叔父の思い出
3月に叔父が亡くなった。
長い間、癌を患って逝ってしまった。

叔父は誰でも知っている企業の執行役員から、グループ企業の
社長を経て退職した。

私が大阪の会社に勤めていた頃、偶然道で叔父に会った。
お茶行こうや!と言われたけど、新入社員で内勤の私は行けなかった。

私が東京にいた頃、叔父も東京に赴任中だった。
電話をくれて生活は大丈夫かと聞いてくれた。
貧乏やけどなんとか生きてる、楽しくやってると話すと
「一杯のかけそばみたいか?清貧なんやなあ」と笑った。

食事に誘われ、丸ビルの1階で待ち合わせした。
ねぷた祭の武者絵が天井に飾られているのを見ながら
待っていたのを思い出す。
叔父は青山から品川に引っ越したと言った。
会社が借りた部屋は、青山が100万で品川はもっと安い
新幹線も止まるし、これからは品川がいいぞと言った。

父と叔父は10歳違いだ。
父が叔父の大学費用を出したと聞いた。
ずっと父が叔父の親代わりをした。
私が幼稚園に入る前は、大阪市内の大きな家で一緒に暮らした。
私が生まれ、祖母が私に夢中になると
「俺のおかあちゃんや」と拗ねたそうだ。

祖父母と私たち家族が大阪の郊外に引っ越すと独身だった叔父も
一緒に住んだ。
叔父が結婚して独立すると、叔父の部屋が私の部屋になった。

叔父がヨーロッパに出張した時に、ロイヤルドルトンの
ティーセットをお土産に持ってきてくれた。
私はほわんとした花柄が好きになれなくて、子供の学校の
チャリティに出してしまった。

私の最初の結婚の時は、好きな家具を買っていいと
連れて行ってくれた。
その頃、タイルの入ったスペイン家具に夢中だったが
金額を見て欲しいと言えなかった。
代わりに、チェスト3竿、洋ダンス2竿をお願いした。
今もチェスト2竿は使っている。
他は、離婚の引っ越し、その後の引っ越しで手放してしまった。

叔父はおもしろい。
レーシック手術が流行る前に、手術しに海外に行った。
よく見えるぞー、おまえもやってこいと言った。

叔父は講釈が好きだった。
偉そうに語るが、兄弟で一番下だから
話し終わる前に「そんなん知ってる!」と
みんなに遮られるのが決まりだった。

妹の死のすぐ後に祖父母の50回忌法要があった。
今までなら、家のことは全て父がやっていた。
叔父は癌で苦しい身体なのに、父に赦しを請いに来た。
今回は自分がやりたいと言ったそうだ。

妹の死は伏せられたままで、読経が進み、私は爆発しそうだった。
一緒に弔ってもらえと言いそうになり堪えるのに苦労した。
法要後の食事は、上本町のシェラトンだった。
叔父の顔色は悪かった。
身体も辛そうだった。
久しぶりに親戚が数十人集まり、叔父は挨拶した。
その時の映像も私の宝物だ。

コースにない料理やデザートを、叔母の主導で次々に注文する。
うちの親戚は遠慮を知らない。

私は怒りのやり場を普段飲まないビールにぶつけ
中座して外に出ようとすると、叔父がいた。
叔父の顔を間近に見た途端、泣き出してしまった。
叔父は「泣くな」と一言だけ言った。
そして、私にお小遣いを手渡した。

Face Bookに私が写真を投稿すると、叔父はすぐに「いいね」
してくれた。
闘病中なのに、ずっと見守ってくれてる気がした。
叔父に見てもらいたくて、写真を投稿した。
父は忘れていたのに、叔父は私が写真を撮ることが
好きなのを覚えていてくれた。





2021年06月24日(木)

思い出と旅行
裕福なのに老後を気にして節約に励んでいた継母は
これからは思い出を大切にすると言った。
父と継母ちゃんと私と息子の4人で旅行した。
コロナ禍が拡大する直前だった。
1泊旅行だったけど
息子と両親が旅行するのは初めてで
私と息子が一緒の部屋で寝るのは20年ぶりだった。

息子が運転する車で連れていってもらった。
胃を切除した父は、食が細くなり痩せ細っていた。
食べられない父のために、息子は少ない数のコースを選んでくれ
夕食はホテルの個室でいただいた。
初めて見る綺麗な盛り付けの料理は本当に美味しかった。
父は完食した。
部屋に戻ると二人で大きなお風呂に入り
孫に背中を流してもらったとおじいちゃんは感動していた。

それから父は毎月旅行しようと言い出した。
娘を失った悲しみは癒えないだろう。
妹のしたことは最後の親孝行だと思っている。
父がいなくなったら、妹は生きていけなかっただろう。
父も妹のためにと仕事を続けただろう。

継母が今では大黒柱だ。
父は専業主夫になると言ったが、何もしないそうだ。
寝る前の読書は欠かさない。
司馬遼太郎を繰り返し読んでいる。

父はコロナのワクチン接種を2回受けた。
継母も1回目を済ませた。
私と息子が済めば、また旅行できる。
夫も参加すると言った。

私は継母に感謝してもしきれない。
父の面倒を見るだけでなく、飾った写真を見ては
お父様は本当に男前で美男子でと褒める。

私は父に幸運だねと言った。
びっくりしていた。

やりたい放題に生きて
傲岸不遜
周囲の女性全てを不幸にして
何もかも失って

妹の位牌を作ってもらい
毎朝仏壇にむかい読経して
毎日四天王寺さんにお参りして
この2年ですっかり体重が戻って

疎遠にしていた兄弟姉妹と仲直りした。
高齢になり痴呆が出た兄弟がいる中
父の記憶力は衰えない。
知識も豊富なままだ。

米寿の祝いに、私は遺影を撮りに行った。
スーツ姿と普段着の2枚。
祝いに遺影はおかしいけど、父の願いを叶えた。

妹は大好きな母のもとに行った。
それでいいと思う。
死んでからも迷惑をかけるつもりだと
怒り狂った時期は過ぎた。

自死の遺族の会があるそうだ。
赤の他人に何を話すのだろう。
同じ境遇ならわかりあえるものがあるのか。
私はここで吐き出す。
共感も相槌もいらない。

























2021年06月20日(日)

振り返る15
何回目の振り返るかわからないがもうすぐ終わる。

妹はシャネルNo.5を愛用した。
持ち帰ったエルメスのスカーフはシャネルで煮染めたような状態だった。
吐き気と戦いながら晴れた日に干した。
ファブリーズをかけまくった。
香りで香りは消せない。

クリーニング店に持っていったら、香水は消えないと言われた。
香水、オードトワレ、オーデコロンとあるが
妹が愛用したのは香水=パルファムだ。

ヤフオク、メルカリに出品すべく写真を撮った。
一眼レフの出番だ。
スカーフの撮影は難しかった。
物撮りが上達して満足だった。
出品せずに買取業者に電話して売り払った。

バカラもラリックも撮影した。
ガラスの撮影はもっと難しかった。

出品する前に疲れ果て、これも業者に電話して買い取ってもらった。
息子に連絡を取り、マトラッセとバーキンを売りに行ってもらった。

弁護士に会いにいった両親は、全てお任せして安心して
少し眠れるようになった。
私と夫は初期化したiPadを売りに行った。

りんごとエルメスは強かった。
エルメスのベルトもあったな。
どこにいったのか覚えてない。
もうどうでもいい。

弁護士費用とマンションの所有者に支払う費用の
一部を作れてよかった。

継母ちゃんが買い物に出た隙に、父がエルメスのペンダントを
私に握らせた。
大昔、父がしていた物だった。
なんで隠したがるのかわからないが、妹とは関係ない物だと
思ってもらっておいた。

今年に入って、妹への怒りが収まった私は
私の知らない時代の妹の写真を見せてもらった。
どこかのレストランで優雅に食事している。
微笑みながら。
整形したのがわかる、面影はなんとなく残る顔だった。
胸元には、あのペンダントが揺れていた。

ゴミ箱に叩き込んでやろうと思った。











2021年06月18日(金)

現在
休憩して、今現在のこと。

2020年に日本で拡大したコロナウィルス。
夫が自営を辞めて、就職した。
職を失う人が多い中、ラッキーだったと思う。
大阪に帰る夢は、夢のままだ。

父の兄弟姉妹、つまり伯母や叔父、叔母が亡くなることが増えた。
友人はみな元気だ。
グループラインでいつでも話せる。
オンライン飲み会もした。
海外にいる友人も参加した。

それほど大阪に帰りたいと思わなくなった。
10年以上暮らした1LDKから、2LDKに引っ越した。
彼と籍を入れてから10年だったと思う。
相変わらずというか、ますます数字がわからない。
入籍日も覚えていない。

息子は結婚し、娘が2人。
私はおばあちゃんになった。

父と私の似ているところは自分の孫に関心がないこと。
孫の誕生日を覚えていないし、誕生日プレゼントや
クリスマスプレゼントを送ったことがない。
生まれてから会ったのは2回だけで、会いたいとも思わない。

心療内科に通院していた頃、いつも飲んでいた薬は
1日中頭がぼーっとして、大半を眠って過ごした。
ただ、更年期障害を抑制する作用もあると言われた。
ある日、このままではいけないと通院をやめ断薬した。
急激に更年期障害の症状が出た。

もともと汗をかかない体質だったから、熱が体内に篭り
暑さと寒さが交互に来る。
全身痒くて眠れない。
何よりも体重の増加が激しかった
7kg増えたが、何をしても戻らなかった。
引っ越し前後の多忙で3kg減り、引っ越し後まだ痩せ続けている。
糖質制限と菓子類を食べなくなったのと動き回るせいだと思う。

ミニマリストのブログを愛読し、参考にするが
元から、不要なものは捨てるし、度重なる引っ越しで
大型の家具は捨ててしまった。
紙袋を溜め込む趣味はない。
同じものを複数買うこともない。
おまけは嫌いだし、雑誌も買わない。
百円ショップで買うのは消耗品だけで、行くのは年に数回必要な時だけだ。

もうすぐ夫の家の住宅ローンが終わる。
20代で建てた誰も住まない、売れない貸せない家だ。
家賃、住宅ローン、車のローンと夫は頑張っている。

この10年、あちこちに旅行した。
夫がマラソンを始めたのと、4年前に購入した車が面白くて
高知や富山に車で行った。

押しつぶされそうな閉塞感があり、山は嫌いだった。
冷え性には登山ウェアが最適だと気づき、山スタイルで部屋で過ごすようになった。
部屋だけで使うのはもったいないし、運動不足解消にハイキングを始めた。

ふるさと納税を活用して、贅沢な果物を食べられる。
宮崎のマンゴー、岡山の白桃、愛媛のせとか、高知の新高梨。

換気扇の下で調理中に、話しかけるのはやめろと10年言い続けた。
夫は今もやめない。
あまりに聞こえないから、耳鼻科に行って聴力検査をした。
結果はよく聞こえてます、だった。
聴力には、聞く力と聞き分ける力があると先生に教えられた。
夫の声が遠方からで、手前にノイズがあると聞こえない。
聞こえない!と怒鳴るのに疲れた。

新蕎麦の季節には長野に行く。
新穂高ロープウェイは2年おきに乗る。
水出しコーヒーを飲みに天橋立に行く。

一眼レフを買った。
望遠レンズとマクロレンズを揃えた。
adobeのフォトプランを契約した。

父からもらった2台のローライフレックスは
パソコンデスクに置いて、いつも眺めている。
壊れているけど、修理する価値があるかどうかわからない。




2021年06月13日(日)

振り返る12
2019年、もう何月の出来事かわからない。

信用調査の結果が出た。
借金もキャッシングもなかった。

マンション解約の通達が完了し、管理会社から莫大な請求が来た。
永遠に、マンションの家賃を支払うように。
風評被害が出て、他の住人が退去した場合の家賃も
永遠に支払うように。

何よ?
永遠って何よ???

司法書士さんの知り合いの弁護士さんを紹介してもらった。

私は父のたっての願いで、大量のエルメススカーフと
20年分のロイヤルコペンハーゲンのイヤーフィギュリンを持ち帰っていた。
バカラもラリックもマイセンも持って帰った。
形見として持ち帰ったんじゃない。
全部売り飛ばして、妹の痕跡をこの世から消し去ろうと持ち帰った。
息子にはバッグ類、着物すべて、宝石全て持ち帰ってもらった。
スワロフスキーはゴミ袋行きにした。
宝石のケースには母の形見も入っていた。
宝石は売ると二束三文だって知ってる。
ブランドもので流行りのものしか買い取ってくれない。
継母ちゃんはせめて、形見の宝石を私が持つように言ったけど
一切合切放棄した。

ここまでかかった費用は全て、継母ちゃんが出した。
私は貧乏のままだ。
貯金もブランド物も持ってない。
私にできるのは、これからかかる費用の足しになるよう
できるだけ高価に買い取ってくれる店を探すことだ。

私はほぼ無縁だったエルメスに詳しくなり
まったく無関係のシャネルまで詳しくなった。
そしてバーキンの専門家になったくらい情報を集め
テキストを作成し、電話し、動き続けた。

購入価格以上に高価買取してくれるのはバーキン。
トゴだのクレマティスだのSPOだのも覚えた
今後生かされることはない無駄知識だけどね。

ブルガリの指輪は息子が欲しがった。
チェーンを通して首飾りにすると言った。
妹が大切に思ったのは、母親と息子だけだ。

大量の服は人にあげた。
事情を知った上で着てくれるならありがたい。










2021年06月12日(土)

振り返る11
2019年3月のこと

知り合いの司法書士さんが実家に来た。
司法書士さんは、妹の遺産相続の確認をした。
私は何もいらない放棄すると伝えたら
相続権があるのは父だけだった。
無知で恥ずかしい。

父が相続しないと整理が進まない。
マンションの解約とセコムの解約が残った。
セコムと書いているがアルソックだったかもしれない。
とにかくセキュリティ会社だ。

父があまりにも妹の死を隠そうとするのが移ってしまい
私はセキュリティ会社に妹になりすまして電話した。
解約はできなかった。
正直に話すと、セキュリティ契約は相続の対象となることがわかった。
まず、父が相続して、契約者名義を変更、それからの解約だった。

妹の部屋の押し入れに古いパソコンがあった。
それにiPadもあった。
ネットの契約も解約した。
パソコンは物理的に破壊した。
ハードディスクをドカンとぶっ壊した。
iPadの初期化は夫がしてくれた。
これもロックがかかっていたが、回避して初期化した。
初期化する前にクラウドに残ったデータを見た。
百貨店からのDMや、スーパーの宅配サービスの履歴があった。
悲しかったし腹がたった。
私は妹の死から1年以上怒りが収まらなかった。

父がマンションの解約を自分では絶対にしないと言った。
事情を説明したがらなかった。
迷惑をかけてすみませんと言わなければいけないが
絶対に父は言わない。

司法書士さんにマンション解約の通達と信用調査をお願いした。
信用調査は、万が一妹が借金してるかもしれない
キャッシングしてるかもしれない
その確認だった。


2021年06月11日(金)

振り返る10
2019年3月から4月。
妹は携帯電話を使っていた。
妹の電話番号を知ってたのは、父と息子だけだった。
ケータイはロックがかかっていて、開けられなかった。
妹が誰と親しかったかわからない。
父は家族以外誰にも妹の死を知らせたがらなかった。

最初は父と継母ちゃんの2人。
私に連絡して、私の夫が知り、私が息子に電話して5人。
息子が父親に話して6人、そして元姑が知り、7人。
元姑がたまたま道で会った私の叔母にお悔やみを言い8人。

秘密は秘密のままにできないものだ。

妹と関係の薄い人には広がっていく。
だけど、彼女の友人や知人には知らせようがなかった。
ケータイの連絡先以外に、手書きのメモも手帳もなかった。

実家にはインターネット回線がない。
継母ちゃんはスマホを使うが、小さい画面でゆっくりしか入力できないから
何かを調べたくてもすぐに調べられない。
私はケータイとスマホの2台持ちだったけど、制限ありのプランだし
スマホ嫌いで入力は継母ちゃんの10倍遅かった。

クレカの退会は自動音声案内のみで、10回挑戦した。
パスワードがわからない。

妹が救急車で運ばれた遠くの病院から治療費の請求が来た。
治療費って、死亡確認しただけを治療費と呼ぶのかと。
そして、ファックスで返事を送れと書いてあった。
ファックスなんかない。
いまどき、ファックスを持ってる家庭は少ないんじゃないの?
保険証をコピーして添付しろと言われても、パソコンもプリンターもない。
保険証を探し出し、継母ちゃんとコンビニに行った。
コンビニのプリンターの前で少々悩む。
継母ちゃんはドキドキしながら見ていた。

クレカを使っているかどうか調べるのに、明細を探し出し、引き落とし日を確認し
銀行残高を調べようとして、継母ちゃんとコンビニに行った。
暗証番号がわからない。
3回失敗するとアウト?
ドキドキしながら、2人ともこそこそヒソヒソ不審者丸出しだった。

遺族3人が思いつく限り頭をフル回転させたが埒が開かず
いや、父は茫然自失で、継母ちゃんは疲れ果てていて
ネットを使えない苛立ちと妹に対する怒りで、私はできる限り
書類を整理し、自動音声と戦い惨敗した。

ケータイ電話は解約できた。
継母ちゃんと2人でdocomoに行った。
中のデータや連絡先はそのまま手付かずで
妹のケータイは、ショップの人によって機械に押しつぶされた。
ケータイが使用不可能になっていく様を二人でぼーっと眺めた。









2021年06月10日(木)

振り返る8
2019年3月、妹は自殺した。

妹の部屋の片付けは何日もかかった。
父は早く部屋を空にして2度と来なくて済むようになりたいと
頑張ったが、結局最後は業者に頼んだ。

胃がんの手術、心臓の手術、白内障の手術と
80歳を超えた父は、何度も入院した。
妹の生活費を捻出するため、退院するとすぐに職場に戻った。

父は職場で死にたいと言っていた。
開業して50年以上、人生の大半をそこで過ごした。
妹がいなくなり、仕事をする張り合いがなくなり、父はついに
廃業届を出した。

飛び降り自殺した部屋は事故物件だ。
なのに管理会社もオーナーも何も言ってこなかった。
部屋で死んだわけじゃないが事故物件には違いない。
飛び降りて亡くなった場所は、マンション前の歩道だ。
誰も歩いてなくてよかった。
妹のせいで、歩行者に怪我を負わせなくてよかった。

私たちは毎日、その現場の上を歩いてマンションに
入らなければならなかった。
父は自分のせいで妹を亡くしたと責めながら、その上を
歩かねばならなかった。






2021年06月09日(水)

振り返る7
2019年、3月 妹の誕生月に消えた。

妹は晩年、目が見えなくなっていた。
なぜかわからないが、メガネを2つ重ねてかけていたそうだ。
飛んだ時にかけていたメガネは警察から父に戻された。
それをなぜか、私に渡そうとする。
いらん!と吐き捨て持っていた手を振り払った。
バラバラに壊れた2つのメガネを見て、父はまた泣いた。
白内障かもしれないからと説得して、手術を受ける予定だったそうだ。

ベッドの近くの2つの寝袋は、妹が使っていたそうだ。
どこに寝ても全身が痒くなる。
この部屋は虫が湧いてると言っては、ベッドと寝具を買い替え
それでも痒みは治らず、寝袋を買い、
それでも痒みは治らず、近くのホテルに何泊もしたそうだ。
ホテルのベッドは痒くならなかったそうだ。

痒みは更年期障害のせいだと思う。
私も全身掻きむしり、眠れなかったから。
ミミズ腫れと掻いたせいで湿疹ができ皮膚がボコボコになった。
皮膚科でアレルギーの痒み止めをもらい、飲み出してから痒みは止まった。
飲まないと痒くなるから治ってはいない。
原因はわからない、いろんなケースが考えられます。
皮膚科の医師は、こう言った。
待ち時間が長いから、同じ薬をネットで買って飲み続けている。

妹は父と散歩した。
帰りがけに、コンビニで500mlの水を2本父が買い部屋まで運ぶ。
部屋の前で受け取り、妹はドアを閉める。
そんな毎日だったそうだ。

部屋の片付けで妹の部屋にいた時、冷蔵庫を開けた。
冷蔵室には何も入ってなかった。
冷凍室に小さなおにぎりが1つか2つあった。

晩年、妹は水とおにぎり以外食べられなくなっていたそうだ。
何を食べても飲んでもアレルギーが出た。
ガリガリに痩せていたそうだ。

目も見えず、全身痒く、食べられず。
衣装部屋の押し入れの奥に、日本画の道具一式があった。
そして妹が描いた絵が何枚もあった。
一緒に暮らした時よりずっと上手になっていた。
花を生けることもできず、お茶を点てることもできず。
母の形見の茶釜が、日本画の横に置いてあった。








2021年06月08日(火)

振り返る6
2019年3月、妹は消えた。

一番大きなポリ袋は45L?
父は、衣装ケースに入っていた服を次々に投げ込んだ。
グッチも、アルマーニも、セリーヌも何もかもぐちゃぐちゃにして。

私と母は、預金通帳と保険証を探すのに苦労した。
財布にあったクレジットカードも回収する。
手続きに必要な書類が見つからない。

オレンジの箱の中にバーキンがあった。
継母ちゃんは私に使いなさいと言った。
なんで私が人の使い古したお下がりを使わなければいけないんだ?
いらないとだけ母に言った。
ふざけんな、こんなもの持つくらいならスーパーのレジ袋のほうがましだ。
心の声が出そうになった。

いらない、と10回くらい言ったと思う。
継母ちゃんは悲しそうな顔をしていた。

エルメスもサンローランもシャネルも、ミンクのコートも。
ブルガリもバンクリもカルティエも。
父が足りなくなって、継母に出させたお金で買ったものだと思う。

妹の直葬の費用は数十万円だった。
セコムのせいで鍵屋さんに開けてもらった部屋の解錠代金も
直葬の費用も全て、継母ちゃんが出した。

新品の寝具が乗った新品のベッドの近くに
寝袋が2つあった。



















2021年06月07日(月)

振り返る5
2019年3月、妹がこの世からおさらばした。

妹の部屋は2LDKだった。
父が胃癌で入院・手術をし、収入が激減するのを
見越して、手狭な部屋に引っ越したからだ。
その前までは3LDKだったそうだ。
家賃20万円、生活費30万円、臨時の出費額は知らない。

2LDKのうち、一部屋は衣装部屋だった。
話に聞いていたのと、実際に見るのとでは大違いだ。
私も母も絶句した。
ハイブランドの箱の山。

引っ越しの準備をしている最中で洋服ダンスを捨てたと父は言った。
冬物のオーバーコートの列だけで1000万円近い。
安っぽい衣装ケースの中には、ハイブランドのセーター、スカート
ブラウス、ワンピース。
ハイブランド以外なかった。

電化製品は全て新品だった。
ウェッジウッドの写真立てに、若い頃の母がいた。
食器棚にはオールドノリタケ。
書くのが面倒くさい。
ブランド品以外は一切なかった。
身につけるもの全て。
上から下まで。
宝飾品も、一番安価なものがスワロフスキーだった。

たまに父が手を休めて、窓を開けたベランダの前に立つ。
身体が前に傾く。
私はすぐに飛びかかれるように身構えた。
何度も何度も。
目が離せなかった。








2021年06月06日(日)

振り返る4
2019年3月、妹は逝った。

あっという間に30分が経ち、会館の人がバタバタ片付けだした。
祭壇の花を顔の周りに飾り、蓋が閉められ、父が号泣しすがりついた。
霊柩車に乗せられ、妹は斎場に行ってしまった。

私たちは車を見送っただけだ。
父は車に乗ろうとした、走り出した車を追った。
息子と一緒に父を引き止め、車道に飛び出さないようにした。
お骨上げもなし、つまり妹の遺骨も遺灰も実家にない。

実家に戻る途中、私が履いていたパンプスが崩壊した。
ヒール部分が取れ、靴底全てはがれた。
10年近く履かなかったパンプスは、こんなふうになるのかと
驚いたことを覚えている。

実家に戻り、喪服を着替えてすぐに、妹の部屋に行った。
父が全て処分すると、大量のゴミ袋を出して
目についたもの全て突っ込み出した。
昔から捨て魔だったが、早すぎないか。
何かしていなければ動いていなければ
おかしくなりそうなのはみんな同じだった。
私と母は、保険証を探した。







2021年06月05日(土)

振り返る3
2019年3月。
生前、妹は何もいらないと言った。
墓にも入りたくない。
戒名も遺灰も遺骨もいらない。
通夜も葬儀もいらない。
彼女の遺言を守るために、父は直葬を選んだ。

両親、私、息子が葬儀会館に向かった。
たった4人だけでお見送りをするのは初めてだった。
妹は棺の中にいた。
祭壇もいらないと言ったはずだったが、祭壇に花が飾られていた。
会館の人がお別れの時間は30分です、終わると斎場に運びますと
言った。

私は妹を見たくなかった。
昔、同級生が首吊り自殺した。
お通夜に行き、棺の中の彼女の顔は苦痛に歪んでいた。
妹は飛び降りた。
だから余計に見たくなかった。

促されイヤイヤ棺に近づくと、中に知らない女性がいた。
30年ぶりに見た顔は、知らない人の顔だった。
だけど妹は綺麗だった。
ほんの少し、ぶつけた頬が赤くなっているだけで
生前同様に美貌は損なわれていなかった。

あっという間に30分が経った。
混乱したままの父は、みんなで写真を撮ると言ってきかなかった。
頭がおかしいと思った。
どうしても撮ると言ってきかない。
会館の人にスマホを渡し、どんな表情をすればいいのか。
撮ってもらった写真を見て安心した。
棺は写っていなかった。
ゾッとした瞬間だった。












2021年06月04日(金)

振り返る2
2019年3月
事件性がないと判断された妹の遺体は、警察署から
葬儀会館に移された。

次に行うのは、普通ならお通夜と葬儀だ。
納棺前に遺体を安置する部屋がいる。

生前、妹は父と話していたそうだ。
何もしなくていい、何もいらない。

妹は葬儀会館にある遺体保管室に入った。
安置ではなく保管だ。
アメリカのドラマで見たコトのある、ステンレスの扉つきのもの
だと思う。
実際見てないから断言できないけど。

実家に帰る前、私は息子に電話した。
父は誰にも言うなと言ったが、私が拒否した。

生前、妹はどんな死に方が一番綺麗か調べたそうだ。
雪山で眠るように逝きたかった。
インドア派の彼女が山に入るなんて想像できないし
山岳救助隊に迷惑をかけるのを考えると勘弁してほしいと
私は思う。

絶対に受け入れられないのが飛び降り自殺だった。
妹は自分の姿や顔に少しでも傷つくようなことを嫌った。
彼女の美貌を保つには、絶対に選択しない手段だった。
なのに、彼女は飛んだ。








2021年06月03日(木)

振り返る1
2019年3月を振り返る。
たった2年しか経ってないのに記憶が曖昧だ。

あの日、父から電話があった。
私は昼寝していて気づかなかった。
何度もかけてるのにと怒鳴られたような気がする。
パニックになった父は何を言ってるのかわからず、ただ妹が
もうこの世にいないことだけわかった。

すぐに母が電話を代わり、私は今から行くと言った。
電話では死因は聞かなかった。
来ても会えないと言われたけど、会うつもりは毛頭なかった。
実家に着くと、私は世間話を始めた。
妹について聞きたいと思わなかった。

時折、咆哮のような泣き声で泣く父。
少しづつ話し始めた。
最後、部屋のドアを閉める寸前、スリッパが散らかっていたそうだ。
いつもはきちんと揃えているのに。
おかしいと思ったのに、そのまま帰ってしまった。

警察から電話があり、まず父が疑われたそうだ。
警察署、妹の部屋、実家と何度も行き来して
そのたびにパトカーで送迎してもらったそうだ。

妹は度重なるストーカーに対抗するため
セコムに入っていた。
だから、警察官と一緒に部屋に入ろうとしても入れなかった。
錠前屋さんを呼ぶとあっという間に開いた。
解錠するのに7万円かかった。
警察官も両親もドアから離れてくださいと言われ
解錠する瞬間は見せなかった。

そんな話や、警察署で尋問まがいのやりとりをした話や
思い出や、後悔や、自分を責める言葉やを聞き
時折泣き叫ぶ父を宥めて、夜を明かした。




2021年06月02日(水)

11年ぶりに
いろんなところのIDを整理してたら、enpituがあった。
数日分読んでみた。

ちょうど妹をアレと呼んで、怒り狂ってた頃の日記だった。
先月、ここの存在をすっかり忘れて、適当に借りたブログに
コトの顛末を書き始めたところだった。

ブログよりここのほうがいいな。
静かだしね。

2019年3月、妹は飛び降り自殺した。


妹はもういない。



2019年3月の初め頃。
日にちが思い出せない。
父から電話があった。
急いで実家に帰り、それから数週間は書類の整理で忙しく
その後の数ヶ月は痕跡を消し去る勢いで売り払った。
司法書士を依頼し、つてを頼って弁護士を依頼した。

妹はまた部屋を変わるつもりだったそうだ。
去年、ふと思ったこと。
湯水のようにお金を使ったのに、なんで賃貸暮らしだったんだろう。
裕福な家庭のお子様は、分譲マンションを買ってもらってるじゃない。
なぜ父は買い与えなかったんだろう?

少し考えて思い出した。
ストーカーや痴漢が妹を付け回したんだ。
そのたびに引っ越しを繰り返したっけ。

11年前に父が手術し、退院後仕事を再開したものの
閑古鳥が泣き収入が激減した。
入院前に、最後の部屋に移ったのかわからない。







2021年06月01日(火)

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