チフネの日記
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2012年08月10日(金) lost 悲劇編 43.越前リョーマ

さっきから外を眺めている千石に、
「もうすぐ晴れるよ。外ばっかり見ても仕方無いでしょ」とリョーマは言った。

「折角の門出なんだから晴れますようにって祈ったのに効かなかったー。
ごめんね、リョーマ君」
「いや、千石さんの所為じゃないから」
天気がどうなんて関係ない。
飛行機さえ飛べばそれで良かった。

八月某日。
今日はリョーマがアメリカへと出発する日だ。
千石と青学の先輩達が一緒になって見送りに来てくれた。
個人戦の方も終わったから皆で見送らないとね!と言ったのは菊丸だ。
湿っぽいのはパスと、以前のリョーマなら断っていただろう。
でも今は、先輩達の好意を素直に受け取れる。彼らのことを大切に思っているからだ。

「おチビ、俺のこと忘れちゃ嫌だよー!向こうでも頑張ってね!」
「英二、ここで騒いだら他の人にも迷惑だろう。皆、見ているぞ」
「向こうに言って、根を上げて戻って来るんじゃねえぞ」
「海堂の今の台詞は照れ隠しも入っているな」
「ハハッ、マムシの野郎、普通に挨拶くらい出来ないのかよ」
「なんだと、桃城!」
「こら、お前達止めないか!
そうだ、越前。タカさんから店の手伝いがあるから来られないけど、よろしくと頑張れって言っていたぞ」
大石の言葉に、「ありがとうっす」とリョーマは頷いた。
乾を挟んで、海堂と桃城はまだやり合っている。どっちも頑張れと声を上げる菊丸を大石が窘める。
いつもの光景に、なんだか安心してしまう。

「越前」
「あ、不二先輩」
穏やかな笑みを浮かべて、不二が話し掛けて来た。
「向こうに行っても、きっと沢山の壁にぶつかるとは思う。
だけど、負けないで。僕との勝負もまだついていないんだからね。絶対、再戦しよう」
「わかっているっす」
その答えに不二はよろしいというように、頭を撫でてきた。
きっと投げ出したりしたらものすごく怒るだろうなと、想像する。
だけど決して逃げるつもりはない。
その位の覚悟を抱いて、行くのだから。

「ほら、千石。君からも声を掛けてあげないと、越前待ってるよ?」
まだ外をを見ていた千石の首根っこを掴んで、「はい」とリョーマの前に投げ出す。
「不二君、乱暴!俺はまだ心の準備出来てないだけなのに!」
そう言ってから、千石は困ったように頭を掻いた。
「わかっていたけど、リョーマ君がいなくなるのはやっぱり寂しいよ。最後までこんなこと言ってごめん。
でも、リョーマ君が望む道を歩んで行くのを嬉しいとも思ってる。
君はやっぱりコートに戻るべきだと思うから」

頑張って、と言った千石の声は掠れていて、泣くのを堪えているのだとわかった。

「うん。ありがとう」

本当に千石には世話になった。友達でいてくれたことに感謝してもし切れない。
記憶を失くした自分も、きっと同じように親しみを感じていたはずだ。

「それでさ、リョーマ君」
「何?」
「俺、お節介だったとわかっていても今日のことを跡部君に連絡しちゃったんだよね。
やっぱりこんな形でお別れするなんて無いと思って。
だから出発ぎりぎりまで待っててくれない?もしかしたら来るかもしれないでしょ」
千石の言葉に、リョーマは笑って「来ないよ」と答えた。
「え?」
「絶対に来ないよ」
「なんで?それってどういうこと?」
「千石さんには話してなかったけど、あの時待っている人との所に戻ってって、言ったんだ。
それで納得しているみたいだった」
「リョーマ君……」
「千石さんにも跡部sんは行くとは言わなかったんでしょ。それで正解だと思う」
「でも、まだ跡部君は」
「いいっすよ、もう」

ニッと笑ってみせると、千石はそれ以上何も言えないというように口を噤んだ。
当事者が納得しているのに騒ぎ続けてもどうしようもないと思ったのだろう。

「おーい、越前。晴れてきたぞ!」
「門出に相応しい天気になったにゃ」
「あれ、虹が出てるよ」
「本当だ。珍しいな」

先輩達が見ている方向へ視線を移す。
雲の切れ間から薄く光が差す中、大きな虹が架かっているのが見えた。

『もし、虹を見付けたら……』

こんな時にどうして、と大きく目を見開く。
一緒にいなかったら連絡をして、必ず二人で虹を見る。
そんなの無理と笑い飛ばすことも出来たのに、交わした約束。
今ここで虹を見付けるなんて思いもしなかった。
だけどもう、跡部に連絡することはない。

(ごめん、約束守れなかった)

さよならと虹に呟いて、別れを告げる。

最後まで酷いことばかり言った自分を、どうか忘れて。


2012年08月09日(木) lost 悲劇編 42.越前リョーマ/跡部景吾

中傷メールを送ったのが忍足だと聞いても、怒りは生まれなかった。
むしろ自分はそんなに嫌われるような人間なのかと、気付かされただけだ。
ここにいるだけで、誰かを不快な気分にさせてしまう。
やっぱり日本に留まっているべきではない。早くアメリカに行った方がいいと強く思った。

「いいのかよ。忍足に文句の一つでも言ってやるべきだったんじゃねえのか」
跡部の言葉に、リョーマは顔を上げた。
そして軽く首を横に振った。

「別に、いい。
元々気にもしてなかった。誰が噂をばら撒いているかなんて、関係ないし」
「お前な……」
答えが気に入らないのか、跡部が舌打ちをする。
「そんなんでいいのかよ。あの噂のせいで知らない連中からも絡まれたり罵られたりしたんだぞ!」
「だから気にしてないtt」
「どうしたそんな平然としていられるんだ。
本当ならお前はそんな風に扱われていい奴じゃない。
追い越そうとしてくる連中を蹴散らして、だけど引っ張っていくような中心にいるべき存在なのに。
それが本来いるべき所だろうが!」
「何、言ってんの」

力なくリョーマは笑った。
跡部は今の自分の何を知っているのか。
無力でボール一つまともに打つことも出来ない。それが中心にいるべきだって?
笑ってしまう。

「俺はもうあんたの知ってる越前リョーマじゃない。
いるべき場所だなんて言われても困るっす」
「越前」
「話は終わったんでしょ。忍足さんのことは誰にも言うつもりはないから、安心していいよ。
俺の所為で揉め事なんて起こして欲しくない。
跡部さんが許すと言ったら、忍足さんはテニス部に戻るかもしれない。氷帝の為にもそうするべきだよ」
「越前!」

歩き出そうとしたリョーマの肩を、跡部がぐっと引き止めに掛かって来る。
振り解こうとしたその時、ぎゅっと後ろから抱き締められてしまう。

「……放してくれない?」
久し振りの抱擁に、カッと頬が赤くなるのがわかった。
記憶を取り戻してからどんなに跡部の腕の中に帰りたかったか。ずっとこうして欲しかった。
好きだって言ってくれたら不安も何もなく、たとえテニスが上手く出来なくても落ち込むことは無かっただろう。
跡部の側に居てくれたら、それだけ叶ったなら、どんなに中傷されても今もこの地で頑張っていこうと考えていたはずだ。

(だけど、もう)
リョーマは拘束している腕を渾身の力を込めて払った。

「跡部さん、もう止めよう」
跡部には別の人がいる。
こんなの裏切りでしかない。
流される前に離れるべきだ。しかし跡部はもう一度抱きついて来た。
「俺が悪いんだ!」
「……?」
「こんなことになったのも俺の所為だ。
記憶が戻ると信じていられなくて馬鹿やったから、お前を不幸にした。
悪いのは俺の方だ」
「何言ってんの?だって俺があんたを捨てたって」
たしかに跡部はそう言っていた。
記憶を失くした自分は男と付き合っていたことを認められずに、酷い形で跡部を傷付けたと。

「違うんだ。全部、嘘だっ」
泣きそうな声で跡部は言う。
リョーマの髪に顔を埋めて、懺悔のように過去のことを語り始める。
「お前に拒絶されてそれでも諦めることが出来なくて、待っていると決めていたのに……。
テニスなんてどうでもいいようなことを言われた所為で、頭に血が昇った。
俺にとってお前のテニスは特別なものだった。それまでの価値観をぶっ壊された、お前が俺の何かを変えたんだ。
だから辞めるなんて許せないって、嫌がるお前を無理矢理押さえつけて支配しようとしたんだ」

後の方は言葉にならなかった。
泣き声のような懺悔に、二年前の真実を知ってもリョーマは跡部が今も苦しんでいることを知った。

(やっぱり、全部俺の所為だ)
誰がなんと言おうと記憶喪失になるような失態を犯したのは自分だ。
その所為で跡部をや香澄を傷付け、テニス部にも迷惑を掛けた。
これ以上苦しめる人を増やしたくない。
だから今出来ることをしようと、跡部の腕からそっと抜け出す。

「謝らなくてもいいっすよ。俺もあんたを傷つけた。
お互い様、でしょ?」
「けど俺はジローに嘘をついてた。本当のことを伏せていた。
だからお前が色々言われるようになったんだ」
「いいから。過ぎたことはもう気にしていないっす。
もう俺なんかの為に苦しまないで欲しい。未来のことだけ考えていればいい」
「未来って、どういうことだ。俺はまだお前のことを」
「跡部さん」

それ以上言わせないように、リョーマは少し大きな声を出した。

「もう忘れよう。終わったことなんだから。
俺達は二年前に別れててる。そうっすよね?」
「お前は、どうしてそんな風に言うんだ」

諦めきれないというように、跡部は距離を詰めて来る。

「お前だって本当はまだ俺のこと好きなんだろ!
だからそんな風に言って身を引こうとしている。そのくらい、気付かないとでも思っているのか!?
わかっているのに、このまま離れるなんて出来るかよ!」
「跡部さんには、……待っている人がいるでしょ」

突き放すように言うと、さすがに跡部は口を閉じた。
「もうこれ以上、不幸になる人を増やしたくない。
だから、跡部さんはその人の所に帰って欲しい。
それが誰が見ても正しい道だと思うから」

反対されることも後ろ指差されることもなく祝福される相手がいるのなら、
そちらを選ぶべきだ。

リョーマは跡部に背を向ける。今度こそ、決別する為に。
「越前!」
名前を呼ばれても、振り返ったりはしない。
しかし跡部は尚も語りかけて来る。
「忘れられるのか?俺は結局忘れることなんて出来なかった。
あれから雨が降る度に虹を探してた!見付けたらお前に教えて、一緒に見たい。今だってそう思っている。
これから先だって!
その約束すら忘れるのか?」

問い掛けに答えず、リョーマは足を踏み出す。
振り向いたらいけない。ぐっと堪えて、そのまま歩く。

(約束、覚えていたんだ)

とっくに忘れられていると思っていた。
虹を見つけたら、一緒に見ようって約束してた。その場に一緒にいないのなら、駆けつけても二人で見ようと。出来るかどうかわからない約束だった。
記憶を取り戻してから一度も虹は見ていないけど、もし見付けたらきっと一番に跡部のことを思い浮かべていただろう。
自分だけが覚えていたんじゃないとわかって、嬉しくなる。

(もう、十分だ)
だからリョーマは嘘をつくことにした。
約束を覚えてくれた。それだけで幸せだと思ったから。
他の人の幸せを祈る為に、嘘をつく。

「忘れたよ、そんな約束」
最後まで顔を見ることなく、早足で跡部から離れた。












小さくなって行く背中を引き止めることは出来ない。
リョーマは嘘が下手だ。忘れたなんて出任せだとすぐに気付いた。
顔を見られたらばれてしまうからずっと背を向けていたのがいい証拠だ。
無理矢理にでも肩を掴んでこちらを向かせたら、もしかしたら観念して自分の気持ちを認めたかもしれない。
しかし跡部はそうしなかった。

『これ以上、不幸になる人を増やしたくない』

あれはリョーマの本心だった。
もしここで跡部がリョーマを選び共にいたいと行動したら、それはあかりを捨てることを意味する。
彼女は何も悪くない。
親が引き合わせた相手とはいえ、自分を好いてくれている。
これはあかりに対する裏切りだ。
リョーマはそれをわかっていた。
だからこそ跡部の気持ちを決して受け入れようとはしなかった。
無理に引き止めても、拒まれるだけだ。
あかりが泣くくらいなら、本心を殺す道を選んだのだ。

(それがお前の望みなんだな)
わかったと、跡部は力無く呟く。
もうこれ以上彼にしてやれることはない。関わることも許されない。
あかりをの不幸にしないでやってくれ。リョーマがそう望むのなら、自分はそうするまでだ。

(帰るか、俺も)

望んでいない日常へ。
リョーマのように一番の願いを押し殺して生きていく。
それが罰なのだと自分に言い聞かせる。
リョーマとは反対方向に歩き出し、フェンスの角を回ろうとした所で人影に気付く。
じっと立ち尽くしているので何だろうと目を見張ると、「景吾さん」と呼ばれた。

「あかり?」

そんなはず、彼女がここにいるわけがない。だってまだこちらから連絡をしていない。
大会で忙しい、ひと段落ついたら会おうと約束し、あかりはそれを守っているものだろうと思っていた。
だけどそこに立っているのは紛れもなくあかりだった。
いつからそこに立っていたのかはわからない。
汗で張り付いた前髪を気にすることなく、少しうつろな目でこちらを見ている。

「景吾さん。用事は終わりました?」
「あ、ああ。けどなんでここに」
「すみません。どうしても景吾さんに会いたくて、急でしたけど家へ寄ってしまいました。
今日はこちらに来られていると聞いて、少しでも会えたらと思って、それで……」

あかりは俯いた。小さな肩が震えている。
大勢の観客がいる中、必死で自分を探していたのだろう。
会いたい、それだけの為に。決して楽な作業じゃなかったはずだ。
でもあかりは諦めることなく、探し当てた。
見付けた時、不穏な空気を察して出て行くことすら出来なかったのだろう。
用が終わったら、声を掛けようと後をつけて来たのかもしれない。
そのまま帰っていたら、知らずに済んだのに。
跡部の本心を知ることもなく、あかりは幸せなままでいられたはずだ。

「すまない、俺は……」
あかりに知られた今、取り繕うものなどないと跡部は思った。
誤魔化した所で、余計傷付けるだけだ。
ここで終わりにしたほうが彼女の為にもなる。

だがあかりは顔を上げて、跡部の言葉を遮った。

「何も謝ることなんてありません。勝手について来た私が悪いんです」
「あかり……」
「もう用事は終わったのでしょう?私と一緒に帰りましょう」

一歩踏み出して、あかりは跡部のシャツをぎゅっと握り締めてきた。
先ほどのリョーマとのやり取りを見ていたはずだ。
心がリョーマに向いていると知った上で、何もなかったことにするのか。

「帰りましょう、景吾さん」

離さないとばかりにきつく握り締めるあかりの手を見て、何も答えることが出来なかった。
返事が無いのにも関わらず、あかりはシャツを引っ張ったまま歩き出そうとする。

まるで別方向へ行こうとした跡部を引き戻すかのようだ。
実際、そうしようとしたのだから何も言えない。

ジローの言う通りだった。
あかりに間違いは何も無いと胸を張って言えるわけがなかった。
気持ちはずっとリョーマに向かっている。多分、これからも。
わかっていたのにリョーマに近付いた。側にいたかった。

「今度、私の家へ遊びに来てくださいね。父も景吾さんが来ると知ったら、喜びます」

笑っているが、目はうつろなままだ。
そんなあかりに、目を逸らしたまま頷く。
何も無かったというようにあかりが振舞うのなら、付き合うしかない。
これ以上追い詰めたら、どうなるかわからない。そんな空気を感じ取った。

(俺の、所為だ)

彼女の笑顔を奪った、その罪を償っていかなければならない。

シャツを掴んでいた手が移動して、跡部の手を痛いくらい握ってくる。
この先も絶対に離さない、というあかりの決意を思い知らされた。


2012年08月08日(水) lost 悲劇編 41.跡部景吾

千石は自ら「俺、席外すね」と言ってくれた。
「俺がいない方が忍足君も本音を話しやすいと思うんだ」
そう耳打ちして、去って行った。
千石の後に続こうとしたリョーマに「お前は関係者だろうが」と跡部は引き止めた。
「こいつの話を最後まで聞く義務がある。違うか?」
「……」
忍足は何も言わない。どっちでも良さそうな顔をしている。
まるで関係ないという態度に、ムッとする。誰の所為でこんなことになっているというのか。
しかしまずは言い訳を聞いてからだ。

跡部とリョーマ、そして忍足の二人は会場から少し離れたテニスコートまで歩いた。
決勝が終わったばかりなので辺りには誰もいない。
話をするにはちょうど良かった。
立ち止まり、跡部は改めて忍足の顔を見た。

「なんや。言いたいことがあったら遠慮せんと言えばええやろ。
そうやってじっと見られると落ち着かんわ」
「茶化す場面じゃねえぞ」
「茶化しているわけやない。いちいち突っ掛かってくんなや」
はあ、と溜息をつかれる。
なんでこっちが困らせているようになっているんだよと、跡部は思った。
今回のことでどれだけ迷惑を掛けられたか、忍足は事の重大さに気付いていないのか。
まさか、と首を振る。

「じゃあ聞くが、お前があの女達に指示を出して越前の噂をばら撒いたのは事実なんだよな?」
あの女達、というのは勿論中等部の二人組みだ。

『こうすればジロー先輩が喜ぶからって、そう言ったんです』
『それに忍足先輩だって協力してくれたら嬉しいって』
『だから色んな人にメールして、その度毎に先輩は褒めてくれました』
『ジロー先輩もたしかに喜んでいたから、余計に止められなくなって』
『忍足先輩に言われるまま、続けていました』

お前らの名前を公表されたくなかったら、大人しく知っていることを全部話せと、
跡部の強い口調に本気を感じとった二人は、泣きながら真相を喋った。

「結構あっさり喋りよったな。結局、その程度か」
利用した二人のことを呆れたように言う忍足に苛々させられる。
お前が唆したからだろと言いたいのをぐっと堪えた。
被害者は自分じゃない。リョーマだ。
そのリョーマが黙ったままなので、文句を言いたくても言えない。

「じゃあ、認めるのか」
「そうや。俺があの子らに頼んで噂をばら撒いてもろうた。
ジローが越前のこをと嫌ってるのは知ってたからな。
都合の悪い噂を流したらジローが喜ぶ。詳しい情報を話したら親しくなれるって教えてやった。
実施、ジローも嬉しそうにしてたやろ。
越前が困ればいいって、俺にも言っていたからなあ」
「忍足っ」
「ああ。関係ない話やったな」
忍足は悪びれもせず笑いながら話している。
信じられない思いで、顔をまじまじと見る。

一体、こいつは誰なんだ。
中等部から一緒にチームメイトとして側にいたはずの男が、全く知らない他人のように映った。

「俺は、お前が関わっているなんて信じたくなかった。
あの女達が嘘をついていると今でもそう思いたい。
けど、これが真実なんだな」
「思いもしなかったか?」
小さく笑う忍足に、ぷつっとそれまで堪えていた何かが切れた気がした。

「笑い事かよ!」
胸倉を掴んで叫ぶ。
するとそれまで黙っていたリョーマが「跡部さん!」と腕を掴んで止めに入って来た。
「こんな所で問題起こすのはまずいっす!」
「うるせえ!こいつが今回の元凶なんだぞ。平静でいられるかよ!」
制止するリョーマの声を無視して、忍足に詰め寄る。
「なんであんな噂をばら撒いた!?越前がお前に何したって言うんだよ!」
「何も。ただ越前が困ればいい。そう思うからやっただけや」

こんな状態でも忍足は平然としている。
何を考えているか、跡部には全く読めない。

「ショック受けとるようやなあ。けど、これが真実や。
俺があの二人をけし掛けて、越前の悪口をばらまいた。犯人がわかってすっきりしたか?」
「……何故そんなことをした。困ればいい、なんてふざけた理由だけじゃないだろ」
ようやく声を絞り出して問い掛ける。
忍足の言っていることがわからない。
なんでそこまでしてリョーマを傷付けたいと思ったのだろうか?
二人の間に接点がそこまであったとは考えられない。
しかし忍足はわかっていないなという目を向けて来た。

「困ればええと本気で思うてたよ。いっぺん位痛い目に合うべきやってずっとそう考えてた」

忍足の言葉に目を見開く。
痛い目に合うべきだって?リョーマの態度が生意気だから?嫉妬する位に才能が溢れているからら?記憶喪失になって青学に迷惑を掛けたから?記憶が戻って彼女を傷つけたから?
でもそんなこと、忍足が決めることじゃない。

「お前がやったことで、こいつがどんな思いをしたかわかっているのか!?
知らない連中に絡まれ、陰口を叩かれて、傷付かないはずがないだろ。
ふざけんな!」

抑えられない言葉が溢れてしまった。リョーマに任そうと思っていたはずなのに、堪えられなかった。
それでも跡部の言葉に、忍足は興味なさそうに答える。

「けど、俺と同じようなことを考えとる奴は他にもおるやろ」
「何!?」
「最初にあの子らをけしかけて噂をばら撒かせたのは確かに俺や。
なのに他にも、噂を流した奴がおる。言っとくけど、俺はそっちとは関わってないからな。
それに根拠が無い噂に、反応した連中も同じや。
越前のこと嫌いやから、一緒になって叩いてたんとちゃうか?
結局、越前は周囲から邪魔者みたいに思われてたんや。日頃の行いか知らんが、自業自得やな」

悪意を口にする忍足に、呆然とする。
さすがのリョーマも顔色を失って、言葉も出ないようだ。
たしかに忍足とは別に、青学にも噂をばら撒いていた人物はいた。
しかしこの言い方はあんまりだろう。そこまで言われるようなことだろうか。

「お前……そんなことがいい訳として通ると思ってるのかよ?」
「思うてへんよ。けどそれだけ大勢の人間が越前を不愉快にさせる存在だと認識していると理解してもらわんとな」
「忍足!」

これ以上聞きたくないというように大声を上げると、
「図星を指されたからって、怒ることないやん」と笑われた。
「存在するだけで嫌われるとか、気の毒やなとは思うてるよ」
「てめえは本気でそんな風に思ってるのかよ?」
問い掛けに忍足は「そうやな」と頷いた。

「勿論越前に全ての原因があるとは思うてへん。
あの越前南次郎の子供として生まれて、才能を引き継いで、それを伸ばせるだけの恵まれた環境にいることは越前の所為やないからな。
それを妬むのは筋違いや。けど、割り切れんものもある。
なんでこいつばっかりが恵まれているんや。
しかも一度はテニスを捨てたんやで。記憶を失くしたからもうテニスはやらないって我侭言いよって、おかしいやろ。
やる気さえ出せばまた上を狙えるんやで。理解者も周りにおるのに、こいつはテニスをあっさり捨てよった。
お前のことも!
あっさり捨てたくせに、記憶が戻ったらyりを戻したい?
そんな都合の良い話がるかい。全部、自分の思い通りにでもなると思うてるんか。
ほんまムカつくわ」

忍足の言葉を聞いて、それは違うと心の中で呟いた。
リョーマが自分を捨てたんじゃない。
酷いことをしてその罪から逃げたのは俺だ。
しかしそれを口にする前に、
「言いたいことはこれだけや。もう帰っていいか」と言われる。

「俺が噂をばら撒いた犯人やってわかった今、もう用は無いはずやろ」
「忍足……」
「安心せえ。俺はテニス部辞めるつもりや。接点を失くした方がお互いの為になるからな」
「本気なのか?お前、こんなことでテニス部辞めるつもりかよ!?」
意外な言葉に、声を上げる。
忍足は想定内という顔をして、肩をちょっと竦めた。
「本気や。それにお前かて俺をチームメイトとして見ることは出来へんやろ。顔も見たくはいはずや。
それに俺がいたって足を引っ張るだけ。全国制覇出来るほどの才能はもってないからな。今回の大会でよくわかった。
叶えることが出来るのは……」

ちらっとリョーマを見て、忍足はすぐに目を逸らす。

「ほんまもんの天才だけや」

歩き出す忍足の背中に、跡部は声を掛ける。

「そんなもの誰が決めたんだ。才能が無いからって勝手に諦めているのはお前の方だろ。
それでも上を目指してみろよ。挑戦する前に逃げ出すなんて、それこそ格好悪いだろうが!」

足を止めて忍足は顔だけこちらを向ける。

「お前は持っている側のやつやからな。
きっと俺の気持ちは理解出来ん。それで、ええんや」
「忍足っ」

ひらっと手を上げて、忍足は去って行った。

理解出来ないなんて、そんなはずはない。

(俺も、リョーマの才能に嫉妬していた)

自分より年下なのに、試合に負けて、その上ライバルだった手塚に認められていて、
それにテニスを続けることを反対されている環境でもなく、むしろ両親から応援されてる。
好きな道を進んでいけることを羨んだことだってあった。
だけど、それ以上にリョーマのことを認めていた。
いずれテニスで世界のトップに立つのが当然というように受け止めていた。
自分はそこに行けないのは薄々わかっていて、それを悔しく思う気落ちはたしかにあったのだ。

(俺が持っている側なんて、とんだ勘違いだ)

リョーマの近くにいたからこそ、自分はそこまでの才能がないというのを嫌でも自覚させられた。

(けど、やっぱり嫌いにはなれないんだ)

妬みを通り越す位の強い気持ちで惹かれていた。好きだったんだ。
真正面からリョーマの顔を見て、あの頃の気持ちを思い出した。


2012年08月07日(火) lost 悲劇編 40.跡部景吾

千石からの電話は意外過ぎる程の報告だった。
リョーマの噂をばら撒いていたのは元彼女の友人で、しかも謝罪の場に現われなかったという。
だがリョーマはその結果を受け入れ、これ以上大事にしないと決めたらしい。
あいつらしいな、と跡部は思った。

親友の為に、リョーマを陥れようとした。
見知らぬ連中から中傷誹謗を受けたことを、いい気味とでも思って眺めていたのか。
一体、どういう気持ちなんだろう。そんなことをしても親友は喜ばないとわかっているだろうに。
それとも、もっと別な恨みでもあるのかもしれない。
例えば、本当はリョーマに好意を寄せていて、だけど親友と付き合うことになったから身を引いた。
好意を寄せてたからこそ、これだけ憎むようになったという考えもある。
最も、直接その人物と話をしたわけじゃないから想像に過ぎない。
どちらにしろこんなやり方は間違っている。歪んでいるとしk思えない。


「ねえ、信じられる!?あのメールの所為でリョーマ君がどんなに迷惑したのか、そういう所全く気にしていないいだよ!」
千石の興奮は収まらない。大声にもう少しトーンを落とせと思いつつ、
「越前が決めたことだろ。それ以上騒いでも無駄だろ」と告げる。
「そうだけど……。あ、でもメールを出した人は他にもいるんだって!
これってまだ解決してないてことだよね?
青学の中には、もういないってことかなあ。宍戸君とか慣れないながらも頑張っていたのに、結局他校生に出来ることは限られるね」
「ああ、宍戸と鳳に会ったんだってな。お前も青学の方を探っていたとか」
「そりゃ、可能性あるなら情報を得る為に足を運ぶよ。
青学の犯人はわかったとして、氷帝の方はどうなのかな?」
千石の言葉に、跡部は少し考えてから結局伝えることにした。
掴んだ情報は公開するべきだろう。千石もずっとリョーマの為に動いてくれていた。黙っているわけにもいかない。
「いや。そっちの方の犯人ならもうわかった」
「え、跡部君、わかっちゃったの?いつから?」
「わかったのは昨日だ。それで越前にどう連絡するか考えていた所だ」
跡部にしては珍しく一晩悩んだ。
犯人の所へ行って、お前がやったのかとかと問い詰め、リョーマに謝罪させる為に引っ張って行くか。
それともリョーマに話して、判断を任せるべきか。ずっと考えていた。
「ひょっとして、もう一人の犯人って、跡部君の知り合いとか?」
勘の良い千石は今のやり取りだけで何か気付いたようだ。
「ああ。理由はわからないがな。そいつがやったのは確かだ」
「それで、どうするつもり?」
「お前の話を聞いて、どうするか決めた。
越前とそいつを引き合わせる。謝罪するかはわからないが、やったことは認めさせる。
その上で越前がどううしたいか決めてもらう」
「引き合わせるって、どうやって?」
「そこはお前の出番だろ。うまく言い包めて越前を連れ出して来いよ」
「えー、でも跡部君と会いたくないって言われているのに?
騙して会わせたら絶対怒られるよ。そんなのやだなあ」
「言ってる場合か。なんとかしろ。
偶然を装って会ったことにするとか出来ないのか」
「無茶言わないでよ。……待てよ。そうでもないかも」
ハッと思いついたように千石は声を上げた。
「いい考えでもあるのか?」
「偶然を装うとしたら、これしかない。跡部君、明日は時間ある?」




千石が思い付いたアイデアは悪くないもので、すぐに決行することにした。
これならリョーマと自然に外で会うことが可能だ。
―――全国大会決勝戦の、会場。
青学と立海の試合に、リョーマも観戦しに来ている。
中傷や絡まれることを恐れて、こういう場には来ないかと思ったが、
千石の話では青学の先輩達に是非と言われたらしい。
二年前の大会で遅刻した上、記憶を失くして決勝に間に合わなかったリョーマを呼ぶなんて、
どういうつもりだと思ったけど、もしかして彼らは苦い思い出を乗り越えて欲しいかrこそ会場へ呼んだのかもしれない。
あの時はリョーマが間に合わなかった為、優勝を逃したとも言われている。
だけど青学の連中はそんな風には思っていないはずだ。
一人一人力を出し尽くし、その結果が準優勝だっとしても彼らは胸を張ってそこに立っていた。
手塚も悔いはないという顔をしていた。
青学の連中が納得しているというのに、どうして外野があれこれ言うのか、跡部には理解出来ない。
記憶を取り戻した今、テニス部に本人が戻りたいと思うならそうさせてやればいい。阻止するのは間違っている。
リョーマが戻りたくないと考えているなら、そっとしてやればいい。
苦しんでいる彼をもっと思い詰めたいと考え、噂をばら撒こうとするなんてどういう気持ちなんだろう。
全く理解出来ない。

気がつくと、コートの観客席に歓声が飛び交っていた。
ダブルスで先制勝ちした青学は次のS1では負けてしまった。
勝敗が決まるS2では不利かと思ったが、接戦の末ついには立海の選手を追い詰め、勝利を掴んだ。

「青学の優勝か」

呟いた後ちらりと後ろを見て、「行くぞ」と声を掛ける。
この後、リョーマを一緒に来た千石と合流することになっている
偶然を装い、会場で顔を合わせたという設定だ。
わざとらしいがこれしか方法が無い。
ぼやぼやしていると人混みに紛れて見付けることが難しい。
そう思って外へ出ると、ちょうど立ち止まって千石と話しているリョーマを発見した。
跡部が来ると思って、千石はここで引き止めてくれたようだ。

「おい、あれって」
後ろから聞こえた声を無視して、大股で二人に近付いて行く。

「よお。お前らも来ていたのか」
「あ!跡部君」
「……」
跡部の登場にリョーマは目を見開いた後、すぐに俯いた。
拒絶の反応に傷付くが、今はそんな場合じゃない。
「ちょっと話出来ないか」
「何言っているんすか。俺はもうあんたとは」
「大事な話だ。今しか出来ねえ」
「だからもうそういうのは困るって言っているのに」
「目を合わせないよう顔を背けるリョーマに「例の噂の件だ」と跡部は言った。

「そうだろ、忍足。お前、越前に言わないといけないことがあるよな?」
関わりたくなさそうに距離を取っていた忍足に向かって、そう告げる。
今日ここに決勝を見に行かないかと誘った時に怪しまれるかと思ったが、
忍足は「たまには付き合うか」と言って乗って来た。リョーマに引き合わせる為とは疑ってなかったおかげで、スムーズに事が進んだ。
忍足とリョーマを顔を合わせて、そして全てを話してもらう。その目的の為は達せられそうだ。

「俺が越前に?なんのことや」
惚けようとする忍足に「全部わかってる」と冷静に告げた。
「お前が命令していた後輩達から話を聞いた。
もうわかっているんだ。指示してメールをばら撒いていたのも、あの二人から聞いた。
言い訳出来る状況じゃねえんだよ」

忍足はそれを聞くと、はあっと溜息をついた。
「なんや。結局俺の名前出したんか。俺の為にとか言うても、案外もろいもんやな」
「え、え?じゃあ、あの噂をばら撒いていたのって忍足君?
なんで?リョーマ君を恨む理由ってあったっけ?」
千石が場違いのような声を上げる。
忍足に理由があると思えず、驚いているのだろう。

「少し場所変えるぞ。ここで話をすると面倒だろ」
会場からは人がぞろぞろと出て来ている。
誰かに聞かれていい内容ではない。
「俺もいかなあかんのか?」
面倒くさそうに言う忍足に、「当たり前だろ」と睨みつける。

「誰の所為で越前が迷惑したと思っているんだ。
言い訳の一つくらい、してみせろ」
「言い訳ねえ……」
ちらと忍足はリョーマを見て、「ま、ええけど」と言った。

「越前も来い。どうするのか決めるのはお前だからな」
ここで拒否されても無理矢理引っ張っていくつもりだった。
声にそんな決意が滲んでいたのか、リョーマは目を逸らしたまま「わかった」と頷いた。


2012年08月06日(月) lost 悲劇編 39.越前リョーマ

今日、リョーマは噂に関わる人物と会おうとしていた。
不二からある人物の名前を聞いた翌日、千石と待ち合わせをして指定の場所へと向かった。


「来ないかもしれないよ」
千石の表情はずっと固いままだ。
直接乗り込んで行くというのを、リョーマの説得によって止めていた。
本人に直接話を聞かないと、確かなものはわからない。
犯人と決まったわけじゃないと言って、引き下がらせた。
それでも納得はしてないようだ。
「このまま逃げたらどうするつもり?」
「どうもこうもないっすよ。俺はそれでも構わないって思っている」
「駄目だよ、そんなの!あんなメールばら撒かれた所為で、色々言われたのに!」
不満の声を上げる千石に「気にしてないっすよ」と返す。

「どうせ向こうに行ったら忘れる」
淡々と言うリョーマに、「出発、来週なんだよね」と千石は小さな声で言った。

今朝、南次郎から出発する日を聞かされた。近々だと言われてたから、驚くことも無かった。
準備しておけよと言われて、明日にでも行けると言ったら南次郎はちょっと笑った。
いつだって旅立てる。心の準備はとっくに出来ていた。

「俺、見送りに行くからね」
「え。別にいいっすよ。面倒でしょ」
「そんなことないよ!リョーマ君の門出を祝ってあげたいから、絶対に行く!」
強く主張する千石に、それ以上遠慮するのも悪い気がして、
「好きにすれば」と答える。
実際、一人で行く方が気が楽だけど、記憶を取り戻してからずっと親切にしてくれた千石に来るななんてとても言えない。
見送られて、出発するのもこの際有りだろう。

「着いたよ」
指定のファミレスを前にすると、千石の顔から笑みが消えた。
話し合いに来ただけだからともう一度釘を刺して中へと入る。
くるっと店内を見渡すと、約束していた人物が先に座っていたのに気付く。
店員に待ち合わせをしていることを告げて、席へと移動する。

「早かったね。待ち合わせの三分前だ。リョーマにしては珍しい」
茶化した口調だが、笑ってはいない。
今からする内容の事で、不安なのだろう。

「香澄ちゃん」
千石が彼女の名前を呼んだ。
それだけで悪いことをしたかのように、びくっと身を縮める。

「リョーマ君から話は聞いたよ。ねえ、本当のことなの?」
「……」
「黙ってちゃわからないよ。説明してもらえると助かるんだけど」
「千石さん」
そんなに責めるように言わなくても、と咎めると、
「だって」と千石は不貞腐れたようにソファに背を凭れさせた。

「なんで香澄ちゃん一人しかいないの。一緒に来たんじゃないの?」
「それは、遅れてくるって連絡があて」
「逃げたんだ」
「違う……、と思いたい。でも、もう少し待って」

お願いと言う香澄に、リョーマは「待っていよう」と言った。
千石は納得していないようだが、黙ってメニューを手に取って捲り始めた。
いつまでも待っていると、無言で訴えているようだ。


昨日、不二から手掛かりになるかもしれないと教えてもらった名前は、全く知らない人だった。
誰、という顔をするリョーマに、不二は更に情報を追加した。

「君が付き合っていた彼女の友達だよ」

そこでふと、閃くものがあった。
リョーマが青学へ行った日、香澄は友人達と一緒だった。
誰とははっきりはわからないが、敵意のような目を向けられたことを覚えている。
その後、青学に行ったことが噂として流れていた。
擦れ違った中の誰かかもしれないというリョーマの推測は合っていたのだ。
ジローが会いに来た日に自宅近くをうろうろしていたのもきっとその人だ。
不二に礼を言って、この件は自分でハッキリさせるから誰にも言わないで欲しいとお願いした。
勿論、不二や他の先輩達はリョーマに任せると言ってくれた。
すぐい香澄に連絡を取り、先輩が調べていると前置きをして、その友人の名前を出し、心当たりは無いかと尋ねた。
まさか、と最初はなかなか認めなかったが、一度本人に確認してみると言って、
しばらくしてからリョーマに連絡が入った。
その友人は白を切っていたが、青学の高等部の先輩までもが調べていると聞いて、
観念してメールをばら撒いたことを認めたらしい。
詳しいことは今日会って話す、という段取りになっていた。
千石から連絡が来て、この件を話すと「俺も一緒に行く!」と主張して譲らなかった。
「だってリョーマ君一人で言ったら、上手く丸め込まれるに決まっている!
そんなの納得出来ない!」
香澄にまで連絡を取り、結局同行することになってしまった。
ここまで迷惑掛けてしまったからには仕方無いと、最終的にはリョーマも納得して千石を連れて来た。
しかしこの険悪な空気は、どうも頂けない。



「香澄ちゃんはその子から話を聞いているんだよね?理由とか知ってるの?」
千石の問い掛けに、香澄は首を振った。
「それが……、噂を流したことは認めたけど、理由までは教えてくれなかった。
リョーマに会ったら直接話すって言ってた」
「そんなこと言ったって待ち合わせの時間になっても来ないじゃないか」
時計を見て溜息をつく千石に、リョーマは困ったように眉を寄せた。
この分だと本人が来たら、ケンカになりそうだ。

まさか千石は女の子を殴ったりしないだろうが、ずっと不機嫌な顔をしたままのも困る。

席を外してもらうべきか考えている間に、香澄の携帯が着信を知らせた。
「もしもし?」
香澄は小声で一言二言話してから、
「あの、リョーマに出てもらいたいんだって」と携帯を差し出した。
それを聞いて、千石の顔色が変わる。
「ちょっと待ってよ。それって結局来ないってこと?」
「落ち着いてよ、千石さん。今はまず話を聞く方が先でしょ」
言い分すら聞いていないのに、文句を言うには早過ぎる。
そう思って、リョーマは携帯を受け取った。

「はい」
『越前君?』
「そうだけど」
「今すぐここに来るように言ってよ!」
横槍を入れる千石に、いいからと手で制して立ち上がる。
「ちょっと携帯借りる。話、外で聞いてくるから」
「リョーマ君!」
「ごめん。でもどうなるかは、俺が決めたいんだ」
そう言うと千石は「わかった」と顔を伏せた。
そのまま店の外へと出る。

「今。外に出た。他の人に聞かれることは無いよ」
改めて携帯の向こうにいる香澄の友人にそう告げると、
『そう。どっちでも良かったんだけど』と言われた。
『わかっていると思うけど、私は店には行かない。
越前君の顔も見たくないし、謝罪もしたくないから』
「そんな気がしてた。別に来なくても、俺もどっちでも良かったし」
『へえ。余裕だね。いざとなったら先輩達が出て来るから、自ら制裁する必要もないって?』
「制裁なんて考えてない。ただ、あんたと話をして決着つけたって形にしとかないと周りが納得しないから。それだけ」
棘のある言い方をされても、なんとも思わなかった。
香澄一人しか店にいなかったことから、察していた。多分、この人は噂をばら撒いたことを反省もしていないし、謝るつもりも無かったのだろうと。

『私、今回のこと後悔してないから。越前君が困ればいい、そう思ってたんだ』
「理由は、香澄のこと?」
香澄の名前を出すと「そうよ」とあっさりと認めた。
『記憶が戻ったらあっさりと香澄を捨てるなんてあんまりじゃない。
もう一度好きになればいいのに、あんたはそうしなかった。
香澄は黙って引き下がったみたいだけどね、いつも泣いていた。あの頃に戻りたいって。
なのにそんな苦しみも知らずのうのうと過ごしていることが許せなかった』
「……」
香澄とは話をして、ちゃんと別れたなんて言い訳に過ぎない。彼女が泣いていたのは想像出来るから。
わかっていたはずだ。香澄は気持ちを押し殺して、引いてくれた。
だから反論することも出来ずに黙っているしかなかった。


『それにあの噂をばら撒いたのは私だけじゃないよ。
最初のメールが回っているのを見て、便乗しただけ。
私はその後に二回ほどメールを回したけど、後は知らないよ。
あんたには他にも敵がいるみたいだね。無神経な態度で人を傷付けるのは得意みたいだから』

攻撃的な物の言い方は、明らかにリョーマを傷付ける為のものだった。
だが違う、とは反論出来ない。
記憶を失い、そして取り戻した間に傷つけた人がいることは確かだ。
敵意を持つ人がいても仕方無いと、思うしかなかった。

「それで、……香澄には何て説明するつもり?
ここに来なかったことを、後で責められるんじゃないの」
『私から上手く言っておく。
香澄を理由にこんなことやったって知ったら、悲しむだけでしょ。
あんたのことを個人的に嫌いだったとか言って適当に誤魔化すつもり』
「そう」

そんなもので香澄が納得して許すだろうか。
だが彼女ならばそうするかもしれない。
内心で複雑な思いを抱いても、表向きは許して友人として接するはずだ。
リョーマにも、そうしてくれたように。

『一つ、忠告しとく。
最初にメールを送った人物は誰なのかまだわからないから、気を付けた方がいいよ』
「……あんたには関係ない」

それだけ言うと、『そうね。余計なお世話だった』と一方的に通話は切られた。
もう話をしたくないということらしい。

どっと疲れた気がして、リョーマは大きく息を吐いた。
店内に戻るのさえ億劫だ。
きっと千石は今の会話を知ったら怒るだろう。
謝罪させろと騒ぐかもしれない。
香澄にも何て言おう。
後は本人に聞けって?それで納得するだろうか。

どうしようと、リョーマは入り口に立ち尽くす。
外の気温に当てられてか、何一つ良い考えは思い浮かばなかった。



2012年08月05日(日) lost 悲劇編 38.跡部景吾

氷帝が準決勝で当たったのは、立海だった。
真田と幸村は中等部を卒業後、それぞれプロを目指す為に留学していて主力二人が抜けた状態だ。
付け入る隙があると考えたが、全国大会常連校は甘くなかった。
ダブルスはあと一歩の所で負けてしまい、次に跡部が勝ちを拾ったが、結局次のシングルスで負けて、氷帝の夏は終わってしまった。
全国制覇の夢が破れた三年生達は肩を落とし、泣いている者もいる。
来年こそは、と跡部は顔を上げてコートを見渡す。
次にここに来た時は負けない。立海だろうが青学だろうが、どんな相手にも負けない。
来年こそはか必ず大会を制覇してやると心に誓った。

「負けてもうたな。すまん、跡部」
シングルスの試合を落として謝罪するおに「お前の所為じゃないだろ」と跡部は柄にもなく慰めの言葉を口にした。
「もう終わったことだ。それより次の目標に向かって今より強くなれよ」
「……そうやな」
忍足は曖昧に笑った後、「これから反省会するか?」と誘って来た。
「皆で騒いでベスト4に残ったことを素直に祝おうや」
「いや。今日はこれから用事がある」
「なんや。大会終わったら早速デートの予定か?
忙しくて会えなかった分の埋め合わせをせなあかんのか」
そんなんじゃないと言い返そうとしたが、直ぐに思い直して曖昧に頷く。
本当の用が何か、忍足には話せないからだ。

「そういうことならしゃあないな。また後で改めて集まろうや」
「ああ。俺抜きで楽しんでくれ」
「そうするわ」

忍足が去ってから、「今、聞かなくて良かったのか」と宍戸が声を掛けて来た。
「ああ。惚けられたらどうしようもないからな。裏を取ってからにする」
「俺はこういうやり方、好きじゃないんだけどな」
常に正々堂々とを好む宍戸は、こそこそ探るような真似を快く思わないようだ。
それでも情報を集めてくれることには協力してくれた。
犯人が誰なのか、宍戸としても放っておけなかったのだろう。

「その、忍足とジローのファンだって二人組みと今日、会うんだろ?」
「ああ」
「もちどっちかが噂の件と関わっていたら、お前はどうするつもりなんだ?」

本当のことを言うと、二人が関わっていると考えたくなかった。
けれど有耶無耶にすることも出来ず、結局中等部の二人組みと会う約束を取り付けた。
勿論、ジローと忍足には内緒で、ということも言ってある。破ったらどうなるか、少し脅しを入れたことは宍戸には言えやしない。だがあの二人が知らない間に片付ける必要がある。
宍戸に打ち明けたのはこれまで協力してくれたのと、ジローと忍足が関わっている可能性があるか、聞いてみたかったのもあった。

「そりゃ普通に考えたらジローだろ。あれだけ越前のこと嫌っているって態度を取っていたからな。
そう思われても仕方無いぜ」
納得出来る回答だが、本当にそれで合っているのかはわからない。
そもそもジローは跡部がリョーマに近付くことを阻止したかっただけだ。
噂を流す必要が無いように思える。
忍足に至っては動機すら思いつかない。
リョーマとの接点はほとんど無いに等しい。
それでも直接自分が確認するまでは、二人のことを完全に信用することが出来ない。
もしかしたら、と疑う心が消えない。

「俺も一緒に行こうか?」
心配そうな目を向ける宍戸に、「大丈夫だ」と跡部は答えた。

「俺一人で行った方が向こうも話してくれるだろう。ここは慎重にしたい」
「けど、もしあの二人のどちらかが関わっていたら、」
宍戸はそこで口を噤んだ。
その後、跡部が冷静でいられるか、心配しているのだろう。

「その時はその時だ。もう腹は括った。どんな結果が出ても驚きはしねえよ」
「跡部……」
「結果はまた後で話す」
「ああ。けど俺は青学に犯人がいるって説も捨ててない。千石にも協力してもらってるけど、聞き込みは続けるつもりだ」
「そっちは頼む」
「ああ」

じゃあなと挨拶だけして、跡部は車へと向かった。
何が暴かれようが、もう受け止めるしかない。
リョーマに関する噂をばら撒くことだけは止めさせなければならない。
考えるべきは、その一点だけだ。


2012年08月04日(土) lost 悲劇編 37.越前リョーマ

リョーマが桃城からの電話を受けたのは、ベッドに入りかけた頃だった。
昨日と今日とずっと部屋の片づけをしていたので、疲れた。
早く寝ようと思った矢先だったが、相手が桃城となると気付かなかった振りは出来ない。
無下にしたくない相手だからだ。
欠伸を堪えながら、着信ボタンを押す。
「おーっす、越前」
すぐに陽気な声が聞こえて来た。

「夜なのに元気っすね」
「当然だろ。先輩達、今日の試合も勝ったんだぜ。
お前、なんで応援に来ないんだよ」
「行けるはず、ないっすよ」
どの面下げて青学の応援に行けるというのだろう。
二年前、リョーマが決勝をすっぽかしたことを覚えている部員もいるはずだ。
いくらレギュラーだった先輩達が許しても、それで終わりというわけじゃないこと位、リョーマにだってわかる。
むやみやたらに刺激したくない。特に大会前には。

「お前は……。また、そんなこと言ってるのか」
溜息交じりで言う桃城に「すみません」と謝る。
「ま、いいって。気持ちもわからなくもないからな。
じゃ、試合終わった頃に会うのはどうだ?」
不二先輩から絶対にお前を引っ張ってくるようにって言われているんだよ」
「不二先輩が?」

なんだろうと呟くと、「例の噂の件じゃないのか」と言われる。
「あれから乾先輩や菊丸先輩が中等部に顔を出して情報集めてみたいだしよ。
不二先輩も何か掴んだんじゃないか。
俺には何も話してくれなかったけど」
「そうっすか」
本当に何か掴んだのだろうか。
大会中に手を煩わせるような真似をして、申し訳なく思う。
情報がなんであれ、これ以上働き掛けることはしなくてもいいと言う必要がありそうだ。
そして青学の人達にもちゃんとお別れを言いたい。
アメリカ行きを伝える良い機会だ。

「それで明日、俺は何時に行けばいいっすか?」
「来てくれるのか?」
「不二先輩に言われたら、断れないでしょ」
「そうだよなー。俺も説得に失敗したなんて言えねえし。正直助かる」
そこでお互いに笑って、時間と場所を確認してから通話を終えた。

明日、青学の皆にちゃんとお別れを伝えよう。
記憶を失くして決勝をすっぽかした自分にも、最後まで先輩達は優しかった。
次に会えるのはいつになるかわからないけれど、決して忘れたりしない。
そのことだけは伝えるべきだと思いながら、眠りについた。








待ち合わせは会場の外で、ということだった。
終わった頃に連絡すると桃城は言っていたが、連絡は一向に来ない。
こちらからメールを送っても返事はない。
試合がまだ終わっていないのなら、それも仕方無いことだろう。
だが、遅過ぎる。

何かあったんだろうかと、嫌な感じに汗を拭う。
たとえば試合中に誰かが怪我をして、病院に行くこになったとか。。
どうしようと、リョーマは考える。
先輩達にアメリカ行きを伝えるには今日しかないと思っていた。
ここで黙って行くわけにはいかない。
誰かの身の上に何かあったとしたら、尚更だ。

(会場に、行ってみようか……)
誰かに見付かる可能性はあるが、このままじっとしていられない。
それに向かっている途中、桃城から連絡が入るかもしれない。
だったら先輩達を待たせることなく合流できる。
そうしようと、玄関から外へと出る。
今から行けば、むしろちょうど良いかもしれない。
誰の身に何事も起きていないのなら、それでいい。
夕方になろうとしているが、まだ気温は高い。
すぐに額に浮かんだ汗を拭って、リョーマは歩き始めた。






会場について、すぐに気付く。試合はまだ終わっていない。
だから桃城も連絡を送って来なかったのだろう。
しかも。

「タイブレーク?不二先輩が?」

試合しているのは不二だった。
スコアを見て、目を見開く。
かなり長い間、決着はつかないまま時間が流れているのがわかる。
不二も相手もボロボロという状態だ。
それでも諦めずに、ボールに食らい付いている。
この試合、勝った方が決勝へ行ける。
大事な試合だからどちらも譲れないのだろう。
以前、本気になれないと不二は言っていたが、嘘のようにもがいて、必死になってボールを拾おうとあがいている。
それはリョーマが知っているような余裕のあるプレーから掛け離れているけれど、
何故だか今の不二はテニスを、試合を楽しんでいるように思えた。

(頑張れ、不二先輩!)
両手を握り締めて、心の中で声援を送る。
不二に勝って欲しい。青学に勝って欲しいと応援席の片隅でそう願う。
しかし相手も全国大会に出て来るほどの選手なので、なかなか決着はつかない。
ポイントをとってもまた取り返してと、タイブレークは続いて行く。

不意に、いつか見た手塚と跡部の試合を思い出す。
手塚は青学を背負い、肩を犠牲にしてまで戦っていた。
勝利への執着は自分など到底及ばない。手塚の方が上だと認めるしかなかった。
今の不二がその時の手塚の姿をだぶる。
本気にはなれないなんて、誰がそんな風に思うだろうか。

「頑張れ、不二先輩!」

思わず声が漏れた。
こんな片隅から聞こえるはずないだろうに、サーブを打つ瞬間、不二はちらっとこちらを向いた。
そして、笑う。
体ごと飛び込んでボールを拾ったりしている為、あちこち擦りむいて傷だらけだ。
だけど、こんな場面でも笑っている。
(なんだ。まだそんな余力残っていたんだ……)
勝ったなとリョーマが思った瞬間、不二は鮮やかなサーブを打ち、ポイントを決めた。







「決勝だよ、決勝!不二すごーい!」
「やったな、不二!」

歓声が沸く青学テニス部の部員達を遠くから眺めながら、リョーマは観客席から外に出ようとした。
待っていればその内桃城から連絡が来るだろう。
それまで外にいようと考えていたのだが、
「越前!」と名前を呼ばれた。
「待って、越前。帰らないで!」
「不二先輩……」

呼び止めたのは不二だった。
他の先輩達もこちらをみている。
レギュラーの部員達だけじゃない。二年前に在籍していた人も当然いる。

何故ここにいるんだというような不審な目に、やっぱりか、と下を向く。
歓迎されていないのはわかっていたから、隅っこで観戦していたのに、
どうして不二は呼び止めるような真似をしたのだろう。

「おチビー、ちょっと待ってて。すぐに行くから!」
手を振る菊丸に、どう答えたら良いかわからず顔を引き攣らせる。
一瞬、用があるから帰ると言いそうになる。
が、その前意「絶対待ってろよ!」と桃城に釘を刺された。
「折角来たのに帰ることねえだろ。このまま行ったら、先輩達はお前のこと探すぞ!
手間掛けさせたくなかったら、大人しく待ってろ」
「……」
そうまで言われて帰るわけにもいかず、わかったと頷く。
先輩達は大丈夫だと判断したらしく、チームメイトがいる応援席へと移動して行った。

(やっぱり、余計なことをしたかも)

大人しく家で待っていれば良かったと思うが、もう遅い。
願わくば誰かに因縁をつけられるようなことがなければいい。
そう思って身を小さくして出入り口で桃城達を待っていたのだが、
意外にも誰かが何か文句を付けてくるようなことは無かった。
不二や菊丸やレギュラー達が許している所を見て、
自分達が責めるのは間違いだと考えたのだろうか。
本当なら、真っ先に文句を言われてもおかしくないはずなのに。

「おチビー!お待たせっ!」
ぼんやりしている間に、ミーティングが終わったのか、駆け寄ってきた菊丸にぎゅっと抱き締められる。
「菊丸先輩、苦しいっす」
「あ、ごめん、ごめん!」
悪びれることもなく言う菊丸に、いつも通りだなとリョーマは苦笑した。

「おまたせ、越前。試合が長引いた所為で随分待たせちゃったかな?」
皆と一緒に歩いて来た不二にそう聞かれて、「そんなことないっす」と答える。
「嘘付け。待ち切れなくてここまで来たくせによ」
そう言って笑う桃城に「そんなことないっす」と答える。
「でも気になって来たんだろ?素直じゃねえなあ」
「それは……」
「僕は越前が来てくれて嬉しかったけどね。試合を見てもらえてよかった」
にっこりと笑っている不二はもうさっきのようなボロボロの状態ではない。
よく知ってる、穏やかで余裕のある不二だ。
「僕の試合、どうだった?」
「どうって……」
ちょっと考えてから、リョーマは真面目に答えた
「すごかったっすよ。前よりも強くなっているってわかったっす」
「え?本当?」
「うん。今だったら、俺、手も足も出ないかも」
ボールコントロールさえまともに出来ない今、不二と試合しても互角どころか一瞬で決着がつくだろう。
自虐気味に笑うと、「そうかな」と不二は首を傾げた。
「君が本気になったらわからないよ。今はブランクがあっても、いつかは追い越されちゃうかも」
「そんなこと……」
「でも簡単には勝たせないけどね」
ふふっと笑って不二は「そろそろ移動しようか。話があるって言ったでしょ」と言った。
「あ、その前に」
「何?」
「青学の決勝進出、おめでとうっす」

今のリョーマの素直な気持ちだった。
青学の皆が勝ち上がったことを嬉しく思っている。
「ありがと、おチビ!できたらまた応援に来てくれると嬉しいにゃ!」
ぎゅっと抱き締められ、リョーマは困ったように俯く。
自分なんかが行っても良いんだろうか。
迷った素振りを見せると、「無理にとは言わないけどね!」と言われる。

「決勝って、明日?」
「ううん。明後日。明日は調整とかで会場が使えないんだってさ」
「そうっすか」

日にちを空けての全国大会決勝。二年前のことを思い出させるものとして十分だった。
表情を暗くしたリョーマに気付いてか、「行こう」と不二が声を上げる。

「立ち話はもう終わりにしおう。僕、これでも疲れているんだけど」
「あ、そうだったね」
「もう……少しは気遣ってよ」
不二の言葉に笑って、そして皆で歩き始める。
「ところで不二。越前を呼んだということは、犯人の目星がついたってことか?」
ノートを見ながら歩く乾に、「目星ってわけじゃないけど」と不二は言った。

「ちょっと引っ掛かることがあるんだ。
それで越前に聞いて確かめようと思って」
「俺に?」
「うん」

不二の表情から笑みが消えた。
もいかして本当は誰があのメールをばらまいたか、わかっていうんじゃないかとそんな風に思った。


2012年08月03日(金) lost 悲劇編 36.跡部景吾

全国大会2日目。
ダブルスは負けたが、その後跡部がきっちりと勝ちをとり、次のシングルス2も先輩が勝利を収めた。
(次は準々決勝か)
勝ち上がったら当たるかもしれないね、と言っていた千石のことを思い出す。
結果はどうなったのだろう。
確認するかと考えた所で、「跡部」とジローに名前を呼ばれて顔を上げる。

ジローとまともに顔を合わせるのは、あの日以来だ。
二年前の真実を話してから、微妙に避けられていた。
無理も無い。
ジローは跡部の嘘を信じていたから、リョーマに辛く当たっていた。
嘘だと聞かされて、ショックを受けたのだろう。自分のやったことはなんだったのかと後悔して、その反動で自分を恨んでも仕方無いと跡部は思っていた。

今、話しかけてくるのは罵倒する為か。
だとしても受け入れるべきだ。
身構える跡部に、ジローは吹っ切れたような顔を向けて「今、ちょっといい?」と聞いた。

「ああ」
「俺、ね。昨日リョーマに会ってきたよ」
いきなりの話についていけず、跡部は固まってしまう。
リョーマに会った?それで、全部話してきたというのか。
目を見開く跡部に言いたいことがわかったのか、ジローは違う違うというように首を振った。

「ごめんって、言ってきただけだよ。
でも、それで許されるとは思ってない。でもね、謝りたかったんだ」
「そう、か」
「うん。あの時、俺はリョーマを傷付けようと思っていたのは事実だ。
跡部を守りたくて、だから酷いこと言って遠ざけようとしてた。
でも本当のことを聞かされて、自分が間違っているって気付いた。
だから謝罪するべきだって、思った」

跡部は何も言えなかった。
ジローをそうさせたのは自分の所為だ。
だけどジローは責めたりしないで、自分の行動だけを省みてリョーマに謝罪することを選んだ。
全部跡部に責任を被せて、言い逃れることだって出来るのに、そうしない。
ジローの潔さが眩しくて、目を逸らしてしまう。
それに対して何か言うわけでもなく、ジローは静かな口調で話を続けた。

「それで、考えてたんだ。俺、やっぱり跡部が嘘ついてたことをすぐに許すことは出来そうにない」
「……」
「最初から全部本当のことを話してくれたら、驚くかもしれないけど、やっぱり跡部の味方になったと思うよ。
そうしたら、間違えずに二人がどうやったら一緒にいられるか、考えることが出来た。
勿論、言いたく無かったって気持もわかるよ。
わかるけど……それでも言って欲しかった」
「そうだな」

小さく頷くと、ジローは「リョーマには何も言って無いよ」と言った。
「話すかどうかは、跡部が決めることだと思うんだ。
そうだよね?」
「……わかってる」
ジローに話した内容をリョーマにも正直に打ち明けるべきか。
今はどうするのか、答えは出ていない。
罪滅ぼしに悪意ある噂を流している犯人を探し出すことに躍起になってるが、
それらが終わったら、今度は自分の罪と向き合う番だ。
話したら、きっと軽蔑される。
あの時のように罵られて、顔も見たくないと言われるかもしれない。
表情を暗くする跡部に、「責めてるわけじゃないんだ」とジローは言った。

「どうするのかは跡部に任せるから。俺はもう口出ししたりしないよ」
「ジロー」
「嘘つかれたのはたしかにショックだったC、怒ってもいるけど、
跡部は友達だから。
でも、今は少し時間が欲しい。自分が納得出来るまで、考えたいんだ」

嘘ついていたことで、ジローが離れても引き止められないと思っていた。
それでも友達だと言ってくれた。それだけで十分だった。

「じゃあ、明日の試合も頑張ってね」
「おう」

帰ろうとするジローを見送っていると、いつか見た中等部の女子生徒が近付いて行くのに気付く。

「芥川先輩!お疲れ様です」
「あー、うん。でも俺、試合に出てないけど。今日は何?」
「先輩からメールの返事が無いから気になったんで、様子を見に来ました。
ここのところ、忙しかったんですか?」
必死な様子の彼女に、ジローは面倒臭そうに答える。
「あのさ、もう俺にいちいち報告しなくていいから。ああいうメールはもう止めて」
「先輩?」
「だからあんな噂とか、聞きたくないないって言ってるの」
「聞きたくないってどういうことですか?
先輩だって興味持っていたじゃないですか」
「……あの時はね。でも今は違う。
もうそういうのは止めにしたい。面白がるようなことじゃないってわかったんだ」
「そんな。芥川先輩が喜んでくれるから、私は……」
泣きそうになる彼女に「ごめんね」とジローは言った。
「でももう嫌な奴になりたくない。だからメールしないで」
ジローがそういった途端、彼女の顔つきが変わった。
「私とはもう話もしたくないってことなんですか!?そんなのって酷い!」
「そういう、わけじゃ」

困った顔をしているジローに、ここは仲裁するべきかと跡部は身を乗り出し掛けた。
興奮した様子の彼女は、こちらに気付いていない。

「先輩のために色々情報を教えたのに。
あの越前って人が皆から色々言われているのを知って、先輩だって喜んでいたのに!」
「それは、否定しないけど」
「おい、ちょっと待て」
リョーマの名前が出たことで、跡部は黙っていられずに声を上げた。
「今の話はどういうことだ」
「あ……」
跡部がいることに気付いた彼女は顔色を変えて、身を翻して走って逃げてしまう。
いきなりの行動だったので、捕まえることが出来なかった。
「待て!くそっ、ジロー、今の女はなんだ。
なんで越前の話をしていた?」
「それは……」
一瞬言葉を濁すが、隠しておけないと判断したのかジローはすぐに話してくれた。

「リョーマの噂が流れる度に、あの子は俺にこんな話があるって教えてくれていたんだ。
リョーマが困っているのをいい気味だって思っていたから、一緒になって喜んでいた。……ごめん」
「その件は別にいい。今の女の名前と学年とクラスはわかるか?」
「名前ならわかるよ。噂を聞いたら連絡くれるってメアドを交換する時に教えてくれたから」
ほら、とポケットから携帯を取り出して見せてくる。
ちょっと貸せと強引に奪い、さっきの女の連絡先を自分の携帯へと登録する。

「どうしたの、跡部。あの子に聞きたいことがあるの?」
「ああ。お前の気を引くために越前の情報を集めていたとしたら、噂の出所も知っているかもしれねえだろ」
あれだけ必死になる位だ。
ジローに最新の噂を教えるために、常にリョーマの話を気に掛けていた可能性は高い。

「なるほど。そういう考えもあるんだ」
感心したように声を上げるジローに、「そういえば、今日はもう一人はどうした」と尋ねる。
「え?もう一人?」
「今の奴、いつも二人組でつるんでお前に声掛けていただろ」
「ああ。そういえば。
でも、だったら忍足の所に行ったんじゃないかな」
「忍足?なんであいつの名前が出て来るんだよ」
二人共ジローのファンじゃなかったのか。
忍足からはそう聞いている。
しかしジローは「違うよー」と否定した。

「さっきの子は確かに俺のファンだけどもう一人は忍足が目当てなんだよ。そう聞いたもん」
「本当、なんだな?」
「うん」

嘘を言っているように見えない。
じゃあ、どういうことだと跡部は眉を寄せた。
忍足の思い違いか?
いや、あの二人組が忍足に話し掛けているのを見たことがある。
ジローがどこにいるか聞かれたと、忍足はそう言っていたじゃないか。
けれどそれは本当のことなんだろうか。
そもそもそんな嘘をついて、何になるだろう。忍足にとって、メリットがあることなのか?

「跡部?どうしたの?」
顔を覗き込んで来たジローに「なんでもねえ」と首を振る。
そして解散した部員達の中に、忍足の姿を探す。
話を聞こうと思ったが、もう帰ってしまったようで、見付けることは出来なかった。


2012年08月02日(木) lost 悲劇編 35.越前リョーマ

聞き込みなんて柄ではない。
わかっているが、宍戸は自分から引き受けた。
最後までやり遂げるつもりで、目に付いた生徒達に片っ端から声を掛けてはいるが、
成果は芳しくない。

「宍戸さん、もう帰りましょうよ。夏休みだから出て来る生徒もほとんどいないじゃないですか」
「帰りたいならお前は先に帰れよ。付き合う義理は無いだろ」
「そんなこと言っても、宍戸さん一人でどうにかなるものじゃないですよね。
実際、さっきの子達にも逃げられそうになってましたし」
「……」

ちょっと聞きたいことがあると、青学中等部の校門前で声を掛けるだけで精一杯だ。
緊張した顔で尋ねるものだから、相手も身構えてしまう。
噂の件で聞きたいことがと言ったところで不信感を露にして、
皆そそくさと立ち去ろうとする。
鳳がフォローしてくれるおかげで何とか話はしてくれるようになっているが、
情報は何も掴めない。

「今の所、有益な情報もないっていうのに帰るのもな……」
「仕方無いですよ。俺達に出来ることなんてたかがしれてます。
さっさと跡部さんに任せた方がいいです」
「お前な。その跡部が大会で忙しいから、出来ることをしておきたいんだろうが」
「宍戸さんには向いていません。不審者として通報される前に退散するべきじゃないですか」

いちいち本当のことを指摘してくる鳳に反論する気も無く、がくっと肩を落とす。
たしかにもう夕方も過ぎて部活に出て来ている生徒も帰ったかもしれない。
出直すかと顔を上げたところで、向こうから歩いて来る人影に気付く。

「あれ。宍戸君と鳳君?こんな所で何してるの」
「いや、何って」

とっさの言い訳も出て来ない。これじゃ本当に不審者だな宍戸は思った。









すぐ側に、跡部がいる。
だけど触れられない。距離を縮めようと、リョーマは手を伸ばした。
後、少し。だけど届かない。
気付いてと叫ぶ前に、跡部はリョーマに背を向けて、知らない誰か肩を抱いて行ってしまう。
好きだって、言ったくせに。
どうして自分を置いて行くのか理解出来ずに立ち竦む。
こんなの悪い夢だと口に出そうとした瞬間、
「これは現実だ」と誰かが耳元で囁いた。

「……」

目を開けると、まだ室内は暗い。夜明け前のようだ。
こんな時間に目が覚めるのは珍しい。
額には汗をかいていて、それが気持ち悪くて手で拭う。
すると愛猫がのそっと起き上がり、こちらに近付いて来た。
ゆっくりと足音も立てずに来るカルピンは、どうかしたのかというように顔をじっと見詰めて来る。
主人の不安を察知して、心配してくれてるのだろうか。
大丈夫だよというように手を伸ばして、軽くカルピンの頭や体を撫でてやる。
それで伝わったのかわからないが、カルピンはまたもとの寝床へ戻って行った。
朝まではまだ時間がある。
それまでお互い眠っていようという意味なのかもしれない。
だけどさっき見た夢の所為で、目を閉じても寝付けそうになかった。

跡部がもう自分を見ていないことはわかってる。
犯人探しに協力してくれているのは、ただの義務感からだ。
勘違いするなと、胸の内で呟く。
もうすぐ、自分はアメリカへ行く。
そうしたら跡部との関わりは今度こそ消えるだろう。
このまま日本にいたら、ずっと未練を引き摺ることになる。
それがアメリカ行きを決めた理由の一つでもあった。
跡部と顔を合わす可能性がほとんど無くなる場所に行けば、その内忘れていくんじゃないか。
ここに留まっていたら、いつどこでバッタリ会うかわからない。
お互いのためにも自分がここを離れるのが一番良い。

(本当に忘れられるかはわからないけど)

押し切られて付き合い始めたはずなのに、一緒にいるのが楽しなって心地良くなって、自分の心の中に跡部という存在が大きく占められていくのを感じていた。
そんなこと言ったら調子に乗るとわかっているから口に出さなかったけど。

(ちゃんと、伝えておけば良かった)

好きだよと、今言っても跡部には届かない。
想いを口にするだけのことが相手に迷惑が掛かるなんて考えもしなかった。





いつの間にか、眠っていた。
起きた時にはもう家族は起きていた。
朝ご飯を済ませた後、リョーマは部屋の整理に取り掛かることにした。
立ち止まっていても仕方無い。
アメリカへ行く為の準備をしようと、あちこち引き出しを開ける。
いらないもの、持って行くものを分けていく。
ついでに大掃除もしようと思った。
ここでの思い出を全て捨ててしまうくらいの覚悟で、行くまでに空っぽにしてしまおう。
そうすれば少しでも未練がなくなるかもしれない。

ゴミ袋に5枚ほど詰め込んだところで、ふう、と息を吐いた。
時間を確認するともう夕方を過ぎている。
途端に、空腹を覚える。昼ご飯も食べずに掃除していたからだ。
何かないかと階段を降りて、そういえばと思い出す。
今日は両親も従姉も帰りが遅いと聞いていた。
朝ご飯は用意してあったが、昼食は何とかしろと言って小銭を渡されていた。
仕方無い。コンビニまで行くかと玄関へ向かう。
誰かが戻って来るまで待つにはお腹が空き過ぎた。

靴を履き、外へと出る。
空はまだ明るく、軽く吹く風も生温い。
ファンタも買おうかなと思いながら歩いて行く。

(先輩達の試合はもう終わっているかな)

大会真っ最中の青学の先輩達にもアメリカに行くことを伝えるべきだろう。
黙ったまま旅立つよいうな真似はさすがに出来ない。
しかし今は大事な時期だ。彼らには大会のことだけ集中して欲しい。
千石は呼び出されたから言うことが出来たけど、本当は自分のことなんかよりテニスに集中して欲しかった。
そんなことを言ったら怒るだろうから、口には出さないけど。

(先輩達には、大会終わったら伝えよう)
まだ日にちは決まっていない。しかし南次郎の様子から、遠くないと気付いていた。
いつでも行けるようにしておけとも言われている。突然、明日行くと言われても驚かない。
テニスがやれる環境を作ってくれようとしている。そんな南次郎の心遣いは、今のリョーマにとってありがたいものだった。

(あれ……)
コンビニの近くまで来たところで、立ち止まる。
向こうから歩いて来る見覚えある姿に目を見開く。
なんで、ジローがここに。いや、理由は一つしかないだろう。
跡部にもう余計なことをするなと、再び釘を刺しに来たのだろう。
宍戸達へ跡部に話さないでと頼んだが、最後まで頷いてくれなかった。
跡部なら間違いなく突き止めることが出来ると、主張していた。
話してしまった可能性はゼロではない。

しかしそれを知ったジローはどう思ったか。
またリョーマが跡部に近付き惑わせていると受け取ったに違いない。
そんなんじゃないのに。
非難される前に逃げ出そうとすると、「待って!」と引き止められる。

「待って、リョーマ。俺の話を聞いて」
追いかけて来るジローに、リョーマは顔を前に向けたまま答える。
「話なんて無いっす。俺は跡部さんのことをこれ以上振り回すつもりなんて無いっすから」
「違う、違うって!そうじゃないんだ」
追いかけて来る気配に、リョーマはスピードを上げようとした。
角を曲がって走れば、ジローを撒けるはずだ。
が、前をよくみていなかったので、ちょうど死角になっている所に立っていた人にぶつかってしまう。

「きゃっ」
「あ……」
リョーマがぶつかった人はその場に座り込んでしまう。
「大丈夫っすか!?」
慌てて立たせようと手を伸ばすが、「平気」とそそくさと立ち上がって行ってしまった。

「今の、って」
ちらっとしか顔を見ていないが、青学の生徒じゃないだろうか。
制服姿でないから確信は持てない。でも昨日擦れ違った中に居た気がした。

「リョーマ!」
腕を掴まれ、ジローから逃げている途中だったことを思い出す。
「怪我してない?大丈夫?」
「……大丈夫。手、放してもらえるっすか」
「あ、うん」
言う通り手を解放してくれたジローに、「何すか」と目を逸らしたまま言う。
追いつかれた今、逃げ出すつもりはなかった。
一言、二言嫌味を覚悟して終わらせようとリョーマは思った。
しかしジローは予想と全く言葉を口にした。

「この間はごめん。勘違いでリョーマに酷いことばっかり言った。本当にごめん」
「え?」
「許して欲しいとは言わない。
けどこれだけは言っておきたかったんだ。リョーマは悪くないんだって。
全部、俺の勘違いだったんだ」

一体何を話しているのだろう。
ジローの言っている意味がわからず、リョーマは小さく首を傾げる。

「勘違いって、一体どういうことっすか?」
「ごめん。俺の口からは言えない」
ジローは頭を下げた。
「忘れちゃっているんだよね。リョーマは今までの記憶を取り戻したけど、代わりにこの二年間過ごした記憶を失くした。
リョーマが思い出すか、跡部が話さない限り、俺は何も言えない」
「跡部さん?あの人が何か関係しているんすか?」
困ったような顔をして、ジローは目を逸らした。
言いたくないとうことあのか。
それ以上無理に聞き出すこと出来ず黙ったままでいると、
「どうしたらいいかなんて、俺もわからないんだ」とジローは小さな声でそう言った。


2012年08月01日(水) lost 悲劇編 34.跡部景吾

インターハイが始まった。
その前にリョーマの件を解決しておきたかったが、時間が無さ過ぎた。
終わったら、本格的に調査に乗り出そうと跡部は考えていた。
人を使ってなんて生温いやり方は捨てて、自ら情報を聞き回る覚悟もしている。
そうしようと顔を上げたところで、こちらを見ているジローに気付く。
挨拶する前にふいっと目を背けられてしまった。

(俺とは話もしたくないのか)

二年前の真実を語った後、ジローは黙って跡部の家から出て行った。
最低だと罵られた方がマシだった。
無視される方がよっぽど堪える。
それだけのことをした報いだと思って、受け止めるしかない。
嘘をついてリョーマの所為にして、被害者ぶっていた自分の責は大きい。
ジローの気の済むようにしてやろうと思った。

「よ、跡部。いよいよ本番やな」
「忍足」
準備は万端だという顔で、忍足が跡部の横に立った。
「なんだ。さすがのお前もやる気を出しているのか?」
「そりゃレギュラーやからな。初戦のオーダーにも名前が乗ってるし。
これでやる気出んかったら、監督に怒られるわ」
「当たり前だ。大体てめーがやる気になれば、去年だってレギュラー入り出来たんじゃねえのか。
出し惜しみするようなことは許さねえからな」
「出し惜しみなんてしてへんわ。レギュラー入りかて、やっとの思いで叶ったんやからな」
「何言ってるんだ。てめえの実力はそんなもんじゃ」
「あのな、跡部。中等部に入学した当時は、たしかにお前と互角に打ち合うた。
けどそれから何年経っていると思うてるんや。
俺は天才なんかやない。そうだったとしたら、とっくにレギュラー入りしとったわ」
「……」

忍足の意外な言葉に、何を返したら良いかわからずに黙る。
そんなこと、考えもしなかった。天才と呼ばれるのに相応しいと、認めていたのに。

「驚いたか?けど、これが現実や。
今まで先輩達相手に手を抜いとったことなんかない。
負けて、本当に悔しくて、努力してやっとレギュラー入り出来たんや」

困ったような顔をして笑う忍足に、言葉を詰まらせる。
忍足がそこまで努力していたなんて、知らなかった。
手を抜いていたからレギュラー入り出来ないんだと、一年の時にそう怒った時もあったが、
忍足は「勝てへんから、しゃあないやん」とへらへら笑っていた。
先輩に恨まれたくないから面倒ごとを避けてるんだと、そう解釈してたが、
本当に勝てなかったのか。
氷帝は確かにテニスでの名門校だが、忍足なら先輩にだって負けないと思っていたのに。
あの頃、レギュラーを決める試合で負けたのは、演技じゃなかったのか。


「そんな顔せんといてや。俺が強くなったから、レギュラー入りになれたのは事実やろ?
今日は目一杯暴れさせてもらうわ」
「……そうだな。期待してるぜ」
「ははっ。プレッシャーになるから、そこそこにな」

軽口で返す忍足の表情はいつもと変わらない。
中等部の入学直後に対戦した時は本当に強くて、同じ学年でこれほど打てる相手が同じ学校にいるかと思うと嬉しかった。
ずっとその評価は変わらなかった。
お前なら勝てるだろと怒った跡部に対して、忍足は一体どんな気持ちでいたのだろうか。

「跡部。受付に行こうぜ」
三年生のレギュラーに呼ばれ、ハッと思考を戻す。
そうだ。今考えることじゃない。
目の前の大会に集中するべきだ。

「行くぞ」
胸を張り、背筋を伸ばして前へ進む。
今は氷帝の部長として、このチームで勝つことだけを考えよう。






















「あーとーべくん!」



千石が声を掛けて来たのは、一回戦が終わって、すぐのことだった。
さすがインターハイともなると、相手も強くなっている。
しかし忍足がストレートで勝ち、それが勢いになったのか先輩二人のダブルスが僅差で勝ってくれた。消化試合も危なげなく勝ちを取り、幸先の良いスタートを切った。

「すごいね。今年の氷帝は。優勝しちゃうんじゃなの?」
「そういうお前のtころはどうなんだよ」
山吹とは別ブロックの為、勝ち進むまでは当たることはない。
「勝ったよ。けど明日はわからないなあ」
「随分弱気じゃねえか」
「そりゃこれだけ強敵がいたらね。やっぱり俺にとって全国制覇って高過ぎる目標だよ」
「そうかよ。けど俺に愚痴るな。もっと親しい連中にそういうことは言えよ」
「そうじゃなくって。跡部君に会い来たのは、リョーマ君のことなんだけど」
ぴくっと、跡部は眉を上げた。
「あいつのことで何かわかったのか!?」
「ち、違う。そうじゃなくって。跡部君の方で新しい情報を掴んでないのかなと思って、確認しに来ただけ」
「嘘だろ。てめえ、何か隠してるな」
情報を得たら、お互いに連絡し合うという約束をしていた。
なのいわざわざ確認なんて、試合会場も違うのに来たのは、別の意図があるとしか思えない。
「あいつのことで、俺に隠し事をするなよ!」
逃がさないように千石の襟首を掴みかかろうとするが、
「何やってるんだ、跡部」と遮られる。

「宍戸」
「こんな所で揉め事を起こす気か!?」
「揉め事なんて、俺はそんなつもりじゃ」
「お前は部長だろ。それなのに部員を動揺させるような真似するな」
周囲から何事だという目を向けられ、冷静になる。
一回戦が終わったばかりだ。宍戸の言う通り、騒いでいい場所ではない。

「千石。お前も何しに来た」
非難するような目で見るしに「だって」と、千石はもごもとご言い訳をする。
「本当に何も言わないでいいのかって考えたら、居ても立ってもいられなくなったんだ。
だってこのままだと……」
言葉を濁して千石は「やっぱりなんでもない」と首を振った。
「俺から言うことじゃないね。今日、来たのは間違いだった」
「待て、千石。何か知ってるのなら言えよ。黙っているなんて卑怯だぞ」
「落ち着け、跡部。越前だってお前には迷惑掛けたくないって、だから口止めさせただけだろ」
宍戸の言葉に、振り返る。

「なんでてめえがそんな事知っているんだ?」
「あ」
「じゃ、そういうことで!」
「千石っ!」
一瞬の隙をついて、千石は逃走してしまった。
気まずそうに顔を背けている宍戸に「説明しろ」と詰め寄る。

「お前、越前と会ったのか」
「いや、それは」
「宍戸さん。もう正直に話した方がいいです。
大体、跡部さんに隠すこと自体が間違っているんです」
間に入るようにして、鳳が声を上げた。
こいつまで関わっているのか。
そう思って尋ねると、鳳は「ええ、不本意ながら」と頷いた。

「とにかく場所を変えましょう。ここじゃ、目立ち過ぎます」
鳳の言う通りだ。
今日の試合は終わったので、まず部員達に解散を言い渡す。
こちらの様子を伺っていた部員達も、バラバラと散って行く。
唯一忍足だけが「おい。どないなってるんや」と寄って来た。
「さっきの千石やろ。なんであいつがここに?お前ら一体何の話を」
「悪い。俺はちょっとこいつらと話がある」
宍戸と鳳に視線を移すと、「せやったら俺も」と言われる。
しかし「遠慮してもらえないか。じっくり聞きたいことだからな」と跡部はきっぱりと拒絶した。
宍戸と鳳と千石がこそこそと動いていたことが気に入らない。しかも自分に隠し事をしようとした。
その辺をきっちり追求する必要がある。
跡部の迫力に呑まれたのか、「わかった」と忍足は引いた。

「何かあったら連絡してくれや」
「ああ」
「ほな。また明日な」

手を上げる忍足のずっと後方に、ジローが立っている。
何か言いたそうにしているが、結局そのまま帰って行く。
今は話し掛ける段階ではないと判断し、跡部は改めて宍戸と鳳に向き直った。

「さて。詳しく聞かせてもらおうか」
「いいですよ。元々俺は跡部さんに全部報告するべきだと思っていましたから」
「おい、鳳」
「越前君の言うことなんて放っておけばいいんです。
何を勿体ぶっているのかわかりませんが、隠していいことなんて一つもない」
「……」
辛らつな言い方だが、話してくれる気はあるらしい。
三人で会場から出て、話が出来そうな場所へと移動した。







「氷帝の生徒が犯人かもしれないってことか」
宍戸と鳳の話を聞いて、跡部は小さく唸った。
やはり中等部をもっと徹底的に洗う必要があった。
大会前だからと言い訳せず、自ら調査に乗り出していればもっと早く解決出来たかもしれない。
「いや、だからまだ確定してないって千石も言ってた。
氷帝の誰かだとしても越前が彼女と別れた直後にすぐにその噂が流れたのも変なんだって。
もしかしたら、青学の誰かかもしれない」
暴走しないようにと、宍戸が釘を刺される。
「案外、青学の生徒なんじゃないですかね。
記憶を失くした間に誰かの恨みを買ったのかもしれませんよ」
鳳の棘のある言い方にムッとするが、可能性としてはゼロではない。
それに鳳は宍戸が協力しているのが気に入らないだけで、嘘や隠し事はしない。
宍戸と千石が黙ったままでいた情報を跡部に話そうとしてくれていた。その点だけでも有り難い存在だ。
「青学か。向こうにも当たってみる必要があるな」
今の中等部につてはないが、高等部にいるテニス部の連中から手を回すことは出来るかもしれない。
早速連絡を取ってみるかと考えた所で、
「今は止めとけよ」と宍戸に言われた。

「ああ?さっさと片付けないとまたそいつがどんな噂を流すかわかったもんじゃねえだろ」
「今は大会中だぞ。もしお前がそんなことしてると越前が知ったらどう思う?」
「それは、」
「氷帝の部長としてやるべきことがあるんじゃないか。
それを放って犯人探ししたって聞かされても、越前は喜ばないだろ」
「……」

宍戸の言う通りだったので、反論の言葉も出なかった。
だがこのままじっとしているわけにもいかない。
やっと手掛かりが掴めたのに。
拳をきつく握り締めると、「俺の方でも探っておくから」と言われる。
「青学の連中も大会中だから協力を仰ぐことは出来ないが、聞き込みくらいは出来るだろ」
「宍戸さん、何もそこまで」
「俺がそうしたいんだ。いいだろ、跡部。お前が動けない間は、俺がフォローしておくから。
だから今は大会に集中していろ。な?」

真剣な表情に、跡部はわかったと頷いた。
「でもいいのかよ。お前がそこまでする義理は無いはずだろ」
「いや、……たいしたことは出来ないかもしれないが、せめてこの位はさせてくれ。
情報が入ったら、今度はちゃんとお前に連絡する」
「そう、か」

鳳はまだ不満そうだが、宍戸の決意が固いと見て黙っている。
たしかに闇雲に青学に乗り込んでも、得られるものは無いかもしれない。
リョーマに知られたら、また拒絶されるだけだ。
それどころか「大会を蔑ろにして何してんの、信じられない」と軽蔑される可能性だってある。
宍戸は信頼出来る奴だ。ここは彼に任せておくべきだろう。

「わかった。頼む」
頭を下げて、跡部はそう言った。


チフネ