがいいですね〜。そんなときには足の指を伸ばしたり曲げたり、 かかとを突き出したり足首を伸ばしたりして、ちょっと集中して運動したらいいですよ。 そうしたら、むくみもだるさも楽になるので、足をあげなくてもよくなるかも。」とおっしゃった。
確かに、足を椅子の上に上げるのはもちろん足を組むのだってお行儀がよくない。 それどころか、体に悪い。 最初は少しつらいかもしれないけれど、がんばって癖を直してみよう。 前より血行がよくなった今だったら、そんなにつらくなくてできるかもしれない。 適度に筋力をつけ、体のバランスをよくし、姿勢を正して、 柔らかくしなやかで温かい体を作るのを今年の目標にしよう。 もう、足は組まない。
暖かい日だった。 やっと、やっと! 球根たちを庭や鉢に植えた。
チューリップ、アリウム、カマシア、水仙。 納戸に置いておいた箱を開けると、転がったまま 薄緑の芽を横っちょに伸ばしているものもあった。 しなびかけているものもあった。
ごめんね。 間に合ったかな。 ちゃんと育ってくれるかな。 安心して根や芽を伸ばしてね。 まだ続く冬の寒さにあって、春のぬくもりで目覚めてね。
心の中で語りかけながら 固まった地面を柔らかくほぐし茶色い球根を埋め込んだ。 そっと土をかぶせてぽんぽんと軽くたたいた。 お布団の中の子どもを寝かしつけるように。 そして上からサーサーと水をかけた。 あぁ、今日は本当に暖かい。
「やっと植えたの。」と報告すると 「不安だったかな、球根。」と夫が言った。 「ほっとしただろうね。」
ほんとだ。 このまま春が来ちゃったら、どうなるんだろうかって、 薄暗い納戸で頭を寄せ合って、心配していたのかもしれない。 ごめんなさい。 どうかどうか、球根たち、許してください。 育ってください。 そしてできたら、かわいい花を見せてください。 ね。
2日に行った実家の和室の隅で、 重ねられたお盆の下に懐かしいものを見つけた。 クロッカスの刺繍をほどこしたテーブルセンターだ。 これはたしか私が中学生のときに、夏休みの宿題として作ったもの。 もう30年近くたつのに、なくならずにこんなところにあったのか。 「こんなふうにしていてごめんなさいね。持って帰っていいわよ。」と 母に言われ、重いお盆を持ち上げて引っ張り出した。 グラスの輪染みや折り目の染みがあるものの、クロッカスの花はきれいなままだった。
持ち帰って手洗いし、裏からアイロンを丁寧にかけた。 染みは薄くなり、白い生地にクロッカスがふっくらと浮き上がった。 よく見ると、とても拙い刺繍だ。 細長い葉っぱは縦長に斜めに刺していけばいいものを 葉っぱの幅で短くサテンステッチしているのでラインがふぞろいになっている。 でも一生懸命に刺したクロッカスだった。 暑い部屋でカーペットに座り込んで針を持っている自分を思い出すことができる。 布を持つ汗ばんだ手の感覚を覚えている。
それにしても、夏休みの宿題には季節外れのクロッカスだった。 デザインは確か婦人雑誌の付録からとったのだった。 ほかにも花の図案があったのに、あのときはなぜかこれが気に入った。 葉っぱの重なりがむずかしくて、たしか何枚か省いてしまったのだっけ。 花びらのグラデーションの糸替えは楽しかった。 仕上がったときには嬉しかった。 真夏のクロッカス。 なんて真剣に作ったことだったろう。
年の初めに、クロッカスの芽が出始める今この季節に あの頃の一生懸命だった自分に会えた。 新しい気持ちになった。 時間に追われてゆっくりと針を持つこともしない今の自分を省みた。 何かきれいな愛らしいものを作ってみたくなった。
あけましておめでとうございます。 「生きものたちの庭から」も今日から5年目の日々を歩きます。 丸4年もたったのに不完全なところばかり。 また更新もめったにできないいたらないサイトなのに お運びいただいているお友だちに深く感謝いたします。 今年もよろしくお願いいたします。
大晦日、トルコ旅行のお仲間に約束した写真のCD-Rを発送してほっとした。 でも心残りがひとつだけあった。 17人のツアー中、たった1組、大学生カップルには住所を訊ねられなくて送れなかったのだ。 ほかの年配のご夫婦やお友だち同士とは、気軽にお話をできて 住所を書いたメモや名刺を交換できたのだけれど そのカップルだけには、二人の世界を邪魔するようで声をかけられなかった。 撮った写真を家で見てみると、仲のいいほほえましい若い二人の姿がそこかしこにあった。 どれもとてもいい雰囲気だった。 勇気を出して、声をかけたらよかった。
今日は、明日の実家での新年会に持っていくトルコ旅行の写真を整理した。 写真好きの父が見たがってくれたので、珍しくプリントしたのだった。 パソコンの画面で見るのとは違う、つややかな小さな紙にプリントされたトルコの空を見た。 モスクのステンドグラスが美しかった。 黄昏時の石灰棚の幻想的な眺めを見たときの感動を思い出した。
ふと思いついて、懐かしい気持ちのままインターネットで検索してみた。 キーワードは「トルコ旅行」と、ガイドさんの名前、バスの運転手さんの名前。 するとヒットした記事の何番目かに、ピンと来るものがあった。 旅行の日付が、私たちが行ったときと同じだったのだ。 早速飛んでみると、大当たり! あの大学生カップルの女の子の方のブログだった。 日程も旅程も、小さく写っているメンバーの写真も間違いない。 これで連絡が取れたら、写真が送れるかな? 嬉しくて、どきどきしながら「トルコ旅行記」をたどってみた。
いまどきの若い子らしい気楽におしゃべりするような、はずむような文章だった。 一日目「ツアー団体の中にはかなりのツワモノがわんさかいて」のくだりではうなずいてしまった。 うんうん、確かに個性的な人たちがいっぱいだった。 だから楽しかったんだ。
ところが読み進んで大笑い! ツワモノとして、真っ先にあだ名をつけられていたのは私だった。 「常にどんなときでもカメラを構えて2つのデジカメを使い分け」…はい、そうでした。 愛機のサイバーショットのほかに、父に借りた一眼レフを常に持ち歩いていた。 「呆れる程何でも撮っている」…そうなんです。 全食事はもちろんのこと、落ちている葉っぱやチケットの裏側まで撮っていた。 それで、つけられたあだ名が「カメラ」。 その後の旅行記では「カメラ」は最多出場。 こんな風に見えていたのね…と爆笑、苦笑、思い出し笑い。
う〜ん、どうしよう。 ここで私が「は〜い、カメラです」なんてコメントを書いたらびっくりするだろうな。 もし自分だったら、冷や汗をかき、真っ青になってしまうかもしれない。 別に悪口を書いていたわけではないのだけれど、何かと言い訳を考えて、 一生懸命繕おうとするかもしれない。 そうなったら気の毒だ。 これは知らないふりをしていたほうがいいのかもしれない。
それにしても、彼女の旅行記の写真はなんて楽しそうなのだろう。 遺跡の前で、大きく空を仰ぐようにして彼と撮りっこ。 地平線までまっすぐ続く道を指差した後ろ姿。 カッパドキアの岩の上でバンザ〜イ! 大自然の中ではしゃぐ彼女たちははつらつとして、とてもきれいだ。 こんなふうに写真を撮ること、私は忘れていた。 昔は私もこんな風だった。 風景だけを撮ることを考えていて、自分たちがこんなふうに入るなんてこと忘れていた。 確かにこの風景の中に、自分もいたのに。 もう一度、彼女の旅行記をたどって、胸が熱くなった。
旅行記の中で、彼女は何回も言っていた。 「ここの景色はとってもきれいだったけれど撮るのを忘れちゃった」とか 「○○で、写真を撮っておけばよかったな」などと。 そこで私は二人の写真を撮っていた。 彼女たちも素敵な風景の一部のようだった。 本当は見せてあげたい。 それこそ「カメラ」の本領発揮。
彼女たちと仲よくしていたご夫婦がいらしたので、あの方たちに聞いたら連絡が取れるだろうか。 直接私に住所を教えるのをためらわれるようだったら、その方たちから送っていただこうか。 あくまでも、ブログを見つけたことは内緒にして。
ふたりは就職が内定して、晴れて旅行に来ていたのだった。 今は卒論に大忙しらしい。 それでもクリスマスやお正月はしっかり楽しみ、笑顔の写真や食卓の写真が光っていた。 殊勝な思いも綴っていた。 夢いっぱいの年明けだった。
時々こっそりふたりを見守らせてもらってもいいかしら。
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