ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2012年12月30日(日) 春夏秋冬

はる。桜のようにいさぎよく散れたらどんなによいだろうかとおもった。

なつ。きみはあまり海のはなしをしなくなったねって声が聞こえた気がした。

あき。せつなさはどこからくるのだろうとこころの扉をそっと開いてみた。

ふゆ。だからこそあたたかくなるだからこそやさしくなれるじぶんでありたい。



このいちねん織り続けてきた布がいまここにある。

たくさんの糸に恵まれなければ決して織れなかった布だった。

そっとふれてみるとそのぬくもりがとても愛しくてならない。

だいじょうぶここにいるよって。だいじょうぶ生きているよって。

なんてありがたいことだろう。じぶんがこうして存在すること。

わたしはきっとこのままでいい。なにも変わらなくていい。

かみさまがまたあたらしい糸をわたしにくださるのだという。

それはきせきのようなこと。あたりまえのことなんて何ひとつない。

わたしはまた織り続けることだろう。

はるなつあきふゆのかけがえのない日々を紡ぎながら。







今年最後の日記になりそうです。
この一年、私のつたない日々におつきあいくださり
ほんとうにありがとうございました。
どうかお元気で笑顔で新年を迎えられますようお祈りしています。



2012年12月29日(土) 生きなくちゃ

おひさまがにっこりと微笑んでいるようないちにち。
この暖かさをそのままに新年を迎えられたらどんなに良いだろうか。

朝からお昼過ぎまで綾菜のお守り。
一緒に遊んだりお散歩に行ったり楽しいひと時だった。
この子の笑顔にどれほど元気をもらったことだろう。
誕生からもうすぐ八ヶ月。それはあっという間だったけれど。
産声を聞いた日からずっと天使がそばにいてくれるような気がする。

かけがえのない命。ほんとうにありがたい命をさずかったと思う。
つぶらな瞳。小さな手足。目の中に入れてもきっと痛くはないだろう。

この子の成長を見守りながら老いていきたい。
そして一日でもながくそばにいて長生きがしたいとつくづく思う。

老いることがこわかった。死んでしまうことがとてもこわかった。
けれどもなんだか勇気が出て来て人生を全う出来そうな気がしてきたのだった。

生きなくちゃ生きなくちゃって思っているいまがとてもありがたい。
命の蝋燭に手をかざして消えないように守り続けたいと思っている。




おひさまが西の空に傾きかけた頃。お大師堂にお参りに行った。
今年もたくさんのご縁をいただいたお大師堂だった。
巡り会ったたくさんのお遍路さんの顔が目に浮かんでくる。
春夏秋冬それぞれの季節がまるでアルバムのように私の胸にある。
巡り会えると言うことはほんとうにありがたいことであった。

元気にしていますか?いつもそう問いかける。
縁はそうしてずっと繋がっているような気がしてならなかった。


お大師堂から帰って来ると、あんずがまた待っていてくれた。
今日も頑張るワンって言っている。彼女も一生懸命に生きようとしている。



2012年12月28日(金) 雨降って地かたまる

朝から冷たい雨になる。
いかにも冬の雨らしく控えめで静かにあたりを濡らしていた。

山里の職場は仕事納め。
母がいつも言っているようになんとかなるもの。
足りない事を数えていたらきりがなく
もうじゅうぶんなのだと思えば気も楽になった。

難破船のような職場ではあったけれど
決して沈むことなくこの一年を乗り越えてきた。
泣いたり笑ったりしたけれどそれも懐かしく思える。
嵐が来ればみんなで支えあった。
もう何も怖いものなどないと思えるようにもなった。

納めて始める、その繰り返しだけれど。
始められる新しい年が目前にあることはありがたいことだと思う。

まさに雨降って地かたまる。そんな感じなのかなと思ったりもする。



そうして今年もあと三日。ほんとうにあっという間の一年だった。

いろんなことがあったようにも思うけれどそこに「苦」はなかった。

今年一年を一文字で表すとすれば「恵」なのかなと思う。

いちばんに孫に恵まれ、平穏な日々に恵まれたことを感謝せずにはいられない。



2012年12月27日(木) ゆっくりのんびり

山里に着くなりいちめんの霜におどろく。
ブロッコリー畑をおおい尽くすような霜は
なんとも風情があり綺麗だなと思った。

冬には冬の景色を楽しむ余裕が私にもあったらしい。
しっかりと見てあげること、それが大切なのかもしれない。



先日から風邪気味だった母がやっと病院へ行ってくれた。
熱こそないけれど咳がひどく夜も眠れないとのこと。
私がいくら心配しても大丈夫の一点張りだったから。
ちゃんと診てもらえてとてもほっとしている。
毎年の事だけれど年末年始には必ず風邪をひく母だった。
一年分の疲れがどっと出てくるのだろう。
母を少しでも休ませてあげたい気持ちでいっぱいだった。
頑張らなくても良いよって言ってあげたかったのだけれど。
言葉にすれば怒られてしまう。せめて気持ちが伝われば良いなと思う。

この一年、親孝行が出来たのかどうかよくわからない。
これからも自分に出来る精一杯のことを母にしてあげたいと思うばかり。



仕事から帰宅すると、何日ぶりだろうあんずが待っていてくれた。
ぐったりと横たわる日が続いていただけにさすがに嬉しかった。
その顔は「行くよ!」って言っている。今日も頑張ってくれそうだった。
ふらふらと足取りはおぼつかないけれど、土手の階段まで辿り着く。
抱っこしようかなと思ったその時、あんずは階段に足を踏み出した。
はらはらしながら見守っているとなんと階段をのぼり始めたではないか。

そうして自分の足で土手まで辿り着くことが出来たのだった。
「すごいね、よく頑張ったね。えらかったね」とたくさんほめてあげる。

お大師堂までは行けなかったけれど、あんずと私の散歩が再開した。

ゆっくりのんびりでいい。しばらくはそんな日々を楽しみたいなと思う。




2012年12月26日(水) 愛しいいのち

クリスマス寒波も少しだけ遠のいてくれたのか
今朝は凍るような寒さから解放されほっと安堵する。
風はやはり冷たいけれど陽射しに恵まれた一日となった。

昨日はあんずを動物病院へ連れて行き、
寒さで急激に体力が弱ってしまった事を知る。
子犬の時からずっと庭で飼っていたせいもあり、
一度も寒さ対策などしたことがなかったことが悔やまれる。
獣医さんから犬は最後のぎりぎりまで我慢する生き物だと教えてもらった。

「寒いよ、辛いよ」と口に出すことが出来ないあんずを憐れに思う。
必死で寒さに耐えていたのかと思うと可哀相でならなかった。

そんなあんずが昨日よりも今日と少しずつ元気になってくれているのが救いだった。
立ち上がることが出来るようになると、今度は一生懸命歩こうとする。
少し歩いては転んでしまうけれどすぐに起き上がってまた歩こうとする。
がんばれ、がんばれ、声をかけながら今日は10メートル位歩く事が出来た。

土手に上がる階段はさすがに無理なので抱っこして土手にあがった。
そうしたら目をキラキラさせてとても嬉しそうな顔をして見せる。
大好きな散歩道だもの。どんなにか歩いて行きたいことだろう。

だいじょうぶ、きっとまたいっぱい歩けるようになるよ。

それまでは毎日母さんが抱っこしてあげるから、川を見に行こうね。

抱っこしたあんずの重み。そしてぬくもりがとても愛しくてならない。



2012年12月24日(月) 初雪つもる

目覚めたら雪が降っていた。
雪の精たちが天使のように舞い降りてくる。
はらはらとすこしせつない。
なんだか哀しい歌をうたっているように感じた。

だいじょうぶ生きているよ。

昨日は顔もあげられなかったあんずが
私の顔をのぞきこむような仕草をした。
母さんはわたしが死ぬって思っているんでしょ。
死なないよわたし。ちゃんと生きているからね。

そんな声が聞こえてきたような気がして
ごめんね、ごめんねってあんずをぎゅっと抱きしめた。

お豆腐を一口だけ食べさせる。うまく口があけられない。
やっと食べられたと思ったら飲み込めずにこぼしてしまった。
そんなことを何度か繰り返しているうちにやっと飲み込むことが出来た。

よろける足を踏んばって踏んばってやっとの思いで立ち上がった。
一生懸命がんばっている。負けないよってがんばっている。

あんずの大好きな雪が降っているよ。
見せてあげたいなってすごく思った。


もしかしたら最悪の状態を乗り越えたのかもしれない。
薄っすらとではあるけれど希望が見えてきたように思う。

なんとしても生きようとする生命力に感動せずにいられない一日になった。



2012年12月23日(日) がんばれあんず!

ひゅるひゅると北風強し。
おひさまがそんな風をなだめるように優しく微笑む。


夜明け前、あんずに異変あり。
昨晩まではとても元気だったのに信じられないありさま。

ある日突然とはまさにこのこと。
15歳の老犬だけに何があってもおかしくはなかった。

かかりつけの獣医さんは休診日で連絡がとれず
とにかく今日、明日と様子を見るしか術がなかった。

はらはらと見守ることしか出来ない一日となった。
もしかしたら一刻を争う病気かもしれないというのに
何の手当てもしてあげられないのがもどかしくてならない。

あんずは幸せだったのかしら。いろんな思い出が駆け巡る。



2012年12月22日(土) げんこつ山のたぬきさん

昨夜のうちに雨があがりゆっくりと青空が見え始める。
おひさまってほんとにありがたいなって思った。
冬のやわらかな陽射しは天からの贈り物のように届く。


今日は娘と買物に行く約束をしていて
それよりも孫の顔を見たさに大急ぎで駆けつけた。
綾菜に朝御飯を食べさせたかったから。
それから着る服を選ばせてもらえるのも楽しみ。
単純なバーバねって娘は笑うけれど
私にとってはほんとうに嬉しいことだった。

買い物は「西松屋」今日のバーバはサンタさんだった。
年明け早々から託児所のお世話になるため
お昼寝用の布団などを購入する。
いかにも女の子らしい可愛い布団セットだった。

託児所に預けることを思うとすごく心配になるけれど
私が毎日お守りをする事も出来ず仕方ないことだと思う。
最初はどの子も大泣きして大変だと聞いた。
綾菜にとっては初めての試練になるかもしれない。
少しずつでいい。どうか順調に慣れてくれる事を祈るばかりである。


お昼下がり、眠くなった綾菜が少しぐずり始めた。
娘は台所の大掃除を始めていたのでバーバとねんねすることにする。
毛布にくるまっていないいないばあをしたりして遊んでいた。
それから「げんこつ山のたぬきさん」を歌ってあげていたら
うつろうつろと目を閉じ始めて泣きもせずすやすやと眠ってくれた。

「バーバ、すごいじゃん、やるじゃんか」と娘にほめてもらって得意顔。
なんだか託児所の保育士さんになったような気分だった。

げんこつ山のたぬきさんはおっぱいを飲んでねんねしてくれるけれど。
託児所にもちゃんとたぬきさんがいてくれたらいいなあって思った。






2012年12月21日(金) 冬のお風呂

冬至。午後から冷たい雨が降り始めた。

山里の職場で柚子を頂いていたと言うのに
置き忘れたまま帰って来てしまった。
今夜は「柚子湯」と楽しみにしていたのにとても残念である。

仕方なくいつもの入浴剤でお風呂に入ったけれど
柚子湯のことなど忘れてしまうぐらい心地よく温まった。
これも冬の楽しみのひとつ。とても幸せな気分になるのだった。

ふっと昔の五右衛門風呂を懐かしく思い出した。
嫁いだ頃には我が家もまだ薪でお風呂を沸かしていて
嫁いですぐにその役目を任されてしまったのだった。

それが上手く出来ない。思うように薪が燃えてくれなかった。
新聞紙に火を点けて最初は小さな薪から燃やし始める。
炎が見え始めたら徐々に大きな薪を入れていくのいだった。

お風呂も沸かせないのかと姑から小言を言われた事もある。
それが悔しくて毎日奮闘した。やれば出来ると毎日頑張った。

それまでの私はアパート暮らしでお風呂はガスだったから。
子供の頃を思い出してもお風呂を沸かすのはいつも父だったように思う。
だから初めての事だったのだ。上手く出来なくて当たり前だったのかもしれない。

やがてそれが上手になってくるとお風呂を沸かすのがとても楽しかった。
ちょうど良い湯加減になると舅さんがいちばん風呂に入る。
そして夫、姑、義妹が入ってから嫁の私はいつも最後だった。
義妹が入る時にはいつも大きな薪を燃やしてくれていてありがたかった。
おかげでお風呂がぬるいということは一度もなくいつも温まることが出来た。

懐かしいな。あの頃のお風呂。冬になるとよけいに思い出す。

どんなに歳月が流れても忘れられない私とお風呂の思い出だった。



2012年12月20日(木) 霜の朝

いちだんと冷え込んだ朝。土手は霜で真っ白になっていた。
吐く息も白い。なんだか子供みたいにはあはあとそれを楽しむ。

そうして微笑みながらそうしてふっとせつなさが込み上げてくる。

あの日の朝も霜の朝だった。かれこれ四年近くも前の冬の朝のこと。
前日にお大師堂で出会ったお遍路さんが我が家を訪ねて来てくれたのだった。

「修行」という名の托鉢。彼はそれが出来なくてとても苦しんでいた。
私と出会う前夜にはもうお遍路なんかやめてしまいたいと嘆きながら
公衆トイレの中で一夜を過ごしずっと泣いていたのだと話してくれる。

じゃあとにかく練習をしましょう!そう言って我が家に誘ったのだった。
足の悪い姑もぜひ会いたいと言ってくれて我が家を目指して歩いて来る。
わずか30メートルほどの距離だと言うのに姑は思うように歩けなかった。

「おばあちゃん、ゆっくりで良いですよ。大丈夫ですよ」

彼は何度も声をかけながら姑が辿り着くのをずっと待っていてくれた。

そんな出来事があったのが良かったのか、彼は随分と励まされたようだ。
何があってもなんとしても歩き続けなければと思えるようになったと。
数日後、姑と私宛に手紙が届いた。私たちにはとても嬉しい手紙だった。

その後、彼には三度ほど再会することが出来た。
最後に会ったのは今年の夏。笑顔で訪ねて来てくれてどんなに嬉しかったことか。

姑の手を握り締めて「おばあちゃん、ずっと元気でいてね」って言ってくれた。

その時どうして気づいてあげられなかったのだろうと後になり悔やまれた。

まさかそれが最後になるなんて思ってもいなかったから・・・。

その四日後、彼は死んでしまった。自ら命を絶ってしまったのだった。

その事実がどんなにショックだったか。言葉には出来ないけれど。

私のなかでは彼はずっと生き続けている。

今もどこかを歩き続けている気がしてならなかった。

山や海や空や風や。気持ちいいね。生きているよねって声が聞こえてくる。




2012年12月18日(火) まっしぐらの師走

曇り日。朝はそれほどでもなかった寒さが午後から強くなる。
風の冷たさに身震いしながら負けるものかと胸を張ってみたりする。

8日ぶりの山里。なんだかふっと懐かしさが込み上げてくる。
峠道ではお遍路さんがふたり、どうやらご夫婦のように見えた。
お互いを労わりあいながら歩いている様子にほのぼのと心が和む。


仕事は山積みだった。そんな忙しさが私は好きだ。
そうして自分が必要とされていることを感じるのが嬉しく思う。

ばたばたと慌しい時間ばかりではなく庭の山茶花に目をやると
まさに満開で可愛らしい桃色の花がたくさん咲いていてほっとする。
寒さも忘れる一瞬だった。冬に咲いてくれる花はほんとにありがたい。


私がいない間に母は風邪をひいていたそうで
もう大丈夫よと笑っていたけれどなんだか申し訳なかった。
頑張り屋さんの母のこと、一人で仕事を切り盛りしていたのだった。
助けてとは決して言わない。そんな母の苦労が身に沁みてくる。

会社の心配事も後を絶たず、年を越せるかしらと私が呟くと。
何があったって新しい年は来るわよって笑い飛ばされてしまった。
確かにそうね。どんなに不安がっても時が止まることはないもの。

母の笑顔に励まされてまっしぐらの師走になりそうだった。

こうなったらなんだって来いだ!前を向いてずんずんと進んでやろうではないか。





2012年12月17日(月) 雨のち晴れ

雨のち晴れ。青空が見え始めると一気に北風が強くなる。
冬将軍が目を覚ましたのかもしれない。また暴れ出すのだろうか。

川仕事に出掛けるまでに少し時間があったので
朝のうちに娘の家に押しかけていた。
ちょうど綾菜の朝御飯に間に合って良かった。
離乳食を食べさせた後、大量のウンチと格闘。
オムツを替えて着替えをさせてさあ遊びましょうとなった。
お気に入りの玩具やいないいないばあやお馬さんごっこもして遊んだ。
膝の上に座らせて上下に揺するととても喜ぶ。
お馬の親子の歌をうたいながら「ぽっくり、ぽっくり」すると声をあげて笑う。

あっという間の二時間だった。孫と一緒に遊ぶのはちょっと疲れるけれど
こんなに嬉しくて楽しい時間はいくらでもおっけいだと思うバーバであった。



帰宅して早めの昼食を済ませ、いざ出陣と川仕事に向う。
この一週間ふたりで頑張ったかいがあり作業も今日で終わることが出来た。
漁場一面に張られた緑の網を見ていると感慨無量になる。
達成感はもちろんのこと、どうか順調な生育をと祈る気持ちが込み上げてくる。

何があってもおかしくない世の中。自然の厳しさもそのひとつである。
自然がいつも味方してくれるとは限らない。痛手は覚悟の日々であった。
「恵まれる」ということは奇蹟のようなこと。最近つくづくとそう思う。

どんな時もなにがあっても希望を忘れず前を向いて歩んでいきたいものだ。



2012年12月16日(日) 師走の再会

昨日からずいぶんと暖かく今日もぽかぽかの小春日和となる。
冬将軍もちょっとひとやすみ。雲を枕にうたた寝をしているようだ。

午前中に地区の年末総会、お昼前から川仕事、帰宅して選挙と慌しい一日。
あらあらと言う間に一日が過ぎていくのはいかにも師走らしかった。

せめて散歩の時だけはとゆったりとした気持ちでいつもの道を歩く。
昼間の暖かさをそのままに土手を吹く風もやわらかく優しかった。

お大師堂にはお遍路さんの靴が脱ぎ揃えてあってわくわくと嬉しい。
12月に入って一気にお遍路さんの姿を見かけなくなっていたから。

扉をノックしようとしていたら先に扉が開いてびっくりした。
なんと秋の日に最後のお別れをした長髪青年遍路さんがそこに居た。

もう会うことはないだろうと思いつつずっと気になっていた青年。
愛媛の実家に無事に帰り着いたものの、またすぐに旅立ったのだそうだ。
「もう一度だけ」どうしてもそうしなければいけない理由があったようだ。

家族のために。大切な家族を守るために彼が選んだお遍路のみち。
彼の背負っているものはほんとうに大きくて心を痛めずにはいられなかった。

のほほんと毎日を平穏に暮らしている自分が心苦しいほどに。
彼とその家族の苦悩がひしひしと伝わってきて涙が出そうになった。

前回会った時には決して無駄ではないのだと告げたことを覚えている。
今日はなんと伝えれば良いのか。励ます言葉がうまく見つからなかった。

「すべてでなくていい、ほんの少しでいい」それが精一杯の一言になる。



2012年12月15日(土) おばちゃんありがとうね

曇りのち雨。なんだか春先を思い起こすような暖かな一日だった。
午後から降り出した雨は冬の雨とは思えないほどやわらかく優しかった。


父方の伯母の命日。もう二年が経ってしまった。
今朝はその顔を思い出しほろほろと涙がこぼれた。

お葬式の日以来、お線香のひとつもあげられずお墓参りに行けずにいる。
遠方とはいえなんと不義理な事だろうと心が痛んでならなかった。


13歳の時に両親が離婚した。
それ以来ずっと伯母は私の母親がわりでもあった。
今でも忘れられないのは中学の修学旅行の時のこと。
伯母は前夜から泊り込みで来てくれてお弁当を作ってくれた。

今思えば伯母にも家族がいて私とさほど年の変わらない従兄弟達もいた。
そんな家族のことを後回しにしてまで私の世話をしに来てくれたのだった。

その頃の私はそれがどんなに大変な事だったのか気づきもしなくて。
伯母をひとりじめにしたような気分でうかれていたのかもしれなかった。

そんな伯母の苦労に気づいたのはあまりも遅くてつい最近のことである。
伯母が亡くなる少し前に電話でいろんなことを話していてはっとしたのだった。

伯母の声を聞いたのはそれが最後になってしまったけれど。
「おばちゃんありがとうね」ってちゃんと伝えることが出来て良かったと思う。

電話口でおばちゃんは泣いていた。私も泣きながら感謝の気持ちを伝える事が出来た。

10代の後半から今までほんとうにたくさんの不義理を重ねて来たと思う。

けれども思い出す伯母の顔はいつも優しくて微笑んでいてくれるのだ。



2012年12月14日(金) 良き伴侶

寒気が少し緩む。今にも雨が降り出しそうな朝だった。

雨を覚悟の川仕事だったけれど幸い降らずにいてくれて
本日のノルマを達成。このまま順調に進めばあと3日で終りそうだ。

毎日目標を定めて精を出す仕事はとても張り合いがあって良い。
疲れもあまり気にならず、むしろ達成感のほうが大きかった。

「やる時はやるんだ」という精神、これは夫ゆずりだった。
根っからの怠け者の私には、どうでもいいやと思う悪い癖があったりして。
何事も中途半端であったり途中で投げ出してしまうことも多くあったから。

今の自分がこうして在るのは夫のおかげであると言っても他言ではない。
今更言うのも気恥ずかしいけれど、良き伴侶に巡り会えたと心からそう思う。

これも歳を重ねてきた証だろうか。夫のいない暮らしを考えただけで
目の前が真っ暗になってしまう時がある。それはとても心細いことだった。

正直言って若い頃には、夫が留守をしてるだけでほっと嬉しかった。
亭主留守で元気が良い。そんな感じだったのかもしれない。

それが今では正反対になってしまって、そばにいないと不安でならない。
そばにいてくれるだけでいい。いつしか夫はそんな存在になっていた。

夫婦とは不思議なもの。ながい歳月を経てこそ感じられる貴重なことがある。

もしかしたらこれこそが愛しさか。そんなことを私も思えるようになった。



2012年12月13日(木) 夜明け前に

ここ数日氷点下の朝が続いている。
そんな寒い朝にあんずが逃走してしまって大騒ぎだった。
朝は夫と一緒に散歩に行くのが日課なのだけれど
夜明け前の暗い犬小屋でリードが外れてしまったようだった。
しまったと思った時はもう遅く、あんずは一目散に駆け出していったもよう。
夫はすぐに追い掛けて行ったけれど暗くて姿を見失ってしまったそうだ。

「大変な事になったぞ!」夫の叫び声に一瞬あんずが死んでしまったのかと思った。

「死ぬどころか元気すぎるぞ」あんずが逃走した事を知りふたりで捜しに出掛ける。

いちばん最初に仲良しのランちゃんの家へ行ってみた。
以前にリードが外れた時もまっしぐらに向った場所だったから。
でもいない。いったいどこに行ってしまったのだろう。

今度は大橋のたもとまで捜しに行く。クルマに轢かれたらどうしよう。
そんな不安をよそにそこでも姿が見えないままだった。

もしや?最後にお大師堂に向ってみるとぼんやりとあんずの姿が見えた。
夫とは一度も来た事のない場所。私と歩く散歩道を覚えていたらしい。

「そうか、そうか、独りでお参りに来たのだね」

とても怒る気にはなれなくて擦り寄ってきたあんずの頭を撫でる。

おかげで流れ星を三つも見れたぞと夫。

夜明け前の東の空が燃えているように赤く染まっていた。



2012年12月11日(火) 自然の恵み

昨日に引き続き今朝も氷点下の朝になる。
土手には真っ白に霜がおり朝陽が射し始めるときらきらと眩しい。
寒さにも少し慣れてきたのか、そんな朝の風景を楽しむゆとりができた。

今日から一週間ほどの予定で川仕事が始まる。
重ねて張っていた海苔網を一枚ずつ漁場に張り詰めていく作業。
全部で140枚ほどある。毎日少しずつ頑張っていこうと思う。

秋の間は例の黒い海苔の被害にあってとても大変だったけれど
水温が下がったせいかそれも消滅してくれてほんとうに良かった。
青さ海苔は1センチほどの長さに成長しておりもう大丈夫だろう。

自然任せのことでまた何が起こるかわからないけれど
大きな山を越えたような気持ちで前途がとても明るくなった。

亡くなった夫の父が残してくれた家業。もう30年にもなるのか。
私たち夫婦に苦労はつきものだったけれど今となっては懐かしい。
これからもどんな苦労も乗り越えていけそうな気がするのだった。

あと10年、いや20年かなと夫とこの先の事をよく話す。
それはとても欲張りなことだけれどその欲こそが希望だった。

希望をなくしては一歩も前に進めないような気がしてならない。

自然の恵みをありがたく受けとめながらふたり力を合わせて頑張ろう!



2012年12月09日(日) 湯たんぽ

昨夜からかなり冷え込んでいたので
雪の朝になるかもしれないと思っていたけれど
目覚めたら冷たいみぞれのような雨が降っていた。

そんな雨が降ったりやんだり、時々青空も見えてほっとする。
家事もそこそこに炬燵にもぐりこむばかりの一日だった。

今夜こそはと湯たんぽの準備をする。
台所のストーブに薬缶を載せておくとちょうど良い湯かげんになる。

湯たんぽは息子が赤ちゃんの時に使っていたものだけれど
昔々の冬を思い出しながら今では私の布団を暖めてくれる。

そんな湯たんぽが待っていてくれると思うと寝るのがとても楽しみだった。
これも冬の楽しみ。ささやかな夜のご褒美のようなものである。


平穏な一日に感謝しながら明日のために眠ること。

当たり前のことのように思えるけれどそれこそが幸せに思える。



2012年12月08日(土) ねんねの時間

強い北風に雨が混じり今にも雪に変わりそうなお天気だった。
「寒い、寒い」が口癖のようになってしまったけれど
こころのなかはいつもあたたかい。そんな自分でいられるありがたさ。


午前8時にはもう娘の家に押しかけていた。
「おはよう綾ちゃん」声をかけるとにっこりと微笑んでくれる綾菜。

オムツを替えて着替えをさせてガーゼで顔を拭いてあげる。
毎朝娘がしている事をかわりにさせてもらえるのが嬉しい。

しばらく玩具で一緒に遊んでから三人で買物に行った。
あまりの寒さに綾菜には毛糸のお帽子。それがとても良く似合う。

ダイソーに行ったりスーパーに行っているうちに眠くなった綾菜。
帰りのクルマの中ですやすやと眠り始めた。
私の胸に埋もれるようにして寝息をたてる姿がとても愛しい。

お布団で30分ほど寝ただろうか。目を覚ますと昼食の時間だった。
今日の離乳食はさつま芋入りのお粥。人参としらすの煮物。そして林檎。
食べさすのはほんとうに楽しい。あーんと口をあけてもぐもぐと食べてくれた。
食後はミルクを欲しがる。哺乳瓶を見ただけで催促するようになった。
このところ母乳を飲みたがらないようで断乳になってしまったようだけれど
喜ぶ娘をよそになんだか物足りなさを感じるのはバーバの独りよがりだろうか。
それだけ成長したということ。私も喜んであげるべきかもしれない。


娘の家を後にする時はいつも後ろ髪を引かれるような思いになる。
来週は川仕事が控えていて会いにこれそうにもなくひどく寂しい。

今頃はもうおりこうさんでねんねしているかしら。

綾ちゃん今日はありがとうね。バーバもそろそろねんねの時間になったよ。




2012年12月07日(金) 綿入り半纏を買った

今日は二十四節気のひとつ「大雪」
日に日に寒さが増しているけれどもっともっと寒くなるのだろう。
寒さなければ花は咲かず。その言葉を思い出しながら耐えている。
そうは言っても北国の寒さにくらべればひよっこの冬だった。
何度も言うけれど自分がどれほど恵まれているかを忘れてはいけない。

ひよっこの冬とはいえやはり寒さは身に堪え
今日は仕事帰りに綿入り半纏を買って来た。
昔と違って今の半纏のなんと可愛らしいこと。
キャラクター物はあんまりかなと赤いチェックの柄にした。
お風呂上りにさっそく羽織ってみるとずいぶんんと暖かい。
暖房も不要なほどでこの冬の省エネルックになりそうだ。


夕方、食事の支度をしていたら東北で地震のニュースが飛び込んできた。
あの日以来何度も余震があったけれど、まだ続くのかとショックでならない。
それはほんとうに他人事ではなかった。いつだって明日は我が身だと思う。

平穏な我が身がありがたくもあり心苦しくもある。
あの大惨事のあと友人が伝えてくれた言葉を思い出していた。

「普通に暮らしていけば良いんですよ」

その平凡な日常が今もこうしてそっと寄り添ってくれている。


私信:盛岡のY子さん、大丈夫だったでしょうか?
   大震災を思い出すような大きな揺れだったと思います。
   どんなにか怖かったことでしょう。心配でなりません。
   どうか怪我などしていませんようにと願っています。




2012年12月06日(木) 北風に吹かれながら

北風が強くとても寒い一日だった。
北国ではまた爆弾低気圧が大暴れしているとのこと。
先日もあったばかりだというのに停電のニュースが流れる。
この寒空に電気の使えない生活を強いられるなんてなんとも気の毒である。

私たちはあたりまえのように暮らしているけれど
そんなニュースを聞くたびに恵まれていることを思い知るのだった。

あってあたりまえのことなんて何ひとつないのだと思う。
だからこそ日々に感謝しながら過ごしていかなければいけない。


四万十も明日の朝は氷点下の予報だった。
寒さに負けてはいけないと思いつつもこの頃ひどく寒さが身に堪える。
これも歳のせいだろうか。子供の頃には大好きな冬だったと言うのに。

防寒着のフードをすっぽりと被って散歩道を歩く。
川面は風にあおられて白波が立っていた。
そんな川が好き。何かを叫んでいるように川は流れていく。

私もちゃんと流れているかしら。風にたずねるように顔をあげてみた。



2012年12月05日(水) ありがとう神戸

いちめんの霜の朝。しんしんと底冷えするような寒さだった。
空はどんよりと曇っていておひさまがとても恋しく思う。


昨夜遅くに神戸より帰宅。不思議と疲れが残っていなかった。
日帰りのハードなスケジュールに耐えられたらしい。

神戸までほぼ6時間の道のり、やはり不安でならなかったけれど
幸いなことにバスの席はいちばん前の窓際に座らせてもらった。
おかげで一気に緊張がほぐれすっかりドライブ気分になれた。
ゆっくりと夜が明けていく。車窓から見える風景に心が安らいだ。

出発してからすぐに添乗員さんの自己紹介があり。
なんとかつて歩き遍路を二回結願したというお遍路さんだった。
それにはほんとうにびっくりした。そしてなんともいえない嬉しさ。
これもお大師様からいただいたご縁だとつくづく思ったことだった。

バスは瀬戸内海を目指す。鳴戸の海、明石の海が最高に綺麗だった。
強風のためバスは揺れていたけれど瀬戸内海の真っ青な海に心を奪われる。

お昼過ぎに神戸に到着。高層マンションの多さにおどろく。
見上げるほど高いところに洗濯物が揺れているのがなんかほっとした。
田舎町から出た事のない私には何もかもが新鮮な風景だった。

神戸では有名だと言う中華料理店で昼食。美味しい料理でお腹いっぱい。
そうしてそこから歩いてみんなでぞろぞろと異人館巡りに行った。
地図はもらったものの方向音痴の私は迷子になってしまいそうだった。
そうしたら途中のSAで何度かおしゃべりしていた女性が誘ってくれる。
「一緒に行きましょう」と言ってくれてすごくすごく嬉しかった。

異人館はたくさんあったけれど時間の都合で全部は行けなかった。
けれども異国情緒あふれる建物や家具などがとても綺麗でたくさん歓声をあげた。

また来たいなって思った。時間を気にせずゆっくりと散策してみたいものだ。

一緒に歩いてくれた女性といろんな話しをしているうちに
そのひとが私の長年の友人の従姉妹だということがわかってびっくり。
どうりで気が合うはずだった。これもほんとうにありがたい出会いである。
おかげでとてもとても楽しい時間を過ごすことが出来た。


夕暮れていく神戸をあとにする。その時見た夕陽は一生忘れないだろう。

一時は臆病風に吹かれてこの旅を諦めようかと迷っていたけれど。
来てほんとうに良かったとこころから思える一日になった。

ありがとう神戸。私はここでまたひとつ歳を重ねて歩み出して行きます。



2012年12月02日(日) 髪を切ってすっきりと

曇りのち雨。降りだした雨のなんと冷たいことだろう。
おひさまのありがたさをしみじみ感じた一日だった。

午前中は娘と買物。西松屋で綾菜の冬物の衣類など買う。
「これいいね」って言えば「買ってあげようか」となる。
可愛い孫のためとなればついつい財布のひもがゆるんでしまうものだ。

お昼にはお婿さんが宅配ピザをごちそうしてくれた。
ちょっと早目の誕生日だよと言ってくれてとても嬉しかった。
優しいお婿さん。毎年私の誕生日を憶えていてくれてありがたいことだ。

午後からは美容院へ行った。髪を切ると身も心もすっきりとする。
ほんの2センチの憂鬱があっという間に消え去っていったようだ。

とても溌剌とした気分になってその足で公民館に向った。
アマチュア写真家の友人が所属しているクラブの写真展を見に行く。
ちょうど友人もその場に来ていて久しぶりに会えて嬉しかった。

この友人にはいつもありがたい刺激をもらっている。
行動力がとてもあってカメラを提げていろんな場所に出かけている。
写真も県展に入選するほどの腕前でとても素晴らしかった。
今年は花の写真が多かったけれど生命力があふれているのを感じた。

「うらやましい」という言葉が私は嫌いだった。
だからどんな時にもその一言だけは言わないように心がけている。

人それぞれ優っていることもあれば劣っていることもあってあたりまえ。
自分にないものを持っているひとがいれば心から尊敬するようにしている。

そうしてそのひとにないものを自分が持っているのだとしたら誇りに思う。
決して自慢するのではなくて。これが自分なのだなと認めてあげるのだ。


私はきっとこのままでいい。最近すごくそう思うことが多い。



2012年12月01日(土) えらかったね

カレンダーをめくると真っ白な雪景色だった。
そういえば去年も12月に初雪が降ったっけ。
南国土佐にも冬将軍がやってくる。
ほらもうすぐそこにいてちょっぴり笑っているようだ。


晴れてはいたけれど風がとても冷たい一日だった。
娘が友達とイベントに出かけるのだと言って
朝から夕方まで綾菜を預かっていた。
一日中綾菜と過ごせるのはとても嬉しいけれど
お守りはほんとうに大変でバーバはくたくたになってしまった。

人見知りが始まった綾菜はジージの顔を見ても泣いてしまう。
これにはさすがのジージも参ってしまったようだった。
抱っこすることも出来なくておろおろとするばかり。

お昼前に少しだけ眠ってくれてご機嫌になったところで離乳食。
ごっくんするのがずいぶんと上手になってぺろりと平らげた。

それからが大変。お昼寝の時間になって大泣きになった。
それは今に始まったことではないのだけれど
抱っこしてあやすのにもとにかく重いのだった。
昔の子育てならおんぶをすればすぐに眠ってくれたのだけれど
今の子育てはあまりにも昔と違っていることに戸惑うことが多い。

一時間ほど泣きじゃくる綾菜をあやしていたけれどもう限界。
ジージの提案でドライブに出かけてみることにした。
そうしたら10分も走らないうちにすやすやと眠り始める。
クルマの揺れがちょうど良かったのだろう。これは大成功だった。

帰宅してやっとバーバもひと休みが出来るとほっとしたのもつかの間。
30分もしないうちに目を覚ましてまたジージの顔を見て泣き出してしまった。

お散歩に行ってみようか。外に出てみたけれど寒くてほんの少しだけ。
風のあたらない陽だまりを見つけて娘の帰りをずっと待っていた。

午後四時、やっと娘が帰って来る。
その顔を見るなりほっとしたのか綾菜はおいおいと泣きながらすがりついた。

「えらかったね、ほんとにえらかったね」っていっぱい抱きしめる娘。
幼い子供にとってどんなにか母親が必要なのかつくづくと感じた一瞬だった。

「綾ちゃん頑張ったよ、すごくおりこうさんだったよ」って微笑むバーバであった。


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加