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----------2004年11月30日(火) 多分もう少したくさんのことが許されている

「誰でも知っていることですが、人はすべてを言う権利をもってはいません。どんな状況にあってもすべてについて語ることはできないし、またどんな人でも、どんなことについても語ることができるわけではないのです。対象についてのタブー、状況についての儀礼的取り決め、語る主体についての特権的、あるいは排他的な権利、これら三つのタイプの禁止の作用に人は立ち会うのであり、この三つは互いに交差し、補強し合い、あるいは補償し合って、休みなく修正され続ける複雑な格子を形成しているのです。」(ミシェル・フーコー「言語表現の秩序」/河出書房新社)

自分が何に制限されているのか、いったい何を禁止されているのか、何が抑制されているのか、もう少しだけ意識的になる必要がある。それは「何が許されているのか」という卑小な態度をとることとはまた別のことである。

精一杯手を伸ばしてみたらまだ行き止まりではないかもしれない。
トップスピードで駆け出したなら格子の目をすり抜けられるかもしれない。

格子の内側でもがいている、と言いながら私は格子の手触りを知らない。「禁止」の3歩手前で立ち止まっていたのではいつまでたっても何も変わらない。