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----------2005年05月31日(火) シビアな現実

「で、どうでした?」
「そうねえ、ちょっと湿っぽすぎるわよ、あの海綿。月の途中で辞める、なんて言い始めるんじゃないかってはらはらしたわ。」
「確かにちょっと、内省的なところが欠点でして。」
「まあでも、あの値段にしたら結構頑張ってくれたと思うわ。割と積極的に出かけてたみたいだし。」
「契約の更新はどうされますか。」
「正直なところ、今厳しい時期だからね。貝殻かぶられても困るのよ。もう少し利口で交渉上手な海綿がいいんだけど。」
「分かりました、では16201249の海綿でどうでしょうか。大手銀行に勤めておりましたので今月の海綿よりははるかに社会経験があります。ま、スキルがある分少し時給が高くなるんですが。ワード、エクセルはMOUSの上級を持っておりますね。」
「少なくとも突然海に行ってたそがれたりはしなさそうね。」
「それはないです。今月の海綿はちょっと変わった経歴の持ち主でして、随分長く大学院に籍を置いて異端の研究なんかをしておったようです。少々アンコクな傾向があるようですね。」
「文系の大学院なんて出てる海綿にろくなのはいないのよ。かく言う私も文系の大学院生がいかにも好みそうな名前をしてるわけだけれどね。とにかく今月の海綿は修道院に入りたい、なんて言ってる段階でダメね。来月はその元大手銀行の海綿にするわ。」

そういうと、ナジャは煙草の煙をふっと吐き出して、控え室でふるふると震えていた海綿をつまみあげると、右手でぎゅっと絞った。海綿がこの1ヶ月吸い上げてきた、ツツジだとか冷たい雨だとか太陽の光だとかバラの香りだとか海の匂いだとかは、ナジャの右手の中でペイルブルーの液体になり、ぽたぽたとガラスの受け皿の中に滴り落ちていった。どうやら海の成分が少し強かったみたいだ。ナジャはその液体をガラスのビンに詰め、「2005.5」とラベルを貼ると、デスクの後ろにある木製の戸棚の扉を開け、ヘーゼルナッツやキウイグリーンやラベンダーモーブの液体が詰まったビンの隣に置いて、何事もなかったような顔でぱたん、と扉を閉めた。

ルールその31:いつ仕事をクビになってもいいように貯金を心がけること。




そうして海綿は、カイメンになった。



----------2005年05月30日(月) 海綿の心意気

キミの脳味噌を海綿状にして。

というとなんだか一時流行った悪いビョウキのようだけれど、とにかくキミの頭は常に海綿のようであらなければならない。柔らかく弾力のある小さな身体で、何もかもを吸収するんだ。

いいことも、悪いことも、素晴らしいことも、憎むべきことも、美しいことも、醜いことも。

お風呂上りのコントレックスが身体に沁みこんでいくように、あらゆるものはキミに「読まれる」ことによってキミの身体に沁みこんでいく。だけどキミの脳味噌が海綿状でなかったとしたら、すべては石の上を滑る水のように無駄に流れ落ちていく。

海綿というのは、ある日ナジャという人が突然思いついたことで誕生したメタフォリカルな存在だけれど、キミが世界と対峙するときはいつも、海綿の心意気を忘れてはならない。

だってこんなにも、こんなにも、「読まれるべき記号」は世界に溢れかえっているんだから。

ルールその30:背筋を伸ばして歩くこと。

----------2005年05月29日(日) 尼寺へ行け

まったくなんと不自由なのだろうか。

朝、鳥のちゅくちゅく鳴く声と眩しい日差しに起こされる。熱い珈琲を淹れ、シリアルに冷たい牛乳をかけて食べる。顔を洗い、薄く化粧をして、朝の散歩。川があればなおよし。もちろん緑は欠かせない。それから本を読む、何か書く、少しおなかがすいてきたらサラダを食べる。今ならトマトでもいいか。そしてまた本を読む、何か書く、その間背後では常にオンガクが流れていれば最高だ。日が傾いてきたらまた散歩に行く。帰ったらお風呂に入り、ビールを少し。夕食にはチーズがあればいい。そうして眠くなるまでまた本を読む。

多分海綿が望んでいるのはそれくらいのことだ。なのにどーだい。

朝、目覚ましを何度も止めては寝て、止めては寝て、を繰り返し、ぎりぎりの時間にベッドから這い出すと朝食をとっている時間なんてなくてインスタントの珈琲を流し込んでテキトウな化粧をして家を飛び出す。凶悪な顔つきで自転車を飛ばし、道を塞ぐ通行人にチリリリリとガンを飛ばし、息を切らせて会社に行く。それから端末を叩く、ひたすら叩く、「マウス症候群」を悪化させると言われているずばりそのままのポーズ、つまり左肩と左耳で受話器を挟みながら両手はキーボードとマウスの上。お昼はコンビニのサラダかサンドイッチ、そしてまるで新幹線の喫煙車両のような空気の悪い部屋でせわしなく煙草を吸い、また端末を叩く、ひたすら叩く、耳元に凶悪なオンガクを響かせてまた自転車に乗って家に帰ると待っているのは爆音TV。それから逃れるためにお風呂に入る、唯一の心安らぐ時間。そうして脂っこい食事が冷蔵庫にはいやというほど詰まっているので結局何も食べられないことのほうが多い(だから海綿は痩せ衰えていくのだ)。そうしていくら本を読んでも、こうして何かを書いていても、一向に自然の眠気は訪れない。「深夜」という重荷が両の肩にずっしりとのしかかる。

どこかに突破口はないものだろうか、とこの1ヶ月、海綿は真剣に考えてみたけれど、「宝くじがあたったらいいな」くらいしか答えらしい答えを見つけることができなかった。

そして「修道院に入りたい」、と唐突に思う。

ルールその29:「無理だ」と思ったら無理をすること。

----------2005年05月28日(土) わたしを買ってよ

誰かの思いつきでこんな場所に引っ張り出されてくるまでは、海綿は真っ暗な海の底でひっそりと、誰にも知られず、ぼんやりと、いつか海綿を迎えにきてくれるはずの神様の夢を見ていた。けれど神様は海綿の存在にさえ気づかないまま海の泡になって消えた。

皆、自分を知らせることに一生懸命だ。昔から、自分を「売り込む」というのはひどくいやらしいことのように思えて、口を噤んでいたけれど、神様が消えた今、それは間違っていたのだろう、と思う。

だってなんと本物の海綿でさえ「わたしを買ってよ」「あら、わたしなんてギリシャ産よ」と自己PRをしているのだからぶったまげた。

海綿も、そろそろ勇気を出して、「わたしを買ってよ」と言わなければならない。

ルールその28:やっぱりケイタイ電話なんだから一応ケイタイすること。

----------2005年05月27日(金) アンタッチャブル

今日の海綿はどこをつっついても

鬱陶しい



てめえぶち殺すぞ

しか出てこないみたい、物騒なのでそっとしておこう。

ルールその27:とりあえず「社員」と目が合ったら睨み付けておくこと。

----------2005年05月26日(木) もうすぐお別れ

今日も青い空が抜けるようにきれいだった。

海綿はどうにも水分を含みすぎて、湿っぽくなっている。触れると水が滴り落ちてきそうだ。ふるふるふるふると震えてばかりいる。

何もそれは昨日と今日と少しビールを飲みすぎたからというわけではなく、こうして海綿としてニツキモドキを書き綴ることができるのもあとわずかになったからだ。

海綿はいったい何を見つけただろうか?

永遠?

まさか、そんな詩人じゃない。

小さくて確かな幸せ?

それもなかなか難しい。

海綿として生きていくための強さと自信と決断力と判断力、行動力、単調な生活のなかでよろこびやかなしみやうつくしさやおかしみを見出していくだけの敏感さ、身体の上手な休ませ方、効果的なストレッチ、少しでもマシな労働条件の確保(今いちばん急務とされているのはそれだ!)、そうして海綿をあたたかく包み込むブランケット。

エトセトラエトセトラ

探し物はなかなか、見つからない。

1ヶ月なんて、あっという間だ。

ルールその26:迷ったら、捨てないこと。

----------2005年05月25日(水) 海へ行く

海なんてちっとも好きじゃないけど(日焼けはするしガキンチョだらけだしだいたい泳げないんだし)、この季節ならきっとまだ人も少ないだろうし、それに今月はなんといっても「海綿」なんだしな、と思い立って淡輪までごとごと電車に揺られて行ってみた。今のうちに行っておかないと、もうすぐここは「ときめきビーチ」という情けないビーチになってしまう(ちなみに隣接する箱作の海水浴場は「ぴちぴちビーチ」である。名付け親は一度病院に行ったほうがいい)。

5月の淡輪は、潮干狩りを楽しむ家族連れ、犬の散歩にやってくる近所の人たち、何が釣れるのか知らないけどとにかく釣り糸を垂れている定年後の老人たち、で閑散としていた。

とにかく閑散としていた。

海と、空と、(多分人工の)砂浜と、そして関西国際空港に離着陸する飛行機がたてる鈍いエンジンの音だけがどこまでも広がっていた。

売店で冷たいビールを買って、砂浜に寝転がる。最後に海の水に触れたのは、海綿がまだ図書館のかたつむりになりたてのころ、ポルトガルのナザレという海沿いの小さな町(村、かもしれない)の果てしない遠浅の海で、だったことを思い出した。そしてビールの缶が3本並んだころ、

あーもーなにもかもどーでもええわー

と心の底から思った。




海綿のお友達かな。干からびてたけど。

ルールその25:休みの日、仕事のことは絶対に考えないこと。

----------2005年05月24日(火) 海綿、吠える。

てめえに「おはようございます」と挨拶をするのはてめえがマンションの管理人であるから仕方なくしているだけで誰が好き好んでてめえみてえな冴えないじじいに朝っぱらから「おはようございます」なんて言うかよ。そのくせいつもいつも非難がましい目でちらっとこちらを見るだけで会釈すらしやがらない、ってのはいったいどういうことなんだよ、

朝一、自転車に乗る前に海綿は吠えた。

会社についたらまた、またしても、メールボックスに回覧が入っていない。いいかげんにしろや一回退職してメールボックスの位置が皆と違ってるもんだから「つい入れるのを忘れちゃうんですよ」、ってのはこないだ聞いた言い訳なんだよ、てめえらエスヴイは日がな一日工程管理画面眺めて誰か無駄な私語をしてないか、休憩時間長すぎないか、そんなことチェックしてるだけだろうが、回覧くらいまともに配れや、

と朝礼のはじまる前にもう一度吠えた。

起きて2時間の間に2回も吠えた。

海綿は金魚だった。真っ赤に身体を膨らませてはいつも怒っていた。そしていつも酸素が足りなかったから、水際に上がってきては口をパクパクさせて、歌ってるのか、わめいてるのか、がなってるのか、とにかく憎しみと呪いのいっぱいこもった声を発し続けていた。そんな歌が美しいわけがない、ということにある日気づいて金魚であることを辞め、そして図書館で暮らすかたつむりになった。でもいつまでもそんなことじゃあいけないなと反省をして、再度海綿として日の光のもとに出ようと思ったのだ。

けれどやはり根本的なものは何も変わっていない。

海綿を突き動かしているのは怒りであり憤りであり憎悪であり呪詛である。

ルールその24:ヒューガルデンホワイトは成城石井で買うと高いのでデイリーヤマザキでまとめ買いすること。

----------2005年05月23日(月) キミが石になってしまう前に

物事がすべて自分の意図するところと反対の方向に流れていく。それは別に海綿のせいではないけれど、こいつがこんな風にいつまでたってもちゃんとひとり立ちできないで、人一倍デリケートで神経質で自意識過剰で気難しいからことは更にややこしくなっているのではないか、と思う。

「考える海綿

なんてちっとも可愛くないし魅力的でもないし格好よくもないのだ。

海綿は家ではにこりともしない。

海綿は会社では眉間にシワを寄せて話しかけたら殺す、くらいのオーラを放っている、らしい。

そのくせひどく無力だ。

押し寄せてくる不穏な波をせき止めるだけの力もない。

右手で頬杖をついた姿勢のままで不穏な波に流されていく。

このままでは石化してしまいそうだから明日海綿はとりあえず怒り狂ってみることにする。

ルールその23:歯ブラシは一ヶ月に一度必ず取り替えること。

----------2005年05月22日(日) 正しいお手入れについて

海綿はやはり海綿なのですぐに汚れてしまう。きれいな状態を保つには、脂肪分の少ない食事を規則正しく摂り、一日に2リットルの水を欠かさず、太陽の光を身体に浴びて、そうしてきっちり、できることならクスリの力に頼らずに排泄し、お風呂にふやけるくらい浸かり、上等のクリームでお手入れをして、痛む部分には湿布剤を施し、そうしてまたできることならクスリの力に頼らずにたっぷりと眠る、ことが必要なのだけれど、それは難しい。ホントウに難しい。

そんなことを痛感したこの週末であった。

さあ、海綿、明日からまた仕切りなおしだ。

ルールその22:メガネのレンズはいつもきれいに磨いておくこと。

----------2005年05月21日(土) 朝帰り

やはり海綿に「31回のチャンス」は与えられていなかった。

という風に手抜きができるのでこの「海綿シリーズ」、いいんじゃないの、と思っている。

ルールその21:ビール瓶の一気飲みなんてもうそろそろいいかげん卒業すること。

----------2005年05月20日(金) 自意識過剰

何事もうまく、完璧にやろうとするから落ち着かない。いいじゃないか、ちょっとくらい失敗したって。しょせんただの海綿なんだから。ちょっとばかし緊張したって、舌がもつれたって、地味なスーツを着ていたって、誰も気にとめやしない。

いつだって、自分の思うのの100分の1、もしかしたらそれ以下しか、人はキミのことなんて見ていないし気にもとめていない、

はず。

やべ、と思ったら、笑ってごまかしておけばいいのだ。

海綿はいたって、自意識過剰な生き物である。そんなことではいけない、「自然」を思い出さねば。

ルールその20:人前でぬいぐるみと会話しないこと。

----------2005年05月19日(木) 吸い上げるもの、なし。

今日も昨日と何一つ変わらない一日、空の模様は違っているし昨日よりは早く起きたし会社にも行ったし昨日のおかずはコロッケで今日はもやしのスープだったけれどやっぱり今日も昨日と何一つ変わらない一日。

吸い上げるべきもの、なし。

むしろ、吸い上げてはいけないものばかり。

なんてな報告書を書いたらまたしこたま叱られるんだろうなあ、と海綿は苦い顔をする。

ルールその19:湿布剤は必ず常備しておくこと。

----------2005年05月18日(水) キミの手は止まる

とにかく今の時点ではっきり分かったことは、あまり自由を欲していない、ということだ。たとえばキミは海綿にだってなれるし、わかめにだってなれる。石ころにもなれるし、なりたかったら橋にだってなれる。ルールはたったひとつだけ。すべてを言葉で言い表すこと。現実世界のような掟や禁止は何もない。母を殺し父と交わってもいいし、ロミオとジュリエットが晴れて日の光の下で結婚の祝福を受けてもいいし、モスクワとワシントンD.Cに同時に核爆弾が落ちてもいいし、地球が破裂して宇宙のチリになってしまってもかまわない。

そんな何もかもが可能な世界を前にして、キミの手は止まる。キミがそう書けば、猫は人間よりも大きくなるし、日本は第二次世界大戦の戦勝国にだってなれる。言葉さえ知っていれば、キミは18歳の頃に戻ることもできるし70歳のおばあちゃんになることもできる、そして失われたものを取り戻すこともできるし、決して得ることのないはずのものを得ることもできる。

だけどキミの手は止まる。

海綿はそんなキミの隣で、美容師さんに丁寧に染めてもらった身体をふるふるとふるわせている。どうやら随分と黄金色に近づいたようだ。

ルールその18:ツタヤの会員証はいつも持ち歩くこと。

----------2005年05月17日(火) 小説にあこがれる

小説世界の登場人物たちは無駄な動きを一切しない。彼らの動き、言葉、仕草にはすべて意味がある。

海綿はそのことを非常に羨ましいと思った。そうして自分もこんなニツキモドキではなく小説の登場人物、いや、登場海綿になりたいものだと切に願った。

ルールその17:少しでもいいから果物は毎日食べること。

----------2005年05月16日(月) 安住の地は

この街は東西に流れる大きな川で分断されている。川、といったって水なんだか泥なんだかヘドロなんだかよく分からない濁った液体が川のような顔をして流れているだけなのだけれど、あんまり長く水辺を離れていると海綿は干からびてしまうので、コンディションの調整のためにその川のような顔をした、自称「川」の真ん中に浮かぶ島へ散歩に出かけた。

今バラ園はちょうど見ごろを迎えているはずで

ライオンの橋を下りたら

満開のバラがお出迎えしてくれるだろう

という海綿の期待はあえなく潰えさる。

ここは大阪。

橋を下りたその一瞬だけ、海綿の鼻腔を甘い香りがくすぐったけれど。

えー右をご覧ください、これが大阪名物「おばはん」です、えー左をご覧ください、これまた大阪名物「ビニールテント」です、えー大変申し訳ございませんが只今通路を整備中でございましてドガガガガガガガガ

これではとても星の王子さまごっこなんかできない。中之島公園のバラは「なあなあねえちゃんあんたなに辛気臭い顔してるんほーらあっちにもこっちにも咲いてるでーどないやー」とでも言っていそうな気がして、結局大阪市役所前の「みおつくしプロムナード」のあたりが一番落ち着くという結論に達し、木陰のベンチでぼんやり鳩を眺めていた。

海綿に安住の地はあるのか。

ルールその16:とりあえず今のところは小泉純一郎を支持しておくこと。

----------2005年05月15日(日) 扉を探せ

異次元への扉が開いたのかもしれなかった。

いつもどおり海綿が緑色の自転車で駆けつけると、忘れ去られたはずの空き地にはありとあらゆる品物がごちゃごちゃにぶちまけられていた。古い時計、古いレコード、よれよれのシャツ、破れかけのジーンズ、壊れかけのラジオ、薄汚れたぬいぐるみ、麦藁帽子、そして何故か新鮮な野菜。

そしてどこからか突如としてわいてきた、人の群れ。

海綿はチリリと自転車のベルを鳴らす。サングラスの奥からぎろりと睨みつけてみせる。舌打ちをしたかもしれない。とにかく急いでいた。なぜなら海綿は、氾濫する物とそれに群がる人をかき分けて、ただ海綿だけを待ち構えている、海綿だけに開かれている扉を探さなければならなかったから。

要するに、会社への扉。

忘れ去られた空き地では、時折フリーマーケットが開催される。その日には1階のコンビニでお弁当が売り切れ、近所のマクドやサブウェイも満員になる、ということを、海綿はすっかり忘れ去っていた。

ルールその15:チケットは早めに手配すること。

----------2005年05月14日(土) 五月の風の中で

海から上がって周りを見渡すとビルの山が聳え立っていた。そして海綿は真っ白い大きな匣に閉じ込められる。熱気を孕み唸る機械の前に座り、悪意に満ちた薄い空気を呼吸する。昨日水分を吸い上げすぎたせいで身体の中には悲しい音楽が溢れている。口を開けばちゃぷん、という音とともに水をこぼしてしまいそうだったから、白い匣をこっそり抜け出して、誰もいない、空き地へ。

オフィス街の真ん中で、皆に忘れられた空き地。そこでは太陽が四つ昇っていてもかまわないし、何本もの飛行機雲が格子模様を空に描いていてもかまわない。橡の木の下には異次元世界への入り口がある、かもしれないのだから。五月の風に吹かれながら海綿はため息をつく。

悪くない。

ちっとも悪くない。

むしろずっといい感じだ。

何度か言い聞かせて、白い匣に、戻る。

「五月の風の中で 最後に歌うラブソングさ」

古い、愛しい歌を口ずさみながら。

ルールその14:野良猫を見かけたらエサをやること。

----------2005年05月13日(金) 海の底

真っ暗だ。

一條の光も差さない。

それにとても静かだ。

圧倒的に何もかもから隔てられている。

身体を少しでも動かせば日々降り積もった滓のようなものがあたりに舞い散る気配がする。

とてつもなく、重い。

海綿は今、海の底にいる。

ルールその13:睡眠が足りないときは首をぐるぐると回すこと。

----------2005年05月12日(木) 情報漏洩注意

海綿はたしかにナントカイズムとか何々主義といった言葉が好物であるけれどそれはナントカイズムとか何々主義が実は何も意味していないから好きなのであって、カタカナと漢字の羅列ならなんでも食えるというわけではないのである。コンプライアンスだとか情報漏洩だとかもう字面だけで気に食わない。なんだか生意気そうでなんだか意地悪そうだ。

でも昨今の社会情勢からいって3ヶ月に一度はそれらに関する研修を受けなければならない。なのでいつもより深く貝殻をかぶっておいたのだけれどエスヴイの声は大きいので、必要以上に大きいので、どうしても耳が音を拾ってくる。

それによるとどうやら就業先の勤務形態に関しておしゃべりをするのはいけないことらしい。

おおっと。

それなら海綿はいつもやっているじゃあないか。あそこ軍隊みたいなんだぞ、あそこデヴでハゲのエスヴイがいるんだぞ、あそこ残業すげえんだぞ、あそこ閑散期になったらばっさりクビ切るんだぞ、って。

しかし海綿もいちおう日本国海綿(?)であり基本的海綿権(??)を保障されている以上、表現の自由は与えられているはずだ。たとえば就業先での出来事を克明に綴り、それを「工場日記」と銘打って出版社に送ったらどうなるのだ? 海綿は訴えられるのか? 急速に広がる派遣業界の闇を衝く!! いかに派遣会社がいい加減か。いかに派遣社員の地位が低いか。身を挺した潜入ルポルタージュだ。

売れそうじゃないか。

ねえ。

でも海綿は肝っ玉がちっちゃいのでこーんなに細々とやっている弱小サイトだけど情報漏洩はいけないよな、ってことでさくさくっと遠い過去を消しておいた。

すっきり。

ルールその12:財布の中には財布の代金より多くのお金を入れておくこと。

----------2005年05月11日(水) よく分からない。

昨日ふらりといなくなったことをしこたま叱られたので海綿は項垂れて会社に向かった。お気に入りの緑色の自転車でそのまま中之島公園に向かいバラ園のバラたちとお話をして星の王子さまごっこをするのも楽しそうだと思ったけれど海綿だって会議に出なければならないときもあるのだ。

会議、だなんて書くと重々しいが要するに喧嘩、だ。海綿はちょこっとばかり難しい言葉を扱うことができるので今回の契約内容変更に関して「みんなの代表」的立場に立たされている。でもみんなって誰? 

普段休憩室で渦巻いている「むかつくー!」「うっとしー!」をとにかく漢字もしくはカタカナの言葉に置き換える。それが海綿の仕事だ。近頃ではみんな口を開けばムカツクウツトシイしか言わないし様々な種類、立場のムカツクウツトシイがあるのでそれらを言語化するのは結構大変な作業だったりするのだけれど。

ムカツクウツトシイをとりあえずコノヤロブチコロスくらいの勢いでぶつけるとコノアマダマリヤガレが返ってくる。ナメンナヨコンチクシヨウと鼻息荒くロウキホウロウキシヨウというとっておきの言葉を口にするとコーデイネータフザイワカリマセーンではぐらかされる。女工たちの未来はまったく分からない。

内心どうでもいいと思っている。

多分みんなどうでもいいと思っている。

だからこんなよく分からない文章になってしまった、やっぱりバラたちとお話していたほうがよかった。

ルールその11:母親のアドバイスには従わないこと。

----------2005年05月10日(火) あれっ? 海綿

GWが終わって一気に暇になって案件待ち地獄がはじまってそれでも考えることはいつも、同じ。

別れてからこっち、キミのことを考えない日は一日だって、ない。

堆く積み上げられた貧弱な会話の切れ端をまだうまく片付けられないから。

「派遣で仕事見つけてきたよ」と書いたメイルの返事は「勝手に頑張って」だった。ワードもエクセルもまともに使えなかったのにいきなりアクセスで受注書を作らなきゃならなくて。「イニファイル」だってずっとずっと「ユニファイル」だと思い込んでて。「社員さん」は「派遣さん」になーんにも教えてくれなかった。さんざん、泣いたっけ。キミの、前でだけ、ね。

3ヶ月の契約が4ヶ月に延びてなんとか勤め上げたとき、何か言ってくれるかなーと思ったけど

「向いてない仕事をさせてる自分が情けない」

ってそれだけー?? 

あのとき

製薬会社の経理をしてくれって話もあったなあ。
社会福祉協議会でじっちゃんばっちゃんの相談窓口になってくれって話も。
でもヨメになってくれって話は、なかったなあ。
・・・なつかしいなあ。

いつだって目の前には3個くらいの選択肢が転がっているはずだ。
きっと、今だって。
勝手に、頑張るさ。

・・・って、あれっ、海綿は何処へ行ったんだ? 

海綿、聞いてるかー? 明日も会社に行くことだけがおまえに定められた道ぢゃないんだぞー!!!

ルールその10:徹夜はしないこと。

----------2005年05月09日(月) おかしな話

海綿のくせに頭痛がする。
海綿のくせに食欲がない。
海綿のくせに右目の瞼にアイプチを貼っていたりする。

おかしな話だ。

まあ、おかしな話は新聞を開けば、テレビのスイッチを入れればそこらじゅうに転がっているのでたかが海綿が何ヶ月たっても元に戻らない右目の瞼を気にかけていることくらい、たいした「おかしい」ではないのかもしれないけれど。

「つかれ・・・」と言いかけて、「疲れた」がこのゲームの中で禁止されていたことを思い出す。それだけはきちんと禁止にしておかなければ何もできなくなってしまう。

ルールその9:読み終えた本はきちんと本棚にしまうこと。

----------2005年05月08日(日) 自問自答

「チミはどこの出身だ?」
「大阪です」
「大阪ってナニ」
「日本で、二番目の都市です」
「日本ってナニ」
「・・・世界で、唯一の被爆国で、その後高度成長を遂げてお金持ちになって、世界中にお金をばらまいているけどいまだ常任理事国に入れてもらえない国です」
「世界ってナニ」
「この、地球の上にある、今んとこ日本が承認してるのは191ヶ国ですが、それらの国と地域を総称したものです」
「地球ってナニ」
「・・・銀河系太陽系第三惑星と呼ばれるものです」
「そんなこたあ聞いとらん」
「は」
「ホントウのことを言いたまへ、そりゃあ全部自分らの都合のいいように、自分らが分かりやすいようにつけた名前だろうが。ココがなんちゃら系の地球とかいう星の日本とかいう国の大阪とかいう街だなんていったい誰がいつどこで決めたのかね。便利だからという理由で他人の定義に乗っ取ってわしの質問に答えてもらっちゃ困る。チミは、ホントウは、いったい、どこ出身の海綿なんだ?」

・・・この園長、いつかぶち殺す、と海綿はココロに誓った。

だが海綿に出身地はあるのか? 単なる気まぐれの産物ではなかったか? 

ルールその8:ズーキーパーは一日1時間までにすること。

----------2005年05月07日(土) 出口なし。

どうにも分からないことだらけで身体も重くなってきたことだし、海綿は日光浴に出かけることにした。洗いたての海綿はいい匂いがする、それを天日に干してやれば全身は金色に光り輝き、柔らかく弾力を取り戻すのだ。

入り口で150円を求められる。そこが有料になったのはもう15年以上も前のこと、追い払われた浮浪者が街に溢れ、寺は慈悲の心を捨てて門を閉ざした。そして青いビニールの小屋がそこかしこに林立することになった。

塗装のはがれた鉄柵に絡みついた薔薇は不機嫌そうだった。けばけばしいホテルの看板なんか背景にしたって私のホントウの美しさは分からないわよ、とでも言いたげだった。皆がとっくに忘れ去ってしまった植物園では何もかもが萎れていた。どの枝も、どの葉も、花も、水を求めていた。

引き抜かれ、痩せた土に植えられて動けず、枝を空に向けて伸ばすことすら許されていない植物たち。





これが、世界を覆う、緻密な「枠」だ。

出口なし。

ルールその7:たまにはビールも飲むこと。

----------2005年05月06日(金) 雨に想ふ

海綿は雨が嫌いだ。

どうしても身体が重くなる。汚れた街の匂いが沁み込んでくる。自分と周りの境界が溶けて曖昧になる。

身体中の穴という穴から遠慮のない雨が忍び込んできて、海綿は冷たい、と思った。そうして世間の冷たさを思い知った。比喩でもなんでもなく、世界は、冷たい、と思った。

あたたかいお風呂に早く浸かろう、そうして全身を泡だらけにしよう、洗いたての海綿はとてもいい匂いがするのだ。

ルールその6:天気予報は7割程度信じること。

----------2005年05月05日(木) 混乱しはじめた!

「おいっ、海綿!」

と自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして海綿はコンピュータの電源を落とした。それまで部屋に満ちていた低く鈍い音が止み、空気がしん、とする。けれど人の気配は感じられない。

「おいっ、海綿、そんなことをしてる場合じゃあないだろう。おまえはもう5日間もそうしている、おまえにはあと26回しかチャンスはないんだ、それだっていつどんな理由で剥奪されるか分からない、なんていったって契約書には『海綿に31回のチャンスを与える』とは明記されていないんだからな。時間は有効に使え。」

確かに声は聞こえる。だがそこには誰もいない。猫が2匹丸くなって眠りこけているだけだ。それに契約書にサインをした覚えもなかった。「更新予定/更新しない」と書かれた紙の「更新予定」にマル印をつけて印鑑を押したのは確かだがそれはあくまで予定であって、「更新します」という意志を示したわけではない。

そうか、契約書を受け取って5日以内に異議申し立てをしなかったから追認したことになるのか、とひとりごちてから海綿はまたコンピュータの電源を入れた。だいたいこれは仕事なのだろうか? だとしたら自分はいったい何に、誰に、何のために雇われているのか? 

・・・海綿は混乱しはじめる。

ルールその5:待機電力をあなどらないこと。

----------2005年05月04日(水) 「田んぼのたにし」再び

夢の中で古い歌謡曲がありえない音量で流れる。そうしてその音に起こされて激怒しながら会社に行こうとするのだけれどどんなに自転車をこいでもたどり着かない。場面がすっと入れ替わり、会社には着いた様子なのに今度は自分のロッカーが見つからない。「おはようございます」という挨拶がうまく声にならない、動けない。

皆が見ている、こちらを見ている、様子が変だ、いったいどうしたんだ、朝礼ははじまっている、何故ここに来ない、視線が集中する、トゲのように突き刺さってくる、それもこれも全部あの古い歌謡曲のせいだ、と汗をダラダラ流している、ところで目が覚めた海綿は今日一日ひどく機嫌が悪かった。貝殻をかぶって端末を打っていると随分前に見た夢のことが思い出されてますます不機嫌になった、「田んぼのたにし」。

職場のことを夢に見たのはそれ以来のことだ、多分。あのときの「田んぼのたにし」という暗示的な言葉は今日のこの日のために用意されていたのだろうか? 随分と立派な「田んぼのたにし」になったものだ、と海綿は思う、そうして皮肉な笑いを浮かべてみせる。

ルールその4:NINE INCH NAILSはヘッドフォンで聞くこと。

----------2005年05月03日(火) 貝殻をかぶって

たとえば左隣の海綿はぺちゃくちゃと無駄なおしゃべりを繰り返すせいでどろどろのゼリー状に溶けてしまっている。向かいの海綿は果てなく繰り返されるルーティーン化した日々に順応しすぎて石のように固まってしまっている。

それらはもはや何も吸い上げることがない、だから厳密な意味で言うと、もはや海綿では、ない。

海綿が家に帰りついたとき、リビングにはアルコールで赤く腫れ上がりぶよぶよになった海綿の残骸と、あまりにゴルフチャンネルを見すぎたせいで白く硬いゴルフボールのようになった海綿の化石がふたつぶよりころりと転がっていた。

このように海綿はその形態を保つことが難しい、非常にデリケートな生き物であるので、海綿は明日から貝殻をかぶって出勤することにした。

ルールその3:ローライズのパンツにはローライズのショーツをはくこと。

----------2005年05月02日(月) ツツジの森を抜けて

こんなところに咲いているツツジは排気ガスで汚れているから蜜を吸ったりしてはいけない、と教師に叱られた記憶がある。けれども年に一週間しか公開されない浄水場のツツジはどうだろうか。それはまるで森だった。赤い森、白い森、薄ピンクの森。ツツジという花が苦手なのは群れて咲くからだ、という結論に海綿は達した。だから蜜を吸うなんてことももちろんしなかった。

浄水場の近くにはすぐに水位が上がって列車を止める川が流れている。犬を連れて散歩に訪れる人、ゴルフの練習に打ち込む人、アコースティックギターを爪弾く人、その傍らを澱んだ水が音も立てずに流れていく。靴に砂が入り込んでくる。これは自然の土手なのだろうか、海綿には判断することができない。三人組のおばはんどもが騒々しい声をあげながら小さな紫色の花を摘んでいく。「こんなとこにまだこんな自然が残っとるんやなあ」、と言いながら花を摘んでいく。その花はどうせ安物の花瓶に入れられて狭苦しい食卓に飾られ、萎れれば黒いビニール袋の中に放り込まれ、そうして誰も思い出さない。

ルールその2:MDウォークマンは常にフルに充電しておくこと。

----------2005年05月01日(日) 一日に2リットルの水を忘れないこと。

さて、と海綿はおもむろに立ち上がると、無言の観客或いは通りすがりの人々に向かって口のような穴を開いて言った。

これからは規則正しい生活を心がけなければならないな。少しばかり厳しい日々がはじまるんだ、一日に8時間を仕事に奪われることはたいした問題じゃない、朝、起きる。そして顔を洗う、歯を磨く、服を着替えて髪を整える。そうやって毎日をきちんとスタートさせることが肝心だ。与えられた時間は限られている。そう、1ヶ月、1ヶ月だけだ。とにかく貪欲になること。そういう時期が、やってきたってことだ。

しかしその呟きが意味を持った言葉であったかどうかは疑わしい。とにかく海綿は動きはじめた。長く眠りすぎたせいか、ぎこちない動きだった。もう疲労は眠っても回復しない。誰しもみな疲れている。身体中の筋という筋を全部新品に取り替えることができたらどんなにいいだろうと思っている。だから「疲れた」はこのゲームの中では禁句とされている。

ルールその1:一日に2リットルの水を忘れないこと。